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第十一章 深淵
欲
しおりを挟む「英雄公爵閣下」
その声でパチリと瞼を開ける。
目が覚めて目の前にあったのはエルマー枢機卿の顔。
「大丈夫ですか?」
「なにが?」
「呼吸が苦しそうでしたので体調が悪いのかと」
そう言われてみれば寝起きだと言うのに少し息があがっている気がするし、手の甲を添えた額にも汗が滲んでいる。
息苦しくて汗をかいたのか。
「医療師をお呼びしますか?」
「いや。嫌な夢でも見て魘されたんだろう」
そう話す俺の顔をエルマー枢機卿がタオルで拭う。
「どのくらい寝ていた?」
「一時間ほどかと。様子を見に伺ったのですが」
「そうか。心配をさせて悪かった」
一時間ほどということは実際に寝たのは数十分。
この部屋に来てしばらくは精霊神や魔神と話してたから。
話して……いや、口付けられて。
「抜けたのか?これ」
精気を吸い込みすぎたとか何とか言って、魔神が口付けで吸いとってくれてる最中に眠ってしまったようだけど。
「抜けたとは?」
「ただの独り言だ」
少し意識がぼんやりして頭も痛い。
倒れてもすぐ意識が戻ったから大したことなかったんだと思ってたけど、魔力を使い過ぎた影響は思った以上にあるようだ。
「あっつい……」
体が熱くてローブの胸元を少し開ける。
まさか熱があるのか。
「参ったな……他国に来てるのに」
ここがブークリエ国なら魔祖渡りを使うなりエドやベルに迎えに来て貰うなりしてさっさと屋敷に帰って寝たんだけど。
「やはり念のため医療師をお呼びします。呼吸も早いですしお顔の色も赤いですし、汗もこんなに」
タオルで胸元を拭ったエルマー枢機卿の手を咄嗟に掴む。
「すまない。痛かったか」
「い、いえ。大丈夫です」
一瞬眉根を寄せたのを見てすぐに手を離す。
咄嗟だったから力加減が出来てなかったようだ。
「水だけ貰えるか?」
「はい」
喉が渇いたら飲めるよう用意してくれてたのか、ベッドの隣にあるローテーブルに置いてあった氷入りの水をグラスに注いでくれる。
「待った」
「え?」
ピッチャーからコポコポと注がれるグラスの中の水を眺めてエルマー枢機卿を止める。
「……この水は誰がここに?」
「私が運んできました」
それを聞いて寝返りをうちエルマー枢機卿の居る方に体勢を変える。
「ピッチャーに水を入れたのもエルマー枢機卿か?」
「私が生活魔法を使って入れましたが」
聞いたことにすぐ答えるエルマー枢機卿。
どうしたのかと伺うような表情で嘘を言ってる様子はない。
ただ、嘘をつかない方がおかしい。
指先でこっちに来いとジェスチャーして見せる。
「?」
不思議そうな表情をしつつもローテーブルに注ぎかけのグラスとガラスのピッチャーを置いたエルマー枢機卿は、俺の指先に誘われるようにしゃがんで体ごと顔を近付ける。
すぐ傍まで来たエルマー枢機卿の首の後ろに手を添えて自分の方にグイッと引き寄せた。
「英雄こ」
「水は本当にエルマー枢機卿が用意したのか?」
一瞬体を強ばらせたエルマー枢機卿の耳元に口を寄せ言葉に被せてさっきと同じことをもう一度問う。
「は、はい。私が」
「じゃあ薬を入れたのもそうなのか?」
「……え!?」
「静かに」
驚いた声をあげたのを囁いて止める。
「小さな声で話してくれ」
「は、はい」
もしかしたら部屋に記録石が仕掛けられている可能性もある。
俺を貶めるためなのか、別の理由なのか分からないけど。
「その水にコシュマールの樹液が入ってる」
悪夢という名前の蒲公英に似た植物を折ると出る白い液体。
水にそれが入っていることが分かったのは鑑定を使ったからだけど、まだ俺がエミーから鍛えて貰っていた頃に訓練のため足を運んだ王都森林で一度だけ見かけたことがある。
「……まさか毒?」
「違う。催淫薬だ」
「さっ……さ」
その液は毒ではない。
飲んでも死なないけど催淫と催眠の二つの効果があって、これを飲ませれば催淫効果で盛ったあと催眠効果で眠ってくれる。
薄めたものが娼館で使われているとエミーが教えてくれた。
「エルマー枢機卿が入れたのに知らないのか?」
「私は断じて」
「静かに」
「す、すみません」
声を強めて離れようとしたのをもう一度引き寄せて止める。
「自分が言ったんだろう?私が用意したと」
「たしかに私が用意しましたが決して薬など」
少し手を緩めて顔を確認するとエルマー枢機卿も真剣な顔で俺と真っ直ぐに目を合わせる。
「こんなものを使わなくても幾らでも誘われたのに」
両手を顔に添えて唇を近付ける。
「わ、私は本当にそんなことは……」
今にも触れそうな距離の唇からエルマー枢機卿は物音一つでかき消されてしまいそうな震え声でそう呟いた。
「水を入れたのはエルマー枢機卿で間違いないな?」
「はい」
「ガラスのピッチャーやグラスを用意したのは?」
「私です」
うーん。
エルマー枢機卿じゃないなら誰がどのタイミングで。
「私が棚からピッチャーとグラスとトレイを出して、保冷庫の氷を入れてから生活魔法で水を注ぎました。英雄公爵閣下にお出しする物に万一のことがあってはいけないので全て私が」
泣きそうなのか、目元をほんのり赤く染めながらも一からしっかりと説明してくれた。
「…………」
ふと気付きローテーブルのグラスを手にとって飲む。
「な、なりません!」
俺の手を両手で掴んで止めたエルマー枢機卿を無視して飲みほしたあとグラスに残った氷を見て、口の中に入った小さな塊をガリッと噛み砕く。
「氷だ」
掴まれている手とは反対の手でまた首の後ろに手を添え引き寄せてから耳元で話す。
「……氷?」
「氷にコシュマールが混ざってる」
氷を単独で鑑定したらコシュマールの名前が出た。
その氷に使われている材料は水とコシュマールだと。
さっき水を鑑定しても出たのは氷が溶けたからだろう。
「氷はいつも保冷庫にあるものを使うのか?」
「はい。この神殿には氷魔法を使える者がおりませんので」
「となると俺に飲ませるためじゃないな」
水が氷になるまでには当然時間がかかる。
氷魔法を使える神職者が居るなら一瞬で凍らせられるけど、居ないなら俺が来る前から保冷庫にあったということ。
倒れなければ俺がここで水を貰って飲むこともなかったし、俺じゃない神職者の誰かに飲ませるため用意されたものをエルマー枢機卿が知らずに使ってしまったんだろう。
「毒なら誰かに恨みがあってだろうけど、催淫薬となれば殺すことが目的じゃない。飲んだ誰かと行為に持ち込むためだな」
恐らくそういうこと。
随分とゲスなことをするもんだ。
「保冷庫はみんな使うのか?」
「はい」
「入るのも誰でも?」
「誰でも入れますし自由に使えます」
じゃあ誰か一人を狙ったんじゃなくて無差別か。
死なないものなら使ってもいい訳ではないだろうに。
「なあ。この部屋に記録石はあるのか?」
「ございません。…………ないと思います」
一度ハッキリと答えたものの、何か思いあたることがあったのか色々とあって他の神職者への信用が揺らいだのか、エルマー枢機卿は浮かない表情で言い直す。
「そうか。じゃあこのまま」
記録石がないと断言できるなら離れて普通に話せるけど、もしあったら声や姿を録音されてしまうから下手に話せない。
「……あ」
そう思ってふと思い出す。
眠りにつく前に魔神や精霊神と話したことに。
あの二人の姿や声は録音できないだろうけど、俺が喋っていた声や姿は拾われている。
え?一人で喋ってるおかしい奴だと思われんの?
しかも神さまと喋ってる(つもりの)奴として?
世間に出したら英雄を隠し撮りした罰を受けるからバレないよう流出できないだろうけど、変な奴だと思われるのが辛い。
「英雄公爵閣下?」
記録石の可能性があるからこうしていると理解したらしいエルマー枢機卿は小さな声で名前を呼ぶ。
「体が熱い」
「医療師を」
「呼んでも意味がない」
「え?」
不調の理由は魔力不足のせいもあるんだろうけど、主な辛さはこの聞き分けのないゆるゆるな下心だ。
目の前に好みのタイプの人が居て手で触れていて顔も近い。
この体勢は俺がしたことだけど、氷に薬を入れた奴を恨む。
「薬を飲んだから……」
ハッと気付いたように口元を押さえるエルマー枢機卿。
いや、下心があるのはその前からだし、催淫薬だろうと毒薬だろうと俺には効かないけども。
「解毒薬ならあるのですが」
頼むから顔を赤らめるのはやめてほしい。
俺は今日一日なんの試練を受けているのか。
神からの試練?俺の両親ですけど?
「よし、俺を殴ってくれ」
「……はい?」
「それで正気に戻るかも知れない」
「で、できません!」
さすが神職者。
暴力的な解決は望まないらしい。
俺としては最善の解決法なんだけど。
金の髪に指を通すとビクリとして一瞬にして顔が赤くなる。
もう暴力的解決が一番だと思う。
そうしないと俺の理性が消滅しそうだ。
「……エルマー枢機卿」
「は、はい」
唇が触れそうな距離で名前を呼ぶと上擦る声で返ってくる。
あーもう本当に俺の理性仕事しろ。
「「…………」」
指で触れた唇はやっぱり柔らかくて気持ちがいい。
体はガチガチに固まってるけど逃げないならこのまま唇で。
「…………ごめん。危ないから離れててくれ」
そう言って軽く体を押して距離を置いた。
できる訳ないだろ!
同意もなしに襲うほどクズじゃねえ!
頑張れ俺の理性!
一人で何かと戦いながらボスっとベッドに沈み目を閉じる。
なんでこんな俺好みの人を付き添い役に選んだんだ。
俺の性癖には一切突き刺ささらないだろう人にしてくれ。
いや、俺の性癖なんて知らないだろうけど。
本能と理性が戦いながら息をつく。
こうなったのが初めてということは今までの相手からは精気を吸いとったりしなかったんだろうけど、どうしてアルク国王の時だけこんなことになったのか。
今までの人との違いと言えば女体化していたこと。
いやでも女体化した体でも魔王やエディやラーシュやクルトと致したことがあるけど、時間が経ってから今みたいに催淫にかかったような状態にはならなかった。
考えても分からない。
精霊神が『精気を吸いとったから』ということは教えてくれたけど、吸いとった理由までは分からない。
「英雄公爵閣下」
ベッドの隣にしゃがんだまま心配そうに俺を見る姿。
この下心ゆるゆるの時に偶然俺の付き添い役に選ばれたばかりに心配をかけて申し訳ない。
「心配をかけてすまない。少し休めば落ちつく」
多分。
さっきエルマー枢機卿がベッドの上に落としたタオルを取って自分で汗を拭う。
「あの……尊き御方にこのようなことを言うのは不敬だと重々承知なのですが…………その……した方がよいのでは」
真っ赤な顔でボソボソと言われる。
頼むから新たな試練をぶち込んでこないでくれ。
自分の容姿のよさ(恐らく性格もいい)を自覚してほしい。
「うん。俺もそう思う」
今の俺は催淫状態。
要はやりたい(出したい)欲がマックスの状態なんだから、さっさとやった(出した)方が楽になることは自分でも察してる。
同性のエルマー枢機卿にもそれは分かるだろう。
「禁欲を貫く意志の強さには尊敬いたしますが、そのように苦しそうな時くらいは……」
あれ?俺が禁欲してると思ってる?
据え膳は率先していただく俺がそんな修行僧みたいなことを?
俺をいいように解釈し過ぎじゃないか?
ただのクズなのに。
「無自覚に煽るのやめてくれるか?」
手を伸ばしてエルマー枢機卿の顔に手を添える。
俺好みの顔でザクザク下心に突き刺してくるんだからほんと勘弁してほしい。
「申し訳ございません。失礼なことを申しました」
「そうじゃなくて今の俺に好みの顔で煽るようなこと言うのはやめてくれってこと。失礼なのは神職者を下心で見てる俺だ」
視線を外していたエルマー枢機卿は驚いた顔で目を合わせる。
もしかしてもしかしなくても全く気付いてなかったのか。
危ないから離れてろって言ったのに。
「わ、私は男性です」
「知ってる」
中性的な顔をしてるけど男なのは分かってる。
今までありとあらゆる性別やタイプの据え膳をいただいてきたパンセクシャルの俺を舐めるな。
「俺は性別不問の全性愛者だ。だからエルマー枢機卿が俺と居ても安全ってことはない。英雄って権力に逆らえない状態になられるのは望まないから離れてくれ。じゃないと襲うぞ」
赤い顔で固まっているエルマー枢機卿の頬を撫でる。
俺は残念ながら性欲に従順なクズだからまだ理性で抑えられてる内に離れてほしい。
「……私は六歳から神殿におりますのでその手の経験が」
「だろうな」
知ってる。
俺とは正反対のピュアっピュアの体だって。
「お応えできる自信はありませんが」
そう言って唇が重なった。
「「…………」」
え?そっちの展開に行く?
離れる選択肢をあげたのに?
ただ重なっているだけの唇。
しかもガチガチ。
本当は嫌なのか緊張か。
固く結ばれている唇を舐めると驚いたように唇が開き、舌を潜らせるとぎこちないながらも反応が返ってくる。
うん、演技じゃなくて本物の初物。
「怖いのか」
「初めてなもので」
唇を離して聞くとそんな返事。
緊張と恥ずかしさが入り交じっているのか目を合わせない。
それを見て体を引き寄せベッドに押し倒して顔を見下ろすと、逃げもせずにジッと俺を見返してくる。
「同意なしの行為は俺の流儀に反する。今なら辞められる」
「お優しいのですね」
「優しい奴は純潔を守る神職者を押し倒したりしない」
「魂は神のものですがこの世に残して行く肉体は別です」
「そういうものなのか」
「禁欲は神の教えではなく自戒。ですので永遠を誓う成婚はできませんが、魂と切り離される肉体に制限はございません」
魂と肉体を別に考えているのが生まれ変わり信仰らしい。
魔神も純潔を守れとは言ってないって言ってたけど。
「まあ入れないけどな。なんも用意してないし、初めてでいきなりしたら怪我させるし」
エルマー枢機卿の祭服の紐を解きながら苦笑する。
同性との行為に必要なものが揃ってないから途中まで。
「痛いことはしない。そこは安心してくれ」
「お心遣い感謝します」
あーあ。
結局俺は地球でも異世界でも性欲に従順なクズということは変わらないみたいだ。
恥ずかしそうに呟いたエルマー枢機卿に口付けた。
・
・
・
「教会の個室に風呂まで付いてるとは思わなかった」
木製の浴槽に浸かって水が滴る頭を軽く振る。
「こちらの貴賓室は神殿にございます」
「教会の二階じゃないのか」
「教会と神殿の二階は渡り廊下で繋がっております。今回は術式を使いましたのでお気付きにならなかったと思いますが」
「ただ二階に上がっただけかと思った」
一緒に浴槽に浸かっているエルマー枢機卿から聞いて今更自分の居る場所を知る。
大聖堂のある教会は礼拝や儀式を行う場所で、神殿は神を祀る本殿でもあり神職者たちが暮らす場所でもある。
それはブークリエ国でも同じだけど、教会と神殿が別の場所にあるブークリエ国とは違ってアルク国では渡り廊下で繋がっているようだ。
「教会の二階にも来賓室はございますがそちらのお部屋に浴室はございません。神殿にあるのはこのお部屋を含めた貴賓室の二室だけ。個別の浴室があるのはその二室だけです」
「なるほど。いい部屋を貸してくれた訳か」
「尊き英雄公爵閣下とあれば当然かと」
「中身が伴わない肩書きだけの英雄でしかないけどな」
倒れたあと辺りから英雄の仮面が崩れはじめて、今ではすっかり振る舞いどころか口調でさえもらしくをやめた。
「手に触れただけで幸せになれそうなんて喜んでくれた英雄の実の姿が尊さの欠片もないただの男で悪かった」
多くの人が見たことのある英雄はただの偶像。
振る舞いも口調も教わったもので本物の俺ではない。
「貴方さまは紛れもなく尊き御方です。顔も知らない民のため過ちを怒り倒れるまで身を削る貴方さまが尊き御方でなければ何だと言うのでしょう。大きな翼を広げ民のために祈りを捧げる貴方さまは美しかった。私が尊ぶ御方はここに居られたと」
俺の腕に両手を添えて身を重ねたエルマー枢機卿の行動に誘われ顎に添えた手で軽く顔を上げさせ口付ける。
「もう嫌な感覚はなくなったか?」
「はい。今はとても清々しい気分です。やはり私の感じていたあれは負の気だったのだと確信いたしました」
そう答えたエルマー枢機卿は言葉通り清々しい表情。
嫌な感覚というのがどんなものか俺には分からないけど、付き纏っていたものがなくなって楽になれたようだ。
「これからは自分の力を信じて民のために使ってくれ」
「必ず」
決意のこもった返事と力強い淡いブルーの目。
今までの気弱そうで大人しい印象とは違う。
きっといい神職者になるだろう。
柔らかい唇を堪能して離すと赤い顔で視線をそらす。
そこは変わらないらしい。
もう俺からありとあらゆるところを見られて散々堪能されたというのにまだ初々しい反応なのはさすが初物。
俗世離れした神職者の清い体に自分の醜い欲求をぶつける罪悪感と背徳感を心から楽しんで、こうしてまたじっくりと堪能する強欲な俺が創造神の子供だと言うんだから何の冗談だ。
いや、そこは魔神に似たのか。
何か(何とは言わないけど)凄そうだし。
愛しく思って精霊神に触れたら子供が生まれたとか絶対凄い。
「英雄公爵閣下?」
「ごめん。思い出し笑い」
性欲はあるのかの質問に「ある」とキッパリ答えた魔神。
創造神にあるのに子供にないはずもない。
「俺の性欲の強さは父親譲りだったのか」
独り言を呟き触れると柔らかい唇から洩れる呼吸。
堪えるようなそれに落ち着いたはずの欲求がまたむくむくと膨らむんだから、どれだけ好きものなんだと自分が笑える。
でもこれが俺だ。
みんなが憧れる英雄とは程遠い俗物。
「お体は大丈夫なのですか?」
「ああ。心配をかけてすまなかった」
風呂を済ませたあとエルマー枢機卿が身支度を整え元通りの姿になってから護衛に声をかけて貰うと、数分ほどでダンテさんとラウロさんが来て俺が居るベッドまで歩いてくる。
「本日はもうお目覚めにはならないだろうと予想していたのですが、まさか数時間足らずで回復なさるとは」
「完全に回復した訳ではないがな」
「それはそうかと。賢者から魔力譲渡を受けたのでしたら分かりますが、僅か数時間足らずの睡眠で回復していることが奇跡です。通常でしたら一日は寝込むものですので」
ラウロさんからそう言われて笑う。
たしかにそれが通常。
俺も極限になると超回復する体力と違って魔力は回復が遅い。
ただ、今回は魔神がくれた白苺を食べたから。
以前貰った時は骨折していたのにすぐ治ったくらいだから、恐らくあの白苺も星の実と同じ神物なんだろう。
「オベルティ教皇にはこのままお部屋をお借りすることはお伝えしてございますが、本日はこのままお休みになりますか?」
「いや、帰城する。やらなくてはならないことがある」
今夜もアルク国王の治療。
ここに泊まったら治療が出来ない。
軍の上官の二人は当然アルク国王の体調が悪いことも治療していることも知ってるけど、今はエルマー枢機卿が居るから『やらなくてはならないこと』という表現にした。
「承知しました。お時間が決まりましたらご報告いたしますので今しばらくこちらでお休みください」
「よろしく頼む」
帰城するならするで準備が必要。
俺の移動には警護や警備が必要になるし、倒れたことを知ってるだろう師団にも伝達して帰城時間も決めないといけない。
だからエルマー枢機卿の身支度が終わってすぐに護衛へ声をかけて貰った。
「水……は薬入りだった」
水を貰おうと思ったけど催淫薬入りだったことを思い出して言うと、エルマー枢機卿も思い出したように赤くなる。
今のはわざとじゃなくて素で忘れてたんだけど。
「エルマー枢機卿も下がっていい。保冷庫の氷を捨てないといけないだろ?誰かが知らずに使うかも知れない」
俺が下心を拗らせてる間にもう誰か使った可能性もあるけど。
「ですが英雄公爵閣下をお一人にする訳には」
「護衛が付いてるから俺の方は心配要らない。神職者たちが神殿に戻る前に始末をした方がいい。まだ幼い見習いも居るし」
教会は基本一日中解放されてるけど、治療部屋などがある一区間を覗いて夜は閉めるから大半の神職者が戻ってくる。
戻ってきたら飲み物を飲む人も居るだろうし、知らずに使ってしまう前に棄てた方がいい。
「そういうことをしそうな人物の心当たりはあるのか?」
「それは私も考えてみたのですが特に思いあたる者もなく」
まあそうか。
まさか仲間の神職者が薬を盛るなど思わなかっただろう。
「ではお言葉に甘えて少しお時間をいただきます」
「うん。俺が下手に関わるとアルク大教会だけの問題じゃ済まなくなるから手伝えなくて心苦しいけど」
「恥ずべきことで騒ぎが大きくならないようご配慮くださいまして感謝申しあげます」
深々と頭を下げたエルマー枢機卿は部屋を出て行った。
「誰がやったかも目的も分からずじまいになりそう」
全ての氷に混ぜてあるのか、エルマー枢機卿が偶然使った部分がそうだっただけなのか、誰彼構わず無差別なのか、誰かに使う(飲ませる)予定だったのか、目的は飲ませて手を出すつもりだったのか、たんなる嫌がらせでやったことなのか。
毒薬ではなく催淫薬というのが「禁欲は自戒」らしい神職者が集まる神殿とは思えない手段だけど、中には禁欲どころか性欲の権化のような世俗たらたらな神職者も居るんだろうか。
俺も人のことは言えないクズだけど、さすがに何も知らない相手に催淫薬を盛って手を出そうとは思わない。
「さてと。俺も探すか」
体を起こしてベッドから降りる。
この広い部屋を探すのは骨が折れそうだ。
俺が探すのは記録石。
氷に催淫薬を混入する不届き者が居るくらいだから貴賓が宿泊するこの部屋も絶対に安全とは言えない。
もしあったら俺の下心に付き合ってくれたエルマー枢機卿の姿も残ってるだろうから念のため確認しないと。
「探し物はこれか?」
「!?」
背伸びしていざ探そうと思ったら背後から声が聞こえてきてパッと振り返る。
「魔神。二度も顕現するとか珍しい」
「気になることがあったんでな」
「気になること?」
俺が今降りたばかりのベッドに座っていたのは魔神。
そもそも顕現すること自体が稀なのに一日で二回も姿を見せるとは思わなかった。
「それより探し物はこれだろう?」
魔神が指さしたベッドに置かれていたのは記録石。
しかも七つ。
「やっぱ仕掛けられてたのか」
まさか七つもあるとは思わなかったけど、記録石があるんじゃないかという疑惑自体は当たっていたらしい。
そこは当たってくれなくて良かったのに。
「ベッドの左右に二つ。浴室内が一つと脱衣場が一つ。廁の中に一つ。部屋全体が映る扉の上が一つと天井の灯りに一つ」
確認するためにベッドの隣にしゃがんだ俺に一つずつ指さしながら設置されていた場所も説明してくれる。
「トイレ?………え?この神殿って変態が居る?」
いや、中には安全対策(何かあった時の防犯カメラ的な)で設置した記録石もあったかも知れないけど、トイレに出入りする人を確認する場所ならまだしも中に設置するのはドン引き。
「少なくとも俺が起きてからあとは誰も使ってないことは確かけど、もし寝てる間に行ってたらバッチリ映ってそう。これはさすがに確認せず壊した方がいいな」
トイレの中にあった記録石はさすがに。
いくらなんでもヒトの尊厳を崩壊したくない。
俺の話を黙って聞いていた魔神はトイレに仕掛けられていたらしい記録石を握って割る。
「……軽く握っただけで粉に」
割れて粉々にというレベルではなくサラサラの砂。
創造神だけは怒らせないようにしよう(確信)
「で、部屋の二つは俺が独り言をいってるのが映ってると」
「独り言?」
「魔神や精霊神の声や姿は記録されないだろうから」
「先ほど来た時のことなら安心しろ。これに映っているのはお前の寝ている姿だけだ。私と共に狭間に居たからな」
「狭間?」
「世界と世界、時間と時間の狭間だ」
???
意味が分からず大きく首を傾げる。
「この指が二つの平行世界だとすると、狭間というのは二本の指の間にある無の空間。この世界のお前は眠っていた」
「……さすが創造神。話が壮大」
人差し指を二本使って平行世界を表した魔神。
その二本の人差し指の間にあの時の魔神と俺は居たと。
声だけだった精霊神はまた別の空間に居たんだろう。
「魔神が帰った後のことは?」
「私が居なくなった後は今ここに居るお前が映っている」
「ってことは」
俺とエルマー枢機卿のアレなシーンも記録されてると。
「全て映っている」
「心を読んだ?むしろあの時を見てた?」
「ああ」
「プライバシーの侵害」
イエローカードでは済まされない。
息子の濡れ場を覗くとかレッドカード。
「助長させた自覚はあったんでな」
「なにを?」
ボソッと言った後は腕を組んだまま沈黙。
なにを助長させた自覚があるのか。
「ベッドの二つはハッキリ顔も映っているがどうする?」
「ごまかしてる」
「確認しないのならこのまま私が破壊してやる」
全力スルーの姿勢を貫くらしい。
何を隠しているのか怪しいけど口を割る気はないようだ。
「もしかして俺が今日下心ゆるゆるだった理由が精気を吸い取り過ぎたからって話は嘘で魔神のせいだったりする?」
「それは事実だ。身体を変化させる能力を持つ邪竜種は夢魔に似た特性を持っていて性交を行うことで相手の精気を奪う。本来は意識して奪うが、お前は邪竜種の能力を継承したばかりで特性があることも分からず無意識に奪ったのだろう」
「え?そういうこと?」
独り考えたところで精気を吸いとった理由が一切分からなかったけど、その話を聞いてやっと理由が分かった。
「今までお前の姿を変化させていたのは邪竜だろう?誰かにかけられたところで特性が付くことはないが、今は継承して己の能力になったのだから特性も継承されている」
「だからかあ」
納得。
たしかに同じ女体化した体でも今回は自分で能力を使ったって違いがあった。
「じゃあ今夜もアルク国王の精気を吸いとることに」
女体化しての治療は今夜もやる。
まだ軟化したばかりの状態が間を空けても続くとは思えない。
一定まで治療が終わらないとブークリエ国にも戻れない。
「私が特性だけ封じてやろう」
「え?いいの?」
「今回限りだ。本来であれば創造神の私は干渉しない」
「ありがとう!助かる!」
ハグして感謝を伝える。
知らず知らずのうちに精気を吸いとってると思うと怖くて治療に集中できそうにないから。
「……魔神?」
人が全身で感謝を伝えたのに沈黙のまま動かない魔神を見るとローブのフードが少しズレて鼻筋まで見えていて、今まで口元以外は隠されていた素顔が見たい好奇心でフードに手を伸ばすとその手を捕まれる。
「過剰な好奇心は身を滅ぼす」
「ご、ごめん」
顔を間近に寄せられ息苦しいような圧迫感を感じて謝る。
精霊神と違って魔神からは今まで圧迫感を感じたことが無かったけど、ただ消しているだけなんだと実感する。
「私の顔に興味があるのか」
「いつも口元しか見えないから。でも二度と見ようとしない」
そんなに見られるのが嫌だったのかと申し訳なく思いながら二度と見ようとしないことを誓う。
自分の容姿に自信がない人だって居るんだし、普段隠しているのに見ようとした俺が悪かった。
俺の方を見て口元を苦笑で歪ませた魔神はフードを降ろす。
「…………」
……容姿に自信がない人も居るとか言ったの誰?
魔神の姿を見て固まった俺に今度はククッと笑った。
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何処にでもいる普通のサラリーマン。
仕事帰りの電車で、吊革に捕まりうつらうつらしていると・・・・
突然気分が悪くなり、倒れそうになる。
周りを見ると、周りの人々もどんどん倒れている。明らかな異常事態。
何が起こったか分からないまま、気を失う。
気が付けば電車ではなく、どこかの建物。
周りにも人が倒れている。
僕と同じようなリーマンから、数人の女子高生や男子学生、仕事帰りの若い女性や、定年近いおっさんとか。
気が付けば誰かがしゃべってる。
どうやらよくある勇者召喚とやらが行われ、たまたま僕は異世界転移に巻き込まれたようだ。
そして・・・・帰るには、魔王を倒してもらう必要がある・・・・と。
想定外の人数がやって来たらしく、渡すギフト・・・・スキルらしいけど、それも数が限られていて、勇者として召喚した人以外、つまり巻き込まれて転移したその他大勢は、1人1つのギフト?スキルを。あとは支度金と装備一式を渡されるらしい。
どうしても無理な人は、戻ってきたら面倒を見ると。
一方的だが、日本に戻るには、勇者が魔王を倒すしかなく、それを待つのもよし、自ら勇者に協力するもよし・・・・
ですが、ここで問題が。
スキルやギフトにはそれぞれランク、格、強さがバラバラで・・・・
より良いスキルは早い者勝ち。
我も我もと群がる人々。
そんな中突き飛ばされて倒れる1人の女性が。
僕はその女性を助け・・・同じように突き飛ばされ、またもや気を失う。
気が付けば2人だけになっていて・・・・
スキルも2つしか残っていない。
一つは鑑定。
もう一つは家事全般。
両方とも微妙だ・・・・
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