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第二十話「志度とはんなり荘の住人達について」

怪力少女

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 全身をくま無く洗い、私服に着替えてさっぱりした志度だったが、結局やることが思い付かず、自室でごろごろしていた。
 もうこのまま昼寝でもしてしまおうか、と考えたそのとき、呼び鈴が軽快な音を発てた。志度はそれを耳にすると、ひょいと起き上がって玄関に向かった。本日二度目の来客である。

「はいはーい」

 またも警戒心一切無しに扉を開けると、そこには志度よりも更に背の小さい、ボブカットヘアーの少女が立っていた。このはんなり荘に住む住人の一人。田中 宝子タナカ ホウコだった。

 十五歳の彼女は、年が一つ違う兄とこのアパートで二人暮らしをしている。兄の方は田中 剣斗タナカ ケントという。比乃曰く、どうも偽名くさい名前だとのことで、怪しさ満点の二人である。

 挨拶回りをした際も、一応は自衛官という公僕として、こんなに小さい子供二人だけで暮らしていることが気になったのか、比乃が親御さんはどこにと聞いたりしたものだが、本人らは「ただの家出少年と家出少女です」としか言わなかった。

 なので、比乃もそれ以上の追求はせず、彼ら彼女らはこのはんなり荘に住む謎の住人の一部ということで片付いた 何せ、この二人の前に銃刀法違反疑惑の女性と筋肉もりもりマッチョマンの老人と会ったばかりなのであったので、家出の一人や二人など、どうということはなかった。

 しかし、その二人が異常な力を持っていることを、その時の比乃はまだ知らなかった。ある出来事をきっかけにそれを知った時は、遠い目をして「ここにはまともな住人はいないのか」とぼやいたりしていた。志度にはなぜ比乃がそんなに悲しみに暮れていたのかよくわからなかったが、

 閑話休題。

 ともかく、目の前の少女。色白で眼鼻立ちがしっかりとしていて、将来は美人になるであろうことを約束されているような容姿をしている彼女は、志度が出てくると「こんにちは、白間のお兄さん」とぺこりと頭を下げた。

「珍しいな、宝子からうちに尋ねてくるなんて」

 実際、比乃があれこれ詮索した為か、宝子と剣斗の二人はあまり自衛隊組とは関わろうとしなかった。顔を合わせれば挨拶もするし、ちょっと話をしたりもするが、それだけの関係であった。が、彼女もまた、志度たちの事情を知る人物である。

「少し、白間のお兄さんか浅野のお姉さんにご相談したいことがありまして」

「俺達にか、比乃はいいのか?」

「……あの人は“普通の人”ですから……ちょっといいですか?」

「ああ、なるほど」

 そっち系の話しか、と納得した志度は、すぐに了承した。

「それじゃあ話を聞くぜ。うちの部屋でか?」

「いえ、私たちの部屋で、お茶菓子を用意してますので」

「わかった、それじゃあ行こうぜ」

 そうして招かれた部屋は、無駄なものがほとんど無い、殺風景な部屋だった。
 志度達の部屋もあまり無駄な装飾品などは置いていないが、それよりも生活感が薄い。ただ一つ、自分達の部屋にも無いものといえば、古いテレビゲームが一つ、床に鎮座しているくらいだろうか。

 宝子は志度に椅子を勧めてから、「お茶を淹れますね」と台所に立った。志度は一応「お構いなく」と言ってから、初めて入った他人の部屋を繁々と観察する。テレビの前に鎮座するゲーム機を見て、少し感動したように、目を輝かせる。

「おお、これがテレビゲーム……」

 そんなことを呟いたりする。志度がそれをまじまじと見ていると、台所から戻ってきた宝子が緑茶が入ったお椀を志度の前に置いた。

「お茶どうぞ……ゲーム機がどうかしたのですか?」

「いやな、俺たちもゲームを買おうと思ってるんだけど、比乃が首を縦に振ってくれなくて」

「ああ、日比野お兄さん、そういうところは頑固そうですものね」

「全くだぜ」

 言いながら、志度はお茶をずずずと啜る。あまり味の良し悪しがわからない志度でも、そのお茶は美味しいと思った。そのままお茶一杯を一気に飲み干して、お茶菓子であるおかきの煎餅を一つ口に放り込んで咀嚼した志度は「それで」と切り出した。

「相談って言うのはなんなんだ?」

 対面にちょこんと座った宝子は、視線をお茶に落とした。

「力の発散についてなのですが、最近、力を持て余していまして……」

「あれか、うずうずするやつだろ。俺も昔はよくなった」

「それです。それで、白間お兄さんと浅野お姉さんはどうやって発散しているのかと思いまして……」

「ふーむ……」

 力の発散というのは、この兄妹が持っている、異常なまでの筋力のことである。見た目はほっそりとしているが、この身で、志度と互角か少し劣る程度の身体能力を持っているのだ。

 更に詳しく話を聞くと、兄の剣斗は重作業のアルバイトで全力を発揮することで力の発散が出来ているのだが、家で炊事洗濯などの家事をしている彼女は、中々力を発揮する機会が無い。そのため、ときどき力の入れ具合を間違えて、食器などの割れ物を壊してしまうとのことだった。

 常に力をセーブしながら生活するというのは、結構コツがいるのだ。

 話を聞いた志度は「ふーむ」と腕を組んで考える。自分たちは、日頃から訓練をしてそういう物を発散しているし、ここ数年は、力加減を間違えて物を壊すということも随分減ってきた。要は慣れなのであるが、まだ幼い彼女には難しいだろう。

 同じくらいの歳の頃、志度も良く物を壊したものである。軽自動車のドアとかをべきっと破壊したり、ガラスのコップを握り潰してしまうこともままあった。

 しかし、ただ「慣れだよ慣れ」の一言で片付けるのは、ちょっと彼女に悪い気がした。なので、志度は自分と心視が普段している、訓練以外での力の発散方法を教えることにした。

「あれだ、一番簡単なのは運動することだけど、二人で出来る良い発散方法があるぜ」

「二人でですか?  ……何か如何わしいことじゃないですよね」

 変な勘違いをした宝子がジト目になるが、志度はその意図がわからず、頭にクエスチョンマークを浮かべた。

「?  腕相撲だけど、何が如何わしいんだ?」

 勘違いに気付いた宝子が、頰を赤く染める。結構ませた子でった。

「いえ、失礼しました……でも、そんなもので力の発散になるんですか?」

「意外と馬鹿に出来ないんだぜこれが、心視とたまに色々賭けて勝負するけど、毎回全力の勝負になるしな」

 賭け事、例えば、余ったお菓子をどちらが食べるだとか(比乃は潔く譲ってくれる)、どっちが先に風呂に入るだとか(これも比乃は譲ってくれる)、そういうのを賭けて、よく腕相撲で勝負することがある。

 流石に腕一本ずつだと志度が勝ってしまうので、心視は両手を使ってだが、それでもかなりの熱戦となるのだ。

 その証拠に、二人が腕相撲をするのに使うテーブルには、肘が猛烈に押さえ付けられた跡がついている。一度比乃を誘ったことがあったが「腕を折られるのはごめんだ」と言って、参加してくれない。

「宝子と剣斗ならいい勝負になるだろ?  帰ってきたら頼んでみたらどうだ。いい暇潰しにもなるし……そうだ、どうせだから、今ここで一戦やってみるか?」

「良いんですか?  それじゃあ是非……」

 そういうと、宝子は机の上をさっさと片付けて、土俵を用意した。志度は腕をポキポキ鳴らし、肩をぐるりと回す。

「そっちは腕二本使っていいぜ。その代わり、手加減は無しだ」

 言われた宝子は少しむっとした表情をする。負けず嫌いの顔だ。

「いいえ、私も片腕で大丈夫です」

 そう言って、肘を机の上に乗せた。志度は彼女のやる気満々の態度を見て「へぇ……これは楽しめそうだぜ」と呟いて、その手を握った。そして机に腹をくっ付け、肘を直角にする。これは沖縄にいた頃、自衛官の一人に教わった腕相撲のコツで、こうすることで力が入りやすくなるのだ。完全に手加減無用の姿勢である。

「それじゃあいくぜ……三、二、一、〇!」

 カウントダウン直後、掛かった荷重の重さに、机がミシリと音を立てた。二人の細い腕はぷるぷる震えたまま、どちらの方向にも傾かない。しかし、そこにどれだけの力が込められているかは、二人の額に流れた脂汗が物語っていた。

 志度は驚愕した。まさか、こんな所に、これだけの力を持った相手がいるとは……!

「やるじゃないか宝子、正直侮ってたぜ……!」

「志度お兄さんこそ、凄い力ですね……!」

 どちらからでも無く笑い合う二人、完全に拮抗した力は、机に更なる重圧を掛け――そして、べきっと小気味の良い音を立てて、机に亀裂が入った。

「「あっ」」

 流石に机が壊れるのは想定していなかった二人は、思わず手を離して腰を浮かせてしまった。この勝負、ノーゲームである。綺麗に真っ直ぐ亀裂が入った机を前に、二人の間を気不味い空気が流れる。

「……剣斗とやるときは、床で寝そべってやった方がいいな」

「……そうですね」

 いそいそと机の上にお茶菓子を並べ直し、新しくお茶を入れ直す宝子、椅子に座る志度。

「まぁ、あれだな。今みたいな感じで力を発散すればいいと思うぜ」

「そうですね、今のだけでもちょっとすっきりしましたし」

「相手に困ったら心視か比乃に頼むと良いぜ、潔く受けてくれるだろうし」

「浅野お姉さんはともかく、日比野お兄さんも?」

「あれでも結構比乃も鍛えてるんだぜ?」

「へぇ……」

 少し意外そうな宝子に、志度は「一度手合わせしてみれば解るぜ!」など、比乃がその場にいたら「やめて腕の骨折れちゃう」と言って全力で拒否しそうな話をしながら、二人はお茶をずずずと啜った。
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