ホスト異世界へ行く

REON

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第零章 先代編(中編)

反抗

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緋色カルマン宮殿の護衛騎士に付き添われて宿舎に戻った春雪。
出迎えたのは有識者たちと、と呼ばれる勇者の生活や教育に関わる任に着く者たち。

「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」

胸に手をあて頭を下げて謝罪する春雪。
出入口から入ってすぐのその光景を宿舎の警備兵や使用人たちはハラハラとしながら見守る。

「護衛を付けず外出することは禁止しているはずですが?」
「はい。反省しております」

規則を破ったことは言い逃れできない事実。
ルールを破れば怒られて当然だと春雪本人も理解している。

「だから私どもは特例など反対したのですがね。一度例を作ってしまえばあれもこれもと欲が膨らむのですから。他の勇者方まで要望を言い出したらどうするおつもりなのか」

やれやれと言うように呆れ声で言う有識者。

「良いですか?私どもは勇者さまのために申しているのです。勇者さまはこの世界では幼子と変わらないのですよ?この国の歴史すら知らないのですからね。勇者が外に出ることがどれほど危険なことか危機感がないから苦言を呈しているのです」

世話役の苦言にも春雪は黙って頭を下げたまま。

「私どもがどれほど勇者さまを大切に思っていることか。宿舎に居ることが一番の身を守る術だとご理解いただきたい。ここにさえ居ればいつでも私どもが守れるのですから」

それは使用人から見ても異様な光景。
数十名の有識者や世話役がまだ若い勇者一人の前に並んで次々に責めたてているのだから。

「宮殿護衛。殿下方は参られていないのか」
「おりません」

春雪を護衛してきた騎士に問う有識者。
送り届けたことを宿舎の護衛騎士に報告しなくては戻れないためまだ春雪の後ろに着いていた。

「何故来ていない。護衛に任せて後は知らぬ振りか」
「恐れながらお言葉が過ぎるかと」
「真実だろう。伝達もなく勇者を拘束するなど」
「それは殿下方への侮辱と看做しますが」

腰に帯刀した剣のグリップに手をかけた二名の護衛騎士。
新しく緋色カルマン宮殿に配属された護衛騎士たちの王子に対する忠誠心は高い。

「おい」
「すぐに」

様子を見ていた警備兵がこっそり仲間の警備兵と話して一人はその場を走って離れた。

「全ては衝動的に行動した私の責任です。殿下方や緋色カルマン宮殿に仕える者に非はございません。殿下方を侮辱する発言や職務を全うする彼らへの譴責けんせきはお辞めください。叱責しっせきは私一人に」

王子に非がある言い方をされては宮殿護衛が怒るのは当然。
それが事実であればまだしも、俺が飛び出して来たことを二人が知ったのは後からだったのだから。

「私の所為で殿下方まで巻き込んでしまい申し訳ありませんでした。二度とこのようなことのないよう自粛いたします」
「お顔をあげてください」
「勇者さまが謝ることではありません」

後ろに居た宮殿護衛の方に向き直した春雪は深く頭を下げる。
その行動にギョッとした宮殿護衛たちはグリップから手を離し春雪の行動を慌てて止めた。

「勇者に頭を下げさせるとは」
「これだから緋色カルマン宮殿の者は信用ならないのだ」
「黙れ」

有識者や世話役の発言で深く頭を下げていた春雪がゆらりと頭を上げて振り返る。

「お前たちはいつから殿下方を侮辱できる身分になったんだ?いつから俺に命令できる身分になった?俺に頭を下げさせたのは誰だ?信用ならないのは誰だ?どの面下げて言ってるんだ」

その静かながら威圧感のある声と表情に有識者や世話役はぐっと口を結び、成り行きを見守っていた使用人たちも初めて見る勇者の姿に身震し誰に命じられた訳でもなくその場に跪く。

「俺が怒りを買うことは当然だと思って黙って聞いていれば、他の勇者まで要望を言い出したらどうするだとか、この世界では幼子だとか、どれだけ俺たち勇者を舐めてるんだ?聞こえのいい言葉を利用して俺たち勇者の自由や意志を奪って自分の意のままに操りたがるお前たちには心底吐き気がする」

数々の発言に腹が立たなかった訳ではない。
でも自分が悪かったと思っているから甘んじて受け入れていたと言うだけで、侮辱される謂れのない人たちのことをここまで言われてはさすがに黙っていられない。

「勇者のために言ってる?大切にしてる?笑わせるな。魔王にとどめを刺せる勇者が天地戦前に死んだら困るだけの自分たちの都合だろう?死なせないよう軟禁しようと俺たちが行かないと言えばそれで終わりだろうに、敵に回すとは馬鹿なのか?」

これが勇者の本当の顔。
心を失くした者のように生気のない冷ややかな目で有識者や世話役を見ている。

「召喚された時に承諾したのは魔王の討伐に行くことだ。勇者教育を受けることや行動を制限されることは承諾してない。学びの場も住居も待遇も陛下の心遣いだと受け取ってありがたく身を置かせて貰ってるだけで、今ここで俺たち勇者が王都を去ったところでこの世界の人から文句を言われる筋合いはない」

引き受けたのは魔王の討伐。
それ以外のことは承諾していない。
そのことを忘れて貰っては困る。

「護衛ありがとうございました。私がお二人に付き添われ戻ったことは周知のことですので宮殿へお戻りください。セルジュ殿下とドナ殿下へ楽しい時間でしたとお伝えください」
「「承知しました」」

改めて宮殿護衛の方を向いて胸に手をあてた春雪。
二人に向けたそれは支配者としての風格のある姿で、宮殿護衛の二人も胸に手をあて敬礼で返し勇者宿舎を出て行った。

「俺の部屋には誰も来るな。誰とも会いたくない」

有識者や世話役と目を合わせることもなく言い放った春雪。
その場に居合わせた者たちは部屋に戻る春雪の後ろ姿を見送りながら、遂にこの世界の者が勇者を本気で怒らせてしまったのだと察した。





「お帰りなさいませ勇者さま」

部屋で出迎えたのは今の騒動を知らないダフネ。
毎日見舞いに行っていたドナが漸く目覚めたのだから嬉しそうに帰って来るものだと思っていたのに、部屋に入って来た春雪の顔は浮かない。

「お食事をご用意いたしますか?」
「いや。いい」

春雪の様子を探り探り。
外套を受けとるとふわりと高価な石鹸の香りがした。

外套をポールハンガーにかけ紅茶を用意するダフネ。
その紅茶は春雪が好きな銘柄のもの。

「どうぞ」
「ダフネさんも一緒に飲まないか?」

初めてそんなことを言われてダフネは内心驚く。

「あ、もうこんな時間か。ごめん。もう上がっていい」

ふと時計を見て宿舎の就寝時間なことに気付いた春雪。
いつもは聴聞前に帰らせているから普段より遅くまで仕事をさせてしまっていた。

「ふふ。使用人が主人と席を共にすることは出来ませんが、時間外ですので少しだけご一緒させていただけますか?」
「……ありがとう」

笑って言ったダフネに春雪は苦笑する。
ダフネは春雪にとって警戒心の薄れている相手だから、あんなことがあっただけに少しだけ時間を共にしたかった。

「本日は勇者さまのお好きな花菓子をご用意しました」
「ありがとう。ダフネさんも一緒に食べよう」
「ありがとうございます」

花菓子は食用花に砂糖を絡めたお菓子。
見た目も可愛らしい花菓子は貴族に人気がある。
自分の分も紅茶を用意して椅子に座ったダフネは春雪にすすめられて一緒に口へ運んだ。

「ドナ殿下がお目覚めになったとお聞きしましたが、お加減はいかがでしたか?」

行ったことを知っていて話題に触れないのもおかしいだろうと考えダフネが聞くと、春雪は紅茶を見ていた視線をあげる。

「目が覚めたあと魔法検査も受けてどこにも異常はなかったって。六日間も寝てたから研究が遅れたって悔やんでたけど」
「まあ。研究がお好きなドナ殿下らしいですね」
「うん。悔やむのそこなんだって思った」

あら嬉しそう。
ドナ殿下と何かあって浮かない顔をしていたのではなさそう。

「今日は宮殿でお食事をご馳走になったのですか?」
「ううん」
「え?ではお食事をご用意した方が」
「いい。食べたくないから。明日は食べる」
「体調が芳しくないのですか?」
「それは大丈夫。お腹が空いてないだけ」

最近は毎日召し上がっていたのに。
やはり何かあったのでは。

「たしかダフネさんの家は一般国民って言ってたよね」
「はい。父と母は冒険者をしております」
「ご両親とも冒険者なんだ?家族みんな強そう」
「そのように言われたのは初めてです」

クスクス笑うダフネ。
両親が冒険に出て不在の日も多く可哀想と言われたことならあるが、家族みんな強そうという感想は初めて。

「ご兄弟は居る?」
「兄と姉と弟がおります」
「男二人女二人の四人兄弟か。この世界では普通なのかな?」

春雪が居た時代では健康な子供が一人居れば御の字。
二人居れば兄弟が多い部類に入る。

「勇者さまにご兄弟はおられないのですか?」
「うん。この世界みたいに恵まれた自然環境じゃなかったから人口そのものが少ないんだ。子供が居ない家庭も多い」

ダフネには想像のつかない世界。
この世界は魔法があるぶん化学は発展していないが自然豊かな世界で人口も多いから。

「よかったらご家族に残りの花菓子を持って帰って」
「そのようなことは」
「食べきれなくて捨てるの勿体ないから。残り物で悪いけど」
「ですが」
「最後の一つまで俺が食べたかなんて誰も分からない」

花菓子は高級品。
一般国民が買う機会など一年に一度あるかどうか。
それを持って帰っていいと言うのだからダフネが遠慮するのも当然のこと。

「俺の物を俺が分けるんだ。誰にも文句は言わせない」
「……ではありがたく頂戴いたします」
「うん」

花菓子は長くもたないため残れば捨てることは事実。
ただそれも勇者の物となるため持ち帰ることは許されていないが、春雪の表情を見ていると断れる空気ではなかった。

コンコンと響いたノックの音。
口にティーカップを運びかけていた春雪の手が止まる。

「出なくていい」
「え?」

就寝時間なのに誰がと思いつつ立ち上がったダフネを春雪が止める。

「今日は出なくていい」

そう言って春雪はティーカップを口に運んだ。

そのあと数回ノックされたものの春雪は動かず。
ダフネも自分が仕える主人がそう言っているのだからと、言われるがままに出ることをしなかった。

「……何かあったのですか?」

本来であれば踏み込むことのない問い。
けれど春雪の表情が見たことのないもので、静かになったあとダフネは意を決して問いかけた。

「少し揉めただけ。だから今日はもう顔も合わせないし話してやらないって駄々っ子みたいなカッコ悪い反抗」

苦笑しながら答えた春雪から聞いて、浮かない顔の理由はそれだったのかとダフネにも漸く理解できた。

「勇者さま」
「ん?」
「私は勇者春雪さまにお仕えする専属召使。何があろうとも私は勇者さまの味方だとお心の隅にでも留めておいてください」

春雪の足許に跪いたダフネ。
その言葉は嘘偽りなくダフネの本心。
身命を捧げる覚悟を持って春雪に仕えている。

「……ダフネさんは本当に心が広くて優しい人だね。俺なんてダフネさんに失礼なことばかりしてるのに」
「失礼なことですか?」
「いまだに風呂も着替えも任せられてない」

それがダフネの仕事だと分かっていても。
警戒心は薄れても心から信用して任せることができない。

「何も失礼ではありません。勇者さまの場合はそうであると言うだけで、主人のご意向に沿うのは召使であれば当然のこと。勇者さまが快適に過ごせるよう努めることが私の役目です」

イヴが勇者に仕える者として選んだダフネは使用人の鑑。
自分の役目がなんたるかを正しく理解している。

「ありがとう。俺に仕えてくれたのがダフネさんで良かった」
「勿体ないお言葉をありがとうございます」

ダフネにとっては何よりも嬉しいその言葉。
笑顔で言った春雪にダフネも喜びを隠しきれない笑顔を浮かべた。





ダフネが帰った後ベッドに入ったものの眠れずテラスに出た春雪は、手摺りに座って夜風にあたりながら異界の歌を口遊む。

「美しい歌声だな。どこの演奏鳥コンセールバードかと思ったぞ」
「レオ」

ふわりと飛んで来た美しい黒鳥。
その姿が目の前でレオに変わる。

「自死でもするのか?」
「え?なに突然」
「夜更けに独りで手摺りに座っていればそう思うだろう」

それを聞いて春雪はくすりと笑う。
眠れず夜風にあたっていただけだったけれど、言われてみれば勘違いされてもおかしくない状況ではある。

「綺麗な翼だね」

今のレオこそまるで鳥。
背の高いレオよりも大きな黒い翼が生えている。

「羨ましい。どこにでも行けそうで」

どこまでも遠くまで飛べそうな翼。
広い空を自由に飛ぶ鳥のように。

「では拐ってやろう」
「え、え?」
「しっかり掴まっていろ」

春雪を抱き上げたレオはフワリと翼を動かし空を飛ぶ。

「目を開けてみろ」

ギュッと瞼を閉じていた春雪はそっと瞼を上げる。

「綺麗」

眼下に広がる王都。
点在する街の灯りが人々の生活の営みを感じさせる。

「寒いか」
「少し」

高い位置まで飛んだために寒さで震える春雪。
ショールをかけてテラスに出たものの遮るもののない空となれば気温が違う。
 
「ラング」
「キューィ」

レオが名前を呼ぶと肩に居るラングの傍に黒いモヤがかかる。
春雪を左腕に抱きかかえたレオはそのモヤに手を入れ、ずるりと外套を引っ張り出した。

「着ておけ」
「ありがとう」

レオからフード付きのロングマントを受け取った春雪はありがたく借りて紐を結ぶ。

「今のは異空間アイテムボックス?」
「ああ。竜人の私には魔法が使えないがラングは使える」
「へー。レオの相棒だけあって凄いな」
「キュー」

肩に居るラングに春雪がそっと指を出すと、ラングはその指にスリと頭を擦りつけた。

「可愛い」
「元の姿を見ていてもそう言えるのだから変わっている」
「え?なんで?可愛いのに」

凶暴な黒大蛇の邪龍を可愛いと思う者などいない。
その性質を知らずとも大蛇な時点で殆どの者は怯える。
拐われた時にラングの実の姿を見たと言うのに可愛いとは。

「そう言えば今回は何のために王都まで来たんだ?」
「春雪の顔を見に」
「嘘だ。石鹸のいい匂いがしてるし」

ハッキリ言われてレオは笑う。
たしかに一番の目的はラングに餌をやるためだったが、今日は春雪を見に行こうと思っていたことも事実だった。

「時々来てるってことは王都に恋人が居るとか?」
「私につがいは居ない」
「恋人じゃない人と……ってこと?」
「言っただろう?夢魔は性に特化した種族だと。情欲を持つ者と交合することは私やラングにとって食事に過ぎない」

恋でも愛でもなく食事。
人々が生きるために肉や魚や野菜を食べるようにレオとラングも性を食べると言うだけ。

「なんだその顔は」
「食べられた人は生きてる?」
「人など喰うか。私やラングが喰うのは性だけだ。今頃相手は情欲が解消されてぐっすり眠りについているだろう」
「なんだ。無事なら良かった」

レオが食べるのはや交合によるそのもので、カマキリのように相手を交尾後に食べたり一部の蜘蛛のように二度と交尾できない状態にする訳ではない。

「春雪は私をなんだと思っている。魔物ではないぞ?」
「色んな能力を持ってる凄い人だと思ってる。あと良い人」
「良い人?」
「俺を助けてくれたし、屋敷に居た人とか捕まってた魔物も逃がしてたから。放っておくこともできたのに」

無視することもできたのにしなかった。
それだけで充分良い人だ。

「煩いぞ、ラング」

頬をチロリと舐められたレオはラングの頭を押し退ける。

「どうやってラングと喋ってるの?」
「喋っていないが?」
「え?煩いって言ったのに?」
「言葉を交わしている訳ではないが伝わる」
「へー。以心伝心みたいなものか」

ラングはレオの能力の一部。
元は一つなのだから言葉を交わさずとも伝わる。

「この辺りを少し回るか」
「良いの?」
「なにがだ」
「疲れてるところに俺を抱えて飛ぶの大変だろうと思って」
「赤子のような軽さで何を言っている」
「それはない」

両腕に春雪を抱えなおしたレオは怖がらせないようゆっくり王都の上空を飛ぶ。

「気持ちいい」

少し寒いけれど空の散歩は気持ちがいい。

「ありがとうレオ」
「ん?」
「楽しい」
「そうか」

普通に生きていれば見ることはなかった景色。
生涯忘れることがないだろうと春雪は頬を緩ませた。

「なにがあった」
「え?」
「なにかあったからあのような所に座っていたのだろう?」

姿は見せていないものの春雪の様子は時々見ている。
今まであのように空虚の表情をしているのを見たことがない。

「全てを諦めた者のような顔をしていた」

感情のない全てを諦めた者の顔。
歌声が美しかったぶん尚のこと表情が気になった。

「そんな酷い顔してた?無意識だから分からない」
「それで?」

そんなことは聞いていないとでも言うように答えを急かすレオに春雪は苦笑する。

「少し揉めただけ」
「誰と」
「言って分かるの?」
「私がアルメル妃に使われていたことを忘れたか?」
「ああ、そっか」

王太子宮殿から勇者を拐うという簡単ではないことを成し遂げられたのはレオが居たから。
王妃の傍に居たのだから知っていてもおかしくない。

「勇者の生活とか教育に携わる有識者や世話役」
「なにが理由で揉めた?」
「きっかけは俺が規則を破ったからだったけど、逆ギレした」
「ん?」
「怒られてたはずの俺の方が頭にきて怒ったってこと」

それはそれは見事な逆ギレ。
ただ、規則を破った俺を怒るのは当然でも、緋色カルマン宮殿の人たちやセルジュ殿下やドナ殿下を悪く言うのはおかしい。
それに俺たち勇者から要望を言われたら迷惑とでもいうような発言も、自由を奪うことを勇者のためだと言って正当化していることも、宮殿の人たちのことを言われたことをきっかけに今まで我慢していたことが溢れてしまった。

「そうか」

春雪が訥々と語る話を黙って聞いたレオはその場に止まる。

「それならばこの辺りである必要はないな」
「なにが?」
「もっと遠くまで行こう」
「え?」

しっかり春雪を腕におさめたレオはスピードをあげる。
今まではいつでも宿舎に戻れるよう王都の上空だけを飛んでいたが、話を聞いてすぐに送り届けるつもりはなくなった。


「ど、どこここ」

空を飛んで数十分。
春雪は見知らぬその場所を見渡す。

「地上に来た時に使っているねぐらだ」
「どう見ても御屋敷だけど?」
「誰も住んでいない」
「ホラー」

山の上の廃墟。
蔦の絡まるおどろおどろしい外観。

「入れ」
「う、うん。お邪魔し……あれ?綺麗」

レオが開けた扉から入ると外観に反して中は整備されている。
誰か住んでいてもおかしくないくらいに。

「勝手に入って大丈夫?」
「私が建てた塒に私が入ってなにが悪い」
「え?レオが建てたの?」
「数百年前だがな」
「え?その見た目で歳幾つ?」

歩いて行くレオの後ろを着いて行く春雪はキョロキョロ。
まるでお城のような屋敷だ。

「体が冷えただろう」

そう言ってレオが大きな扉を開いて入った先は、テーブルや暖炉やベッドまでも揃った広い部屋。
地上に来た時の塒とオマケのように言うには贅沢な広さ。

「ラング。春雪に温かい飲み物を」
「……え!?」

今まで居たレオの肩からスルリと降りたラングの姿が人の姿に変わって、変化したことにもその姿にも二重に驚く春雪。
人の姿に変わったラングはレオと瓜二つだった。

「ここに座って。火をつけるから」
「!!」

ふわりと浮かんだ春雪の体。
そのまま暖炉の前の椅子にふわりと降ろされ、人の姿になっているラングが指をさすと暖炉に火がつく。

「食事はした?」
「し、してないけど」
「じゃあすぐ用意するね。飲み物も用意するね」
「あ、ありがとう」

見た目はレオでも中身は全くの別人。
人懐っこく春雪に顔を擦り寄せて楽しそうに喋る。

「なにが良い?肉?魚?野菜?」
「ま、待った。状況についていけてない」

意味の分からないことばかり。
異空間アイテムボックスに手を入れて聞いてくるラングに春雪はまだ思考が追いつかず戸惑う。

「ラング。嬉しいのは分かるがそう急かすな」
「話したい」
「体を温めるのが先だ。人族の体は魔族よりかよわい。体調を崩して寝込んでも良いのか?」
「駄目」

そうレオと話したラングが出したのは毛布。
椅子に座っている春雪をくるりと毛布で包む。
なにが起きているのか分からないものの、少なくとも自分を気遣ってくれていることは伝わって春雪はホッとした。

「えっと、好奇心旺盛なレオってことでいいのかな?」
「ラングだよ」
「いや、うん。それは目の前で見たから分かってるけど」
「レオはレオ。ラングはラング」
「ごめん。ちゃんとラングって呼ぶ」
「うん」

ニコニコしている。
虹彩色が赤。
ボディタッチが凄い。
パーソナルスペースがゼロ距離。
それがラングの方。

指折り数えて状況に追いつこうと必死の表情の春雪と、嬉しそうに異空間アイテムボックスから飲み物や食べ物を出すラング。
ソファに座ったレオは二人を見て苦笑した。

「春雪食事だよ」
「いやご飯凄っ!」

春雪が状況を把握しようと格闘している間にもテーブルの上に用意されていた豪華な食事。 
スープや肉や魚と並んだそれはしっかりと湯気が出ている。

「浮かせるの禁止!」
「あ、レオみたいに抱いた方が良いのか」
「自分で歩けるから!」
「駄目」
「え。俺に拒否権ないの?」

自分の体がまた浮くのを感じた春雪が止めるとラングは魔法で浮かせるのは辞めて、毛布に包んだまま春雪を抱き上げ広いテーブルの椅子におろす。

二人のやり取りに吹き出して笑ったのはレオ。
チグハグな二人に笑うなと言うのが難しい。

「すまない。世話がしたくて仕方がないようだ」
「人の姿になったりレオそっくりだったり浮かされたり運ばれたりくっつかれたりでもう驚き疲れてきた」
「じきに落ち着く」
「そうであって欲しい」

レオからグラスに入った酒を受け取る春雪の膝ではラングが犬猫かのように顔を寄せてスリスリしている。
見た目はレオなだけにギャップが凄い。

「それより宿舎では食事を摂らなかったのか」
「揉めた後でお腹が空いてなかったから。今は流れるように用意して貰っちゃったけど」

会話をしながら春雪の隣の椅子を引いてレオも座る。

「好きなものを食べられるだけで良いから口にしておけ。人族でも食べられる物しか入っていないから安心しろ」
「ありがとう。でも勿体ないからこの二つだけ貰う」
「スープとパンだけで良いのか」
「うん。ラング、他の料理はしまってくれる?」
「分かった」

春雪が選んだのはスープとバスケットの中のパン一つ。
後の料理は全てラングに頼み異空間アイテムボックスへしまわせた。

「美味しい」
「そうか。良かった」

スープを口にした春雪にホッとしたレオ。
あのような空虚な顔を見ただけに食べないのではないかと心配していたが、生きることを諦めた訳ではないようだと。

何もかも諦めたような顔をした者を以前にも見たことがある。
あの小童こわらわは上手くやれているのだろうか。
私があの場所へ行くことはもうないが。

「あれ?レオとラングの食事は性って言ってたよね」
「言った」
「この料理は誰のために?」
「私の食事だ。ラングは性でしか腹を満たせないが、私は食事でも腹は膨れる。あくまで代用だがな」

性の代わりに空腹をおさめるだけのもの。
殆どの夢魔は料理が主食で性はデザートのようなものだが、原始の夢魔の血を持つレオは料理が代用品。

「ラングは性を食べないと生きられないってこと?」
「ああ。ラングはもちろん私も料理だけでは弱って死ぬ」
「そっか。じゃあ二人には生きるために必要なことなんだ」

料理か性か。
摂取するものは違うが同じ食事。

「春雪が食事をさせてくれたら助かるのだが」
「俺じゃなくても居るだろ」

近付けられた顔を手で遮って止める春雪。
石鹸の香りをさせていたのだから困っていないだろうに。

「食べて良いの?」
「駄目だ」

会話を聞いてパッと顔をあげたラングはレオに止められてしょぼんとしながらまた春雪の膝に頭を乗せる。
ラングが春雪の味を覚えてからはちょくちょく地上へ行って食事をさせているが、それでも満足していないようだ。
よほど春雪の味が気に入ったのだろう。

「ラング。俺を食べても美味しくないよ?」
「美味しいよ!」
「え?」
「美味しかったよ!また食べたい!」
「また?え?」

落ち込んでいるラングを励まそうとした春雪と、顔をパッと上げて力一杯言ったラング。
秘密にするよう話すべきだったとレオは眉根を押さえる。

「ま、またって」
「あの屋敷から連れ出した後に軽くな」
「軽く」
「餌ではないと止めたが、囚われていて空腹だったようだ」
「…………」
「安心しろ。舐めただけで穴には潜っていない」
「そういう問題じゃない」

あの時レオが予想した通り悶絶する春雪。
性の話を聞くも話すも平然としているのに、それが自分のこととなると途端に奥手になるのだから変わっている。

「初物だから穴には潜るなって言われたから潜ってない」
「ああそうなんだありがとう、とはならないから!」

手で顔を隠し悶絶している春雪をキョトンと見上げるラング。
普段は魅了者チャーマーにかかっている者しか見たことがないから、どうしてこのような反応なのか分からないのだろう。

ラングに悪気はない。
気に入ったからまた食べたいというだけで。
ヒトが好物の料理を食べたいと思うことと同じだ。

「許可なく食事をさせたことはすまなかったが、それも役には立った。発熱したり意識を失うほどに媚薬香を吸っていたのだから性を発散させることは対応として正しい。あの時自分の体がどのようになっていたか覚えているだろう?」

ラングの食事が役に立ったことは事実。
見知らぬ者に体を好きにされていようと目覚めなかったほどの状態から一度目覚めたのは、ラングが春雪の性を食べたから。
レオやラングが食べるのはも。
軽く食べた程度では一時しのぎしかならなかったが、香で強引に持たされた欲求を食われて落ち着いたからこそ目覚めた。

「助けてくれたことは本当にありがとう。でもだからって恥ずかしくない訳じゃない。自分がどうなってたか覚えてるから思い出すとますます恥ずかしい。何もかも初めてだったのに」

まあたしかに。
初物がする経験としては過激すぎただろう。

「性を糧にしている私やラングはヒトの乱れる姿など見慣れている。そんな私たちを相手に恥ずかしがる必要もないだろう。私の手で悶える姿もぎこちない反応も愛らしかった」

そう言われて肩にかけていた毛布を頭から被る春雪。
これはしばらく尾を引きそうだとレオは酒のグラスを口に運びながら苦笑した。
 
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