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第十三話「訓練と教官役の苦労について」
直談判
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翌日からの訓練もまた、地獄であった。
時刻は〇六〇〇。起床ラッパの放送が宿舎に鳴り響き、一部はその音に反応して、またある者はその大音量に耐えかねて、目をこすりながら起床する。
この教育隊の訓練生の朝は、他の教育隊に比べるとかなり緩い始まりである。お喋りをしながら悠々と下にジャージ、上に作業着と言った格好に着替えるのだ。
今朝の話題は勿論、昨日の異例の訓練について、そして新しくやってきた教官への不平不満であった。
「ほんと信じらんないよねあのちびっこぉ、午後は座学だから良かったけどさ」
「丸一日あんなのやらされたら死んじゃうって、あーあ、早く元通りにならないかなぁ」
などと、この部屋のきゃっきゃと話している宿舎の部屋は、かなり散らかっていた。すでに教官による台風(場荒らし)が行われた後のような、本来ならばあり得ない状況であった。
しかし、過去に女性自衛官がいないために男性自衛官が代理として内務点検を行った際、とある事情で大騒ぎに発展してしまったことがあった。
それ以来、点検の頻度はかなり減り、行われるにしても、事前の通告が必ず行われ、抜き打ちの台風などは、ほとんど行われなくなってしまったのだ。
本当の本当に例外中の例外である。繰り返すが、通常の教育隊ではあり得ないことである。
そんなこんなで聖域と化した宿舎は、文字通り女性訓練生の天下だったのだが、今回ばかりはそうとは行かなかった。
突然、他の部屋から悲鳴が上がり、荷物を地面にぶちまける音が響いた。更に、もう聞きたくなかった、あの小さい悪魔の怒鳴り声が聴こえてくる。
同室の四人がまさかと顔を見合わせた直後、着替え中の部屋の扉を開け放ち、悪魔が乗り込んできた。
悲鳴を無視して行われた抜き打ち点検の結果は言うまでもなく、全員が廊下で腕立て伏せをさせられる羽目になった。
時刻〇八〇〇。
普段よりも念入りに清掃を行い、朝食を取り終えて、所定の位置に集まった十八人の抗議の目線を受け止めながら、昨日と全く変わらない様子で比乃は団体の前に立った。
今回、清水一尉は参加していなかった。今頃、溜まっていた書類の処理ができると、喜んで自分のデスクに向かっているはずだ。
「それでは体操も終えましたし、事後の行動について示します」
昨日の始めに比べると柔らかい口調に、訓練生達は内心でほっと胸を撫で下ろしたが、示された訓練内容は全く柔らかくはなかった。比乃は今朝の点検の時に見せた、威圧的な表情を潜めて、和かな表情で訓練内容を告げた。
「まずスクワットを合計五百回、続けて腕立てをこれも合計三百回。笛を鳴らしたら下げて、もう一度鳴らしたら上げてください」
言って笛を取り出した小さい教官の言葉を、聞き間違えたのかと思った何人かがもの問いたげな表情を浮かべた。
代表して菊池が「三曹殿、質問があります!」と手を挙げたが、比乃が先回りして「聞き間違えじゃないですよ」と言って口元に笛を持っていき
「用意!」
笛の甲高い音に合わせて、訓練生達は泣きそうな顔で黙々と身体を動かすしかなかった。
そして、用意されていた訓練……何十分も続く懸垂。AMWを使って調達した丸太の上げ下げ、それを担いだままの持久走などなど。AMWの機士教練としては常軌を逸している訓練を終えた第八教育隊の面々は、昨日から何度目か、地面に転がって息も絶え絶えになっていた。
ほとんどの者は、昼飯すら喉を通らないほどに疲弊している。
遠巻きにそれを見つめる三人の三曹が「やっぱりゴムボートがないと」「近くに水場がない」「プールでも借りるか」などと不穏な会話をしているのは、今度こそ聞き間違いだと思いたい。
「こんなん……本当に機士に関係あるのかよ……」
倒れている鈴木が、捻り出すように呟いた。そうして倒れている内に、終業のラッパが鳴った。
* * *
このような訓練が続いて四日目。その日の訓練を終えて夕食、入浴を終えて、三人部屋になっている自室で、死んだようにベッドに横たわっていた菊池、鈴木、斎藤の三人だったが、一時間ほど休憩してから、遂に菊池が爆発した。
「もう我慢の限界! こうなったら直談判だよ直談判!」
がばっと身を起こして叫んだ菊池に、鈴木がうんざりした様に、一応聞いてみる。
「一応聞いとくけど、誰に」
「もちろん、日比野三曹達にだよ!」
ベッドから降りようとして、足に来ていたのか「ああっ!」と地面に転がり落ちる。なんとか立ち上がって「有紀ちゃんも沙代ちゃんも言いたいことあるんじゃないの?!」と、寝転んでいる二人の枕元に言って騒ぎ立てる。
あの三人は、訓練以外では訓練生たちと極力関わろうとしない。食事も別の食堂で取るし、休憩時間中は借りている部屋から出てこない。訓練が終われば、さっさと帰宅するか部屋に籠るかしてしまうのだ。
二人はかなり鬱陶し気だったが、あの三人、特に比乃に言いたいこと、聞きたいことがあるというのは否定しなかった。顔を寄せて来た最年少を押しのけながら、鈴木が独り言のように呟く。
「まぁ、確かにこの極悪な筋トレが意味がある訓練なのか、それともただの虐めなのかっていうのは、聞いておきたいところだ」
鈴木は、少し捻くれた思考に至っていた。あの三人は、自分たちに自衛隊を辞めさせるために送り込まれた刺客なのではないかと、疑っているのだ。
「日比野三曹の強さは本物だった……けれど、今行なっている訓練がAMWの操縦技術に繋がるとは到底思えないわ」
あの日、初日の模擬戦で自身のプライドを見事に叩き折られた斎藤は、リベンジといつかあの三曹を超えるという熱い志しを抱いていたが、それでやらされているのが延々と基礎体力訓練である。不満がないわけがなかった。
こうして、一致団結した三人は、教官達が間借りしているという個室へと向かったのだった。
時刻は消灯前の十時。相手の迷惑を考えるような余裕は、三人の頭にはなかった。
***
結論から言うと、教官達三人は留守であった。今日はもう自宅に戻ってしまったのだろうか……三人が空回りしたこの気持ちをどうしようかと、その場でしばらく立ち尽くしていた。すると、廊下の先の曲がり角の向こうから、三人分の足音が聞こえて来た。
誰かがこっちに来る。教官達だろうか、消灯時間間際に、ここにいるのをなんて答えようか、などと、今更になって三人が慌てていると、もはや見慣れた小柄な教官たちが現れた。
しかし、どの顔も(一人、心視だけは無表情でよくわからなかったが)明らかに疲れていた。その腕には、分厚いファイルや数冊のノートを抱えている。
「さ、三曹殿?」
思わず声をかけると、先頭にいた比乃が「あれ、菊池二士、何か用ですか?」と疲れを見せないように背筋を伸ばした。昼間は気付かなかったが、その目元には薄っすらと隈が浮かんでいる。
こんな遅くまで何をしていたのだろう、斎藤が比乃たちが手にしているファイルを盗み見る。それは過去に行われた訓練についての資料であった。ノートには誰が書いたのか達筆な文字で「第三師団式訓練法」と書かれており、付箋がいくつも飛び出ていた。
それに同じく気付いた鈴木も、斎藤と同じ考えに至る。この小さい教官達は、訓練が終わってからもこの時間まで、自分たちに課す訓練内容について議論や検討、話し合いをしていたのだろう。恐らくは、毎日。
「あの、三曹達は今まで何を?」
ただ一人、鈍感な菊池が聞いたが、比乃はそれを無視して「明日も朝早いから、早く寝たほうが良いですよ」と、志度と心視を引き連れて個室に入ろうとする。が、それを菊池が遮って止めた。
「三曹殿、お話したいことがあります!」
鈴木と斎藤が「おいちょっと」と止めるのを無視して、不思議そうな顔をする比乃に言ってのけた。
「三曹殿達は、私達を自衛隊から追い出そうとしているのですか?!」
そう言ってやった、という顔をしている菊池の後ろで「マジで言ったよこいつ」という風に頭を抱える同期二人には気付かない。
数秒してから「あっ」と自分が放った言葉の意味を理解した菊池だったが、もう引っ込みが付かないとばかりに、自分より身長が低い上官に「どうなんですか!」と詰め寄る。
思わず比乃が「おおう」と後ずさって、隣の志度と心視と顔を見合わせてから
「……とりあえず、中で話しませんか。コーヒーくらいは出しますよ」
と、少し困った風に言った。その顔は、自分たちを扱く鬼軍曹ではなく、見た目通りの少年のように見えた。
時刻は〇六〇〇。起床ラッパの放送が宿舎に鳴り響き、一部はその音に反応して、またある者はその大音量に耐えかねて、目をこすりながら起床する。
この教育隊の訓練生の朝は、他の教育隊に比べるとかなり緩い始まりである。お喋りをしながら悠々と下にジャージ、上に作業着と言った格好に着替えるのだ。
今朝の話題は勿論、昨日の異例の訓練について、そして新しくやってきた教官への不平不満であった。
「ほんと信じらんないよねあのちびっこぉ、午後は座学だから良かったけどさ」
「丸一日あんなのやらされたら死んじゃうって、あーあ、早く元通りにならないかなぁ」
などと、この部屋のきゃっきゃと話している宿舎の部屋は、かなり散らかっていた。すでに教官による台風(場荒らし)が行われた後のような、本来ならばあり得ない状況であった。
しかし、過去に女性自衛官がいないために男性自衛官が代理として内務点検を行った際、とある事情で大騒ぎに発展してしまったことがあった。
それ以来、点検の頻度はかなり減り、行われるにしても、事前の通告が必ず行われ、抜き打ちの台風などは、ほとんど行われなくなってしまったのだ。
本当の本当に例外中の例外である。繰り返すが、通常の教育隊ではあり得ないことである。
そんなこんなで聖域と化した宿舎は、文字通り女性訓練生の天下だったのだが、今回ばかりはそうとは行かなかった。
突然、他の部屋から悲鳴が上がり、荷物を地面にぶちまける音が響いた。更に、もう聞きたくなかった、あの小さい悪魔の怒鳴り声が聴こえてくる。
同室の四人がまさかと顔を見合わせた直後、着替え中の部屋の扉を開け放ち、悪魔が乗り込んできた。
悲鳴を無視して行われた抜き打ち点検の結果は言うまでもなく、全員が廊下で腕立て伏せをさせられる羽目になった。
時刻〇八〇〇。
普段よりも念入りに清掃を行い、朝食を取り終えて、所定の位置に集まった十八人の抗議の目線を受け止めながら、昨日と全く変わらない様子で比乃は団体の前に立った。
今回、清水一尉は参加していなかった。今頃、溜まっていた書類の処理ができると、喜んで自分のデスクに向かっているはずだ。
「それでは体操も終えましたし、事後の行動について示します」
昨日の始めに比べると柔らかい口調に、訓練生達は内心でほっと胸を撫で下ろしたが、示された訓練内容は全く柔らかくはなかった。比乃は今朝の点検の時に見せた、威圧的な表情を潜めて、和かな表情で訓練内容を告げた。
「まずスクワットを合計五百回、続けて腕立てをこれも合計三百回。笛を鳴らしたら下げて、もう一度鳴らしたら上げてください」
言って笛を取り出した小さい教官の言葉を、聞き間違えたのかと思った何人かがもの問いたげな表情を浮かべた。
代表して菊池が「三曹殿、質問があります!」と手を挙げたが、比乃が先回りして「聞き間違えじゃないですよ」と言って口元に笛を持っていき
「用意!」
笛の甲高い音に合わせて、訓練生達は泣きそうな顔で黙々と身体を動かすしかなかった。
そして、用意されていた訓練……何十分も続く懸垂。AMWを使って調達した丸太の上げ下げ、それを担いだままの持久走などなど。AMWの機士教練としては常軌を逸している訓練を終えた第八教育隊の面々は、昨日から何度目か、地面に転がって息も絶え絶えになっていた。
ほとんどの者は、昼飯すら喉を通らないほどに疲弊している。
遠巻きにそれを見つめる三人の三曹が「やっぱりゴムボートがないと」「近くに水場がない」「プールでも借りるか」などと不穏な会話をしているのは、今度こそ聞き間違いだと思いたい。
「こんなん……本当に機士に関係あるのかよ……」
倒れている鈴木が、捻り出すように呟いた。そうして倒れている内に、終業のラッパが鳴った。
* * *
このような訓練が続いて四日目。その日の訓練を終えて夕食、入浴を終えて、三人部屋になっている自室で、死んだようにベッドに横たわっていた菊池、鈴木、斎藤の三人だったが、一時間ほど休憩してから、遂に菊池が爆発した。
「もう我慢の限界! こうなったら直談判だよ直談判!」
がばっと身を起こして叫んだ菊池に、鈴木がうんざりした様に、一応聞いてみる。
「一応聞いとくけど、誰に」
「もちろん、日比野三曹達にだよ!」
ベッドから降りようとして、足に来ていたのか「ああっ!」と地面に転がり落ちる。なんとか立ち上がって「有紀ちゃんも沙代ちゃんも言いたいことあるんじゃないの?!」と、寝転んでいる二人の枕元に言って騒ぎ立てる。
あの三人は、訓練以外では訓練生たちと極力関わろうとしない。食事も別の食堂で取るし、休憩時間中は借りている部屋から出てこない。訓練が終われば、さっさと帰宅するか部屋に籠るかしてしまうのだ。
二人はかなり鬱陶し気だったが、あの三人、特に比乃に言いたいこと、聞きたいことがあるというのは否定しなかった。顔を寄せて来た最年少を押しのけながら、鈴木が独り言のように呟く。
「まぁ、確かにこの極悪な筋トレが意味がある訓練なのか、それともただの虐めなのかっていうのは、聞いておきたいところだ」
鈴木は、少し捻くれた思考に至っていた。あの三人は、自分たちに自衛隊を辞めさせるために送り込まれた刺客なのではないかと、疑っているのだ。
「日比野三曹の強さは本物だった……けれど、今行なっている訓練がAMWの操縦技術に繋がるとは到底思えないわ」
あの日、初日の模擬戦で自身のプライドを見事に叩き折られた斎藤は、リベンジといつかあの三曹を超えるという熱い志しを抱いていたが、それでやらされているのが延々と基礎体力訓練である。不満がないわけがなかった。
こうして、一致団結した三人は、教官達が間借りしているという個室へと向かったのだった。
時刻は消灯前の十時。相手の迷惑を考えるような余裕は、三人の頭にはなかった。
***
結論から言うと、教官達三人は留守であった。今日はもう自宅に戻ってしまったのだろうか……三人が空回りしたこの気持ちをどうしようかと、その場でしばらく立ち尽くしていた。すると、廊下の先の曲がり角の向こうから、三人分の足音が聞こえて来た。
誰かがこっちに来る。教官達だろうか、消灯時間間際に、ここにいるのをなんて答えようか、などと、今更になって三人が慌てていると、もはや見慣れた小柄な教官たちが現れた。
しかし、どの顔も(一人、心視だけは無表情でよくわからなかったが)明らかに疲れていた。その腕には、分厚いファイルや数冊のノートを抱えている。
「さ、三曹殿?」
思わず声をかけると、先頭にいた比乃が「あれ、菊池二士、何か用ですか?」と疲れを見せないように背筋を伸ばした。昼間は気付かなかったが、その目元には薄っすらと隈が浮かんでいる。
こんな遅くまで何をしていたのだろう、斎藤が比乃たちが手にしているファイルを盗み見る。それは過去に行われた訓練についての資料であった。ノートには誰が書いたのか達筆な文字で「第三師団式訓練法」と書かれており、付箋がいくつも飛び出ていた。
それに同じく気付いた鈴木も、斎藤と同じ考えに至る。この小さい教官達は、訓練が終わってからもこの時間まで、自分たちに課す訓練内容について議論や検討、話し合いをしていたのだろう。恐らくは、毎日。
「あの、三曹達は今まで何を?」
ただ一人、鈍感な菊池が聞いたが、比乃はそれを無視して「明日も朝早いから、早く寝たほうが良いですよ」と、志度と心視を引き連れて個室に入ろうとする。が、それを菊池が遮って止めた。
「三曹殿、お話したいことがあります!」
鈴木と斎藤が「おいちょっと」と止めるのを無視して、不思議そうな顔をする比乃に言ってのけた。
「三曹殿達は、私達を自衛隊から追い出そうとしているのですか?!」
そう言ってやった、という顔をしている菊池の後ろで「マジで言ったよこいつ」という風に頭を抱える同期二人には気付かない。
数秒してから「あっ」と自分が放った言葉の意味を理解した菊池だったが、もう引っ込みが付かないとばかりに、自分より身長が低い上官に「どうなんですか!」と詰め寄る。
思わず比乃が「おおう」と後ずさって、隣の志度と心視と顔を見合わせてから
「……とりあえず、中で話しませんか。コーヒーくらいは出しますよ」
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