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第十三章 進化
勇者の血族
しおりを挟む「大丈夫か?」
「……一回も当てられなかった!」
芝の上に転がっているベルナルド。
疲れ果て倒れた事に気付き目元の布を外すと、隣にしゃがんで聞いた総領へ悔しそうに答えているのを見てくすりと笑う。
「エド、ベル。タオルを」
「「はい」」
公爵家の使用人たちと一緒に様子を見ていたエドとベルを呼ぶと魔導鞄からタオルを出しながら歩いて来た二人。
エドはベルナルドにタオルを渡してベルは俺の後ろから肩にタオルをかけた。
「失礼いたします」
「……涼しい」
「身体に熱が篭っておりますので」
「ありがとうございます」
「勿体ないお言葉を」
魔法でベルナルドに風を送るエド。
俺の方にまでふわりと風がきて心地いい。
「閣下。お手合わせありがとうございました」
「剣才があると知ってつい熱が入ってしまった。子息に無理をさせたことをお詫びする」
「滅相もないことで。よい経験をさせていただきました」
公爵夫妻や姉や妹も来て公爵からお礼を言われて、途中で止めずに無理をさせてしまったことを謝った。
「やはり閣下はお強いです。ほんの少しでも本気になってくれないかと頑張ってみましたが、全く駄目でした」
エドに風を送って貰つつタオルで汗を拭くベルナルド。
その悔しさの滲む表情に笑う。
「実戦経験の違いも含めてまだ力の差があることは事実。だが私も今回ばかりは容易く受け流せていた訳じゃない」
「珍しく汗をかかれておりますからね」
「普段は当たり前に活用してる視覚も聴覚も役に立たない状況で、剣の特殊恩恵を持つ天才の剣技を避け続ける必要があったからな。久々に緊張感のある鍛錬をさせて貰った」
ベルに汗を拭いて貰いながらエドに頷く。
一撃必殺の可能性もある天才の攻撃をハンデ有りで避けていたんだから、同じ状況でも常人との鍛錬の時とは訳が違う。
俺が汗をかくほど集中して手合わせしていたということがベルナルドに常人以上の才能がある証拠。
「途中で諦めなかった粘り強さも才能の一つ。今の自分では勝てない相手だと分かっていても悔しいと思える負けん気の強さも同じく。間違いなくベルナルドには剣の才能がある。その才能を伸ばしたくなったら言え。私も協力しよう」
しゃがんでベルナルドにそう話す。
「いいのですか!?」
「こらベルナルド!恐れ多いことを!」
パッと表情を明るくしたベルナルドを止める公爵。
「近々弟子をとることになっている」
「そうなのですか?」
「弟子に迎えたい者が居ることを両陛下にご報告したら、他の者にも機会を与えてやって欲しいと言われた」
「通常ですと試験を行って選びますからね」
国王のおっさんやアルク国王が言っていた通り試験をして選ぶのが一般常識らしく、公爵は納得したように頷く。
「姻族になるベルナルドを鍛えることに第三者から文句など言われたくないが、私はそうでも周囲の者の中には納得できない者が居るかも知れない。万が一そういう者が居た時にプリエール公爵家が悪く言われるようなことは避けたい」
こういう時は英雄という身分を煩わしく思う。
自分が教えたい(才能を伸ばしたい)と思う人に教えることが、その人や家族のマイナスになる可能性があるんだから。
「だからその時にベルナルドにも試験を受けさせてくれないだろうか。公爵家を継ぐ可能性の高い子息に領民を守れる力をつけさせるのは悪いことじゃない。どうだろうか」
総領は英雄公爵家に婿入りするから家は継がない。
そうなると離縁して戻った姉のユーリア嬢か、次男のベルナルドか、婚約者を入婿させたヴィオラ嬢が継ぐことになる。
ヴィオラ嬢の婚約者も公爵家の子息だから入婿はしないだろうし、ユーリア嬢も暫く再婚する予定がないなら子育ての方が重要だろうし、次男という立場も含めて最も可能性が高いのは次男のベルナルド。
「「…………」」
顔を見合わせた公爵夫妻。
「ベルナルド。貴方自身は剣の才能を伸ばしたいと考えているのかしら。今まではミランの手助けが出来る程度の力があればいいと言って商売の方に力を入れていたけど。一時の甘い考えで閣下に教えを乞うことは認められません。本気で閣下から技術や知識を学びたい者は多いのですから」
聞いたのは夫人。
ピシリと物申す。
「ミラン兄さんには勝てないと思っていたので」
顔を伏せたベルナルドはポツリと呟く。
「兄さんは賢くて運動神経もいいし魔法の才能もある。剣の特殊恩恵は持っていないのに並の人では勝てないくらい剣の腕もあって強い。私に唯一ある剣の才能を伸ばしたところで優秀な兄さんと比べられて劣ってると思われるのが嫌だった」
なるほど。
兄が優秀すぎるだけに劣等感を抱えていたのか。
優秀な兄弟が居ると周囲の人から比べられてしまうのはこの世界でも変わらないということだ。
「でも精霊族の守護者で誰より強い閣下が私には剣の才能があるって認めてくれた。兄さんのように何でも出来て多くの人を救う力を持つ跡継ぎにはなれないかも知れないけど、主神から賜った才で身近に居る人を救えるだけの力を身につけたい」
力強く本心を訴えたベルナルド。
それを聞いていたヴィオラ嬢は顔をあげて俺を見る。
「閣下。試験を受けられるのは剣才がある者だけですか?」
「いいや。私が教えられる魔法と剣と武闘に挑戦したい者であれば構わない」
俺の戦闘はその三種類を使う。
だから俺が教えられるその中のどれか一つだけが得意な人でも構わない。
「では私にも試験を受けさせてください。まだ魔法を使えるようになったばかりですが、回復魔法だけは自信があります」
「なぜ唐突に自分も試験を受けようと思った?」
「私が回復魔法の威力を上げることが出来れば、もしベルナルド兄さんが怪我をしても治してあげられるからです。身近な人も守れない者が多くの人を救うなんて無理な話ですから」
「ヴィオラ」
真剣な顔で答えたヴィオラ嬢。
そのタイミングでピコンと中の人からの報せが入る。
【特殊恩恵〝勇者の血族との縁〟が解放されました】
その特殊恩恵の名前を聞いて一気に全てが繋がる。
やっぱりそうだったのかと。
魔王に勝って生き残った勇者の血族。
みんな天地戦後にはこの星の住人として穏やかに生きることを選んで行方は分からなくなったと聞いていたけど、プリエール公爵家は歴代勇者の中の誰かの子孫だと言うこと。
地球人と居る感覚がする理由もきっとそれ。
長い時間が経ってこの星に誕生した生命としてすっかり馴染んでいるけど、この星の住人にしては多少ズレている地球人要素が残っているから俺には身近に感じたんだと。
真実を知って笑い声が洩れる。
プリエール公爵家との出会いも最初から縁に導かれてのことだったんだと。
「プリエール公爵と夫人。私からも頼む。ベルナルドとヴィオラ嬢に試験を受けさせて欲しい。私自身が二人の才能を伸ばしたいと考えているのだから試験など必要ないと言いたいところだが、そこはこの星のやり方や常識に従おう。二人の才能を燻らせてはアルク国の、いや、精霊族の大きな損失になる」
驚く夫人と公爵はまた顔を見合わせる。
英雄に弟子入りするということがこの星の人にとっては大きな重圧になることは分かるけど、勇者の血族の二人に才能を伸ばしたいという思いがあるなら知らないフリは出来ない。
「そのように高く評価していただけるのは光栄ですが」
「大袈裟すぎるだろうと?」
「私もこの子たちには才能があるとは思っておりますが、それは親の贔屓目もあるのだろうと自覚しております」
いわゆる『親バカ』というやつだと。
我が子が可愛い親バカでもあるけど、親の贔屓目で割増して良く見えているだけだろうと第三者目線で判断する冷静さも兼ね備えているということ。
まあ公爵が大袈裟に感じてしまうのも分からなくない。
才能があると褒められるだけなら我が子が褒められた喜びだけで終わった話でも、精霊族の損失とまで言われたら事が大き過ぎると思ったんだろう。
「現状では夢物語だろう。元から才能のある二人なら誰が教えても常人の中の天才にはなれるだろうが、私は二人を真の天才に育てたい。これは私の直感でしかないが、異世界人の私だからこそ二人の奥に眠る真の力を引き出すことが出来ると感じている。その力で守護者の私のように多くの精霊族を救えとは言わないが、大切な人を救える誰かの英雄になって欲しい」
勇者の子孫に眠っている力。
その力を呼び起こすことも俺とプリエール公爵家が出会った理由の一つなんじゃないかと不思議と思う。
能力は身体を鍛えたり経験を重ねることはもちろん、出会いや別れでも解放されると創造神が言っていたから。
「私からもお願いします。ベルナルドとヴィオラに機会を」
「私も。二人が自分のやりたいことを真剣に訴えるなんて初めてですもの。どうかお願いします。お父さま、お母さま」
両親に頭を下げた総領とユーリア嬢。
ベルナルドとヴィオラ嬢も深々と下げる。
そんな子供たちの様子を見ていた公爵夫妻は互いにこくりと頷いた。
「分かった。ただし姻族になる者という甘えは捨てて試験に挑むように。仮に受かったとして、その後も途中で嫌になって辞めるという我儘は許さない。英雄から直接教えを乞う機会を与えらたことがどれほど幸運なことであるかを忘れるな」
「「はい!」」
あ、武闘派な家族ですね。
優男風なのに意外と武闘派な総領の家族だけあって。
この親にしてこの子(たち)あり。
「まだ詳細は言えないが、試験を行うのは婚約発表を含む諸々の発表があった後に状況が落ち着いてからになる。かかっても一・二ヶ月程度だとは思うが、それまでに分からないことや不安に思うことがあればいつでも知らせてくれ」
「承知しました」
「お心遣い感謝します」
これで弟子入り予定なのは三人。
自分が教えたいと思ったシストとベルナルドとヴィオラ嬢。
そう思えた人物が見事にエルフ族ばかりなのが国王のおっさんから苦い顔をされそうだけど、約束通り種族を問わない試験はするから許して欲しい。
「閣下。少し休憩にしてお飲み物はいかがでしょう」
「いただこう」
ベルナルドと俺は食後の運動をしていてティータイムには不参加だったから、ユーリア嬢にすすめられて頷く。
「「失礼いたします」」
エドはベルナルドに。
ベルは俺にリフレッシュをかけてくれた。
「少し風が出てきたな」
緩い風が吹き抜けるガゼボに座る。
待機していた使用人たちがすぐに冷たい飲み物を注いでくれているのを見ながら。
「ん?」
風を感じながら景色を眺めているとぺちっと脚を叩かれる。
「も、申し訳ありません!」
「大丈夫。ごきげんよう、小さなレディ」
真っ直ぐに抱いていたからお座りが出来ることは分かってたけどハイハイも出来るらしく、総領を乗り越えて何故か俺の脚をぺちぺち叩いているレオナ嬢の小さな頭を撫でる。
「レオナ嬢はいつも大人しいな」
ただぺちぺちと叩くだけ。
自分で言ったその言葉に気付いて顔をあげる。
「違ったらすまない。もしかして喋れないのか?」
ハイハイもしてる年なら言葉にはなっていなくてもアーなりウーなり声を出していてもおかしくないのに、レオナ嬢の声をまだ一度も聞いたことがない。
「か細いながら泣き声くらいは出せます。ただ医療院で検査をして貰ったら耳も聴こえていないと言われました」
「そうか。酷なことを聞いてすまない」
「いえ。姻族になるのですからレオナに障害があることをお話ししておかなくてはと思っていたので」
音のない世界に生きているから声を発さないのか。
表情の曇ったユーリア嬢に謝りレオナ嬢の頭を再び撫でる。
「実はユーリアが離縁した理由はそれでして。障害を持った子供を一族に迎えることは出来ないとあちらの親族から」
「それについてレオナ嬢の父親は?」
「申し訳ないとそれだけ」
公爵夫人から話を聞いて大きな溜息をつく。
貴族は体裁を気にするのは確か。
地球でだって障害を持つ人を迫害していた時代があったんだから、貴族ならなおさら隠したいことではあるだろう。
「私とレオナは姻族から外していただいて構いません」
「ん?なぜそんなことをする必要がある」
「閣下の姻族に障害を持つ者が居るというのは」
「それは要らぬ心配だ。ユーリア嬢は総領の大切な姉で、レオナ嬢も大切な姪。伴侶の家族は私にとっても大切な家族になるのだから、そのようなことで姻族から外すなどしない」
俺には体裁など関係ない。
言いたい奴には言わせておけばいい。
「どうして泣く。泣くようなことは言っていない」
「申し訳ありません。認めて貰えると思わなくて」
「私からすればむしろ認めない方がおかしい。亭主も含め相手方が体裁ばかり気にするただのクズだっただけだ。なあ、レオナ嬢。こんなに愛らしいのに失礼な話だよな?痛っ」
抱き上げて顔に近付けるとぺちっと叩かれる。
父親(一応)の悪口を言った制裁だろうか。
「総領。将来レオナ嬢は精霊族最強女子になるかも知れない。英雄の俺の顔を叩いて喜んでるんだから」
「たしかに」
声は出さなくても表情は豊か。
叩く行為が楽しいのか俺の顔が面白いのか、笑顔でぺちぺちされながら言った俺の呟きで総領は吹き出して笑う。
【ピコン(音)!治療が可能です】
「え?」
「え?」
中の人の声で反応した俺に総領は首を傾げる。
『先天性でも治せるのか?』
【可能です。覚醒により特殊恩恵が主神に愛されし遊び人に進化したことで治癒力が上がり治療可能な病も増えました】
『そ、そうなんだ』
名前はふざけ散らかした遊び人シリーズだけど、主神という御大層な言葉が使われているだけあってただのふざけ散らかした能力とだけではないようだ。
「魔法検査をしても良いか?」
「え、はい」
母親のユーリア嬢に許可を貰って魔法検査をかける。
急にどうしたというように注目しているみんなを横目に結果が出るのを待った。
【検査結果が出ました。先天性耳小骨奇形、喉頭横隔膜症。どちらも上級回復による治療を行うことで治癒が可能】
一旦レオナ嬢を総領の腕に預けて、検査結果で出た全ての画面を拡大して外側からでは見えない耳の奥や喉の奥の状態を確認する。
『どこを治療すれば治るんだ?』
【声嗄れ原因の咽頭横隔膜症は横隔膜の切除を。難聴の原因の先天性耳小骨奇形は奇形部を正常に戻すことで治ります。言語習得前の今であれば今後の生活にも支障はないかと】
……うん。聞いてもさっぱりだった。
アホの俺には『ここをこう』と図入りで説明してくれないと理解できそうにない。
『えっと、そんな小難しい手術は俺に出来ないけど上級回復をかけるだけでその両方を治せるのか?』
【はい。数十分ほどで治療は終わりますが、赤子のため怖がる可能性があるので魔法で眠らせて治療を行ってください】
『分かった。ありがとう』
術者の俺にはさっぱり分からなくても上級回復さんならあれやらこれやら何とかしてくれるってことか。
たしかにかけるだけで神経を繋げたり傷を塞いだり出来るんだから今更かも知れないけど。
「ユーリア嬢。治療する許可をくれないか?」
「……え?」
「先天性難聴の原因になってる先天性耳小骨奇形も、声嗄れの原因になってる咽頭横隔膜症も、私の上級回復で治る」
「ほ、本当に?」
「六度目の覚醒をしたことで治癒力も上がった。それでも全ての病を治せる訳ではないが、レオナ嬢の病なら治せる」
拡大した画面を見せながら説明すると勢いよく立ち上がっていたユーリア嬢はその場にヘタリ込んで、公爵が慌てて隣から支える。
「その治療はどのくらいの期間続ければ良いのでしょうか」
「期間?十分ほどで終わる」
「た、たった十分で?もう少し大きくなったら外科手術とリハビリを行って症状を改善して行こうと言われたのですが。耳も魔導具を使って音を拾えるようにしようと」
夫人も検査に付き添ったのか、医療師から言われたらしいそれを説明してくれる。
「音を拾える魔導具というと恐らく異世界の補聴器のような物だろう。たしかに補助にはなるだろうが、母親のユーリア嬢が治療を許可をしてくれるなら身体にメスや針を入れる必要も補聴器を使う必要もなく今からこの場で治せる。怖がらせたくないからレオナ嬢にはその間魔法で眠って貰うことになるが」
それはあくまで改善であって完治じゃない。
もう少し大きくなってからでもまだ子供の小さな身体にメスや針を使うのは負担が大きいし、出来ることなら身体に負担がない魔法治療で治してあげたい。
「お願いします。レオナが音を聞いて喋ることもできる可能性が少しでもあるなら何でもしてあげたいんです。何か不足しているなら私の身体からとって構いません。血でも骨でも」
そんな必死の訴えを聞いてくすりと笑い、異空間から大きな布と長いクッションを出しながら総領が腕に抱いているレオナ嬢に睡眠魔法をかける。
「エド。寝床にリフレッシュをかけてくれ」
「はい」
長いこと使わず異空間に突っ込んだままだったから、念のためエドに頼んでリフレッシュをかけて貰う。
喉に異常がある幼い子に埃は天敵だ。
「上級回復の治療は医療免許を持つ医療師が行う輸血でも移植でもない。レオナ嬢に負担がかからないよう魔法治療を申し出たのに、そんな大事な手術をするなら本末転倒だろう?」
ぐっすり眠ったことを確認してガゼボの椅子に用意した寝床にそっと寝かせる。
「後は見守っていてくれ。無音の世界に生きてるレオナ嬢の世界が優しい音で溢れるように」
寝床の隣に跪いて両手を組み上級回復をかける。
【ピコン(音)!特殊恩恵〝神力〟の効果により全パラメータのリミット制御を解除、限界突破。特殊恩恵〝神子〟と〝主神に愛されし遊び人〟の効果により回復量が上昇。特殊恩恵〝***〟の効果、慈愛の息吹きが発動します】
あの日聞いた内容と全く同じそれ。
また勝手に翼が生えて謎の術式が俺の足元から広がりガゼボを丸々包んだ。
「祝儀の時の」
術式で気付いたらしい総領の呟き。
その後は誰も口を開くことはなく、俺も瞼を閉じてレオナ嬢が完治してくれることを祈りながら上級回復をかけ続けた。
【ピコン(音)!終了しました。検査結果を表示します】
中の人の声が聞こえて瞼をあげると術式も消える。
組んでいた両手を離して画面を確認すると、さっきまで出ていた二つの病名も消えていた。
「ユーリア嬢。こちらに」
「は、はい」
手招きして母親のユーリア嬢を呼んで隣にしゃがませる。
「今から睡眠魔法を解く。治療が成功していたら今まで聞こえなかった音が聞こえてきて驚くだろう。そこは耳を塞いであげたりと対処してゆっくり慣らすしかないが、この世界に誕生して最初に聞く音は母親のユーリア嬢の声がいいだろう。あまり大きな声は出さず静かに声をかけてやってくれ」
ユーリア嬢が大きく頷いてレオナ嬢の近くまで寄ったことを確認して睡眠魔法を解く。
「レオナ」
小さな声で名前を呼ぶとレオナ嬢はビクッとして目をパチッと開いた。
「レオナ。お母さんだよ」
ユーリア嬢が小さな身体に手のひらを重ねて頭を撫でながらもう一度声をかけると、レオナ嬢は案の定ぱちくりしていた顔をくしゃりとして大きな声で泣き出した。
「声が。耳も聞こえてるのね」
レオナ嬢からすれば衝撃でしかないだろうけど、音に驚いて大声で泣けたということは治ったということ。
すぐに抱き上げたユーリア嬢は大粒の涙を零しながらレオナ嬢をぎゅっと抱きしめた。
「良かった!本当に良かった!」
「閣下、ありがとうございます」
レオナ嬢の大泣きする声に感極まりハンカチで目元を覆う夫人と俺に深く頭を下げる公爵。
「私からもお礼を。姪のために貴重なお力をお貸しくださいましてありがとうございます」
総領とベルナルドとヴィオラ嬢も。
「私は私に出来る範囲のことをしただけだ。それよりもよほど驚いたのか大泣きしてるな」
ユーリア嬢が背中を叩いてあやしてるけどギャン泣き。
暫く静かな所に居ただけでも外に出ると音が大きく聞こえるけど、今のレオナ嬢はその状態なんだろう。
「あ、そうだ」
ふと思い出して異空間から兎のぬいぐるみを出す。
「ほらレオナ嬢。兎さんだぞ」
座ってあやしているユーリア嬢の足元にしゃがんで兎の手を押すと音が鳴る。
「こんにちはレオナちゃん。兎さんだよ」
見えるよう近くまで寄せて声をかけながら左右に動かすとギャン泣きしていた声がピタリと止まり、ぬいぐるみを目で追いかける。
「お友達になろうよ」
「あー」
小さな手を伸ばしながら声をあげてぬいぐるみをぎゅっと握ったレオナ嬢にそのまま渡す。
「あー!」
「うん。可愛いお友達だね」
自慢するかのように見せるレオナ嬢にユーリア嬢は涙を拭いながら答えて笑う。
「これは魔導具の人形ですか?どこから音楽が」
「異世界のぬいぐるみ。中に音が鳴る機械が入ってて、手の中にあるスイッチを押すと音楽が流れたり止まったりする」
「そのようなことが出来るのですか。人形と言えば女の子や男の子の姿をしてますが、このぬいぐるみは可愛いですね」
「異世界には当たり前にあった物なんだけどな。小さな子も好きだけど、大人でもぬいぐるみが好きな女性は居た」
総領に聞かれて答える。
この世界の人形=フランス人形(っぽい物)だから、愛らしい動物の姿を模したぬいぐるみを見たことがないのも当然。
「閣下がお作りになったのですか?」
「俺は音楽が鳴る機械の構造とかぬいぐるみのデザインを教えただけ。院長をやってる孤児院には小さな女の子も居るから機械工や裁縫師に頼んで幾つか試作品を作って貰った」
「ああ、領地で孤児院を運営してるのでしたね」
「雨が降っても遊具のある外に出たがる子も多いらしいから、室内で遊べる玩具を増やしてあげようと思って」
孤児院の庭は異世界にあった滑り台やブランコがあるから雨の日でも外で遊びたがる子が多いと聞いて、それなら室内で遊べる玩具の種類を増やそうと思って幾つかお願いした。
このぬいぐるみはその中の一つ。
「恐れながら売って頂くことは。気に入ったようなので」
「これはそのままレオナ嬢にプレゼントする」
「よろしいのですか?」
「うん。異世界の音楽でも良ければ」
あくまで試作品だから機械から流れる音楽も俺が機械工に頼んだ時のまま異世界の曲。
「優しい曲と音色ですね。落ち着いて眠くなりそう」
「正解。子供を寝かしつける時に歌う子守り歌。だから煩くならないよう余計な音は入れないようにして貰った」
ヴィオラ嬢が言ったそれが正解。
流れているのはオルゴールの音色で奏でる子守り歌。
「販売のご予定は」
「するつもり。技術者の利益になるし」
「それがよろしいかと。これは売れます」
「レオナ嬢の前であまりゲスな話はしたくないな」
「あ。私も今後は気をつけます」
そんな会話をした総領と俺にみんなは笑う。
適応能力が高いのかぬいぐるみに夢中なのか、レオナ嬢もみんなの声で泣くことはなくなった。
「どうしたエド。笑いを堪えて」
「シンさまのお友達になろうよが今になってじわじわと」
「主人の恥を蒸し返すの辞めてくれるか」
たしかにキャラじゃないけども。
みんなも『言われてみれば』というように笑いを堪える。
泣き止まそうとしたのに理不尽だ。
「シンさまは如何なる時でもカッコイイです」
「ありがとうベル。ただ、それはそれで盲目すぎる」
緩やかな風が拭くガゼボに溢れる笑い声。
大きな心配事だっただろうレオナ嬢の病も治って、プリエール公爵家の人たちも心から笑っているのが分かる。
俺の能力が誰かの笑顔に繋がって良かった。
「そうだ。恐れながら、閣下に一つお聞きしたいことが」
「なんだ?」
もう良いというほど何度も感謝をされた後ティータイムの続きをしようと話して再びみんなで飲み物を飲んでいると、何か思い出したようにヴィオラ嬢から声をかけられる。
「武闘本大会で披露したデモンストレーションの際に水魔法で作った生物のことなのですが、あれは異世界の生物だったのですか?魔物図鑑を調べても見つけられなかったもので」
デモンストレーションの時の?
何を作ったんだっけ。
聞かれてもすぐに思い出せず首を傾げる。
「子供たちに質問して色々と作った中のどれだ?」
「子供たちの希望に応えて作ったものではなく、虹を作ったあと会場中を泳がせていた長くて大きな生物です」
「ああ、龍のことか」
「龍というのですか」
某有名漫画の神龍をイメージして作った龍。
この世界の魔物図鑑を見ても載っていないのは当然。
「たしかに異世界の生物だが、異世界でも伝説の生物として知られているだけで実在はしていない。龍は縁起が良いと言われているからデモンストレーションの一つに加えた」
「そうだったのですか。水中を優雅に泳いでいるように壮大で美しい姿が忘れられなくてずっと気になっていたのです」
「そうか。では見せてやろう」
ガゼボから腕だけ出して水魔法で龍を作る。
「わあああああ!本物!綺麗!」
身体を乗り出して空を見上げるヴィオラ嬢は大興奮。
よほど気に入ってくれてたらしい。
「凄い。鱗の模様まである。綺麗」
「私は賢者ではないが幸いにも賢者と同じ能力が使える。だから詳細にイメージすれば魔法もそれに応えてくれる」
目の前で見れるよう空を飛ばせていた龍をガゼボの高さまで降ろしてあげるとヴィオラ嬢は目を輝かせる。
「見て、レオナ。綺麗だよ」
「あー!」
ユーリア嬢の腕に抱かれているレオナ嬢もしっかり兎のぬいぐるみは死守しながら魔法に手を伸ばした。
「あ!触ったら消えて……あら?」
「消えないな」
慌てて止めようとした公爵夫人と公爵はレオナ嬢が触っても消えないことに不思議そうな顔をする。
「そうか。魔法だから当たり判定で消えるはずですね」
「ええ。だから止めようと思ったのだけど」
どうして公爵夫人が慌てたのか気付いたようで、ベルナルドは軽く手を叩く。
「これは水属性と時空間属性の複合魔法で作ってある。固定をすることで防御力が高まっている状態だから、私と同等の魔系数値のある者か精神力が高い者が攻撃しない限り壊れない」
消えない理由を種明かししながらガゼボの中にも同じ仕組みで作った熱帯魚たちを泳がせる。
「素敵。美しいだけでなく人を傷つけない優しい魔法だわ」
「ああ。この星で生まれた私たちにとって魔法は攻撃に使えるかどうかを重視するが、このように何者も傷つけない使い方もあるのだと改めて気付かせていただいた」
目の前の同じ水熱帯魚に触れて会話をする公爵夫妻。
まさかこのタイミングでイチャイチャを見せられるとは。
みんなは見慣れてるのか使用人たちも含めて龍や水熱帯魚に夢中だけど。
「比べるのも烏滸がましいですが、やはり閣下は凄いですね。賢者の私も水と時空間の複合魔法を使えますし形を変化させることも出来ますが、このように細部まで表現されている形を作ることは出来ません。如何に能力が高いのか、閣下が事も無げに作ったこれを見ただけで十二分に実感させられます」
俺の隣に座っている総領は水熱帯魚を見ながら話してから俺の方を見ると苦笑する。
「公爵が言ったようにこの星の人にとって魔法は攻撃手段だから俺のように魔法で遊ぶって考えがなかっただけだろ?総領も暇潰しにやっていたらすぐに慣れると思うぞ?あの転移の術式を一人で展開できるくらい能力が高いんだから」
魔導師と居たのにエミーが気付くくらい総領の能力は高い。
攻撃魔法特化型だからなおさら魔法で遊ぶという感覚がないだけで、想像力が乏しい訳じゃ無い限り娯楽に飢えた俺のように暇潰しでやっていればすぐに出来るようになる。
「身近に化け物が居たから分かる。総領は能力が高い」
相手の強さを見極めろと鬼軍曹から鍛えられてきたから、ある程度なら対峙した相手の強さを見極められる。
中にはアルク国王のように読めない人も居るけど。
「閣下にそう言っていただけると嬉しくなります」
「じゃあ四六時中褒めることにする」
「それは私を甘やかし過ぎでは?」
そんな会話を交わして笑う。
その後も安全な水魔法や聖魔法で遊びながら勇者の血族たちと穏やかな時間を過ごさせて貰った。
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無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。
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