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第十一章 深淵
欲求
しおりを挟む聞こえてくるたくさんの声。
体がポカポカと温かくてフワフワする。
「英雄公!」
間近で聞こえたその低い声でゆっくりと瞼をあげた。
「……ラウロさん?」
視界に映ったのはラウロさんの姿。
「お体は、お体はいかがですか!?」
膝をついて俺に聞くラウロさんの顔が少し青白い。
「体?」
そういえば怠いような……
記憶が曖昧でラウロさんをジッと見る俺の頬にポツと雨が。
雨が降ってるのかと顔を動かすとエルマー枢機卿の顔。
近くに見えるエルマー枢機卿の後ろにはアマデオ枢機卿や他の枢機卿や神官たちも居て、俺に向かって手をかざしていた。
「あ……気を失ったのか」
みんなの真剣な顔を見てようやく思い出す。
浄化が終わったと中の人の声を聞いて意識を失ったことを。
「みんなで回復をかけてくれたのか」
俺に向かって手をかざしていたのは回復をかけてたから。
俺の体を支えてくれながらも泣いていたらしいエルマー枢機卿は小さく一度頷いた。
「すみません。心配かけて」
もう一度ラウロさんを見て謝罪する。
「突然倒れられたので驚きました。お体はいかがですか?」
「魔力を使いすぎたみたいで。少し休ませてください」
この怠さは魔力の使いすぎ。
エミーと訓練していた時にはよく味わっていた。
いや、懐かしがるような良い思い出じゃないけど。
「教会の一室を借りられるだろうか」
「はい。すぐにご用意いたします」
ラウロさんから聞かれて答えたアマデオ枢機卿が隣に居る神官に耳打ちすると、三人の神官がすぐに走って行った。
「信徒たちは」
「ご安心を。騎士や魔導師で止めております」
「止めて?」
「倒れたのを見て集まってこようとしたもので」
聞こえてくるたくさんの声は信徒の声か。
傍に居る軍人がラウロさんだけなのは、団長のダンテさんを中心に信徒がこちらに来ないよう止めてくれているからだろう。
「信徒に私の姿が見えるよう間を空けて貰えるか?」
俺と俺を支えているエルマー枢機卿とラウロさんの周りをぐるりと囲うように居る神職者たち。
見えないよう囲いになってくれていたことに感謝しつつゆっくりと体を起こす。
「英雄!」
「大丈夫ですか!?」
神職者が少し移動してくれて俺の姿が見えた信徒たちが心配の伝わる表情で必死に声をかけてくる。
それを見て異空間を開き、手を入れて拡声石を取り出した。
『信徒諸君、心配をかけてすまなかった。私は大丈夫だ』
大きな声を出せるほど元気はないから拡声石を使って伝える。
『結界内に残っていた負の気は全て浄化された。月神へ共に祈ってくれたことに感謝する。ありがとう』
大切なそれを伝えると地響きのように大歓声があがる。
『諸君に神の御加護があらんことを』
最後にそう結んで、続く大歓声を聞きながら異空間に拡声石をしまった。
「魔力回復薬をお持ちしたのでお使いください。英雄公の魔力量には気休め程度にしかならないでしょうが」
「……味がな」
「それは我慢していただかなければ。賢者がおりませんので」
漢方薬のような味のクソマズ魔力回復薬を渡されて憂鬱になる俺にラウロさんは苦笑する。
今回は魔力譲渡が出来るエミーやフラウエルが居ないから飲むしかないんだけど。
「お部屋の支度が整いました」
「感謝する」
もう部屋の準備をしてくれたようで、三人の神官が戻ってくるとアマデオ枢機卿がラウロさんに声をかける。
「カズラはこちらで脱いでもよいか?」
「はい。危険ですのでそうなさってください」
本当は大聖堂の中で祭服を脱ぐのは駄目だろうけど、そのまま着て歩いたら踏んでしまいそうだから聞いてくれたんだろう。
「英雄公。お立ちになれますか?」
「ああ」
アマデオ枢機卿に聞かれラウロさんとエルマー枢機卿に肩を借りてカズラを踏まないよう立ち上がるとくらりと視界が歪む。
「ダンテをお呼びした方が良さそうですね」
「いや、ダンテさんにはこのまま警備を」
下手に配置を変えてもし信徒が押し寄せてきたら神職者たちも危ない。
「失礼してカズラを」
前に回ってきたアマデオ枢機卿がカズラを脱がせてくれる。
ボタンで止めるのではなくスポッと頭から被るものだから、一人で立っていられない俺から脱がすのに苦戦してたけど。
「ありがとう」
「勿体ないお言葉」
俺から脱がせて軽く包んだカズラを見習いの少年に渡すアマデオ枢機卿にお礼を伝えた。
ラウロさんとエルマー枢機卿に肩を借りたまま大聖堂を出て向かったのはベッドのある二階の一室。
大聖堂を出てすぐの小部屋にあった術式を使って二階にあがったからあっという間。
さすがアルク国。
大会の時の代表騎士宿舎でも術式で移動したのを思い出した。
「従者がおりませんのでお着替えは私が代理を務めます」
「すまない。助かる」
祭服から着替えられるよう神官が用意してくれたようで、整えられているベッドの上にはローブとストールが置いてある。
「早馬を出しておきますのでごゆっくりお休みください。部屋の外に護衛を数名立たせますので何かあればお声がけを」
「ありがとう」
公務の途中で倒れてしまったからすぐに報せる必要がある。
護衛も付けてくれることを話してラウロさんは先に部屋を出て行った。
「ではお着替えを」
「ああ」
「おかけになったままで」
ベッドから立ち上がろうとしたのを止められる。
座ったままだと着替えさせにくいかと思ったんだけど。
「失礼いたします」
俺の足元に膝をついて座ったエルマー枢機卿はコルセットベルトの紐を解く。
正礼装の時にシャツの上に身につけるコルセットとは違って祭服に使うこちらの方がまだ着脱が楽なよう作られてるけど、それにしても自分が祭服を着慣れている神職者だからか早い。
あれよあれよという間に外してくれて一気に楽になった。
アルバ(らしき衣装)も脱がせて貰って下着一枚に。
祭儀用の祭服はあれこれと装飾品をつけて重くなりがちだから全て脱いだ時の解放感が凄い。
「…………」
「ん?」
解放感に短い息をつきふとエルマー枢機卿を見ると体をガン見されていて、どうしたのかと少し首を傾げる。
「も、申し訳ございません。不躾に眺めて」
「見られたところで減るものではないから構わないが」
上半身を眺められたところで女性と違って隠すべきものもないから構わないけど、ガン見するほど何が気になったのか。
「当然のことですが、私ども神職者の肉体とは違うなと。このように鍛えられた肉体を見たことがなかったもので」
それを聞いて吹き出して笑う。
たしかに筋肉バキバキの神職者は見たことがない。
大抵はポヨヨンかスラッとかのどちらかだ。
「見習いの頃はこうして着替えを手伝うのか?」
「雑用が見習いの主な役目とも言えますので」
じゃあ少なくとも今まで着替えを手伝ったことのある神職者の中には体を鍛えている人が居なかったんだろう。
だから物珍しさでガン見していたのかと納得した。
……あれ?
ということは神職者以外の体を見たことがない?
異性の体も含めて。
「六つの時に見習いになったと言っていたな」
「はい」
「その時からずっと神殿に?」
「辞めない限りは神殿で生活いたしますので」
ああ、そうか(察し)。
子供の頃から神に仕える者として生きている神職者は三十歳で魔法使いになるどころか大賢者にすらなる訳か。
生涯ピュアっピュアな体な訳か。
今更そんなことに気付いて自分の醜さに胸を貫かれる。
今まで散々据え膳をいただいてきて穢れきった俺には眩し過ぎる存在。
「英雄公爵閣下?」
勝手に深いダメージを負った俺を着替えローブを広げながらも少し心配そうに見るエルマー枢機卿。
ピュアっピュアだから狙っての行動じゃないことはもう理解したけど、好みの顔で無防備に近付くのは勘弁してほしい。
エルマー枢機卿と会ってからまだ数時間しか経ってないのにこんなことばかり考えてる気がするけど。
「やはり体調が」
「いや、大丈夫だ」
下 半 身 以 外 は。
なんで今日はこんなに下心を揺さぶられるのか謎。
「前から失礼します」
広げたローブを肩にかけようとして体を近付けたエルマー枢機卿から咄嗟に体を起こして離れる。
「「…………」」
仕出かした。
つい反射的に。
「……すまなかった」
「お命を狙ったりいたしませんので信用していただければ」
違うんです。
人に近付かれると咄嗟に警戒する癖があるんじゃなくて、本能に負けそうでつい距離をとっただけなんです。
神職者はマズイだろ!創造神助けて!
密かに創造神に助けを求めるとノックが聞こえビクッとする。
「英雄公爵閣下へご報告がございます」
「聞こう。入室を許可する」
扉の向こうから聞こえてきた声に返事をしながらエルマー枢機卿の手からローブを受け取り自分で羽織る。
「失礼いたします」
扉を開けて一歩部屋に入ったのは王宮騎士。
ゴミクズ野郎の俺が本能に負ける前に来てくれて助かった。
「枢機卿に見習いの役目をさせてすまなかった。後のことは自分でやろう。助かった。ありがとう」
「光栄にございます」
お礼を伝えるとエルマー枢機卿は丁寧に頭を下げて部屋を出て行った。
「お着替えの最中に申し訳ございません」
「もう着替え終えるところだった。問題ない」
そう会話しながらローブの紐を結ぶ。
「早馬が到着しまして必要があれば王宮医療師をこちらへ向かわせるとのことですが、いかがなさいますか?」
「いや。医療師に来て貰わずとも少し休めば回復する。私の都合で待たせてしまう騎士や魔導師にはすまないが」
「我々のことはお気遣いなくお休みください」
「ありがとう」
報告を終えた騎士は胸に手をあて敬礼して部屋を後にした。
「…………」
一人になってパタリとベッドに沈む。
勢いよく倒れたせいでまたくらりと目眩がしながら。
『大丈夫?』
聞こえてきたその声にパチっと瞼をあげる。
「魔じ」
久々に見たその姿に名前を呼びそうになって口を結ぶ。
いつの間にかベッドの隣に立っていたのは魔神。
声をかけてきたのは精霊神だったけど。
「心配せずともこの部屋の声は誰にも聞こえない」
「あ、そうなんだ。良かった」
魔神か精霊神が防音してくれたのか元から防音がかかってたのか分からないけど、声を出しても護衛に付いてるだろう騎士には聞こえないようでホッとした。
「ほら」
「白苺?」
「早く回復したければ食せ」
「ありがとう」
魔神から渡されたのは以前も貰った白い苺。
口を開けて食べようとしてふと思い出す。
「これ食べたらまた悶絶する痛みを味わうんじゃ……」
「ただ魔力を回復するだけで痛みなどない」
「じゃあいただきます」
あの時のように激痛を味わうことにはならないらしく、今度こそ口を開けて白苺を食べた。
『随分と無理したね。生命力まで削って』
「浄化しておかないとみんなに悪影響が出るから」
姿は見えないけど聞こえてくる精霊神の声に返事をする。
「お前らしいといえばらしいが」
そう言って魔神は溜息をつく。
「あのさ、俺って月神の容物なのか?」
フードで隠れて顔は見えないけど魔神を見てそれを聞く。
「私や精霊神に聞いたところで答えは聞きとれない」
「やっぱ駄目なんだ?核心部分っぽいもんな」
俺の中に月神が居ることはもう間違いない。
だけど容物なのかという疑問はやっぱり自分で思い出さないと駄目なようだ。
「あの月の使者もフラウエルと同じ角の形をしてるし体に入っちゃうし、月神じゃなくて俺に向かってもうどこにも行かせはしないって言ったりするし、分からないことばっかだ」
聞きとれなかったけど『私の**』と俺に向かって言っていたから、多分俺のことを知ってるんだと思うけど。
「分からないけど何か胸がギューって痛かった。生まれて初めて誰かを愛しいって思った気がする。今まで自分のことを人を好きになれても愛せない人間だと思ってたんだけど」
今までになかった『愛しい』という感情。
小さな物や可愛い物を見て抱く『愛らしい』とかじゃなくて、あれは恐らく恋愛感情での『愛しい』だ。
「もしくはあの感情も月神の感情で俺の感情じゃなかったのかも知れない。あの二人は多分恋人同士なんだろうし」
二人とも会えて嬉しそうだったし、口付けてたし。
あれで何の関係もないって言われたら「嘘だろ」ってなる。
「神さまも恋愛感情って抱くのか?」
「ヒトのようにか?」
「うん」
質問すると魔神は口元に手をあてて黙る。
そんな難しいことは聞いてないんだけど。
「それがヒトと全く同じものかは分からないが、 私も精霊神も姿を得た時に心を持った。それまで私も精霊神も姿形のない何かであって、その時には感情などなかったように思う」
「え?元から今の姿じゃなかったんだ?」
「何も無い中に漂うだけのただの無だ」
どういう状況?
宇宙空間でも漂ってたのか?
いや、宇宙も二人が創ったのか?
「先に姿を得たのは精霊神。それを見て姿を得たのが私だ」
「ってことは全ての始まりは精霊神ってことか」
『一瞬の差だけど。ボクが姿を得て目を開けたら魔神が居た』
「ほぼ同時ってこと?」
『ボクの方が先に形になり始めて先に目を開けただけ』
「へー」
二人のそんな成り立ちを興味津々に聞く。
俺の役目に関することは話してくれても聞きとれないけど、二人の成り立ちはしっかり聞きとれる。
「それからずっと一緒に居るのか」
「ああ。私と精霊神しか存在しない無の中でどのくらいかも分からない長い刻を過ごして、最初に芽生えたのが月神だった」
「……え?」
つまり月神が二人の最初の子供。
星よりも生命よりも先に月神は誕生したということ。
「ん?……芽生えた?創ったじゃなくて?」
「創ったのではなく芽生えた。精霊神と私から」
「???」
意味が分からず大きく首を傾げる。
「二人は何もしてないのに生まれたってこと?」
「何もしていないと言えば語弊がある。その時には分からなかったが、私が精霊神を愛しく思い触れたら月神が芽生えた」
「触っただけで子供ができちゃったってことですか!」
なにその処女懐妊。
いや、童貞の父か?
「それ以前に二人には性別ってあるの?」
「どちらでもありどちらでもない」
「……哲学?」
首を傾げて聞くと精霊神のクスクス笑う声が聞こえる。
『ボクたちはどちらでもないしどちらにもなれるんだ』
「どういうこと?」
『つまり無性。でもなろうと思えばどちらにもなれる』
「なにその羨ましい体」
『だって魔神とボクは自分たちで姿を得ただけの何かだから』
「実態がないってこと?」
『肉体も持てるし無にもなれるよ』
神 さ ま 凄 す ぎ!
いや、万物を創造してしまう神なんだから自分たちの肉体も作ることが出来てもおかしくはないか。
「物凄く個人的に気になること聞いていい?」
「なんだ」
「月神は触れただけで芽生えたらしいけど、生命のように二人が肉体を持った時に子を授かることって出来るの?」
分かってる。
神さまに聞くような内容じゃない。
でもどちらにもなれると言われたら個人的に物凄く気になる。
「結論から言えば出来る。だが実際にそうしたことはない。私が触れて芽生えるという生まれ方をしたのは月神だけで、あとの子はみな精霊神と私が魔力を注いでできる核から生まれた」
「それってもしかして魔族が子供を作る時と同じ?」
「少し違うが似たようなものだ」
魔力で子供を作ると聞くと思い浮かぶのは魔族。
どうやって作るのか今まで詳しく聞いたことがなかったけど、話を聞いて真っ先にそれが思い浮かんだ。
「神さまにも性欲ってあるの?」
「私はある」
「精霊神はないの?」
「聞いたことがない」
「精霊神は性欲あるの?」
『うーん。今はあるかな』
「神さまって欲がないのかと思ってた」
聞けば答えてくれる二人は俺に言われて沈黙する。
「今でも欲の数は少ないが、以前は一つもなかった」
「いつの間にか欲求が芽生えたってこと?」
「ああ。私が最初に芽生えた欲はヒトが持つ独占欲だったように思う。精霊神と共に居たいという」
「独占欲って自分だけのものにしたいとか誰にもあげないって感情だと思うけど?一緒に居たいって可愛い願望じゃなくて」
それも欲には違いないけど、どちらかと言えば願いや願望。
独占欲と言うともっと自分勝手で激しい感情だと思う。
「そうか。では違うな。思わずとも精霊神は私のものだ」
「いや、神さま業が忙し過ぎてバグってる?」
「精霊神は私のもので私は精霊神のものだ。今もこれからも」
「なんで俺は両親の溺愛話を聞かされてんの?」
最初に質問したのは俺だけど。
まさか魔神の溺愛っぷりを聞かされることになるとは。
「精霊神。そうだよな?」
『そーだね。ボクは魔神のものだよ』
思った以上に甘やかしてるっ!
もしくは慣れてて適当に流してる!
ほらみろとでも言いたげに俺を見下ろす魔神。
口元しか見えてない癖にそれが伝わってくるのが腹立つ。
『キミが言うように以前のボクたちには欲がなかった。だってボクと魔神は創る側だから。ヒトのようにお金は必要ないし、地位も名誉も必要ない。食事も必要ないし寿命だってない』
「……そっか」
たしかに創る側の二人は望めばなんでも創れる。
ただ、周りから大切な人が居なくなるのを見届け続けることになる永遠の命を欲しいと思わないように、自分で創れてしまうものを手に入れたとしても虚しいだけのように思う。
そう考えると欲がないことも理解できる。
『さっき話した性欲は、生命に自分たちで数を増やして貰うためにはボクたち創造神が与えないといけない大切な知恵の一つだった。どうしたら増えるかと二人で考えた時に子孫を遺すという手段を思いついて、次に遺すための手段を考えて、最後に子孫を遺したくなるよう性欲という本能を与えたんだ』
なるほど。
言われてみれば生命は誕生した時から子孫を遺すことを知っていたから今がある。
そうじゃなければとっくに生命は滅びていただろう。
『ボクたちの数少ない欲の中に性欲が入ってるのは生命に必要だと思ってボクたち二人で考えたことだから。知恵を与える前に上手くいくか試す必要があったから。それがきっかけ』
「考えて試してみて自分たちも知ったってことか」
『子孫を遺せる体も創らないといけなかったからね。たくさん考えてたくさん試したから嫌でも覚えたって感じかな。いざ試さなくなると今度は物足りない気がしてしまう』
軽く言った精霊神に笑う。
創造神は創造神で大変そうだ。
「創造神より神職者の方が純潔を守ってるんだから不思議」
「私たちはそのようなこと言っていないし、望んでもない」
「そこはやっぱ人間が神に崇高なイメージを持ってるからじゃないかな。無欲で平等で慈愛に満ちてて穢れないイメージ」
一点の曇りもない真っ白な存在。
地球で生きてた俺は神々がヒトと変わらず浮気症だったり嫉妬深かったり近親相〇だったりナルシストだったりするドロドロな神話を読んでいたからか、創造神にも欲(性欲)があると知っても何のダメージもないけど。
「あ。性欲で思い出した。何か今日は普段より下心が凄い」
『精気を吸いとったからね』
「ん?」
『昨日の夜から今朝にかけてたくさん精気を吸いとったから』
それを聞いて吹き出す。
もしかしてアルク国王の治療のことか?
『負の魔素を祓ったばかりで体が弱ってる彼からすれば、負担になる精気を吸いとって貰えるのはいいことなんだけどね。お蔭で彼の方はかなり体が楽になったはずだよ。ただ、吸いとった方のキミはそのぶん増えてしまったから……ね』
「ね、って!?俺今日性欲と戦い続けないといけないの!?」
ね、で済まさないでほしい。
アルク国王の治療がまさか俺に影響を与える(主に下半身に)とか初耳なんですけど!
「性欲の発散などお前なら簡単だろう。精霊神と私の子であるお前の容姿や香りに生命は惑わされ近付いてくるのだから」
「……魔族だけじゃなくて?」
「魔族の方が性欲が強いために我を忘れやすいと言うだけで精霊族も惑わされない訳ではない。前の星に居た時にもお前を色目で見て近付く者は多かったのではないか?」
「身に覚えがありすぎて……」
誰でも彼でもとならなかったのは自分で選んでたからで、選ばなければ毎日とっかえひっかえのド屑にもなれていた。
あれも俺が精霊神と魔神の子だったからとは。
「生命に性欲を与えたのは私たちだ。精霊族は魔族に比べ禁欲を美徳とする傾向にあるが、性欲は決して悪いことではない」
「実際に与えた人から言われると物凄い説得力」
まあ性欲に関して言えばそもそも俺は魔族よりなんだけど。
もし俺が禁欲を美徳とする精霊族に倣ったら発狂しそう。
「今夜も治療するんだけど……どうなる俺」
思わぬ展開に両手で顔を覆う。
どうなるもなにも治療しない訳にいかないけど。
それ以前にこの簡単に揺れ動いてしまう下心が堪えられるかどうかも大きな問題。
「仕様のない奴だ。少し吸いとってやろう」
「え?」
手を掴まれて視界が開くと唇が重なる。
神さまって触れるのか。意外。
…………いや、親子!
『吸いとりすぎないでね。気をつけて』
「ああ」
え?何で普通に心配してんの?
重なった唇には何の感想もないの?
一応親子のはずなのに?
神だから人間の常識は通じないってこと?
「なぜ息を止める」
「魔神と俺って一応親子なんだよな?」
「そうだが」
「人間は唇をくっつける行為を口付けと言うんですが」
「知っている。だからなんだ」
一度離れたかと思えばまた重なる。
あれ?もしかして俺の常識が間違ってる?
と、あまりにもキッパリと返事が返るものだから自分が間違ってるのかと錯覚してしまいそうになる。
「親子でキスするのはアリ?」
「私の体は仮初のものだ。言っただろう?私と精霊神は姿を得ただけの何かだと。お前のこの受肉した肉体とは違って私のこれは今お前に触れられるよう形を成したものでしかない」
言ってた。
じゃあ魔神の体はホンモノじゃないってことか。
重なった唇の感触も掴まれた手の感触もあるのに実際には姿を得ただけの何かと言われると不思議な気分だけど。
そんなことを考えているとうつらうつらしてくる。
口付けと言ったけど少し隙間を空けた唇がただ重なってるだけで他に何かするでもなく、変化と言えば体内が温かいくらい。
ただ、白苺の効果が出たのか今のこれの効果かどちらもか、動かすのも怠かった体がかなり楽になっていることは確か。
意識を失うほど魔力を使った疲労が一気にきた気分。
体は楽になってるのに瞼が重い。
「眠りにつく前に話しておこう。お前は恋や愛といったヒトらしい感情が欠けている訳でも人を愛せない訳でもない。既に愛する者が居るために他の者への好意が愛にはならないだけだ」
夢現に耳元で聞こえた声。
優しいその声色を聞きながら眠りにつく。
とても大切な話を聞かされたような……
・
・
・
『眠った?』
「ああ」
『吸いとりすぎたの?』
「いや。どうやら我々の愛し子は強欲なようだ」
寝息が聞こえてきそうなほどに静かな部屋。
精霊神に答えて魔神はククッと短い笑い声を洩らすと黒いローブのフードを降ろす。
『叙事詩が解放されて少し戻ったみたいだね』
「まだ元通りには程遠いがな」
この星の、いや、この世界の誰にも聞こえない声。
無の存在の精霊神と魔神だけの会話。
『ボクたちのことを聞いてくれて嬉しかったなあ』
「くだらない内容ばかりだっただろうに」
『なんでもいいよ。ボクたちを知ろうとしたことが嬉しい』
「そのようなことが嬉しいとは容易いことだ」
魔神は呆れた顔で仰向けにベッドへ沈む。
『狡いなあ。魔神だけ傍に行けて触れて』
精霊神のそんなぼやきを聞いて魔神はニヤリと口元を歪める。
「羨ましいか。私が」
『見せつけないでくれる?ボクの愛し子でもあるんだからね』
サラリとした白銀の細い髪を弄ぶようにすくってはサラサラと落ちるサマを眺めた魔神は白い額にそっと口付ける。
『狡い!ボクもしたいのに!吸いとるのだって本当はボクがしてあげたかったのに!ボクもしたい!狡い狡い!』
「お前が目の前で喧しくしている気分になるな。そっくりで」
『抓らないでよ!』
精霊神とそっくりな愛し子の口を指先で軽く摘む魔神。
感触までそっくりなのだから困ったものだ。
「親子なのに……か」
『珍しく少し躊躇してたね』
「愛し子の感覚で言うと同じ無から二つに分かれただけのお前と私も親兄弟ということになるのだろうかと思ってな」
『どうだろう。ボクたちにはそれぞれが個でしかないけど』
そう話して会話が止まる。
神と生命の捉え方の違い。
愛し子が『人間の常識は通じないのか』と考えたそれがまさしく正解で、神の感覚では自分から切り離された存在は個。
愛し子が関係性を理解できるよう『創った者』と『創られた者』と表しているだけで、二人にとって自分ではない者はみんな個の存在であってヒトのように『家族』という感覚はない。
「私にとっては精霊神と等しく愛しい者なのだがな」
『ボクにとってもそうだよ』
黒い髪をサラリと揺らした魔神は愛し子に口付ける。
それは親と子ではなく恋人のよう。
いや、ようではなく二人にとってはまさしくそれ。
無から二つに分かれた互いを愛しているように、自分たちから分かれた愛し子のこともまた個の存在として愛している。
それが精霊神と魔神の感覚。
『そろそろ怒るよ』
そんな言葉を聞いて魔神はまたニヤリと笑う。
独占欲は愛し子に否定されてしまったが、精霊神のこれは嫉妬で間違いないだろう。
魔神だけが愛し子の傍に近付けて口付けられることへの嫉妬。
「会えていなかったのだから少しは見逃せ」
『ボクなんてずっと会えてない』
「もう少しだ。あと少しでお前も解放される」
『その時まで一緒に待ってよ』
「イヤだ」
『ずるーいっ!』
子供が玩具を死守するように愛し子を抱きしめる魔神と玩具を独り占めされた子供のように駄々をこねる精霊神。
無の世界に生まれたたった二つの存在。
誰に何を教わることもなく無から姿を得て心を得た。
まだ二人も未熟な何か。
『そんなことしたら余計酷くなっちゃうよ。困ってたのに』
「創造神助けて、とな」
『つい助けちゃった』
思い出して魔神はくつくつと笑う。
まさかあのような時に私たちへ助けを求めるとは。
もっと別の重要な時があるだろうに。
「……本当に強欲だな」
『あ、吸いとってあげてたんだ?』
「私欲が主だが?」
『正直者だね』
口付けたい魔神の私欲が主。
ただ、精気が溜まりすぎたせいで下心を抑えられず困っていたことも分かっているから口付けつつも精気を吸いとっているけれど、なかなか通常に戻らない。
「加減は得意ではないのだが」
『誤って吸いとり過ぎないでね。また部屋にこもるから』
精気は生きるエネルギーでもある。
仮に加減を誤り減らし過ぎると愛し子はポキッと心が折れてしばらく部屋にこもってしまう。
『ああほら、逆に酷くなってる。魔神の体液あげるから』
「このまま私が発散させてやった方が早いのでは」
『諦めないでよ。あと卑怯だよ。ボクもしたいのに』
「怖々では吸いとりきれないのだから仕方がないだろう」
『もう。ボクが解放されてたら上手く吸いとってあげたのに』
「お前ではむしろ全て吸いとってしまうだろう」
やんややんやと言い合う二人。
両親のそんな声も口付けも愛し子はつゆ知らず。
口付けで体内に魔神の体液が入って性欲が増え、精気を吸いとられて性欲が減ることを繰り返している。
創造神というご立派な存在とはおよそ思えない醜い争い。
神から愛されているあまり巻き込まれる愛し子が不憫。
尤も本人は眠ったままだけれど。
「ん」
ピクリと動いて声を洩らした愛し子。
魔神は咄嗟にローブのフードを被り顔を隠す。
「…………」
『…………』
二人が沈黙して眺めていると再び寝息が聞こえてくる。
「……目覚めたのかと思った」
『ボクも驚いた』
今この時の二人の存在は無。
ここには居ない存在になっている。
だから目覚めたところで愛し子にも見えないのだけれど。
「私の苦労も知らず愛らしい寝顔をしていて憎らしい」
すやすやと眠っている愛し子の首に手を添え口付ける魔神。
魔神の愛には憎が混在する
「そんなにもあのエルフとの相性がよかったのだろうか」
『うーん。あの魔人族の子の影響もあるんじゃないかな』
「ああ、たしか邪竜種だったな」
『強いからね。邪竜種。催淫も使ったし』
「全て吸いとるなら一瞬で終わったのだが」
『後は愛し子本人に任せるしかないかな』
そう結論づけて精霊神と魔神は苦笑した。
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そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

異世界召喚でクラスの勇者達よりも強い俺は無能として追放処刑されたので自由に旅をします
Dakurai
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クラスで授業していた不動無限は突如と教室が光に包み込まれ気がつくと異世界に召喚されてしまった。神による儀式でとある神によってのスキルを得たがスキルが強すぎてスキル無しと勘違いされ更にはクラスメイトと王女による思惑で追放処刑に会ってしまうしかし最強スキルと聖獣のカワウソによって難を逃れと思ったらクラスの女子中野蒼花がついてきた。
相棒のカワウソとクラスの中野蒼花そして異世界の仲間と共にこの世界を自由に旅をします。
現在、第三章フェレスト王国エルフ編
月が導く異世界道中
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月読尊とある女神の手によって癖のある異世界に送られた高校生、深澄真。
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これはそんな真と、彼を慕う(基本人外の)者達の異世界道中物語。
漫遊編始めました。
外伝的何かとして「月が導く異世界道中extra」も投稿しています。

無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
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ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
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残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
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退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
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一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
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そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。
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