貴方の憎しみ譲ってください

REON

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二章

10

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さっき通って来た駅に居ることを聞いて通話を切る。
あれからカラオケはお開きになったのか、電話のために抜け出したのか、先に帰って来たのか知らないけど。

「まだ怒ってる?」
「行きなよ。僕は仲間と遊ぶから」

背後にしゃがんで訊くとミルクは振り向きもせず答える。
俺の会話である程度のことは理解できたようだ。

「ミルク」
「バイバイ。気を付けてね」

そんなあっさり。
もう俺には興味がないと言われた気分になる。
見知らぬ人に暴言を吐いて走らせたり、膝の上に座ると離さなかったり、急に遊ばないと怒ったり、本当に気まぐれだ。

「……じゃあ。ミルクも気を付けて」
「うん」

振り向かないまま終わり。
本当に俺には興味がなくなってしまったんだろうか。

また燻る感情。
一緒に居たいのは俺だけ。
どうすれば振り向くのかと考えているのも俺だけ。

「なあ、ミルク」

耐えきれず肩に手を添えて引き寄せると、バランスを崩した軽い身体は呆気なく俺の腕の中に収まる。

「…………」

俺を見上げる大きな目。
その目に誘われるように口唇を重ねた。

「僕と遊びたいの?」

口唇の距離をあけるとミルクはそう問う。
また笑みで口元を歪ませて。
返事の代わりに再び重ねた口唇は反応がない。
あの時と同じ。お兄さんと同じ。

「口開けて」

急く思いで柔らかい口唇に触れる。

「開かせてみなよ。必要なら開くから」

皮肉に歪む口唇。
いつだってこの猫は挑発的だ。

もう堪えられない。
身体を起き上がらせ白く細い手を掴んで猫たちからジッと見られながら公園を出た。

一番近くのホテルに入りランプがついてる部屋の番号を押して出てきたルームキーカードを取ってエレベーターに乗る。

「そんなに急がなくても逃げないよ」

自分でも焦っていることは分かってる。
逃げられるという思いじゃなくて自分が早く行きたいだけ。

今まで俺だって純粋に生きてきた訳じゃない。
でもこんなに焦燥感に駆られたことは初めて。
それだけこの猫に夢中ということなのか、ただ欲求を解消したいだけなのか、自分でも分からないけど。

エレベーターが開いてすぐに歩き出すとミルクは笑う。
笑われても構わなかった。
そもそもこの猫とは出会い方からしておかしかったから。

目的の部屋に着いてそのまま。
ドア以外の設備に触れることさえせず手を掴んでいた猫をベッドに押し倒す。

「僕お風呂入る」
「後で」
「駄目だよ。僕の仲間たちを触ってたんだから」

……言われてみれば俺も。
撫でたり舐められたりした手でミルクに触るのは怖い。

「一緒に入って洗ってよ。洗うの苦手なんだ」

出鼻を挫かれた気分の俺に笑いながら身体を起こしたミルクは首に腕を絡める。

柔らかい口唇。
重ねては離れて小さな笑い声を洩らす。
やはり重なっている間は反応がないけど。

口唇を笑みで歪ませたミルクは自分の服に手をかける。
見えた腹部は白く、釣られるようにそこに口唇を寄せた。

自分で脱ぐミルクに代わって脱がせて行く。
その間ミルクは一切表情を変えないまま。
真っ直ぐ俺と目を合わせ笑みで口元を歪ませ、急くこちらの感情など見透かしてるかのように黙って俺のことを見ていた。

細く白い猫。
気まぐれでワガママな猫。
不思議で奇妙な猫。
長い黒髪の黒猫。


「ねえ。電話が鳴ってる」

バスタブにお湯を張ってる間にミルクの身体を洗っているとそう言われて手を止める。

「待たせてたんじゃなかった?」
「あ」

言われて思い出して声が洩れる。
素で忘れてたけど椎名さんに行くと言ったんだった。

「行きなよ」
「行かない」

気まぐれな猫を手放して行く気にはならない。
やっとこうして俺に身体を預けてくれたと言うのに。

「良いの?家に居るんじゃないんだよね?外で待ってる女の子をそのまま放置して後悔しない?」

そこは気にならない訳がない。
行くと言ったからまだ駅に居るだろう。
電話に出ないからと諦めて帰ってくれるなら良いけど。

「……ごめん。連絡だけはさせて」

やっぱり駄目だ。
このまま放っておくのはさすがに酷い。
ホテルに連れてきておいて他の子に連絡をするなんて怒って帰られても当然の頼みであることは分かっているけど、それだけはさせて欲しいとミルクに頼む。

「うん。早く連絡してあげなよ」

またあっさり。
やはり俺の存在は気にするまでのものではないのかと、頼んでおいて思う俺はワガママだと思う。
ミルクと居る時の俺は自分でも思うくらいワガママだ。

「僕はツトムに後悔して欲しくない。気に入ったから」
「………」
「早く。今頃変な男から声かけられてるかもよ?」

そう言われて急いで泡のついた自分の手と身体を流すとミルクは笑う。

「終わったら構われてあげる」
「うん。ごめん。ありがとう」

足だけ拭いてタオルを腰に巻いて部屋でスマホを手に取る。
着信があったことを報せる通知には予想通り椎名さんの番号が出ていて、そこから電話を鳴らした。

『はい』
「待たせてごめん」
『もう着いた?どこ?』
「ごめん。やっぱり行かない」

行けなくなった理由を作った方が親切なんだとは思う。
ただもうその場逃れはせず、行けないのではなく行かない方を選んだことを伝える。

『あの人に行かないでって言われた?』
「ううん。俺が自分で決めて行かないことにした」
『………』
「夜に一人で居るのは危ないから帰った方が良い。俺が行くことはないから。待たせたのにごめん。それだけ伝えたかった」

俺が気になったのは駅に独りで居させてること。
ミルクに夢中で忘れてしまうほどの感情しかない。
椎名さんに好意があって気にしたのではなく、女性が夜に独りで居ることが心配だっただけ。

ミルクはそんな俺の考えが分かったんだと思う。
だから『外で待ってる子を』というような言い方をしたんだろう。

「じゃあ」

無言の椎名さんの返事を待たずに通話を切る。
もっと思いやりのある断り方もあったんじゃないかとも思うけど、今の俺に出来たのはこんな突き放す伝え方。

もしそれでも話したいと言うなら後日聞くけど、今はミルクと居ることと椎名さんの話を聞くことのどちらを優先するかと考えると、悩むことなく気まぐれな黒猫と居ることを選ぶ。

椎名さんに対しては最初から答えが出ている。
俺にとって椎名さんはクラスメイトという以上の感情はない。

一息つきスマホをテーブルに置いてバスルームに戻ろうと向かっていると再びスマホが鳴る。

「……?」

この音は電話でもコミュニケーションアプリでもない。
何の音だったかと思いながら戻って確認するとショートメールのマークが付いていた。

そう言えばこんな機能もあったなと滅多に使われないそれを開くと『助けて』の文字が。
チェーンメール的な物かと思い1つバックすると、それを送ってきた相手の番号が椎名さんのものだった。

切った後に何かあったのかと急いで電話をすると呼び出し音は鳴っているものの通話にならない。
電話に出られないような状況なのかも知れないから使ったことがないショートメールで『どうした?』と送る。

[変な人たちが。隠れてるから電話は]
[変な人たちって?]
[怖い助けて]

質問には答えてくれずまた助けてと返ってきて、そんなに逼迫した状況なのかとスマホを持ったままバスルームに走った。

「ミルク!」
「どしたの?」
「椎名さんが変な人たちにって!」

のんびりバスタブに浸かっていたミルクは俺を見上げると首を傾ける。

「さっきの話?」
「さっき?」
「ううん。その変な人たちが何だって?」
「怖い助けてってショートメールが」

スマホの画面を見せるとミルクは「え?」と洩らす。

「……それで?僕にそれを言いに来た理由は?」
「行って来るから待ってて欲しい」
「ん?僕も一緒に来てって話じゃなくて?」
「危ないから連れて行かない。でも助けてって言ってる人を放っておくことも出来ない。だから待ってて欲しい」

助けてと連絡が来るような場所にミルクを連れて行けない。
でもミルクとこれっきりになるのも嫌だ。
だから勝手なことだと分かってても待っていて欲しい。

「ツトム」

ミルクは声をあげて笑うと手招き、手招かれた俺はミルクの前に行ってしゃがむ。

「行ってらっしゃい」

そう言って重なった柔らかい口唇。
初めてミルクの方からキスをされた。

「ごめん。戻って来るから」
「気を付けて。君は僕のものになる予定だから」

濡れた肌と雫の落ちる黒髪。
怖いくらいに綺麗な顔で微笑してもう一度口づけてくる。

このまま離れたくない。
もっとこの気まぐれな黒猫を自分のものにしたい。
そんな飢えた感情を必死に堪えて白い両頬に添えていた両手を離した。







「誰かな誰かなー?浮気してるビッチ」

光のない闇でピエロはバスタブに浸かっている女性に問う。

「緋色良いの?クロ浮気してるよ?」
「………」
「あっそう。相変わらず淡泊だね。君たち」

緋色とクロを交互に見たピエロは悩ましい溜息をつく。

「変な人って何のこと?ナンパは電話の前じゃなかった?」
「そうだよ。されたけど無視してた」
「じゃあなに?変な人たちって誰のこと?」
「架空の人物」
「架空?」

肩にお湯をかけていたクロは手を止めてピエロを見る。

「誰も居ない。今もあの子は独りで駅に居る」
「え?」
「凄いよねー。必死になった恋する乙女って。予定外のことしてくれちゃうんだから。僕たちも吃驚だよ。怖い怖い」

萌葱から独りで居ると聞いて首を傾けたクロは、ピエロの話でそういうことかと理解して笑い声を洩らす。

「それで?この後は?」
「告白するんじゃない?一応青藍が見張ってる」
「こんな呼び出し方をして告白?」
「まあ怒るだろうね、ツトム君。どちらにせよ付き合うつもりはなかったみたいだから結果は同じだけど」

萌葱の話にくすっと笑ったクロは無言で脚を撫でているピエロにお湯をかけて立ち上がる。

「同じじゃないよ。欲望をくすぐる僕が目の前にいるのに流されないくらい本気で心配して助けに行ったから。予定通りならツトムにとってあの子はクラスメイトのままだけど、タチの悪い嘘だったって知ったら嫌いになる。友達と嫌いな人の差は大きい。方法を間違ったね。あの子」

寝転がって下から眺めているピエロの顔を踏みながらクロは笑い声をあげる。

「拭いて緋色」
「………」
「僕が拭いて」
「うるせ」
「あぅ……やっと叩いてくれた。気持ちいい」

頬を押さえて恍惚とするピエロを見る萌葱の目は冷ややか。
黙っていれば男前なのに、と。

「ツトム君のことどうするつもり?女型にまでなって」
「僕のものにする」
「やっぱり」
「だって気持ち良いんだ。ツトムの闇。気に入った」
「ねえねえ良いの?緋色」
「………」
「あっそう。まあ僕は仲間が増えるのは大歓迎だけど」

身体や髪を拭いた緋色にクロは手を伸ばして抱き上げられる。

「男と女どっちが好き?今はどっちも生殖機能ないけど」
「………」
「考えといてね。緋色も僕のなんだから」

そう言って笑ったクロは緋色の首に噛みつく。

「そろそろ駅につく頃かな?僕はまた憎しみの連鎖の続きを楽しませて貰うよ。新しいお客さまのために深い深い真っ黒な憎しみを上手く繋いでね。ツトム君」

ピエロは立ち上がると口元を笑みで歪ませた。

 
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