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第一話 この世の垢落とし

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 同居して一年後に私たちは結婚した。松次郎さんと一緒になるのは別に嫌じゃなかった。この人とそうなるんだろうなって心のどこかで知っていたんだと思う。だから一カ月半看病していても少しも辛いと思わなかったし、傍にいるのがだんだん当たり前になっていたからね。
 国や町も、その頃は台風の被害からずいぶん立ち直っていたし、松次郎さんの仕事も順調だったしね。それで、父が近くに家を建ててくれたんで、私たちはそこに住むことになった。
 父は、いいと言ったんだけど、松次郎さんは家のお金を働いて返すと言い張って譲らない。とうとう父の方が根負けした形になって、毎月少しずつ私の実家に入れるようになった。
 結婚してからの松次郎さんはとっても優しかった。お酒も煙草もしないで、仕事が終われば真っ直ぐ家に帰って来た。もちろん女も博打もやらなかったし、お給料は私に全部預けてくれた。本当に私にはもったいないくらい理想の旦那だった。本当に真っ直ぐで真面目な人だったよ。唯一の楽しみが釣りだったから、よく海や湖に私も一緒に連れて行ってくれた。本当に何をするにも一緒だった。
「そんなに仲が良かったら、神様がヤキモチ妬いて子供授けてくれないよ」
と、よくみんなに冷やかされたけど、それが私たちには当たり前だったからね。けど、結婚して一年経っても、二年経っても、三年経っても、五年経っても子供は授からなかった。だんだん周りもそのことについて話を避けるようになった。
 私は、松次郎さんに申し訳ない気持ちと不安でいっぱいだった。平然と暮らしている松次郎さんを見るたびに、身ごもれない自分が辛かった。それで、六年目の結婚記念日に私の方から離縁の話を切り出した。
「お前は、子供を産むためだけに俺と結婚したのか?」
松次郎さんは聞き返してきた。
「そうじゃない・・・。そうじゃないけど、それもある・・・」
私は、自分の気持ちを言葉にして伝えられないもどかしさに苛立ち、涙を流しながら『ごめんなさい』を繰り返して頭を床に擦り付けることしかできなかった。
「俺は子供が大嫌いだ。ギャーギャーうるさいし、面倒だから今の生活が静かでちょうど良いんだ。子供ができなくたって、それなりに夫婦の幸せは作れるんじゃないのか?なぁ、この話はこれで終わりだ。子供がいなくたって、俺はお前が傍にいてくれればそれで良いんだ」
と、私を優しく抱きしめてくれた。私は、ただただ泣くことしかできなかった。亡くなった松次郎さんのご両親や妹さんのことを考えると、決して心の重荷は降りたりはしなかったけれど、一緒に背負ってくれたことでいくらか軽くなったのは確かだった。
 松次郎さんは、それからも子供のことについて一切何にも言わなかった。私も何も言わなかった。松次郎さんはどうだったかわからないけど、私は常に心の中に『子供ができない』という棘みたいな物が引っかかっていたから、言えなかったっていう方が正解だね。
 私は親のいない子を養子にとも考えたこともあったけど、松次郎さんは
「俺は子供が大嫌いだって言っただろう。だから子供なんかいらねえ。どうしてもって言うんなら、俺はこの家を出て行くから、お前一人で面倒見ろ」
と言って、頑として譲らなかった。
 でも、私は松次郎さんは子供が大好きだってこと知ってた。子供が嫌いだって言っているのは、私の心の負担を軽くするために気を遣って言ってくれているんだって、ちゃんとわかってたんだよ。だってね、テレビで震災や恵まれない子供たちへの支援金を募っていると、必ず電話をかけて募金していたし、町なんかを歩いている時に、子供たちが募金箱を持って立っていると、必ず一人ひとりに声かけながら、お金を入れているのを見ていたし、町内会のラジオ体操なんかでも、並んでいる子供たちの頭を撫でながら、出席スタンプを押していたからね。そんな松次郎さんを見るたびに、私は『ごめんなさい』と『ありがとう』を心の中で何度も何度も繰り返していた。そして、何があっても松次郎さんについて行こうと思ったんだよ。
 結局、その後も私たち夫婦には、子供は授からなかった。本当に神様は嫉妬して意地悪されたんだろうかねぇ。そこら辺はわからないけどね。あの世に行ったら聞いてみようかねぇ。まぁ、最後まで夫婦仲が良かったのは確かだったからね。
 松次郎さんは、私の腕枕で眠るのが好きだった。可笑しいだろ?普通は男の人が女の人にするもんだからね。でも、
「お前の匂いを嗅いでいると安心する」
と言って、よく私のここ(頭を抱く仕草をする)で眠った。そうやって台風の夜のことや家族を亡くした傷を癒していたんだと思う。こんな私でも、松次郎さんの役に立てられると思うと嬉しかったしね。そんなのを神様は見ていたのかねぇ。だったら、恥ずかしいねぇ、誰も見ていない、二人だけの秘密だと思っていたんだからねぇ。

 家のお金は、大工の腕も認められて、景気が良かったこともあったしで、二十年で全額を私の父に払い終えた。まぁ、身内からの借金だったから、利息もなかったしね。最後のお金を実家に二人で持って行った時は、本当に嬉しかったねぇ。その日の夕食は実家で盛大なご馳走だった。私の父も
「よく頑張った」
って、ニコニコしながら松次郎さんの肩を何度も何度も抱いて握手していたね。その頃の父は外へ飲みに行くこともなくなっていて、お酒はかなり弱くなっていたけれど、いつもより量は飲んでいたと思うよ。よっぽど嬉しかったんだね。
 そんなこんなで、その日は帰りが遅かったけど、月がきれいな夜だった。二人で肩を並べて歩いていたら、次の角を曲がればすぐに家だってところに、ゴミと一緒にダンボール箱が置いてあった。
 明日はゴミの回収日だったから、誰かが出したんだろうと思って通り過ぎようとしたら、その箱がガタガタ動いていたんだ。近づいてみると、中から微かにニャーニャーと声がする。箱を開けてみると、真っ白な子猫が鳴いていた。生後一カ月くらいかね、目はブルーの綺麗な色で見えているようだったけど、手のひらに乗るくらいの大きさだった。ご飯とかは十分もらえていなかったんだろうね、げっそりとやつれていて鳴き声も細々とだったからね。
 松次郎さんは子猫を抱き上げて、
「女の子じゃねぇか。動物だろうと命には違いねぇ。それをゴミに出すたぁバチ当たりなヤツもいるもんだ」
と怒っていたが、
「めでたい日に出会ったのも何かの縁だ。連れて帰ろう」
と言いながら、私に子猫を抱かせてくれた。
 小っちゃくて軽くて強く抱くと壊れちゃいそうだったけど、とっても綺麗な猫だったよ。
 家に帰った後、いつもはお酒なんて飲まないんだけど、神棚に上げたお神酒を二人で戴いて、子猫には脱脂粉乳をぬるま湯で溶いたのをあげて、家のお金を払い終えたのと家族が増えたことを祝ったんだよ。
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