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第十一章 深淵
企み
しおりを挟む『やり過ぎだよ』
「起きていたのか」
黒いローブの上で眠っている愛子を見下ろしていた魔神の背後からかけられた声。
『まだ重要なことを思い出せてないのにボクたちのことを話すなんて心が壊れてしまったらどうするんだ。今はヒトの知識と常識を持っているこの子にとって両親のボクたちと交わることは非常識なことでしかない。知って傷ついたかも知れない』
怒りを含んだその声。
声だけでも充分に伝わる精霊神の怒りに魔神は長く息をつく。
「欲が出た。早く全てを思い出してほしいと」
魔神も自分で思っていた。
まだ早いというのに焦り過ぎていると。
でも欲が出た。
『魔神はいつもそう。興味の尽きないボクと違って他のことには無関心なのにこの子のことになると欲が出る。この子が決めたことなんだからボクたちは見守ろうって約束したのに』
精霊神は普段から好奇心旺盛で何事にも興味が尽きない。
魔神は普段創造神として生命を見守り、時に神の力が必要な能力を解放するということを淡々と熟しているけれど、愛子のことだけは興味が尽きず強欲になる。
『この子が目覚めてもし心が壊れていたらボクは迷わず記憶を消すから。魔神が話したことも、ボクたちが過ごした日々の記憶も思い出さないように。ボクたちが愛してることがこの子の心の傷になるのならそんなことは忘れてしまった方がいい』
また失うことの痛み。
形を成して心を持ってしまった二人にも心の痛みはある。
全ての頂点に鎮座する創造神なのだから愛子の記憶を作り替えて自分たちを愛するようにすることも出来るけれど、その愛は以前の愛とは違うただの作りもの。
『この先この子は自分が何者かを全て思い出して大きな決断をすることになる。そのためにこの子は行動を起こしたのに心が壊れていては意味がない。ボクと同じ創造神の魔神がこの子がしようとしていることの邪魔をするなんて駄目だから』
精霊神の話を黙って聞く魔神。
早く思い出して貰いたかっただけで邪魔をするつもりではなかったけれど、もし愛子の心が壊れていたら決断ができなくなることは確かで、愛する者が神族でなくなってまで成そうとしていることを自分の欲で邪魔してしまうことになる。
精霊神のいうことが正論で返せる言葉もなかった。
「……っ時間!」
寝返りをうったことで目元を照らした光の眩しさで目覚めて飛び起きる。
「まだ誰も来て……あ、狭間に居たんだった」
ヒーリングスポット感満載の景色でそのことを思い出して寝癖のついた頭をかく。
「ん?どうした?」
立てた膝に右肘を乗せた姿勢で座っている魔神が真顔でこちらを見ていることに気付いて、どうしたのかと首を傾げる。
『おはよう。ボクたちの愛しい子』
「おはよう。精霊神ももう起きてたのか」
どこからともなく聞こえてきた精霊神に挨拶を返しながら背伸びをする。
「大丈夫なのか?」
「なにが?」
真顔の魔神から聞かれて疑問符を浮かべる。
『魔神から聞いたよね?……ボクたち三人のこと』
「三人の……ああ、俺が神族だった頃の関係のこと?」
『うん』
「聞いた。普通に親と子って関係だと思ってたから驚いた。神さまと神さまの子供って時点で既に普通じゃないけど」
俺一人がまだ開放感あふれる裸体なことに気付いて、水浴び前に脱いだローブをシモにかけて隠しつつ話す。
『それだけ?』
「え?なにが?」
『知って傷ついたんじゃないかと思って』
傷ついた?
俺が?
「驚いたし過去の俺マジかってドン引きしたけど傷ついてはないな。今の俺が話を聞いてドン引きしたのは人間として生きてきたからで、神基準だと近親交配はタブーじゃないんだろ?」
『ボクたち神は作ろうとしない限り子供ができないから』
「……ああ、そうか」
男や女の体になって子供を作ることも出来るのかを聞いた時に魔神が『出来るけど実際にはない』と言ってた。
そもそも神には遺伝子云々もないだろうし、人間のように本能で近親交配を嫌悪したりタブー視されていないのも納得。
「人間や動物の性欲は子孫を残すため本能が働いてのことだけど、神たちは何を目的にヤるんだ?単純に快楽の一つ?」
作ろうとしない限りできないなら神にとっての性交は子孫を残す目的じゃないだろうし、何を目的にヤるのか気になって聞くと精霊神のクスクス笑いが聞こえてくる。
『そうだね。言ったようにきっかけは生命に繁殖の知恵を授けるために色々と試したからだったけど、その過程で交わることの気持ちよさを覚えてしまったからしたくなるんだろうね』
分かる。
俺も子孫を残すつもりがなくてもヤることはヤりたい。
子孫を残すことが目的なら同性とはヤってない。
全ては自分の快楽のため。
『大丈夫そうで安心した』
「ん?」
『ボクたちの関係を知って心が壊れないか心配だったから。魔神にもどうして話したのかってお説教しといた』
「怒られたから真顔になってたのか」
怒られたらしいことを聞いて笑う。
なにか深刻なことでもあったのかと思ったのに。
「まあ人間の中には罪悪感や嫌悪感で心が壊れる人も居るかも知れないけど俺は別に。知識も常識も道徳も違う今の俺が過去の自分を否定したり嫌悪したりするのは人間の常識を押し付けるなって話だし、そもそも今の俺も全性愛者って少数派だし」
神には神の常識があって人間には人間の常識がある。
神の間ではタブーでないことを人間の常識にあてはめて批難する方が『お前は何様だ』って話。
「もし俺がそれで心が壊れるような常識人だったら性別問わずウェルカムなビッチになんてなってない。俺の性癖に突き刺さる人なら誰だろうと大歓迎だ」
そう正直に話すと精霊神の吹き出し笑いが聞こえる。
『じゃあキミの性癖に合えばボクでもいいのかな?』
「精霊神はちょっと…。近付かれただけで消滅するらしいし」
やんわりお断りすると今度は魔神が笑う。
「消滅しなければいいのか」
「ほぼ見えてないから分からないけど性癖に突き刺さるなら」
精霊神は魔神のようにフードを被って顔を隠してたりはしないけど、目元に何重にも布を巻いているからほぼ口元しか見えないし、体もくるぶしが隠れるくらいの長さの白い服を着てマンガの死刑囚のように拘束されてるから見えない。
「だからもう気にしなくていい」
そう付け加えると二人の笑い声が止まる。
「過去の自分にも二人にも嫌悪感はない。人間になってからも人を殺めること以外はしてきたんだ。今更その程度のこと知ったところで心が壊れるような繊細さは持ち合わせてない」
俺よりも二人の方がよほど気にしている。
心配してくれるのはありがたいことだけど、生きるためなら何でもした俺は図太いし、一般的な道徳からは疾うに外れてる。
「お前の性癖に合わせるのは簡単なのだがな。精霊神と私はどのような姿にもなれるのだから」
「……たしかに」
俺の両親なのは中身で体は創られた仮の姿。
何にもなれるし何にもならないこともできる。
それも俺が嫌悪していない理由の一つなのかも知れない。
「水浴びもさせて貰ったことだしそろそろ元の場所に戻してくれるか?魔神が集めてくれた記録石を確認したい」
『いいよ』
また一瞬にして景色が変わりポフとベッドに落ちる。
隣に居た魔神はしっかり体を浮かせていたけど。
ローブを羽織ってから記録石の前に胡座をかいて座る。
『それは壊すの?』
「うん。俺のゆるゆるな下心に付き合ってくれた枢機卿の姿も映ってるから。神職者なのにって批難されるかも知れない」
俺だけならいいけどエルマー枢機卿も映ってる。
最中のあられもない姿など見られたくないだろう。
話しながらも魔力を通すとベッドの左側からの映像。
正確には左下の方に仕掛けられていたらしく、エルマー枢機卿の裸体も顔も鮮明に映っている。
もう一つは右側からの映像。
こっちは右上に仕掛けられていたようで、ベッドの上全体が映っていた。
「これは……防犯目的じゃねえな」
まるでポルノ撮影をした映像のよう。
上に乗る女優を下から舐めるように映す画角と、上に乗る女優の下でベッドに横になっている男優の姿も含めて映す画角。
どう観てもそれにしか見えない。
防犯目的で仕掛けた可能性があるのは扉から入ってくる人の姿が映っている記録石と、ベッド部分も含め部屋全体が映っている天井(シャンデリア)の記録石の二つ。
既に壊したトイレの記録石含め、後の五つは『部屋(ベッド)に居る人が何をしてるか』を見るために仕掛けられたもの。
「俺を映すことが目的で急遽仕掛けたのか、部屋を使う人を映す目的で最初から仕掛けあったのか分からないけど、悪趣味」
行動を逐一追える場所に仕掛けてあるとか気味が悪い。
神殿に二つしかない貴賓室の一室なら使うのは上流階級の人だけだろうし、その人のなにが観たかったのか。
ベッドは明らかにナニだろうけど。
『生命がすることに口は出さないけど……うん』
「ん?」
『愛しい子に観せてあげて』
「ああ」
精霊神の声で記録石から顔をあげると魔神が手を開き、その手のひらの上に立体映像が映し出される。
「…………!?」
最初はノイズが入り不鮮明だったそれが鮮明になって何の映像なのかに気付いて驚く。
「……これって」
映し出されたのはベッドの映像。
中年の男性と見習いだろう年齢の少年。
少年の目は虚ろだ。
私室だろう部屋、野菜類が入っている箱が見える薄暗い倉庫、浴室、トイレ、とどめはエルフ神像がある懺悔室。
顔が見えない映像もあったけど殆どが別々の人で、おおよそ禁欲とは程遠い性交映像。
「互いに自分の性欲を解消するため同意のもとで行為を行っているものや愛し合っている者同士の行為は省いたが、逆らえずやむなくというものや強引にというものも目につく」
見習いの少年に限らず大人同士の映像も。
中には目を覆いたくなる酷いものもあって、手に持っていた記録石がバキッと音をたてて割れた。
「怪我をしているではないか」
「ムカついてつい力が」
「受肉した肉体はやはり脆いな」
割れた記録石が刺さって切れた手のひらに魔神が軽く口付けて舐めると一瞬で傷が消える。
「ありがとう」
「気を付けろ。狭間でも怪我をするし痛みもある」
「うん」
映像だけで声は聞こえなくとも、唇を噛んで涙を堪えている姿や泣き叫んでいると分かる姿を見て手に力が入ってしまった。
『とりあえず神殿を殴って壊しとこうか?』
「創造神とは思えない物理破壊宣言」
万物の創造神の逃れようのない制裁(物理)。
軽く殴っただけで神殿が粉々になりそう。
「冗談で和ませてくれてありがとう。冷静にならないとな」
この星の生命として生きてる俺が冷静にならないと。
精霊神の冗談でそれに気付いて深呼吸する。
「今のは冗談ではなく本気だったと思うが」
『うん。悪さする場所をなくすのが一番早いかなって』
「創造神が暴力で解決しようとするの辞めてくれる!?」
魔神はククッと笑い精霊神もアハハと笑う。
恐ろしい二人だ。
「なあ、エルフ神って本当に居るのか?神階で言えば天使」
「エルフ神というものは存在しないが、ヒトが言う神の階級で天使にあたる祖であれば居る。エルフ族が崇めるのであればエルフの守護者である妖精王の祖の祖ということになるな」
「妖精王の孫ってこと?」
「ああ」
ふと思って聞くと魔神がそう教えてくれる。
『妖精王の祖の祖がどうかしたの?』
「その天使は神職者に禁欲しろって思ってたりする?」
『それはない。だってそれは生命が繁殖するよう本能を与えた創造神の魔神とボクに刃向かうことに他ならない。本能だけでは不幸になる生命も居ると知って後から理性を与えたから理性を重んじる神族も居るけど、その子も本能を否定してない』
言われてみればたしかに。
本能(性欲)を与えたのが創造神の二人なんだから、禁欲しろと言う天使が居れば創造神という最高神に逆らうことになる。
「じゃあ互いに溜まった性欲を解消するために同意のうえでヤってる人や好きな人とヤってる人も問題ないな」
『ん?』
「もしエルフ神にあたる天使が禁欲主義ならその人たちの性交すらも悪いことをしてるってことになるだろ?」
『ああ、だから聞いたんだね』
「うん。俺なら禁欲を強いる天使は絶対に崇めないけど」
100万パーセント無理だと断言できるから。
正直に言ったそれを聞いて精霊神はクスクス笑う。
「そもそもエルフ族が妖精王の祖の祖の中のどれを崇めているのか分からないが、神族の中で一番位の低い、つまり精霊神と私との繋がりが最も薄い天使にあたる祖に意思や形はない」
「え?ないの?しかもたくさん居る?」
どれということは複数居るってことだろうし、懺悔を聞いて貰ったりする神(御使い)に意思がないって。
形に関してはあくまで信仰対象としてエルフ族が作った姿でしかないのは分かるけど。
「孫の代の祖ともなると無数に居る」
『ボクたちが直接創った数少ない神族が祖を創って役割を与えて、その祖がまた祖を創って役割を与えてだからね。天使にあたる祖はもうボクたち創造神の影響はほぼないと言っていい。だから何かしらの形にもなれないし意志も持てない」
「なるほど」
つまり形や意思がある神族は創造神と繋がりが近い上位の神だけで、繋がりが遠くなるほど形もなくなり親の祖が与えた役割を果たすだけの存在になるってことか。
「まあでも神は信仰する人にとって心の拠り所だからな。実際に懺悔を聞いてくれる訳でも個人的に救ってくれる訳じゃなくても、神が見守ってくれてるって思うと安心するんだと思う」
この世界には実際に神さまが居て俺は姿を見ることが出来てるけど、姿形が見えない人にも神が見守ってくれていると思うことが心の救いになるんだろう。
『そうだね。形や意思のない天使だって生命が生活できる環境を保つためにそれぞれの役割を果たしていることは事実だし、ボクたち神という名目を使って悪さをするんじゃないなら生命がどんな神を信仰するも自由だ。例えそれが人々の理想が創り出しただけの存在しないものでもボクたちがすることは変わらないし、愛おしい生命ということも変わらない』
心の広い創造神。
いや、こういうのこそ無償の愛と言うんだろう。
「そんな神を讃える神殿の神職があちこちで盛ってるわ嫌がってる人を平気で傷つけるわ。もちろん一部の人だろうけど」
「神殿も教会も神聖な場所として扱っているのは生命だけで、私たち神にとっては生命が暮らす建築物でしかない。その中で神職者たちが性交しようとどうでもいいが、神を利用して悪さをしている者が居ることは解せない」
神にとっては神聖な場所じゃないってことを言っちゃう?
精霊族はヒトの世界(地上)にある神殿と神の世界(天界)が繋がっていると信じているからここで儀式や祈祷をするんだけど。
……よし、俺はなにも聞かなかったことにしよう。
そんな心の声を聞いたのか精霊神はクスクス笑う。
思えば俺がどこにいても魔神は顕現するんだから神殿だけが繋がってる訳もないんだけど、そこは神を『どこにでも存在して見守ってくれている』という魔族の考えの方が正解に近かったようだ。
「魔神も解せないその問題をどうしたものか。証拠がない」
「証拠?」
「無体を強いられてる人が居ることの証拠。魔神が観せてくれて俺は知ることが出来たけど、俺は観たって言い分は証拠にならない。誰でも確認できる証拠がないと罪は裁けないんだ」
大教会という巨大な組織だから、俺が国に言ったところで証拠がなければ『やっていません』と言い逃れされて終わり。
俺が言ったから事実なんて阿呆な裁判はない。
あっても困るけど。
「神職者は純潔だと思ってる信徒が殆どだろうから性欲を解消するのも外に相手を求めるのが難しいんだと思う。でも人間だから我慢できない時もあって、互いに相手の我慢が理解できる神職者同士で解消するって手段をとってる人も少なくないんじゃないかな。そういう人は誰かを傷つけてる訳じゃないから全然いいと思うけど、無体を強いるクズのせいで罪のない神職者の中にも行き場を失う人が居るかも知れない」
大問題になれば大教会の権威が揺らぐ。
一部のクズがやったことでも大教会全体を批難する人は居るだろうし、同じ神殿の中で暮らしている神職者たちは特に『この人も裏では酷いことをしてるんじゃ…』と疑惑の目を向けられることにもなり兼ねない。
これ以上傷つく人が出ないようこのまま無視はできない。
でも肝心のその時の証拠がない。
俺が関われば問題が大きくなって行き場を失う神職者も居る。
信徒だって神職者がそんなことをと信頼できなくなる。
だからと言って被害者を見て見ないふりはできない。
考えるほどあっちもこっちも行き詰まる。
どうしたものかと溜息が洩れた。
『理想は本人たちで解決して貰うことだね』
「それはそう。ことがことだけに大問題になって欲しくない被害者も少なくないだろうし。こういうセンシティブな問題って公にして裁けばいいって話じゃないんだよな。被害者を二重に傷つけることにもなり兼ねないから」
だから理想は大教会の中で解決して貰うこと。
それも悪事を隠蔽するんじゃなくて、被害者の意思は尊重しつつ罪を犯した人にはしっかりと罪を償って貰う形で。
『その前に早急に解決する必要がある問題が起きたみたい』
「ん?」
問題?
何の話かと首を傾げると、隣に居た魔神が俺にどこから出したのか分からない白いローブを頭からスポっと被せる。
『移動するよ』
「ああ」
「移動?」
意味が分からないまま魔神に姫抱きされて景色が変わる。
「…………」
移動したらしい場所は薄暗い倉庫。
「クソ寒」
そう言葉を発した息が白い。
「ここどこ?」
「氷を置いておく部屋だろう」
「氷?保冷庫のこと?」
話しながらも魔神が障壁をかけてくれて寒さがおさまった。
一体どこの保冷庫に移動させられたのかと辺りを見渡すとボソボソと声が聞こえてくる。
「……だから」
「でも……」
声が小さくて聞こえないけど二人で会話している。
棚の向こうから聞こえていることに気付いて、物と物の隙間から向こう側を覗いた。
「……エルマー枢機卿!?」
祭服を着た神職者の足元に倒れているのはエルマー枢機卿。
驚いて声をあげる。
『大丈夫。眠らされてるだけ』
そう精霊神から言われてふと気付く。
確実に聞こえる声量で声をあげたのに、祭服を着た神職者二人は気付いた様子もなくまだボソボソ話していることに。
「私とお前は狭間に居る。こちらの声は届かない」
「ああ、だからか」
魔神の声はまだしも俺の声は棚の向こうに居る二人に聞こえておかしくないのに、どうして気付いてないのかと思えば。
「とにかくエルマー枢機卿は無事なんだな?」
『今はね。この後の二人の行動次第では分からないけど』
「何かしそうな時は狭間から出してくれ。助けないと」
『わかった』
浄化するために来ただけなのに次から次へと。
今日は厄日だ。
「氷を出していたということは恐らく気付かれたのですよね」
「そうでなければ棄てていないだろう」
氷……あのコシュマール入りの氷のことを言ってるのか?
「どうしますか?眠らせはしましたが」
「私たちが使う物ではないのだから判断を仰ごう」
「エルマー枢機卿はこのまま?」
「いや。連れて行こう。目覚めて騒がれては困る」
「承知しました」
そう話して片方の男は床にしゃがむと敷かれている絨毯を捲り床下収納らしき扉を開く。
「よりによってエルマー枢機卿に見つかるとは」
「英雄公に水をお出ししようとして気付いたのだろう。オベルティ教皇の命で今日一日お仕えすることになっている」
「英雄公にお仕えできるとは羨ましいお話で」
片方の男は背中にエルマー枢機卿を背負いながら、もう一人の男は背負うのを手伝いながらそんな話をする。
「そうだな。ただ純粋にお仕えするだけでよいならば」
「どういう意味で?」
「英雄公がお倒れになったのは偶然だったが、記録石のあるあの貴賓室にお通ししたということは……分かるだろう?」
「……もしや英雄公の」
「今となってはエルマー枢機卿が英雄公に水をお出しすると分かっていてここに置いたのではないかと疑ってしまう」
薬入りの氷を置いたのはこの二人じゃないってことか。
ただ、薬入りの氷だと知っているということは、氷を使う誰かの仲間であることは間違いないだろう。
「英雄公はお飲みになってしまったでしょうか」
「もしお飲みになっていれば国王軍が黙っていない。エルマー枢機卿を捕らえて騒ぎになっていただろう。水を飲みお体に異変が見られたとあらば暗殺を疑われてもおかしくない」
「……その狙いもあったのでは」
「真面目なエルマー枢機卿はオベルティ教皇にとって邪魔者。英雄公の弱味を握ると同時にあわよくばエルマー枢機卿も排除できるのではと考えたのではないかと私も思っている」
そう話しながら二人は地下に続いているらしい階段を降りて行った。
『と、いうこと』
「教皇の企みだって知ってたのか」
『知ってたよ。ついさっき知ったばかりだけど。魔神とボクは過去を見ることが出来るから、ボクたちが見たものをキミにも見えるよう映像にしたのがさっきのあれ。創造神のボクたちは基本的に生命のすることに干渉しない。ただ、今はこの星の生命のキミがどうにかするって言うなら話そうと思ってた』
「なるほど。納得した」
創造神は生命がやることに対して干渉しない。
だから映像だけを観せて、この星で生きる生命の一人の俺が解決するようなら話してくれるつもりだったと。
『どうする?』
「正直まだ決め兼ねる。解決するかしないかじゃなくて解決する手段を。ただ、エルマー枢機卿は救いたい」
このまま知らないフリはしない。
ただ、今はまだ何が最善の手段なのか分からない。
今決められることはエルマー枢機卿を救うことだけ。
『今はまだ地下を歩いてるから辿り着いたら移動させるよ。必要なんでしょ?罪を償わせるための証拠も』
「うん。ありがとう」
『ごめんね。本当は魔神とボクならどうにでもできるのに』
「ううん。創造神は生命に平等で居てくれないと困る」
平等に救済して平等に干渉しない。
どの星にもどの星の生命にも平等に。
どこか一つの星や生命だけが贔屓されないように。
「俺のことは甘やかしてくれてるけど」
『「お前(キミ)は神族だからな(ね)」』
重なったその返事に笑う。
創造神は息子の俺に甘い。
『着いた。移動させるよ』
「うん」
また一瞬で変わった景色。
魔神に降ろして貰って軽く部屋を見渡す。
薄暗い中に祭壇があってランプの光が照らしている部屋。
黒魔術でも行いそうな雰囲気の部屋だ。
部屋に居るのは三人。
ベッドに座っている二人は少年で、もう一人は……
「戻ったか」
床の扉が開いてそちらを見たのはオベルティ教皇。
明らかに見える距離に居る俺には気付いていない。
「…………何があった」
床の扉から入って来たのはエルマー枢機卿を背負った男と落ちないよう背中を支えている男の二人。
さっき保冷庫に居た二人で間違いないだろう。
「地下を通り保冷庫に出たところでエルマー枢機卿と鉢合わせました。顔を見られたので咄嗟に眠らせましたが、氷を棄てておりましたので恐らく薬が入っていることに気付いたのかと」
エルマー枢機卿を背負っている男はそう説明する。
「お前たち。もう行ってよい。沈黙の誓いを破らぬように」
「「はい」」
ベッドに座っていた少年二人は教皇から言われて立ち上がるとすぐにとでも言うように小走りして、男に背負われているエルマー枢機卿を浮かない表情で一瞬だけ見て部屋を出て行った。
「それをベッドへ」
「……はい」
男は返事に一瞬間を開けたものの命じられるがままにベッドまで行って、二人でエルマー枢機卿をそこに降ろす。
「英雄公は貴賓室に居られるか?」
「国王軍が警備を続けておりましたので部屋に居られるかと」
ここに居るけどな。
しっかり話も聞いている。
「ふむ。騒ぎになっていないということはお出しする前にエルマー枢機卿が気付いてしまったのか。鑑定は持っていないというのになぜ気付いたのか分からないが勘のいいことだ」
いや、気付いてなかった。
しっかり氷を使ってしっかり飲ませようとしていた。
勘がいいんじゃなく俺の鑑定で分かっただけ。
「……やはりオベルティ教皇が置いたのですか。普段は見つからないよう保冷庫の奥深くに置いてあるというのに、今日に限って誰もが使う手前に箱があるとはおかしいと思いましたが」
声色の沈んだ男に教皇は笑い声をあげる。
「貴様も英雄の影響力を見ただろう?本日英雄が参られると数名に世間話をしただけで瞬く間に広がり沿道には人が溢れ、信徒はこちらが何も言っていないというのに傍で拝見する機会得たさで競うよう多額の献金をした。その異常なまでの影響力を持つ英雄の弱味を握り私の自由に動かすことが出来れば素晴らしいと思わないか?英雄を盲信する信者どもは大教会の信徒となり、思いの強さにゆえに湯水のように献金するだろう」
そう話して高笑いする教皇は悪役のテンプレのよう。
神職者とは程遠い金の亡者。
いや、あらゆる欲に溺れる強欲の塊。
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