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第一章「異世界の機士」

1.4.2 脱出

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 その頃、ラジュリィは城の地下牢にやってきていた。なんとかして、御堂の説得を試みようと言うのだ。しかし、鉄格子の向こうに見える御堂の表情は険しかった。ラジュリィは、自分へ向けて敵意めいたものを向けられているとすら感じた。
 少し気後れしそうになるが、それでも牢の床に座り込んでいる御堂に話しかける。

「騎士ミドール、やはり、私たちにお怒りなのですか……?」

「……怒りですか」

 聞かれた御堂は、ラジュリィに向けてふっと薄い笑みを浮かべてみせた。それは普段の彼からは見ない、皮肉めいたものだった。

「いいえ、これは自分の落ち度が招いたことですので、憤りなどはありませんよ。ただ、貴女を信じた自分が間抜けだった。それだけのことなのですから」

 他人行儀な呼び方と、その言い草に絶句する少女に、御堂は堰を切ったように話し出した。

「貴女の演技は見事なものでした。まんまと騙されてしまいましたよ。自分の本心を聞き出して、父親である領主に知らせる。そのためならば、あのようなことまで言ってみせる。貴族の鑑と言っても良い。感服しましたよ」

 笑みと言葉とは裏腹に、御堂の瞳には確かな怒りが点っていた。その感情を表に出さないのは、少女に対してそんなことをするのは、大人気ないと考えるだけの理性があるからだった。もし、相手が子供でなければ、罵声すら浴びせていたかもしれない。そんな心情である。
 対し、話を聞いたラジュリィは慌てた様子になって、牢の鉄格子を掴んだ。御堂に酷い誤解をされていることがわかったからだ。

「騎士ミドールは誤解されています! 私は父に告げ口などしていません! これは、貴方を配下にしようとした父が、勝手にしたことなのです!」

 必至に弁明するが、御堂の視線は冷たかった。

「残念ですが、貴女のそれを証明することも、裏付けもありません。自分はもう、騙されるのは懲り懲りなのです」

 突き放すような視線を言葉を受けて、ラジュリィは目尻に涙さえ浮かべた。流石にここまで心を閉ざされるとは、思ってもいなかった。想い人との仲を引き裂いた父に、強い怒りすら湧いた。なので、決心がついた。

「私は……ラジュリィ・ケントシィ・イセカーは、イセカーの名を捨ててでも構いません。貴方と、ミドールと共にいたいのです」

「……それは、どういう意味ですか?」

「貴族の名を捨てて、貴方と共にこの城から出ることも構わないということです。ミドール、私を連れて行ってくれませんか? どこまでも、貴方の世界へでも、どこへでも」

 真っ直ぐな視線に嘘は感じられない。御堂は僅かに動揺した。しかしすぐ冷静になって、はっと鼻で笑いすらした。

「何を仰ると思えば……自分にそのような手はもう通じません。口先だけならば、何とでも言えるでしょう」

「では、行動で示します」

 行動? と御堂が眉を顰める前で、ラジュリィは服のポケットから、ある物を取り出した。それは、小さい鍵であった。それが何なのか想像がついた御堂は驚いた。

「これは、この牢の鍵です。ローネに頼んで融通してもらいました。父も知らないことです」

「……しかし、外には見張りがいる。ここで自分を逃がして、外で兵に捕らえさせて言うことを聞かせる。という算段ではないのですか」

 それでも疑ることを止めない御堂に、ラジュリィはそれを否定するように、静かに首を振った。

「外の見張りなら、私の術でどうとでもできます。ここから出て、あの魔道鎧の元へ向かうことも容易いでしょう。ですが、これには条件があります」

「条件?」

「私を、ただのラジュリィとなる小娘を、城から連れ出してください……お願いします。どうか、貴方の側にいさせてください。なんでも致します、きっと役に立ちますから」

 深く頭を下げて懇願する少女に、今度こそ本当に、御堂は困惑した。彼女は本気なのだろうか、立場を、身分を捨ててまで、授け人という得体の知れない存在に着いていこうと言う。これが何の策でもなく、目の前の少女の本心から来る行動であるならば、本当に恋慕を抱いているということになるかもしれない。
 怒りに戸惑いが勝り、逆に頭が冷えた御堂は、額に手をやって頭を悩ませた。

「……立場のある人が、そう易々とそれを捨てるなどと、口にするものではありません」

「容易く口にしたわけではありませんよ、ミドール。これは私なりに、覚悟をした上でのことです」

 御堂は頭を抱えた。もし、本当に彼女を連れて逃げ出しなどしたら、それこそお尋ね者になってしまう。そこにはラブロマンスなど欠片も無い、ただの悲惨な逃走劇だ。

「……自分が、機体の前まで来たら、貴女を置き去りにするとは考えないのですか?」

「そのときは、ミドールを本気で追います。どこまでも、どこまでも追いかけて――」

 そこで、ラジュリィが御堂をみる目が、先日のような悍ましいものになった。

「牢に入れて、今度は二度と出しません。ミドールは、そちらがお望みですか?」

「いえ……」

 ラジュリィは本気らしい。御堂は両手で頭を掻いて、返答に迷った。もしかしたら、領主の提案を飲んでしまった方が安全なのではないか? そうまで思えてきてしまった。

「ひとまず、ここから出して差し上げます」

 頭を抱える御堂を無視して、ラジュリィが牢の施錠を外そうとした。その時、

「な、なんだ貴様ら――」

 外で、見張りの兵が声をあげた。続いて、どさりと人が倒れる音。ラジュリィは手を止めて、入り口へ振り向いた。開けっ放しの扉から、黒い外套を着た人物が三人、入ってきた。頭まで被った外套から、目元は窺えないが、唯一露出している口元が、陰惨な笑みを浮かべたのが見えた。

「こんなところにいたのか、どこを探してもいないわけだ」

「あ、貴方たちは……」

「お前が知る必要はない。こちらへ来て貰おうか」

 そこでラジュリィは咄嗟に、魔術を放つためにマナをまとめようとした。この辺りは流石の才覚である。しかし、それより早く、外套が素早い身のこなしで彼女に掴みかかった。両手を掴み上げられたラジュリィは、集中を乱してマナを霧散させてしまう。

「い、いや! 放して!」

「抵抗するな! 面倒だ、黙らせるぞ!」

 ラジュリィを捕まえているのとは別の外套二人が、長い金属杖を取り出して、ラジュリィに向ける。少女の顔が恐怖に歪む。嗜虐の笑みを浮かべた男たちが、魔術を発動しようとした。その直前、空気の破裂するような音が鳴り響いた。

「がっ?!」

 ラジュリィを掴んでいた男が、横合いから衝撃を受けたように姿勢を崩して倒れた。その身体の下から、床に血溜まりが広がる。

「なっ、この娘、魔術を!」

「だがマナの動きは――」

 外套が答えを出す前に、もう二度、同じ音が鳴った。身体に受けた衝撃に悲鳴をあげて、男たちは倒れ伏した。

「な、何が……」

 突然の出来事と音に驚き、尻餅をついたラジュリィが呆然と呟く。けれども、すぐにはっとして、鉄格子の奥にいる御堂を見た。そこには、手に黒い無骨な何かを握り、倒れている男たちを注意深く見下ろしている御堂の姿があった。

「み、ミドール、今のはいったい……魔術が使えたのですか?」

「いいえ、魔術ではありません。言うならば……工学でしょうか。しかし、牢に入れるのに身体検査もしないなんて、少しこの城の保安が心配になりましたよ」

「こうがく……?」

 単語の意味がわからないらしいが、なんとか立ち上がったラジュリィに、御堂は男たちに無骨な武器を構えたまま告げる。

「とりあえず、鍵を開けてくれませんか」

「は、はい」

 倒れている男たちがいつ起き上がるかもわからない。そんな恐怖に焦らされながら、震える手でラジュリィは鍵を開けた。牢屋から出た御堂は、無言で男たちに近寄る。その頭に手の中の武器。機士が携行を認められている数少ない銃器、九ミリ自動拳銃を向け、躊躇わずに発砲した。
 外套の頭が揺れ、そこから血飛沫が上がったのを目撃して、ラジュリィは小さく悲鳴をあげた。

「ミドール、何を……」

「本当に死んだかわからなかったので、止めを刺したのです。兵としての基本です」

 怖がっている少女にそう冷静を装って説明した。だが、御堂も内心では、自分の行いに恐怖していた。生身の人間を撃ち殺したことなど、これまでなかったのである。
 ただ、目の前でラジュリィが危機に瀕したとなった瞬間、御堂の心中に自分自身にもわからない感情が湧き上がり、それが殺人の後押しをした。止めを刺すことへの戸惑いも消えていた。

(……人助けのために、条件反射で人を殺せるようにしてくれた教官たちに感謝だな)

 御堂は自分の感情をそう判断した。振り返ると、ラジュリィに手を差し伸べる。外で緊急事態が起きている今、城から逃げる逃げない以前に、この状況から脱しなければならない。

「何が起きているかはわかりませんが、危険であることには変わりません。まずはここから離れましょう」

「し、しかしどこへ向かうのです。すぐに中庭へ?」

「いえ、領主様が心配です。まずはそちらへ行きます」

「で、ですが……貴方が逃げ出したと知ったら、父が何をするか……それに、貴方はあれだけ怒っていたのに、私を助けてくれるのですか?」

 心配そうに自分を見上げるラジュリィを安心させようと、御堂はいつもの調子で微笑みかけた。先程まで心中にあった怒りを収めることに成功していた。今、心にあるのは、己の責務を全うすることである。

「そのときはそのときですし、自分は機士です。こういう状況で、私情に駆られて動くわけにはいきません。ラジュリィさんの安全が第一です。さぁ、急ぎましょう」

 少女の手を強引に取って、御堂は地下を出る。その頼りになる背中を見て、ラジュリィは改めて彼に惚れ直しざるを得ないのだった。
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