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第三話 対の魂

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 千恵子さんは僕に手を伸ばしてそっと撫でてくれた。とっても優しい、そして懐かしい手触りだ。
「たまも海老蔵さんもとっても勇敢だったわ。ありがとう」
面と向かってそう言われると何だか照れくさくって髭の辺りがモジモジする。海老蔵もどうやら同じようだ。
「二匹ともよく頑張った。私からも礼を言うぞ」
ご先祖さんも後ろにいるご先祖さんたちもにこやかに僕たちを見つめている。
「ヤツはとてつもない魔力をぶつけてきたが、君たち猫にあまりに執着しすぎたようだ。神仏合一しての般若心経をもってしてもヤツを踏みとどまらせるのが精いっぱいだったからのう。海老蔵殿のすばしっこさ、たま殿の勇気には本当に感服いたした。君たちの動きを気にしすぎて、あの時一瞬私たちから視線が外れて隙ができた。君たちがいなければ今頃はどうなっていたかわからなかった。一突きで眉間を捉えられたのは本当に幸いだった」
千恵子さんも僕たちを撫でながら
「あなたの子孫にたまを託せて良かった。あなたの子孫とたまが愛情で結ばれていたから、私の中の光とあなたの光の剣が結びついたんだと思います」
「先の戦争では、わが国に勝利をもたらすことはできなかったけれど、このような形で世の中を救うことに貢献できたことはとても誇りに思う」
ご先祖さんも誇らしげだ。
 僕は心に引っかかっていることをご先祖さんに聞いた。
「あの・・・、僕はこのままここにいても良いのですか?この家の猫になっても・・・」
「もちろんだとも。先祖を代表してたま殿は我が一族の誇りであると宣言しよう」
ご先祖さんも優しく僕を撫でてくれた。後ろにいるご先祖さんたちも優しい光で包んでくれた。
「俺はどうなんです?野良だけどここにいても良いのかな?」
海老蔵も恐る恐る尋ねた。
「もちろんだとも。もはや海老蔵殿は野良猫ではなく、我が一族の誇りある通い猫と認めよう」
海老蔵が顔いっぱいの笑顔になる。それを見てみんなが満面の笑みを浮かべた。もうほとんど煙のようになっているご先祖さんたちもユラユラ揺れているから微笑んでいるんだと思う。
 空の星たちがひとつ、またひとつと姿を消しはじめて、東の空が夜の終わりを告げはじめてきた。新しい朝の始まりだ。
「もうこんな時間になってしまったのね。皆さんのお陰で私だけでなく、対の魂も救済することができました。これから私たちは神様の前に立って許しを請うことになりますが、その時にはあなたたちのことも報告させてくださいね。あなたたちを誇りに思います。本当にありがとうございました」
千恵子さんはお兄さんを愛おしそうに抱きかかえて天に帰って行った。
 いつ見ても天に上る魂はとってもきれいで荘厳さがある。僕と海老蔵はいつまでもいつまでも空を見上げていた。
「でも、千恵子さんは何にも悪いことしてないのに、何で神様に謝らなきゃいけないんだろ?」
「許しを請うというのは神様に謝ることじゃなくて、今生での証しを神様の前で明らかにするということ。神様は常に我々全員に対して愛をもって見守っていてくださっているのさ。神様の愛は人間たちだけではなく、動物も草や木や悪魔たちにだって注がれている。今生での生を終えた者たちはみんな神様の前に立たなければならない。だから、我々は心を正しくもってこの世を生きていかなければならないのさ」
僕のつぶやきにご先祖さんは優しく微笑みながら答えてくれた。
「そうか、俺たち猫も神様に愛されているのか・・・」
海老蔵も心に何か感じたらしい。キラキラした目で天を見つめている。
「そうだよ。全ての魂は神様から分けていただいたものだからね。だから大切にしなければならないんだよ。君たちも生きるために相手の命を奪った時は特に感謝していただかないといけないよ。私は先の戦争で敵国の兵士の命をたくさん奪ってしまった。生きている時に気付けなかったことが残念でならないよ」
ご先祖さんは、天を見つめながら僕たちの頭を優しく撫でてくれていたけど、ちょっと寂しそうだ。
「大丈夫。俺たち猫は命の尊さがちゃんと見えているから無駄な殺生はしないのさ。でも、これからはもっと気を入れることにするよ」
「ご先祖さんも死んだ時に神様の前に立ったんですか?」
「あぁ、生きている時は皇国の正義を護るのための戦争をしていると思って戦っていたけれど、神様の前に立った時に敵国の兵士も同じ気持ちで戦っていたことがわかった。どちらとも正義でも悪でもなかった。我々人間は愚かだったよ。神様から分けていただいた命を懸けて、神様が分けられた相手の命を奪っていたんだからね。国が違う、主義が違うというだけで憎しみ合い、殺し合っているんだ。草や木や動物たちをも巻き添えにしてね。私は神様の前で一緒に死んだ仲間や敵国の者たちと共に呆然と立ち尽くし、後悔の念に押しつぶされていた。そんな我々を、神様は優しい笑顔で『戦争がいかに愚かなことかが身をもって理解できたということは、あなた方の魂は貴重な経験ができたということではないかね。大切なことは何が善で何が悪かではなく、今生で経験したことから何を学んだかということだ』と、両手を広げて天国に迎え入れてくださったんだ。不思議だったのは、私は確かに『天之御中主神』という日本の神様とお話ししたんだが、『天照皇大神』や『閻魔大王』だったり、『お釈迦さま』や『イエス・キリスト』だったりと同じ場所で同じ言葉を聞いているのに、それぞれ見え方が違っていたんだよ。だから、たま殿も海老蔵殿も今生でのお役目を終えて天に帰った時に、神様はどのようなお姿をされているか楽しみにしていたら良いよ」
ご先祖さんと僕と海老蔵はそれぞれの思いにふけりながら、しばらく天を見つめていた。
「さぁ、今夜は疲れたであろう。君たちもゆっくりと休みなさい」
どれくらいそうしていたかわからないけれど、ご先祖さんは僕たちの頭を撫でてからスーッと消えた。きっと仏壇を通ってあの世に戻ったに違いない。そして他のご先祖さんたちとこの話で盛り上がることだろう。
 海老蔵は大きく伸びをして女の同居人が作ってくれた段ボール箱の中に戻っていった。
「おぉ、こりゃラッキー!使い捨てカイロまだ温かいぞ!」
さっそく俗にまみれながら身体を丸めている。
 おそらく僕と海老蔵の関係は、どちらかがこの世を去るまでこれからも続くだろう。別に秘密ではないけれど、大切な宝物を共有している同志として今生だけではない深いつながりを感じる。そういった意味では僕と海老蔵も対の魂といえるかもしれない。これが果たしてニャン格を上げることにつながっているかはわからないけれど、充実したニャン生であることは間違いない。海老蔵の壮大な夢は叶えられるのだろうか。そして、僕はどこに向かって進んでいるんだろう。こればっかりは死んでみないとわからないことだけど、それはもっとずっと先の話だ。
「僕も戻ろうっと・・・」
 白みはじめた玄関からの景色を後にして、大きく伸びをしながら居間のドアに向かって歩き始めた時、寝室のある二階から女の同居人が階段を降りてきた。
「あらあら、たまちゃん。ずっと玄関にいたの?」
びっくりした表情を浮かべながらも、優しい声で僕に語りかけてくれる。自分の家の玄関先であんな大変なことがあったとは夢にも思ってはいないだろう。眠らされていたのかもしれないけれど、まったく人間というのは幸せな生き物だなぁとつくづく思う。
「気付いてあげられなくってごめんね。まぁまぁ、身体冷たいじゃない。寒かったんじゃない?風邪引いちゃったら大変だよ。さあ、入って温まろうね」
そう言うと、しゃがみながら僕の背中をなでてくれた。
「ほぅら、鼻水出てる。続くようだったら病院に行って注射チックンしてもらわなくちゃならないんだからね」
振り向くと玄関の外で海老蔵がこちらを向いてニヤニヤしているのが見える。たぶん『病院』という言葉に反応したんだと思う。僕はこんなことくらいでは具合が悪くなるほどヤワではないんだけど、問題は彼女がそれを信じてくれるかどうかだ。僕はこれから居間で『元気です』アピールを始めなければならないと思うと少しだけ憂鬱になる。彼女に信じてもらえなければ男の同居人に話すだろうし、そうすれば男の同居人は彼女よりも過剰な反応をして病院に連れて行かれてしまうからだ。
 僕は彼女の足に身体をこすりつけながら
「にゃあ!」
と甘えた声を出して一緒に居間に入った。
「ここは、僕の家だ」
 新しい朝を迎えた居間の空気は、ほんのりと暖かくて幸せな香りがした。
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みんなの感想(1件)

bigboss-beuty
2021.05.27 bigboss-beuty

物語も素敵ですが、最後にある猫の画像が可愛くてたまらなく癒されます‼️応援しています🤗

ながい としゆき
2021.05.27 ながい としゆき

ありがとうございます。読みやすくて心がホッコリする物語を綴っていけるようにこれからも精進してまいります。よろしくお願いいたします。

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