17 / 24
10話 おぬう様の襲来
しおりを挟む
とんとんとんとん……
オリヴィアは厨房で昼食を作っていた。今日のメニューは野菜たっぷりのミネストローネ。数日アシュレイに食事を作ってわかったのだが、彼は野菜が嫌いだ。特に生野菜。彼女は子供みたいなことを言う賢者のために、野菜克服メニューを色々試している。トマトは好きだということが判明したので、トマトの酸味と甘味で他の野菜の青臭さを消した、じっくり煮込んだミネストローネを作ろうと思っている。
とんとんとんとん……
軽快なリズムで野菜を小さく切る間、オリヴィアは考え事をしていた。というより、彼女にとって料理は片手間にできるほど慣れたものなので、つい暇になった頭が余計なことを考えるのだ。……最近のアシュレイは魔導人形の修理に勤しんでいる。専門外のことなので、少し時間がかかっているようだ。魔導人形が復活すれば、護衛の自分は不要になるだろうか……
とんとんとん、ざくっ!
誤って野菜と一緒に切ってしまった左手の人差し指から血が垂れる。こんな初歩的なミスをするなんて……。ネガティブなことを考えるからだわ、とオリヴィアは反省した。一旦包丁を置いて、手を洗う。思いの外深く切ってしまったようで、傷口からどくどくと血が流れている。彼女は人差し指に右手をそっと添えて、治癒魔法の呪文を唱えた。もちろん、発動することはない。
「馬鹿みたいね」
彼女はくす、と乾いた笑いを漏らし、救急箱を取り出した。厨房が一番怪我をしやすい場所なので、皿を収納している棚の端に予め用意していたのだ。真新しい綿布を取り出し、ぎゅっと傷口を押さえる。アシュレイに貰った薬を使えば瞬時に治るのだろうが、勿体なくて彼女は使えていなかった。
しばらく傷口を押さえたまま、オリヴィアはまたぼーっと考え事をしていた。先日からどうも、消極的になりすぎだ。先日……アシュレイに自分が魔法を使えないことを話してしまってから。今までの職場も、魔法が使えないと周囲にバレてから上手くいかなくなった。変に距離を取られてしまうのだ。アシュレイも、距離を取るのだろうか……
そこまで考えて、彼女はぶんぶんと頭を振った。自分らしくない。その時はその時だ。こんな高給の仕事をみすみす手放すわけにはいかない。相手から暇を出されない限りは……。それに、落ち込むのは性に合わない。
「明るく! 元気に! パワー!!」
オリヴィアは両手を振り上げて、己を鼓舞した。うん、もう大丈夫。
「なんだ、その間抜けなスローガンは……」
びくっ、とオリヴィアは肩を跳ねさせて、そろりと振り返った。厨房の入り口にアシュレイが立っている。気配に気づかないなんて、油断しすぎてしまった、と彼女はまた反省した。
「なんでもございませんわ! アシュレイ様、昼食の準備にはもう少し時間がかかりますの。お腹が空いていらっしゃるのなら、先にパンだけでも召し上がられますか?」
「いや、言うことがあって来ただけだから……って、あんた。その手どうした」
オリヴィアはさっと左手を隠した。うっかり綿布を巻きつけたままだった。
「こ、これはですね、えっと……。左手の人差し指が疼くのですわ! 封印された……えっとぉ、なんとかが……」
「うろ覚えで思春期初期特有の病を発動させなくていい」
そう言いながら、アシュレイはオリヴィアに近づいた。
「どうせ怪我でもしたんだろ? 前やった薬はどうした。持ってないのか?」
「えっとぉ……」
「持ってないんなら、新しいの作ってくる」
「持ってます! 持ってますわ! 肌身離さず!!」
オリヴィアはエプロンのポケットを探って、以前アシュレイに貰った小瓶を取り出した。それをアシュレイはひったくるようにして取り、オリヴィアの肩を押して近くの椅子に座らせた。
「持ってんなら使え、アホ。ほら、手ぇ出せ」
「じ、自分で塗れますわ!」
「勿体ねえとか言ってちょびっとしか使わねえのは目に見えてんだ。おら、大人しく従いやがれ」
「うう……」
不服だったが図星だったため、渋々オリヴィアは左手を差し出した。アシュレイはその手を掴み、指先にたっぷりと薬を塗り込む。
「あのな、薬にも消費期限ってのがあるんだ。使える内に使わねえと、それこそ勿体ねえだろ」
「だ、だって……」
「だってもヘチマもあるか」
「いたっ!」
アシュレイはオリヴィアの額にデコピンをした。そして、その額にも薬を塗り込む。
「わあ! 全然痛くないのに! 蚊に刺されるほどのダメージもなかったのに! 勿体ないですわ!」
「僕は蚊以下か。くそ、むかつくからデコ全体に塗ってやる」
アシュレイはオリヴィアの前髪をかきあげ、額にぬりゅぬりゅと薬を塗り込み始めた。彼はすごく楽しそうだ。オリヴィアは半泣きだが。
「いやーー!! 無駄遣い反対!」
「ニキビの予防にもなるから、無駄じゃねえ」
「レディにニキビの話をしないでくださいまし! デリカシーなし男! 非モテ! 陰キャ!」
「そうかそうか。そんなにお望みなら、顔全体に塗ってやろう」
「いやーーーー!!!!」
「何イチャイチャしてんの、あんたたち」
「……!?」
突然第三者に声をかけられ、オリヴィアとアシュレイは一斉に声がした方向へ顔を向けた。厨房の入り口に、先ほどのアシュレイと同じように知らない人物が立っている。黒髪のウェーブがかった胸までの長さのロングヘア。端正な顔立ち。フリルがたっぷりついたシャツに細身のスラックス。男装の麗人とも言えるし、中世的な男性とも言える。いや、先ほどの言葉遣いから女性だろう、とオリヴィアは確信した。
「お早いお着きですね、兄上……」
「あにっ……!?」
アシュレイの言葉によって、その確信は一瞬で打ち砕かれたが。
「可愛い弟のお願いだもの。飛んできちゃったわ」
ぱちり、とアシュレイの兄はウインクをした。その顔はミュルズ侯爵とそっくりだわ、とオリヴィアは呆然と見る。ミュルズ家の人間には違いないのはわかった。それでも、まだこの人が男性だと信じ切れない。
「この子が噂のオリヴィア嬢? かっわいい~! あたしはロザージュ・ミュルズ。よろしくね」
「本名はロンド・ミュルズな」
「もう! アシュったらバラさないでちょうだい! ロンドなんで可愛くない名前、やーよ」
ぷりぷりとロンド……いや、ロザージュは頬を膨らませて怒っている。余計にオリヴィアの頭の中は混乱した。結局、彼なのか、彼女なのか……
「気軽にロザージュって呼んでね。あなたのことは、オリヴィアちゃんって呼んでもいいかしら?」
ふわり、とロザージュは微笑んだ。圧倒的美人。これはもう、性別なんて関係ない。お兄様かお姉様かと聞かれたら、間のおぬう様だ。性別、イコール、ロザージュだ。美しいは正義。オリヴィアは心の中で謎にガッツポーズをした。
「もちろん! よろこんで……!」
「ふふ、可愛いわあ。持って帰っちゃいたいくらい」
ロザージュがそう言った途端、アシュレイがオリヴィアを庇うように立ち塞がった。
「オリヴィア、油断するなよ。兄上はこんな見た目だが、中身は雄の中の雄だ。女でも男でも可愛ければ見境ない。あんたなんかすぐに丸呑みにされるぞ」
「ふぇ?」
「ちょっと。警戒させるようなこと言わないでくれるぅ?」
アシュレイとロザージュがばちばちと目線だけで戦っていたが、オリヴィアには一切目に入っていなかった。先ほどのアシュレイの言葉を脳内で繰り返す。意味を取り違えていなければ、彼は自分のことを可愛いと言わなかったか……と。
「はぎゃあああっ!!」
「うおっ! どうした? 発作か? ハーブティー飲むか?」
「お、おねが、お願いいたします……っ!」
オリヴィアは顔を真っ赤にして狼狽える。アシュレイは平気そうな顔をしているのに、自分だけ浮かれている恥ずかしさもあった。あんな彼でも高位貴族の一員だ。社交辞令なんてお手のものだろうに。
「ちょっと待ってろ。すぐ用意するから」
アシュレイが厨房の奥の食材倉庫に消えたことを横目で見送って、オリヴィアは二、三度深呼吸をした。心頭滅却。邪心根絶。悪霊退散。悪霊退散?
俯いてぐるぐると思考を巡らすオリヴィアの前に、ロザージュがしゃがみ込んで彼女の顔を覗き込んだ。
「オリヴィアちゃん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「……?」
オリヴィアは目線だけ上げてロザージュを見た。目が合うとロザージュはにこっと笑い、オリヴィアの手に塗り薬の小瓶を手渡す。
「この薬、アシュからもらった物でしょ? 肌身離さず持ってるのに、使わなかったのは何故?」
「そ、それは……その、だから……勿体ないから……」
「それは建前よね。本音は?」
笑みを深めてロザージュがオリヴィアに詰め寄る。美人が笑顔で詰めてくること以上に耐え難い尋問も拷問もない……そんな気にさせる完全無比な笑顔だ、とオリヴィアは追い詰められた頭で思った。そして、気がついたら本音が口から滑り出ていた。
「は、初めてなんです……。家族以外から、贈り物をいただいたのが……」
オリヴィアはぎゅう、と両手で小瓶を包み込んだ。仮に中身が使えなくなったとしても、一生持っておこうと思うくらいには、彼女には嬉しいことだった。
「あ……ごめんなさい。アシュから貰ったから大事にしてるのかなって、ちょっと揶揄いたかっただけなの」
ロザージュはわたわたと両手を振って慌てている。慌てても美人は美人だな、とオリヴィアは思っていた。ロザージュが慌てる必要なんてないのに、とも。くす、とオリヴィアは小さく笑う。
「いいえ。私のような人には滅多にお目にかかれないでしょうから。ふふっ。レアキャラ、というやつですわ」
「オリヴィアちゃん……」
「おいこら兄上。なにオリヴィア虐めてやがるんですか」
どかっとアシュレイがロザージュを蹴飛ばした。いつの間に戻ってきていたのだろう。手には湯気の立つティーカップを持っている。
「虐めてなんか……いえ。今は暴力も甘んじて受けるわ。全然痛くないし」
「劇薬ぶっかけんぞ……。ほら、オリヴィア」
「ありがとうございます」
オリヴィアはアシュレイからティーカップを受け取った。澄んだ黄緑色のハーブティー。すん、と香りを楽しんでから、一口含む。美味しい。彼女はほう、と息を吐き出して、もう一度カップに口をつけた。恥ずかしさも、消極的な感情も、全て洗い流されるような気がした。
穏やかにお茶を楽しむオリヴィアの頭を、アシュレイがくしゃり、と一度撫でた。彼女が何か反応をする前に、彼は離れて行く。
「兄上。いつまでも寝転んでないで魔導人形を直しやがってください」
「まあ! お兄様に向かってなんて口ぶりかしら。……まあいいわ。どこにあるの? 案内してちょうだい」
揃って厨房を出て行くミュルズ兄弟の背を、オリヴィアは茫然と見送る。ハーブティーを飲んでいるはずなのに、落ち着かない気分を不思議に思いながら。
オリヴィアは厨房で昼食を作っていた。今日のメニューは野菜たっぷりのミネストローネ。数日アシュレイに食事を作ってわかったのだが、彼は野菜が嫌いだ。特に生野菜。彼女は子供みたいなことを言う賢者のために、野菜克服メニューを色々試している。トマトは好きだということが判明したので、トマトの酸味と甘味で他の野菜の青臭さを消した、じっくり煮込んだミネストローネを作ろうと思っている。
とんとんとんとん……
軽快なリズムで野菜を小さく切る間、オリヴィアは考え事をしていた。というより、彼女にとって料理は片手間にできるほど慣れたものなので、つい暇になった頭が余計なことを考えるのだ。……最近のアシュレイは魔導人形の修理に勤しんでいる。専門外のことなので、少し時間がかかっているようだ。魔導人形が復活すれば、護衛の自分は不要になるだろうか……
とんとんとん、ざくっ!
誤って野菜と一緒に切ってしまった左手の人差し指から血が垂れる。こんな初歩的なミスをするなんて……。ネガティブなことを考えるからだわ、とオリヴィアは反省した。一旦包丁を置いて、手を洗う。思いの外深く切ってしまったようで、傷口からどくどくと血が流れている。彼女は人差し指に右手をそっと添えて、治癒魔法の呪文を唱えた。もちろん、発動することはない。
「馬鹿みたいね」
彼女はくす、と乾いた笑いを漏らし、救急箱を取り出した。厨房が一番怪我をしやすい場所なので、皿を収納している棚の端に予め用意していたのだ。真新しい綿布を取り出し、ぎゅっと傷口を押さえる。アシュレイに貰った薬を使えば瞬時に治るのだろうが、勿体なくて彼女は使えていなかった。
しばらく傷口を押さえたまま、オリヴィアはまたぼーっと考え事をしていた。先日からどうも、消極的になりすぎだ。先日……アシュレイに自分が魔法を使えないことを話してしまってから。今までの職場も、魔法が使えないと周囲にバレてから上手くいかなくなった。変に距離を取られてしまうのだ。アシュレイも、距離を取るのだろうか……
そこまで考えて、彼女はぶんぶんと頭を振った。自分らしくない。その時はその時だ。こんな高給の仕事をみすみす手放すわけにはいかない。相手から暇を出されない限りは……。それに、落ち込むのは性に合わない。
「明るく! 元気に! パワー!!」
オリヴィアは両手を振り上げて、己を鼓舞した。うん、もう大丈夫。
「なんだ、その間抜けなスローガンは……」
びくっ、とオリヴィアは肩を跳ねさせて、そろりと振り返った。厨房の入り口にアシュレイが立っている。気配に気づかないなんて、油断しすぎてしまった、と彼女はまた反省した。
「なんでもございませんわ! アシュレイ様、昼食の準備にはもう少し時間がかかりますの。お腹が空いていらっしゃるのなら、先にパンだけでも召し上がられますか?」
「いや、言うことがあって来ただけだから……って、あんた。その手どうした」
オリヴィアはさっと左手を隠した。うっかり綿布を巻きつけたままだった。
「こ、これはですね、えっと……。左手の人差し指が疼くのですわ! 封印された……えっとぉ、なんとかが……」
「うろ覚えで思春期初期特有の病を発動させなくていい」
そう言いながら、アシュレイはオリヴィアに近づいた。
「どうせ怪我でもしたんだろ? 前やった薬はどうした。持ってないのか?」
「えっとぉ……」
「持ってないんなら、新しいの作ってくる」
「持ってます! 持ってますわ! 肌身離さず!!」
オリヴィアはエプロンのポケットを探って、以前アシュレイに貰った小瓶を取り出した。それをアシュレイはひったくるようにして取り、オリヴィアの肩を押して近くの椅子に座らせた。
「持ってんなら使え、アホ。ほら、手ぇ出せ」
「じ、自分で塗れますわ!」
「勿体ねえとか言ってちょびっとしか使わねえのは目に見えてんだ。おら、大人しく従いやがれ」
「うう……」
不服だったが図星だったため、渋々オリヴィアは左手を差し出した。アシュレイはその手を掴み、指先にたっぷりと薬を塗り込む。
「あのな、薬にも消費期限ってのがあるんだ。使える内に使わねえと、それこそ勿体ねえだろ」
「だ、だって……」
「だってもヘチマもあるか」
「いたっ!」
アシュレイはオリヴィアの額にデコピンをした。そして、その額にも薬を塗り込む。
「わあ! 全然痛くないのに! 蚊に刺されるほどのダメージもなかったのに! 勿体ないですわ!」
「僕は蚊以下か。くそ、むかつくからデコ全体に塗ってやる」
アシュレイはオリヴィアの前髪をかきあげ、額にぬりゅぬりゅと薬を塗り込み始めた。彼はすごく楽しそうだ。オリヴィアは半泣きだが。
「いやーー!! 無駄遣い反対!」
「ニキビの予防にもなるから、無駄じゃねえ」
「レディにニキビの話をしないでくださいまし! デリカシーなし男! 非モテ! 陰キャ!」
「そうかそうか。そんなにお望みなら、顔全体に塗ってやろう」
「いやーーーー!!!!」
「何イチャイチャしてんの、あんたたち」
「……!?」
突然第三者に声をかけられ、オリヴィアとアシュレイは一斉に声がした方向へ顔を向けた。厨房の入り口に、先ほどのアシュレイと同じように知らない人物が立っている。黒髪のウェーブがかった胸までの長さのロングヘア。端正な顔立ち。フリルがたっぷりついたシャツに細身のスラックス。男装の麗人とも言えるし、中世的な男性とも言える。いや、先ほどの言葉遣いから女性だろう、とオリヴィアは確信した。
「お早いお着きですね、兄上……」
「あにっ……!?」
アシュレイの言葉によって、その確信は一瞬で打ち砕かれたが。
「可愛い弟のお願いだもの。飛んできちゃったわ」
ぱちり、とアシュレイの兄はウインクをした。その顔はミュルズ侯爵とそっくりだわ、とオリヴィアは呆然と見る。ミュルズ家の人間には違いないのはわかった。それでも、まだこの人が男性だと信じ切れない。
「この子が噂のオリヴィア嬢? かっわいい~! あたしはロザージュ・ミュルズ。よろしくね」
「本名はロンド・ミュルズな」
「もう! アシュったらバラさないでちょうだい! ロンドなんで可愛くない名前、やーよ」
ぷりぷりとロンド……いや、ロザージュは頬を膨らませて怒っている。余計にオリヴィアの頭の中は混乱した。結局、彼なのか、彼女なのか……
「気軽にロザージュって呼んでね。あなたのことは、オリヴィアちゃんって呼んでもいいかしら?」
ふわり、とロザージュは微笑んだ。圧倒的美人。これはもう、性別なんて関係ない。お兄様かお姉様かと聞かれたら、間のおぬう様だ。性別、イコール、ロザージュだ。美しいは正義。オリヴィアは心の中で謎にガッツポーズをした。
「もちろん! よろこんで……!」
「ふふ、可愛いわあ。持って帰っちゃいたいくらい」
ロザージュがそう言った途端、アシュレイがオリヴィアを庇うように立ち塞がった。
「オリヴィア、油断するなよ。兄上はこんな見た目だが、中身は雄の中の雄だ。女でも男でも可愛ければ見境ない。あんたなんかすぐに丸呑みにされるぞ」
「ふぇ?」
「ちょっと。警戒させるようなこと言わないでくれるぅ?」
アシュレイとロザージュがばちばちと目線だけで戦っていたが、オリヴィアには一切目に入っていなかった。先ほどのアシュレイの言葉を脳内で繰り返す。意味を取り違えていなければ、彼は自分のことを可愛いと言わなかったか……と。
「はぎゃあああっ!!」
「うおっ! どうした? 発作か? ハーブティー飲むか?」
「お、おねが、お願いいたします……っ!」
オリヴィアは顔を真っ赤にして狼狽える。アシュレイは平気そうな顔をしているのに、自分だけ浮かれている恥ずかしさもあった。あんな彼でも高位貴族の一員だ。社交辞令なんてお手のものだろうに。
「ちょっと待ってろ。すぐ用意するから」
アシュレイが厨房の奥の食材倉庫に消えたことを横目で見送って、オリヴィアは二、三度深呼吸をした。心頭滅却。邪心根絶。悪霊退散。悪霊退散?
俯いてぐるぐると思考を巡らすオリヴィアの前に、ロザージュがしゃがみ込んで彼女の顔を覗き込んだ。
「オリヴィアちゃん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「……?」
オリヴィアは目線だけ上げてロザージュを見た。目が合うとロザージュはにこっと笑い、オリヴィアの手に塗り薬の小瓶を手渡す。
「この薬、アシュからもらった物でしょ? 肌身離さず持ってるのに、使わなかったのは何故?」
「そ、それは……その、だから……勿体ないから……」
「それは建前よね。本音は?」
笑みを深めてロザージュがオリヴィアに詰め寄る。美人が笑顔で詰めてくること以上に耐え難い尋問も拷問もない……そんな気にさせる完全無比な笑顔だ、とオリヴィアは追い詰められた頭で思った。そして、気がついたら本音が口から滑り出ていた。
「は、初めてなんです……。家族以外から、贈り物をいただいたのが……」
オリヴィアはぎゅう、と両手で小瓶を包み込んだ。仮に中身が使えなくなったとしても、一生持っておこうと思うくらいには、彼女には嬉しいことだった。
「あ……ごめんなさい。アシュから貰ったから大事にしてるのかなって、ちょっと揶揄いたかっただけなの」
ロザージュはわたわたと両手を振って慌てている。慌てても美人は美人だな、とオリヴィアは思っていた。ロザージュが慌てる必要なんてないのに、とも。くす、とオリヴィアは小さく笑う。
「いいえ。私のような人には滅多にお目にかかれないでしょうから。ふふっ。レアキャラ、というやつですわ」
「オリヴィアちゃん……」
「おいこら兄上。なにオリヴィア虐めてやがるんですか」
どかっとアシュレイがロザージュを蹴飛ばした。いつの間に戻ってきていたのだろう。手には湯気の立つティーカップを持っている。
「虐めてなんか……いえ。今は暴力も甘んじて受けるわ。全然痛くないし」
「劇薬ぶっかけんぞ……。ほら、オリヴィア」
「ありがとうございます」
オリヴィアはアシュレイからティーカップを受け取った。澄んだ黄緑色のハーブティー。すん、と香りを楽しんでから、一口含む。美味しい。彼女はほう、と息を吐き出して、もう一度カップに口をつけた。恥ずかしさも、消極的な感情も、全て洗い流されるような気がした。
穏やかにお茶を楽しむオリヴィアの頭を、アシュレイがくしゃり、と一度撫でた。彼女が何か反応をする前に、彼は離れて行く。
「兄上。いつまでも寝転んでないで魔導人形を直しやがってください」
「まあ! お兄様に向かってなんて口ぶりかしら。……まあいいわ。どこにあるの? 案内してちょうだい」
揃って厨房を出て行くミュルズ兄弟の背を、オリヴィアは茫然と見送る。ハーブティーを飲んでいるはずなのに、落ち着かない気分を不思議に思いながら。
11
お気に入りに追加
31
あなたにおすすめの小説
私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜
月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。
だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。
「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。
私は心を捨てたのに。
あなたはいきなり許しを乞うてきた。
そして優しくしてくるようになった。
ーー私が想いを捨てた後で。
どうして今更なのですかーー。
*この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。
転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~
月
恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん)
は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。
しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!?
(もしかして、私、転生してる!!?)
そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!!
そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?
魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて
アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。
二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――
【完結】私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね
江崎美彩
恋愛
王太子殿下の婚約者候補を探すために開かれていると噂されるお茶会に招待された、伯爵令嬢のミンディ・ハーミング。
幼馴染のブライアンが好きなのに、当のブライアンは「ミンディみたいなじゃじゃ馬がお茶会に出ても恥をかくだけだ」なんて揶揄うばかり。
「私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね! 王太子殿下に見染められても知らないんだから!」
ミンディはブライアンに告げ、お茶会に向かう……
〜登場人物〜
ミンディ・ハーミング
元気が取り柄の伯爵令嬢。
幼馴染のブライアンに揶揄われてばかりだが、ブライアンが自分にだけ向けるクシャクシャな笑顔が大好き。
ブライアン・ケイリー
ミンディの幼馴染の伯爵家嫡男。
天邪鬼な性格で、ミンディの事を揶揄ってばかりいる。
ベリンダ・ケイリー
ブライアンの年子の妹。
ミンディとブライアンの良き理解者。
王太子殿下
婚約者が決まらない事に対して色々な噂を立てられている。
『小説家になろう』にも投稿しています
明智さんちの旦那さんたちR
明智 颯茄
恋愛
あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。
奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。
ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。
*BL描写あり
毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる