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第四十四話「終末に向かう前の出来事について」
リア・ブラッドバーン
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(なんだったんだろう……)
まだ少しどきどきしている胸元を抑えて、比乃は深呼吸を一つして、冷静に分析する。最近の女子高生の心情を推し量るのは難しい。英国や海外のスキンシップは日本のそれと比べて過激というので、今のはその一環なのかもしれない。ということで、比乃は納得してしまった。
(そも、友達とハグをして勇気が出るものなのだろうか?)
比乃は首を傾げた。そこに、後ろから近づいてくる足音。軽い体重を乗せたブーツが地面を叩く音に振り返ると、とんっと小さい衝撃が来た。
「へへ-、先輩、久しぶり」
ぶつかるように抱きついてきたのは、文通友達であるリア・ブラッドバーン伍長だった。メールでは一週間に一度か、それ以上の頻度でやり取りをしているが、直接、顔を合わせるのは数ヶ月ぶりだ。
以前より少し逞しくなったような気がする彼女を、とりあえず引き剥がしてから「久しぶりだね。リア伍長」と挨拶する。すると、リアはむすっと頬を膨らませた。
「もう、先輩ったら、私のことはリアって呼ぶようにって言ったでしょ! もう忘れちゃったの?」
「ああ、そういえばそうだったね。リア」
すっかり忘れてた。とは言わずに、誤魔化すように笑う。それに釣られて、リアも笑顔を浮かべた。相変わらず、軍人とは思えない可憐な美少女っぷりである。
その可憐さを演出している要因の一つであるアッシュブロンドの髪を揺らして、リアが屈む。そして、下から覗き込むように、比乃の顔を見据える。
どうしたのだろうか、と比乃が疑問に思っていると、笑顔のまま、
「それで先輩……さっきの女、誰?」
何故だかわからないがそのとき、比乃は底冷えするような殺気を感じ取った気がした。今度は、下手に誤魔化すと危ない。心の中の警鐘が鳴っていた。
「えっと……前にメールで書いたでしょ、英国から来たクラスメイトだよ、友達なんだ」
「そのクラスメイトが、なんでこんな所にいるの?」
「ああっと、それは……」
そこは流石に言えないので、危険を承知ではぐらかそうと言葉を探す。だが、その言葉が見つかる前に、リアの天真爛漫と表現できる、綺麗な碧眼が、すっと細まった。笑みは崩さないが、どこか、攻撃的になったように感じられた。
「へー、私には話せないことなんだ。へー……」
「そ、そうなんだよ、ちょっと特別な事情が」「ねぇ、先輩」
比乃の声を遮って、リアの小さい口から、淡々とした小さい声が続いた。
「私ね、無理矢理、捕虜の口を割らせるための訓練、したんだよ?」
いつの間にか、彼女から笑顔は完全に消え去っていた。比乃が思わず後退ると、リアも一歩、距離を詰めてくる。これまで感じたことがないタイプの恐怖心が、少年の心を支配しかけた。
というか、何故そんな訓練をこの少女が受けているのか、彼女の保護者であるメイヴィス少佐の教育方針に疑問を抱かざるを得ない。
「先輩にあまり痛いこと、したくないんだけどなぁ……素直になってくれないなら、仕方ないかなぁ……」
じりっと下がる比乃に、怖いことを言いながら、リアはじりじりと詰め寄っていき、遂に壁際にまで追い詰めた。迫ってくる彼女の瞳が、虚無を映し出している。
「わ、わかったよ。説明する、説明するから許して!」
恐怖に屈して、比乃は洗いざらい話してしまったのだった。
格納庫の壁に並んで寄り掛かって、リアは比乃の説明を聞いていた。
「ふーん、あの女は英国の企業の令嬢さんで、先輩はその護衛だったんだ」
「だった、というかこれからも、なんだけどね」
一応、事情を聞いて納得したのか、リアは剣呑さを潜めた。
「でも、そいつが国に帰ったら、先輩はお役御免なんでしょ? それでお別れでしょ? それまでの仲なんでしょ?」
そう、確認するように同じフレーズを繰り返すリアに「なんでそんなにアイヴィーに当たりが強いんだろう」と思いつつも、
「そ、そうだね。多分、この作戦が終わって世界情勢が安定したら、英国に帰るんじゃないかな」
と、同意しておいた。すると、リアはまた「えへへー」と笑顔になる。何が嬉しいのだろうか、比乃は意図が読めずに首を傾げていると、彼女は壁から離れて、正面に回ってくる。そして、両手を広げて、比乃の方に向けた。
「そんな女にもやったんだからさ、私にもやってよ」
「……何を?」
薄らと、相手が何を求めているかを察したが、これはスルーしようとすっとぼけた。同年代の少女とハグしまくるのは、なんだか、倫理観に反している気がしたのだ。しかし、そんな心中など全く察していないリアは、
「もう、しょうがない先輩だなぁ」
と、向こうから寄ってきて、比乃が動く前に抱き付いた。先ほどの体当たりとは違う、背中に腕を回して、肩に顎を乗せてきた。さらに、匂いを擦り付けるように、頬をくっつけてくる。少女特有のじんわりとした体温が伝わってくる。
二度も、同年代の少女にそんなことをされて、比乃はまたも動けずにいた。そうしていると、リアがすんすんと鼻を鳴らす。
「……先輩、男なのに良い匂いがするね。落ち着く」
「そ、そうかな。普通のシャンプーしか使ってないけど」
どぎまぎしながらも、なんとか答える。肩にぐりぐりと顔を埋めるその様子は、子猫のようだったが、紛れもない同年代の少女で、飛び切りの美少女だ。比乃が鈍いとは言えど、これには流石に緊張した。
「ね、先輩。お願いがあるんだけど」
耳元、リアが小声で、いたずらをするように囁く。比乃からは見えなかったが、小悪魔的な笑みがメイヴィスそっくりだった。
「私、先輩から勇気が欲しいの。抱きしめてくれない?」
比乃は「そ、それはちょっと」と拒否して、離れようとする。だが、ぎゅうっと力を込めて、少女は相手を逃がそうとはしない。柔らかい感触がより強くなって、少年は更に身を堅くする。
「お願いだよ先輩。私、あれから何度も戦場に出たけど、まだ怖くてたまらないの、この作戦だって、本当は逃げ出したいくらい怖い」
リアにそう言われて、比乃は初めて気付いた。こちらを抱きしめる彼女は、小さく震えていたのだ。まるで、自分を抱きしめることでそれを抑え込もうとしているかのようだった。
この小さい伍長は、経験を積んだと言っても、それはまだ数ヶ月分しかないのだ。戦士として一人前になるには、それはあまりにも短すぎる。
そう考えれば、この未熟なパイロットが、安心感を求めて先輩を頼るのも当然なのかもしれない。
後輩の心情を理解した比乃は、少し悩んだ末、無言で、リアの背中に手を回すことにした。そして、壊れ物を触るかのように慎重に、軽く抱きしめる。自分からそうして欲しいと言ったのに、彼女はびくりと身体を震わせたのが、比乃は少しおかしく思えた。
そのまま、彼女が満足するまで、抱擁を続ける。十秒ほど経って、リアから身を離すと、また「えへへへー」と、柔らかく笑った。比乃はそんな彼女を見て、以前に比べて随分、良く笑うようになったな、という印象を覚えた。しかし、その理由も、鈍い彼には察せられない。
「ありがとっ、先輩、これで勇気百倍、元気百倍だよ! もう無敵ってやつね!」
「こんなくらいで無敵になれるなら、いくらでもしてあげるよ」
彼女があまりに嬉しそうだったので、半分冗談のつもりで、特に意識もせず言った言葉だったが、それを聞いたリアは「本当?!」と過剰反応して、その場で小躍りするようにステップを踏んで、喜びを表現した。
何が、そんなに嬉しいのだろうか、比乃にはよくわからなかった。
「よしっ、これで今回の戦いは勝つしかなくなったね。だから、先輩も死なないで、生きてまた会おうね、約束だよ!」
一方的に約束を取り付けて、それを了承するよりも早く、駆け足でそこから離れていった。
結局、比乃にはリアは何をそんなに喜んでいたのか、よく理解できなかった。
まだ少しどきどきしている胸元を抑えて、比乃は深呼吸を一つして、冷静に分析する。最近の女子高生の心情を推し量るのは難しい。英国や海外のスキンシップは日本のそれと比べて過激というので、今のはその一環なのかもしれない。ということで、比乃は納得してしまった。
(そも、友達とハグをして勇気が出るものなのだろうか?)
比乃は首を傾げた。そこに、後ろから近づいてくる足音。軽い体重を乗せたブーツが地面を叩く音に振り返ると、とんっと小さい衝撃が来た。
「へへ-、先輩、久しぶり」
ぶつかるように抱きついてきたのは、文通友達であるリア・ブラッドバーン伍長だった。メールでは一週間に一度か、それ以上の頻度でやり取りをしているが、直接、顔を合わせるのは数ヶ月ぶりだ。
以前より少し逞しくなったような気がする彼女を、とりあえず引き剥がしてから「久しぶりだね。リア伍長」と挨拶する。すると、リアはむすっと頬を膨らませた。
「もう、先輩ったら、私のことはリアって呼ぶようにって言ったでしょ! もう忘れちゃったの?」
「ああ、そういえばそうだったね。リア」
すっかり忘れてた。とは言わずに、誤魔化すように笑う。それに釣られて、リアも笑顔を浮かべた。相変わらず、軍人とは思えない可憐な美少女っぷりである。
その可憐さを演出している要因の一つであるアッシュブロンドの髪を揺らして、リアが屈む。そして、下から覗き込むように、比乃の顔を見据える。
どうしたのだろうか、と比乃が疑問に思っていると、笑顔のまま、
「それで先輩……さっきの女、誰?」
何故だかわからないがそのとき、比乃は底冷えするような殺気を感じ取った気がした。今度は、下手に誤魔化すと危ない。心の中の警鐘が鳴っていた。
「えっと……前にメールで書いたでしょ、英国から来たクラスメイトだよ、友達なんだ」
「そのクラスメイトが、なんでこんな所にいるの?」
「ああっと、それは……」
そこは流石に言えないので、危険を承知ではぐらかそうと言葉を探す。だが、その言葉が見つかる前に、リアの天真爛漫と表現できる、綺麗な碧眼が、すっと細まった。笑みは崩さないが、どこか、攻撃的になったように感じられた。
「へー、私には話せないことなんだ。へー……」
「そ、そうなんだよ、ちょっと特別な事情が」「ねぇ、先輩」
比乃の声を遮って、リアの小さい口から、淡々とした小さい声が続いた。
「私ね、無理矢理、捕虜の口を割らせるための訓練、したんだよ?」
いつの間にか、彼女から笑顔は完全に消え去っていた。比乃が思わず後退ると、リアも一歩、距離を詰めてくる。これまで感じたことがないタイプの恐怖心が、少年の心を支配しかけた。
というか、何故そんな訓練をこの少女が受けているのか、彼女の保護者であるメイヴィス少佐の教育方針に疑問を抱かざるを得ない。
「先輩にあまり痛いこと、したくないんだけどなぁ……素直になってくれないなら、仕方ないかなぁ……」
じりっと下がる比乃に、怖いことを言いながら、リアはじりじりと詰め寄っていき、遂に壁際にまで追い詰めた。迫ってくる彼女の瞳が、虚無を映し出している。
「わ、わかったよ。説明する、説明するから許して!」
恐怖に屈して、比乃は洗いざらい話してしまったのだった。
格納庫の壁に並んで寄り掛かって、リアは比乃の説明を聞いていた。
「ふーん、あの女は英国の企業の令嬢さんで、先輩はその護衛だったんだ」
「だった、というかこれからも、なんだけどね」
一応、事情を聞いて納得したのか、リアは剣呑さを潜めた。
「でも、そいつが国に帰ったら、先輩はお役御免なんでしょ? それでお別れでしょ? それまでの仲なんでしょ?」
そう、確認するように同じフレーズを繰り返すリアに「なんでそんなにアイヴィーに当たりが強いんだろう」と思いつつも、
「そ、そうだね。多分、この作戦が終わって世界情勢が安定したら、英国に帰るんじゃないかな」
と、同意しておいた。すると、リアはまた「えへへー」と笑顔になる。何が嬉しいのだろうか、比乃は意図が読めずに首を傾げていると、彼女は壁から離れて、正面に回ってくる。そして、両手を広げて、比乃の方に向けた。
「そんな女にもやったんだからさ、私にもやってよ」
「……何を?」
薄らと、相手が何を求めているかを察したが、これはスルーしようとすっとぼけた。同年代の少女とハグしまくるのは、なんだか、倫理観に反している気がしたのだ。しかし、そんな心中など全く察していないリアは、
「もう、しょうがない先輩だなぁ」
と、向こうから寄ってきて、比乃が動く前に抱き付いた。先ほどの体当たりとは違う、背中に腕を回して、肩に顎を乗せてきた。さらに、匂いを擦り付けるように、頬をくっつけてくる。少女特有のじんわりとした体温が伝わってくる。
二度も、同年代の少女にそんなことをされて、比乃はまたも動けずにいた。そうしていると、リアがすんすんと鼻を鳴らす。
「……先輩、男なのに良い匂いがするね。落ち着く」
「そ、そうかな。普通のシャンプーしか使ってないけど」
どぎまぎしながらも、なんとか答える。肩にぐりぐりと顔を埋めるその様子は、子猫のようだったが、紛れもない同年代の少女で、飛び切りの美少女だ。比乃が鈍いとは言えど、これには流石に緊張した。
「ね、先輩。お願いがあるんだけど」
耳元、リアが小声で、いたずらをするように囁く。比乃からは見えなかったが、小悪魔的な笑みがメイヴィスそっくりだった。
「私、先輩から勇気が欲しいの。抱きしめてくれない?」
比乃は「そ、それはちょっと」と拒否して、離れようとする。だが、ぎゅうっと力を込めて、少女は相手を逃がそうとはしない。柔らかい感触がより強くなって、少年は更に身を堅くする。
「お願いだよ先輩。私、あれから何度も戦場に出たけど、まだ怖くてたまらないの、この作戦だって、本当は逃げ出したいくらい怖い」
リアにそう言われて、比乃は初めて気付いた。こちらを抱きしめる彼女は、小さく震えていたのだ。まるで、自分を抱きしめることでそれを抑え込もうとしているかのようだった。
この小さい伍長は、経験を積んだと言っても、それはまだ数ヶ月分しかないのだ。戦士として一人前になるには、それはあまりにも短すぎる。
そう考えれば、この未熟なパイロットが、安心感を求めて先輩を頼るのも当然なのかもしれない。
後輩の心情を理解した比乃は、少し悩んだ末、無言で、リアの背中に手を回すことにした。そして、壊れ物を触るかのように慎重に、軽く抱きしめる。自分からそうして欲しいと言ったのに、彼女はびくりと身体を震わせたのが、比乃は少しおかしく思えた。
そのまま、彼女が満足するまで、抱擁を続ける。十秒ほど経って、リアから身を離すと、また「えへへへー」と、柔らかく笑った。比乃はそんな彼女を見て、以前に比べて随分、良く笑うようになったな、という印象を覚えた。しかし、その理由も、鈍い彼には察せられない。
「ありがとっ、先輩、これで勇気百倍、元気百倍だよ! もう無敵ってやつね!」
「こんなくらいで無敵になれるなら、いくらでもしてあげるよ」
彼女があまりに嬉しそうだったので、半分冗談のつもりで、特に意識もせず言った言葉だったが、それを聞いたリアは「本当?!」と過剰反応して、その場で小躍りするようにステップを踏んで、喜びを表現した。
何が、そんなに嬉しいのだろうか、比乃にはよくわからなかった。
「よしっ、これで今回の戦いは勝つしかなくなったね。だから、先輩も死なないで、生きてまた会おうね、約束だよ!」
一方的に約束を取り付けて、それを了承するよりも早く、駆け足でそこから離れていった。
結局、比乃にはリアは何をそんなに喜んでいたのか、よく理解できなかった。
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