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第零章 先代編(中編)
新星(ノヴァ)
しおりを挟む新年初の朝が訪れ王都では早朝から人々が動き出す。
無事迎えた新たな年に国民たちの表情は晴れやか。
国民の賑やかな声や笑顔は平和の象徴。
「シエル」
「起こしてしまったか」
ベッドからのそりと起き上がった春雪。
丈の長いクロークを着ていたミシェルは寝ぼけ眼の春雪にくすりと笑い、ベッドを軋ませ膝をつき額に口付ける。
「これは目覚めの挨拶だ」
「う、うん。わかった」
「さあ春雪も」
「え、俺もするの?」
「起きた時に居合わせれば挨拶するだろう?」
「挨拶はするけど」
「では私にも挨拶を」
これは海外式おはようの挨拶。
そう自分に言いきかせた春雪は、顔を近づけ待っているミシェルの額に口付けた。
「早過ぎるだろう」
「これでも頑張った」
あまりにも早い一瞬の口付けにミシェルは笑う。
これで照れるのだから愛らしい。
「このまま一緒に居たいが戻らねば」
国王のミシェルは今日も朝から慌ただしい。
尤も勇者たちも祝儀の支度で慌ただしくなるのだが。
「あ、待って。酒忘れないように」
テーブルに置き去りの酒瓶。
それを思い出した春雪はベッドから立ち上がったミシェルのクロークを軽く掴んで留める。
「ここに置いておく。召使には私からの貰い物だと話して構わない。昨晩のダンスの礼に貰ったとでも話すといい」
「わかった。じゃあまた来た時に呑もう」
意識もせずそのようなことを。
また来ることが当然のように。
愛おしすぎて後ろ髪を引かれてしまう。
頬に手を添えると赤い顔。
これから何をされるか理解したのだろう。
拒まないことを確認してから顔を近付け口付けた。
「祝儀で会おう」
「う、うん」
唇のあとは再び額へ。
このまま居ては本格的に離れなれなくなりそうで、ミシェルはフードをかぶり春雪の頭をくしゃくしゃと撫でた。
・
・
・
「またしても無断外泊と朝帰りですかな」
「早いな。イヴ」
「私はいつも通りですが?」
春雪の部屋のバルコニーから転移を使って王城に戻ったミシェルが自室の窓に足をかけると、既に待っていたイヴから呆れた顔で迎えられる。
「二回目とあらばさすがに伺いますぞ。どこへ無断外泊を?」
「聞かずとも分かっているのに聞くのか」
「事実確認です」
聞かずとも察してはいる。
けれど自分の口から話して貰わねば。
それによってこちらも対応が変わる。
「勇者宿舎。春雪の部屋だ」
「やはり」
勇者宿舎は気軽に出入りする場所ではないと言うのに。
警備に見つかったらどうするつもりなのか。
いや、見つかれば堂々と顔を見せるのだろうが。
「それに関して春雪殿は嫌がってないのですか?陛下が夜通し部屋に居てはしっかり眠れないのでは」
ミシェルと春雪が親子や兄弟のように仲がよいことは分かっているが、部屋に人が居ると気にする春雪の性格を考えれば寝つけていないのでは。
「前回も今回もぐっすり寝ているぞ?腹立たしいほどに」
「腹立たしい?」
「私の腕の中でそれはもうぐっすりと」
「……まさかご無体を働いていないでしょうな」
「ぐっすり寝ていると言っているだろう。私を寝具とでも思っているのか、前回も今回も手を出す以前に眠られた」
それを聞いてイヴは吹き出して笑う。
国王ともあろう者が手も出せず添い寝しているとは。
「清い関係であることは結構ですが、勇者宿舎での逢瀬は感心しませんな。転移や幻影を使える陛下が早々見られるとは思いませんが、勇者宿舎は警備が厳しいので万が一と言うことも」
勇者宿舎は王城と等しく警備が厳重。
ミシェルが簡単に訪れるため警戒がザルのように感じるが、大賢者の特殊恩恵を持つミシェルだから出来ること。
レオもまた、変身できる能力や姿を隠せる能力があるから見つからずに入れている。
「逢瀬か」
「まさか遊びだとでも?」
勇者を寵妃に迎えると言うのであれば歓迎されるだろう。
ただそれが遊びとなれば民の見る目は変わる。
例え民に慕われた国王であろうと精霊族の宝を十把一絡げのように扱えば大きな反発が起きる。
「理由を付け部屋に訪問することを逢瀬と言えるのかと思ってな。軽く酌み交しながら話した後は親と子のように共にベッドで眠るだけ。遊ばれているのは私の方かも知れない」
そう話してフッと笑ったミシェル。
不満のように言いながらも満更でもないその表情にイヴは『存外楽しんでいるようだ』と髭を撫でる。
「さあ国王に戻る時間だ」
侍従の訪問を報せるノックの音。
ミシェルはシエルから国王へと表情を変えた。
・
・
・
勇者宿舎では。
今日も時間通りに来たダフネは既に起きていた春雪に挨拶をしてすぐに湯浴みの準備をし、入っている間に掃除をしようと椅子にかけてあるストールを取りに行ってふと気づく。
テーブルに置かれている二つのグラス。
それだけであれば勇者一行の誰かが部屋に訪れたのだろうと考えただろうが、一緒に置いてある酒瓶が特別な物だった。
王家の紋章の入ったそれは王家のためだけに作られたお酒。
特別な物だけに買うことはできない。
ということは訪問者は王家の誰かだったと言うこと。
ドナ殿下かしら。
ダフネが真っ先に思い浮かんだのはドナ。
ただ、王子が宿舎へ来たとあらば護衛騎士や警備兵が仕えるよう起こしに来たはず。
昨晩は宿舎に泊まったに関わらず起こされていない。
また、今朝の報告でも訪問があったことを聞かされていない。
これは賢者さまにご報告が必要な事案。
けれど報告をすれば宿舎に無断で入ったことを咎められ、共に酒を酌み交わす機会もなくなってしまうのではないか。
一般国民であれば夜に気の合う友人と出かけて酒を酌み交わすことも何ら珍しくないこと。
ただ、勇者さまの外泊は許されていないため勇者宿舎しか飲む場所がないのもわかる。
二つのグラスを見つめて悩むダフネ。
仕える春雪の気晴らしの機会を優先するか報告を優先するか。
他の召使であれば迷わず報告をしただろうが、ダフネの春雪に対する忠誠心は強い。
「勇者さま」
「うん?」
魔法を使って掃除を済ませたダフネは風呂から出てきた春雪に意を決して声をかける。
「こちらのお酒は」
指紋がつかないようグローブをしたダフネが見せたのは酒瓶。
「あ、それ国王陛下から昨日のダンスのお礼に貰ったんだ」
「え?」
「飲みきれなかったから仕舞っておいてくれる?」
「承知しました」
陛下から下賜されたものだったとは。
貴重な物だからお酒を嗜まれる時政さまと楽しんだのね。
外部からの訪問ではなかったから自分に声がかからなったのだとダフネは独り納得した。
「朝食が済み次第、本日の祝儀の支度をいたします」
「分かった。よろしく」
悩みが解消されてスッキリ。
意を決して聞いて良かったとダフネは話題をすぐに変えた。
・
・
・
王都南区大聖堂。
大聖堂前の広場には続々と国民が集まる。
毎年この日に行われる祝儀。
教皇や枢機卿や神官たちが一年の平和を願い祈りを捧げるこの日、国民たちも広場で祈りを捧げることが通例。
今年通例と違うのは勇者が参加すると言うこと。
勇者たちと新年を祝えるとあって集まった国民の数も多ければ警備体制も厳重になっていて、広場に入る者には持ち物検査が行われ、広場に危険物がないかの確認なども入念に行われた。
そこまでされても勇者たちと共に祝いたい者で広場は溢れる。
子供からご老人まで、集まった人々は今か今かと祝儀の開始時間を待ち侘びていた。
正午を報せる鐘の音。
時間と共にまず大聖堂の左手側に姿を見せたのは王太子のマクシムをはじめとした王位継承権を持つ王子や王女。
新年を祝うに相応しい華やかな正礼装やドレス姿で現れた王子や王女に国民は歓声を上げる。
次に右手側に姿を見せたのは勇者と勇者一行。
王家と同じく華やかな正礼装やドレスを身につけた勇者たちに国民は見惚れ、一瞬静かになったあと大きな歓声をあげた。
この世界に来たばかりだった召喚の儀の時よりも堂々としたその様子に頼もしさを抱かずにはいられない。
最後に大聖堂の中心バルコニーに姿を現したのは国王と王妃。
白に金の刺繍を施したトガの上に真紅のマントと王冠という国王の正礼装姿のミシェルに国民たちは手を組み祈る。
若く美しく風格のあるその姿に。
『本日の晴れの日をみなと迎えられたことを嬉しく思う』
低音の落ち着いたミシェルの声。
魔導具を使い青空に響き渡るその声で人々は静かになった。
こうして聞いていると別人のようだ。
国民に話すミシェルの声を聞きながら思う春雪。
今たくさんの国民の前に立って話している国王が、つい数時間前まで自分と一緒に眠っていた人と同一人物とは思えない。
いや、間違いなく同一人物なのだけれど。
というか昨晩のあれはどう受け取ればいいのか。
昨晩がそういう気分だったから一緒に居た自分に迫っただけなのか、好意があると受け取ればいいのか。
好きだとは言われていない。
ただ、大切に思っているとは言われた。
シエルの好意は心許せる相手という意味での好意であって、昨晩のアレは生理現象での欲情だったんだろう。
その後は何事もなく眠ったのだから。
知識だけは豊富なだけに恋愛感情と性欲を別々に捉えている春雪らしい結論。
尤も恋愛感情がなくとも肉体関係を持てる者は男女ともに居ることが事実であり、実際ミシェルは既に責務として恋愛感情のない王妃と肉体関係を持ち世継ぎを遺しているのだから、心と体は別と考える春雪が昨晩の行為を『恋愛感情あってのことではない』と結論づけてしまうのも仕方のないことではあった。
春雪にはドナのようにハッキリ言葉にしなくては伝わらない。
だがミシェルが言葉にしないのは臆病と言うだけでなく、自分がもう妃を娶れないと分かっているからというのが大きい。
例え国王からの寵愛を受けているのが寵妃だとしても、身分ではやはり国母である王妃の方が上になってしまう。
性格に難のある三妃より下の身分になればどのような扱いを受けることか……という不安がミシェルがハッキリ春雪に想いを伝えられない何よりの理由。
『平和を願い神に祈りを』
ミシェルの話が終わると大聖堂の鐘が鳴って教皇と枢機卿と神官が一斉にフォルテアル神の像に祈りを捧げる。
広場に置かれた松明に魔法で炎が点火するそれを合図にして王家も勇者も国民たちも手を組み祈る。
この平和が長く続かないことは多くの者が分かっていること。
魔王復活を報せる赤い月は既に昇ったのだから。
少しでも長く平和な時間を。
若き勇者たちに勝利を。
神の慈悲を。
人々は去年までの祝儀よりも熱心に祈りを捧げた。
「え?」
「なに?」
祈りを捧げ始めて数分。
広場の一角で爆発音が鳴って美雨と柊が声を洩らす。
それと同時に爆発が起きた傍に居た者たちが悲鳴をあげた。
「聖堂内へ避難を!」
一瞬にして広場は大パニック。
勇者たちの護衛に付いていた騎士や魔導師はすぐに四人を大聖堂の中に避難誘導する。
「な、なんだったの?」
「何か爆発したよね?」
突然のことに怯えて柊の腕を掴んでいる美雨。
勇者たちの位置からは爆発音と悲鳴が聞こえただけで実際に見えてはいなかったが、国民が大パニックになったのだから祝儀恒例の催し物などではなかったことだけは間違いない。
「この状況でも祈っているのか」
「教皇と枢機卿だけは何があろうとも祈りを止める訳には行かないのです。大切な儀式の途中ですので」
祈りの声が聞こえて時政が呟くと魔導師が説明する。
「儀式よりも国民の命を救う方が重要ではないか?」
「成功させることが多くの国民を救うことになるのです。魔物から王都を護るための結界をはる重要な儀式ですから。神官たちは既に負傷者の確認をしているでしょう」
異界人からすれば新年にお参りをしたところで実際に何か変化がある訳ではないが、この世界で行われているのは王都に魔物が近付けないよう結界をはる儀式。
この日のために教皇や枢機卿たちは数ヶ月前から身を清め魔力を蓄えておかねばならないくらい重要な儀式なのだ。
話を聞いている間にもまた爆発音が小さく聞こえる。
「また」
「ご安心ください。大聖堂の中は幾重にも障壁をかけてありますので安全です。状況が把握でき次第伝達がくると思いますのでどうかそれまでここでお待ちください」
大聖堂の中が最も安全な場所。
だからこそ王家と勇者を真っ先に中へ避難させた。
騎士からそれを聞いた美雨は怯えつつもこくりと頷いた。
・
・
・
「ご報告いたします!」
国民たちに避難指示を出してから大聖堂の中に入ったミシェルの元に来た王宮騎士。
「爆発したのは若い男性だったとのことです」
「仕掛けられていたのではなく所持していたと言うことか?」
「広場に入る者には身分問わず手荷物と身体検査を行いましたので、恐らく体内に仕掛けてあったのではないかと」
その報告を聞いてミシェルは洩れそうな溜息を飲む。
たったひとつしかない大切な命をかけて自爆するとは。
「怪我人の数は」
「現在判明しているのは爆発があった周囲に居た数十名です。まずは避難誘導を優先して行っております」
広場は大パニックで人々が右往左往しているため、神官が治療を行おうにも危険で近付けない。
助けるつもりが下手をすれば二次災害になってしまう。
まずは無事な国民を避難させてから治療をするしかない。
「ご報告します!」
「なんだ」
「広場の中心部でも自爆と思われる爆発が発生しました!」
「なに?」
「避難誘導に従っていた国民に紛れていたために多くの負傷者が出ております!」
まだ一人目の騎士が報告の途中で二人目の自爆犯の報告。
「避難誘導を続けろ!」
「陛下!」
マントを外し王冠を外して再びバルコニーに出たミシェル。
『爆破犯へ告ぐ!言葉にしなければ私には届かんぞ!訴えたいことがあるのならば私に直接言え!』
放映石を通して広場に響いたミシェルの声。
広場で避難誘導をしていた軍人はもちろん逃げていた国民も国王が危険を犯して出てきたことに驚く。
「陛下!危険です!」
「下がっていろ!」
魔導師や騎士が来れないよう出入口を氷で塞いだミシェル。
「愚かな真似を」
「手をこまねいていては犠牲者が増える」
転移してきたのは広場で犯人を捜していたイヴ。
誰よりも護られなければならない国王が民を護るために危険を犯すのだから困ったものだ。
「障壁を」
周囲を確認しながらもイヴがミシェルに障壁をかけようとすると、避難する国民とは逆方向のこちらに向かって走ってくる数人の国民が目に入る。
「陛下!」
そのイヴの声に重なるように鳴り響いた発砲音。
不審な動きをした国民の内の一人が倒れた。
聞き慣れないその発砲音に驚いてバルコニーを見上げた国民たちが見たものは金色を纏った勇者の姿。
大パニックだった広場が恐怖を忘れたかのように静まり返る。
「春雪」
静かな静かな広場に響く二発目の発砲音。
バルコニーの手摺りに立って銃を構えているのは春雪。
ミシェルを狙って方向を変えた犯人の胸を正確に撃ち抜く。
『全ての爆破犯たちに告ぐ。既に誰が犯人かは分かっている。少しでも不審な動きをすれば自爆する前に撃つ。誰に何一つとして伝えらないまま無駄死にしたくなければ降伏しろ。これ以上罪のない国民を巻き込むことは許さない』
広場に響き渡る春雪の声。
左手には犯人に声を届けるための拡声石、右手には銃を構えたままそう宣言してまた一人撃ち抜いた。
勝てない。
そう察した犯人たち。
一般国民を装っているのに何故なのか勇者は分かっていて、自爆する時間も与えず仲間だけを撃ち抜いているのだから。
犯人の中には諦め両手をあげる者も居れば、自死を選びせめて周りを道連れにしようと自爆しようとして撃ち抜かれる者も。
宣言通りこれ以上周りを巻き込み道連れにすることも、自死を選ぶことさえも許されないのだと、犯人たちは絶望した。
『爆弾は腹の中にある。起爆スイッチは奥歯だ』
それを聞いたイヴとミシェルはすぐ広場に転移して降伏している犯人を時空間魔法で閉じ込め、同じく時空間魔法が使える魔導師たちも力なく座り込んでいる犯人を閉じ込めて回る。
『勇者さま!』
最期に勇者を巻き込んで自爆をと春雪に向かった犯人が二人。
国民の悲痛な声や悲鳴に重なって銃声が二発響いた。
願い叶わず倒れた二人。
動かないことを見届けた春雪が銃を消したのを見てこれで全員なのだと分かってミシェルがホッとしたのと同時に、国民は春雪に割れんばかりの歓声をあげた。
「ハラハラさせてくださいますね」
「すみません」
国民の歓声に会釈してバルコニーの柵から飛び降り大聖堂の中に戻った春雪を迎えたのはマクシムとセルジュとドナ。
「どうして犯人が分かったのですか?」
「光っていたからです」
「光っていた?」
「爆弾があるお腹と起爆スイッチがある奥歯辺りが」
最初はどうして光っている人が居るのかと分からなかったけれど、二回目の爆発音がした時にまさかと気付いた。
その後シエルの声が聞こえてきてすぐにバルコニーから広場を見ると避難する人とは反対方向に動いた人たちがみんな光っていて、爆弾を腹の中に埋めてあるんだと確信に変わった。
「春雪殿」
イヴの転移を使ってバルコニーから入って来たミシェル。
「国王陛下が危険な真似をするのは如何なものかと」
真顔の春雪から開口一番言われてミシェルは口ごもる。
「だからこそ国民から慕われているのでしょうが、みんなが心配していたことも胸に留めておいていただければ」
「ああ。心配をかけてすまなかった」
素直に謝ったミシェルに春雪はくすりと笑った。
「なぜ犯人が分かったのか聞かせて貰いたい」
「いま殿下方にも説明しているところだったのですが、犯人のお腹と奥歯の辺りの頬が光っていたからです」
「何かの能力が発動してのことか?」
「分かりませんが、最初にバルコニーに出た時から光っている人が居ることには気付いていました。どうして光っているんだと不思議には思いましたがまさか爆弾だとは思わず、犠牲者が出る前に止めることが出来ず申し訳ありませんでした」
春雪本人にもなぜ光って見えたのかは分からない。
人が光って見えるなど初めての経験だから、まさかそれが爆弾や起爆スイッチの位置だと気付けなかったのも当然。
「謝罪する必要はない。春雪殿のお蔭で犯人を取り逃がすことなく拘束することが出来たのだから。感謝する」
「光栄です」
春雪が居なければ犠牲者はもっと増えていただろう。
体内に埋められていては犯人が分からないからこそ、ミシェルも危険を犯し外に出て自分を狙わせようとしたのだから。
「春雪殿以外の勇者方は」
「グレースたちと大聖堂の奥に避難していただきました」
「そうか。勇者方が無事でなによりだ」
ミシェルに答えたのはマクシム。
春雪以外の勇者一行はバルコニーからでは役に立てなかった。
本人たちもそれが分かっていたからこそマクシムの指示に従って避難することを選んだ。
「私は失礼して三人のところへ」
「状況が落ち着き次第そちらへ伝達を送る」
「はい」
胸に手をあてミシェルやマクシムたちに礼をした春雪は護衛騎士に付き添われてその場を離れた。
「勇者の能力が多くの国民の知るところとなりましたね」
「ああ。だが春雪殿が気付いて動いてくれなければ被害は広がっていただろう。致し方ない」
剣や魔法ではなく特殊な能力を使う勇者。
その話を勇者に関わる者の中だけで止める事はもうできない。
けれど犯人が分かり自爆しようとすれば即座に屠れる春雪でなければ巻き込まれた多くの国民が命を落とすところだった。
「やはり彼は生粋の勇者ですね」
「困った御方だ」
そう話してドナとセルジュは苦笑した。
・
・
・
「大丈夫だよ!頑張って!」
大聖堂の出入口前。
巻き込まれて傷を負った国民に回復をかけながら声をかけるのは美雨。
「……聖女さま」
「すぐにかけるからね!少しだけ待っててね!」
グレースたちと避難したはずの勇者一行。
バルコニーからでは役に立てなくともここならば話は別。
彼らもまた大人しく避難しておける者たちではない。
「この者へすぐに回復を!傷が酷い!」
「はいっ!」
腕を失ってぐったりした国民を抱いて来たのは時政。
正礼装が血で汚れることも気にせず、寝かせた国民に神官がすぐに回復をかける姿を見て再び走って行く。
「先に魔法で止血を行っています!必ず全員に治療をするので落ち着いて待っていてください!傷には触らないように!」
柊は神官や美雨が回復をかけるまでの対処で時空間魔法を使い傷口の止血を行っている。
「治療のあいだ私たちがお子様をお預りしますわ」
「ありがとうございます」
「よしよし怖かったね。もう大丈夫だよ」
「フレデリク殿下」
「安心して治療を受けてください」
王女のグレースと第四王子のフレデリクも。
それぞれが自分のできることをして国民を救うことに必死。
王家や勇者が手を伸ばせば届く距離に居ても、懸命なその姿を見る国民たちの中に不届きな感情を抱く者はいなかった。
「柊!美雨!」
避難したはずの勇者一行が部屋に居ないことに気付いて護衛騎士と走って来た春雪は大聖堂前のその光景に唖然とする。
腕や脚を失っている人。
横になって血塗れで唸っている人。
息絶えた男性の隣に座って泣いている母親と子供。
怪我をしたまま両親の亡骸に抱きついて泣いている子供。
自分がもっと早く気付いていれば。
その想いが春雪の心を大きく揺さぶって自分の不甲斐なさに涙を落とした。
「え、え!?」
「なに!?」
空から舞い落ちる金色の粒。
美雨と柊の体が突然光り始めて二人は慌てる。
「美雨殿!柊殿!」
その光は新たな怪我人を連れて戻って来た時政にも。
「どこかで見たような」
「……あ!春雪さんだ!金色に光ってた!」
「ああ!そうだ!」
時政の呟きで思い出した美雨と柊。
聖剣を抜いた時に金色を纏った春雪の周りをキラキラと粒が舞っていた。
美しい金色の粒が降る空を見上げる者たち。
事切れそうな者も薄らと見えるその美しい光景に涙を落とす。
「……傷が」
怪我人の一人が呟きハッと我に返った者たちも自分の傷を見てあまりの驚きに声を失う。
まだ回復をかけて貰っていないのに、小さな擦り傷や出血していた傷までが塞がっていく。
「これは春雪殿の」
負傷者の治療に来たミシェルたち。
大聖堂の出入口の外で護衛騎士と立っている春雪の向こうには金色の光の粒が降っていて、イヴはつい先日見たばかりの光景を思い出してすぐに春雪だと気付いた。
走って外に出たマクシムとセルジュとドナ。
その光景に三人は息を飲む。
雪のように広場に降る金色の光の粒。
その光の粒が降り続く中、大怪我を負っていたんだろう血塗れの人も横にされていた人も傷が治ったことを喜んでいた。
「春雪さま!」
目の前の春雪の背中がフラリとしたことに気付いて声をあげたドナが隣の護衛騎士と一緒に春雪の体を受け止める。
「「春雪さん!」」
ドナの声で気付いた美雨や柊や時政も走って来て心配そうに春雪の顔を見る。
「美雨……助からなかった人のためにせめて祈りを。魂がこの場所に留まらず済むように……聖女の美雨にしかできない」
「分かった!」
力なく言った春雪の言葉を聞き美雨は立ち上がると手を組む。
「不条理に肉体を奪われた魂を神の身元にお導きください。生まれ変わって再び大切な人たちと出会えるように」
聖女だけが使える特殊な浄化魔法。
いつもより眩い光を放つその浄化魔法で既に事切れている者たちの体はまるで洗い清めたかのように綺麗になる。
事切れた者の傍に居る者たちもそれを見て美雨と共に両手を組むと再び出会うことを祈りながら涙を落とした。
・
・
・
「三人とも?」
「はい」
その日の夜イヴから報告を受けたミシェル。
「同じ時に覚醒したというのか」
「勇者方が言うには春雪殿のあの光の粒で覚醒したのではないかと。光の粒が降り始めてから三名とも体が光ったそうです」
覚醒を促す能力など聞いたことがない。
そのような能力を持つ者が居れば覚醒を望む者がこぞって押しかけてるだろう。
「聖勇者の能力と言うことだろうか」
「そもそも聖勇者という特殊恩恵に前例がありませんので断言は出来ませんが、ただの偶然では片付けられないかと」
勇者一行が同時に覚醒するなど常識では考えられない。
誰か一人というならまだしも三人とも一緒にだったのだから。
「春雪は熟々戦の女神のようだと思わされる」
「ええ。金色を纏い自ら戦に立ち、時に戦い時に癒す。まさしく教典に描かれた戦の女神そのものですな」
しかも戦の女神は半陰陽。
多くの者が目にする教典には書かれていないが、王城にある原本には魔神から創られた大天使でありながら精霊族の味方についたと書かれている。
「春雪の様子はどうだ」
「変わらず眠っておられます」
「……そうか」
あのあと意識を失った春雪は眠ったまま。
魔法検査では異常がないのにこの時間になっても目覚めない。
「それほど疲れていたのかと。じきに目覚めるでしょう」
「ああ。それまでは厳重な警備を」
「承知しました」
春雪が運ばれたのは王城の一室。
勇者宿舎にも治療室はあるが、意識のない春雪の看護をさせるには半陰陽という秘密を知られてしまう可能性があるため、王城でイヴが治療をすることにした。
「陛下も今日はもうお休みください。明日も早いのですから」
「そうさせて貰おう」
明日は王家と勇者が揃って朝食を摂る予定。
その後は公爵家が集まり会談を行って夜は晩餐会と続く。
襲撃を受けて負傷者や犠牲者を出した翌日であろうとミシェルは変わらず国王の務めをしなければならない。
全ての国民の生活を護ることが国王の役目なのだから。
イヴが部屋を出たあと月を見上げてミシェルは溜息をつく。
新たな年を迎えた日に起きた事件。
魔物の異変が始まった今年だからこそ、平和を祈る祝儀がこうなってしまったことが悔やまれる。
この平和はもう長く続かないと言うのに。
駆け足で近付く天地戦までの期間。
この世界の身勝手な都合で召喚された若い勇者一行を、愛しい者を過酷な戦地に送り出す日が近付いていることに胸が痛んで胸元の衣装をギュッと握った。
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まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。
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