ホスト異世界へ行く

REON

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第零章 先代編(後編)

浄化

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「色々あったようですけど、歌姫ディーヴァはやはり凄いですね」
「ええ。実力は間違いありません。歌姫ディーヴァの能力は魔力の他にも旋律が重要でそれが狂うと効果が弱まるのですが、彼女ほど完璧に歌いこなせる者は早々居ないでしょう」
「そうなのですか」

劇が終わり歌姫ディーヴァが再び歌っているのをテラスから眺める二人。
性格はさて置き、実力と国民人気を考えれば今時代の歌姫ディーヴァの頂点は間違いなく彼女。

「この世界に来てからもダンスの練習の際に曲は聴きますが、歌は久しぶりに聴いたので楽しいです。このワクワクするのもきっと歌声に感情を揺さぶられてるのでしょうね」

元から歌を聴くのは好きだけれど、幾ら久々に聴いたからといって今までにないくらい楽しいと感じているのは歌声が影響しているからだろう。

「私は楽しそうな春雪さまを見ているのが楽しいです」
「そこは擽られないでください」
「魔力をのせた歌声ですから致し方ないかと」
「先程まであまり影響がないような話をしていたのに」

春雪の愚痴は尤もで、ドナは歌の影響など関係なくただただ春雪が愛おしくて堪らないだけ。
恥ずかしさを誤魔化すような表情や言葉が愛らしい。

「あ。そう言えば話題を掘り返すようで悪いのですが、歌姫ディーヴァが貴族になりたいと言うのと王家の方々に色仕掛けをかけたのはどう関係するのですか?王子は一般国民と結婚できないのであれば彼女が関係を持ったところで妃にはなれませんし、陛下の寵妃になっても爵位が与えられる訳ではないですよね?」

後悔していることは充分伝わったからまた掘り返すのも申し訳ないけれど、どういう意味があって国王や王家の王子関係を持とうとしたのかが今更気になった。

「王子は一般国民とは成婚できないので、もししたいのであれば妃になれるような貴族家の養子に一度入らせるのです」

王位継承権が高い王子は別としてドナのように継承権が低い王子はある程度の身分の貴族であれば成婚できる。
子爵くらいの貴族の養子にして子爵家の娘として嫁ぐ。

「それが狙いで王子に近付いたと。よく気付きましたね」
「本人が貴族になりたいと話していましたから」
「え?話したんですか?」
「私と成婚したいから貴族家の養子になれるよう働きかけてくれないかと。それで狙いが分かりました」
「話してしまうのは愚策では」
「一夜限りの関係ですからね。何としてもその日の内に約束を取り付けたかったのではないですか?」

なるほど。
ドナが歌姫ディーヴァを好きになって関係を持った訳ではないと分かっているから、その日その時が唯一王家の王子と接触する機会であり自分の望みを叶える機会でもあったと言うことなのだろう。

「何となく分かった気がします。ドナ殿下が公演を観に来たことを知って、一度関係を持った自分に会いたくなって来たと思ったんじゃないですか?それで足を運んだら私が居たと」
「数日前に人数を伝えて席をとったので一人ではないことは分かっていたでしょうが、今日支配人に聞くまで女性と来たとは思っていなかったかも知れませんね」

今日来ることは事前に聞かされていたかも知れないが、人数では女性なのか男性なのか分からない。
少なくとも自分の瞳の色の衣装を身につけて貰うような相手と来るとは思って居なかっただろう。

「私は女性ではないのですが」
「女性でも男性でもあるではないですか」
「私は両性です。そう思って生きてきました」
「重要なのですか?女性でも男性でもなく両性という部分は」

そう問われて春雪はうーんと考える。

「自分では男性寄りの両性だと思っています。物心ついた時から自然と男性の口調や行動になってたのですが、女性としての性認識だけはなかったんです。だからなのか男性と言われるのは何とも思わなくても女性と言われると違和感があります」

ドナからすれば随分女性らしい部分があると感じるが、春雪本人はそれに気付いていないようだ。

「私は男性らしさも女性らしさも併せ持つ春雪さまに魅力を感じているのですが、女性と言われるのは嫌なのであればもうそこには触れないようにいたします。女性らしさを感じなくなったところで私の気持ちは変わらないでしょうから」

春雪が半陰陽エルマフロディットだと知っていて恋心を抱いている。
全てを知った上で好きなのだから、どちらの性として振舞おうとも今更私には重要なことではない。
唯一、他者に『彼・彼女』と表す時には困りそうだが。

「この世界には心の広い人が多いですね」

春雪以外の半陰陽エルマフロディットも存在する地球より、魔族にしか居ないはずのこの世界の人の方が平然と受け入れてくれている。
しかも気味悪がることなく好意まで持ってくれるのだから。

「父上やマクシム兄さんのことですか?」
「私が半陰陽エルマフロディットだと知っている人みんな。もちろんドナ殿下も含めて、私を気味の悪いもののように見ない」

それはそういう目で見られたことがあると言うことか。

「地球には春雪さまの他にも半陰陽エルマフロディットの方は居たのですか?」
「居ました。ただやはり珍しいですし、居てもある程度の年齢になるとどちらかの性別を選んで手術をします」
「春雪さまは手術をしなかったのですね」
「私は」

そもそも両性として作られたから。
男性としてでも女性としてでも子孫を遺せるように。

「私は?」
「私はどちらか片方を選ばず両性として生きることを選んだだけです。幸いどちらも機能していますし」

言葉の続きを求めたドナにそう答える。
最初から両性として作られたことは言えない。

「私の居た時代の地球は同性とでも結婚ができたので、どちらかを選ぶ必要を感じなかったんです」

その話は嘘か本当か。
恐らく何か隠しているのだろうが、言いたくないのであれば無理に問い詰めるつもりはない。

「この世界では同性とは成婚できませんので春雪さまが両性のままで居てくださって本当に良かったと思います。好いて貰うことさえ出来れば私にも春雪さまと成婚できる可能性が残されていると言うことですから」

その『好いて貰うこと』が限りなく無いに等しくても。
いや、嫌われてはいないことだけは伝わるが、時々ふと感じる距離感での好意ではないのだろうと自信がない。
例え恋愛での好意ではなくとも、せめて一番の友としてお傍にいたいとは考えているが。

恋愛での好意ではなくても傍に居たいと考えるのは大概だ。
そこまでして一緒に居たいのかと自分でも呆れる。
ただもう私は春雪さまの居ない世界など考えられない。
もし天地戦に出た春雪さまが敗北したとすれば、私は喜んで魔族に命を差し出し後を追うだろう。

そこまで考えている私は重症だ。

「ドナ殿下」

小さく呟いた春雪がドナに寄り添う。
その意外な行動に思わずビクッとしたドナ。

「ご気分が悪いのですか?」

胸にピッタリ寄り添う春雪に触ってもいいのか迷い、手の行き場に困る。

「少しこうしていても良いですか?」
「構いませんが、ご気分が優れないのでしたら医療師を」
「違います。なんだか悲しくて」
「悲しい?」

なぜ突然そのようなことに。
一瞬考えハッとしたドナは客席を見下ろす。
舞台では歌姫ディーヴァが歌っていて、多くの観客が別れの場面を綴ったその歌に涙していた。

「お気を強く持ってください。その悲しい感情は劇と歌姫ディーヴァの」

能力によるもので。
と言いたかったドナは、肩を掴み自分から離して目を合わせた春雪を見て言葉を失う。

「ドナ殿下」

春雪の大きな目からポタポタ落ちる涙。
ドナが死の淵を彷徨い目を覚ました時に走って会いに来た時のように、ポタポタと止めどなく落ちている。

「春雪さま」

恐らく劇の別れの場面でしんみりした心が歌姫ディーヴァの能力で揺さぶられ強くなったのだろうが、悲しくて寄り添ってくれるのならば今暫くこのままで良いのではないかと思うドナは狡い。

「ごめんなさい。涙が止まらなくて。せっかくダフネさんが化粧してくれたのに」

素の口調で話してゴシゴシ涙を拭っている春雪。
元々薄化粧しかしていないため泣いたところで化粧崩れなど分からないが、今はそんなことすら悲しいようだ。

「擦っては傷になってしまいます」
「でも止まらない」
「無理に止める必要はありません」
「みっともないから嫌だ」

普段の春雪であればドナには絶対に使わない口調。
それが聞けて得した気分になっているドナは、自分のことをろくでもない男だと思う。

「では悲しい感情から離れられるようお手伝いしましょう」

そう言ってドナは春雪に口付ける。
むしろ歌姫ディーヴァに感謝すら覚えるドナはやはり狡い。

「ドナ殿下」

長く口付けて離れると今度はぎゅっと抱きつかれる。
嬉しいけれど、そのぶん理性との戦いになってくる。
好いた人からこんなにもピッタリと抱きつかれては理性を保てというのが難しい。

「……ああ、私もか」

ポツリと呟いたドナ。
春雪の行動や泣いた顔が愛おしくてつい冷静さを欠いていたようで、そんな春雪への感情を歌姫ディーヴァに擽られていたようだ。
演目に合わせて歌っているだけの歌姫ディーヴァには知ったことではないだろうが。

それに気付いたドナがとった行動は再びの口付け。
今のこれは全て歌姫ディーヴァの所為にしてしまおう。
という卑怯な考えで敢えて気を緩め魔力の抵抗力を減らす。

歌姫ディーヴァの歌声に感情を揺さぶられているだけです」
「……あ、だから」
「お互いに落ち着くまでこうしていましょう」
「ドナ殿下も悲しいのですか?」
「いつの間にか聞き入ってしまったようです」

考えごとをしていて全く聴いていなかったけれど。
その事実を知っているのは物思いに耽っていたドナ本人だけ。

「耳を塞ぎますか?」
「ありがとうございます。でも耳よりこちらを」

泣きながらもドナを気遣う春雪が堪らなく愛おしくて、腕を首の後ろに回させもう一度口付ける。
何よりも悲しみの感情が勝っているのか、普段は恥ずかしさと緊張でこわばり気味の体から力が抜けている。

歌姫ディーヴァの魔力を言い訳に春雪との口付けを堪能するドナ。
ずる賢く要領がいいのは子供の頃からだ。

「春雪さま、お慕いしております。好きです」

他は嘘でもそれだけは事実。
愛おしすぎて卑怯な手を使ってでも欲してしまう。

「人に見られてしまいます」
「人に?」

いや、外からこちらは見えないが。
特別室は上級階級の貴族も利用するため、安全に考慮して舞台側からは中の見えない障壁になっている。
春雪が知らないだけで。

「悲しくて寄り添ってきたのは春雪さまですが?」 
「ごめんなさい。おかしな噂がたったらどうすれば」
「構いませんよ。春雪さまと噂されるのであれば。そもそも口付けているのも抱擁しているのも私ですし。私とのおかしな噂がたって困るのは春雪さまの方かも知れません」

そう答えると、涙で濡れた赤い目で春雪はドナをジッと見る。
さすがにそろそろおかしいと気付いただろうか。

「困りません」

そう言ってとった春雪の行動にドナは固まる。
唇に重なった柔らかい感触に。
ぎこちない舌の動きに。

「ドナ殿下のように上手く出来なくてごめんなさい」

唇を離し目線を逸らして言った言葉にドナの顔が熱くなる。
まさか春雪の方からされるとは思ってもみなかったことと、不器用な口付けと恥ずかしそうな顔があまりにも愛おしくて。

「……私の理性がどこまで持つか試されているのでしょうか」
「え?」
「そんなものもう薄皮一枚残っておりませんが」

少し強引に口付けたドナに春雪は驚く。
いつも自分からは出来ないから『噂がたって困るのは春雪さまの方』と言わせてしまったのかと思い、今回は自分の方からしてみようと思ったのだが。

「待ってください、本当に見られて」
「舞台側から私たちは見えません」
「え?」

さっきから春雪は疑問符をあげ続けるばかり。
だから堂々とキスや抱擁をしてくるのかと理解した。

「春雪さま、好きです」

真剣な顔で目を合わせて思いを告げたドナの唇が再び重なる。
春雪の心臓は激しく鼓動していて顔も熱い。
重なった唇も体に回された腕も全てが熱を持っている。

もう何度ドナの思いを聞いたのか。
そのたび俺は何も答えられていないのに。

自分が人工生命であることが悔しい。
欠陥がある人工生命として生まれたことが悲しい。
遠くない未来に来る、心臓核が止まる瞬間が怖い。

止まればもうドナと会話し笑うことはできない。
こうして傍に居て唇を重ねることも体温を感じることも。

ドナを悲しませてしまうかも知れないことが何よりも怖い。

春雪に芽生えた感情。
他の誰でもないドナに。
ありのままの自分を受け入れ愛してくれるドナに。

気持ちを伝えれば自分はどれほど楽になるだろう。
そしてドナはどれほど悲しむことになるだろう。
例えどうなろうとも残された時間は長くないのだと知って。

せめてそれまでは

「ドナ殿下……瞳が」

長い口付けから解放された春雪が瞼をあげると目が合ったドナの瞳が金色になっていて驚く。

「ああ、驚かせて申し訳ありません」
「どうして瞳の色が金色に?」
「黄金神眼というものです」
「成分が鑑定できるあの神眼とは違うのですか?」
「それが強化されたものと言えば分かりやすいでしょうか」

強い感情に反応して黄金神眼になってしまったのだろう。
神眼の能力は様々だが、それが進化したものが黄金神眼。
黄金神眼に進化すると神眼能力が強化されるだけでなく、精神や肉体や魔力といった能力値が強化される。

「この黄金神眼は春雪さまから賜ったものです」
「私が?」
「覚醒に導いたのは春雪さまの能力ですので」

ドナにとって黄金神眼は春雪からの贈り物。
狙って覚醒に導いたのではなくとも、今まで以上に春雪を護れる力を手に入れることができた。

「気味が悪くありませんか?」
「綺麗です」

瞳を興味津々に見る春雪。
近い距離にあるその興味津々の表情が愛らしくて、ドナは春雪の頬を愛おしそうに撫でる。
まだ歌姫ディーヴァの歌声は聞こえているが、他に興味が移ったからかすっかり涙は止まっている。

「春雪さま。公演が終わったら帰らなくてはなりませんか?」
「え?」
「今日だけ私の宮殿に泊まりませんか?」
「宮殿に?」

夕食をとり遅くに帰ることはあっても泊まったことはない。
外出と外泊ではまた話が変わってくるからだ。

「お誘いした際に一日だけ時間をくださいと申しました」
「……たしかに言ってましたね」

思い返して確かにそう言っていたと納得する春雪。
デートのために一日だけ特訓を休んで欲しいと言うことだと受け取っていたが。

「春雪さまが少しでも時間があれば特訓に勤しんでいることは存じております。それを知っていながらこのようなことを言う自分を愚かだと思いますが、今日は一日一緒に居たいのです」

王子も勇者も暇ではない。
やらなくてはならないことは山のようにあるけれど、今日一日だけは春雪との時間を優先させて欲しい。

「私に春雪さまの一日を譲ってください。好いた人と少しでも長く時間を過ごしたいのです。傍に居てこうして触れていたいのです。愛おしくて堪らないのです」

次々と言葉を紡ぐドナに春雪の顔は赤くなっていく。
今まで何度も好意は聞いてきたが、こんなにも必死な様子のドナは見たことがない。

「春雪さまにも私を好いて欲しい。愛して欲しい。他の誰でもない私だけを見て欲しい。春雪さまが欲しい」

春雪の座っている椅子の背に手を置き、ぐっと近付きながら言葉を紡いでドナは軍服の襟のホックを外す。

「ドナ殿下?」

なにかおかしい。
こんな迫り方はドナらしくない。
そう不審に思い春雪はハッとして舞台を見る。

そういう配置なのかこちらを向いて歌っている歌姫ディーヴァ
観客たちはみな心酔して舞台の歌姫ディーヴァを見ている。
普段の公演でもこのようになるのかは知らないが、歌声に乗せている魔力が強すぎて歌姫ディーヴァを包む水色の魔力が渦のようになっていた。

「しっかりしてください。抵抗力をあげてください」

ドナの瞳の色は金色。
そして春雪も先程までとは違い体が熱い。
ドナも自分も歌姫ディーヴァの魔力を拒絶しようと何かしらの能力の効果が出ているのだろう。

「すみません、春雪さま」
「大丈夫ですか?」
「何とか」

頭が痛いのか片手で押さえつつ少し冷静さを取り戻したドナ。

歌姫ディーヴァは普段からこのように歌うのですか?」
「私は王城でしか聴いたことがないので何とも」
「悪意があるのか分かりませんが歌声に乗せている魔力が多すぎます。抵抗力のない人が長時間聴くのは危険かと」

普段からそうなのかは分からない。
けれどこんなにも激しく魔力をぶつけられては魔力のない人は精神をおかしくしそうだ。

「公演を中止に」
「歌います」
「え?」
「先程歌姫ディーヴァの能力は旋律も重要と仰いましたよね?私がこの世界にはない旋律の曲を歌って壊します」

創造魔法でこの世界の拡声石を作り出した春雪は深呼吸して息を整えると地球で何度も聴いた賛美歌を歌い始める。

「……春雪さま」

透明と表現するに相応しい透き通った歌声。
異界の言葉らしく歌詞は分からないが、美しい声での優しく柔らかなメロディーが歌姫ディーヴァの歌声に重なる。

「光が」

黄金を纏う春雪から劇場に舞い散る光の粒。
ドナの頭痛もすっとおさまり瞳も真紅に戻る。

「ドナ殿下!勇者さま!」

バタンと扉を開け走って来たのは従者とダフネ。
その後ろには護衛騎士の二人も。
ドナは唇に人差し指をあて四人に静かにするよう伝えた。


「……誰が歌ってるの?」

自分の歌声をかき消してしまうほどの歌声が劇場に響き始め、ビビアナは歌うのを止めて劇場を見渡す。

「すぐに辞めさせて!」

舞台袖にいる劇場員にそう指示するビビアナ。
ビビアナからすれば公演を邪魔する歌声でしかない。

「聞いてるの!?」

口調を強くしたビビアナを見ない劇場員たち。
何を見てと観客席を見ると、キラキラと美しい金色の光の粒が雪のように、どこか虚ろな目をした観客へと降り注いでいる。

「一体なにが」

ビビアナに悪意はなかった。
たんに、気弱で大人しいドナなら簡単に手玉に取れるだろうとの思惑が外れたことの腹立たしさが強く、普段より魔力の量を多く歌声に乗せていることに気付かなかっただけで。

「……私たちはなにを」

金色の光の粒を浴びた者が次々と正気を取り戻し声を洩らす。

「この光はなんだ?この曲は誰が歌ってるんだ?」
「分からないけど、歌声も光の粒も綺麗」

透き通った優しく美しい歌声と劇場に降る金色の光の粒の美しさに感動しながら、舞い散る光の粒に手を伸ばす人々。

「赤いドレスのお姫さまが歌ってる」
「あのご令嬢の声か」
「そう言われてみれば」

劇場の前でドナや春雪と会話を交わした家族。
子供が春雪の声だと最初に気付き、両親もたしかに春雪の声だと気付く。

「……温かいな」
「ええ。優しく包まれているようでとても気分がいいわ」
「歌声も曲もまるであの優しいご令嬢を表しているようだ」
「本当に」

人々の心に愛おしい者を慈しむ心が芽生える。
隣に居る愛おしい恋人に、夫に、妻に、子供に。
家で帰りを待っている家族に。

虚ろな目だった者も今は幸せそうに笑みを浮かべている。
春雪の歌声や金色の光の粒が人々の心を浄化したのだろう。
観客の様子を確認していたドナはそれが分かりホッとした。

「勇者さま……お美しいです」

黄金の光の粒を纏い歌う美しい勇者。
春雪を見ているダフネは手を組み祈り、神々しさに涙する。
隣からすっと差し出された上質のハンカチ。
ドナの従者がさり気なく差し出したそれを受け取り、ダフネはふわりと笑って軽く頭を下げた。


春雪が歌い終わると劇場は大きな拍手に包まれる。
歌いきったということは劇場の催しだったのかと受け取った観客たちは、素晴らしい歌声と美しい演出に惜しみない賛辞の拍手をおくった。

「失礼いたします」

拍手の続く中、開いたままの扉をノックしたのは支配人。

「あ!すみません!曲を台無しにしてしまって!」
「滅相もございません。謝罪するのはこちらにございます」

ハッとして春雪が謝罪すると支配人はドナと春雪の前に跪く。

「殿下。大変なご迷惑をおかけいたしました」
「あれは悪意あっての行動だったのか?」
「いえ。本人は気付いていなかったようです」

おかしいと気付き止めに走った支配人にビビアナは何があったのかと逆に問い、自分がしたことだと説明すると驚いていた。

歌姫ディーヴァは大丈夫ですか?かなりの魔力を一気に放出していたので体調が優れなくなっているのでは」
「目眩がするようですが他に問題はないようです」
「良かった。早く回復するようゆっくり休ませてください」
「温かいお心遣い、深く感謝申し上げます」

なんという慈愛の心。
ご令嬢が歌姫ディーヴァ以上の魔力を使いかき消してくれなければ観客に危害が及ぶ状況だったと言うのに。

「殿下。恐れながらレディのお体が気がかりです。よろしければ劇場の口の堅い専門医をお連れいたします」

あの能力がなにかは分からないが、劇場全体に行き渡るほどの魔力を使ったご令嬢の方が昏睡していてもおかしくない。
最後まで歌いきり、その後もこうして平然と立っていられる方が有り得ないこと。

「見ていたのか」
「申し訳ございません。殿下方に何かあってはと思い急ぎこちらへ足を運んだのですが、扉が開いておりましたので中を」
「申し訳ございません。私どものミスです」

支配人の隣に跪いた護衛騎士の二人。
慌てて扉を開けたまま閉めていなかった。

「口ぶりを聞くにこの御方が誰か分かっているようだな」
新星ノヴァの祝儀に参加しておりましたので」

新しい年を祝う祝儀に支配人も居て黄金を纏う者を見た。
見目麗しく慈愛に満ちたご令嬢は異界から参られた勇者だ。

「そうか。医療師は不要。この程度で枯渇する御方ではない」
「承知いたしました」

今代勇者が黄金を纏うことを祝儀に居た者なら知っている。
その場を見られてはもうごまかしようもない。

「殿下や勇者さまを危険に晒した罰は仰せのままにお受けいたしますが、勇者さまに感謝をお伝えする機会をいただきたく存じます。尊いお力を観客の為にお使いくださり感謝申し上げます。勇者さまのお蔭でみな正気に戻ることができました」

勇者のお蔭で観客や劇場員は全員無事。
劇場員は魔力の抵抗力が高い者を揃えているため精神崩壊するほどではなかったが、観客は一般国民が殆どで抵抗力がない者ばかりのため、あのままでは正気に戻れない者も居ただろう。

「お顔をあげてください。勇者だと黙っていてくれさえすればそれで。私が勝手にしたことなのですから支配人も護衛の御二方も罰する必要はありません。皆さんがご無事で良かった」

跪いている支配人や護衛騎士にそう言って春雪は微笑む。
誰よりも尊い存在でありながら、それを鼻にかけることもなく惜しみなく力を使い人々の無事を喜ぶとは。
女神となった三代目国王のご寵妃が舞い戻ったかのよう。

「ドナ殿下、そうしてくださいますか?」
「勇者さまの御心のままに」

胸に手をあて春雪に軽く頭を下げるドナ。
支配人に口外を禁じる必要はあるが、春雪本人がそうして欲しいと言うならば断る理由はない。

「演出と捉えたらしい観客は事実を伏せたまま帰らせて構わないが、歌姫ディーヴァには話を聞かねばならない。悪意はなかったことが真実だったとしても、民に危険が及ぶ可能性があるならば劇場の改善や歌姫ディーヴァ自身にも制限を設ける必要がある」

観客には演出だったと思わせたままの方が都合がいい。
ただ劇場や歌姫ディーヴァに関しては、公演が国民に人気のある娯楽だからこそ王家の王子として危険性を無視できない。

「事情を聞く。謁見を……いや、私が足を運ぼう」
「殿下の方から足を運ぶなど」
「体調の優れない者をここまで呼ぶのは心が痛む」
「ドナ殿下」
「事情が分からない内は歌姫ディーヴァも王家が守るべき民の一人だ」
「承知いたしました」

愛想笑いしていた王子が立派な王子になったものだ。
そう思いつつ胸に手をあて敬礼する従者。
今のドナ殿下ならば誠心誠意お仕えしたいと思える。
勇者さまがドナ殿下を大きく変えた。

「ご配慮感謝申し上げます。お言葉に甘え楽屋傍にお部屋を準備いたしますので、少々お時間をいただきたいと存じます」
「ああ。準備が済み次第、護衛騎士に伝達を」
「承知いたしました」

深く頭を下げた支配人は立ち上がり、改めて春雪にも深く頭を下げて部屋を出て行った。

「すぐに来なかったと言うことは二人も魔力にあてられたか」
「私の不徳の致すところです。申し訳ございませんでした」

本来ならあの状況になれば従者が飛んでくる。
それなのに慌てて来たのは春雪が歌いだしてから。
召使のダフネは別として、従者の教育を受けている者なら有り得ないこと。

「責めていない。私もすぐには動けなかった。春雪さまが冷静になるようお声をかけてくださらなければどうなったことか」

そう言ってドナは苦笑する。
歌姫ディーヴァの魔力を春雪に触れる理由にしようなどと卑怯なことを考え魔力の抵抗力を下げたからバチが当たった。
下げさえしなければあのような失態を見せず済んだのに。

「さすがは勇者さまですね。魔力抵抗力の高いドナ殿下にも影響があったほどの魔力をものともしなかったとは」

ドナの従者から尊敬の眼差しを向けられ頬を染める春雪。

「実は私の方が酷かったんです」
「?」
歌姫ディーヴァの魔力が強くなる前は私の方が夢中で聴いていたせいでドナ殿下にご迷惑をかけてしまって。強くなってからも魔力をものともしなかったのではなくて、単に何かしらの能力が発動して歌姫ディーヴァの魔力を拒絶できたから冷静で居られただけです」

そう説明する春雪の顔は赤い。
冷静になった今となっては、悲しくなって泣いたことも、ドナに抱きついたことも、口付けたことも恥ずかしくて仕方ない。

ああ、可愛らしい。

全員がそう思う。
二人の間にどのようなやり取りがあったのかは分からないが、吹き出すように笑ったドナの表情を見るに不快なものではなかったのだろうと察し表情を綻ばせた。

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