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第零章 先代編(後編)
謳歌
しおりを挟むドナと春雪が密かに結ばれて僅か数ヶ月。
地上層は本格的な混乱期に入った。
「今日はここまでにしよう」
そう声をかけたのは時政。
「え?珍しく早くない?」
「まだ夕方なのに」
野外訓練所から空を見上げた美雨と柊。
いつもは時間を忘れて夜までやっていて講師に止められることも少なくないのに、と。
今までのカリキュラムは講義と個人を鍛えるための個別訓練が主だったが、本格的な混乱期になった今は講義をとりやめ天地戦を想定した四人での実践訓練が中心になった。
「たまには体を休めなくては」
不思議そうな二人に時政はくすりと笑い剣をおさめる。
「じゃあ俺は先に宿舎に帰る。みんなお疲れさま」
創造魔法で作った銃を使っている春雪は三人と違って武器のメンテナンスは必要ないため、すぐに銃を消して三人に軽く手を振ると走って野外訓練所を出て行った。
「そっか。帰って来たんだっけ」
「そう言えば講師が話してた」
春雪が急ぐ姿を見て早く終わらせた理由に気付く美雨と柊。
三週間ほど遠征に出ていた第五王子の凱旋が今日。
勇者の四人は訓練中だったため凱旋した所は見ていないが、今日の昼頃には戻るだろうと講師が話していた。
「勇者と王子の性別を越えた恋愛かぁ」
「友達だろ?セルジュ殿下の時にも会いに行ってたじゃん」
「はぁ。これだから柊は。お子ちゃまなんだから」
しみじみ言う美雨と鈍い柊のやり取りに笑う時政。
「天地戦までに残された時間は僅か。訓練や特訓の時間も大切だが、悔いを残さないよう過ごす時間も必要だ」
そう言われて顔を見合わせる美雨と柊。
「二人も悔いを残さないようにな。絶対はないのだから」
気持ちでは勝つつもりでいても絶対ではない。
簡単に勝てる相手でないことは歴史が語っている。
歴代の勇者で勝利したのは初代と三代目。
後の三組は敗北して、地上の生命も築いた文化も衰退した。
「私たちも終わらせて宿舎に戻ろう。疲れが溜まっていていざという時に戦えないのでは話にならないだろう?」
「そうですね」
「今日はゆっくり寝よっと」
普段は割と能天気な美雨や柊にも最近は焦りが見られる。
混乱期に入ったということは開戦の準備が整ったということ。
今日明日にでも魔族が攻めて来てもおかしくないのだから、もっと強くならねばと焦燥感に駆られるのも仕方がないこと。
ただ、開戦が近いからこそ休息も重要。
身体も精神も健全でなければ実力が出せない。
訓練や特訓の時間以外はメリハリをつけて休まねば。
異界で厳しい訓練を受けた経験のある時政だからこそ、オンとオフの大切さを身をもって知っている。
「でも春雪さんって凄いよね」
「凄い?」
「早く行って無事を確かめたい気持ちがあったはずなのに、そんな素振りも見せずに訓練にも手を抜かなかったから」
三人分の剣や杖に浄化魔法をかけながら苦笑する美雨。
「私たちの誰よりも早く覚醒して一人でも魔物をばんばん倒すだけの実力もあるのに、それでもまだ手を抜かないって凄いことだと思う。私が春雪さんみたいに強くなったら今日みたいに特別な日は特に、今日くらい良いじゃんってなりそう」
特別な日であろうと訓練や特訓に余念が無い春雪。
毎日早朝から個人的に特訓をして軽く入浴と朝食を済ませ、八時からは講師のカリキュラムに従った訓練をしている。
その後また性懲りも無く夜遅くまで個人で特訓をしてるというんだから驚かされる。
「春雪殿も好んでそうしている訳ではないだろうがな」
「ん?」
「魔王にトドメを刺せるのは勇者一人。つまり春雪殿の勝敗の行方が多くの者の生死を握っていると言うことだ。肝心のトドメを刺せなければ自分が死ぬのはもちろん、共に戦っている一行の私たちや多くの精霊族が死ぬという重過ぎる責任を背負わされていることが手を抜けない理由だろう」
神に尤も近いと言われる魔王にトドメを刺せるのは勇者のみ。
私たち一行は弱らせることしかできず、全ての精霊族の命は春雪殿の肩に重くのしかかっていると言っても過言ではない。
どれだけ強くなろうとも不安は拭えないだろう。
「……そっか」
美雨はたしかにそうだと頷いた。
「美雨?」
「ん?」
時政が一足先に部屋に帰ったあと、護衛を連れて宿舎に向かいながら柊が隣を歩く美雨の顔を覗きこむ。
「どうした?なんか考えてるっぽいけど」
いつもなら宿舎への帰り道にもよく喋るのに大人しい。
「最初は気軽に引き受けたけど今になって後悔してる」
「なんの話?」
「魔王の討伐」
「今更?」
「今更」
柊が言うように今更。
あれから一年以上が経ったのに。
「深く考えずに決めるからだよ」
「だって異世界転生と言えばチート能力がお約束でしょ」
「そこが漫画脳なんだって」
魔王の討伐と聞き迷いなく真っ先に引き受けたのは美雨。
漫画の主人公のように最初から強い力で無双できるのを想像していたけれど、そんな甘いはずもなく毎日辛い特訓の日々。
あの時は異世界召喚という非現実的なことを経験してテンションが上がっていたことは間違いない。
「訓練や勉強がシンドくて気軽に引き受けるんじゃなかったって後悔なら今まで何度もしたけど、そういうのじゃなくて春雪さんに悪いことしちゃったなって」
今まで何度も気軽に引き受けたことを後悔したけれど、それは学校で出された課題が多くて愚痴るのと変わらない。
ただ、今している後悔はそれとは違う。
「漫画なら勇者全員で魔王を倒すのがセオリーでしょ?でもセオリーと違って私は勇者の一行でしかなくて、私たち一行が引き受けたから仕方なしに引き受けた感じの春雪さんに沢山の人の命って物凄く重い責任を背負わせることになっちゃった」
美雨の後悔はそれ。
あの時点では勇者しかトドメを刺せないと知らなかったとは言え、トドメを刺せない自分が気軽に引き受け最後まで首を縦に振らなかった勇者の春雪が一番重い責任を背負うことに。
第三者が勝手に引き受けて、それに巻き込まれた周りの人が割を食ったようなもの。
「美雨の所為じゃない……とは言えないかな。ただそれを言うなら美雨のあとに引き受けて断れる雰囲気じゃなくした俺や時政さんの所為でもあるし、国王陛下から断っても良いって言われたのに引き受けた春雪さんの所為でもある」
深く考えずに引き受けた美雨が悪いことは確か。
だからと言って今更後悔したところで手遅れで、これから新しく勇者を召喚して鍛える時間などもう残されてない。
物事を深く考えないところは改めて反省して欲しいから美雨の所為じゃないと慰めるようなことは言わないけど、自分一人の所為だと塞ぎ込む必要もない。
「本心で申し訳ないと思ってるなら春雪さんがトドメを刺せる状況を作ることが一番の償いだと思う。俺も美雨を止めなかった共犯だから、その状況を作れるようもっと鍛えるよ」
唯一自分だけが幼なじみの美雨と親しく色々なことを言える仲だったんだから止める選択肢だってあった。
美雨が自分の所為でと言うのなら、それを咎めなかった自分にも責任がある。
「ほんともう漫画脳は今回だけで勘弁して。現実見て」
「はーい」
文句を言いながら額を啄く柊に美雨は苦笑する。
一緒に召喚されたのが何だかんだと文句を言いつつ傍に居てくれる柊で良かったと改めて思った。
・
・
・
宿舎に戻った春雪は既に入浴の支度をして待っていてくれたダフネの配慮に感謝して急いで湯浴みを済ませ、スキルで髪を乾かして貰いながらも普段着に着替えてすぐに宿舎を出る。
馬車で向かった先は緋色宮殿。
「お待ちしておりました、春雪さま」
エントランスホールで出迎えてくれたのはセルジュと使用人。
「突然の訪問に関わらず承諾いただき感謝申し上げます」
そう言って深々と頭を下げた春雪にセルジュはくすりと笑う。
たしかに伝達が届いたのは昨晩のことだったが、今日来るだろうことはこの宮殿に仕える者であれば分かっていたこと。
恐らく凱旋の日程を知ったのが昨日だったのだろう。
「礼拝中ですのでお部屋でお待ちくださいますか?」
「はい。お手数をおかけします」
凱旋後王城に行っていたドナもまだ宮殿に戻ってきたばかり。
戦から戻った際には礼拝する決まりがあり、帰宅後に湯浴みだけ済ませたドナはいま礼拝堂に居る。
「ドナの部屋にお通しするよう」
「承知いたしました」
礼拝が終わるまでドナの部屋で待って貰うことにして、セルジュは家令に案内される春雪を見送った。
一方礼拝堂のドナは。
「まだ痛みますか?」
「少しな」
祈りを終えて肩を触るドナを見て問うリベリオ。
「まあ二・三日はかかるだろう」
「大聖堂へ足を運ばれては」
「そこまでではない」
混乱期に入りドナは三度の討伐に指揮官として出ているが、遠征での大討伐だった今回初めて怪我を負って帰ってきた。
神官も同行していたためその場で治療を受け見た目は健康そのものだが、大型の魔物に片腕を食いちぎられたそう。
怪我が酷ければ完治までに多少の時間がかかる。
回復に特化した大司教や聖女の回復は例外だが。
「間違っても春雪さまの前で口を滑らせないようにな」
この宮殿内でドナが大怪我をしたことを知っているのはセルジュとリベリオと家令と宮殿長の四人だけ。
春雪に心配をかけたくないドナが万が一にも使用人の口から春雪の耳に入ることがないよう配慮してのこと。
「承知しております。……が、最初から私どもが口を噤む必要のないよう無事に帰城していただかなくては困ります」
そうお小言を貰ったドナはクスっと笑う。
「そうしよう。私には口煩い従者が控えているからな」
怪我をせず無事に帰ってこいと言うこと。
身を案じるお小言にドナは笑いながら肩に回復をかけた。
礼拝堂を出ると待っていた従僕から春雪が来ていることを聞かされたドナは、走りたい気持ちを堪えて自室に戻る。
「春雪さま」
「ドナ殿下」
ノックして従僕が開けたドアから見えた春雪の姿。
座っていた椅子から立ち上がるのを見ながら早足で近付く。
「ただいま戻りました」
「おかえりなさい」
三週間ぶりに顔を合わせる二人。
ハグする二人の表情が嬉しそうで、リベリオはそんな二人を微笑ましく思いながら部屋には入らず静かにドアを閉めた。
「お怪我はありませんか?」
「ご覧の通り。無事に凱旋いたしました」
「良かった」
ホッとした春雪の表情を見て胸が締め付けられるドナ。
無事に帰還して春雪の顔が見れたことの幸せを実感する。
「春雪さまはお変わりありませんか?」
「はい。変わらず訓練と特訓の繰り返しでした」
答える間も待ちきれないというように額や頬へと口付けるドナに春雪は口元を綻ばせる。
今回も無事に帰って来てくれて良かった。
「ドナ殿下、座って話しませんか?」
「お話しもしたいですが、」
深く口付けられて『あ、そっちが先か』と察する春雪。
今日大討伐から帰って来たばかりというのに元気がいい。
「生きて帰ったことを実感させてください」
「それで実感できるなら」
クスクス笑い合う二人。
広いベッドで互いの身体と体温で三週間ぶりの再会と命があることの喜びを確認する。
混乱期に入ったからこそ命はより貴重なものになった。
互いの思いが変わっていないことを、生きていることを、共に居られることの幸せを、言葉でも身体でも確認したい。
王子と勇者という立場の二人。
けれどその時だけはどこにでも居る恋人同士。
互いの体温を感じながら幸せを噛み締めて口元を綻ばせた。
「…………」
情事に耽ったあとふと気付いたドナ。
鈍く残っていた肩の痛みがなくなっていることに。
回復をかけてごまかしたものの、それでもなお痛みが残っていたのに。
春雪さまのお力か。
夢物語のような愛の力ではなく本人にも何かした覚えはないだろうが、これは恐らく聖勇者の能力。
歴代勇者の中に〝聖勇者〟という特殊恩恵を持つ者が存在したことがなく分からないことばかりだが、現時点で判明していることは浄化と癒しと覚醒の力だと言うこと。
同じ浄化と癒しの力を持つ聖女とは違い自分の意思で使うことは出来ないが、その浄化効果も回復量も聖女以上のもの。
しかも覚醒へと導くのだから、まるで神の所業。
「ドナ殿下?」
隣で横になっている春雪はドナが自分をジッと見ていることに気付いて首を傾げる。
「暫く見ない間にますますお美しくなりましたね」
「三週間では何も変わってないと思います。痩せたり太ったりした訳でも顔に怪我をした訳でもないですし」
真顔でそう返されてドナは笑う。
情事の後の時くらいもっと甘い雰囲気になっても良さそうなものだが、真顔で正論を言う春雪も面白くて好きだ。
「今日は泊まっていかれますよね?」
「はい。許可はとりました」
遠征に行く前に『無事に帰城したら外泊許可をとって一緒にいて欲しい』と言われたから、ドナが遠征に出たあとイヴに話して凱旋した日に外泊許可をと頼んでおいた。
「では私の寂しさを受け止めていただかなくては。好いた人に三週間もお会いできずどれほど辛かったか」
繋いだ手の甲に口付けるとそれは響いたらしく、ほんのり頬を染めた春雪にドナは口元をニンマリさせる。
「……寂しいと思ったのはドナ殿下だけではありません」
照れくさそうに言われて胸を撃ち抜かれるドナ。
仕掛けた倍以上の反撃を食らってしまうとは。
「無自覚ほど恐ろしいものはないですね」
自分が如何に愛らしいかの自覚がないから恐ろしい。
だから身体と心の距離を埋めたくなる。
どれほど春雪さまを想い慕っているかを理解して貰うために。
会えなかった時間プラス命の危険を感じたこと。
その経験がドナを執拗にさせる。
生きている間に自分の存在を刻みたいと。
「春雪さまの全てで私の存在と感触を覚えてください。離れている間も私を思い出せるように」
この先もドナは討伐に行き、春雪も天地戦に行く。
互いにひとたび戦場に立てば二度と帰らないかも知れない。
その恐怖や不安を抱え今を精一杯生きている。
「……もう……覚えてるのに」
「足りません」
浅い呼吸を繰り返しつつも答えた春雪にドナは口元を綻ばせつつ顔を近付け深く口付ける。
「愛しております」
残された時間は私の精一杯で愛し続ける。
いつ終わるか分からないからこそ私の全てで。
一秒でも長く覚えておいて貰えるように。
一秒でも長く覚えておけるように。
ベッドを軋ませながらも繰り返される告白に胸が痛む春雪。
その痛みは嫌なものではなく心地よい。
ありのままの自分を愛してくれる人が居ることの喜びや幸せ。
愛おしいと思える人ができた喜びや幸せ。
そんな感じたことのない満足感が胸を痛くさせていた。
「春雪さま」
「ドナ殿下」
こんな自分を必死で求めてくれる人。
愛を伝えてくれる人。
互いの命がある限り愛し続けよう。
・
・
・
疲れて眠ってしまった春雪に口付けるドナ。
訓練や特訓で疲れているだろうに無理をさせてしまった。
「どれだけ盛るんだ」
そう自嘲しながら春雪にリフレッシュと回復をかける。
まだ慣れていないことを知っていながら、回数はもちろん加減も出来なかったことを反省しなければ。
ドナは性欲の強い方ではない。
かと言って全くない訳でもないが。
ただ、春雪が相手となると途端に強くなる。
身体を綺麗にしてからコンフォーターを胸元までかけたドナは飽きもせず春雪の寝顔を眺める。
会いたい顔が見たいと三週間も思い続けたのだから、眠っている今だけは眺めても罰はあたらないだろう。
設計図通りに配置したかのような整った顔。
天地戦前に筋肉が落ちないよう調整した新薬を飲んでいるが、女性化が止まっていると言うことは効いているようだ。
異世界の道具を使いホルモンという物がどれかすぐに分かったお蔭で比較的早く薬剤を開発することが出来たが、この世界にあるもので作ったそれが効くかの不安は拭えなかった。
三週間離れてみて改めて効いていることを実感して安心した。
近いうちに血液検査をして異常がないかを調べなくては。
そんなことを春雪の顔を眺めながら考えているとドアをノックする音が聞こえ、ドナは静かにベッドから降りると椅子にかかっているガウンを手にとって羽織る。
「兄さん」
静かに開いたドアの向こうに居たのはセルジュ。
扉の外で名乗らなかった時点で使用人ではないことは分かっていたが、気を使って離れたリベリオかと思っていたのに。
「どうかしましたか?」
廊下に出て春雪を起こさないようまた静かにドアを閉めてから聞いたドナをセルジュは呆れ顔で見る。
「食事は」
「あ」
セルジュに言われて思い出したドナ。
先に礼拝をしていた自分もだけれど、訓練が終わって真っ先に来てくれた春雪も恐らくまだ食べていないだろうと。
「遠征から無事に帰ったのだから多少の語らいの時間はと目を瞑ったが、春雪さまにお食事をさせないなどどういう愚行か」
セルジュはもちろん宮殿に仕えるみんなが三週間ぶりにゆっくり語らうことが出来た二人を邪魔しないよう気遣っていたが、いつでも食事を出せるよう使用人も料理人も待っているというのにさすがに長すぎる。
「つい」
「ついではないだろう」
命の危険もあった遠征帰りとあってセルジュにもドナの気持ちが分からなくはないのだが、せめて先に食事を済ませてからゆっくり寛げば良いのにと大きな溜息をつく。
「それで春雪さまは」
「疲れて寝てしまいました」
疲れてと聞き察したセルジュは眉根を押さえる。
我が弟ながらなんと堪え性がないことか。
語らうどころの可愛い話ではなかった。
「改めて聞くが、同意あってのことだろうな」
「もちろんです」
「それなら良いが」
いや、セルジュの心境としては面白くはないが。
例え個人的な感情はそうであっても、同意のうえの行為であれば気持ちの通じ合った者同士のそれを咎める理由もない。
呆れた顔で見ているセルジュにドナが苦笑していると後ろでカチャリとドアが開く。
「セルジュ殿下?」
ひょこっと顔を覗かせた春雪。
目覚めるとドナの姿がなく、どこに行ったのかと確認するため服を着てドアを開けたら目の前に二人が立っていて驚いた。
「お目覚めでしたか」
「今しがた。申し訳ありません。お話し中とは思わず」
「いえ。食事はどうするのか聞きに来ただけですので」
春雪の額に口付けるドナの腕を抓りながら答えるセルジュ。
私しか居ない時には遠慮のないところは相変わらず。
「セルジュ殿下はもう食事は済ませたのですか?」
「これからです」
「もしかしてお待たせしてしまいましたか?」
「私も執務をしていて手が離せなかっただけです」
「そうでしたか。てっきりお待たせしてしまったのかと」
いつでも食事が出来るようみんなが待っていたことなど宮殿の住人ではない春雪は知らない。
知っていたのに平然と忘れていたのはドナだけ。
「お目覚めでしたら部屋へ食事を運ばせます」
「セルジュ殿下も寝室で大丈夫なのですか?」
「「え?」」
「あれ?いつものように三人で食べるのでは」
宮殿に来て食事をする時は食堂でセルジュも一緒に食べる。
いつも三人で食べているからセルジュもドナの寝室で食べるのかと思って聞いた春雪に二人は素っ頓狂な声を洩らす。
「御一緒しますが、ドナの寝室には三人で食事をするほどの広いテーブルがありませんので隣の調和の間に運ばせます」
「ああ、そうですよね。分かりました」
当然のように一緒に食べるものとして聞いた春雪にちゃっかり便乗して食事に混ざることにしたセルジュを見るドナ。
語らいではなく情事で待たせたことの腹いせにしっかり邪魔をする厭らしいところが兄さんらしい。
春雪にとってセルジュは親しい仲の王子。
例え弟のドナと恋仲になってもそれは変わらない。
だからいつものように一緒に食べるものと思って聞いただけで一切悪意はない。
ドナが自分の従僕を呼び着替えている間にも、閃光の間の隣にある調和の間には着々と食事が運ばれる。
寝室の閃光の間も応接室の調和の間もドナ専用の部屋。
王家の王子や王女は各々が宮殿内の居住階に寝室や応接室や執務室や書庫などの専用部屋を持っている。
第二王妃に与えられる緋色宮殿は正妃に与えられる黄金宮殿についで大きく、今となっては兄弟だけになった二人には持て余し気味なのだが。
「訓練は順調ですか?」
従者がワインを注ぐのを見ながら問いかけたセルジュ。
「はい。以前に比べて連携がとれるようになったかと」
そう答えた春雪の表情は苦笑。
「他に気がかりなことが?」
「三人との訓練は順調ですが……私の気持ちの問題ですね」
空気の読める三人のお蔭で連携も上手くとれるようになり、以前に比べて協力して戦える力は身についたと思う。
訓練は順調で三人には何の問題も不満もない。
「このままで本当に勝てるのかと、ふと思うんです」
攻撃主体の時政はもちろん、攻守の魔法を使いこなす柊も守備や回復が主体の美雨も間違いなく実力がある。
それなのに今のままで魔王に勝てるのかと不安が拭えない。
「トドメを刺せる私の力がまだ足りないのではないかと。一緒に戦う三人が強くなればなるほど、私だけ実力も努力も足りていないのではないかと」
魔王に勝利するためには勇者の力が必要不可欠。
三人は努力を重ね強くなったのに、最後の最後に力不足な自分の所為で死なせてしまうかも知れないと怖くなる。
「その不安は誰にも拭って差し上げることは出来ません」
例え国王の父上でも恋仲のドナでも仲間の一行であっても。
「この世界で産まれ生きてきた私からすれば春雪さまのお力は恐れを覚えるほどの強大なお力。けれどそれをどんなに語り尽くしたところで春雪さまの不安はなくならないでしょう」
ご自身が如何に強くなっているかを話して聞かせたところで意味などない。
「その不安がなくなるのは魔王にトドメを刺したあと。心を蝕むような不安も迷いも抱え戦い天地戦に勝利した時、初めて春雪さまは安心することでしょう」
誰もその不安を拭うことはできない。
その不安と戦えるのは春雪さまご自身だけ。
不安に打ち勝った時、春雪さまは伝説の勇者となる。
「もし春雪さまが不安に押しつぶされそうな時には幾らでも剣を交えましょう。言葉を望む時には幾らでも寄り添い心の内を聞きましょう。私にとって春雪さまは勇者という以前にかけがえのない友人ですので」
セルジュの言葉に春雪は表情を綻ばせる。
なんと頼もしい友人なのかと。
「ありがとうございます。セルジュ殿下」
自分の不安に寄り添ってくれる人が居る。
天地戦が終わるまで不安は拭えないとしても一人ではない。
それが嬉しい。
地球に居た時は全ての感情をたった一人で抱えてきたから。
「お待たせしました」
そう言って調和の間に入ってきたドナ。
「もっとゆっくり着替えてくれても良かったのだが」
「はい?」
「今から春雪さまとワインを楽しむところだったと言うのに」
「私を除け者にしようとお考えでしたら甘いです」
仲睦まじい勇者や王子の会話にセルジュやドナの従者も食事の支度を支度をしている使用人も静かに微笑む。
暗くなりがちなこんな時世にも明るく笑う勇者や王子が居てくれることが頼もしくもある。
「大役を成し遂げ帰還した今日くらいは私が注いでやろう」
「眠り薬でも入っているのですか?」
「お前は少し兄を信用しろ」
「無理です。信用すると危険だと思う相手の一位なので」
「おかしな一位にするな」
食事の支度が終わるまでの間ソファに座って寛ぐ三人。
王子としてではなく素のままに戯れる兄弟の姿など以前の緋色宮殿では見ることのできなかった光景。
食卓に着いても口を開くのは二妃だけで、セルジュもドナもララもいつも静かで空気が張り詰めていた。
「本当に仲のいいご兄弟ですね」
「「それはありません」」
「息がピッタリ」
笑う春雪を間に睨み合う二人。
今のセルジュを見て、以前は父や兄妹の暗殺も視野に入れていた歪んだ第二王子だったと誰が気付けるだろうか。
今のドナを見て、以前は笑みの裏で研究対象かどうかでしか人を見れない狂った第五王子だったと誰が気付けるだろうか。
今の二人を見て、以前は互いに憎しみに近い感情を抱えていた啀み合う兄弟だったと誰が気付けるだろうか。
頑丈な鳥籠に閉じ込められ翼を折られた歌わない鳥。
自由気ままに生を謳歌する親鳥の傍で狂い続けた三羽の鳥が居る鳥籠の扉を開けたのは、異世界から来た一人の人物。
監獄と表すほどの宮殿で歪んだ王子や王女はもう居ない。
勇者の存在に触れて監獄から飛び立った王子や王女は、それぞれの居場所で心から笑うことを思い出した。
三羽の鳥は自由に生を謳歌し美しく歌い続ける。
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