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5話 十秒メシは本当に十秒で食えるのか
しおりを挟むオリヴィアとミュルズは黙々と片づけをし、昼頃には廃棄する物、修理できる物、無事な物を分類し終えた。途中で話し込んだ割には悪くない進捗具合だ。無事な物を整理する前に、先に廃棄する物を手分けして裏庭にあるダストボックスに持って行こうとしたところで、ぐう~っと間抜けな腹の虫が鳴り響いた。
「…………」
「………………」
気まずい沈黙がしばし続く。
「……飯にするか」
「ええ、はい。そう致しましょう……」
沈黙を破ったのはミュルズだった。やはり大人な分、気が遣えるようだ。……どちらの腹が鳴ったのかは、名誉のために伏せておこう。
「ミュルズ様は……どうされます? 私が用意いたしましょうか?」
おずおずとオリヴィアは申し出た。食事を作る必要はないと言われたものの、同じタイミングで食べるのであれば彼女が用意すべきだろうと思ってのことだ。しかし、ミュルズは首を横に振った。
「いや、僕はこれでいい」
そう言って、彼が魔導冷蔵庫から取り出したのはフラスコ。中でゲル状の液体が揺れている。
「それは……?」
「僕特製の栄養食品。あんたも街で見かけたことくらいあるんじゃないか?」
そんな奇怪な物を見たことがあったかしら、とオリヴィアは一応考えてみる。……そういえば、職人の間で片手且つ迅速に食事を済ませることができるゼリー飲料が流行っていると聞いたことがあった。たしか名前は……
「勝者inゼリー……?」
「そう、それ。それのもっと栄養価を高めたやつ。自分のために作ったんだが、じじいがいつの間にか製品化してやがったんだ」
「い、いつもそれしか口になさらないので……? 三食とも……?」
「朝は食わんから、二食だな。時間がある時はパンを齧ったりもするが」
なんということでしょう。オリヴィアはわなわなと体を震わせ、がしりとミュルズの肩を掴んだ。
「あり得ません!! きちんと食事を摂らねばお体に障ります!!」
「大丈夫だ。数年はこればかり食っているが、僕は病気になったことはない」
魔法薬学の賢者が病気になるはずもないがな、とあっけらかんとミュルズは言い放った。そんな彼の肩をオリヴィアはガクガクと揺らす。
「なぁにが大丈夫だ、ですか! こんなにガリガリに痩せて! 栄養が足りていない明らかな証拠ですわッ!」
「ゆ、揺らすな! 落ち着けって! 街で売られているのは精々クッペ一個分のエネルギーしか補給できないが、僕のこれはブリオッシュ一個分はある。もちろん、他の栄養素もバランスよく配合されているぞ」
「一日にブリオッシュを二個しか食べてないってことじゃないですかッ!!!!」
オリヴィアは叫び切るとゼェゼェと肩で息をして一度顔を伏せ、呼吸を整えてからぎらりとミュルズを睨みつけた。
「今から私が食事を作ります。それを食べてくださいまし」
「いや、だから僕は……」
反論しようとしたミュルズの肩に、オリヴィアはぎりぎりと指を食い込ませる。ちなみにこれは全く関連のない余談だが、ゴリラの握力は大体五百キログラムフォースといわれている。人間の骨など瞬砕だ。
「い、痛い! やめろ、わかった! わかったから手を離せ! 肩が砕ける!!」
「承知しましたわ」
暴力を以て言質を取る。これが強者のやり方だ。よい子は真似しないように。
「握力ゴリラ……」
「ありがとうございます。光栄ですわ」
「褒めてねえんだよなぁ……」
肩を摩りながら顰めっ面をしているミュルズを引き連れて、オリヴィアはルンルンと食堂へ向かった。
「お待たせしましたわ」
食堂にたどり着いて凡そ二十分後。食卓で本を読みながら食事を待つミュルズの元に、キッチンからワゴンを押してオリヴィアが戻ってきた。
「えらく早いな」
「材料がほとんどないんですもの。簡単な物しか作れませんでしたわ」
そう言いながら、オリヴィアはミュルズの前に手早くシルバーと皿を置き、クロッシュを外した。皿の上には、目玉焼きが乗ったパスタ。
「初めて見る料理だ」
「貧乏人のパスタですわ!」
「それ、正式名称?」
「ええ、もちろん。立派なお料理ですわ」
ふっふっふっ、とオリヴィアは不敵に笑ってそれからミュルズの後方に待機した。ミュルズは振り返ってオリヴィアに尋ねる。
「あれ、あんたは?」
「私は後ほどいただきますわ。家政婦が主人と共に食事を摂るなど、あってはならないことですもの」
オリヴィアは心持ちしゅん、として答える。
「その主人の肩を砕こうとしたやつが何を今更……。気にしねえから食えよ。腹減ってんだろ?」
「いえ! それは流石に……」
そこでタイミングよく(あるいは悪く)ぐぅ~と腹の虫が鳴いた。どちらからかは……おわかりですね。
「…………いただきますわ」
「おう、そうしろ」
すごすごとオリヴィアはキッチンに向かい、巨大なランチボックスを三つ抱えて帰ってきた。
「……それは?」
「私のお弁当ですわ。家から持参したものです」
「わざわざ? ここで作りゃいいのに」
「主人の食事を作らずに自分の分だけ作るなど、厚かましいことはできませんわ」
言いながら、オリヴィアはランチボックスを開けた。中にはぎっしり詰められた、ライス、ライス、ライス。
「さて、いただきましょうか」
「待て待て待て。なんだそれは」
「ですから、私のお弁当ですわ」
「そうじゃなくて! なんでライスしか入ってねえんだよ!」
オリヴィアはきょと、として、ミュルズの問いに答えた。
「我が領地の特産品はライスですの。しかし、あまり人気がなくて。ほとんど領内で消費されます。なので、ライスだけなら食べ放題ですわ」
「……おかずは?」
「もちろん、ライスですわ!」
ふふん、と何故かドヤ顔でオリヴィアは言う。ミュルズが微妙な顔をして見ていることにも気づかずに。
「私、少々燃費が悪いんです。だから食費が馬鹿にならなくて……。家計を圧迫しないために、ライスでライスを食べる生活をしていますの。あ、もちろん、お夕食の時は他の物も食べますのよ?」
「あー……」
ミュルズはそれっきり黙って、パスタをくるくるとフォークに巻きつけ始めた。しかし、延々とくるくる回すだけで、一向に食べようとしない。もしかして、パスタがお好きじゃなかったかしら、とオリヴィアが心配して見ていると、ぱっとミュルズは顔を上げた。
「あー、その、なんだ。明日から昼食は作ってくれ。材料費はもちろん出すし、一人分作るのも面倒だろうから……多めに作って自分も食えばいいだろ」
気まずそうに頬を掻きながら彼は言った。オリヴィアはほんの少し、目を瞠る。
「あらあら、まあまあ」
「……なんだよ」
「ミュルズ様って、チョロいと言われません?」
「ああ!?」
歯を剥き出しにして怒るミュルズに、オリヴィアはくすくすと笑う。
「もし私がタダ飯のために同情を引こうとしただけだとしたら、どういたしますの」
「一緒に飯食う機会があるかもわからんのに、毎日ライスのみ弁当持参してか? んな非効率なことするやついねえだろ」
「ふふ、そうですわね。……ミュルズ様」
「んだよ」
ふわっ、とオリヴィアは笑顔を浮かべた。薔薇や百合のような華やかさはないが、天に向かって真っ直ぐ花開くコクリコのような笑顔だ。
「ありがとうございます。お優しいのですね」
「……べっつに! 僕は福利厚生を大事にする理想的な雇用主なんだ。ラッキーだったな。泣いて喜べ」
「私の雇用主はミュルズ侯爵様ですわ」
「……そこは黙って頷いときゃいいんだよ」
ぶすっと不貞腐れたまま、ミュルズはやっと一口パスタを頬張った。するとお気に召したのか、次々とフォークを口に運ぶ。わんぱく盛りの弟と同じ食べ方だ、とオリヴィアは微笑ましく思って見ていた。
ミュルズは貧乏人のパスタを、オリヴィアはライス弁当を食べ終わり、ミュルズの勧めで食後の紅茶を飲むことにした。彼は食事に関心はないくせに飲み物にはこだわりがあるらしく、屋敷には何種類もの茶葉や珈琲豆があった。オリヴィアはタンポポ珈琲を淹れたことはあったが、本物の珈琲を淹れたことはなかったので、今回はスタンダードな紅茶だ。
ゆっくりと紅茶を飲み、一息つく。こんなに穏やかな午後の始まりを過ごすのはいつぶりだろうか、とオリヴィアは考えていた。家計を助けるために労働に勤しんでいた彼女は、普通の令嬢のように華やかなティータイムを楽しんだことは人生で数えるほどしかない。
労働と言えば。ふとオリヴィアは思い出した。
「言い忘れておりましたわ。明日の午前中はミュルズ侯爵様の元に定期報告に行きますの。ミュルズ様のお優しいところもしっかり報告しておきますね」
「しなくていい。……つか、それやめろよ」
行儀悪く机に頬杖をついたミュルズは、横目でちらっとオリヴィアを見た。
「僕もじじいのこともミュルズ、ミュルズと……。いい加減ややこしい」
「あら」
言われてみればそうだ。いくらこの屋敷にミュルズ一人しかいないとはいえ、支えている家の人間全員をファミリーネームで呼ぶのは不自然だ。
「かしこまりましたわ、アシュレイ様」
「…………おう」
ミュルズ改めアシュレイはぶっきらぼうに返事をすると、カップを机に置いて立ち上がった。
「んじゃ、僕は先に片づけに戻る」
「あら、急に動かれますと脇腹を痛めましてよ」
「そんなに軟弱じゃない」
ひらひら、と手を振って、アシュレイは早足で去ってしまった。
「あんなに急いでどうされたのかしら。……ああ、もしかしたら固形のお食事が久しぶりすぎて、お腹が痛くなってしまわれたのかも」
オリヴィアは不思議に思いながらも、食事の後片づけに取り掛かった。この時、アシュレイが照れて耳まで真っ赤にしていたことなど、オリヴィアは知る由もない。
そして……後片づけを終えたオリヴィアが研究室に戻ると、脇腹を抱えて蹲るアシュレイを発見することになるのだが……これはオリヴィアも想像していた通りの結果だった。
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