玄関フードの『たま』

ながい としゆき

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第一話 この世の垢落とし

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 次の年に私の父が他界した。六十八歳という若さだったけど、癌の発見が送れたこともあって胸を開いた時には全身に転移している状態で、そのまま閉じるしかない状態だった。結局父は癌が発見されてから半年で亡くなってしまった。私たちは父には告げていなかったけれど、父はうすうす気付いていたらしい。亡くなった後、父の部屋を整理していると、引き出しから遺言状が出てきた。
 父の家は弟が継いでいたし、お嫁さんと二人の子供たちもいるから、母の老後については心配していないようだった。私のことは、松次郎さんに任せたから、最後まで見捨てないであげてほしいと書かれており、二人の子供しか授からなかったが、それぞれに安心できる伴侶に恵まれて幸せな生涯だったと締めくくられていた。
 松次郎さんは、それを読んだ後も口を真一文字に結んで何も言わなかった。父の期待に応えようと心の中で誓っていたようだった。
 そして、父の四十九日が済んでから、私たちは住んでいた家を売り、ここの隣の町内に家を買って引っ越してきた。あそこの場所は台風から始まって、近所とのトラブルがあったし、良い思い出もたくさんあったけど、忘れたい思い出もあったから、二人と一匹でしがらみのない新しい土地で生活を始めたかったからね。
 松次郎さんは、お世話になっていた建設会社を辞めてこっちの会社に移った。あちらの会社の社長さんからの口利きもあったし、松次郎さんの腕前は結構こちらにも聞こえていたらしくて、以前と変わらない待遇で迎えられて、私たちは今までとさほど変わらない生活を始められた。

 こちらに来てからは、窓の外を見ているかぐやに子供が寄って来ても、家に子供たちを入れるのはやめた。その代わり、私は月一回この町で開かれている絵本サークルに入ることにした。そこなら、他の大人の人たちもいたし、子供とも交流できたからね。ただ、かぐやを連れて行けなかったのが残念だったね。
 松次郎さんは六十五歳まで働いた。退職したらかぐやを連れて日本中を釣りして周ろうって話していたけど、今まで朝早くから仕事を頑張っていたから、仕事がない生活のペースをつかむのに苦労していたようだ。朝起きて、天気が良い日なんかは、近くの川に釣りに行くこともあったけど、かぐやを抱きながら、縁側に座って外を見ていることがだんだん多くなった。きっと気が抜けちゃったんだろうねぇ。私もお茶とお菓子を持って隣に座って一緒に同じ方向を見ていたけど、松次郎さんは何か遠くを見ているような気がした。身体は私の隣にあるけど、魂はどこか違うところにいっているようなね。
 そんな日が三ヵ月くらい続いたかねぇ。「友だちに手紙を書きたいんだが、字が思い出せなくなっちまった。小夜、代わりに書いてくれねぇか?」
って、松次郎さんに呼ばれて、居間に行ってみると、テーブルの周りにクシャクシャにした便箋が投げ捨ててあり、その中心に松次郎さんが座っていた。
「慌てないで、思い出してからでも良いんじゃないですか?」
その時は、笑いながら向かいに座って代筆をしたが、思えばこれが始まりだったんだね。きっと。
 それからの松次郎さんは、外出もあまりしなくなった。用事を頼んでも、
「身体がだるい」
と言ってすぐに横になってしまう。かぐやも十八歳になっていたから、一緒に横になっていることが多かった。
 そして、だんだん思い出せないことも多くなってきたから心配になって、嫌がる松次郎さんを病院に連れて行った。いろんな機械に入れられて検査されたからちょっとかわいそうだったけどね。
 お医者さんからは、脳みそがだんだん小さくなってしまう痴呆の病気だって言われた。病名も教えてもらったんだけど、私も覚えられなかった。病気の進行を抑える薬をもらって帰ってきたけど、よっぽど検査が嫌だったんだろうね。薬は飲むけれど病院にはそれから絶対に行かなかった。
 それでもかぐやは可愛かったんだね。いつも膝に抱いては撫でながら窓の外を見ていたよ。私は絵本のサークルに行くのをやめて、松次郎さんの側にいるようにした。
 でもね、二十一世紀になった年にかぐやは眠るように逝ってしまった。ちょうど二十歳になる年だったから、かぐやも長生きだったねぇ。大きな病気もせずに、苦しむこともなく逝けたんだから大往生さ。
 松次郎さんは、それからもかぐやを探し続けてね。記憶が断片的になってきていたけれど、私とかぐやのことは憶えてくれていた。かぐやのことは忘れようったって忘れられないからね。ペットっていうより、本当に私たちの子供のような存在だったからね。
 かぐやが亡くなって三ヵ月が過ぎた頃から、松次郎さんは、夜になると突然に怯えだして眠れない日が続くようになった。きっと、台風の夜のことを思い出していたんだと思う。そんな時は、私が松次郎さんの頭を胸に抱えて、背中をトントンしながら落ち着かせたんだ。
「お前の匂いを嗅いでいると安心する」
この台詞が出たらだんだん寝息になってくる合図だ。それも昔のまんまだったよ。
「もう、お婆ちゃんの年になっちゃったから、匂いも変わっちゃったでしょう」
私は笑いながらいつもそう返していたっけね。でも、松次郎さんにそういわれると、大切にされているんだなぁって幸せな気持ちになったねぇ。
 松次郎さんは、だんだんと動かなくなり、一日のほとんどをベッドで過ごすようになった。あんなにたくましい身体だったのに、筋肉がゲッソリと落ちてしまって、歩くことも自力ではできなくなってしまった。喋ることもしなくなってきたけど、起きている時に私の姿が見えないと
「小夜、小夜、どこだぁ」
と声をかける。だから私は松次郎さんが目を覚ましている時は、いつも側にいるようにしていた。
 周りの人は、一人で介護するのは大変だろうって、私にいつも気を遣ってくれていたけど、私は十九歳の時から松次郎さんの面倒を見ているし、もう、一心同体のような感じだったからそんなに負担でもなかった。その頃の世の中では、『介護疲れ』だとか『老々介護』だとか『ストレス』だとかっていう言葉が流行っていたようだけど、私は当時そんな言葉を知らなかったから、その暮らしが当たり前だった。もし、その言葉のどれかを知っていたら、どうだったんだろうねぇ。とにかく、その頃の私は松次郎さんのお世話ができることに幸せを感じて暮らしていたんだよ。
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