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第十二章 邂逅
神話
しおりを挟む王城を出ると馬と馬車が止まっていて数名の近衛が居た。
王家の誰かが出掛けるタイミングと重なったのか?
「こちらの馬車にお乗りください」
「私のために用意した馬車だったのか」
まあ王家が出掛けるタイミングでかち合うなんてミスを近衛騎士がするはずがないかと、聞いて納得する。
「気遣いはありがたいが私も馬がいい」
「馬では遮る物がなく危険です」
「王家を護衛する際には必要不可欠な警戒なのだろうが私には不要だ。心配ならば自分で障壁をかけよう」
今は動き易い訓練着を着てるし国民から姿を隠す必要もないんだから、わざわざ移動速度の落ちる馬車に乗る必要はない。
何より久々に乗馬を楽しみたい。
「……承知いたしました」
暫く悩む様子を見せたものの最終的には俺を迎えに来た近衛騎士が折れてくれた。
「閣下が騎乗なさる馬となるとここに居る馬では駄目だ」
「今乗れる気性穏やな血統のいい馬は限られてしまいます」
御者や馬丁と話す近衛騎士。
背中に乗せてくれるならどの子でもいいんだけど。
「厩舎はここから遠いのか?」
「数十分ほどですが多少の距離がございます」
「そこまで案内してくれ。直接見て決めたい」
「では厩舎まで馬車で」
「いや。必要ない。その子たちは休ませてやってくれ」
そう話しながら恩恵を使って翼を出す。
「乗馬は久々なんだ。国でも移動は主に馬車だからな」
個人で移動する時は魔祖渡りを使うけど。
誰かと行動する時には馬車での移動が主なのはほんと。
「……空を飛べるのでしたね」
「ああ。だから厩舎までは飛んで行く。早く行こう」
眉間を押さえた近衛騎士の前でふわふわ浮いて声をかける。
「立派な翼ですね。まるで大天使のように美しく神々しい」
まんま〝大天使の翼〟だからな。
大正解。
「では閣下のご期待に答えてすぐに厩舎へ参りましょう」
初めてふっと笑った近衛騎士は軽々と黒馬に乗る。
「私は閣下と先に行く。みなは後を追ってくるように」
『はっ!』
指示をした近衛騎士が手網を引くと黒馬が歩き出した。
「王城前を抜けた後はもう少し速度をあげられますので」
「人が居たら大変なことになるからな。自分の楽しみのために人を傷つけたくはない。今は空の散歩を楽しむとする」
近衛騎士の隣を飛びながら返事をする。
早く行こうと言ったからそう言ったんだろうけど、城の周囲は馬を走らせていい場所ではないと分かってる。
もっとも城も庭園も大きいアルク国の王城では馬車や馬専用の道と歩行者専用の道に分かれているから、間違ってそちらを歩いている人でもいない限り事故る可能性は低いけど。
「アルク国は城の周りを森に囲まれていて空気も綺麗だ」
「私たちエルフ族の中には緑や水のない環境だと落ち着かない者も少なくないのです。大昔のエルフ族は森の奥深くで暮らしていたそうですから、その名残りなのかも知れません」
うん。そっちの方が俺のイメージしていたエルフ族。
今はすっかり商魂たくましい商人の印象だけど。
「その割に王都は高い建物が並んで栄えているが」
「王都は国の中心で足を運ぶ人の数も多いので便利さを優先して作られておりますが、王都に暮らしていても月に数回は自然を求めて森や湖へ休息に行くという者も多いです」
「そうなのか」
やっぱりエルフ族は森の民なのか。
容姿以外(耳の形とか)にも俺の中のエルフの印象っぽいところがあるようで安心した。
「少し表情が柔らかくなったな。慣れたか?」
「え?」
「最初はニコリともしなかったが表情が柔らかくなった」
「御無礼を」
「いや、そちらの方がいい。貴族として生まれ育った訳じゃないから堅苦しいのは苦手なんだ。これで俺も気が抜ける」
最初はガチガチの堅苦しさで如何にも近衛騎士だったけど、今は表情も態度も最初よりずっと柔らかくなっている。
「今日は公務がない休日だから英雄もお休み。堅苦しい物言いもお休み。英雄で居るのが嫌にならないよう切り替えてる。素の時は私なんて使わないし威厳もなければ礼儀も何もない」
英雄の俺と素の俺は全くの別物。
英雄というキャラクターを演じる俺が本物だと思っている人は素を見てがっかりするだろう。
「本大会で国軍隊長へ怒った時のあれが素顔ですか」
「怒った?ああ、回復魔法と攻撃魔法の複合魔法をやらされた時か。あの時は完全に素。エミーとは普段からあんな感じ」
「たしか師弟関係なのでしたね」
「うん。常識すら違う異世界から召喚されたばかりで右も左も分からない俺を訓練って名前の拷問で鍛えた戦闘狂の師匠」
そう説明すると近衛騎士は笑う。
やっぱりこっちの方が気楽に話せていい。
「あ、名前はどう呼べばいい?近衛だからベルマン卿?」
「名前のノアで構いません」
「じゃあお言葉に甘えてノアで。王家の前や正式な場で会話をする時にはベルマン卿って呼ぶようにする」
「承知いたしました」
良かった。
同行する人が融通の効く人で。
公務がない時は楽をしたい(ダメ人間)。
「これから森に入りますので速度をあげます」
「誰か歩いてたりしないか?」
「この先は軍の者が馬を走らせますから歩行者は禁止です。歩行者は歩行者用の道が別にありますのでご安心ください」
「分かった。着いて行く」
ノアが手網を引いたのを合図に黒馬が走り出す。
左右に柵が立てられてる整備された道を気持ち良さそうに。
万が一人が居た時の可能性を考えているのか全力では走らせていないけど、黒馬が興奮して走り過ぎないよう、でもある程度は自由に走れるよう、ノアが上手く誘導していた。
「さすがこの世界の大都市アルク。厩舎も立派」
辿り着いた厩舎を見ながら地面に降りる。
どこぞの体育館のような大きさ。
「厩舎は三ヶ所ございますが、こちらの第一厩舎はトレーニングの済んだ馬だけを集めた厩舎にございます」
「へー。分けて世話をしてるのか」
水飲み場の前に黒馬を繋いだノアは俺の隣に来ると一緒に見上げながらそう説明してくれた。
「中へご案内いたします」
「ありがとう」
「牧草の、きゃっ!」
ノアが厩舎の鉄扉に手をかけようとすると自動ドアのように先に扉が開いて、何かを言いながら走って出て来た人が勢いよく俺にぶつかって後ろに転びそうになったのを抱き止める。
「飛び出して来ては怪我をするぞ」
「ご、ごめんなさ!……い」
腕に収まっていた女性、いや、女の子と表すくらいの年頃のその子は声をかけられて状況を把握したのか、謝りながら真っ赤な顔で勢いよく俺を見上げて固まる。
「英雄公爵閣下!御無礼を!」
「厩務員が大変な御無礼を!申し訳ございません!」
真っ赤な顔から真っ青に。
その場に跪いた女の子の声で気付いた厩務員も集まってきて謝りながら跪く。
「お怪我はございませんか?」
「弾かれたのは彼女の方だ。私は問題ない」
扉の前に立ってた俺も悪いし。
ノアに答えて女の子を見ると死にそうな顔をしていた。
「ま、誠に申し訳ございません。私の不注意で」
「私がまだ鍛錬をする前で良かったな。これが鍛錬後なら危うく汗臭い男の胸に飛び込むところだった」
震えながら謝る女の子の前にしゃがんで冗談で返す。
そんなに怯えなくてもとって食ったりしないのに。
「むしろ飛び込みたいというなら受け止めるが、それが嫌なら次からは前を見てぶつからないよう気を付けるようにな」
「はい!申し訳ございませんでした!」
また真っ赤に戻った女の子に笑って手をとり立ち上がらせた。
「厩務長。閣下が騎乗する馬を探したい。厩舎の案内を」
「はい!あっ、人を乗せられる状態の血統馬が今はまだ」
「私を背に乗せてくれる馬なら血統は問わない」
ノアに返事をしてすぐに表情を曇らせた厩務長に血統は問わないことを付け足す。
「直接見て私と相性の良さそうな馬を探したい」
「承知いたしました。どうぞお入りください」
頭を下げている厩務員の間を通って厩舎の中に入った。
「多いな」
「数はおりますが大抵は軍人が所有する軍馬です」
「ああ、個人の軍馬もここに居るのか」
広い厩舎の中には沢山の馬が並んでいるけど、騎士や魔導師や近衛騎士が所有していないフリーの馬はこの中の一部と。
この世界にも魔導車はあるものの、よほど遠くに行く時か要人を連れていない限り軍人は馬で移動するから、一人一人が馬を所有していてもおかしくない。
「手前側は所有馬ですので奥側にご案内いたします」
「よろしく頼む」
前を歩く厩務長の後を着いて行きつつ馬を眺める。
設備も立派だし、清掃も行き届いていて一番汚れる床も綺麗だし、大切にされているらしくどの馬も毛艶や肉付きがいい。
「ん?」
「……これは」
なんだろう。
注目を浴びてる。
……馬から。
「閣下へ服従を示しているのか」
「そ、そのようです。このような光景は初めて見ました」
今の今までこちらを見ていたかと思えば聞いたことのない鳴き声をあげながら頭を下げた馬たち。
俺も乗馬は経験してきたけどこんな光景は初めて見た。
「俺に頭を下げてるのか?」
「恐らく。示し方は様々ながら魔物は自分との圧倒的な力の差を感じる相手にはこうして服従を示します。馬も魔物には違いありませんので閣下に対して服従を示しているのかと」
「ええ……魔力は抑えているつもりだけど漏れてる?」
「いえ。魔力を放出していたなら逃げ出しているでしょう」
「そっか。たしかに」
弱い魔物と出会いたくない時にはあえて魔力を放出することで強い魔物だけが残るようにするのが魔族の狩りのやり方。
暴れたり逃げたりしないってことは魔力で判断した訳じゃなさそうだ。
「理由は分からないけど留まらない方が良さそうだな」
立ち止まってる俺に向かってずっと頭を下げているから悪いことをしている気分になって再び歩き出した。
『…………』
立ち止まらず歩きながら見ているものの馬たちは頭を下げていて顔を見せてくれない。
クラスじゅうから嫌われていて誰も目を合わせてくれない状況のようで少し豆腐メンタルが顔を出す。
「……これは無理そうですね」
「辛い」
フリーの馬たちも全滅。
いやむしろ所有馬の方がまだ良かった。
フリーの馬たちは絶対に目は合わせないと言いたげに見事に深く頭を下げていてノアから苦笑される。
「ノアの馬や城の前に居た馬たちは普通だったのに」
「所有者が一緒に居たからかと。共に戦うこともありますので信頼関係を築けるよう日々努力をしております」
「うん。それを聞いてなおさらメンタルに突き刺さった」
信頼されてるノアたちと避けられてる俺。
その現実に胸を抉られる。
「ん?この扉の先は?」
「この先は危険ですのでご案内できません」
「危険?」
「正式な名前はクリムという魔物なのですが、獰猛な暴れ馬で他の馬とは一緒に出来ず檻の中におります」
え?可哀想じゃね?
と一瞬思ったけど、馬たちを大事そうに世話している人たちが檻に入れないといけないほど危険な馬と言うことか。
「自然に返さないのか?」
「国からS級の魔物認定をされておりますので。生かすということ以上のことは私ども厩務員にもしてあげられません」
「ああ……じゃあ駄目だな」
むしろ危険だから捕獲したんであって、また自然に返したら環境を破壊したり人々の生活を脅かすことになりも兼ねない。
「食事はどのようにあげてるんだ?掃除も必要だろう?」
「隣の檻に食事を用意して、そちらへ移動したタイミングを見計らって間の檻を閉めてから掃除をしております」
「檻から檻に移動させるのか」
動物園のクマやライオンの飼育と似た感じか。
いや、動物園の飼育方法は詳しくは知らないけど、襲われたらひとたまりもない魔物だってことは分かった。
「どんな馬なのか興味がある。会わせてくれ」
「危険な場所に閣下をご案内する訳には」
「檻の中に居るのだろう?厩務員が入れるのだから」
「それはそうなのですが」
厩務長は確認するようにノアを見る。
「破壊できないよう檻は頑丈に作られておりますが、檻の中に手を入れられる程度の幅はあります。無闇に近付いては攻撃を仕掛けてくる可能性が高いため近付かないよう願います」
「承知した」
安全な壁の向こうに居る状況じゃないことは承知。
地球に居た馬ですら蹴られたら危険なんだから、魔物に分類されるこの世界の馬の扱いを間違えば死ぬ。
「解錠を」
「承知いたしました」
この厩舎の管轄者のノアが許可すると厩務長は『本当に大丈夫なのか』と伝わる不安そうな表情で解錠する。
武器庫や宝物庫に使われる認証錠を使っているということは扉の向こうに行ける厩務員も限られているんだろう。
開いた扉の向こうは広い空間。
天井から陽射しもさしこんでいて明るい。
その奥に大きな檻があった。
人が来たことに反応したのか鉄を叩く激しい音が響く。
その音を聞きながら檻の前に向かった。
「納得。これは他の馬とは一緒に出来ない」
額にご立派な角が生えている真っ黒の巨体。
清楚な白とは反対に邪悪そうな黒のユニコーン。
以前ブークリエ国の王都でやったパレードでペルシュロン級のジゼルに騎乗したけど、この黒馬の大きさはそれ以上。
「デカいし力も強そうだ」
もう馬と分類していいのか悩むレベル。
気性も荒く太い脚で檻を蹴って威嚇している。
前脚をあげて威嚇している今は俺の背よりも高く、どんな魔物なのか鑑定をかけて画面を確認する。
「ん?」
「どうかなさいましたか?」
「いや。なにも」
ノアにごまかしつつ鑑定画面から再び顔をあげ巨体を見る。
なるほど。
「クリムだったか。お前は俺に頭を垂れないんだな」
鼻息荒く威嚇するクリムに話しかける。
他の馬はみんな俺に服従を示したのにコイツは攻撃的。
俺と力の差を感じないほど強いのか、気が強いのか。
「閣下、これ以上近付いては危険です」
「大丈夫。ノアと厩務長はここに居てくれ」
止めようとしたノアを逆に止めて檻に近付いた。
「クリム。お前は賢い。俺の言葉を理解してるはずだ」
ガンガンと檻を蹴っているクリム。
負けん気の強さは超一流。
「馬は賢いはずなのにお前は頭が悪いのか?」
そう聞くと蹴る力が一層激しくなる。
やっぱり伝わってるんじゃないか。
ある程度の知恵のある魔物なら俺の(もしかしたら異世界人の)言葉が理解できることは魔界の竜種で証明済み。
クリムは竜種じゃないけど、まあ伝わるだろうとは思った。
「「閣下!」」
魔祖渡りで檻に入ると巨体の前脚をあげ襲ってきたクリム。
目の前に来られてもまだ俺に襲いかかるその根性は立派。
「誰が上から見下ろしていいと言った」
怪我をさせないよう脚は保護しつつ魔法で重力をかけるとクリムは平伏すように床へ脚と鼻の先をつけた。
「いつからここに居るのか知らないけど、そろそろ外を走りたいんじゃないか?俺も騎乗させてくれる馬を探してたんだ。利害が一致したんだから俺をお前の背中に騎乗させろ」
しゃがんで提案すると煩かった鳴き声がピタっと止まる。
「厩務長。頑丈な轡と手綱を持って来てくれ」
「……は、はいっ!」
唖然と口を開けてこちらを見ていた厩務長は俺の声でハッとすると走って部屋を出て行った。
「お前にとってはヒトに従う方が屈辱なのかも知れないけど、危険な魔物の認定をされててもう自然には帰れないし逃げれば討伐されるんだから生き残れる術を考えろ。プライドが高いのは結構だけど、プライドだけじゃ生きていけない。強い人や偉い人には甘えて媚を売るくらいのずる賢さと醜さを持て。お前は賢いし強いしカッコイイんだから死ぬのは勿体ない」
せっかく恵まれた身体をしているのにプライドが高くて暴れて反抗ばかりしているせいで檻に入れられている。
狩りや戦に出れば絶対に活躍できるのに。
「俺なんか色んな人に甘えまくってるぞ?生きたいから環境に合わせて生き方を変えてる。お前はそんな生き方なんて情けないって思うかも知れないけどプライドで腹は膨れないんだ」
すっかり静かになったクリムの鼻筋を撫でる。
檻に閉じ込められてる割に肉付きもよくて毛艶もいいのは巨体でも歩き回れるくらい檻が広いことと、世話をする厩務員がいい食事を与えていたからだろう。
「厩務長がクリムのことを生かすこと以上のことはしてやれないって言ってた。馬を大切にしてるあの人たちもクリムを檻に入れて胸が痛まない訳じゃないんだ。他の馬と同じように外を走らせてやりたいと一番思ってるのはあの人たちだと思う」
綺麗な厩舎で優雅に寛ぐ馬たち。
反対に厩務員は土や泥や草で服や顔を汚して世話をしてる。
馬が過ごしやすい環境を用意してあげるために。
中には仕事だから嫌々やってる人も居るだろうけど、少なくともクリムの状況に表情を曇らせた厩務長は馬が好き。
「閣下、轡と手綱をお持ちしました」
「ありがとう。持って来てくれ」
「はい」
クリムの様子を確認しながらそっと近付いてきた厩務長。
それは怖くて近付きたくないからじゃなくて刺激をしてまた暴れることがないように。
「あの、クリムの脚は大丈夫でしょうか」
「先に保護をかけたから安心してくれ」
「左様ですか。お気遣い感謝いたします」
檻の扉を開けて轡と手綱を渡してきた厩務長から受けとる。
うん、やっぱりこの人は馬が好き。
「今から魔法を解くからこれを付けさせてくれ。で、俺を背中に乗せて訓練所まで連れて行ってくれ。一緒に外に出よう」
厩務長が再び施錠して檻を離れたのを確認してから轡と手綱を見せつつ話して重力の魔法を無効化した。
「よし、いい子だ。もう立っていいぞ」
魔法を解いても大人しく轡と手綱を付けさせてくれたクリムはスクっと立ち上がる。
「俺が居た異世界の馬より遥かに頑丈だとは知ってるけど脚はどうだ?立ってみて痛みはないか?」
前脚で床をかいてみせるクリム。
少しそれを繰り返すとブルルと鳴いて俺に顔を近付け頭に鼻筋を擦り付ける。
「いや、かっ(硬)たい。俺はクリムと違って脆くて孅い人間だと忘れるな。立派な角が突き刺さったらどうしてくれる」
さすが魔物。
ゴリゴリ擦りつけてくる肌が硬い。
「暴れるから身体を洗って貰えてないのにゴリゴリしたら匂いがつくだろ。まあ俺には浄化って強い味方があるんだけど」
ちなみにこの世界の馬は臭くない。
地球に居る馬とは違う所も多くて、サイズもデカければ身体の表面も硬く頑丈だし、鳴き声もガオーだし、普通に横になって眠るし、脚を一本折ったら致命傷になるということもない。
ただ攻撃手段が前脚や後脚だから脚が重要なのは同じ。
何よりの違いは性格。
地球に居る馬の性格は臆病で大人しいけど(ビビらせたり怒らせない限り)、この世界の馬は魔物だから好戦的で生存競争に勝ち抜くためなら率先して攻撃を仕掛ける戦闘狂。
「あ!」
クリムごと浄化をかけて綺麗にしたのにまたゴリゴリ。
気に入らなかったのかムキになってゴリゴリしてくる。
「イテテ、なんでムキになってるんだよ」
「マーキングしているのかと」
「え?俺の貞操を狙ってる?」
檻の外で苦笑しながら教えてくれたノアに聞くと厩務長と息ぴったりに吹き出される。
「魔物は縄張りや餌などの所有物や自分の子供にもマーキングをしますので、閣下を自分のものと認識しているのかと」
「なるほど。普通のことなのか」
「はい。ヒトにやっているのは初めて見ましたが」
「じゃあ普通じゃないよな?」
「少なくとも敵とは認識していないことは確かです」
説明した厩務長もノアも呑気に笑ってるけど、ヒトにはやらないはずの行動なら普通のことじゃない。
「よし、そういうことでクリムを借りるぞ」
「お待ちください。S級認定をされておりますので厩舎の外に出すには首輪を付けなくてはならないのです」
「首輪?」
そう話す厩務長から檻越しに大きな首輪を受けとる。
「万が一逃走した際に位置が分かるようになっているのと、表皮に針が刺さって麻酔で眠らせる仕様になっております」
「そこまでしないと駄目なのか」
「逃走した先で人を襲う可能性がありますので。今まではそれすらも付けられなかったので厩舎から逃げ出さないよう厳重に管理することしか出来なかったのですが」
GPS的な術式と麻酔針がついた首輪。
今は暴れてないけど万が一を考えれば必要なのか。
「本当に眠るだけか?毒とかじゃないのか?」
「魔物用に作られた麻酔薬で眠るだけです。むしろそれを付けず人を襲って命を奪えば討伐しなければならなくなります」
「そっか。その方が辛いな」
「はい。人と共存させるために馬にとって足枷となるものを付けることが正しいのか私も答えは出せませんが」
でも命あってこそ。
クリムが人を殺めてしまう前に眠らせれば討伐せずに済む。
「クリム。これはお前が逃げ出した時に場所が分かる魔法がかけられていて、人を傷つけてしまう前に止められるよう眠くなる薬も入ってる。付けたくないけど付けないと外を走らせてやることもできない。お前はどうしたい?これを付けて外に出て人と共存するか、付けずに檻の中で生きるか。選んでいい」
俺の言葉なら理解できることはもう分かっているから、首輪を見せながら正直に話してクリム自身に選ばせる。
どちらが幸せなのかは俺が決めることじゃないから。
「……頭を下げた」
ポツリと呟いたノア。
今まで下げなかったクリムが俺に頭を下げた。
「分かった。一緒に外に行こう」
身体を撫でてから頭を下げているクリムに首輪を付けた。
手綱を引いて厩舎を出ると後から追って来るよう指示された近衛騎士たちも到着していてクリムを見てギョッとする。
「クリム。外だぞ」
煌々と太陽の光が照らす外に出たクリムは漆黒の巨体で青空を見上げると空に向かって遠吠えのような鳴き声をあげる。
「馬たちが」
近衛騎士が連れていた馬たちも呼応するように鳴き声をあげたあとクリムに向かって頭を下げた。
「一瞬にして群れのボスになったようですね」
「そうらしい」
ノアと話して苦笑する。
他の馬たちがクリムに服従を示すのは当然。
二人には言わなかったけど、クリムの正体は【クリム】という魔物じゃなく【ミット】という天馬種の神魔族だから。
俺の鑑定には厩務長から聞いた名前とは違う名前が出たから逆にクリムという魔物を調べたら確かにそっくりだった。
クリムの方はミットのように太く長い角ではなく細くて短い角だし、体躯もむしろ他の馬よりも小柄だから巨体のミットとは正反対だったけど。
ただ、俺も最初は絵(画像)を見てそっくりと思ったくらい似ているから勘違いしてしまうのも分からなくはない。
角が生えてる位置も同じだし全体的な容姿も似ている。
恐らく体躯のいいクリムの亜種としてSランクの魔物認定されたんだろう。
「さあどうしたもんか」
「どうかなさいましたか?」
「ううん。ただの独り言」
今まではエルフ族と深い関わりがなかったからかアルク国に来てから急に慌ただしく様々な縁が繋がってるけど、神族の俺と神魔族のミットの出会いは精霊神が言っていた運命だろう。
普段なら気にならない認証扉の先が気になったことも、厩務長から話を聞いて会ってみたいと強く興味を惹かれたことも、クリムの正体が分かった時点で『だからか』と納得出来た。
「隙あらばゴリゴリするのなんなの?」
人が考えごとをしてるのに隣から鼻息荒く顔をゴリゴリ擦りつけてくる。
「よし!訓練所まで走るか!」
考えるのは後回し。
走りたくてうずうずしているヤツが居るから。
手綱を引くと乗り易いよう身体を下げてくれたミットの背中に騎乗した。
「他の者が騎乗するには大き過ぎますが、背の高い閣下とならば相性がいいようですね。まるで閣下のための馬のように」
「俺のためとは言わないけど、乗り心地がいいのは確か」
騎乗した俺を見上げて言ったノアにそう答える。
神族の俺とは関係の深い神魔族に属する天馬だから当たらずとも遠からず。
「第一訓練所までは遠いのか?」
「王城を中心にしてこの第一厩舎の反対側に位置しておりますので、迂回して城の裏を通り戻りつつ数十分ほどかと」
「え?じゃあ城から馬車で行った方が早かった?」
「はい」
キッパリ。
それを早く言ってくれ。
ノアや他の近衛にも余分な時間を使わせてしまっただけじゃないか。
「馬がいいとのことでしたので。それに閣下が直接第一訓練所へ向かわれていたらクリムも暴れ馬のまま檻から出ることが出来ませんでした。何かのお導きだったのかも知れませんね」
んー……鋭い。
確かに久々に乗馬をしたいと思ったのもミットと出会うために運命に導かれたのかも知れない。
「そうだな。ノアたちには余分な時間を使わせて申し訳なかったけど、クリムと会えたことは良かった。ありがとう」
「お礼を言うのは私の方です。第一厩舎を管轄する私としてはクリムのことは頭の痛い問題でもあったので」
「たしかに」
凶暴で首輪も付けられないクリムが逃走したら大問題に。
厩務員の身の安全も確保しつつ逃走されないよう厳重な警備もしなくてはいけないし、頭の痛い問題だったのも納得。
そう考えるとノアや厩務員にとっても檻に入れられていたミットにとってもこれで良かったんだろう。
「じゃあ行くか」
「はい。クリムが走れる道を使ってご案内いたします」
「よろしく頼む。行こう、クリム」
俺が声をかけるとクリムは鳴き声で返事をして大地を一歩踏み出した。
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