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第三十六話「ロシア軍人との交流について」
交流の企て
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時間を少し巻き戻して、比乃達が宿泊している部屋の一つ下。
そこのベランダで煙草を蒸していたカラシンは、上から聞こえてきた会話の内容に苦笑した。盗み聞きするつもりなど本人には無かったのだが、それなりに良いホテルと言っても吹き晒しのベランダに防音など施されているわけもなく、会話の内容は階下にいた彼に筒抜けであった。
煙草を一本吸い終えたカラシンが部屋に戻り扉を締める。と、その表情を見た同室のグレコフが不思議そうな顔で聞いた。
「カラシン中尉、思い出し笑いでもしてたんですか? 顔がにやけてますよ」
「ああいやな? 今そこで偶然、面白い会話を聞いたんだよ」
「というと、上階の日比野軍曹達ですか……防諜意識のかけらもない」
少し呆れた様子で肩をすくめるグレコフ。カラシンは「日本人だし、仕方ないだろ」と言って、ソファーに腰掛ける。
「それでよ、中々の高評価されてるみたいだぜ俺達。グレコフの話題は出なかったけど」
「……なんでそこで自分の名前が出るんですか、カラシン中尉」
「いやぁ? 別にぃ?」
部下をからかいながら、吸い殻を卓上にあった灰皿に置き、この部屋にいるもう一人の人物に声をかけた。
「特にお前、あれ尊敬とか畏敬の念とか懐いちゃってるんじゃないのか、エリツィナ」
ソファに不機嫌顔で腰掛けていた女性士官、エリツィナが、カラシンの方に鋭い目線を向ける。
「……階級をつけろ、カラシン中尉」
「お生憎様、俺はプライベートじゃ同期に遠慮しないことにしてんだ。チームは仲良くだろ?」
彼の憎まれ口に、エリツィナは溜息を吐いた。この同僚にはその辺り、何を言っても無駄である。そうわかっていても、口に出してしまうのが彼女の性質であった。
「確かに貴様とは同期入隊同時に中尉へ昇進した、正しく同期である。が、軍人としてだな」
「おいおい、そんなつまらない話よりもよ。さっき上の階で無防備に談話してた軍曹達の話、聞きたいと思わないか? お前の話題も出てたしよ」
「いや、私は別に……」
そうエリツィナが断ろうとしたのを遮って、カラシンは腕組をして横柄に頷いた。彼女の話などまったく聞いちゃいない。
「そうかそうか聞きたいかー、なら話してやろう!」
カラシンは早速、先程、比乃達が窓際で話していた自分達の評価について話し始めた。若干、下手くそな演技混じりで語り続け、そこまで長くもない話は「以上!」と締め括られた。
エリツィナは昼間に戦った少年からの自身への評価を聞いて、複雑な表情を浮かべる。グレコフは自分が話題に出なかったのを、表面上は気にしていない振りをしているが、内心でちょっとがっかりしていた。自分が戦った少女は別室なので、仕方がないのだが。
「どうしたよエリツィナ、対戦相手に褒められて嬉しくないのか?」
「……そういう訳ではない、だが……」
「カラシン中尉、エリツィナ中尉はきっと、例の借りを返すというのが達成できなかったことを悩んでいるのでは……?」
グレコフのフォローで、彼女の表情が先程から暗い理由をようやく察したカラシンは「はぁ?」と呆れたように言った。その二文字には「何でそんなこと悩んでるんだこいつ」と言う内容が省略されていた。
「あんだけどんぱち激しくやりあっておいて、それでもまだ足りないってのかよ。俺なんか、あんな面白い戦いが出来て割と満足できちまったけどな。勿論、日比野軍曹とやりあえる機会があれば、それに越した事はないけどよ」
「自分も、相手を狙撃手と侮って接近戦を挑んだ結果があの通りですから、借りは返せたとは言えないかもしれませんが、得るものは大きかったと思います……エリツィナ中尉はそうではないのですか?」
「いや……」
グレコフのことばに対して咄嗟に否定の言葉が出たエリツィナだが、その内心では肯定とも否定とも取れる二つの感情がせめぎ合っていた。
一つ、確かに当初は少し優れた程度の操縦兵だと思っていた相手が、あれだけ奇抜な戦い方をして見せたことに、自分は驚いた。それを、どうにか抑え込んだかと思いきや、相手は逆転の一手を繰り出してきた。結果、自分の優勢は一瞬の内に逆転された。
最後の苦し紛れの投擲が命中していなかったら、模擬戦は引き分けではなく、自分の敗北で終わっていただろう。それだけの強敵を相手にして、何も得なかったなどということは、あり得ない。あれで何も得られなったら、自分はただの無能だ。
そして二つ目、これはもっとシンプルな問題だった。借りを返すと意気込んでいたにも関わらず、引き分けという、なんとも中途半端な結果で模擬戦が終わってしまったことだ。
全力を尽くしたつもりだが、それでも、勝てなかったという事実が彼女の肩に伸し掛かっている。
それらが、心の中にしこりのように残っていて、彼女を悩ませていた。
しかし、エリツィナは、このような悩みなどを、他人に打ち明けられるような性格ではなかった。部下であるグレコフに相談するなど上官としてあり得ないし、カラシンに相談するのはもっとない。
部屋に入ってきた時からしていた不機嫌顔に、思案が加わり、更に複雑な表情になった同期を見て、カラシンは顎に手をやった。そして、態とらしく考える素ぶりを見せる。しばらくその姿勢で「うーん」だの唸っていた彼は、はたと思いついた様子で手を叩いた。
「よし、一つ妙案思いついたぞ。俺に任せて貰おうか」
「……何をするつもりだ?」
「なーに、明日の訓練は機体の再調整やら清掃をする関係で午後からだろ? 時間の有効活用ってやつよ……少佐殿、まだ起きてるかなっと」
懐から携帯端末を取り出して、目的の相手へと繋いだカラシンは、いつもの軽薄な口調でその相手に頼みごとをし始めた。その内容を聞いていたエリツィナとグレコフは、顔を見合わせて、揃って困惑の表情を浮かべる。
数分ほど話し、電話を終えて満足気な顔で通信端末をポケットにしまったカラシンが、そんな二人を見て、不可解そうに首を傾げる。
「どうしたよ二人とも、せっかく俺が戦い以外で借りを返せる機会を作ってやったと言うのに」
「まさか……許可が降りたのか?」
信じられない物を見るような目で見るエリツィナに、カラシンは胸を張って言いのけた。
「おうともよ! むしろ少佐殿も乗り気だったぜ。是非とも頼むってな」
それを聞いて、尚更信じられないという顔をする彼女を無視して「よし、明日は早いぜ。早速準備しないとな。グレコフ、ちょっと手伝え」と、カラシンは部下と共に携帯端末を使って何事か調べごとを始めた。
そんな彼から目を背けて、エリツィナは先程より深い溜息を吐いたのだった。
そこのベランダで煙草を蒸していたカラシンは、上から聞こえてきた会話の内容に苦笑した。盗み聞きするつもりなど本人には無かったのだが、それなりに良いホテルと言っても吹き晒しのベランダに防音など施されているわけもなく、会話の内容は階下にいた彼に筒抜けであった。
煙草を一本吸い終えたカラシンが部屋に戻り扉を締める。と、その表情を見た同室のグレコフが不思議そうな顔で聞いた。
「カラシン中尉、思い出し笑いでもしてたんですか? 顔がにやけてますよ」
「ああいやな? 今そこで偶然、面白い会話を聞いたんだよ」
「というと、上階の日比野軍曹達ですか……防諜意識のかけらもない」
少し呆れた様子で肩をすくめるグレコフ。カラシンは「日本人だし、仕方ないだろ」と言って、ソファーに腰掛ける。
「それでよ、中々の高評価されてるみたいだぜ俺達。グレコフの話題は出なかったけど」
「……なんでそこで自分の名前が出るんですか、カラシン中尉」
「いやぁ? 別にぃ?」
部下をからかいながら、吸い殻を卓上にあった灰皿に置き、この部屋にいるもう一人の人物に声をかけた。
「特にお前、あれ尊敬とか畏敬の念とか懐いちゃってるんじゃないのか、エリツィナ」
ソファに不機嫌顔で腰掛けていた女性士官、エリツィナが、カラシンの方に鋭い目線を向ける。
「……階級をつけろ、カラシン中尉」
「お生憎様、俺はプライベートじゃ同期に遠慮しないことにしてんだ。チームは仲良くだろ?」
彼の憎まれ口に、エリツィナは溜息を吐いた。この同僚にはその辺り、何を言っても無駄である。そうわかっていても、口に出してしまうのが彼女の性質であった。
「確かに貴様とは同期入隊同時に中尉へ昇進した、正しく同期である。が、軍人としてだな」
「おいおい、そんなつまらない話よりもよ。さっき上の階で無防備に談話してた軍曹達の話、聞きたいと思わないか? お前の話題も出てたしよ」
「いや、私は別に……」
そうエリツィナが断ろうとしたのを遮って、カラシンは腕組をして横柄に頷いた。彼女の話などまったく聞いちゃいない。
「そうかそうか聞きたいかー、なら話してやろう!」
カラシンは早速、先程、比乃達が窓際で話していた自分達の評価について話し始めた。若干、下手くそな演技混じりで語り続け、そこまで長くもない話は「以上!」と締め括られた。
エリツィナは昼間に戦った少年からの自身への評価を聞いて、複雑な表情を浮かべる。グレコフは自分が話題に出なかったのを、表面上は気にしていない振りをしているが、内心でちょっとがっかりしていた。自分が戦った少女は別室なので、仕方がないのだが。
「どうしたよエリツィナ、対戦相手に褒められて嬉しくないのか?」
「……そういう訳ではない、だが……」
「カラシン中尉、エリツィナ中尉はきっと、例の借りを返すというのが達成できなかったことを悩んでいるのでは……?」
グレコフのフォローで、彼女の表情が先程から暗い理由をようやく察したカラシンは「はぁ?」と呆れたように言った。その二文字には「何でそんなこと悩んでるんだこいつ」と言う内容が省略されていた。
「あんだけどんぱち激しくやりあっておいて、それでもまだ足りないってのかよ。俺なんか、あんな面白い戦いが出来て割と満足できちまったけどな。勿論、日比野軍曹とやりあえる機会があれば、それに越した事はないけどよ」
「自分も、相手を狙撃手と侮って接近戦を挑んだ結果があの通りですから、借りは返せたとは言えないかもしれませんが、得るものは大きかったと思います……エリツィナ中尉はそうではないのですか?」
「いや……」
グレコフのことばに対して咄嗟に否定の言葉が出たエリツィナだが、その内心では肯定とも否定とも取れる二つの感情がせめぎ合っていた。
一つ、確かに当初は少し優れた程度の操縦兵だと思っていた相手が、あれだけ奇抜な戦い方をして見せたことに、自分は驚いた。それを、どうにか抑え込んだかと思いきや、相手は逆転の一手を繰り出してきた。結果、自分の優勢は一瞬の内に逆転された。
最後の苦し紛れの投擲が命中していなかったら、模擬戦は引き分けではなく、自分の敗北で終わっていただろう。それだけの強敵を相手にして、何も得なかったなどということは、あり得ない。あれで何も得られなったら、自分はただの無能だ。
そして二つ目、これはもっとシンプルな問題だった。借りを返すと意気込んでいたにも関わらず、引き分けという、なんとも中途半端な結果で模擬戦が終わってしまったことだ。
全力を尽くしたつもりだが、それでも、勝てなかったという事実が彼女の肩に伸し掛かっている。
それらが、心の中にしこりのように残っていて、彼女を悩ませていた。
しかし、エリツィナは、このような悩みなどを、他人に打ち明けられるような性格ではなかった。部下であるグレコフに相談するなど上官としてあり得ないし、カラシンに相談するのはもっとない。
部屋に入ってきた時からしていた不機嫌顔に、思案が加わり、更に複雑な表情になった同期を見て、カラシンは顎に手をやった。そして、態とらしく考える素ぶりを見せる。しばらくその姿勢で「うーん」だの唸っていた彼は、はたと思いついた様子で手を叩いた。
「よし、一つ妙案思いついたぞ。俺に任せて貰おうか」
「……何をするつもりだ?」
「なーに、明日の訓練は機体の再調整やら清掃をする関係で午後からだろ? 時間の有効活用ってやつよ……少佐殿、まだ起きてるかなっと」
懐から携帯端末を取り出して、目的の相手へと繋いだカラシンは、いつもの軽薄な口調でその相手に頼みごとをし始めた。その内容を聞いていたエリツィナとグレコフは、顔を見合わせて、揃って困惑の表情を浮かべる。
数分ほど話し、電話を終えて満足気な顔で通信端末をポケットにしまったカラシンが、そんな二人を見て、不可解そうに首を傾げる。
「どうしたよ二人とも、せっかく俺が戦い以外で借りを返せる機会を作ってやったと言うのに」
「まさか……許可が降りたのか?」
信じられない物を見るような目で見るエリツィナに、カラシンは胸を張って言いのけた。
「おうともよ! むしろ少佐殿も乗り気だったぜ。是非とも頼むってな」
それを聞いて、尚更信じられないという顔をする彼女を無視して「よし、明日は早いぜ。早速準備しないとな。グレコフ、ちょっと手伝え」と、カラシンは部下と共に携帯端末を使って何事か調べごとを始めた。
そんな彼から目を背けて、エリツィナは先程より深い溜息を吐いたのだった。
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