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一皿目 五ミリの変化
しおりを挟む筋肉質ワンコ系好青年(24歳) × 年上社畜おじさん(36歳)
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仕事から帰宅すると、恋人が変化していた。
変化と言っても、顔が別人になっているとか、違う生物に変身しているとか、そういう話ではない。本当に微妙な変化で、何かが違うけど、それが何だかわからない状態だ。
鼻歌を歌いながら料理をする恋人──リュウジの姿を背後から静かに観察する。まずは服装。これはいつもと同じ、草臥れたスウェットの上下だ。何度も買い替えてやると言っているのに、なんならクローゼットに新品をワンセット用意しているのに、まだ着られると頑なに捨てることを拒む。物を大切にできるこいつは本当にいい子だ。
違う、今はリュウジのいいところを探す時間ではない。頭を振り、次にリュウジの身体に着目する。もしかして、また背が伸びたのだろうか? もう二十四にもなるのに未だ成長期が終わっていないとしたら、驚きを通り越して恐ろしい。体つきもスポーツインストラクターという職業柄か、日に日に逞しくなっている気がするし。今年で三十六歳になる己の腹をシャツの上から摘む。密かに努力はしているが、衰えと弛みを感じずにはいられない。
なんだか惨めな気持ちになってきた。リュウジが変わって見えたのも、彼と俺が見合っていないことに今さら気づき始めたからではないだろうか。
リュウジはフライパンを片手に、隣にある棚上に置かれたスマホに顔を向けた。その横顔が心持ちシュッとして見える。ほら、彼はピチピチでイケイケ(この語彙力が如実に俺をおっさんだと物語っている)な若者なのだ。一回り年上の俺が釣り合うわけがない。
というか、リュウジ。なんだその嬉しそうな顔は。スマホに向かってニヤニヤしやがって。もしや、浮気か? 反射的にリュウジの仕事仲間を思い浮かべてしまった。仕事先に浮気相手がいると確定したわけではないが、あそこのジムに所属しているのは男女共に締まるところは締まって、出るところは出ているナイスバディ(この語彙力以下略)の持ち主ばかり。客という線もあり得る。
そうか、それでなんとなく雰囲気が違うのだ。俺にとって問題なのは、その変化が決して悪いものではないということ。
お前、新しい相手と上手くいってるのに、まだ俺の飯を作ってくれるんだな。それか、今日が最後の晩餐で、別れ話を切り出されるのかもしれない。急速に腹の底が冷え、反対に目頭は熱くなる。
いいよ、リュウジ。お前がしあわせなら、俺は──
垂れそうになった鼻水を啜るとズッ、と思いの外大きな音がして、リュウジが振り返った。
「わっ! ハジメさん、帰ってたなら言ってよ。てか泣いてる!? なんで!?」
リュウジは慌てて火を止めて俺に駆け寄り、大きな手のひらで涙を拭った。
「どうしたの? また意地悪な上司に虐められた?」
「違う……」
わざわざ俺の目線に合わせてしゃがんでくれているリュウジの瞳を覗き込む。そこには疲れたおっさんが映っているだけだ。今は、まだ。
最後にキスくらいしてもいいだろうか。なんだかんだ二年も連れ添ってきたんだ。そのくらいのわがまま、許してくれ。もしくは、はっきりと拒絶されて踏ん切りがつくかもしれない。
リュウジの後頭部に手を伸ばし、顔を引き寄せようとして──
ジョリッ!
……ん? 手のひらにざらざらと硬い感触がある。痛気持ちいい。
「リュウジ」
後頭部をさわさわと弄ったまま、リュウジに問う。
「髪切った?」
「そ! 見て見て、側面も刈り上げたんだ。ほら、オレ毛量多いからさ」
リュウジはニコニコと側面の髪を持ち上げて見せてくれた。短く刈られた側頭部は少し青っぽい。
「どう? スッキリして男前になったっしょ」
「うん……」
安心して、どっと涙があふれた。なんだよ、変化って髪を切っただけだったのか。
リュウジの厚い胸板に飛び込み、強く強く抱きしめる。
「お前はいつだって男前だ」
「どしたの、素直すぎて怖いんだけど。あ、もしかして寝てないな? 何徹目?」
「三日だけ……」
「寝ろ‼︎」
リュウジは俺を軽々と持ち上げて寝室に移動し、そっとベッドに下ろした。
「はい、足上げてー」
俺の足を抱えて、スラックスを脱がせるリュウジ。仕事でも使うフレーズかもしれないが、俺に対するこれはまるっきり介護だ。
「なあ、リュウジ」
「何?」
「俺が足腰立たないハゲジジイになっても、愛してくれるか?」
口に出してから、馬鹿なことを言ったと気がついた。羞恥で赤くなる顔をそっと枕に埋めて隠す。
リュウジは「ふはっ!」と大きな声で笑った。ますます恥ずかしくなって、身を捩って横を向く。しかし、その途中でリュウジに肩を掴まれて、あえなく俺はまた仰向けになった。
にやけ面のリュウジが近づいてきて、彼は俺の唇にキスをした。何度か啄むようにした後、舌が唇を割って侵入してくる。俺は気持ちよさでぼんやりする頭で、帰ってからうがいしたっけ、なんてことを考えていた。
しばらく俺の口内を堪能して満足したらしいリュウジは、鼻先が擦れるくらいのごく至近距離で言った。
「オレ、ハジメさんのオムツ変える覚悟までできてるよ」
リュウジは真っ直ぐ俺を見ている。二年前、渋る俺に何度も何度も想いを伝えてきた時と変わらない温度で。
どうして忘れていたのだろう。何かにつけてネガティブに陥りがちな俺に寄り添ってくれる心の距離だって、毛先五ミリも変わっちゃいないのに。全部寝不足のせいだ。きっとそう。
「その覚悟はしなくていい……」
また泣きそうになったのを誤魔化すために、俺はリュウジ諸共布団の中に潜り込んだ。リュウジは「料理が途中なのに」と文句を言いつつ、俺の背中をポンポンと優しく叩く。俺はリュウジの後頭部にもう一度手を沿わせた。ジョリジョリ、ザリザリ。こんな変化なら大歓迎だ。
うとうとしかけた頃にパシャリ、とシャッター音がして、重い瞼を開けた。リュウジが俺たちの頭上高く掲げたスマホ(あの状況からよく持ってきていたな。さすが若者)で自撮りをしたのだ。
「なんで撮った。消せ」
「ちっ、まだ起きてたか」
「……日頃から俺の寝顔を隠し撮りしているという自白と取っていいか?」
「黙秘権を行使しまーす」
リュウジはさっき台所で見たのと同じ顔でスマホを操作している。隠し撮りはやめてほしいが、ご丁寧に浮気疑惑も払拭してくれたのだし、叱らないでいてやろう。
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歳の差って……美味いですよね……
体育会系と文化系の組み合わせも
ハジメおじさんは多分理系
今日、自分の側頭部を刈り上げてた時に思いついて、勢いで書いてみた
側頭部の刈り上げいいっすよ、めちゃ涼しい
ただし汗はたれる
応援ありがとうございます!
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