ホスト異世界へ行く

REON

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第十二章 邂逅

英雄のお仕事

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アルク王都校。
訓練校と魔導校の二つを合わせて『アルク王都校』と呼ぶそこでは多くの生徒たちが学んでいる。
ブークリエ国に比べて裕福な家庭も多いアルク国では学校自体の規模が大きく、生徒数はもちろん講師の数も多い。

訓練校は、どの科も日本ののように様々な知識を学ぶことプラス、武器や武闘を用いた戦い方を学ぶ訓練科、武器での戦い方や扱い方を専門で学ぶ武器科、軍官を目指す者や貴族の跡取りが戦略を学ぶ指揮官科に分かれている。
その訓練校と各階の渡り廊下で繋がっている魔導校も訓練科と同じく様々な知識を学ぶことプラス、魔法の基礎から応用までの魔法全般を学ぶ魔導科、術式を学ぶ魔術科、薬や医学について学ぶ薬学科に分かれている。

生徒の年齢は下が13歳から上は上限なし。
13歳までは入学できないから、早くから学びたい人は7歳から12歳まで初等科で学んで13歳の歳に入学する。

ただし飛び級制度を使えば13歳になる前に入学が可能。
エミーのように初等科に入学して『もう初等科で学べることはない』と学長から判断されれば推薦で中級科に入学できる。
もっとも初等科から中級科の飛び級は年齢制限の壁を超えるだけに、中級科から上級科に飛び級するより狭き門らしいけど。

この世界は義務教育がないから学びたい時に学ぶのが基本。
上に年齢制限がないのは、若い頃には訓練校に通わず大人になって金銭的余裕が出来てから通う人も少なくないから。
一般国民は特にそっちのタイプが多い。

というアルク校の話を学長室で聞いてから元の姿に戻って着替えた俺が向かった先は学生食堂。
午前の講義が終わって学生たちはこれから昼食の時間だと学長から聞いて、それならと俺も昼食を摂ることにした。

講師2人と護衛と警備に付き添われて来たのは大食堂。
アルク校の中で一番大きな食堂らしく、魔導科の生徒も訓練科の生徒も利用していてメニューも多いとのこと。

術式を抜けた目の前にある出入口から大食堂の中に入ると、休憩時間でリラックスしているのか賑やかだった生徒たちが数秒足らずで静かになった。

「……え、英雄エロー……?」

出入口に近いテーブルで食事をしていた生徒の一人が俺を見て手に持っていたグラスをつるりと滑らせる。

「割れてしまうぞ?」

時空間魔法で落下するのを止めてからそのままグラスを操ってその生徒の前のテーブルに置くと、今の今まで静まっていた大食堂内がどっと騒がしくなった。

俺が来ることを生徒は知らなかったんだから驚くのも当然。
外部に話が回って人が集まるような騒動にならないよう、学長を含め数人の講師しか知らされていなかったんだから。

わっと集まって来た生徒たちは警備から止められ、近付けないよう俺の周りを護衛騎士たちが囲む。

「生徒たちは規律のある行動をとるように!」

そう声をあげたのは一緒に来た講師の一人。
自己紹介で魔導科の上級科で教鞭を執っていると言っていた。
生徒たちにとってはでもあるのか、注意をされたことで自分たちの行動にハッとしたのか、興奮状態で近付こうとしていた生徒たちが大人しくなる。

「御無礼をいたしました。お詫び申し上げます」
「助かった。ありがとう」

胸に手を当てて謝罪をした講師に敬礼で返した。

「ビュッフェスタイルなのか」
「アルク校の中で大食堂だけは利用する生徒数が多いためにビュッフェ形式にしております」

興味津々に見ている生徒は居るものの近付こうとする生徒は居なくなって、大食堂の奥まで行って棚に並ぶ料理を眺める。

「食器はこれを使えばいいのか?」
「よろしければお取りいたします」
「いや。学生に倣って私も自分で取ろう」
「承知いたしました」

食堂で働いてる人だろう制服姿の男性が待っていて、取ってくれるというのを断って自分でトレイを持つ。

「食事を取りに来るここに大人数で居ては生徒の邪魔になってしまう。護衛一名と講師一名を残して後の者は警備に回ってくれ。生徒の貴重な昼食時間が無駄にならないよう配慮を」
『はっ』

料理が並べられているここに大人数で居ると生徒が取れない。
むしろ生徒たちが近付けないようにしてるんだろうけど、俺が取ってからだと昼食時間をロスさせてしまう。
俺が居ることを知らずお腹が空いて食堂に来た生徒からすれば勘弁してくれと思うだろう。

「生徒へのご配慮に感謝申し上げます」
「ここは学び舎。優先するのは生徒でなければならない」

さっきの魔導校講師から言われてくすりと笑う。
俺が食堂に来なければ生徒たちは普段通りに食事が出来たんだから、むしろ謝るのは騒がせてしまった俺の方だ。

沢山並んだ食事の中から主食に選んだのはカスクート。
アルク国には俺がレシピを教えた食パンはないのか、この世界に元からあった固いパンを使ったサンドイッチしかない。
その他は魚のムニエルとサラダを選んだ。

料金を払ってから案内されたのは周りに誰も居ない席。
一人しか座らないのに周りの何席も空けさせて申し訳ない。
今は特に席数に困っていそうにはないから良いけど、また何か言うより俺が早く食べて食堂を出た方が早い。

食べ易い大きさに切られているカスクートを口に運ぶ。
あくまでカスクートっぽいサンドイッチであって、地球で食べたことのあるカスクートとは別物。
中に挟んであるのは塩と胡椒で味をつけた鶏(鳥類の魔物)肉とレタス(っぽい葉野菜)。

ムニエルは地球のムニエルとあまり変わらない。
味付けはやっぱり塩や胡椒だけど普通に美味しい。
サラダはレモン(モドキ)の味がする酸味の強いドレッシング。
これもこの世界に元からある王道のドレッシング。

ブークリエ国では俺が王宮料理人に色々な料理を教えたことで調味料の種類も増えたけど、アルク国にも伝わるといいけど。
元々アルク国は素材の質がいいからシンプルな味付けでも美味しいけど、調味料の種類が増えたら料理のバリエーションも広がってますます美味しい料理を作れるようになると思う。

黙々と食べながらも、興味津々にこちらを見ていて目が合った生徒たちには愛想よく笑みで応える。
やっぱりこの姿で生徒と交流するのは難しい。
俺に英雄の肩書きがある限りその人が居るというだけで非日常になってしまうから、講師や生徒の普段の様子は見れない。
最初にで来たのは正解だった。

英雄エロー!?」
「え!?」

後から来た生徒も俺が居ることに気付くと驚いてそんな反応をすることの繰り返し。
俺の方も声が聞こえてくればその都度笑みで軽く手を振って応えることの繰り返し。

そんな調子で食べ進めていると大人と一緒に居る少女や少年もぽつぽつ食堂に姿を見せ始める。
体験入学者も全ての施設を利用していいことになってるから、入学すれば食を支えることになる食堂がどんなものかの確認に来るのもおかしくない。

そう思いながらサラダを食べていると知った顔が。
料理を取りに行くために通りがかったんだろう生徒三名。
俺に気付いて驚いた顔でこちらを見たのは男子生徒が二人と女子生徒が一人の三人組。
カフェテリアで見たあの三人だ。

英雄エロー
「下がりなさい」

近付こうとしたところを止めたのは講師の二人。

「ご挨拶を」
「お食事中だ。下がりなさい」

食事中に近付いて声をかけるのは失礼。
それはこの世界のマナー(夜会でも食事をしている時は避けて食事後に挨拶などの声掛けに来る)だから講師から注意されるのも当然なんだけど、俺が居たことに動揺したことでの失敗か。

感情が揺さぶられた時はミスしてしまうのも理解できる。
だからこそ軍人や貴族は冷静でいなければならない。
三人の中でそれが出来たのは一人だけ。
ジェレミーとそっくりな双子の兄、レアンドル。
ジッと俺を見るレアンドルにふっと笑うと会釈してくる。

「失礼いたしました」

そう言うと講師に止められた二人を連れて離れた。

「御無礼を」
「いや。会えたことを喜んでくれるのは私も嬉しい」
「お心遣い感謝申し上げます」

改めて見たら確かにジェレミーと別人だった。
ジェレミーは目元にホクロがあったけどレアンドルにはない。
喋ればレアンドルの方が声が低いからすぐに分かるけど、見た目で判断できるのはホクロの有無だけ。
そのくらい顔も体格もそっくり。

注目を浴びながら食事を済ませて祈りの形に手を組む。
普段屋敷に居る時や気心知れた人の前では日本人形式で合掌するけど、こういう場ではこの世界のやり方に合わせている。
尤も心の中で言うのは『ご馳走さまでした』だけど。

「返却はここで良かっただろうか」

片付けも大食堂の人がやってくれると言われたけど断って、食べ終えた生徒がトレイを運んでいた場所に自分で持って行く。

「は、はい!こちらで受け取ります!」
「丁寧な仕事で味も美味しかった。ありがとう」
『ありがとうございます!』

厨房の中が見える返却口から声をかけてお礼を伝えると料理をしていた人たちから大きな声でのお礼が返ってきて笑った。

変わらず注目を浴びながら大食堂を出る。
食堂なら少しは生徒との交流を持てるかと思ったけど、まあ俺の立場でそれが許される訳もない。
最初のように一気に生徒が集まって来て万が一転倒したりしたら大変なことになるし、俺に失礼がないようにという配慮なのはもちろん、生徒の安全のためにも止められるのは已む無し。

「さて、案内を頼む」
「承知いたしました」

食事が終わったら校内を案内して貰う予定になっていた。
訓練校の講師と魔導校の講師が一緒に居たのはそれが理由。
公務で学校に訪問した人物を案内するのは学校関係者の役目。

まずは訓練校から。
午前中に上級訓練科の講義を見学したことと合同訓練でグラウンドに行ったことは知っているから、まだ行っていない武器科の訓練塔に案内してくれることになった。

「失礼する」

移動一つにも大注目を浴びながら武器科の訓練塔に行って声をかけてから中に入ると、昼食休憩の時間でも生徒が居て一瞬にして静かになる。

英雄エロー公が校内見学に足を運んでくださった。慎みある行動を心がけるように」

一足遅れて騒がしくなった生徒たちに訓練校の講師が先に注意を促す。
大食堂では興奮した生徒たちが集まってしまったから、またそうならないよう先に釘を刺したんだろう。

「突然訪問して驚かせてすまない。私のことは気にせずそれぞれがしていたことを続けてくれ」

座って休憩していた生徒や自主練をしていた生徒。
驚いて手を止めさせてしまったことを詫びて、これ以上生徒の迷惑にならないよう講師だけ残して護衛には外で待って貰うことにした。

「やはり私が居ると生徒たちを動揺させてしまうな」
英雄エロー公に尊敬の念を抱く生徒が多いですので、まさか尊き御方がここに居るはずがないという気持ちが勝るのでしょう」
「私は私の思うままに生きているだけで、尊敬されるような御大層な人物ではないのだがな」

苦笑しながらも案内して貰ったのは武器が並ぶ倉庫。
基本の長剣やサーベルや短剣や弓や槍はもちろん、扱う者を選ぶ槍斧ハルバードや棍棒やハンマーなども揃えてある。
さすが武器を専門に学ぶ武器科。

「ん?」

生徒たちが訓練で使う武器が並んでいた部屋がある一階から二階に上がって案内されたのは貴重な武器が並ぶ展示室。
貴重な武器ばかりとあってガラスケースに入っているそれらを見ながら歩いていて、ある武器の前で足を止める。

「拳銃もあるのか」

この世界に来てから拳銃を見たのは一度だけだったけど、あらゆる武器を揃えた訓練塔にはあってもおかしくない。

「やはり異世界より召喚されし御仁。銃をご存知でしたか」

そう話しながら講師の二人もガラスケースの前に立つ。

「こちらに展示されているのは幾百年前に製造された数少ない銃のレプリカで、現在銃は開発されておりません」
「開発されてない?人為スタンピードの際に私が腹を撃たれたのは拳銃だったと記憶しているが」

ロザリアが俺に撃ったのは拳銃だった。
旅行で行った国の射撃場で撃った程度の経験しかないけど、ある程度の種類の銃の知識だけはあるから間違いない。

「愚かにも英雄エロー公を暗殺する目的で製造したのでしょう。逮捕された者の中には古代技術の研究者や武器職人もおりましたので。ただあれは形ばかり立派で銃と呼べるほどにない紛い物でして、飛距離が出ず対象に近寄らなければ弾が届かないという捨て身の者にしか使えない代物だったと判明しております」

だからロザリアは俺と接触する必要があったのか。
近寄っても警戒されない関係性を築くために。
計画の邪魔になる俺を殺すための刺客として。

「銃は先代勇者さまの武器を模して開発されたもの。それを同じ異世界より参られた英雄エロー公に使うなど愚かなことです」
「先代の?」

その話を聞いて顔をあげる。

「先代勇者さまは初代英雄であり、天地戦後に行方不明となられて幾百年が経った今もなお伝説として語り継がれている御方です。言い伝えでは武器を創造する能力をお持ちだったとか。そのお力を使って軍を動かすことなくSクラス巨大竜のフロアセルパンをお一人で倒したとの逸話も残されております」

特殊鑑定でフロアセルパンという魔物を検索する。
湖の底や深海に生息している巨大竜の魔物らしく、画像を見ると伝説の生物のシーサーペントのような姿をしている。
これを一人で倒したなら両国が英雄勲章を与えるのも納得。

「じゃあ先代が使うまで銃はこの世界になかったのか」
「左様でございます。ですがこの世界で常人が扱う武器としては問題点が多く、今は開発されておりません」
「問題?」

銃は最も殺傷能力がある武器と言っても過言じゃないのに。

「まずこの世界にある素材を使って銃器を作るにはコストがかかり過ぎること。こめる弾の値段も一般国民のひと月の収入に匹敵します。一度撃ってしまえば再利用できる訳でもありませんので、普段から使う武器としては普及しなかったのです」
「なるほど」

銃器も銃弾も高い金食い虫を冒険者は持てない。
そうなると持てる人は王家や上流階級の人に限定される。

「しかも先代勇者さまの能力で創造した物ですので研究することも出来ず、元からこの世界にあった魔導砲の応用でしかありません。高価な上に上級魔法を使った方が攻撃力が高いとあらば開発が取り止めになるのも当然のことだったかと」

納得。
実際に見て研究できなかったならにしかならない。
地球にあってこの世界にはない鉱石もあることを考えれば、俺が知る銃の性能より劣る物しか作れなかったんだろう。
武器を創造するというとんでもないチート能力を持っていた先代勇者だから使えた武器。

「武器を創造する能力か。さすが勇者に選ばれた者と言える能力ではあるが、他人の手に渡っていたらと思うと恐ろしいな」

仮に創造した武器が誰かの手に渡っていたら、今のこの時代にも開発を重ねた殺傷能力の高い銃が製造されていただろう。
そうなっていないということは、先代勇者が創造した銃は誰の手にも渡らなかったということ。

「その心配はなかったようです」
「ん?」
「先代勇者さまのお力で創造された武器は、本人以外の者が触ると消える性質を持っていたそうです。仮に盗まれても手にした瞬間に消えますので誰かの手に渡ることはなかったのだと」
「私の恩恵武器と同じく専用武器だったのか」

風雅や雅も俺専用の武器で他の人は使えない。
尤も風雅と雅は〝精霊魂〟というもので自我があるから、他の人に触られるのを嫌がって消えるようだけど。
先代勇者の武器もまさか精霊魂だったんだろうか。

「本人にしか扱えない点は確かに同じですが、先代勇者さまの武器は魔法で創造したもの。英雄エロー公の恩恵武器は召喚されてくるものという大きな違いがございます」
「魔法?」
「はい。ですから他者が触ると魔法と同じく当たり判定となって消えてしまったのでしょう」
「そういうことか」

じゃあ精霊魂じゃない。
勇者はこの世界にない特殊な能力を授かるから、先代勇者の場合は魔法を使って武器を造れる能力を持っていたんだろう。

「武器だけでなく勇者についても詳しいのだな」
「私は歴史学者でもございますので。歴代の勇者のことは必ず学びますし、学者同士で討論をすることも珍しくありません」
「学者か。アルク校には優秀な講師が揃っているようだな」
「光栄にございます」

初めてアルクに来た時に冒険者が『訓練校で人族は無知だと教わった』と話しているのを聞いたけど、少なくとも今は違う。
武闘本大会以降に生徒が変わったように講師たちも心を入れ替えたのか、たんにあの冒険者たちが通っていた代に居た一部の講師がその思想を持っていただけなのか分からないけど。

「もう午後の講義が始まる時間か?」

貴重な武器の説明を受けながら展示室を見て回って再び一階に降りると明らかに生徒の数が増えていて、そろそろ午後の講義が始まるから集まったのかと思って口する。

「いえ。開始まではまだ時間があります」
英雄エロー公が居られると知って一目見たさに集まったのかと」

なるほど。
生徒同士で話が回って集まってきたんだろう。
中には保護者を連れた体験入学者だろう家族も居る。

「そういうことなら早く出た方が良さそうだ。休憩時間を利用して自主練をしていた生徒たちの迷惑になってしまう」

ここは武器科の訓練塔。
俺が居るせいで集まっただけの無関係の人たちが武器科の生徒の自主練の邪魔になることは望まない。

「この様子では行く先々に集まるだろう。学長にご相談して英雄エロー公を拝謁できる場を設けた方が良いのではないだろうか」
「そのようだ。これではろくに案内が出来ない」

そう話し合う講師たち。
確かに俺が訪問していることを報せて一度実際に姿を見せた方が個人の判断で集まってパニックになることもなさそう。
学校側が機会を設けるなら大食堂のように興奮して近寄ろうと駆け寄って来る危険性も避けられるだろうし。

英雄エロー公、よろしいでしょうか」
「ああ。私が居ることで生徒たちが怪我をするような事態にはなって欲しくない。学長や講師陣の判断に任せよう」
「「ありがとうございます」」

一番怖いのは興奮状態で人が集まって将棋倒しになること。
生徒の身の安全に繋がるなら学校側の判断に従う。

一度学長室に戻ることにして訓練校の講師の後に続くと、あちらこちらから英雄エローと呼び声がかかる。
ブークリエ国にも熱狂的な人は居るけど、滅多に見掛ける機会がないからかアルク国の人の方が凄い。

「下がりなさい!」
「指示に従うように!」

警備や護衛も塔に入ってきて押し寄せる生徒を止める。
男子生徒も女子生徒もキャーキャーワーワーと、まるでアーティストの出待ちをしていたファンのような興奮ぶり。
行く手を阻んで大声で制止する警備や護衛や講師の声も耳に入っていないらしく、俺に向かって一気に押し寄せてきた。

英雄エロー公!」

あまりの人数に対応が間に合わず囲まれるまで一瞬。
抱きつく生徒や触ろうと手を伸ばす生徒で収拾がつかない状況になってしまった。

「離れて!」
「下がりなさい!」

護衛が強硬手段で生徒を掴み引き剥がしてもその間にまた別の生徒が触ったり引っ張ったりでキリがない。
身体はもちろん顔の高さにも何本も手が伸びていて、その中の眼帯を掴んだ手の爪が目許を思い切りガリリと引っ掻いた。

「……なんと愚かなことを!」

静かになった訓練塔。
引っ掻かれた場所が分かり易く傷になったのか、必死に止めていた講師や護衛や警備はもちろん生徒たちも俺の姿を見て血の気が引いたように青くなる。

「満足したか?」

引っ張られてぐしゃぐしゃになったり破れたりしている左肩の外套ペリースを外しながら静まった生徒たちに問いかける。

「満足したなら取ったものを返してくれると助かる」

眼帯を両手で握りしめて真っ青になっている女子生徒。
飾緒や肩章などの装飾品も誰かに取られてしまったし、軍服の釦も数ヶ所なくなっている。

「お前たち何をしたのか分かっているのか!英雄エロー公に触れるだけでも不敬極まりないというのに、物を盗み怪我を負わせるなどアルク校だけの問題では済まされないのだぞ!」

訓練校の講師から怒鳴られた生徒たちは漸く冷静になって自分たちがしたことを理解したようで、その場に膝から崩れ落ちる者や真っ青になって震えている者もいる。
学生に下手に手を出せないから大人しくしてたけど、怪我人が出る前に(俺は怪我したけど)我に返ったようで良かった。

「今回は取った物を返してくれればそれでいい。ただこの世界に英雄や勇者に関する法がある限り、講師が言うように事と次第によっては種族間の問題にもなり兼ねない。自分だけでなく家族や国も巻き込むことになるのだとゆめゆめ忘れぬよう」

俺のようなクズに夢中になってくれるのはありがたいけど、だからと言って保護法に違反しては取り返しがつかなくなる。
そうなって国家間の問題やお家断絶なんてことにならないよう忠告だけはしっかりしておいた。

「お守り出来ず申し訳ございません」
「この責任は身をもって償います」

俺の前に護衛の二人が跪いて深く頭を下げる。
護衛対象の俺が怪我をするのを止められなかった二人は責任をとることになる。

「生徒たちの休憩時間の邪魔にならないよう護衛や警備には塔から出ておくよう命じたのは私だ。その所為で対応が遅れたというのに諸君に責任を問うつもりはない。そもそも私は守られなくとも自分の身を守れるだけの術を持っている。それこそ障壁をかけて身を守ることも出来たが、今回は生徒に怪我をさせないよう私自身が何もしないことを選んだというだけだ」

回復ヒールをかけながら二人に笑う。
止めようと思えば自分で障壁をかけるなり対処できたけど、興奮状態で突っ込んで来ている生徒たちが障壁に弾かれ転倒して怪我をしたり最悪の事態の将棋倒しになることがないよう、何もせず生徒たちが冷静になってくれるのを待った。

「取られた物の回収は彼らを教育する立場の講師に任せてもいいだろうか。名乗り出て私に直接返すのは怖いだろう。怯えさせないよう私は先に学長室へ戻っておく」
「「承知いたしました」」

我に返った今は本来ならお縄になることをしたと本人たちも分かっているだろうから、これ以上怯えさせたくない。

「私の物を奪うということは、例え釦一つでも英雄エロー公爵家の財を盗んだ咎人という扱いになる。だが反省して返還するのであれば罪は問わない。諸君の中にある良心の呵責を信じよう」

外した外套ペリースや釦がなくなったは軍服の上を異空間アイテムボックスに仕舞いながら改めて生徒たちに言って、今度こそ囲まれることがないよう護衛の二人や警備から守られながら訓練塔を後にした。


「閣下!そのお姿は一体何が!」

学長室に戻ると学長は俺を見て驚く。

「生徒に囲まれて取られてしまった」
「と、取られ、なんと言うことを!」
「興奮状態で罪の意識が薄れていたのだろう。取られた物の回収は案内の講師二名にお願いしてきた。詳しく報告する前に予備の衣装に着替えたい。また一部屋借りられるだろうか」
「は、はい。隣室をお使いください」
「ありがとう」

囲まれたことを知った学長も青ざめる。
自分が学長をしているアルク校で英雄の俺に問題が起きたとあれば青ざめるなと言うのが無理だろうけど。
ただ報告をする前に着替えておきたくて、雌性から雄性に戻った時にも着替えのために借りた隣室をもう一度借りた。

「予備があって良かった」

普段から予備の衣装一式や眼帯も異空間アイテムボックスに入れてある。
返して貰っても釦がない軍服を着ておく訳にはいかないから、黒の軍服一式と黒の眼帯と、それに合わせた外套やブーツや装飾品なども引っ張り出してまた着替えをして髪も整え直した。

三十分ほどで身支度を整えて鏡の前でもしっかり確認して隣の学長室と繋がっている扉を開けると、講師たちが既に戻って来ていて目が合った。

「回収して参りました。全て返還されたかご確認を」
「ああ」

赤の布が敷かれた大きなトレイに乗せられている物を見る。
女子生徒が両手で握りしめていた眼帯はもちろん飾緒や肩章や釦もなくなった個数が揃っていた。

「全て返還されている」
「そうですか。それは安心しました」
「ありがとう。助かった」

隠したりせず素直に返してくれたらしく、なくなったものはないことを話すと講師たちはホッとした表情に変わる。

「返還はされたものの、どれもよれていたり壊れていたりとこのまま使える状態にはございません。講師たちから外套ペリースも破れ正礼服も装飾品や釦をちぎり取られて穴が空いていたと報告を受けましたので、私から直接事を起こした生徒の保護者に報告をして謝罪と弁償をさせます。重ねて私個人も当校の生徒が起こした不祥事を深くお詫び申し上げます」

学長と講師二人が深く頭を下げる。

「謝罪と弁償は不要だ。保護者には我が子が同じ過ちを繰り返さないよう注意だけしてくれるよう話しておいて欲しい」
「ですがそれでは」
「護衛にも話したが、万が一にも生徒に怪我をさせないよう私自身が何もしないという手段を選んだ結果がこれだ。私が決めたことで起きた結果の責任を他者に押し付けたりしない。生徒たちには制止を聞き入れなかったことと私の私物を手に入れようとした点を反省して貰って、それで手打ちとしよう」

興奮状態で危険な行為をしたことや強引に奪い取ったことは本来なら犯罪だから反省して貰わないといけないけど、本当に犯罪者にならないよう保護者から注意をして貰って、二度と繰り返さないよう本人が考えを改めてくれたらそれでいい。

「寛大な処置に感謝申し上げます」
「生徒を思っての温かいご配慮、深く感謝申し上げます」

深く頭を下げた三人に俺も敬礼で返した。

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