自衛隊のロボット乗りは大変です。~頑張れ若年陸曹~

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第三十六話「ロシア軍人との交流について」

わだかまりの解消

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 駅近くの交差点に立地するその美術館は、営業時間を開始してすぐの割に、それなりの盛況さを見せていた。繁華街のレストランで早めの昼食を取った一行は、元は銀行であったという、白い建物の入り口をくぐった。

「ここじゃ英語も通じないからな、俺達から逸れないようにしてくれよな」

 カラシンの注意を受けて、比乃ら自衛官組は素直に頷いた。が、美術館にも初めて来た志度と心視は、早速周囲の美術品や絵を見て、興味津々とばかりに視線を巡らせている。

「グレコフ、お前どうせ美術品とかよくわからないだろ?  浅野軍曹と白間軍曹の通訳にでも付き添ってやれよ」

「わかりました。お二人とも、どこから見て回りますか?」

 グレコフの問いに、二人は目を輝かせながら、グレコフの服の裾を引っ張る。

「まずは二階からいきたいな、高いところから済ませるのは物事の基本だぜ」

「志度と、同意見。高いところの索敵は、基本……」

 すっかり懐かれた少尉は、苦笑いしながらも、それに頷いた。

「では、自分達は二階の展示室に行くことにします。中尉達は?」

「俺達は適当に一階を見て回ってるよ、エリツィナの奴は絵画とかの方にご執心だしな」

 というか、もういないし。というカラシンの言葉に一同が周囲を見渡すと、彼女の姿は既になかった。規律に厳しいように見えて、彼女も割とマイペースなのかもしれない。比乃はエリツィナ中尉への認識を少し改めた。

「しょうがねぇ奴だよまったく、それじゃ、三十分くらいしたらここに集合ってことで、そろそろ戻らないと午後の訓練に響くからな」

 苦笑しながら言った三十分という時間制限の言葉を聞くと、志度と心視は慌てた様子で、通訳担当のグレコフの腕を引いて、小走りで二階へ上がる階段へと向かって行った。取り残されたカラシンと比乃は顔を見合わせて、お互い苦笑しながら歩き出す。

「それじゃ、男二人で悪いが、仲良く絵画巡りしつつエリツィナ探しと行くか、軍曹」

「了解です」

 そうして、美術館の一階、吹き抜けになっている通路を歩きながら、一応美術館ということで二人は小声で話す。

「それにしても、エリツィナ中尉が美術品に興味があったなんて、正直意外です」

「ああ、あいつはな、絵に思い入れがあるんだよ……まぁこれは本人に聞いた方がいいな」

 そう言って、顎である方向を指す。そちらを見ると、壁にかかった大きな絵画の前で佇んでいるエリツィナの姿があった。比乃がどうするべきか隣のカラシンに問おうとすると、彼はさっさと逆方向へと歩き始めてしまう。

「それじゃあ、俺は外で煙草でも吸ってるからよ、後頼むわ」

「えっ、カラシン中尉は来てくれないんですか?」

「俺、絵とかよくわかんねぇし。いるとエリツィナが突っかかって来そうだからよ」

「はぁ……」

 釈然としない比乃を置いて、カラシンは手をひらひら振りながら、さっさと出口の方へと向かって行ってしまった。先程の動物園とは逆の状況になり、比乃は二人の方を交互に見て少し悩んだが、言われた通りエリツィナの方へと静かに歩み寄った。

 彼女は近寄って来た比乃に気付いて一瞥したが、すぐに視線を目の前の油絵に戻した。こちらへの興味は全くないと言った様子である。そのまま無言で数十秒、いい加減気不味くなった比乃が意を決して話かけた。

「あの、エリツィナ中尉は、絵がお好きなんですか?」

「……そうだとして、それが貴官に関係あるのか」

 相変わらず氷点下の氷ような冷たい反応であった。比乃は少し挫けそうになったが、それでも負けじと会話を試みる。

「いえ、僕は美術だとかそう言うのに触れる機会が中々無かった物でして……だから、えーっと……そう、今見てる絵とか、どういう物なんですか……なんて」

 なんとかして会話の糸口を見つけようと四苦八苦する比乃に、エリツィナは呆れた様子で溜息を吐いた。一応、これ以上無理に交流を阻んで関係を悪化させるわけにはいかないことは、彼女にも理解できていた。仕方なしに、比乃との会話に乗る。

「……この絵についてだが、私も詳しくは知らん。ただ、美しい絵であるなと思って見ていただけだ」

「あれ、絵や画家に詳しいというわけでは?」

「別段、画家に詳しいわけではない。描き方に少し心得があるだけだ」

「それはどういう……」

 比乃が首を傾げる。エリツィナは絵から視線を外さないまま、淡々と話し始めた。

「私は軍人家系の生まれでな。生まれたその時から、性別に関係なく軍人になることを宿命付けられていた人生だった。そんな私でも、一つ、やりたかったことがあった」

「それって、もしかして……絵描きですか?」

 その呟きに、エリツィナは初めて比乃の方を向いて、儚げに微笑んだ。比乃の言った通り、彼女がまだ比乃と同じか、少し小さい頃。彼女は画家を目指していたのだ。しかし、両親から猛反対、というよりも折檻と呼べる扱いを受け、その夢を半ばで諦め、家に倣って軍人となったのだ。

 しかし、それでもまだ、彼女の心は過去の夢に囚われている。

「……有名になれなくてもいい、歴史に名を残すような物を作れなくてもいい。それでも、画家になりたかった。自由に創作するという立場の人間に、なってみたかった。それが、今では破壊する立場の人間だ……皮肉な物だな」

 皮肉、と言った部分に、比乃は彼女の抱える深い悲しみを見た気がした。故に、口を出さずにはいられなかった。

「それでも、国を守る立派な仕事ではないですか」

 比乃にとって、自衛官とは、軍人とは、国を守るために存在する誇れる存在である。そのことをエリツィナに伝えようとしたのだが、それでも彼女の表情は陰っていた。

「人は、立派な仕事だけを目指して生きているわけではないのだ。軍曹」

 その一言で、比乃の意見を否定してしまった。再び無表情になって絵に視線を戻した彼女は、ふと思い付いたように、隣の小さい自衛官に聞いた。

「私がここまで話したんだ。貴官が軍人になった経緯でも話してみろ。幸い、周囲に英語がわかる人間は居ないようだしな」

 言ってから、彼女はつい、口が軽くなってしまったことを少し悔やんだ。それでも、彼女が今言ったことを即座に取り消さなかったのは、自分だけが話すのでは不公平だとも思ったからだ。

「……自分もちょっと似てるかもしれません。幼い頃にテロに巻き込まれて両親を亡くして、自衛官だった今の義父に引き取られて、自衛官にされて……思い返してみれば、自分から自衛官になった訳ではないんですよね。流されてなったと言いますか」

「お前に夢はなかったのか?  将来成りたかったもの、そう言った願いはなかったのか?」

 ごく普通の世間話でもするように、雑談と言うには重い話をされたことに、エリツィナは若干戸惑った。そうなると、この少年の目的は、テロリストに対する復讐なのではないか。それは、自分が夢を諦めて軍人になったことよりも、どす黒い、負の感情によるものだ。
 エリツィナは自分と彼を対比して、聞かざるを得なかった。自分が夢を諦めたなら、この少年は夢を奪われたのではないかと思ったからだ。それに対し、比乃はか頭を振って答えた。

「さぁ、テロに巻き込まれる前には朧げにあったかもしれませんけど、今のやりたい事はただ一つですね」

「……それはなんだ」

 再度、こちらを向いたエリツィナの目を真っ直ぐに見つめ返して、比乃は断固とした語調で答えた。

「自分の国に住む人々の平和と安全を守ること、それが今の僕がやりたいことです」

 それを聞いたエリツィナは、ぽかんと、普段の彼女からは想像できない表情をした。次の瞬間、口元を抑えて堪え笑いをした。

「……何かおかしな事を言ったでしょうか。軍人としては至極当然の事だと思うのですが」

 その彼女の反応に、少し不満そうな比乃。彼女は「いや、すまない」と素直に謝って、表情を整えると、先程までとは違った柔らかい笑みを浮かべた。

「そんなことを大真面目に、それも素で言ってのける軍人など、初めて見たからな。少し驚いてしまった。そして、羨ましくも思ってしまった」

「羨ましい、ですか?」

「ああ、私は軍人になって……公には言えないが、後悔した日も多々あった人間だ。しかし、お前は人々の平穏を守ることも、人生を賭けるに値することなのだと、そう考えられる。それが、心底羨ましい」

 そう、自分は軍人として、精鋭部隊に居ながらも不完全な存在であった。無理やり外面を取り繕うことで、理想の軍人であろうとしていた。だが、その外面を全く取り繕っていない、それもまだ未成年の軍人が、自分よりも軍人に相応しい心を持っていたのだ。それが可笑しくて、そして、自分と同じ仄暗い理由を持っているのではと、少し期待していた自分が情けなくて、思わず笑ってしまったのだ。

「軍曹、これまでの無礼を詫びる。お前は決して平和ボケなどしていない、立派な兵士だ。それを認めよう」

「それは、有難うございます」

「だが、あの戦場で受けた借りは必ず返す。それがロシア軍人の矜持だ。覚えておけ」

 そういう彼女の目は、敵意を向けて睨むようなものでなく、確固たる意思表示だった。

「わかりました。僕が何か困った事になったら、頼らせて貰いますね」

 それから残り二十分。エリツィナと絵を見て回った比乃は、少し彼女との間にあった溝が埋まったことを実感しつつ、美術館を後にした。
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