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第十三章 進化
果樹園
しおりを挟む「立派な果樹園ですね」
「ありがとうございます」
開いていた門を通って見えたのは樹々が並ぶ果樹園。
綺麗に並んだそれらの樹々には果物がなっている。
「遅かったね。何かあった?」
「途中でレアンドルさまたちに会って」
「そうだったの。ご挨拶はした?」
「もちろん」
「そう」
既に準備が終わって待っていたらしく、アリアネ嬢は夫人に時間がかかった理由を説明する。
「私と主人はここで収穫の続きをいたしますので、よろしければ中を見て回ってください。もし気になる果物があった際にはレオポルトに言ってくだされば収穫してくれますから」
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて」
夫妻はさっき落としてしまったパルファンをもう一度収穫するらしく、お言葉に甘えて広い果樹園を案内して貰う。
「ベリー種も扱っているのですね」
「樹になる果物は大抵育ててます」
腰の高さほどの低い樹に実る黒いベリーや赤いベリー。
パルファンは脚立が必要な背の高い樹だったけど、区間で分けて育てているようだ。
パルファンやアプールやベリー類。
中規模の果樹園だからそれぞれの樹の本数は多くないけど、種類は多いし立派な実がついている。
「実のついていない樹はあえてですか?」
「はい。今は芽の時点で摘んで収穫量を減らしてます。苦労して実らせても売れなければ廃棄になってしまいますから」
エドの疑問に答えたレオポルト。
同じ種類の果物の樹でも実がなってる樹と一つもなってない樹があると思ってたけど、エドもそれが気になったようだ。
「お話ししてましたね。ブークリエでの販売を考えてると」
「ああ。見ての通り減らしてはいるが、あの店で販売するだけでは今後も続けて行くのは難しい。来てくれるのは街で暮らしている一般国民ばかりだから高価な果物も置けない」
「もう一つ他にも果樹園があって以前はそちらで貴族に販売する用の高価な果物を作っていたんですが、お店に置いても売れないので一時的に生産を辞めています」
そんな内情を聞かせてくれるレオポルトとアリアネ嬢。
貴族に買って貰えるよう爵位を買ったのに商人貴族と蔑まれて買って貰えないというような話をしてたけど、そうなると一般国民が手を伸ばし難い高価な果物の生産は止めるしかない。
「質はいいのに」
「ありがとうございます。そう言って貰えると嬉しいです」
話を聞いた時には貴族が買わない理由を二人が言う通り身分がネックなのか質の問題なのか判断ができなかったけど、手入れの行き届いた果樹園や実ってる果物を実際に見ると一般国民が手に入れ易い価格の果物でも質がいいのが分かる。
つまり金で爵位を買った商人貴族というのが売れない理由。
「自分で収穫してみるか?」
「え?よいのですか?」
「遠くまで来てくれたのだから、ただ購入するというだけでなく自分で選んで収穫するのも良い体験になるだろう」
「ありがとうございます」
「先に見本でやってみせよう」
目の前の樹からアプールを一つ収穫するレオポルト。
実に近い部分の茎をハサミを使ってパチンと切って俺にそのハサミを渡した。
「好きなアプールを収穫するといい」
「はい」
そう話しながら魔導鞄から出した脚立を用意してくれる。
「これを」
「お預かりします」
丈の長いコートを脱いでエドに預けて脚立に足をかけた。
「お気をつけて」
「ありがとうございます」
左右から脚立を押さえてくれるレオポルトとアリアネ嬢。
普段の姿なら翼で飛んで樹の天辺にあるアプールでも収穫できるけど、今日はメテオールの姿だから用意してくれた脚立を上がっていく。
「お兄さま!横を向いてください!」
「ん?」
「見えてしまいます!」
「見えて……ああ」
登ってすぐアリアネ嬢が言ったそれで下着の話かと気付く。
今日の衣装は総領がデザインした地球人風の洋服だからスカートも短くて(この世界の一般的なスカートの長さからすれば)、下から見あげたらたしかに下着が見える。
「押さえるのは私が代わりましょう」
「お願いします」
レオポルトと代わったベル。
エミーと同じく女という性別をどこかに落として来た動きやすさ重視のベルにとっても『たかが下着くらい』という感覚だろうけど、お年頃のレオポルトには教育上よろしくないと思ったのかサッと代わった。
因みに俺も自分のことには無頓智。
変身した自分の身体が身につけてる下着が見えることを気にしたこともないし、見えたところで恥じらいもない。
見えてたらダラしないからという理由で見えていないかを気にすることはするけど。
「採れました!」
「気をつけて降りてくださいね!」
「はい!」
樹の中間辺りで見つけたアプール。
綺麗な真っ赤でツヤのあるずっしりとしたそれを収穫して脚立を降りた。
「やっぱりメテオールは面白いですね」
「え?」
「貴族のご令嬢だから高い所は怖いんじゃないかと心配だったんですけど、怖がりもせず軽快に登って少し驚きました」
地面に降りたことを確認してアリアネ嬢はそう言うとクスクス笑う。
「言われてみればそうか。体験入学で参加した練習試合の印象が強いからか普通のご令嬢の感覚がなかった。一般的な貴族令嬢であれば脚立に登ったり自分で収穫するのを嫌がるか」
アリアネ嬢の発言で気付いたらしくレオポルトは今になって納得したように頷く。
「そうですよ。メテオールや従者のお二人のお心が広いから許して貰えてますけど、本当なら自分で収穫させようとした時点で無礼だと怒られてもおかしくなかったんですからね!」
「す、すまない」
詰め寄るアリアネ嬢と謝るレオポルトに笑う。
まあ普通の令嬢ならたしかに断っただろうし、普通の従者なら主人に何てことをさせようとしてるんだと止めただろう。
「大丈夫です。そもそも私が蝶よ花よと過保護に育てられていたら剣を握って戦うような令嬢にはなっておりません。従者兼護衛として同行してくれてる二人も私が戦えることを知っていますし、孅い令嬢ではないことも知ってますから、余程のことでもない限り私の意思を尊重して自由にさせてくれます」
極論を言えば俺に護衛は要らない。
だからエドとベルは一緒に観光にきた友人や家族の感覚。
地上でも魔界でも仰々しい肩書きが付いてるから形として護衛と言ってるだけで。
「たしかにメテオール嬢は他の令嬢とは違う。だが身体が細くて小さ過ぎるだけに迷子になりそうな不安が拭えない」
「お兄さま!」
また怒られるレオポルトにエドとベルと俺は笑う。
レオポルトから見ると俺は目を離した隙に迷子になりそうな子供に見えてるようだ。
「待て」
怒られてる最中にアリアネ嬢を止めたレオポルト。
空を見上げたのに釣られて俺たちも見上げる。
「鳥獣が居る」
「もう匂いを嗅ぎつけたようですね」
「ああ」
果樹園の上を飛び回っている七匹の鳥。
鳥と言っても地球に居る鳥とは違って攻撃的な魔物だ。
「お母さまたちを呼んできますか?」
「いや。仲間を呼ばれる前に早く倒さないと」
「倒してしまってもいいのですか?」
「え?はい。ここの果物を狙っているので」
深刻な顔で話していたレオポルトとアリアネ嬢に確認したエドはベルと軽く目を合わせる。
「お嬢さまは私たちと魔物の回収をお願いできますか?風魔法を使うと果樹を傷つけてしまいそうなので武器で倒します」
「分かった」
剣やサーベルを抜いたエドとベルは俺に回収を頼むと自分の水魔法で作った氷の階段を駆け上がり空に居る七匹の魔物をあっという間に倒した。
「す、すご」
二人の氷の階段が消えたことを確認して落下してくるエドやベルと七匹の魔物をキューブで覆って地面に降ろす。
「お疲れさま」
「はい。回収ありがとうございました」
「ありがとうございます」
自分の武器にリフレッシュをかけるエドとベルは何事もなかったかのようにケロッとしている。
元から獣人族は身体能力が高い種族ではあるけど、それにプラスして散々魔王から鍛えられた二人は魔法の発動の速さも駆け上がる足の速さも軽快な身のこなしも既に群を抜いていて、この程度のことは造作もない。
「お二人もメテオール嬢もレベルが違うな」
「うん。みなさんありがとうございました」
「お蔭で果樹園を荒らされずにすみました」
「どういたしまして」
「「お役に立ちましたなら幸いです」」
深々と頭を下げてお礼をするレオポルトとアリアネ嬢に軽く答えて鳥の魔物を確認する。
「この鳥、美味しいらしい」
「そうなんですか?初めて見る魔物ですが」
「私も初めてです。地域固有の魔物でしょうか」
「その魔物ならアルク国の森に行けば沢山居ます。畑の穀物や果樹園の果物を荒らすので私たち生産者には天敵ですけど」
俺の隣にしゃがんだエドとベルに鑑定で出た結果を話すとアリアネ嬢が苦笑しながら教えてくれる。
「厄介なことにコイツらは仲間を呼ぶ。数匹に荒らされるだけならまだ限定的な被害で済むが、仲間を呼ばれると下手をすれば数百匹と集まって荒らしてくる。だから発見したら仲間を呼ばれる前に倒してしまわないと大変な被害に合う」
「そうなのですか」
レオポルトが話したように鑑定にも害獣と書いてある。
鳴き声と超音波と匂いを使って仲間を呼び、ほんの数時間足らずで農作物を食い荒らしてしまうらしい。
だからアルク国では実がなった後に香りを辿れないよう保護布というもので囲って守るらしいけど、収穫の際に外したタイミングで嗅ぎつけて狙ってくる雑食性の厄介な魔物だと。
「美味しいのなら昼食時間に捌いて食べましょう」
「「え?」」
「生産者には天敵の害獣とは言え命は命。頂いた命に感謝をして私たちの血肉になって貰いましょう」
果物を狙ってたから駆除したけど無益な殺生は良くない。
食用にならない魔物ならギルドに持ち込んで買って貰うけど、食べられるなら自分たちの血肉になって貰う。
「あ。アルシュ領やコーレイン家ではお肉を食べてはいけない掟があったりしますか?」
「いや。そんな掟はないが、上流階級のご令嬢の口から魔物を捌いて食べようと聞くとは思わなかった。調理後の肉は食べても調理前の姿には眉を顰めるのが貴族令嬢だと思っていた」
レオポルトがそう言ってアリアネ嬢も頷く。
言われてみれば貴族家では販売されている肉を買ってきて料理人が調理したものが食卓に並ぶだろうから、自分たちで狩った魔物を自分たちで捌いて食べるのは嫌がるかも。
「私は全く。普段の食事は屋敷の料理人にお任せしてますが、自分で狩った魔物を捌いて料理することもありますし」
「お料理もするのですか!?」
「はい。料理人の仕事を奪う訳には行かないので毎回ではありませんが、料理を作るのは好きでよく作ってます」
俺が料理をすることに驚くアリアネ嬢。
まあ貴族は料理も洗濯も掃除も使用人に任せて自分たちではやらないというのが精霊族共通の常識だから、俺が厨房に立つことを話すと必ずと言っていいほど驚かれる。
「昼食まで時間がありますから一旦お預かりしますね」
「ありがとう」
エドが凍らせた魔物をベルが防腐布で包む。
俺の異空間に仕舞えば時間が停止するから凍らせる必要も防腐布で包む必要もないんだけど、正体を隠して雌性になってる今は使える人が限られた異空間を使わない方がいいと判断したんだろう。
鳥獣に狙われるそんなプチハプニングはあったものの、アプールやベリー類を自分で収穫する体験をさせて貰ってその場で試食をする。
「酸っぱ!」
地球のブルーベリーに似てるからその感覚で口にしたら余りにも酸っぱくて驚いた俺にレオポルトとアリアネ嬢は笑う。
「中和するために糖度の高いレッドベリーをどうぞ」
エドから渡されたレッドベリーを急いで食べるとたしかにそちらは甘くて、口内の酸っぱさが消えてホッとする。
涙が出るほど酸っぱかった。
「吃驚した」
「どこにでも出回っているから知っているものと思ったが、メテオール嬢は口にしたことがなかったのか」
「いえ。食べるまでは忘れていましたけど、武闘本大会の出店で売られていたドリンクで飲んだことがあります。その時にも余りの酸っぱさに驚いて一緒に居た人から笑われました」
カムリンと出店を見て回った時に飲んだジュース。
語彙力が低下するほどの酸っぱさで思い出した。
「その酸味が好きな方も居ますけど、大抵は他の果物の果汁と混ぜて飲むのが一般的です。このイエローベリーが逆にそのままだと甘過ぎますから混ぜて飲む人が多いですね」
「そうなのですか」
アリアネ嬢から話を聞いてイエローベリーを食べるとたしかにレッドベリーよりも甘くて、魔法で出した水を飲んだ。
「単体で食べるならレッドベリーですが、イエローベリーとパープルベリーは自分好みの味に調節できて良さそう」
「はい。レッドベリーに比べるとイエローベリーとパープルベリーはお値段も手頃ということもあって、一般国民はその二種類を買って自宅で飲むことが多いです」
納得。
この世界で砂糖は貴重だからお高い。
あくまで果物の甘さだから砂糖の代わりとしては厳しいけど、一般国民にはなかなか手を出せない甘味を安い値段で買えると思えば重宝されるだろう。
「失礼な質問でしたら申し訳ございません。私から見ると管理の行き届いた果樹園で大切に育てられているコーレイン家の果物は質が高いと感じますが、ブークリエに販路を広げなければ経営が成り立たないほどに貴族は購入しないのですか?」
そう聞いたのはエド。
英雄公爵家の家令として購入する野菜一つでも気を配るエドから見ても質が高いと感じる果物が貴族には売れないというのが考え難いことなんだろう。
「エルフ族の貴族は商人貴族を嫌う方が少なくありません。それでも以前は買ってくださる貴族さまも居たんですが、色々とあって商業地区での販売を禁じられてからはぱったりと」
「販売を禁じられた?」
レオポルトの説明を聞いてエドは首を傾げる。
「そう言えばみなさまが収穫から戻って来る直前にサンドラ夫人が、小さいながら以前は商業地区にも店があったと」
「ああ。そこでは観光客や貴族家の使用人が来て購入してくれていたから今より育てている果物の数も多かった。だが質の低い物や腐った物を売ったと苦情を言いに来る者が増えて」
三人が収穫から帰って来て詳しく聞けなかったけど、商業地区にも店を出してるのか聞いた俺に夫人は『以前は』と言って表情を曇らせていた。
「気付かず販売してしまったということですか?」
「まさか。うちは家族経営の小さい商会だが、家族で早朝から収穫をして一つずつ問題がないかを確認していた。特に商業地区に並べる果物は傷一つでもあれば売らない。その分は値段を下げて商会で販売すればいいのだから狡く混ぜたりしない」
力強く否定したレオポルトの隣でアリアネ嬢も大きく頷く。
一応聞きはしたものの、まあそうだろうなと。
自分たちの生活は質素にして果樹園の管理にはお金をかけていると分かる生産者の鑑のような家族が果物に関することで小狡い真似をするとは思えない。
「苦情を言いに来る客が持ってくる果物は傷んでいたり腐っていたりしたことは事実。だがその果物がうちの果物ではないとの証明も出来ない。うちのように爵位を買った商人貴族の小さな商会では信用も低くブランドを名乗る権利が取れない」
悔しそうに言うレオポルト。
たしかにブランドを名乗るには質の高さと信頼が必要。
大商会なら人々から信頼があるから一定期間販売をして問題がなければすぐブランドを名乗れるようになる(商品や箱にブランドが分かる刻印を打てるようになる)けど、コーレイン家は騎士爵を買った一代貴族だから世襲貴族のように後ろ盾がない。
「後ろ盾か……。エド、家令として率直な意見を」
「管理の行き届いた果樹園に丁寧な仕事。生産物の質の高さはもちろん熱意や家族の人柄も含め信頼に値するかと」
「分かった」
エドは主人の俺の仕事も代理で行う執事で家令。
そのエドが実際に見て信頼に値すると判断したなら迷う必要もない。
「レオポルトさま、アリアネ、お話しがあります」
「話?」
「はい。ご両親のところへ一度戻りましょう」
「ああ」
収穫させて貰った果物を入れた箱はエドとベルが持って、パルファンを収穫しているコーレイン夫妻のところに戻った。
「お父さま、お母さま」
「あら?もう戻って来たの?いいのを収穫できた?」
「メテオールがお話しがあるって」
「お話し?」
脚立に登って収穫していたコーレイン夫妻。
収穫するのも慣れているだけあって色艶もいい立派なパルファンが箱一杯になっている。
「何か不手際が」
「子供たちが何か御無礼を」
「いえ。そういうお話しではありません。ご家族のお人柄や果樹園を拝見させていただいた上で家令と私が同じ意見でしたので、コーレイン夫妻にお話しをと」
脚立から降りてエプロンを外しながら心配そうに聞いたコーレイン夫妻に否定する。
「まずはお詫び申し上げます。メテオールは偽名です」
「「偽名?」」
「正体を隠して王都アルク校へ体験入学するために王宮師団長が付けた偽名で、本名はシン・ユウナギと申します」
雌性の姿だからカーテシーをして謝罪する。
「「シン・ユウナギ?」」
「……ま、まさか」
「この姿は恩恵を使って女性の姿になっているだけで、兄妹でもなければ偶然同じ色に変異した他人でもない。ブークリエ国特級国民シン・ユウナギ・エロー。私が英雄本人だ」
名前を聞いてまさかと気付いたのはコーレイン卿。
俺が口頭で正体を明かして執事のエドが箱に入った英雄勲章を見せるとコーレイン夫妻とレオポルトとアリアネ嬢は真っ青になって地面に跪く。
「知らず大変な御無礼を!」
「無礼なのは隠していた私だ。アルク王都校の講師や生徒の普段の様子を見るため正体を偽り参加したが、結果として声をかけてくれた心優しいレオポルトやアリアネ嬢を欺くことになってしまった。改めてお詫びする。本当に申し訳なかった」
「そ、そんな!」
「お顔をあげてください!」
深く頭を下げて謝るコーレイン夫妻やレオポルトやアリアネ嬢に俺も頭を下げて謝る。
体験入学の時は英雄の姿では素の様子は見れないと思ってのことだったし、今日は余計な騒動にならないよう考えて雌性で来たけど、親切にしてくれたレオポルトとアリアネ嬢と二人の両親には正体を明かして謝るつもりだった。
「外出に身の危険を伴う英雄公爵閣下が姿を偽るのは当然のこと。同じ特級国民の賢者さまでも身を守るために正体を隠さなければならないのですから、精霊族の守護者である英雄であればなおのこと。どうぞ頭をあげてください」
「感謝する。みなも上げてくれ」
コーレイン卿から言われて頭をあげる。
俺が下げたままだと四人がいつまでもあげられないから。
「謝罪をしたばかりで舌の根も乾かぬうちに次の話題に行ってすまないが、こちらも大切な話題だけに先延ばしにはせずこのまま話すことを許してほしい」
「はい」
謝罪とは別にこちらも大切な話。
コーレイン卿の返事によっては夫人やレオポルトやアリアネ嬢にとっても大きな変換点になるかも知れないこと。
「結論から話そう。私と売買契約をしないか?」
「……え?」
「ブークリエの王都にある英雄公爵邸と私が出す料理店にコーレイン家が育てた果物を卸してほしい。その際は悪用されないよう私の推薦でブランドを取得して貰う。卸値はブークリエまでの配達料と関税とブランド料を加算した額で構わない」
細かく話すと長くなるから結論から。
卸値は契約を結ぶかどうかを考える上で最も重要な判断材料と言えるから、通常卸値にブークリエ国までの配達料と税金とブランド料をプラスした額を提案した。
「う、うちが閣下と契約を?」
「果樹園は管理されていて果物の質も高い。収穫したものを試食させて貰ったが味も申し分なかった。今は高価な果物の生産を止めているらしいが、そちらも早目に再開して私に確認させてほしい。問題がなければそちらの果物にも推薦状を出す」
唖然としているコーレイン卿。
子供たちの知り合いが実は英雄で、英雄公爵家と契約を結んでほしいと言われて、次から次に予想外のことばかり起きて唖然としてしまうのも仕方がない。
「父さん!契約しよう!英雄公爵閣下が認めてくださったとなればもううちの果物を誰にも馬鹿にされずに済む!」
コーレイン卿の肩を叩いたのはレオポルト。
今まで苦渋を飲んだことはさっきの表情で分かったから、この機会に賭けてみたいと思ったんだろう。
「で、ですがうちの果樹園は小規模で生産量はあまり」
息子の声で我に返ったコーレイン卿はそう説明する。
たしかに公爵屋敷や公爵家が商いをする飲食店に卸せるレベルの果物の生産量と考えると少ないのかも知れない。
「そうだな。月末に開店を控えた今は私自身もどのくらいの果物が必要になるかはっきり答えられないが、もし足りない場合は私の領地を活用して果樹園を拡大してくれればいい」
「閣下の領地を!?」
「まだ発表前だけにコーレイン家だけの秘密にしてほしいが、近々アルク国でも爵位と領地を賜る予定になっている。そこであればアルク国でしか育たない果物も作れるだろう」
アルク国王から爵位と領地を貰うことはもう決定事項。
祝儀で事件があったから、国民に発表するのは生活が落ち着いた後の月が変わってからになるだろうと言われてるけど。
「アルク国の爵位をということですか?」
「ああ。今の両国の軍事力は特異な能力を持つ異世界人の勇者と私が居るブークリエに偏った状況にある。同じ異世界人でも勇者は召喚したブークリエ国が保護すると法で決められているが、英雄は両陛下が勲章を授けた全精霊族の守護者という立場でブークリエ国が保護する法はない。そこで私にアルク国の爵位を与えアルク国の国民にもすることで両国の均衡をとり民の不安を少しでも取り除きたいというのが陛下のお考えだ」
アリアネ嬢から聞かれたことにも答える。
両国の爵位を持つ人なんて今まで居なかったらしいから、どういうことと思うのも当然。
「要は法の抜け穴を利用した前例のない行為。だがそうしなければならないほど英雄の私の影響力が大きくなってしまったということでもある。私も自分が精霊族同士の諍いの火種になることは望まない。今後はエルフ族とも交流を深めてアルク国民にも安心して貰えるよう尽力していくつもりだ」
「ありがとうございます」
話して聞かせた俺にアリアネ嬢は深く頭を下げる。
「つまりうちの商会をご指名いただいたこともエルフ族との交流の一つと言うことでしょうか」
「そうだ。ただ私も馬鹿ではない。物が良くなければ契約などしない。エルフ族との交流を深めるための付き合いやレオポルトとアリアネ嬢から世話になった恩返しをするだけなら屋敷に卸して貰って自分で食べるくらいが精々。店で出す料理に質の良くない物を使えば私自身の信頼を失うことになる」
コーレイン卿が言ったそれももちろん関係してる。
でもエルフ族の生産者なら誰でも良かった訳じゃなくて、ランコントル商会の果物の質が高かったから自分が出す店の料理に使いたいと思って売買契約を申し出た。
「これは命令ではない。断るも自由だ。今のまま家族だけで続けていきたいと考えているのであれば生産量が増えてしまう私との契約は足枷になるだろう。断ったからと言って契約の話がそれで終わりというだけで他に何かある訳ではないから安心してほしい。家族で話し合って後日返事を聞かせてくれ」
話しながらエドからメモと仮書類を受け取る。
先にメモに目を通して仮書類に金額を書き込んでもう一度エドに渡した。
「こちらを」
「これは?」
「私の希望する買値を書いた仮書類だ。現時点で果樹園にある果物の買額だけだが、私と契約をする気になったらコーレイン卿の希望売値も教えてほしい。互いに擦り合わせよう」
地面に膝をついたままの家族の前に行ったエドがコーレイン卿に渡して俺が追加で説明する。
「こ、これは高過ぎです!」
「そうなのか?私はそう思わないが」
「小さな果樹園で育てた果物にこれほどの価値は」
「自分で価値を下げるな」
金額を見て驚いたコーレイン卿の言葉を遮る。
「私の執事で英雄公爵家の家令でもあるエドは様々な商人が売り込みに来る品を見て目が肥えている。そのエドが出した買値に送料と税とブランド料を足した額がそれだ。それだけの買値を提示されるだけの質の高い果物を作っている生産者本人が価値を下げるような発言をしてはならない。自分たち家族はそれだけの物を生産できる熱意と技術があるのだと自信を持て」
果物一つ育てるにも沢山の時間と労力がかかる。
家族四人で今まで努力をしてきたんだろうに、小狡い相手に言えば安く買い叩かれるような軽率な発言をして欲しくない。
「私は職人や生産者に自分の技術や商品を安売りして欲しくないと考えている。正当な対価を受け取りそれで技術を磨いたり新たな設備を整える資金としてくれればより良いものになる。技術や知識を未来に繋いで行くというのはそういうことだ」
今の果物でも充分質が高い。
でも代価を新たな設備に使えばもっと質が高くなる。
生産量を増やすことも別の果物を増やすことも可能だ。
未来のそれを見据えて提示した買値になっている。
「うちの果物だけでなく私たち生産者をここまで評価してくださってるのに尻込みするなんて貴方らしくないわ。こんなことくらいで諦めずブークリエ国にも販路を広げてみんなで頑張ろうと言っていた貴方はどこに行ってしまったの?」
そうコーレイン卿に話すのは夫人。
レオポルトとアリアネ嬢も無言ながらコーレイン卿をジッと見ている。
「コーレイン卿が引っかかっているのは商業地区にあった店で起きたという妨害行為か」
「……左様で。閣下から売買契約を望まれるなど生産者としてこんなにも幸運なことはございません。ですが商人貴族の私がこれ以上目立つと大切な家族に害が及ぶのではないかと」
なるほど。
自分たちが販売していた果物が傷んだりしていないことに自信があっても営業妨害を受けたら店がなくなってしまった。
それでも嫌がらせに屈さず販路を広げて頑張ろうと思っていたけど、嫌がらせの内容が酷くなって家族にも害が及ぶようなことにならないかと心配になったんだろう。
「生産者の前に夫であり父なのだな」
「この場で決断が出来ず申し訳ございません」
「いや。私には伴侶や子供は居ないがコーレイン卿が不安になる気持ちも理解できないものではない」
「ありがとうございます」
家族が大切だからこその迷い。
俺には伴侶や子供が居なくても大切な人は居るから、自分だけの問題では済まされない状況に不安になるのは分かる。
「昼食を一緒にと考えていたが、今日はこのまま失礼しよう。部外者の私たち抜きで家族とゆっくりと話し合ってくれ」
「お心遣い感謝申し上げます」
コーレイン家にとって大きな決断をする時。
俺たちが居ると話し合うのが後回しになってしまうから、昼食を作って一緒にと考えてたのは中止。
「自分たちで収穫したそれを買い取らせてくれるか?」
「お代は結構です。お持ち帰りください」
「安売りするなと言っただろう?」
「あ」
「今のはそういうつもりではなかったと分かっているがな。心遣いだけは受け取ろう」
夫人にくすりと笑って銀貨を渡す。
「お釣りを」
「私の居た異世界では味覚狩りというものがあった。自分で収穫した果物や野菜をその場で食べたり持ち帰りができる収穫体験サービスで、収穫したものの値段にプラスして体験させて貰うことにも料金を払う。これもその体験料を含んだ料金だ」
商会で値段は見たから銀片数枚(日本円で数千円)で足りるのは分かってるけど、これは体験料も含まれている。
「質の高い果物を買わせて貰う上に貴重な体験までさせて貰ったのだから受け取ってくれ。楽しかった。ありがとう」
「光栄に存じます。ありがとうございます」
『ありがとうございます』
感謝を伝えると家族揃って頭を下げられる。
真っ直ぐで人柄のいい家族だ。
まだみんなで収穫を続けるらしく、契約の件はゆっくり考えて貰ってまた後日と話して一足先に果樹園を後にした。
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まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。
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