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第零章 先代編(後編)
祈願
しおりを挟む「陛下」
執務室の椅子に座り、開いたバルコニーの扉から入る風を感じながら書類の山に目を通していたミシェル。
「またか」
「はい」
毎日各地から届く魔物の被害。
国王軍はもちろん貴族家や王家の王子すらも討伐に出て対応しているが、あまりの多さに対応が追いつかない状況。
「リディ嬢は成し遂げてくれたようだな」
「はい。明日向こうを立つそうです」
「無事で何よりだった」
スクロールの一つはイヴの生家のガルディアン公爵家から。
女性で学生でもありながら公爵家の一人として魔物の討伐に出ていたリディが無事に討伐を終えたという報せ。
「フレデリクも無事か」
もう一枚は第四王子のフレデリクから。
同じく討伐を終えた報告にミシェルは胸を撫で下ろす。
フレデリクは攻撃を得意としないが守備では強力な防壁をはることのできる特殊能力を持っていて、戦場ではその能力が多くの軍人の命を救うことに繋がる。
「セルジュとドナから報告は」
「まだ届いておりませんでした」
被害報告や討伐報告を次々に確認して呟くミシェル。
二人が数日違いで遠征に出てから既にひと月以上が経っているが討伐を終えた報告は届いていない。
セルジュの向かった坑道もドナの向かった鉱山も範囲が広くランクも高い魔物が多いこともあり、行く前から長期になると分かっていたことではあるが。
剣聖に覚醒したセルジュと大魔導師に覚醒したドナ。
混乱期に入ってから王家の子供たちの中で唯一上級職にまで覚醒した二人が討伐に出たのはもう幾度目だったか。
しかも大討伐となる危険な戦場にばかり。
例え勝利しても被害報告を見れば喜べない。
勝利の裏で多くの軍人の命が潰えている現実がある。
軍人であってもそれほど命の危険が付き纏う場所に愛児を送り出すミシェルの心は、国王としての感情と父親としての感情のせめぎ合いでズタズタになっていた。
「陛下。今日はもうお休みください」
「それは出来ない。明日の手配をせねば」
「私にお任せを。陛下に倒れられては困ります」
次々と魔物の被害が出ている今ミシェルに倒れられては困る。
指揮を執る者は若き国王しかいないのだから。
暫く言い合ったものの結局は折れたミシェル。
気分転換に庭園へ出て歩きながら月を眺める。
「戦神よ。戦女神よ。私の大切な民と愛児に御加護を」
立ち止まったミシェルは月に向かい戦の守護神へと祈る。
討伐に出ている軍人の無事を祈って。
愛児たちの無事を祈って。
「国王陛下?」
祈る後ろから聞こえてきた声。
「春雪」
そこに居たのは春雪。
こんな時間に何故ここにとミシェルは驚く。
「訓練着で失礼いたします。ご挨拶申しあげます」
「私しか居ない」
「え?一人で居て大丈夫?」
どこかに護衛が付いているものと思い胸に手をあて丁寧な挨拶をした春雪は、ミシェル一人だと聞いて顔をあげる。
「こんなところでどうしたの?」
「春雪こそ」
「俺は特訓の帰り。王宮訓練所の帰り道だし」
「そう言えばそうだな」
春雪がここに居たのは訓練所の通り道だから。
ミシェルがここに居たのは偶然。
寝室に戻っても眠れそうにはないから気分転換に王宮庭園を歩いていただけのこと。
「…………」
「どうした」
近付いて来てランプをあてたミシェルの顔をジッと見る春雪。
その唐突な近い距離にミシェルはドキっとする。
「ご飯食べてる?しっかり寝てる?」
眉根を顰めた春雪が言ったのはそれ。
「凄く痩せたし疲れた顔してる」
「気付くほどにか?」
「すぐ分かった」
混乱期になり忙しくなったのはたしか。
ここ最近は特に早朝から深夜まで各地の被害への対応に奔走していて休息をとる時間がなかったことは間違いない。
「最近部屋に来ないし、こんな時だから忙しいんだろうとは思ってたけど、まさかこんなに痩せる程とは思わなかった」
ドナとの関係を知ってから春雪の部屋へは行っていない。
それはミシェルなりのケジメであり春雪と恋仲になったドナを気遣ってのことだったが、ミシェルが会いに行かなければ二人が会う機会など皆無に近く、こうして顔を見るのも久々。
「国王だからこそやらなきゃいけないことが多すぎてゆっくり休む暇もないんだろうけど、せめて食事と睡眠はしっかりとらないと倒れるよ?国民のことや討伐に出てるみんなのことを思うなら元気で居てよ。いざって時には俺も戦うけど、王都全体に障壁をはるなんて神業が出来るのはシエルだけなんだから」
真っ直ぐに向けられる瞳と言葉で心配しているのが伝わる。
「え、え!?」
ミシェルの頬を伝った温かい雫。
それを見て驚いた春雪とは反対に、ミシェル本人は表情を変えないまま頬を伝ったそれを拭った自分の手を見る。
「涙か」
え、そんな反応?
ミシェルのその薄い反応がなおさら春雪を驚かせる。
「シエル?」
「驚かせてすまない」
どうやら自分で思う以上に疲弊していたようだ。
国王でありながら民の危機に弱るとは私もまだ甘い。
無表情でそんなことを考えながら自分の手を眺めているミシェルを見て春雪は深く眉根を顰める。
「汗臭いのは我慢して」
そう言うとミシェルに抱き着いた。
「春雪?」
「国王で居るお勤めお疲れさま」
ミシェルは寝ても覚めても国王で居ることが最大の責務。
それをお勤めなどと言うは春雪くらいのもの。
「変わった労り方をするものだ」
春雪の向こうに見える白銀の月。
久しぶりに感じた人の体温にミシェルの瞳は再び涙で霞む。
それが愛おしい春雪の体温であることがますますミシェルの胸を締め付ける。
とても残酷な慰め。
自分の想いがドナや春雪の毒にならないよう距離を置いた私をこうも簡単に抱きしめるのだから。
恋でも愛でもない感情で。
子供を宥めるようにミシェルの背中を叩く春雪。
その心地よい手に押し出されるかのようにミシェルの目からは涙がポロポロと落ちた。
「情けないところを見せたな」
暫く静かに泣いたミシェルは春雪の肩を叩いて離れる。
春雪には知人を慰めるための行動でも私は違う。
私の方は愛おしい者として春雪を見ているのだから、このまま優しさに甘えるのはドナに対する裏切り。
「大丈夫?」
「ああ。少し疲れているようだ。気を使わせてすまない」
天地戦を控えた勇者に気を使わせてしまうとは。
しかもその勇者を召喚した国の国王が、だ。
最大の不安を抱えているのは勇者たちだろうに。
「こんな時間まで特訓をしていたのか」
「天地戦までに少しでも魔力量を増やしておきたくて。魔力切れで創造魔法が使えないなんて洒落にならないから」
春雪の武器は自分の魔法で創り出した銃。
トドメを刺すのは聖剣でも、それ以外は得意武器を使って戦わなければ到底魔王には敵わないだろう。
だからこそ少しでも魔力量を増やしておきたい。
「たしかに魔力量が多いに越したことはないが、無理をして枯渇させないようにな。数日寝込むことになる」
「それは気を付けてる。いつ開戦してもおかしくないのに寝込む訳にはいかない」
たった今この瞬間に開戦することだって有り得る。
だから本当は休める時にしっかり休んでおくべきだけれど、まだ自分の力が足りない不安が拭えずしっかりとは中々難しい。
「あ、セルジュ殿下とドナ殿下から連絡は来た?」
「討伐報告はまだ届いていない」
「もう向こうには到着してるんだよね?」
「ああ。到着した日に翌日から開始するとの報告が届いた」
どちらも向かう途中の現在地や目的地に一番近い街に到着したことの報告はしてきたが、目的地の場所が坑道と鉱山だけにその後の報告は届いていない。
「討伐と調査をするために行ったんだよね?」
「領地に被害を齎した魔物を討伐することと、周囲で増えすぎた魔物を間引くことが目的だ。状況によっては数ヶ月かかるだろう。その際には様子を見て一度術式で帰城するだろうが」
「そっか」
今回は討伐の他に調査もあるから長期になると聞いていた。
行きと帰りは途中の領地に宿泊するから報告が出来るけど、目的地に着いてからは近くに領地がないため頻繁に報告をするのは難しくなるということも。
「心配か」
報告の有無を聞いたということは心配しているのだろう。
親しくなったセルジュや恋仲のドナが遠征に出ているのだから心配するなと言うのが無理な話だろうが。
「心配はしてるけど、俺は俺のことに専念する」
「ん?」
「セルジュ殿下やドナ殿下が無事に帰って来ても俺が天地戦で負けたら意味がない。二人を心配して自分が鍛えるのを疎かにすれば命懸けで戦った人たちの努力が無駄になる」
王子や貴族や軍人が必死に戦い国や民を護っても、勇者や勇者一行が天地戦で負ければ地上層は崩壊を迎えることになる。
結果として多くの精霊族が命を落とすだろう。
「だから俺は絶対に勝たないといけないんだ。大切な人の大切なものを護るために。大切な人の命を未来に繋げるために」
真っ直ぐにミシェルを見て言った春雪。
強い決意を感じさせる目と言葉にミシェルはゾクとする。
自分よりも年若い青年をこれほど頼もしく思う日がくるとは。
「……その大切な者の中には私も居るのだろうか」
そうぽつりと呟いたミシェル。
「当たり前。むしろシエルは俺にとって特別な人だ。誰も信用できなかった無愛想な俺でも受け入れて親しくしてくれて、生きるために必要なことを教えてくれた。国王のシエルが勇者の俺たちの意思を尊重してくれるから、誰に従わされるでもなく自由に生きられてる。尊敬もしてるし感謝もしてる」
警戒心の強い春雪と最初に親しくなったのはミシェル。
多少強引ではあったものの召喚されたその日に宿舎から連れ出し城下に出て、互いに名前で呼びあうほど親しくなった。
「シエルには沢山の恩がある。だから恩人のシエル本人はもちろん、シエルが大切にしてるこの国や国民の未来は俺が護る。勝ってみんなの命を繋いでみせるからもう少し待ってて」
今ならば春雪が勇者に選ばれた理由が分かる。
単純な潜在能力の高さだけではなく、大切なものを護るために自らの命をかける覚悟を持てるその強い心。
神に選ばれ、精霊王に愛された者。
春雪は紛うことなき勇者だ。
「では私も務めを成し遂げなければな。春雪が護ってくれた民たちが、その子孫たちが健やかに生きることのできる国に。国王として私の生涯をこの国と民に捧げよう」
月を見上げたミシェルの横顔を見て春雪の胸が騒ぐ。
「どうした。痛いのか?」
「ううん。なんかソワソワしただけ」
「?」
「俺にも分からない」
訓練着の胸元をぎゅっと握った春雪にミシェルは首を傾げる。
春雪自身にも言葉で表すことが難しい感情だった。
「ミシオネールに診てもらえ」
「いやだから、病気とかじゃないって」
「心臓ではないのか?」
「痛いとか止まりそうって話じゃなくて、シエルでもソワソワしたことくらいあるだろ?」
「あるが、今はそうなる状況ではなかっただろう?」
いつ止まってもおかしくないと春雪から聞いているミシェルからすれば心配になるのも当然のこと。
自分の心がソワソワするよりも分かりやすく行動でソワソワし始めたミシェルを見て春雪は吹き出して笑う。
「頼もしい国王さまだと思ったばかりなのに一瞬でぶち壊すの辞めてくれる?その切り替わりの早さもシエルらしいけど」
国王のミシェルの顔と一人の青年に過ぎないシエルの顔。
どちらも知ってる春雪にはその二面性を持つ者こそミシェル。
そしてその二つの顔を知っているのはイヴと春雪だけ。
尤もミシェルの子供たちも最近は気付きつつあるが。
「久しぶりに大笑いした」
「笑いすぎだろう。心配したと言うのに」
「ごめん。でも病気でもないのに心配し過ぎ」
一頻り笑った春雪はまだ表情を緩めたままお腹を撫でる。
こんなに笑ったのはいつ以来だったか。
「偶然だったけどシエルがここに居てくれて良かった。殿下たちのことは他の人に聞けないから気になってたんだ。二人も遠征先で戦ってることが分かったことだし俺ももっと頑張る」
二人が頑張っているのだから自分も。
そう気持ちを切り替えて訓練や特訓に集中できる。
「久々にシエルの顔が見れて安心したし、改めて自分の考えを聞いて貰って一人でモヤモヤしてた気持ちが楽になった」
春雪にとってミシェルは誰より信頼できる人。
自分が勝って繋いだ未来もミシェルが居ればきっと善い未来になるだろう。
「私の存在が春雪の救いになったのならば幸いだ」
「シエルは俺が最も信頼してる人だから」
無自覚で残酷な春雪。
春雪の言葉や笑みでミシェルの胸が痛んでいることなど一切気付いていない。
「夜も遅い。自室に帰り湯浴みをしてしっかり休め」
「うん。シエルもしっかり寝てしっかり食べるように」
「ああ。そうしよう」
以前までは『しっかり食べてしっかり寝ろ』と注意するのは自分の方だったのに、今ではすっかり逆転してしまった。
数々の出会いや経験が春雪を大きく変えたのだろう。
その大部分を占めるのはドナの存在だろうが。
「じゃあおやすみなさい」
「おやすみ。気を付けて帰るのだぞ」
「ありがとう!またね!」
手を振り挨拶したあと走って行く春雪を見送るミシェル。
姿が見えなくなった後ひらひらと振り返した自分の手のひらを見て、春雪が自分から遠く離れてしまったことを感じる。
以前は慰めていた私のこの手はもう必要ないのだろう。
それでも構わない。
私の手が必要なくなったということは春雪が強くなった証であり、心が満たされているという証でもあるのだから。
「月神よ。彼の者に恵みを。どうか春雪をお守りください」
ミシェルは白銀の月に向かい両手を組んで祈った。
・
・
・
「つくづく不器用な男だ」
ガゼボの上に降り立ち呟いたのはレオ。
『あの人変わってるね。春雪とあの子は魂の契約を結んだ訳じゃないんだから誰のものでもないのに何で諦めたの?あんなに春雪のこと好きそうなのに』
肩に乗っているラングを撫でてレオは苦笑する。
「精霊族は魔族と違い恋仲になったというだけのことで他人のものになった感覚だからな。二人の間に割って入ろうとした者も恋仲の者が居ながら他の者を好きになった者も非難される」
『変なの。強い者が勝つのが世の理なのに』
魔族は魂の契約を交わすまで誰と親しくするも自由。
精霊族のいう『恋人』にあたる『番』が居ようと他の誰がアピールするも自由で、奪われればただその者が敗北したと言うだけのことでそれを非難する者などいない。
強い者が勝って魂の契約を結び子孫を残すことが出来るというのが魔族の感覚。
「精霊族に魂の契約はないが紙で契約を交わし伴侶を娶る。国王のあの男も既にその契約を結び三名の妃を娶りはしたが、他にも寵妃を持つことはできる。それでも踏み出せないのは春雪の相手が自分の息子だからだろう」
この世界は一夫多妻制。
経済的に余裕のある者は複数の伴侶を娶り養うのが一般的。
伴侶に選ぶ者は血筋や政治的に利のある相手で、愛人には自分が好ましいと思う相手を選ぶ者も少なくない。
国のための成婚をした国王にも当然そうする権利がある。
「最初は性格に難のある二妃と三妃が春雪に悪影響を与えることが気がかりで二の足を踏んでいただけだろうが、途中で自分の息子が春雪に好意を抱いていることに気付いたのだろう。それで迷っている間にも春雪と息子の心が通じ合ってしまった」
妃には出来ないから。
寵妃の立場は伴侶の妃よりも弱いから。
タチの悪い二人の妃から春雪が何かされることを恐れて言えないまま息子の気持ちも知ってしまい、ますます自分の気持ちを口にすることが出来なくなったのだろう。
「そもそもあの男は心が弱く優しい。歴代の国王は異界の若者のことを精霊族ではなく勇者という括りにすることで罪悪感に心が蝕まれることを避けたが、あの男にはそれが出来ない。春雪のことも息子のことも愛しているから言えないのだ」
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精霊族の為に死ぬ者と死ぬ可能性が極めて高い者が特級国民。
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「ラングも春雪が好きだろう?」
『うん。春雪がいい』
「では諦める必要などないと思わないか?」
『そうだね』
今まで欲しいものは手に入れてきた。
あの男にもあの男の息子にも遠慮するつもりはない。
私は強欲なのだ。
「用は済んだ。魔界へ帰ろう」
『春雪に会わないの?』
「私にもまだやることがある。次に来た時にしよう」
『分かった』
レオとラングは黒鳥に姿を変えると夜空へ飛び立った。
・
・
・
「殿下、そろそろお休みください」
「ああ」
テントの中で今日調査した内容を纏めていたドナ。
同行しているリベリオに声をかけられ顔をあげる。
「今日も見つからず、か」
領主から被害報告を受け王都を出たのが四十日前。
十日かけ目的地の鉱山に一番近い街に到着して二日間の支度日を設けたあと早速登り、二十八日目となる今日も調査をしながら魔物を間引いたが、肝心のSランクの魔物が見つからない。
ゴツゴツした足場の悪い鉱山を徒歩で登りながら魔物の討伐もするのだから、軍人とはいえ流石に疲労も溜まってきている。
回復魔法に特化した白魔術士や神官も同行しているとあって今のところ重傷者は出ていないが、疲労が蓄積するほどいざSランクの魔物と対峙した際に討伐するのが厳しくなる。
Aランクまでの魔物であれば数を間引いておきさえすれば冒険者たちに任せられても、Sランクとなればそうもいかない。
特に今回の魔物はその魔物が居るから国王軍のエリートが集まる第一騎士団が動く事態になっている。
「広い鉱山ですからね」
「広すぎるだろう」
半ば愚痴のようなそれにリベリオは苦笑する。
通常時であれば何部隊かに分かれてあらゆる方角から捜索をするような鉱山の調査と間引きを任されたのだから、ドナが愚痴を言いたくなる気持ちも分からなくはない。
「やはり領民にも協力を仰いでは」
「被害報告にあった特徴を見るにフードゥルの可能性が高い。そのような危険な魔物が居るならば巻き込む訳にいかない」
フードゥルは大型の飛行竜。
剣の届かない飛行種というだけでも厄介なのに、名前の通り身体に蓄えてある雷を落として攻撃してくる。
以前春雪がロケットランチャーを使い倒したフロアセルパンは数年に一度湖から出て被害を齎す魔物だったが、フードゥルは数十年に一度見かけるかどうかのレベルの魔物。
普段の出現率や目撃例が極めて低いためフロアセルパンと同レベルに扱われているが、ひとたび鉱山から降りてきた時の被害レベルは比べ物にならなず街一つを余裕で壊滅させる。
今回も鉱山の近くにあった鉱山街が丸々一つ壊滅して数千人の犠牲者が出ている。
普段鉱山で働いていて地形にも詳しい領民に協力を仰いだ方が捜索が楽になることは事実だが、それほど危険な魔物が身を潜めている場所に同行させることは犠牲者を増やすことにもなりかねない。
「民や領地にこれ以上の被害が出ないよう討伐に来たというのに増やしたのでは意味がないだろう?」
「たしかにそうですが」
「愚痴を零した私が悪かった。来る前に目星をつけていた場所がことごとく外れてついな」
鉱山に登る前に被害のあった街の領主や鉱夫から話を聞いて数カ所の目星はつけていたが、少なくとも今まで回った場所ではフードゥルを見つけられずつい愚痴を零してしまった。
「幾らでも聞きましょう。私はドナ殿下の従者ですので」
そうでなければ精神的に参ってしまう。
軍人の前では疲労感すらも表情にださず指揮を取り王子としても振舞っているのだから。
「ありがとう」
リベリオの気遣いに微笑したドナ。
足場の悪い場所を登りながらひたすら魔物を間引いて行く過酷な討伐で、リベリオはドナの救いの存在。
気楽に話せる者が居るということはそれだけで気が休まる。
「「!」」
ふっと肩の力を抜くとテントの中に聞こえてきた警報音。
野営地の周囲に設置してあるそれが鳴ってドナはすぐに探知魔法を使う。
「……?」
「殿下?」
「見張りの反応しかない」
探知にかかっているのは九つの反応。
今日の見張りは三人一組で三方向に立っているから、感知石の傍に居る九つの反応は見張りをしている軍人のもの。
それなのに魔物の反応を捉えた時の警報音が鳴っていることを不思議に思いながらもローブを羽織ったドナはリベリオと共にテントを出た。
「報告を」
「ただいま確認に向かわせております」
ドナにそう答えたのは第一騎士団の団長。
他の軍人たちもいつでも戦闘に入れるよう既に集合している。
「誰か探知は使ったか?」
「はい。私が」
「生体反応は幾つだった」
「見張りの九つでした」
「やはりそうか」
魔導師も探知を使って九つの反応しかなかったから誤作動の可能性を考え団体で動かず先ずは確認に行かせたのだろう。
夜間は視界が悪いため大勢で向かうのは悪手になり兼ねない。
もう一度探知を使うとかかった生体反応は十二。
増えた三つはそれぞれの方角へ確認に行った軍人だろう。
そのまま見ていると、一時の方角に居る見張り三人の生体反応と重なった軍人の生体反応がすっと消えた。
「……総員戦闘準備!一時の方角の反応は飛行種だ!」
軍人の反応が消えたあと、三つの反応が真っ直ぐこちらに向かっていることに気付いたドナは軍人たちに指示を出す。
一時の方角の生体反応三つは最初から見張りではなく魔物だったのだと。その魔物に反応して感知石が鳴ったのだと。
「来るぞ!フードゥルが!」
一人一人が能力の高い騎士や魔導師が伝達を出す暇もなく殺られるような飛行種ということはそれしか考えられない。
ドナの指示で騎士は剣を抜き魔導師は障壁を展開する。
指示から僅か一分ほど。
一時の方角から翼の音が聞こえて空を見上げる。
「……まさか」
夜空を飛んできたその姿を見てドナは呟く。
「三匹ともフードゥルとは」
数十年に一度見かけるかどうかの魔物。
稀少なはずの赤い巨体が三つ、美しい夜空を羽ばたいていた。
「魔導師は転移術を!殿下だけは何としてもお護りしろ!」
そう声をはったのは騎士団長。
それはもう生きて帰れないことを悟ってのこと。
一匹でも甚大な被害を齎すフードゥルが三匹も姿を現したのだから、この人数で勝てる見込みなどない。
何としてでも王子だけは避難させなくてはという、戦に慣れた騎士団長だからこその素早い判断。
「逃げるつもりはない」
ドナが術式を描き魔力を流したと同時に三匹の雷が落ちる。
眩い光に一瞬で死を悟った軍人たちは、またその一瞬あと雷が黄金の障壁に弾かれているのを見てハッとドナの姿を見る。
「……殿下」
術式に魔力を流し続けるドナの瞳は黄金色。
ヴェルデ王家の長い歴史の中でも僅か数名しか発現した者の居ない特別な黄金神眼をドナ殿下も……。
「ここで倒さねば犠牲者が増える。この世界に生まれた私が民を見捨て戦わず逃げ帰っては、全ての精霊族を救うため神に近い者と戦う役目を背負わされた勇者方に顔向けできない」
生きて帰れる保証はない。
けれどそれは魔王と戦う勇者もなおのこと。
この世界に生まれた自分は犠牲者が増えることを知りつつ逃げ帰っておきながら、無関係にも関わらず異界から召喚された勇者たちには天地戦へ行かせるなど厚顔無恥なことは出来ない。
「フードゥルは一定量の雷を使うと帯電時間が必要になる!その時に勝負をかける!私が防いでいる内に魔導砲の準備を!」
『はっ!』
運んできた魔導砲の数は五基。
一匹の想定で用意したそれで三匹を撃ち落とすのは難しい。
けれど無理だと諦めたのでは無駄死にするだけ。
どんなに可能性が低かろうと生き残るためには戦うしかない。
「すまない。私の従者になったばかりにお前まで」
隣で戦いの準備をするリベリオにドナは謝罪を口にする。
貴族家の子息のリベリオはドナの従者にならなければ危険な大討伐に駆り出されることはなかった。
「今回の同行は志願したのです」
「なに?なぜそんな危険なことを」
「危険な大討伐であり長期遠征だからこそ。お傍に居る世話人も多少は気心の知れた者の方が気が休まるのではないかと」
今回の同行はリベリオ本人が志願してのこと。
長期に渡る遠征と討伐対象が今までより危険性の高い魔物であることを知って志願した。
「従者になったのは家のためを考えてでしたが、今となってはドナ殿下の従者に選ばれたことを誇りに思っています」
最初は断るに断れず。
けれど今はドナの従者になれたことに誇りを持っている。
従者として王子を生かすため命をかける覚悟はできている。
「倒しましょう。大切な人を護るために」
「ああ。大切な人の未来のために」
そう会話を交わしてドナとリベリオは微笑む。
春雪さま。
貴方が大切な者の命を未来に繋げるために勇者として戦うと言うのなら、私も今ここで貴方の未来のために戦いましょう。
少しでも脅威を減らすことが天地戦に立つ貴方のためになると信じて。
「砲撃準備!」
雷が弱まってきたのを確認して再び指示を出すドナ。
これで撃ち落とせなければ一方的に蹂躙されて終わる。
「雷が止まり次第魔導砲に私の魔力も送る!狙いを定めろ!」
『はっ!』
自分たちの命にかえてもここでフードゥルを倒さなくては。
軍人たちも冷静になり、改めてそう覚悟を決めた。
雷が止まるとドナは術式から魔導砲に切り替え魔力を流す。
「撃て!」
五基の魔導砲から一斉に放たれた砲撃。
魔導師数十名と黄金神眼で強化されたドナの魔力を帯びた魔導砲を受けたフードゥル三匹は耳を劈くような鳴き声をあげ、その内の二匹は地面に落ちた。
「空の敵は私と魔導師で!地の二匹は騎士が討伐にあたれ!」
『はっ!』
一瞬にして戦地に変わった野営地。
帯電時間中であろうとフードゥルの強さは尋常ではない。
多くの軍人が戦い命尽きていく姿にドナは胸を痛めながらも魔法を使い続ける。
「神よ。どうか私の愛しい人をお護りください」
戦いながらも天地戦に立つ春雪の無事を祈るドナ。
それは先程の団長と同じく、もう生きて帰れないことを悟ってのこと。
「父上。どうか春雪さまを頼みます」
私が居なくなった世界で生きる春雪さまが幸せであるように。
死の足音を聞きながらドナが強く願ったのは、生きたいという願いではなく愛しい春雪の幸せだった。
「春雪さま、愛しております」
ドナの呟きは誰の耳に届くこともなく、なおも続く戦の喧騒にかき消された。
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月読尊とある女神の手によって癖のある異世界に送られた高校生、深澄真。
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これはそんな真と、彼を慕う(基本人外の)者達の異世界道中物語。
漫遊編始めました。
外伝的何かとして「月が導く異世界道中extra」も投稿しています。

無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
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ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
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えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
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自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
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一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
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☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。
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