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第十三章 進化
総領
しおりを挟む「英雄はご無事なのか!?このような酷い怪我を負ってお美しいお身体に傷が残ってしまったのでは!」
俺が脱いだ血塗れの軍服を見て床に跪いているのは総領。
アルク城の貴賓室で風呂を借りていたら総領が着替えを持って来たことを警護の騎士が知らせに来てくれて、すぐに上がるから先に部屋に通しておいてくれるよう頼んで急いで出てきたけど、出て早々に見た姿が俺の軍服を前に床に蹲っている姿というのが残念なイケメンの総領らしい。
「私は無事だし、傷も残っていない」
無事じゃなければ救援に来れてない。
大聖堂で一度俺と会ってるんだから少なくとも無事なことは分かってるだろうにと思いながら声をかけると総領は勢いよく振り返る。
「ミランさま!」
「しっかりなさってください!」
俺と目が合うと顔を両手で覆ってフッと力が抜けた総領の身体を両側からサッと支える従者。
「不可抗力とは言え英雄の素肌を見てしまった。罪深い私を殺してくれ。むしろ忘れる前に幸せな今殺してくれ」
「そのようなことで死なれては閣下のご迷惑になります」
「しっかりお立ちください」
総領の従者だけあって主人の対応には慣れているようだ。
「王命で着替えを用意して来てくれたと聞いた。私の身体に合う衣装は早々ないだろうに無理をさせてすまなかった」
「閣下のご衣装は全て揃っております」
「え?」
「お美しく神々しい御姿を一目見た時から着ていただきたい衣装の案が次々と湧き出て、今では屋敷に閣下の衣装専用の部屋がございます。むしろ日の目を見ることはないと思っていた衣装を着ていただける機会を得た喜びで天にも昇る思いです」
え……怖……。
なんで俺のサイズを知ってるんだ。
俺の情報は一部の衣装屋しか知らないのに。
いまだに顔を覆ったまま話す総領にドン引きする。
「誰かが情報を漏らした訳ではございませんのでご安心ください。私が目で見てサイズを把握しただけですので」
「……透視能力でもあるのか?」
「残念ながらそのように幸せな能力はございません」
見ただけでサイズを把握できるとか凄い才能だ。
いや、怖いけど。
「ミランさま、閣下がお風邪を召されます」
「すぐに準備を。私はまだ見れない」
「「承知しました」」
顔を覆ったままの主人に代わり準備をする従者。
テキパキと箱から衣装を出してマネキンに着せる。
残念な主人を持つと従者も大変だな。
エドとベルに大変な思いをさせてる俺も人のことは言えないけども。
「ガウンを羽織っているのにこうなるとは予想外だった」
そう独り言を呟く。
見えている素肌なんてガウンから出ている顔や首や手足や多少開けた胸元くらいなのに、それだけでも顔を覆って見ないようにされるとは。
「総領。私には見られて困るものはついていないぞ?」
総領の前に行って顔を覆っている手を掴む。
雌性の時や両性になったシモなら分かるけど、変身してない今ガウンから多少見える胸元は総領と同じ胸板でしかない。
「なりません!見れば気を失います!」
「胸板を見て気を失うなど特殊すぎるだろう」
「ご自身の美しさを自覚してください!閣下を男女の区切りで考えることが間違いです!美しいものは美しいのです!」
現実を見せるために顔から手を離そうとする俺と断固として離さない総領の地味な争いは続く。
「準備が整いました」
「ご衣装をお選びください!」
地味な争いの間にも有能な従者二人はサクサクと準備を進めてくれて、準備が出来たことを聞いた総領はまだ両手で顔を覆ったままで俺に訴える。
「強化と防御魔法までかけて防ぐとは」
そこまでしなくてもという気持ちが半分、能力の高さを実感させられたのが半分。
闇属性のレベルが高いらしく、強化と防御をかけてある総領の腕は俺の素の腕力だけでは動いてくれなかった。
「そこまでイヤなら後は従者に任せよう」
「イヤなのではなく気絶しないよう自己防衛を」
「私の全てを知ってくれないといつまでも総領に気を許せないだろう?これから長い付き合いになるというのに」
「え?」
気を抜いた総領の手を今度こそ顔から引き剥がす。
「むしろ嫌になるほど見て早く見慣れろ」
引き剥がした両手に指を絡め唇が触れそうな距離まで顔を近付ける。
「「ミランさま!」」
フッと力が抜けた総領の背中に手を添え受け止めて笑う。
ほんとからかいがいのある奴だ。
「今日のリハビリはこのくらいにしておこう」
従者の二人が支えた総領から手を離して距離を置く。
そんな俺を見て従者たちは苦笑していた。
「……この衣装は誰がデザインしているんだ?」
「ミランさまです」
「そうか」
総領がオーナーの女性用ブティックに行った時にも少し思ったけど、地球にあった洋服のようなデザインに近い。
例えばワンピースを例にすると、この世界ではシンプルな色やデザインでミモレ丈やマキシ丈のワンピースが主だけど、総領のブティックはカラーバリエーションも豊富でミニやミディも揃っていたし(俺が前回着たのはミディ丈)、形もキャミやオフショルダーやボウタイまであった。
持ってきた男性用も現代の地球人が着てそうなデザイン。
この世界ではダボッとした〝ストレートパンツ+シャツ〟や〝スラックス+ワイシャツ〟のような衣装が主流だけど、ボトムスだけでもデニムやカーゴやスキニーと複数あるし、コートもチェスターやトレンチやモッズと幅広く揃っていて、この世界の人が考えたデザインとは思えない洋服ばかり。
「総領」
「はい」
「以前行った女性用ブティックも総領のデザインか?」
「デザインは私と母と姉が担当しております」
「私が着た衣装は?」
「私です」
あれも英国風ファッションを思わせるデザインだった。
俺が居た時代の人が着ていても違和感がないくらいに。
だから俺にとっては見慣れているとも言えるデザインのあの服を選んだ。
「男性用衣装の店もやっているのか?」
「はい」
「そこではこのような衣装を販売してるのか?」
「いえ。ご用意したのは閣下に着ていただきたい衣装として考えたものですので流通させておりません」
着る対象を俺だけに絞ったデザインということか。
この世界でも地球に居た時に着ていたような洋服を着る日が来るとは思わなかった。
「一般的なご衣装もお持ちしております」
「いや。準備してくれたこの中から選ばせて貰う」
次々と質問したから気に入らなかったと勘違いさせてしまったらしく、この世界のオーソドックスな衣装も持ってきたことを話す従者の一人に答える。
機能性重視の衣装は動きやすいし汚れを気にしなくて済むから楽なのは間違いないけど、あらゆる洋服が揃っていた地球で生きていた俺としては時には洒落た洋服も着たい。
そう思っていた俺からすれば総領がデザインした洋服は願ってもない代物。
「勇者色の黒があるが良いのか?」
「こちらの黒は勇者色ではなく漆黒色です」
「違いがあるのか」
「はい。勇者色はこれと定められております。その色と配分が違えば使用しても問題はありません」
「そうなのか。黒を着てるのは国仕えだけの印象だが」
俺の色と言われている白銀色も多少でも違いがあって英雄色と断言しなければ罪には問われないけど、救世主の勇者色はみんな避けてる印象なんだけど。
「確かに黒は使用しないのが一般的です。売れませんので」
「売れない?」
「法に反する訳ではなくとも人目が。染め物に詳しくない者の目には同じに見えるのか非難されることもあって」
「ああ、だから避けるのか」
また見ないよう顔を覆っていてもしっかり説明はしてくれる総領から聞いて納得する。
誤解されて非難されたら堪らないから黒に分類される色はみんな避けているということか。
「そもそも閣下は両陛下と同じく使用する色に規制がないため紋章等の意匠を使用しない限り黒や金を使用しても非難される謂れもないのですが、その法を知らない無学の一般国民でも閣下の紋章色が黒と知っておりますので問題はございません」
「そうか。それなら良かった」
総領の言う通り英雄の俺に禁色はない。
禁じられているのは王家や勇者の意匠や紋章だけ。
それは王家や勇者も同じ。
「問題ないならボトムスはこれ、トップスはこれにしよう」
「承知いたしました」
細めの黒いデニムとV字ネックの黒いTシャツ。
身体のラインが出るような洋服を着るのは召喚されて初。
雌性用の衣装ならドレスで何度も着たけど。
「お手伝いいたします」
「よろしく頼む」
ガウンを脱いで下着一枚になると急に室内が静かになって、どうしたのかと振り返る。
「どうした?」
「不躾に眺めるなど不敬をお許しください。お身体に絵を描くという行為を初めて見たものですから驚いてしました」
「ああ、それか」
従者から深々と頭を下げて謝られて笑う。
やっぱりこの世界の人は絵を描いてあると思うようだ。
「これは絵の具を使った絵画ではなく刺青だ」
「刺青?」
「絵画は筆と絵の具を使いキャンバスに絵を描くが、これは彫刻と同じ彫り物だ。複数の針を束ねた道具を皮膚に刺して墨を入れている。だから擦ろうと入浴をしようと落ちない」
絵を描くのは同じでも道具が違う。
絵画は筆で描くもので刺青は針で彫るもの。
「筆ではなく針を使うのですか?」
「痛いのでは」
「まあ痛いな。わざと傷を作り墨を入れているのだから」
「なぜわざわざそのようなことを」
「ただのファッションだ。私にとってはこのように身体に穴を空けて装飾品を着けたりすることと変わらない」
耳を指さし舌を出してピアスを見せる。
刺青に関しては三日月型の痣をごまかすためという理由が大きかったけど。
「もう顔を覆うのはやめたのか?」
総領と目が合って聞くとハッとしたような表情をされる。
「ふ、不敬をお許しください。何の話をしているのかと気になったものですから」
従者たちとの会話が気になって好奇心に負けたらしく、心底申し訳なさそうに謝る総領に笑う。
「着替えている最中なのだから不敬でも何でもない。好きなだけ見るといい。先程も言ったように見て早く慣れろ」
着替える時は王家の人だって肌を晒す。
手伝う侍女や侍従だってその時には素肌を見るんだから不敬も何もない。
「私が着ることだけを考えて制作した衣装なのだろう?自分がデザインしたものを自分で着させたい願望はないのか?目測を誤っていてサイズが合わないかも知れないぞ?」
部屋を出て行かないのは気になるから。
見ないようにという自制心と見たいという願望の両方。
「総領がデザインした衣装は私が居た異世界の衣装によく似ている。この世界の普段着も気楽に着れていいんだが、異世界人の私が欲しかった衣装が存在したことに驚かされた」
総領の従者からボトムスを受け取り総領の前に行く。
「忙しいだろうから時間のある時だけでいい。私の衣装を今後も作ってくれないか?もちろん契約を結んで支払いもする」
「わ、私が閣下のご衣装を?」
「異世界の知識を教えるまでもなく私が欲しかった衣装を作ることが出来たのは総領だけだ。しかも私だけに対象を絞って考えたデザインの衣装を私が買わずに他の誰が買う?」
俺のためだけに作られた洋服。
流通させるつもりもなく眠らせておくのは勿体ない。
それなら今後は俺に着せるために作ってほしい。
「光栄の極みで夢ではないかと思ってしまいます」
「夢ではない。そのためにも見て触って私の身体を覚えろ」
総領の手を取って身体に触れさせる。
「……今日は強引ですね」
「早く見慣れて貰うためなら荒療治もする。プリエール公爵家や総領とは今後も交流を深めていきたいと考えていることは話しただろう?会う度に気を失いそうになられては困る」
少なくともラクの実に関しては既に契約を結ぶ予定になっているんだから、今後ますます会う機会が増える。
そのうえ異世界にあるような洋服も作れる唯一の人物とあれば個人的にも親睦を深めたいと思うのは当然。
「見慣れるよう努力します。自信はありませんが」
「そこは自信を持って断言して欲しかった」
「閣下が美し過ぎるのです。尊い」
言ってることも行動もまるで地球人のよう。
本当に異世界人の勇者の子孫なんじゃないかと疑うほどに。
実は勇者の子孫だということなら地球から召喚された俺と縁があるというのも納得できるんだけど。
「まあいい。最初は気絶さえ避けてくれたら」
総領も含めプリエール公爵家の人たちが面白いことは確か。
今後も付き合っていきたいと思っているから徐々にでも見慣れてくれたらそれで。
「……やはり透視能力があるんじゃないか?」
「ございません」
自分で履いたストレッチデニムはサイズも丈もピッタリ。
精霊族の中では背の高い195cmの俺の丈にピッタリということは完全に俺の体型に合わせて作られている。
「太腿はキツくはございませんか?」
「問題ない。ちょうどいい」
そもそもこの世界にストレッチデニムがあることが驚き。
少なくともブークリエ国の衣装屋では見たことがない。
異世界人から聞いて作ったんじゃないならとてつもない才能の持ち主。
「本当に総領は不思議だ」
「私がですか?」
「ああ」
容姿は疑いようもなくこの世界のエルフ族。
澄んだブルーの瞳と黒と赤を混ぜたような深く濃い赤髪。
エルフ族特有の耳もしているから地球人じゃないことは確かなんだけど、推し活をする日本人のような言動をしたり、発想が日本人(地球人)のようだったりと不思議で仕方ない。
「こちらもどうぞ」
「ありがとう」
従者から受け取った総領からトップスを渡され腕を通す。
その七分袖のタイトTシャツもやっぱりストレッチデニムと同じく伸縮性があって肌触りもいい。
「靴はこちらで如何でしょうか」
「ショートブーツか。デザインもいいな」
従者の一人から渡されたのは黒のショートブーツ。
シンプルだけど綺麗なシルエットで今の服装に合う。
靴下も黒で揃えてブーツを履き試しに足を動かしてみると履き心地も最高。
ただ一つ思うのは、靴のサイズまで分かってるのが怖い。
怖いけど総領のその特技のお蔭で日本に居た時に近い服装を着ることができた。
「この世界に召喚されて初めて異世界を思い出す落ち着く衣装を着ることが出来た気がする。総領のお蔭だ。ありがとう」
椅子に座りなおしても窮屈さは感じない。
総領が制作したこの洋服はこの世界の人の目には奇抜に映るかも知れないけど、21年日本で生きてきた俺には落ち着く。
ヒカルたちもこの洋服を見たら懐かしいと思うだろう。
「……二人は少し外してくれ。コートは私がお渡しする」
「「承知しました」」
自分の従者に席を外させた総領。
二人が出て行って扉が閉まったことを確認してから魔導具のハンドベルで防音魔法をかける。
「閣下。私の好意を知りながら酷いのでは?」
目の前に来て真顔で言った総領は俺の顔を両手で挟むと少し顔を上げさせて口付ける。
フレンチではなく舌の絡まるキス。
今日は雌性になってないのに平気なのかと思いながらも総領の舌の動きに応える。
「……拒絶しないのですか」
「拒絶されるのが好きな性癖なら付き合うぞ?」
「違いますし、容易く他人の性癖に付き合わないでください」
拒絶されて気持ち好くなってしまう性癖ではないらしく、呆れたように言う総領に笑う。
「それで、何が酷いんだ?酷いことをした覚えがない」
「自制心はあるつもりでも、好意を持つ相手から顔を寄せられたり身体を触らされたりすれば我慢にも限界があります。目が合うだけでも気を失いそうになる私に荒療治が過ぎる」
なるほど。
最後に目を合わせて礼を言ったアレがトドメになったのか。
「目が合うだけで気絶しそうなのに口付けは平気なのか?」
「平気なのではなく口付けたい欲が勝っただけです」
「欲望に勝るものはないということか」
くすりと笑って今度は俺から軽くキスをする。
「この姿の私と口付けても不快ではないんだな」
「この姿の?」
「前回は女性の姿に変身していたから不快感もなかったのかと思ったが、この姿でも躊躇がなかったことには少し驚いた」
俺は元々パンセクシャルだから好みのタイプの相手なら同性でも関係ないけど、総領が雌性の姿じゃない俺にも躊躇なくキスをしてきたことは意外だった。
「女性の姿の時だからしたくて男性の姿の時だからしたくないということはありません。私が狂おしいほど好意を抱いているのも口付けたいのも英雄公爵閣下という個人ですので」
そのストレートな告白に胸を撃ち抜かれる。
チョロ過ぎだろ、俺。
元から総領は好みのタイプだということがデカイけど。
「じゃあ両性の時でも平気か?」
「はい?」
「私は男性でも女性でもない。両性だ」
正確には『今日から両性になった』だけど。
「……閣下が両性?」
「ああ。こうして衣装の上から見れば男性にしか見えないだろうが、両方の外性器と内性器がある」
そう正直に話すと総領は俺を凝視する。
俺もジッと見返していると総領は胸元を押さえいつものようにグフッとなって俺の足元に跪く。
「愚か者……神々しい御姿を直視し過ぎだ」
誰に言ってんの?
自分で自分に説教してるのか?
面白すぎだろ。
「閣下。ご無礼を承知で幾つか質問をさせていただきたく」
「構わない。答えられることには答えよう」
俺の性別は両性という区切りになることが決まったから、今後交流を続けていけばいつかバレる。
だから交流がある人には先に話しておこうと思って手始めに総領に話した。
「両性というと聖典に書かれた戦の女神や魔族だけが持つ特別な性別の印象ですが異世界では珍しくないのか心はどちらなのか両方の外性器と内性器はどのような状態なのか外性器はどちらか寄りの造りなのか偏ることなくどちらの造りも完成されているのか機能はしているのか月の障りや妊娠や出産はできるのか精通はしたのか……聞きたいことが多過ぎるッッッ!」
「いや、怖」
息継ぎを忘れる勢いで質問してきた総領にドン引きする。
精霊族には両性が居ないから興味があるというレベルで済まされるような必死さではない。
「大丈夫か?息継ぎしないから」
「……ご無礼を……学者の血が騒ぎまして」
「学者?」
「実は国家技術開発研究所の博士でして……今は時に行くくらいですが……ラクの実の改良もその研究開発の過程で」
「え……凄……」
息切れしながらも説明する総領。
国が運営する研究所の博士ってマジで?
エミーといい総領といい、賢者ってみんなチートなの?
二人とも特大の残念な部分がある美形ってことが唯一の救い(俺のメンタル的に)。
「先走ってしまいましたがこれだけは……閣下が両性でも私の狂おしいほどの好意は変わりませんし、口付けたいです」
異空間からグラスを出して魔法で生成した水を注いで渡す。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
お礼を言ってゴクゴク飲む総領をジッと見る。
この世界に来てから魔王以外でこんなにストレートに自分の好意をぶつけてきた人は居なかったな。
「総領。私と成婚しないか?」
俺の提案を聞いた総領は飲みかけの水でゴフッとなる。
「馬車でラクの実の契約の話をした時に、私も総領が今想定している以上の利益で返せるよう手段を考えておくと話したことを覚えているか?私の紋章を掲げられるようになれば総領が想定していた以上の利益をうむと思うがどうだ?今は白銀色で商売をしているらしいが、堂々と英雄色として商売できる」
時空間魔法を使って零れた水を消しながら話す。
「血判契約を結ぶという手もあるが、総領以外の親族も英雄の紋章を掲げられるのは私の伴侶となった場合だけだ。成婚することで総領は継承権を弟妹に譲ることにはなるが、プリエール公爵家全体で見れば成婚した方が利益が大きい」
ただ紋章を分けるだけなら血判契約も手だけど、英雄の紋章を掲げて英雄の名前を使えるのは契約した個人だけ。
血判契約が出来るのは一族で一人と決まりがあるから、プリエール公爵家の当主の総領の父親は英雄の名前を使えない。
そうなると父親と総領の二人でやってる事業には使えないという制限付きの契約になってしまう。
「お待ちください。それは私の好意に応えてくれての成婚ではないですよね?あくまで商いの利益のための成婚で」
「いや?総領の好意にも応えている」
利益を考えて提案したことも事実。
だけどストレートな好意に対する俺なりの提案でもある。
「隣に座ってくれ。見下ろして話すことではない」
「承知しました。失礼いたします」
隣に座った総領はジッと俺の方を見る。
早く続きを話せとでも訴えているかのように。
「これは先に話しておきたい。私の性別は国で定めらた男性と女性のどちらでもなく、両性というもう一つの性別として扱われる。禁じられているのは同性婚であって、両性の私は男性と女性のどちらとも成婚できる。これは両陛下にも確認済みで法に触れることはない。ここまでは理解してくれたか?」
「はい」
突然の申し出に今は目の前のことで一杯なんだろうけど、落ち着いてきたらそもそもの問題として結婚できるのかと疑問に思うだろうから先に肝心のそれを説明する。
「それと先程の質問にあったが、私は外性器も内性器も形になっていて生殖行為を行うことは出来るが、男性としても女性としても子を授かることは出来ない。そのため特殊縁組を利用して英雄公爵家を継いでくれる養子を迎えることになる。つまり誰と成婚しても私の血を継ぐ子は誕生しない」
真剣な顔で話を聞いている総領。
こういう時は残念なイケメンには見えない。
「総領は子供が欲しいか?」
「いえ。以前お話ししたように成婚しないつもりでしたから。成婚した後の話になる子のことは考えたこともありません」
「そうか」
総領もエミーと同じ賢者。
天地戦が開戦したら勇者を魔王のところに送り届ける役目を果たして死ぬことになる。
「閣下!?」
「あれ……?」
無意識にポタリと落ちた涙の粒。
たった一粒だけ何故か涙が落ちた。
「ど、どこか痛いのですか!?医療師を」
「大丈夫。どこも痛くない」
「ですが泣いて」
「いやもう泣いてない」
「……そのようですね」
総領も不思議そうな顔をしてるけど俺にも分からない。
本当にたった一粒だけ、エミーと同じ賢者の総領も開戦したら死ぬことになると考えたらポロリと落ちた。
天地戦が大切な人たちの命を奪うことになることはもう嫌ってほど分かっていて、自分も敗北した方と結末を共にすることを決めた時から覚悟もできているのに今更どうして涙が。
「驚かせて悪かった」
心配そうに俺を見る総領。
結婚の話よりも今は俺が泣いたことの方が気掛かりのようだ。
「総領。私は人を愛せない」
「……え?」
「好意的に思う人なら居る。例えば召喚された時から仕えてくれてるエドワードとベルティーユの二人は大好きだし家族のような存在だ。師匠のエミーもそう。ブークリエ国王陛下も師団長も騎士団の人たちも友人の冒険者たちも領地の人たちも好きだ。全員の名前を言っていたら何時間あっても足りないし、心から大切な人たちだと思っている。でも恋愛の愛はない」
俺の中に居る月神の愛を感じ取って愛おしいと思うことはあるけど、それは月神の感情で俺の感情じゃない。
いや、正確には愛おしいという感情は俺にもあるけど、恋愛感情での愛おしいとは別物だと思う。
「私の成婚条件は私が居なくても生きていける人。好きにはなれるし自分なりに大切にもするが、恋愛感情で結ばれた夫婦のような関係性にはなれない。だから相手にも愛を望まない。英雄公爵屋敷の主人として自分の役目を果たすことと、英雄の名前や権力を使って悪さをしないでくれたら商売も恋愛も自由にしてくれていい。私も機密情報の塊で話せないことが沢山あるのに相手にだけ不自由を強いたりしない」
それが俺の条件。
成婚しないかと言ったのは俺の方だから、悪条件のそれもしっかり話しておきたかった。
「でも誰でもいい訳ではない。成婚の話をした理由に総領やプリエール公爵家に利益をという考えがあることは事実。アルク国王陛下の血筋なら私の名前や権力で悪巧みはしないだろうという考えもある。ただ何より、好みのタイプで面白くて知識も豊富で私の居た異世界の人のような感覚すら覚える総領と成婚したら有意義な時間を過ごせるだろうと思った」
同じ異世界から召喚された勇者と俺の生活は別。
一人でこの世界の人の中に混ざって生きてきたけど、総領とは同郷の人と居るような気持ちになる。
「総領と居ると楽しいし懐かしい気分になれるし癒される。それは誰からでも感じられる感情じゃない。総領だからだ」
色々な要素が重なって総領に成婚しないかと言った。
その場のノリで適当に言った訳じゃない。
「返事は今じゃなくて」
「します」
「え?ゆっくり考え」
「します」
被せるように二度キッパリと返事をした総領はあまりの即決めに逆に驚く俺を見てくすりと笑う。
「互いに商いを多く手掛けているので話し合いをして詰める必要はありますが、そこは互いの妥協点を見つけましょう」
「いや、決断するの早」
「天地戦が開戦するまでにどれほどの時間が残されているか分かりません。だからこそ残された時間は自分が初めて美しいと思うことの出来た閣下と生きたいと思います」
残された時間を俺と。
賢者として天地戦で死ぬ覚悟の出来ている総領だからこその決断の速さなんだろう。
「私は商いや国から依頼される研究もありますし天地戦以降に何も出来なくなりますので、第一夫人以外でお願いします。私と閣下のどちらが夫人で主人になるのか分かりませんが」
「総領となら私が夫人ではないか?恐らく」
そう話して笑う。
たしかにそこはどうなるのか知らない。
どちらも主人でいいとは思うけど。
「私と成婚するのでしたら人族と獣人族からも伴侶を迎えなければならないのでは?」
「ああ。言葉を崩してもいいか?」
「どうぞ。二人になった際にお話しするべきでしたね。気が利かずに申し訳ございません」
「総領も徐々にでもいいから言葉を崩して肩の力を抜いてくれたら。伴侶になった相手と堅苦しく会話したくない」
「分かりました。そうします」
伴侶になったら俺への言葉遣いも不敬にはならない。
英雄公爵と伴侶という身分で公の場(国王の前など)に出る時には敬語を使う必要があるけど。
「先に返事をくれた総領には話しておくけど、人族は師匠のエミーに話すつもり。前に話したことがあって、その時はエミーに成婚したい相手が現れなければってことで終わったけど」
「関係の深い方であれば信頼できますので良いと思いますが、アポトール公爵も賢者ですので第一夫人は無理かと」
「うん。エミーからも私は軍人で余り家に居れないから第一夫人以降にしてくれって言われた」
ですよねという表情で苦笑される。
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「後はエルフ族にもう一人。返事待ちだから言えないけど」
「え?私以外にも?」
「その人は俺から言ったんじゃなくて、とある人から娶って欲しいって頼まれた。ただ俺の出す成婚条件がロクでもないから本人にその気がないなら成婚しないって言ってある」
長官のことはまだ話せない。
書簡なり何なりで断りが届いたら話を持ち出した二妃にだけ断りを入れて、そのまま誰にも言わず終わらせるつもり。
長官の今後のためにもその方がいい。
「国が違うエルフ族に第一夫人は厳しいかもしれません。ブークリエ国の法や日常生活の違いから学ぶ必要がありますので。元々人族と交流がある方や博識な方ならいいですが」
「最低限の交流しかないと思う。頭のいい人ではあるけど」
総領とエミーは国仕えの博士や軍人だから第一夫人は無理。
二妃も長官じゃなく人族を第一夫人にと言ってたから、長官が人族(の生活)に詳しいとは思えない。
商人なら取り引きで繋がりがあるから多少は人族のことも分かるだろうけど、長官も元は国仕えの警備長官だから自国のことが中心だっただろうし。
「獣人族で考えている方は居ないのですか?」
「居ない。俺の専属執事と召使が獣人だけど、さっき言ったように二人は家族のような存在だから関係性を壊したくない」
「成婚すると関係性も変化しますからね。よい関係性のようですから別の方にした方がいいかと」
二人は俺の可愛い可愛い家族。
だからこそ絶対にない。
今のまま可愛いエドとベルで居て欲しい。
「第一夫人になって一番苦労するのは学び舎もない貴族も居ない獣人族でしょう。そうなりますと人族から第一夫人になれる優秀な方をもう一名お迎えするしかありませんね」
「絶望」
この世界の貴族が正式に迎えられる人数は第五夫人まで(※養えるだけの収入のある公爵家に限る)。
とは言っても実際に迎えるのは第二夫人や第三夫人までの人が殆どで、フルに第五夫人まで居る人は稀。
五人の生活の保証をしないといけないし、夫人の人数だけ子供の人数も増えるし、全て夫人任せで放置する訳にも行かないから一つしかない身体であちこちに行くことになるんだから、現実的な第二夫人や第三夫人までにしておくのも当然。
元は結婚願望のない俺が五人も成婚するとか。
絶望する俺に総領は苦笑した。
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仕事帰りに襲われて、気が付くと見知らぬ世界のベッドの上だった。

異世界召喚でクラスの勇者達よりも強い俺は無能として追放処刑されたので自由に旅をします
Dakurai
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クラスで授業していた不動無限は突如と教室が光に包み込まれ気がつくと異世界に召喚されてしまった。神による儀式でとある神によってのスキルを得たがスキルが強すぎてスキル無しと勘違いされ更にはクラスメイトと王女による思惑で追放処刑に会ってしまうしかし最強スキルと聖獣のカワウソによって難を逃れと思ったらクラスの女子中野蒼花がついてきた。
相棒のカワウソとクラスの中野蒼花そして異世界の仲間と共にこの世界を自由に旅をします。
現在、第三章フェレスト王国エルフ編


俺しか使えない『アイテムボックス』がバグってる
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俗にいう神様転生とやらを経験することになった主人公――札月沖長。ただしよくあるような最強でチートな能力をもらい、異世界ではしゃぐつもりなど到底なかった沖長は、丈夫な身体と便利なアイテムボックスだけを望んだ。しかしこの二つ、神がどういう解釈をしていたのか、特にアイテムボックスについてはバグっているのではと思うほどの能力を有していた。これはこれで便利に使えばいいかと思っていたが、どうも自分だけが転生者ではなく、一緒に同世界へ転生した者たちがいるようで……。しかもそいつらは自分が主人公で、沖長をイレギュラーだの踏み台だなどと言ってくる。これは異世界ではなく現代ファンタジーの世界に転生することになった男が、その世界の真実を知りながらもマイペースに生きる物語である。
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