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運命の出会いというには違和感
しおりを挟む2×××年。冬の名残を感じさせる春。桜の蕾が花開く準備を始めている。しかし季節の風情といったものに如何せん感心の無い私は、暖かい家に帰って毛布に包まれたかった。桜の木に目もくれず足早に通り過ぎていく。そんな私を叱るかの様に雨がぽつぽつと降り始めた。
くそう。お天気お姉さん今日はお日様りんりんの快晴だって可愛らしい笑顔で自信満々に言っていたのに!
「すみません。少しの間雨宿りさせてもらってもいいですか?」
「あぁいいよ。いやだねぇ、今日は降らないって天気予報でもやってたのに。あっ洗濯物取り込まなきゃぁ」
「あ、良かったら手伝いましょうか?」
「いいのいいの、ゆっくりしててぇ。それよりもお団子買ってくれる方がうれしいねぇ。洗濯物中に入れたら用意するから、雨が止むまでゆっくりお食べな」
「は、はい。いただきます」
着物が濡れては後処理が面倒だ。近くにあった団子屋に駆け込み、店員のおばさんに雨宿りを頼むと快く了承してくれた。ちゃっかりお団子を売り込むのは商売上手といっていいだろう。
お店に備え付けられた小型テレビは、一週間前にどこぞの研究所で、過激派組織による犯行で発生した大規模爆発による被害についてのニュースを放映している。洗濯物を取り込みながら聞いていたおばさんが「物騒な世の中になったもんだねぇ」と感想を述べていた。
一方私はおばさんが出してくれたみたらし団子を食べながら、目の前で降り続ける雨をぼんやりと眺める。これはすぐに止みそうにない。先程通り過ぎた桜の木からは、雨に打たれた蕾たちがいくつか地に落ちてしまっていた。
「お嬢ちゃん。さっきゆっくりしてってって言ったけど、雨が止んだらすぐに家に帰った方がいいよ。止まなかったらおばちゃんの傘貸してあげるから」
「何かあるんですか? お祭りの準備?」
「馬鹿だねぇ、この季節に祭りなんかありゃしないよ。いや、でもある意味では祭りなのかねぇ。この近くに子供たちが遊び場にしてる広場があるだろ? 今日はそこで、もうすぐ競りが行われるんだよ」
「……せり?」
「なんだい、あんたこの街の新参者なのかい? 奴隷の競り、オークションだよ。って言っても、闇競りだからろくな商品は揃っちゃいない。安いけど、どっかしら傷モンだとか問題のあるやつが集められては売られてるんだよ」
「ひっひと!? ひとが商品なんですか? 犯罪ですよ! 違法じゃないですか! こんな街中で堂々と!? 世紀末……世紀末だ……」
「何驚いてんだい? 変わった子だねぇ」
「……」
「もしかしてあんた、どこかのお嬢様か何かかい?」
「いっいえ、すいません。つい最近田舎から出てきたもので、世間知らずなだけなんです……」
「ふぅん? まぁそういうことだから。慣れてないなら尚更、今日はあんまりこのあたりをうろつくんじゃないよ? 団子食べ終わったら、さっさと家におかえり」
そう言って傘を取りにお店の奥に引っ込んでいったおばさんの後ろ姿に、ふぅと重いため息をつく。なんとか誤魔化せた様だ。
串に残っていた団子を一つ口に放り込み、もぎゅもぎゅと堪能する。みたらしが美味しい。ごきゅりと団子を飲み込んだところで、ラストひとつの団子を大口を開けて一口で食べてしまおうとしたときだ。
目の前の通りを、みすぼらしい服を着た人達を沢山積んだボロボロの馬車が通り過ぎる。馬車を引く厳つい男の二人組は雨合羽を来ていたが、馬車に積まれた人々は屋根もない為、徐々に強くなってきた雨に打たれていた。まだ寒さの残る春の為、ガクガクと体を震わせている者もいた。
私は見慣れぬ光景に目を逸らせずにいた。まるで、戦争映画のワンシーンでも見ているかの様だ。どんよりとした重いものが胸につっかえる。
馬車が団子屋を、私の前を通り過ぎる前に馬車の最後尾に乗せられていた灰色の髪を持つ男と目が合った、気がした。ゾクリと悪寒がする。
けれど、どこか懐かしい様な、どうしようもなく泣き出したくなる衝動に襲われる。なぜ、どうして?
団子を口に入れようと、みっともなく大口を空けていることを責められている気がした。しかしそれも一瞬で、馬車はドナドナをBGMに広場へと向かっていった。店内からドナドナを眺めていたおばちゃんが眉を寄せて重い息をついていた。
「いやだねぇ、陰気臭いったらありゃしない。やだ、ちょっとお嬢ちゃんよだれ垂れてる。口を閉じなよ。みっともない」
「うぇ、あう、じゅるり。あの。今のって……」
「奴隷馬車さ。ほらお嬢ちゃん、これ。傘。使いなさい。もう古い傘だからそのままあげる。捨ててしまっても構わないから、わざわざ返しにこなくても大丈夫さね」
「あ、ありがとうございます。返しにきます。ちゃんと」
「いや、いいって。人の話は聞きなさいよ」
「いえ、返しにきます。お団子、また食べにきますから」
「……傘は本当にいいから。普通に食べにおいで」
おばさんは優しく微笑んで、まだ夕刻前なのに店仕舞いの準備を始めた。どうやら奴隷の競りが行われる日は客数も増えるが、よくない輩の客の割合が増えるとのことで、トラブルも多くなる。おばちゃんは稼ぎよりも穏やかな午後を過ごすことを選ぶとらしい。
もし私がお店を持っていたら同じ選択をしただろう。チキンハートの私が、そんな強面の客の相手など出来るはずもない。そんな輩を前にしたとして、生まれたての小鹿の如く足が震え、祖母のようにぷるぷる震える手で運んだ茶菓子を、輩の上にぶちまけるというありきたりなドジを運ぶことになりトラブルを乱発するであろうことは想像に難くない。だったらすやすやと束の間のお休みを取って、平穏な時間を過ごすが有意義というものだ。
未だに慣れない下駄でよたよたと不安定に、雨でぬかるんだ道を歩く。雨は収まる様子を見せず、おばちゃんに借りた傘を容赦なく攻撃してくる。ト●ロがいたら、にんまりと満足そうな笑みで傘に当たる雨音を楽しむところだろうが、あいにく私はト●ロではない。着物の足元が汚く汚れるのを、眉を寄せて睨みつけた。いやだな、借り物だから汚すわけにはいかないのに。落ちるかなこの泥。雨だと知っていたら、汚れの目立つ白い着物など選びはしなかったというのに。お天気お姉さんめ。
「さぁさ、寄ってらっしゃい! みてらっしゃい! 今日も品揃えがいいよ。お安くしとくよ。若い娘から屈強な男まで。慰み物に使うも力仕事に使うも良し。さぁさ寄ってきな!」
「……」
帰り道に通らざるをえない大広場は人ごみで賑わっていた。わいわいがやがやと一見すると祭りの如く。非合法であるにも関わらずよくもまぁこう盛大に行うものだ。
関わってはいけない。おばちゃんの言うとおり近づかない方がいい。わかっていた筈なのに、私の足は大広場へと向かっていた。べちゃべちゃとした泥のぬかるみが足袋を汚した。
おばちゃんに借りた、無地の青い傘を差したまま、人混みの後ろから前方で行われているオークションを見上げる。先程売人の男が言っていた通り、若者から老人までずらりと一列に並べられている。一人ずつ競りに掛けられ、人気のある商品……という言い方は嫌なので、人、特に子供や若者はどんどんと値段が跳ね上がり競り落とされる。その一方で殆どの老人は値段を告げる声すら上げられず、後ろへと押し込められる。扱いは売れた人に対するものとは違いひどくぞんざい。老人をいたぶる売人の姿は非常に不快極まりない。おじいちゃん、おばあちゃんっ子だった私は胸が締め付けられる思いだった。やめて、そんな風に扱わないで。お年寄りの体はデリケートなんだから。転んだりしたら大変なんだから、ちゃんと支えてあげてよ。
ふと、私は買い手の居ない人達がどうなるのか気になった。怖かったが、斜め前に居たスポ刈りの白髪の、しかし風貌ですぐにその筋だとわかる年配の男性訪ねてみた。「あん?」と振り返ったその人の悪そうな顔を見てものすごく後悔した。相手がぷるぷると震える小娘だとわかったからなのか、それとも余りの脅え様に向こうが気を削がれたのか。そっけなくも答えてくれた。
「どうなるってぇ……買い手のつかねぇ売りモンは次の市場でもういっぺん出されるか、もう売れる見込みのねぇ連中は殺処分でぇ」
「さっ……さっしょぶん? う、うそ」
「嘘じゃあねぇよ。専用の施設にあるガス室にぶち込まれて、それでしめぇだ」
「ガスって、そんな……ひどい……」
「同情は良しな、嬢ちゃん。このご時世だ。そういう運命に当たっちまった以上、仕方がねぇんだ。あいつらはそれを受け入れるしかあるめぇよ」
それは、あの場に立たなくて済んだ者の言い分に過ぎないのではないだろうか。彼らがそういう運命に選ばれたから、私達が今ここに立てているのであって。それをしょうがないだなんて言葉で済ませてしまうのは、あまりにも理不尽ではなかろうか。
かといって、私にこの状況をどうこうする力は持ち合わせていない。これがもし、漫画やアニメの勇気ある主人公であれば、気に入らないだの、こんなの間違ってると格好良く決め台詞を吐いてこの場をぶち壊し、華麗に奴隷達を助け、彼らに救世主として感謝をされたりするのだろうか。可哀想だ理不尽だと文句を垂れつつも、口だけで、行動に移す勇気など持ち合わせていない私はやはり非力だった。周りの人達と同じように、人間が競り落とされる場面を見ていることしか出来ない。
おじさんは傘をさしながらも、器用に煙管を咥え、目の前の光景を眺めていた。私も、帰ろう帰ろうと心の中で繰り返しながらもその場から動けず、オークションから目をそらすことも出来なかった。
売人が後ろに控えさせていた馬車から誰かを乱暴に引っ張り上げている。どうやら前に並ばず後ろに引っ込んだまま動かない奴隷が居たようだった。引っ張り出されたその人物の姿に私は思わず「あ、」と声を上げた。そして、その姿を見た観客もざわめき始める。
無理もない。今まで前に出されていたのは平均的な日本人の黒髪黒目の容姿の人達。しかし今回は、文字通り毛色が違った。
「ああもぅっ。手こずらせやがって。さぁさ皆さん! お次の商品はこちらだ。見てくれ。珍しいだろう! 残念ながら白とは言えないがくすんだ珍しい灰色の髪。そして何よりもこの国でも他国でも中々拝めない赤い目! これは珍しい人種でねぇ、国によっちゃ、この体のどっかしらの部位を持ってりゃ巨万の富が得られるって話もある。若い男でガタイもいいから、労働力にだってなる。五体満足で出せるのはうちだけだぜ。さぁ張った張った!」
その容姿を見たものの感想は様々だった。珍しい、美しい色合いだと誉める者も居れば、不気味だ、人間じゃないと容姿を嘲り笑うものも居た。私はというと前者だった。遠くからでも目立つその灰色の髪は強烈なインパクトを与え、人の記憶に残らせる。だからこそ、私は先程の馬車で目があった男があの青年であると確証出来るのだ。
しかし私の背筋を凍らせたあの赤い目は、青年が前を見ることなく下を見て俯いているため、拝むことは出来ない。
売人は男の灰色の髪をひっつかんで上を向かせ、その赤目を観客に見せつけるものだから、なんとなく価値の安売りだなとぼんやりと考えてしまう私はどこか薄情なのかもしれない。
なんやかんやで競りが始まり、青年には次々と値段がつけられていく。
「あの兄ちゃんも不運なもんだな」
「……」
「様変わりな容姿で五体満足なら相当値は張る。売人の言う事が本当なら、ボロ雑巾みてえに馬馬車の如く働かされて、最終的に使い物にならなくなったら体バラバラにされて売り飛ばされる。最後までゴミひとつ残らねぇ無駄のねぇ商品ってこったい」
「……」
「ガスでおっちんでも無縁仏として施設が処理する。ある程度は生き長らえはするが、徐々に体を少しずつ奪い取られて、自分が存在した証すら残せず骨までしゃぶりつかされて殺される。どっちがいいのかねぇ」
「……」
「そんな顔すんじゃねぇよ嬢ちゃん。おいちゃんが泣かせたみてぇだろう」
「ちがいます。これは雨です」
「あぁそうかい。傘も役にゃたたねぇなぁ」
青年は高価な値段で競り落とされた。青年の表情は競りが始まる前と変わらない。何もかもどうでもよさそうで、何を考えてるかわからない。ぼんやりとした眼差しでどこかを見ていた。ぞくりとした。私はあの目を知っている。
競りが終わり、人々はそれぞれの家路につき始めた。私もあのおじさんとお別れしたものの、なんとなく広場の側から離れられず、周りを行ったり来たりしている。
ちらちらと見える広場での売人と買い手の交渉。人が、商品の“人”を、取引している。口は悪いが、胸糞が悪いというのはこのことを言うのだろう。
どうにもならないとわかっているのに、往生際悪くここに留まっているのは何故なのか。もう足袋は雨でぐしょぐしょだ。素足までじめじめが浸透している。着物の足元も跳ねた泥が付着してみっともない。
雨を少なからず凌いでくれる、あの桜の木の下まで避難する。手持ち無沙汰に傘の柄をくるくる回していたら、低い男の声が後ろからかかった。驚いた私は思わず情けない声を上げて、桜から一歩離れてしまう。
「ちょっ、傘くるくるすんなよ。しぶきが、しぶきが目に入る! 地味にいてぇから、俺今目こすれねぇから!」
「えっ? わ、わわっごごごごめんなさい! ……って、あなたは…」
「あ? なに、俺のこと知ってんの?」
「いえ。初対面なんですけど、その、団子屋で……」
あなたにえらいガン飛ばされて脅えてた小娘Aです。とは流石に口には出せなかった。私に声を掛けたのは、なんと、あの灰色の髪の青年だった。びしょびしょに濡れた髪は顔に張り付き、鬱陶しそう。ざんばらに伸びた前髪から覗く赤い目は、近くで見るとより強烈な色をしていた。
「団子屋?」
「……」
「……あぁ! あのブッサイクな顔で大口開けて団子喰おうとしてた女か!」
「ブッ!? ちょ、し、失礼じゃありません!? オブラートの欠片もないんですけど! 否定はしませんけど!」
「オメー、女だろ? もちっと清楚に優雅に食いもん喰えよ。あんな堂々と公衆の面前でのどちんこ見せてんじゃねえよ。思わずガン見しちまったわ。猥褻罪だぞ? 破廉恥罪だぞ? はしたないだぞ?」
「やめてくださいよその言い方! セクハラですよ! のどちんことか! 扁桃腺といってください!」
「ブッブーのどちんこは扁桃腺ではありませんー口蓋垂ですー」
「くっ……!」
にやにやとからかう表情の青年はひどく憎たらしい。というか印象とだいぶ違うんですけど。もっとこう弱り切った、牙の折れた狼みたいなのを想像してたんですけど! 「俺に構うな…」系を想像してたんですけど! というかあのときガン見してたの私ののどちんこだったんかい!
なにこれ。なんで私はこんなくだらない問答をしているんだろう。もう一度傘をくるくるし、しぶきという名の弾丸をぶち込んでやろうかと思ったがそんな仕返しの度胸はなく、むっと眉を寄せてじっと青年を睨みつけた。
そこで気づいたのだが、青年は身動きとれぬよう後ろ手を縄で縛られている。その縄は、この場から逃げられないように桜の木の幹に繋がれていた。それを見た私はぺしゃりと闘争心が遠のき、俯いてしまう。そんな私をじっと見ていた青年はぽややんとした声色で私に話しかけ続けた。
「俺の主になるおっさんが割引交渉中でな。ここで待機中なんだよ」
「……」
「どっかの誰かさんがこの縄を解いてくれたら逃げられんのになぁ~。自由になれんのになぁ~」
「し、しませんよ。そんなこと……怒られちゃう」
「いや、怒られるですまねーだろ。なに? 平和ボケ? 冗談だよ。俺ァ縄解かれてもここに居る」
「な、なんでですか? 自由になれるなら自由を選ぶでしょう?」
「選んだ自由の方が苦労するからだよ。食い扶持無くなるし。このナリじゃ雇ってくれるとこもねぇだろ。なにより俺は目立つからな。逃げたとしてもすぐに見つかってボコボコにされるのがオチだ。ま、殴られ蹴られは慣れてっからいーけど、飯抜きはなぁ。マジで応えるから。マジ辛いから。ダイエットとか言ってる場合じゃねぇから」
さらりと何でもないことの様に青年は発言しているものの、諦念に塗れた言い分を耳にするこちらの気分はドン底だ。
だってあなた、生きてても馬馬車の如く働かされて、身体はどんどんアンパ●マンの顔みたいに引きちぎられて、でもアンパ●マンみたいにジャ●おじさんが新しい顔と交換してくれる訳じゃないから最後には何にもなくなっちゃうんだって、あの強面のおじさんが言ってましたよ。それでもいいんですか。と口から漏れ出そうになる。それを口走ってしまったのなら私はオブラートを包むどころか、オブラート100枚飲み込んで私自身を窒息させねばならない。
いいわけないのだ。ボロ雑巾にされて、その末身体ばらばらにされることを良しとする人間なんざどこに存在するってんだ。居たとしてもそれは真性のドMのド変態だ。……しかし不安なので一応確認はしておこう。
「お兄さんは」
「んー?」
「ドMのド変態ですか?」
「ちょっと何この子突然とんでもねーこと聞いてきたんだけど」
「違うんですか?」
「ちげーよ! ……なぁそれよりあの団子、もうねぇの? 土産用とか買ってねぇの?」
「買ってないですけど……。まだ私の胃袋の中にはあります。絶賛消化中です」
「絶賛発売中みたいな言い方やめてくんない。いや、発売はされるか。下から」
「セクハラで訴えますよ」
「え? セクハラ? 俺ァ下からって言っただけだろ? やだ、なになに、自分が想像した下ネタ俺に押し付けんのやめてくんない? 自分の辱めを俺に擦り付けるのやめてくんない?」
「……」
「うぉおお! 傘くるくるやめろ! しぶきが! 目が! 目がァアア!!」
小さな反撃を施すと、青年は本気か冗談かはわからないがいちいち大袈裟なリアクションを取ってくれるのでちょっと面白い。漫画みたいに目を×にして悶える姿に思わず小さく笑い声を漏らす。青年は×だった目をぱちくりさせて私をじっと見つめてきた。何となく気恥ずかしくなって顔を逸らしてしまう。
「なぁほんとになんも持ってねーの? 飴ちゃんとかでもいいんだけど。あ、でもハッカはやだ。それ以外で持ってねぇ?」
「持ってないです。……お腹空いてるんですか?」
「常時腹は減ってるよ。もうHPもMPもピコーンピコーンだよ。とっくに限界突破してるよ」
「ごめんなさい。今は本当に何も持ってないや。その代わりと言ってはなんなんですけど」
「……」
「これどうぞ。これから大変だってときに、風邪引いちゃ大変でしょ」
おばさんから頂いた傘を青年に差し出すと、青年は赤い目をまんまるにしている。恐らく私よりも年上であろう青年のその顔はあどけなくて、少し幼さを感じさせた。木々の間から漏れる雨水が、今まで傘でカバーされていた髪をしとしとと濡らしていく。
青年は手が塞がっているため傘を受け取れないので、幹の間に座り込んでいる青年がこれ以上濡れないよう、傘を肩にもたれさせる。灰色の髪と真っ赤な目に、真っ青な色の古びた傘はあまりしっくりとはこない。
「あー……なんつーか……」
「はい?」
「世間知らずってよく言われねぇ? 名前も知らねー風袋のやべえ奴、特に奴隷と話しちゃいけませんって常識も知らねえみてぇだし。俺みてぇなのに普通に接してくるし。なんかオメー見てたらこっちの方が不安になってくるんですけど。この先、この子こんな世知辛い世の中でやっていけるのかしらって心配になってきたんだけど。なにこれ? 父性? 俺この年にして父性芽生えちゃった感じ?」
なんというか、この人は素直にお礼のひとつも言えないのだろうか。小娘扱いならまだしも、この言い分はまるで、幼子というよりもがきんちょ扱いである。確かにこの青年のほうが年上……というか大人であることはわかるが、そこまで離れてはいないだろうに。
「お兄さん今おいくつなんですか?」
「俺? たぶん24」
「にっにじゅうよん!?」
「あ? なに。それはどっち? どっちの反応? 思ってたより上か下かどっち?」
「どっちどっちしつこいです。どこの料理ショーですか。もう少し下かと思ってました。20ぐらいかと」
「マジでか!? 地味にうれっしーわー。そうだよな。確かに俺肌年齢とかぜってえまだまだ若ぇし? 今時の若者感漂ってるしィ?」
「いえそうではなく」
「あん?」
「年の割には言動が大人げないなと吃驚したんです」
「んだとコラ」
些細なやりとりが、久しぶりに心地よさを感じさせてくれた。こんなに気負わなくてもいい会話をしたのはいつぶりだろうか。初対面の相手には張りつめていた緊張がほとばしり、所謂人見知りを発揮するのたが、この青年相手には不要に思えた。まるで昔からの友人であるかの様に、私にしてはころころと言葉が紡がれていく。
「そういうオメーは?」
「はい?」
「人に年齢聞いといて自分は言わねえはせこくね? ずるくね?」
「私は」
年齢を答えようとした瞬間、凄まじい怒鳴り声が後ろからかけられる。臆病な心臓が銃弾でも喰らったかの如く飛び跳ねた。さーっと体中の血の気が引くのを感じながら恐る恐る振り返る。この青年を競り落とした、熊みたいにがっちりした体型の、今にも人を殺しそうな人相の男と、同じような風貌の二人組の男が私を見下ろしていた。
「このガキ! うちが買い取ったモンに何してんだ! まさか盗む気か!」
「ひっ。ち、違います! そんなつもりは」
「オイオイやめろよ。ガキ相手にいちゃもんつけて怒鳴り散らすのは。暇だったからそのがきんちょに俺の話し相手させてただけだ」
「テメェは黙ってろ!」
私を庇おうと前に出て来てくれたお兄さんが男に反論すると、熊の様な男の後ろに控えていた輩は容赦なくお兄さんのお腹を、その大きく太い足で蹴り上げた。
突然目の前で容易く行われた暴力に恐怖でじわりと涙が浮かぶ。なんで? なんでそんなひどいことが出来るの? 地べたに這いつくばって苦しそうに咳き込むお兄さんにすぐ駆け寄りたいのに足が竦んでしまって動かない。
「チッ奴隷風情が主人にナメた口利きやがって! 帰ったらもう二度とそんな生意気なこと言えねぇ様躾てやる!」
「でっ! いでででで! 髪そんなに強く引っ張んな! デリケートに扱って! 抜ける! 禿げる!」
「うるせぇ! 黙ってろ!」
また容赦なく一発、重い拳がお兄さんの腹にぶちこまれた。お兄さんは胃液を吐き出し、先ほどよりも強く咳き込む。三人の男がひとりの男に一方的な暴力を振るう。これは喧嘩などではない。暴行だ。
私はただ黙って、目の前の光景を震えながら見ることしか出来なくて。涙が滲んで唇がガクガクと震える。でも喉元からせり上がってきそうになる言葉だけは口にしてはいけない。絶対にそれだけは請け負ってはならないのだ。取り返しのつかないことになることは目に見えている。後だってなくなる。なのに、お兄さんが痛めつけられる姿を、もうこの目で見たくないという思いに駆られてしまい、先走ってしまう私の思考はまだまだ子どもで、制御など出来なかった。
「いっ、……ですか」
「…………あん? 何だってクソガキ。もうオメェに構ってる時間なんざねぇんだ。こいつみてぇに殴られたくなかったら、とっとと失せろィ!」
「いくらですか! そのお兄さん!」
「………あ?」
じわりと視界が滲む。やっちまった。私ってほんと馬鹿。後悔しても遅い。あ、今なら嘘です冗談ですジョークジョークって言ったら一発殴られるだけで許してくれないかな。無理だな。自分のことだけでもままならないのに、他人まで背負えるかバカ! と頭の中でもう一人の自分が怒鳴り散らしてくる。
お兄さんが赤い目をまん丸にして私を見つめてくる。やめて、そんな目で見ないで。後悔してるの私だから。わかってるから。
「……ほーう? 嬢ちゃん。こいつが欲しいのか?」
「……」
「よく見りゃ上等なモン着てるじゃねぇか。それなりに良い家柄の生まれみてぇだな。だが悪ィなあ。この奴隷は嬢ちゃんが思ってるよりも結構な価値があってな。それなりに値だって張ったんだ。お嬢さまといえど、ちゃちいお小遣い程度の金額レベルじゃ話になりゃしねぇよ」
「えっ」
「こいつに出した値段は約三百臼絽。それの倍以上出すってんならぁ……」
「あ、あの、ここここれで何とかなりませんか!」
「んだこの紙きれ……ぇ……ンェエエエエエ!?」
「わ、私この国のお金の単価とかよく分かんなくて! 大抵のことはこれ出せば何とかなるって言われてて、その……」
「すっスイマセンっしたァアア!」
「それでも足りなければ……って、え?」
「ししし失礼な口を叩きやした! 許して下せぇ! い、命だけはご勘弁を! こんの奴隷なら差し上げやす! だ、だから、このことは他言無用でどうか……」
「お、おい! 親分どうしたんだよ。なんだってんだ」
「馬鹿野郎! テメェラもとっとと頭下げんかい!」
「あ、あの……?」
私が差し出した黒いカードのようなものを目にするや否や、大男はお兄さんを繋いでいた縄をいとも簡単に離した。その体格に似合わない俊敏さで地面にドスンと平伏し、意外にも綺麗な形をした土下座を披露する。そのスピーディーな土下座により、ぬかるんだ泥が跳ね着物に付着した。
呆然として男の様子を戸惑い眺めていると、何も言わない私に男は何故だか焦りの表情を浮かべ、足元に全身全霊の謝意を述べながら縋ってきた。流石の私もハッとして、男を「やめてください」と引き剥がそうとする。しかし男も必死なのか離れてくれない。取り巻きの男たちも、親分と呼んだこの男の行動の意図かわからず頭を下げながらも戸惑っている。しかし、それも束の間だった。
「んぐえっ!」
「オイオイ、子供といえど年頃の女相手にそれはセクハラなんじゃあねぇの? おまわりさん呼ぶぞコラ」
「お、親分! て、テメェいつのまに……って俺の小刀がねぇ!」
私にしがみついていた男を後ろから殴り、気絶させたのはお兄さんだった。あれ? あれれ? 縛られてなかったっけ? 抵抗出来ないのではなかったのかと素っ頓狂な表情をしていた私に、お兄さんはにんまりと意地の悪い笑みで小刀をかざした。男たちが私に気を取られている間に、取り巻きの1人からくすねたようだった。手癖が悪い。というか後ろ手に縛られていたのに小刀で切れるとはこれいかに。どんだけ器用なんだ。
「大丈夫か? ドサグサに紛れてケツとか変なとこ触られてねぇ?」
「さ、触られてません」
「ほんと? いたいけな少女の股座に熊みてぇなこぎたねぇ男が顔突っ込むとか中々にえげつないというか、ある一定のマニアに受けそうな光景ではあったけど純潔は奪われてねぇか?」
「だからそういう言い方やめてくださいってば!」
「テメェ、この犬畜生風情が! ぶっ殺してやる!」
「ヒッ」
完全に頭が血が上ったのだろう男の一人が腰に携えていた刀を抜き私達に向けた。生まれてこの方、刀などそう滅多に見る機会も無かったし、ましてや敵意を持って刀を向けられることなど生まれて初めてだ。鋭い先端の刃がとても恐ろしく、情けない悲鳴をあげると、お兄さんが私の前に立ちふさがって「下がってろ」とこちらを見ずして私の盾になった。
ま、まさか応戦する気!? 一番強そうな熊男は私の足元で既にノックアウトされてはいるものの、相手は気が立っている大の男2人。こちらは私というお荷物抱えたお兄さん一人だ。圧倒的不利、……にも関わらずお兄さんはにんまりと笑みを浮かべて先手必勝、いやあれは不意打ちというべきか、自ら先に相手へと向かっていった。
まさかこちらから仕掛けてくるとは思っていなかったのか、男は不意をとられ刀を振りきることも出来ず、呆気なくお兄さんがいつの間にやら武器として装備していた、あの青い傘を頬にぶちこまれていた。
もう一人も後ろからお兄さんを斬りつけようとしたが、今し方倒したばかりの男を向かってくる輩に放り投げ、体制を崩させた上で、思い切り脳天に傘を振り下ろした。ただでさえボロボロだった傘はその衝撃に絶えられずぱきりと半分に折れてしまった。
えっこの人強くない? 不意打ちといえど圧倒してたんだけど。あっという間の出来事に私はポカンとだらしなく口を開けていることしかできなくて、お兄さんの叫び声でやっと意識を取り戻した。
「あーー!」
「ふぁ、ふぁっ!? え、え、ど、どうしました! まさか怪我……」
「傘折れちまった……」
「か、かさ?」
「やっべぇ。俺弁償とか出来ねーんだけど」
「べんしょう……い、いや、いいですよそんな。というかそれ元々は私のじゃないし……。譲り受けたのを、さらに私が譲り渡したというか、あなたに差し上げたものなので……」
「え、なに、お前わらしべ長者?」
「ってそんなこと言ってる場合じゃ。こ、この人たちししし死んでないですよね!?」
「んな簡単に人が死ぬ訳ねーだろ? こいつらもなぁ、ちょっと殴られた位で気絶しやがって。最近の若者は軟弱ったらないわねほんと! だからゆとりゆとりって言われるのよ!」
「いやあなたも若者……あの、どさぐさに紛れて何してるんですか」
「あ? 慰謝料だよ。こちとら婿入り前に傷物にされてんだぞ。もらえるもんはもらっとかねーとな」
「いやそれ泥棒ですよ!」
「人聞きの悪いこと言うんじゃありません! これは回収というんです! ハイ! リピートアフタミー!?」
完全にのびている男たちの懐にいそいそと手を突っ込み、財布を取り出し、中身の確認を始めたお兄さん。ちっ、しけてやがんなとブツブツ文句を言いながらもしっかりと自分の懐に収める姿はどこからどう見ても悪漢である。
「さて、回収も終わったし。さっさとここからとんずらするか」
「さっき、何があってもここから逃げないとか言ってませんでしたっけ……」
「ケースバイケースですー。あらゆる状況においていかにうまく臨機応変に立ち回るか。これが人生を上手く渡り歩く処世術なんだよ。ひとつ勉強になったな小娘」
「(処世術とか言ってる人が奴隷なんですがそれは……)」
「オイなんだその残念そうなものを見る顔は。で?」
「ハイ?」
「いやハイ? じゃなくて。お前マジでどうするつもりなの。本気で俺のこと買う気だったの?」
「………」
再びサーッと全身から血の気が引いていく。そ、そうだ。どうしよう。お兄さんも私なんかを助けたせいで、この人たちを滅多打ちにしてしまったわけで。殴ってゴメンナサイで許してもらえる筈が無いわけで。このままここにお兄さんが留まっても最悪な結末しか見えなくて。
そもそも私が一時の衝動に任せてあんなことを口走ってしまったから、こんな八方塞がりなことになってしまった。お兄さんが痛めつけられていても、私は黙っているべきだった。元はといえば私のせいなのだ。
これからどうしようとそんなに賢いとはいえない小さな脳みそをぐるぐると回転させる。何も思いつかない。それでもやはり私が責任を持たねばならない。あのひとに、土下座でも靴でも舐めるから、何でもするからといってお願いするしか道はない。いざとなったら自分を切り捨てる覚悟もしなければ。
「ってお前何してんの」
「何って……とりあえずこの人たちを何とかしないと。向こうに旅篭があったのでせめてそこで寝させといて……」
「はぁ? ほっとけほっとけそんな連中。情けなんかかけてやる価値もねぇ。大体そいつらの宿代だってかかるだろ」
「情けとかじゃないです。報復が怖いだけです。起きたら旅篭だったら夢だったと思うかもしれないじゃないですか。そのワンチャンにお金を賭けるんです」
「いや無理じゃね? 目覚めてぼこぼこにされた自分のツラ見て、あああれ夢だったわとかならねぇだろ。夢だけど夢じゃなかったー! ってなるのがフツウじゃね」
「そこは上手く旅篭の人に口裏合わせてもらいますから! なんか、飲んだくれてたらお互い喧嘩始めて、そのまま寝ちゃいましたとかで」
「……あのなぁ………お前さぁ………」
「な、なんですか」
じとりと半目で睨みつけられる。明らかに不快なものや、人を馬鹿にする様な視線に、ひ弱な心臓が悲鳴をあげる。私だっていっぱいいっぱいなのだ。少しでもこの先に関わる不安要素を和らげるか削除しておきたい。気にしいな性格なので、あとからああしておけばよかったこうしておけばよかったと、ずっとうじうじすることは目に見えている。
私がお兄さんのじとりとした、責める様な視線に耐えきれず下を向いて黙って俯いていると、何も言わない私の心情を察したのか察していないか不明だが、大きなため息と、その必要はねぇよと声がかかる。
「えっ」
「あれ、お巡りさんじゃねーの? 大方喧嘩だと思って誰か通報したんだろ」
向こうから明らかにこちらに向かって走ってくる黒塗りの、少しレトロな印象の車が走ってくる。あ、あれ警察? ほんとに?
黒塗りの車はこちらに向かって速度を落とさずに向かってくる。一向に徐行になる気配すら見せない。こ、これマズイんじゃ……。
「あぶねぇ!」
丁度私の立つ所に走ってきた車が目の前に差し迫ってきた。しかし鈍い私が即座に動ける筈もない。動揺で立ち尽くしていたところをお兄さんが突き飛ばしてくれた。
車はそのまま桜の木に大きな音を立てて激突。なんだなんだと雨の中、通りの人達も集まってきて大事になりはじめた。私はお兄さんが庇ってくれたおかげで、轢かれ飛ばされることはなかったが、変わりにお兄さんが足をぶつけたらしく、私の上で脂汗を大量にかいて、目を見開き歯を食いしばって苦悶の表情を浮かべていた。
「おおおお兄さん……! だだだいじょうぶで」
「こんのクソ運転手! なにしてくれてんだ! 警察がこんなことしていいのか! 骨折れた! 俺の足変な方向に曲がってる! ヤバいやつ! これやばいやつ! ちょ、おまえ、病院よんで! 頼むから病院よんで!」
「ぎゃああああ!」
私から退いたお兄さんが、桜に激突している車に怒り心頭の怒号を飛ばす。そして、あり得ない方向に曲がった自分の足を見て悲鳴をあげて、真っ白な顔で病院を求めた。見せびらかされた私はグロ耐性など微塵もなく、お兄さんの足を見て悲鳴をあげることしか出来ない。
てんやわんやな私達をよそに、思い切り事故った車から出てきたのは、サングラスをかけた美人な女性だった。
「アッチャアーやっちった。新車だったのに。ごっめーんまだ運転慣れてなくってぇ! だいじょぶ?」
「これのどこがだいじょぶに見えますか! オメーの目は節穴か!?」
「ありゃま。えらい方向に曲がってる。でも好都合だわ。ちょっとそのまま転がっててー。今新しい車呼ぶから。あっもしもしー? ええ、見つけたわ。ちょっと事故っちゃったから迎えにきてー」
「車より救急車を呼べ! ばか!? あんたバカァ!?」
「どうして敵組の若衆の面倒をこっちが見なきゃなんないのよぅ。ってあら? アンタ……」
「あ、あんだよ。あんまじろじろ見んな。みせもんじゃねーぞ!」
「灰色の髪に赤目……。それに倒れてるこいつら……あんた、一週間前にあたしが迎えにいく筈だったサンプルじゃ……。なんだ、生き残ってたの……」
「なんだお前ひとりでブツブツブツブツ。気味悪ィな。いいから早く救急車呼んでくんない」
「まぁいいわ。こいつらが天龍組の連中だってことはこれで確定したし。あぁ、車きたきた。大人しくしてなさいよー」
「な、なんだよこれ! ぐ、ぐぬぬ! ッて、イタァー!? ビリビリする! は、外れねぇ……。おい! お巡りが一般人を拘束するなんざ許されると思ってんのか! 出るとこ出んぞゴルァ!」
「好きにしたら? アナタの身分じゃ出るとこ出てもモグラ叩きみたいなことになるだけよ。あと、あたしは警察じゃないわよー」
「はん!?」
お兄さんの首に犬の首輪の様なものを装着させた美人なお姉さんはサングラスを外す。にっかりと私たちに笑って見せた。
「白鷹組が1人、柊シラユキ。よろしくね」
お兄さんは疑問符を頭の上に浮かべていたが、私はといえば本日何度目になるのか、全身からサーーッと血の気が一気に引いていくのがわかった。このままじゃ体中の血液が凍結してしまう。ここにいてはまずい。このお姉さんの自己紹介に嘘偽りがないというのなら、私はすぐさまこの場を立ち去らねばならない。
興味津々に私達の動向を見守っていた人々を、新たにやってきた車がモーゼの如く掻き分ける。今度は木にぶつかるといったこともなく、安全に停車した。戸惑う私達をよそに、車から出てきた黒ずくめの男たちはお姉さんの指示に従い、お兄さんを車へと押し込もうとする。
乱暴な扱いで折れた足を刺激されたのか、甲高い悲鳴をあげたお兄さんに対し、お姉さんはのほほんと「男なんだからそんなことで泣き言言うんじゃないのー」と声をかける。
倒れていた男たちが車のトランクに押し込められていくのを、なんともサスペンス的な光景だと遠目に眺めているうちにこの場所に残るは私一人となる。お姉さんはぱちくりとまばたきをして私と目を合わせた。
「えーっと、アナタは?」
「あ、あの、わたし」
「見たところ一般人で明らかに巻き込まれましたって感じねー。傘も持たずにびしょ濡れじゃない。お家はどこ? 迷惑かけちゃったみたいだし送ってくわよ」
「いっいいですいいです!! ひとりで帰れますんで!」
か、関わりたくない! 綺麗で面倒見のいい優しそうなお姉さんではあるが、その腰にぶら下げている、人に向けて撃つのであろう道具を見て危険信号が頭の中で鳴り響く。必死に首を振る私の意図を察したお姉さんは「そう?」と困ったように笑った。それ以上お誘いはしてこなかった。車の窓から首を出したお兄さんがきゃんきゃんと私に抗議を始めた。
「おっお前! 俺を見捨てるのか!? 明らかに怪しいヤのつくろくでもねぇ集団に拉致されようとしている俺を、このまま放っておくのか!?」
「すいません……私も命が惜しいので……」
「いやお前内心俺のことどうしようか悩んでいたところにこんなことになって、なんとかなりそうだとかちょっと安心してるだろ」
「………そっ、そんなこと、……アリマセンヨ!」
「目を見て言え目をーー! なに真上見てんだ! そこには誰も居ねぇよ! 千の風になった未来の俺しかいねぇよ!」
「ねぇアナタこれの知り合いか何か? 随分と仲が良さそうだけど」
「いえ、まっこと赤の他人です」
「チックショーー! 捨てるのね! あんたアタシを捨てるのね! あんだけ散々アタシのことたぶらかしておいて! そんな子に育てた覚えはなくってよ!」
「あの、あなたの中での私のポジションがぐちゃぐちゃでよくわからないんですけど……」
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「は、はぁああ!? アンタこんな子供に飼われたの……ってそうじゃない。なにいい大人が子供にたかって、あわよくば養ってもらおうとしてんのよ! 知ってる? 社会的にはそれをクズっていうのよ!」
「知るか! こっちは生き抜くのに精一杯なんだよ! アメンボだってオケラだってクズだってみんな必死こいて生きてんだよ!」
「開きなおんじゃないわよ! 恥を知りなさい! ごめんね。こんなクズに絡まれてたなんて。こいつのことはこっちで引き取るから気にしないで頂戴。あと、今日のことは忘れなさい」
「は、………はい、」
いまだきゃんきゃん騒いでいるお兄さんの声は車の窓が閉じられたことによってシャットアウトされたが、窓に顔面を貼り付けて、私に対して恨み言を叫んでいる。しかして私にはこれ以上どうすることも出来ない。ぺこりと一礼だけする。お兄さんは発進した車にドナドナと運ばれていった。
「それじゃあアタシも。ごめんなさいね本当に。巻き込んじゃって。あっ、これで汚れた着物のクリーニングなり、新しい着物を買うなりしてね。あと、お家までのタクシー代も。これだけあれば足りると思うわ」
「いっ!? いいいいですいいです! いただけません! こんなにお金! いりません!」
「いーのいーの。こういうのは大人しく受け取っときなさい。これ以上濡れた体でいると風邪引いちゃうわ。女の子なんだから身体は大事にしないとネ」
「でも、でも」
「今回のことの口止め料も兼ねてるのよ。受け取ってくれなきゃ引き下がれないわ」
そうは言われてもこんな大金は頂けない。どうしよう。どう言い繕えば持って帰ってくれるんだろう。ぐるぐる頭を悩ませている間にお姉さんはもう一台の車に乗りんで、「事故った車はそのまま放っておいてー。あとで部下が回収しにくるから」と華麗にサングラスをかけていた。お姉さんさ私に手を振り、先にお兄さんを載せていった車と同じ方向に走り去ってしまった。
残ったのはぼろぼろの車と、大金のはいったボストンバックを抱えた私と、真っ二つに折れた青い傘。
野次馬達が私を訝しげに眺めているのがわかり、なんとなく二つに分かたれた青い傘を手に取る。そそくさとその場を退散した。突然走ったせいで、ぜえぜえと息が荒くなる。運動神経の良いとはいえない、かつ運動不足の体はすぐに悲鳴をあげる。荷物もいろんな意味で重いため余計に疲れがマシマシだ。
雨は未だに止まなくて、頬にはりつく髪が鬱陶しくてかなわない。どんよりとした灰色の空はお兄さんの髪色にそっくりだった。
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