249 / 283
第十三章 進化
要請
しおりを挟む大聖堂前の広場に居た人たちは見た。
白銀の鎧を身に着けた白い翼を持つ大天使を。
漆黒の鎧を身に着けた黒い翼を持つ大天使を。
二体の大天使の間で白と黒の翼を羽ばたかせる英雄を。
漆黒の大天使が振った大剣で人々の身体は切り裂かれる。
死を悟る間も怯える間もなく全ての人々の身体が切り裂かれ、その一瞬後には死んでいないことに気付く。
まるで幻を見たかのように。
ただ、中には死んだ者も。
漆黒の大天使の大剣で切り裂かれたことはみんな同じなのに、そのまま死んだ者と死ななかった者とに分かれた。
何が起きているのか分からない人々。
大天使という神階の高い神の存在を目視できていることも、自分たちに起きていることも、余りに現実離れしていて。
その戸惑いに追い討ちをかけるかのように白銀の大天使が天に白銀の槍を翳すと眩い光が放たれる。
不思議とその光は温かくて、優しく抱きしめられているような心地良い気分になった。
そうして自分の状況に驚く人も居れば、中には周囲の状況に驚く人の姿も。
爆発した二箇所は血の海。
血の海の中には爆発に巻き込まれた多くの人が倒れていて、酷い者は性別すら確認できないほどの無惨な姿になっている。
まるで終焉を描いた絵画のような光景。
ただ、驚いたのはそこではない。
爆発に巻き込まれて大怪我をしていた者が、手足が吹き飛び唸り声をあげていた者が、大量の血の海の中で命が尽きかけようとしている者が、既に命が尽きたように見えた者が、本人たちですらも不思議そうな顔をしながら起き上がったから。
死んでいもおかしくない身体状態からの奇跡の生還。
いや、もうこれは幸運や奇跡などという在り来りな言葉では片付けることの出来ない神の所業。
そして人々は漸く悟った。
英雄が自分たちを救ってくれたのだと。
大天使の行動で生かされた者と死んだ者とに分かれたのは犯人か否かで、罪なき者は生かされ罪人は粛清されたのだと。
白と黒の大天使を従えた逞しく美しい白銀色の英雄が、神の力を使って自分たちをまた救ってくれたのだと。
それに気付いた人々は両手を組み祈る。
澄んだ青空で白と黒の翼を羽ばたかせている英雄に。
爆破犯から自分たちを守ってくれたことに感謝して。
死にかけていた家族の命を救って貰ったことに感謝して。
怪我を負った我が子の怪我を治して貰ったことに感謝して。
衣装は破れ血塗れなのに傷一つない自分の身体を見て、英雄のお蔭で生き延びることができたのだと気付き感謝して。
自分を、家族を、恋人を、友人を救ってくれた英雄に。
「きゃー!」
「英雄!」
祈る人々の目に映ったのは翼が消えて落下する英雄の姿。
自分たちを救ってくれた命の恩人が空高くから真っ逆さまに落ちるのを見て多くの人々が悲鳴をあげる。
「「シンさま!」」
翼が消えたのと同時に白と黒の大天使が霧散したのを見て真っ先に走り出していたのは二人の獣人。
状況確認に奔走していた軍人たちも落下地点を予想して救出に向かう。
英雄が居たのは大聖堂よりも遙か高い上空。
仮に魔法を使って身体を受け止めても命の保証はない。
それでも英雄を救うために多くの人々が走った。
間に合わない。
誰もがそう思った瞬間にバサリと動いた白と黒の翼。
地面に落下する寸前に意識を取り戻した英雄が再びふわりと空に舞い上がった。
「シンさま!」
「ご無事ですか!?」
「大丈夫!一瞬意識を失ったっぽいけど何ともない!」
人々は英雄が自分の従者と話す姿を見てホッと安心する。
中には安心して腰が抜けた人も。
『諸君、驚かせてすまなかった。この場に居た実行犯や加担していた者は黒の大天使に裁かれた。後は警備の指示に従い落ち着いて行動して欲しい。罪のない者には白の大天使が回復をかけたはずだが、私が途中で意識を失い消えてしまった所為で完治しなかった者が居れば申し出てくれ。すぐに治療をする』
異空間から取り出した拡声石を使い聞こえて来た英雄の声。
自分も深手の怪我を負って白の軍服を血で染めていながらも国民を安心させるために声をかける英雄の姿に人々は感謝の声や歓声をあげる。
英雄は多くの人々の希望。
爆発によって平和への希望は一度奪われたものの、英雄という平和の象徴によって再び人々の心には希望の光が灯った。
『英雄。大聖堂の中に』
別の拡声石を通して聞こえて来たのは賢者の声。
王都に暮らす唯一の賢者で国王軍の最高指揮官でもある彼女が英雄を呼び出したとあって、人々は何かあったのかと一瞬にして不安になる。
『不安になる必要はない。仮に何かあったのだとしても私がまた諸君を救ってみせる。それが英雄の私の役目なのだから。安心して軍人や警備の指示に従ってくれ。騎士と魔導師は国民の安全を第一に誘導を。もし負傷者が居れば治療を頼む』
英雄が『救ってみせる』と言ったことで人々は安心する。
その一言で人々の心が動くほどに英雄の言葉は重い。
口だけではなく今までに幾度も多くの人を救った実績があるからこそ、英雄の言葉は人々から信頼される。
「どうした」
「身体は大丈夫なのか?撃たれたと聞いたが」
「うん。上級回復で治ったから平気」
正面バルコニーで待っていたエミーのところに降りると撃たれて負った怪我のことを真っ先に聞かれて答える。
本当は銃弾を受けた前の肉体は死んだけど。
「こっち」
「ん?」
袖を引かれ入った大聖堂の中で待っていたのは王家の面々。
国王のおっさんだけでなく王妃たちやルナさまも居て、深刻そうな表情で俺を見ている。
「もしかして粛清したことがマズかったとか?追撃も有り得るあの状況で取り調べのために疑わしい人を一人ずつ捕まえてたら別の犠牲者が出たかもしれないし、あの場で出来ることの判断としては間違ってなかったと思うんだけど」
「いや、そうではない。貴殿のお蔭で多くの民が救われたのだから感謝している」
じゃあ何で?
呼ばれた理由がそれしか思い付かずに聞くと否定されて首を傾げる。
「既に犯人が何者かは分かっている」
「もう?」
よくこんなに早く分かったな。
少なくとも広場に居た実行犯や共謀者はみんなヘルの粛清対象になったはずだけど。
どんなに取り繕ったところで生命が神を欺けるはずもない。
「アルク国でも同様の爆破事件が起きたようだ」
「……え?」
「つい先ほど報せが届いて私も知ったばかりだが、あちらでは祝儀の最中に連続して五箇所で爆発が起きたらしい」
予想もしていなかった話に驚く。
王家が避難もせずまだ残っていたのは両国で同様の事件が起きた報せが届いたからだったのか。
「犯人は革命家集団と壊滅派の残党。今は犯人の確保と負傷者の治療にあたっているらしいが、重症者の数も多く既に死者も出ているとのこと。アルク国王や正妃、護衛をしていた軍人たちも負傷していて手が足りず、我が国に救援を頼むと」
報せが救援要請だったことを知って血の気が引く。
厳重に護衛が付いていただろう王家にも負傷者が出てるならこの国よりも大規模な爆発が起きたと予想できる。
「俺は先に行って人命救助を手伝う」
「そう言うと思ったが、身体や魔力量は大丈夫なのか?」
「怪我は完治したし魔力量もまだ余裕があるから平気」
先に行くと言い出すことは予想していたようで、国王のおっさんは俺を一通り確認したあと頷く。
「場所は貴殿が公務で訪問したアルク大聖堂。負傷者を動かせる状況でないらしく、医療師や魔法医療師が集まりその場で治療を行っているとのこと。王家もまだ大聖堂に居るようだ」
「分かった。状況が落ち着き次第報告する」
「気をつけるのだぞ」
「うん」
軍人と一緒に行動したら早くても到着は夜。
既に死者が出ているほどの状況なら一分一秒も惜しい。
バルコニーから出て胸元を染める血の跡を隠すために異空間から出したロングケープを羽織りながら空に飛んで魔祖渡りを使った。
・
・
・
一瞬でアルク大聖堂の上空に到着。
灰色の煙が立ち昇っている四箇所の内の一箇所はまさしく王家が居ただろうアルク大聖堂。
予想はしていたけどブークリエ国より凄惨な状況。
広場の敷地が広いだけに集まっていた人も多かったようで、負傷者の数も避難する人の数も多過ぎる。
『誰でもいい!状況と負傷者の報告を!』
「英雄!?」
負傷者や治療にあたる医療師たちも含め多くの人が居るこの中から軍の上官を捜すには時間がかかってしまう。
救援に来たことを大聖堂内に居るだろう王家や軍人に報せるためにも拡声石を使って空から声をかけながら広場に降りた。
「国から救援要請を受けた。私も手伝おう」
「ありがとうございます!」
地面に寝かされている負傷者の治療をしている医療師たち。
怪我は負っているものの座っていられる比較的軽度な軽傷者も居るけど、大量出血している者や身体が破損している者も。
中には既に事切れているのか身体の上に毛布やシートをかけられている人も居る。
「負傷者の数ですが、まだ把握できておりません」
「ああ。降りて間近で状況を見て分かった。報告を聞くのは後にして負傷者の治療を優先した方が良さそうだ」
負傷者については降りた傍に居た警備が報告してくれたけど、この状況では把握できていないのも当然だろう。
見える範囲だけでも数十人の医療師や魔法医療師が治療をしたり回復をかけたりとしてるものの、医療師や魔法医療師一人につき負傷者も一人しか対応できないから追いついてない。
「英雄!うちの子を助けてください!」
「呼吸をしてないんです!お願いします!」
「下がって!」
「下がりなさい!」
俺が来たことを知った負傷者の家族や伴侶だろう人たちが集まってきて警備が俺を守るように周囲を囲む。
泣きながら訴える者や自分も流血していながらも必死に訴える者も居て胸が痛む。
「私は空から治療を行う」
「わかりました!」
再び翼を出して空まで飛んで両手を組む。
見えている範囲が広い方がイメージがし易いから。
一人でも多くの人を救えるように。
「罪なき者たちに」
【ピコン(音)!特殊恩恵〝神力〟の効果により全パラメータのリミット制御を解除、限界突破。特殊恩恵〝神子〟の効果により回復量が上昇。特殊恩恵〝神力〟と〝始祖〟の効果により魔素を吸収し魔力へ変換。上限値の第一解放に成功】
……被せてきたな。
特殊恩恵なしに普段通りの範囲上級回復をかけても俺が思い描いているほどの効果は得られないということだろう。
俺の能力を誰よりも知っているのは中の人だから。
【神魔特殊召喚。聖天使シェル。死天使ヘルを召喚します】
二度目の召喚。
アルク国の王都上空に暗雲がかかって巨大な召喚陣が二つ描かれる。
「どうしてヘルまで?回復ならシェルと俺だけでも」
【民に扮した犯人が5名。内3名が爆弾を所持しています】
それを聞いてすぐに異空間から拡声石を出す。
人混みに紛れて爆破するタイミングを狙っているのかと。
『民に扮し逮捕を逃れている残党に告ぐ。今すぐ両手をあげて降伏せよ。さもなくば私が英雄の権限を行使し粛清を行う。これは一度限りの忠告だ。速やかに降伏せよ』
爆弾を起爆されたら困るから本当は気付いていることを報せないまま粛清した方がいいけど、他国だから先に忠告をする。
国によって今回の犯人に対する対応が違うだろうから。
「やっぱり降伏しないか」
自分が犯人だと分からないよう一般の人を装って人々に紛れているくらいだから、カマをかけているだけかも知れない忠告では降伏しないだろうとは思った。
召喚陣から巨大なシェルとヘルが召喚されると静かに。
これだけの人が居るにも関わらず静かになるほど神々しい大天使の存在は人々を圧倒させる。
『承知した。罪人として死にたいと言うなら、私がお前たちの命を奪う業を背負おう。神による公平な審判を受けよ】
本当は俺だって人の命を奪うなんてしたくない。
でもその人を生かすことで罪のない人が犠牲になるくらいなら例え自分が業を背負うことになるとしても粛清する。
それも英雄の役目だから。
『罪なき者には生を、罪深き者には死を』
【審判の時】
一度目の時と同じようにヘルが大剣で空を斬ると人々の身体は真っ二つに切り裂かれ、シェルが槍を空に向けて翳すと優しく温かい光が放たれる。
その間も広場は静か。
切り裂かれたのも瞬きをしていたら見逃してしまうほどの一瞬の出来事で後はただ温かい光を浴びているだけだから、驚いたり怯えて悲鳴をあげる暇もなかったんだろう。
理解が追いつかなくて無言に。
それが広場に居る人々の今の状況。
「シェル、ヘル、今日だけで二度も顕現させてごめん。力を貸してくれてありがとう。後は俺が範囲上級回復で治療する」
徐々に人々が動き始め歓声も聞こえ始めたところでシェルの光が消えて、意識を失って伝えられなかった一度目の分も含めてお礼を伝える。
【我らが創造主。我々はいつも貴方さまのお傍に】
【いつでもお呼びください】
「ありがとう」
俺に向かってその場に跪いたシェルとヘルにもう一度お礼を伝えると、二人は霧散するかのように消えた。
「中の人。まだ治ってない負傷者の数は分かるか?」
【おりません】
「え?」
【ゼロです。既に事切れていた者以外は全て治癒しました】
残党の数が分かったくらいだから、あわよくば負傷者の数も分かったりしないかと思って聞くとキッパリ言われる。
「大天使だから能力が高いのは分かるけど、何百何千と居そうな全員を斬ったり回復したり、シェルとヘルって凄くね?」
【召喚される神魔の種類や能力は術者シン・ユウナギの能力により変化します。此度神族の身体を取り戻し叙事詩が解放されたことで審判を行える範囲が広がりました】
つまり覚醒して俺の能力が上がったからシェルとヘルの能力も上がったということか。
「今日だけで二度覚醒したらしいからな。一度目は意識がない間だったから精霊神が話してくれるまで知らなかったけど」
【主神の居られる神界でステータス画面は開けません。ですので神界を出るまでお伝えすることも出来ませんでした】
「そうなんだ?」
【ステータス画面はこの星での機能ですので】
「あ、そっか。地球もステータス画面どころか魔法もなかったし、世界が違えば使える物と使えない物も変わるんだな」
納得。
だから神界から落下している最中だった二度目の覚醒の時は中の人も起動できたのか。
「で、俺の正確なパラメータの数値はどこまで上がった?」
【…………】
その質問には無言。
これだけ流暢に会話できるようになってもそこは教えてくれないらしい。
「まあいいか。中の人が知っててくれれば。その変わり居なくなられたらどの位のことが出来るのか分からなくなるから、最期までしっかり俺の面倒みてくれよ?信用してるからな」
【承知しました】
俺にとって中の人はただの口語機能じゃない。
俺の願いに沿う能力を発動させてくれたり、知恵袋のように色々なことを教えてくれたり、掛け替えのないパートナー。
さっき人が集まって警備や医療師や魔法医療師に迷惑をかけてしまったから落ち着くまで少し様子を見てから降りる。
「英雄公爵閣下」
「ラウロ団長」
「救援に駆けつけてくださり心より感謝申しあげます。お蔭様で多くの国民の命が救われました」
待っていたのはラウロさんと数名の騎士と魔導師。
俺に向かって胸に手をあてると頭を下げる。
「国や民が危機的状況にあれば駆けつけるのは英雄として当然のこと。一人でも多くの者を救えたのならば幸いだ」
あくまでも一人でも多くの。
すぐに駆けつけようとも救えなかった人も少なくない。
俺が来た時には既に事切れていた人も居たから。
「早々に心苦しいですが大聖堂までお願いしたく存じます」
「ああ」
王家が居るのは大聖堂の中。
救援要請を受けて来たから呼ばれるのも当然。
ラウロさんと数名の魔導師や騎士に護衛されながら大聖堂に向かった。
「……!」
大聖堂に入ると目に飛び込んだのは壮絶な治療風景。
そこに居る負傷者は全て軍人と聖職者で、医療師や魔法医療師の他にも回復を使える聖職者が治療にあたっている。
「まだ負傷者が居たのか」
「ここに居る負傷者は大聖堂で儀式を行っていた聖職者と警備や護衛に付いていた軍人です」
椅子に座って治療を受けている人、床に寝かされて治療を受けている人、既に治療を受けたらしく包帯を巻かれているものの腕や足のない人も居て、医療師たちが互いに忙しなく指示を出す声に混ざって負傷者の唸り声も聞こえている。
「儀式中に爆発したと聞いたが結界は成功したようだな」
「はい。教皇代理や枢機卿数名が大怪我を負いながらも結界をはってくださいました。ただ、今は意識がなく治療中です」
話を聞きつつ手を組み範囲上級回復をかける。
ラウロさんが「大聖堂に」とだけでこの状況を話さなかったのはあの場に多く居た一般国民を不安にさせないためか。
王家や聖職者といった身分の高い人たちに何かあったことを知れば動揺して別の混乱をうむから。
ポツポツと広がって行く医療師たちの驚く声。
みんな目の前の負傷者を治療することに必死で俺に気付いていなかったらしく、急に治って驚いたようだ。
「英雄公!」
自分を呼ぶ声で瞼を上げるとその人の声でみんなも気付いたようで、大聖堂の入口に立っている俺の方を見ていた。
「私も治療を手伝う!みなも引き続き重傷者の治療を!」
『はいっ!』
まだ全ての人が治った訳じゃないけど、今まで険しい表情で忙しなく治療をしていた医療師たちも少し安堵した表情に。
それほど必死に負傷者を救おうとしていたということ。
「陛下や王妃殿下も怪我を負ったと聞いたがどこに居る」
「大聖堂の三階に居られます」
回復は続けていてふと国王のおっさんがアルク国王や王妃も負傷したと言ってたことを思い出してラウロさんを見る。
「濁さず聞こう。生死を彷徨っている重傷者は何名居る」
「……爆破の起きた儀式の間に居た教皇代理と枢機卿が四名の計五名。同じく爆破の起きた正面バルコニー付近に居られた陛下と正妃殿下、陛下方の護衛に付いていたダンテ騎士団長を含む軍人と近衛騎士が八名にございます」
たしかに救援要請では爆発が起きたのは五箇所と言っていたのに、空から見て煙が立ち上っていたのは四箇所だった。
大聖堂だけで二箇所の爆発が起きたから重傷者の数も多いのかと、ラウロさんの話を聞いて納得した。
「つまり各階に重体の者が居るということだな?」
「はい。地下では教皇代理と枢機卿、二階ではダンテ騎士団長と近衛騎士、三階では陛下と正妃が治療を受けております」
「のんびり一階ずつ治療して回る時間はないな」
各階で王宮医療師や魔法医療師や賢者が治療をしてるだろうけど、重体の人の治療は一分一秒の違いで生死が分かれる。
みんなの命を救いたいなら今すぐにでも全員に上級回復をかけるしかない。
【ピコン(音)!特殊恩恵〝神力〟の効果により全パラメータのリミット制御を解除、限界突破。特殊恩恵〝神子〟と〝主神に愛されし遊び人〟の効果により回復量が上昇。特殊恩恵〝***〟の効果、慈愛の息吹きが発動します】
聞き取れない言葉を中の人が告げると俺の足元から物凄いスピードで魔法陣(術式)が広がり壁や天井にも描かれて行く。
今居る礼拝堂以外の場所は見えてる訳じゃないけど、大聖堂全体にその術式が描かれたことが感覚で分かった。
「……英雄公爵閣下」
「危険なものではない。私の能力だ」
確認するように俺を見たラウロさんに答える。
俺も初めて見るけど危険じゃないことは断言できる。
中の人が俺の願いに沿う能力を発動させてくれただけ。
「全員救いたい。自己満足でしかない私のその願いを叶えるためには大聖堂に居る全員へ一斉に回復をかけるしかない」
翼が生えて身体が浮かぶと礼拝堂の左右にある巨大なパイプオルガンがカッチーニのアヴェ・マリアを自動で奏で始める。
この世界にはないはずの異世界の曲なのはきっと、俺の能力で音楽を奏でているからなんだろう。
「傷を負い苦しんでいる罪なき生命たちに神の癒しを」
美しいパイプオルガンの音色を聴きながら再び両手を組んで祈ると花の香りがするそよ風が吹いて、大聖堂の鐘塔にある大鐘も共鳴するかのように鳴り始めた。
パイプオルガンが奏でる賛美歌と鳴り響く大鐘。
その荘厳な音色を聴きながら固く手を組んで祈る。
大聖堂に居る全ての負傷者たちの命を繋ぎ止めるために。
自分たちの歪んだ主張を伝えるために罪のない多くの人の命を利用した革命家や壊滅派の思い通りにはさせない。
万物の創造神に誕生したことの感謝を、今を生きていることの感謝を、今年も平和であるようにと祈りを捧げる大切な日を、同じ生命の命を奪う絶好の機会とでもいうように利用した革命家や壊滅派の思い通りにはさせない。
どんなに命が尽きかけた人だろうと救ってみせる。
例えそれでまた自分の生命力が削られるんだとしても。
だって俺は英雄で、創造神の子供だから。
いや、そうじゃない。
俺自身がそれを許せないから、多くの罪のない人を巻き込んで命を奪うような奴らには屈服しない。
「生命は愚かだ。それでも愛おしい」
口が動いて発した言葉は俺の言葉じゃない。
それはきっと俺の中に居る月神の言葉。
愛する者が創造した世界と星と生命を誰よりも愛して見守り続けている月神の本音。
時間にして数十分。
礼拝堂に集まってきた聖職者や王家。
「英雄」
最後にダンテさんや宰相やプリエール公爵家の人たちと一緒に姿を見せたのはアルク国王。
礼拝堂の高くに居る俺を見上げているアルク国王から俺を呼ぶ声が聞こえた気がしてその姿を見ると、大聖堂を包みこむように張り巡っていた複雑な文字の術式がすうっと消えた。
「御回復お慶び申し上げます」
アルク国王の前に降りてその場に跪き頭を下げる。
「やはり貴殿だったか」
そう言いながらアルク国王は俺の前にしゃがむと手をとって立ち上がらせた。
「貴殿が私に跪く必要はない。幾度この国が、民が、王家が、私が貴殿に救われたと思っている。神の力を持つ唯一の者よりも自分の身分が上だと思うほど私は愚かではないぞ」
いや、実際に国王の方が身分は上だけどな。
でもそれは一国の王が俺の存在を平等だと認めた発言には違いなく、少しだけ礼拝堂は騒がしくなった。
「もう既に貴殿は英雄という存在の域を超えている。神そのものの貴殿からすれば国王の私など矮小な生命でしかない」
ああ、はい。
初代エルフの生まれ変わりのアルク国王には俺が完全に神族に戻ったことが分かったのか。
「陛下お戯れを。私はただの異世界人です」
「ああ、そうだったな」
くつくつと笑うアルク国王。
マントを羽織って隠しているものの衣装にはべったりと血が付いていて破れてもいるから相当な重傷だったはずだけど、治ったら治ったで食えない。
「だがこれだけは言わせて欲しい。多くの民を、聖職者を、軍の者を、王家の私たちの命を救ってくれたことに感謝する」
アルク国王が頭を下げると俺とアルク国王以外の人はその場に跪いて頭を下げる。
国王が下げた頭よりも低く床に跪いて頭を下げることで自分たちは国王よりも身分が下だと体現すると同時に、俺への感謝を伝えるために。
「私は両陛下より精霊族の守護者として勲章と称号を賜った英雄です。自分のその使命を果たしたまでのこと。私の力で一人でも多くの人の命を救うことが出来たのでしたら幸いです」
自分が救いたいと思ったから救っただけ。
誰かに感謝をして貰いたくてしてる訳じゃない。
ただ自分が思うままに行動しているだけのそれは今までもこれからも変わらない。
・
・
・
『そうか。間に合ったようで良かった』
「そちらでも同様の爆破事件が起きていたというのに救援要請に応えてくれたことに深く感謝する」
『我が国は先の二発だけで、残りの爆弾を抱えた残党は英雄が速やかに粛清したことで限定的な被害で済んだ。被害規模の大きい同盟国の救援要請に応えるのは当然だ』
ブークリエ国の救援が到着するのは早くても夜。
その前に大聖堂の一室を借りてアルク国王と二人で国王のおっさんに負傷者の対応はしたことを報告する。
『両国で死者が出たことに胸は痛むが、その者たちを弔うためにも我々は民の生活を日常に戻すことに尽力しなくては』
「ああ。私もその心積りで居る」
民のために生きて民のために死ぬ国王。
重責を抱えた二人は国民のことを第一に考えている。
理不尽に命を奪われた人たちの家族や友人や恋人の日常を取り戻すことが弔いになると信じて。
「報告を終える前に話があるのだが良いだろうか」
『なんだろうか』
真剣に報告を聞いていた国王のおっさんにアルク国王が追加で話を切り出す。
「英雄にアルク国の爵位と領地を与えようと思う」
『……なんだと?』
え、今それを話す?
初耳の国王のおっさんはもちろん、俺も別の意味で驚く。
「このような時に何をと思うだろうが、このような時だからこそ我が国にとっては重要な話なのだとご理解いただきたい。本来は新年の慌ただしさが落ち着いた頃に折を見て話すつもりでいたのだが、今回の件でそうも言っていられなくなった」
『聞かせて貰おう』
死者も出た今話すことじゃないと思ったけど、アルク国王はアルク国王で考えがあるようだ。
「そもそも英雄は全ての精霊族の守護者。種族問わず能力の高い者にのみ与えられる。だが、ここに居る英雄が身分としての英雄とだけであれば私もこのような主張はしなかった」
放映石を通して映る国王のおっさんに真剣な表情で話すアルク国王。
「今回英雄は祝儀に集まっていた多くの民の前で神の力を使い命尽きかけた者を救っただけでなく、民に扮した残党すらも見つけ裁くことで被害が拡大することを食い止めた。それに対して国王の私が何の礼もしない訳にはいかない。だが功績に見合う報償となると爵位くらいしかないというのが一つ」
使った。
しかも大天使という高い神階の神の力を。
ただ先に残党を発見したのはシェルやヘルじゃなくて中の人だけど。
「もう一つは均衡を保ち国民を安心させたいという理由だ。我が国でも既に英雄を慕い崇拝する民は多かったが、今回のことでますます英雄を信仰対象として崇める者が増えるだろう」
以前エドに話したけど、やっぱりその考えは浮かぶよな。
有事には協力し合えるよう同盟を組んでるとは言え、ブークリエ国に軍事力(勇者と英雄)が偏ってることはアルク国からすれば宜しくない。
「聡いブークリエ国王ならば分かるだろう。英雄は全ての精霊族の英雄であると保護法で定められているに関わらず、ブークリエ国が独占していると考える盲信者が現れる可能性に。ブークリエ国王は神の力を持つ英雄を自分の国に閉じ込め利用していると歪んだ考えを持つ者が現れる可能性に」
アルク国王の話を聞いて国王のおっさんは眉間を押さえる。
国王のおっさんはそんなことをしてないし、アルク国王もそんなことは分かってるけど、国民がどう思うかはまた別の話。
そういう捉え方をする人も中には居るかもしれない。
「信仰心は薬にもなれば毒にもなる。希望という薬になるなら良いが、毒となった信仰心が人同士の争いを引き起こすこともある。そうならないよう民にも分かる形で英雄は全ての精霊族の英雄であると示しておきたいというのが私の考えだ」
第二妃もそうだったけど、義務教育じゃないこの世界で無学の人にも分かるような手段となると公に発表される結婚や爵位(要はアルク国民としての身分)という選択肢になるのも分かる。
『シン殿はどう思う』
国同士の関係性を考えればアルク国王の言うことは尤もで、それがブークリエ国のためにもなると分かってるだろうに、それでも俺の意思を聞いてしまうのが国王のおっさんらしい。
「私が恐れるのは自分が精霊族同士の争いの火種になることです。誰かを守るはずの能力が争いに繋がるのは本末転倒。私がアルク国民としての身分も賜ることで少しでも安心できる人が居るのであればお受けしようと思います。争いになって欲しくない自分のためだけでなく、両国のためにもなると信じて」
そう自分の本心を伝えると国王のおっさんはくすりと笑う。
『シン殿は召喚された時から変わらないな。環境に適応するのが早いというか、気持ちを入れ替え受け入れるのが早い』
「それが唯一の取り柄ですので」
そうしないと生きられなかったから。
でもそれがこの世界でも役に立っている。
『承知した。両国のために申し出を受け入れよう』
「感謝する」
両国で身分を与えることを認めた国王のおっさんにアルク国王は頭を下げた。
4
お気に入りに追加
223
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

備蓄スキルで異世界転移もナンノソノ
ちかず
ファンタジー
久しぶりの早帰りの金曜日の夜(但し、矢作基準)ラッキーの連続に浮かれた矢作の行った先は。
見た事のない空き地に1人。異世界だと気づかない矢作のした事は?
異世界アニメも見た事のない矢作が、自分のスキルに気づく日はいつ来るのだろうか。スキル【備蓄】で異世界に騒動を起こすもちょっぴりズレた矢作はそれに気づかずマイペースに頑張るお話。
鈍感な主人公が降り注ぐ困難もナンノソノとクリアしながら仲間を増やして居場所を作るまで。

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

異世界召喚でクラスの勇者達よりも強い俺は無能として追放処刑されたので自由に旅をします
Dakurai
ファンタジー
クラスで授業していた不動無限は突如と教室が光に包み込まれ気がつくと異世界に召喚されてしまった。神による儀式でとある神によってのスキルを得たがスキルが強すぎてスキル無しと勘違いされ更にはクラスメイトと王女による思惑で追放処刑に会ってしまうしかし最強スキルと聖獣のカワウソによって難を逃れと思ったらクラスの女子中野蒼花がついてきた。
相棒のカワウソとクラスの中野蒼花そして異世界の仲間と共にこの世界を自由に旅をします。
現在、第三章フェレスト王国エルフ編
月が導く異世界道中
あずみ 圭
ファンタジー
月読尊とある女神の手によって癖のある異世界に送られた高校生、深澄真。
真は商売をしながら少しずつ世界を見聞していく。
彼の他に召喚された二人の勇者、竜や亜人、そしてヒューマンと魔族の戦争、次々に真は事件に関わっていく。
これはそんな真と、彼を慕う(基本人外の)者達の異世界道中物語。
漫遊編始めました。
外伝的何かとして「月が導く異世界道中extra」も投稿しています。

無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる