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第零章 先代編(中編)
成年舞踏会
しおりを挟む「陛下」
「フレデリク。二人はどうした」
「勇者さま方と一緒に。少々お話が」
玉座に戻ったフレデリクは警備に着いているイヴへと先に頭を下げ、周りには会話が聞こえないようミシェルに近づく。
「勇者さま方がご挨拶はどうしたらよいかと」
「挨拶?」
「爵位がないので名乗りが出来ないと迷っていたようです」
「そうか。たしかに」
特級国民ではあっても勇者たちには爵位がない。
勇者として人前に出る時は名前だけで充分だが、正体を隠して貴族家の舞踏会に参加しているとなると困るのも当然だった。
「やはり爵位を授けるべきですな」
「そうしよう。与えるに相応しい功績はある」
四人はオリビンボアを討伐したりこの世界に異界の知識を広めてくれたりと、国に貢献してくれている。
春雪に関しては別件で他国との話し合いが進んでいるが、勇者一行の三名も同時に爵位を授けた方が良さそうだ。
「勇者方には挨拶は不要と伝えて欲しい」
「承知しました」
「マクシムたちとは会ったか?」
「はい。みんな勇者さま方の所に居ます」
「みんな?」
珍しい。
強制的に参加する行事で揃うことはしても、兄妹で集まることなど今までなかったと言うのに。
「そうか。存分に楽しむといい」
「ありがとうございます」
珍しく父上が穏やかな笑みを。
兄妹が揃うことを喜んでくれているのだとフレデリクも嬉しくなって笑みで感謝を伝える。
「では失礼いたします」
最後に母の三妃をチラと見たフレデリクは、あのあと父上から注意を受けたのだろうと表情を見て気付きつつも見て見ぬふりで離れた。
「勇者方のお蔭で関係性が良い傾向になりつつありますな」
「ああ。年の瀬に喜ばしい報告を聞けて良かった」
王位継承権を持つ者同士とあって仲睦まじくとは難しいことだと分かっているが、今までは他人のようだった兄妹が命じられることもなく集まっていることは大きな変化と言える。
勇者方に感謝せねば。
・
・
・
『…………』
ひと足先に来ていたマクシムとグレース。
ひと足遅れて来たセルジュとドナ。
四人は無言で固まる。
「殿下方へご挨拶申し上げます」
ドレスを摘みフワリと姿勢を低くしてみせた春雪。
時政と柊と美雨もフレデリクの時と同じく春雪に続いて丁寧に挨拶をする。
「勇」
「春雪さまなの!」
「メッ!」
春雪を見てつい口にしそうになったマクシムを双子が止める。
「そ、そうだったな」
動揺しながらマクシムは双子の頭を撫でる。
「春雪さまお美しいですね。どなたか分かりませんでした」
「ですよね!そういう反応になりますよね!」
「美雨。まだ挨拶中」
ほうっと見惚れるグレースに、グレースと親しくなった美雨は笑いながら言って柊から咎められる。
「こちらこそすぐに返せず御無礼を」
マクシムが胸に手をあて挨拶を返し、グレースとセルジュとドナも遅れて挨拶を返した。
「グレースさん、やっぱりそのドレスも似合ってる」
「美雨さまもよくお似合いです。悩んだ甲斐がありましたね」
早速グレースに話しかける美雨。
金色宮殿で今日と明日のドレスをああでもないこうでもないと悩みに悩んで決めたとあって、二人によく似合っている。
「お待たせしました」
少し早足で戻ってきたフレデリク。
「やはりご挨拶は不要とのことです」
「左様ですか。お手数をおかけしました」
「お役にたちましたなら光栄です」
不要と聞いてホッと胸を撫で下ろす四人。
さすがに不敬になるのではと悩んでいたため、フレデリクが確認に行ってくれて本当に助かった。
「兄さんたちとドナはどうしてそのような遠くに?」
『いや』
グレースは既に美雨の隣に居るのに何故か距離を置いているのを見てフレデリクが聞くと、三人は同じ返事を返す。
「分かります。複雑な心境になりますよね」
独り三人の気持ちが分かって拳を握る柊。
男性なのに美し過ぎる春雪に複雑な心境になるのは分かる。
ただし同じ心境なのはセルジュだけで、春雪が半陰陽と知っているマクシムとドナは単純に春雪を美しいと思っている。
「春雪さま、ダンス踊ろ?」
「私も踊る!キラキラする!」
大人の云々など双子には知りもしないこと。
オペラグローブをしている春雪の手を掴み両側から引っ張る。
「ロザリーとリーズは春雪さまが大好きですのね」
「私も少し驚いている。話したことがないはずなのに」
微笑ましく見ながら言うグレースにフレデリクは首を傾げる。
晩餐会で顔は合わせたもののそれ以降は特に接触もなく、懐くような会話すらもする機会がなかったと言うのに。
「春雪さま綺麗なの」
「金色キラキラで綺麗なの」
それを聞いたマクシムとセルジュとドナはハッとする。
その『金色のキラキラ』に思い当たる節があって。
双子も眼を持っているのではないだろうか。
「春雪さん、ここはダンスの練習の成果を発揮する時」
「小さな子とのダンスなんて習ってないし」
「大丈夫!天使ちゃんが絡めば何でも微笑ましくなる!」
「「なる!」」
「ぎゃぁぁ可愛いぃぃ!」
サムズアップした美雨を真似た双子とその可愛さにメロメロの美雨を見て柊や時政は苦笑する。
けれどその普段と変わらない美雨の明るさが場の空気を良いものにしていることは間違いない。
「駄目?」
「ダンス嫌?」
「分かりました。では私に教えてくださいますか?」
「教えるー!」
「わーい!」
くりくりの大きな目で見上げられた春雪は根負けして苦笑し、双子から手を引かれる。
「春雪さま、ご迷惑では」
「いえ。初めてのダンスのお誘いですので光栄です」
「初めてがロザリーとリーズで申し訳ございません」
申し訳なさそうに謝るフレデリクに春雪はクスっと笑った。
「なにかあったのか?」
「騎士は動いておりませんが」
演奏は続いているのにダンスを辞める者が見受けられる。
その者たちの顔が同じ方向を向いていることに気付きミシェルもその方向を見て口に運びかけていた銀杯を止める。
「あれは」
「まあ。ロザリー、リーズ」
ダンスフロアで踊る双子と女性。
双子は女性の手をとりクルクル回ったりリズムを刻んだり。
「ほう。これはまた愛らしい」
そう言って髭を撫でたイヴ。
なにかあったことは間違いないが、そのなにかは悪いものではなく愛らしい双子と女性を微笑ましく見ている視線だった。
「どちらのご令嬢だったかしら」
「あのご衣装は春雪さまですな」
「……勇者さまですの?」
イヴから聞いて驚く三妃。
勇者がどのような衣装で参加しているかは三妃はもちろん国王のミシェルも知らなかったこと。
挨拶も不要と断ったため春雪がドレス姿なことを今知った。
「勇者さまは女性だったのですか?」
「勇者については王妃殿下にもお教えすることは出来ません」
春雪にドレスを着させたのはイヴの企み。
治療で子を成すことが出来るのならば、春雪が選んだ相手次第で女性としてでも男性としてでも王家に迎えることが出来る。
願わくばミシェルを選んで欲しいと思うが、そればかりは強制することが出来ない。
全ては未来を見据えてのこと。
ミシェルと春雪がどの道にも進めるように。
天地戦に行けば二度と帰ることはないイヴからの、ミシェルと春雪にできるせめてもの置き土産。
「みな楽しんでいるのに止めて雰囲気を壊さぬようにな」
扇で口許を隠し傍に控えている侍女に耳打ちしていた三妃をミシェルは顔を見ることもなく先読みして止める。
「固さのあった成年者たちも緊張が解れたようだ。今日の舞踏会は成年者を祝うために開かれたもの。主役は彼らだ」
作法に則ったダンスではなくとも幼い子供たちが楽しそうに踊っているのだから、ダンスを間違わないようにと緊張していた令嬢や子息たちも肩の力が抜けた。
「フレデリクもロザリーもリーズもあのように楽しそうにしている姿を初めて見た。母ならば自分の都合で子の行動を制限させ笑顔を奪うような真似はせずに見守ってやったらどうだ?」
ミシェルから咎められて三妃はギリっと歯を食いしばった。
「みんなも踊るの?」
「うん!せっかく習ったからね!」
「みんなと一緒!」
眺めていた兄や姉や勇者たちも加わって双子は大喜び。
柊と美雨が組み、グレースは時政と組む。
「みんな交換ね。春雪さんはまず殿下方と踊ってね」
「美雨さま」
「ん?」
「男性の春雪さまに女性パートは無理なのでは」
コソッと美雨に耳打ちしたグレース。
男性と女性では踊りが違うのにどう踊るのかと。
「あ、大丈夫だよ。春雪さんは私たちの先生だから」
「先生?」
「どちらも覚えてるから私たちの練習に付き合ってくれたの」
「まあ。ダンスの講師のようですね」
「そうそう。だから誰とでも踊れる」
美雨から聞いてグレースは感心する。
女性式の挨拶もダンスも美雨の練習を見て覚えたもの。
真似るのが得意な春雪の特技とも言える。
「ロザリー、リーズ。少し春雪さまを借りても良いかい」
「いいよ!私はドナ兄さまと踊る!」
「私はセルジュ兄さまと踊る!」
楽しそうな双子の頭を撫でたマクシム。
「兄さまはドナ兄さまの後ね!」
「私も踊らないといけないのか」
「一人だけ逃げるのは狡いだろう。兄さんも双子と踊るのに」
「振り回さないよう頼みます」
「力加減くらいは弁えている」
セルジュとドナとフレデリクの会話にみんなクスクスと笑う。
それを見上げている双子の表情も嬉しそう。
兄妹が集まってこのように和やかな時間は初めてのこと。
機会を与えてくれた勇者方に感謝しなくては。
「では改めて春雪さま。まずは私と踊ってくださいますか?」
「光栄です」
跪いて手を差し出したマクシムに春雪は微笑して手をとる。
見目麗しい王太子と見目麗しい令嬢のその姿はまるで絵画のようで、成年者たちも美しいその光景に見惚れていた。
「春雪さま、ありがとうございます」
「え?」
オーケストラの演奏に合わせて踊りながらお礼を言ったマクシムに春雪は小さく首を傾げる。
「愛らしい踊りで緊張が解けて成年者も楽しそうです」
「それは私ではなく姫殿下に。この通り私は無愛想ですので」
マクシムの手を取り綺麗なステップで踊る春雪の顔は真顔。
たしかに表情だけ見れば無愛想とも言えるが、だからこそ時々見ることの出来る笑みに惹かれる。
「これが双子と春雪さまだったから和んだのです。もし今のようにセルジュと踊っていたら反応に困ったでしょう」
そう言われてチラとセルジュを見て春雪はクスっと笑う。
「不器用な方ですからね。本当はお優しい方なのに」
それを聞いて複雑な心境になるマクシム。
セルジュに抱いていた印象は自分の偏見だったのではないかと思えるくらいには少しセルジュに歩み寄れた気がするが、春雪がセルジュを褒めるのは面白くない。
「はぁ」
「踊りが間違っておりましたか?」
「いえ。自分の器の小ささを嘆いただけです」
不思議そうな表情の春雪にマクシムは苦笑する。
春雪が半陰陽と知らなければセルジュとドナと春雪の関係性に嫉妬することなどなかったのだろう。
「ありがとうございました」
「こちらこそ」
曲が終わり名残り惜しく手を離したマクシムは美しいボウアンドスクレイプをして、春雪もカーテシーで返す。
生まれた時から貴族家の令嬢として育ったと錯覚するような見事なカーテシーを見たマクシムは『そうであればどんなに良かったか』と温もりのなくなった自分の手をぎゅっと握った。
「お疲れではないですか?」
「大丈夫です」
「では私とも一曲お願いします」
「光栄です」
間髪入れずのダンスになる春雪を気遣い確認したセルジュに、春雪は笑みで答えて手を取る。
勇者だけで練習した時にも三人の相手を務めていたためまだ余裕はある。
「性格が出ますね」
「性格?」
踊り出して少しすると春雪がクスクス笑う。
「マクシム殿下はダンスのお手本のように丁寧でしたけど、セルジュ殿下は動きが大きくて荒々しい」
「踊り難いですか?」
「いえ。幸いにも身長はあるので加減していただかなくともまだ付いていけますよ」
可愛らしい挑発にセルジュも口許を笑みに変える。
たしかに春雪の手足の長さであれば貴族家のご令嬢のように気遣わずとも付いてきてくれそうだ。
「ではお言葉に甘えて」
「はい」
そっと掴んでいた手のひらを固く掴み直したセルジュ。
遠慮することなくステップを踏んでもしっかりと合わせてくる春雪に嬉しくなる。
「このように加減なく踊ったのは初めてです」
「女性とは今まで通り優しく踊ってくださいね」
「そうしましょう」
そう話して二人は笑いあった。
「春雪さまとセルジュ兄さま凄いの」
「キラキラなの」
マクシムの時とは打って変わって迫力のあるダンス。
フレデリクやマクシムと踊っている双子は興奮気味。
セルジュのリードの上手さと大きな動きに合わせられる春雪の技術があってこそのもの。
「セルジュ兄さんはダンスが得意だったのですね」
「私も知らなかった」
「いつもは相手に合わせて加減してただけです。昔は一緒にダンスの練習を受けていましたから上手いことは知ってました」
驚くフレデリクとマクシムにそう話してドナは苦笑する。
「ドナ兄さまもお上手ですよ?」
「ありがとう」
パートナーになっているグレースからのフォローにドナはまた苦笑した。
「休憩を挟んだ方が良いのでは」
セルジュの次はフレデリク。
女性のグレースを抜いた王位継承順。
「数分の間は挟んでますので大丈夫です」
一曲終えたあと次の曲に入るまで数分間の間があく。
その間に踊る人や踊り終えた人が移動したり出来るように。
「私より姫殿下の体力が底なしかと」
「若さですかね」
「フレデリク殿下もまだ十七なのに」
移動の必要がない春雪とフレデリクは休憩しつつ、まだまだ元気いっぱいの双子を微笑ましく眺める。
「時政さんと柊と美雨が見知らぬ人と居る」
「子息や令嬢たちも入り乱れてますので」
「いつの間にか人混みに」
パートナーが決まっていて順に踊っている春雪が今更気付いて驚いた様子を見せてフレデリクはクスクス笑う。
「毎年この舞踏会は王家全員が参加するのですが、今年は昨年までとは違って成年者たちが楽しそうなのがホッとします」
「いつもは違うのですか?」
「王家の前で踊るのは緊張するのでしょう。そのうえ王子や王女と踊らせようとするご両親が後ろに控えておりますので」
「納得しました」
裏事情を話すフレデリクも聞く春雪も苦笑。
成年を祝う舞踏会は一生に一度しかないのに、親の企みに左右されてしまう子息やご令嬢も大変だ。
「そういう訳で、今年は私たちも春雪さまが踊ってくださって助かっております。どうぞ私とも一曲お付き合いを」
「喜んで」
丁寧に挨拶を交わしたフレデリクと春雪も手を重ねた。
「今年は素晴らしい舞踏会になりましたわね」
「ああ。子供たちが心から楽しんでいるのが伝わる」
成年したばかりの我が子を見守る両親。
今日は大人の企みなど子供に押し付けるべきではなかった。
成年を祝う舞踏会で主役が楽しまなくては意味がないと、楽しそうに踊る子供たちを見て両親たちもそれに気付いた。
「ところで陛下は今年誰と踊るのかしら」
「マリエル妃と踊るのではないか?」
「毎年アルメル妃と踊っていたからマリエル妃は初めてね」
「そう言われてみれば私も見たことがないな」
「でしょう?楽しみね」
「ああ」
国王と王妃が踊るのは毎年のこと。
二妃と一曲踊るのが恒例で、王城の舞踏会でしか見ることのない見目麗しい国王のダンスを楽しみにしている成年者も多い。
ただ今年は二妃が体調不良を理由に欠席。
そうなると必然的に三妃が踊るのではという結論になるのも当然の流れだった。
王家の王子とのダンスも最後。
王位継承権第五位のドナ。
王家の男児の中で一番継承権の低い王子。
研究にしか興味がなく、身形に無頓着で長い前髪に白衣姿。
気弱で無口で頭脳以外は全てが平均値。
容姿端麗で存在感のある王家の中で唯一印象に残らない王子。
それが国民たちの印象……だった。
「春雪さま」
オペラグローブの上から令嬢の手に品よく口付ける第五王子。
いつもは垂らしている長い前髪を留めた第五王子は美形。
二妃よりも深く濃い紅色の瞳も美しい。
その容姿にも初めてまともに顔を見せたことにも人々は驚く。
「今日もお美しい」
「そう言われると複雑です」
眉を下げた春雪にドナはくすりと笑う。
「どのような姿の春雪さまでも愛おしいです」
そう耳打ちされて春雪はほんのり顔を赤らめる。
ああ、これは。
二人を見ていて多くの者が察する。
見目麗しい令嬢は第五王子のイイヒトだったのかと。
ご令嬢の前だから素顔を見せるのかと。
ドナと春雪に交際している事実はない。
だからこれはドナの牽制。
自分のものだということを人々へ植え付けるために。
「春雪さま、一曲踊っていただけますか?」
「光栄です」
手を重ねた春雪の手の甲にドナは再び口付けた。
舞踏会を眺めるミシェルの視線は一点に向かったまま。
まるで恋人同士のように親しげな様子で踊るドナと春雪に。
「陛下と王妃殿下は踊らないのですかな?」
ミシェルの視線の先に気付いて声をかけるイヴ。
「光栄なお話ですが、脚が痛むので今回は辞退いたします」
「おや、そうでしたか。回復をおかけしましょうか」
「いえ、式典疲れだと思いますわ」
「朝からお忙しかったですからな。拝見できず残念です」
実は三妃はダンスが得意ではない。
プライドが高い三妃が苦手分野を知られることは避けたいだろうから断るだろうと最初から分かっていて言ったのだか。
ダンスに関してだけは二妃の方が得意で、毎年この日にはミシェルと二妃が踊ることが恒例になっていた。
「しかし王妃殿下が踊れないとなると困りましたな。そうするものと考えておりましたのでパートナーをご用意しておりません。この舞踏会で陛下が踊ることは毎年のことですので、自分たちの年だけないのかと成年者たちはガッカリするかと」
三妃は何かと理由をつけて踊らないと分かっていたために今年は踊らずに居る予定でいたが……イヴめ。
春雪にドレスを着るよう促したのはお前か。
「急遽になりますが、どなたかお誘いしては如何でしょうか」
「陛下が民をお誘いするなど」
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「ええ。そうした方がよろしいかと」
例え仲睦まじいドナと春雪の様子に複雑な心境を抱いていようとも、楽しそうな成年者や愛児の邪魔はしたくないと言うのもミシェルの本音だった。
双子との戯れ含め連続で踊った春雪は一旦戦線離脱。
日頃の訓練の賜物か体力的には問題ないが、慣れないヒールで踊ったために脚が痛い。
「レディ。お飲みものは如何ですか?」
「えっと」
「鑑定はかけてございますのでご安心を」
「……ああ。ありがとうございます。いただきます」
コソッと言ったボーイをよく見れば騎士団の団員。
ボーイを装って護衛をしているのだと分かって安心した春雪は冷たいスパークリングワインを受け取る。
「脚を痛めましたか?」
「いえ。ヒールで踊って少し赤くなっただけです」
「王宮医療院で治療を」
「大丈夫です。治まらなければ美雨に回復をかけて貰います」
「各所に護衛がおりますので何かあればお声がけください」
「はい。ありがとうございます」
軽く頭を下げた団員に春雪も軽く会釈で返した。
参加している人に必要以上の威圧感を与えないよう配慮しているのか、普段の騎士の鎧を着ている団員とボーイに扮した団員に分かれてしっかり警護されている会場。
年末年始関係なく働いている騎士たちには頭が下がる。
休憩しながら眺めるみんなは楽しそう。
いや、殿下たちは大変そう。
ご令嬢たちと話したり踊ったりで。
自分だったらあのように囲まれては堪えられそうにない。
あれ?また前髪をおろしたのか。
ダンスの邪魔になるから留めたのかと思ったのに。
ご令嬢とダンスを踊っているドナを見て再び前髪がおりていることに気付いた春雪は独り首を傾げる。
勇者の四人には前髪を止めているドナの方が見慣れている。
何故なら勇者と王子が顔を合わせる機会は晩餐会や今回の舞踏会のように軍人が動く行事くらいのものだから。
個人ではなく王子として人前に出るのに髪はそのままなどと言うことがあるはずもなく、しっかりセットされている。
ただ、普段から親交のある春雪は半々。
宮殿で会った時には前髪をあげていて、ギルドで依頼を受けたりと宮殿から出る時にはおろしている印象。
あまり顔を出したくないのだろうと思う。
研究者になるため自分の能力も隠しているような人だから、あえて顔が見えにくいようしているのも目立たないためだろう。
春雪の前では分かりやすい求愛をするドナ。
恋愛沙汰に慣れていない春雪は度々焦らされているが、真っ直ぐに好意の伝わるそれが嫌ではない。
この人は敵ではないと肩の力を抜いて接することができる。
友愛と恋愛の狭間。
いや、ゆっくりながら恋愛寄りになりつつある。
尤も春雪本人はそのことに気付いていないが。
「春雪さん、ただいまー」
「おかえり」
ドナの牽制で子息たちが声をかけ難くなったお蔭でゆっくり休憩していると、みんなも戻って来て賑やかになる。
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「あら。私もお見かけしたことがないと思っておりましたの」
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「ああ。気さくに話してくださる方々だった」
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「賢者のご親族とお話しできたとはよい経験になった」
「私も踊っていただけたことを忘れませんわ」
「羨ましい。私ももっとお傍に行けば良かった」
実は賢者の親族と親交するより貴重な体験をした令嬢と子息。
精霊族の宝である勇者一行と親交を持ったことを本人たちが生涯知ることはない。
舞踏会も中盤。
オーケストラが交換するためダンスも暫し休憩。
「春雪さん、化粧直しに行こ?」
「え?俺も?」
「だってお化粧してるでしょ」
「取れてる?」
「飲んで食べてしてるんだから口紅が薄くなってる」
「そっか」
誘ったのは美雨。
春雪の化粧はダフネが元より薄化粧で済ませたため目立ちはしないが、中盤のこの時間が男性も女性も身形を整える時間となるため今のうちに直す必要がある。
「私が同行しては御無礼になりませんか?」
「ええ。私たちは貴族家とは別室になりますので」
「そうですか。では問題ないのであれば」
「私どもも今の内に身形を整えに参りましょう」
「「はい」」
時政と柊はマクシムたちと王家の男性用控室に。
春雪と美雨はグレースや双子と女性用控室へ行く事になった。
・
・
・
「あら?」
控室が隣同士のため全員で向かうと男性用控室の前にはイヴ、女性用控室の前には侍女と護衛騎士が付いていてグレースが声を洩らす。
「父上のお支度中でしたか」
「どうぞご入室を。来たら入室させるよう言われております」
「ではお言葉に甘えて」
男性用控室の方はミシェルが先に指示してあったためすんなりと話が進む。
「マリエル妃がお支度中ですか?」
「ええ。終わるまでお待ちください」
「わかりました」
女性用控室の方は侍女から入室を止められる。
「私の記憶違いだろうか。そこはマリエル妃個人の控室ではなかったはずだが姫殿下や勇者方をお待たせするとは何事だ?」
様子を見て口を挟んだのはイヴ。
国王のミシェルが王子や勇者方の入室を許可しているのに、王妃の方は独占して王女や勇者方を待たせるなど言語道断。
「ミシオネールさま、私たちはお待ちしますので」
「グレース。ただ指示に従うことが美徳ではない。専用の控室ではないのに拒むことが無礼だからミシオネールさまが注意をしている。王家の王女であれば正しい判断を心がけるよう」
「申し訳ございません」
マクシムに注意されてグレースはスカートを摘み頭を下げる。
そんなにキツく言わなくて良いのにと思う美雨とは反対に、少し距離感が改善されているなと思った春雪。
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「なんの騒ぎだ」
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「私に知られた途端に侍女に責任を擦り付けるとはそれが国母のやることか。もっとマシな言い訳を考えろと伝えておけ」
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侍女ではなく召使ですが。
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エステルたちにとってはその方がありがたいことだった。
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「はい」
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「話がある」
「私にですか?」
「ああ、頼みがあるのだが先に支度を済ませてからにしよう」
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「承知しました。では後ほど」
「どこへ行く?」
「え?支度に」
「そちらは……」
ああ、そうか。
今日はドレスを着て化粧もしているから女性用控室に。
「時間がないのに引き留めてすまなかった。後で話そう」
「はい」
支度の時間は限られている。
それでなくとも三妃が控室を占領して時間が押したのに、ゆっくり話している時間はない。
王子や勇者を先に控室に入らせたミシェルは可哀想にも青ざめている三妃の侍女たちを見て再び溜息をついた。
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お姉ちゃんの秘密の悩みです。

備蓄スキルで異世界転移もナンノソノ
ちかず
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久しぶりの早帰りの金曜日の夜(但し、矢作基準)ラッキーの連続に浮かれた矢作の行った先は。
見た事のない空き地に1人。異世界だと気づかない矢作のした事は?
異世界アニメも見た事のない矢作が、自分のスキルに気づく日はいつ来るのだろうか。スキル【備蓄】で異世界に騒動を起こすもちょっぴりズレた矢作はそれに気づかずマイペースに頑張るお話。
鈍感な主人公が降り注ぐ困難もナンノソノとクリアしながら仲間を増やして居場所を作るまで。

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
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この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

異世界召喚でクラスの勇者達よりも強い俺は無能として追放処刑されたので自由に旅をします
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クラスで授業していた不動無限は突如と教室が光に包み込まれ気がつくと異世界に召喚されてしまった。神による儀式でとある神によってのスキルを得たがスキルが強すぎてスキル無しと勘違いされ更にはクラスメイトと王女による思惑で追放処刑に会ってしまうしかし最強スキルと聖獣のカワウソによって難を逃れと思ったらクラスの女子中野蒼花がついてきた。
相棒のカワウソとクラスの中野蒼花そして異世界の仲間と共にこの世界を自由に旅をします。
現在、第三章フェレスト王国エルフ編
月が導く異世界道中
あずみ 圭
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月読尊とある女神の手によって癖のある異世界に送られた高校生、深澄真。
真は商売をしながら少しずつ世界を見聞していく。
彼の他に召喚された二人の勇者、竜や亜人、そしてヒューマンと魔族の戦争、次々に真は事件に関わっていく。
これはそんな真と、彼を慕う(基本人外の)者達の異世界道中物語。
漫遊編始めました。
外伝的何かとして「月が導く異世界道中extra」も投稿しています。

無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
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ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
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一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。
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