ホスト異世界へ行く

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第零章 先代編(中編)

目覚め

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ドナが眠りについて六日目の夕方。
春雪は王宮の中を走っていた。

「勇者さま」
「あのっ!……今、講義が終わって、」

全速力で駆けて来たのか息を切らし汗を流している勇者。
護衛の姿が見られないが……。

「どうぞお入りください」
「ありがとうございます!」

目で訴えてくる勇者にくすりとして家令が招き入れると、一分一秒も惜しいかのように勇者はフロアを駆け抜け階段を駆け上がって行った。

「勇者さま?」

廊下を駆けて行く勇者とすれ違う使用人たちは驚く。
宮殿の廊下を走る者など初めて見たことも、それが普段は自分たち使用人にも頭を下げてくれる勇者であることも。

「どうなさったのかしら」
「決まっているでしょう?」
「行く先は分かるけれどもう夕方よ?」
「あのご様子だと今になって知らされたのでしょうね」
「それであのように慌てて」
「廊下を走っていたことは見なかったことにしましょう」
「そうね」

そうしましょう。私たちの秘密にしましょう。
使用人からも慕われる勇者の粗相はなかったことになった。

もう覚えてしまった扉に手をかけた春雪。
ノックという基本の礼儀も今は飛んでいて勢いよくガチャリと扉を開ける。

「ドナ殿下!」
「勇者さま?」

驚いたのは湯上りのドナ。
そして今まさにドナの着替えをしようとしていた召使たち。
走ってきて抱き着いた春雪の勢いに押されたドナは春雪ごと低い椅子から落ちる。

これは一体。
床に鈍くぶつけた背中の痛みよりも自分を押し倒した勇者の行動に驚きを隠せないドナ。

「目が覚めて良かった。聞いてたより長く眠ってたからもう目が覚めないんじゃないかと思った」

そう言って上から落ちてくる涙。
大きな目から零れ落ちる涙でそんなにも心配してくれていたのだと理解して、この行動の理由も繋がった。

「勇者さま」

走ってきたことが伝わるその顔に両手を添えてドナは笑う。
自分のために必死で走って来てくれた喜びに。

「すぐに来れなくてごめんなさい。講義が終わって宿舎に帰ってから目が覚めたって聞かされて」

抱き着いて話すその声は涙声。
目が覚めてから魔法検査だ何だと慌ただしく今になって湯浴みを済ませたばかりだったが、宿舎に戻るまで教えて貰えずすぐに来れなかったことを詫びる勇者が堪らなく愛おしい。

ドナが目で合図すると女中長は軽く頭を下げて召使たちを連れ部屋を出て行った。

「会いに来てくれて嬉しいです」

抱き着いている春雪の顔をあげさせ頬に口付ける。

口付けられたことでハッと現状に気付いた春雪。
風呂上がりで下半身にタオルを巻いただけのドナに抱き着き、狙っていた訳ではなくとも押し倒すという自分の奇行に。

「ど、ドナ殿下、走って汗をかいてますから」
「汗も涙も変わりません」
「成分が違う」
「そのお話は今度にしましょう」

腰に腕を回されていて離れられず焦る春雪にはお構い無しに、ドナは何度も頬に口付ける。

「でもドナ殿下はお風呂上がりで」
「そうですね」
「汗で汚してしまいますから」
「勇者さまの汗でしたら喜んで」

一瞬で赤くなった春雪はぐっと言葉を飲み込む。
なんだか今日のドナは少し違うと心臓を早くさせながら。

「好いた人が自分のために必死で走って来てくれたことを喜ばない者がおりますか?汗であろうと血まみれであろうと愛おしいと思うのは当然ではないですか?」

そう話して顔を見れば耳まで真っ赤。
そんな春雪を見てドナはくすりと笑う。

「申したではないですか。好きだと」

目覚めたことの喜びゆえの無自覚な行動だったとしても、自分に好意があると分かっている者を押し倒したのが悪い。
しかもこちらは湯上りで衣装も身につけていないと言うのに。

「お慕い申しております」

そっと唇に口付けたその味は汗か涙か。
頬に口付けた時に私の唇についた汗と、流したばかりで乾いていない涙が合わさったものか。
どちらにしても私を思って勇者が流したもの。

「……ドナ殿下」

唇を離せば赤い顔で人の名前を呼ぶ。
濡れた唇でそのような表情をされて自覚なしと言うならば、この勇者には性についての教育が必要だろう。

「不快だと思うならば今止めてください。好いた人にそのような顔をされては拒絶されない限り自制できそうにありません」

細く白い首筋に口付ける。
少し汗ばんだ肌も香りも堪らなく愛おしい。

「む、無理です」

軽くトンと押された体。
止められてすぐにドナは手を離す。

「分かりました。申し訳ありません」
「ごめんなさい」
「いえ。私が悪いのですから」
「ドナ殿下は悪くありません!ただ、」
「ただ?」

眉を顰めてドナを見る春雪。
怒っているのとは違う春雪の表情にドナは小さく首を傾げる。

「ごめんなさい」
「勇者さま!」

走って部屋を出て行った春雪にドナはガシガシと頭を搔く。
泣くほど嫌だったのかと。
少なくとも口付けまでは許してくれていたが、自制できずに事を急いて泣かせてしまうとは。

「いや、」

ハッと気づいて舌打ちしたドナは下着も付けずパンツに脚を通すとシャツを掴んで走って部屋を出た。





来た時と同じように廊下を走る春雪。
ただ今度は来た時とは違う意味で使用人たちはギョっとする。
走りながら涙を拭っている勇者に。

まさかドナ殿下がご無体を。
これでは恥辱の王の歴史を繰り返すことに。
セルジュ殿下が王城に行っていて不在と言うのにどうしたら。

ドナの部屋に行ったあと泣いているのだから使用人たちがそう思ってしまうのも当然の流れではある。

「え。ドナ殿下?」
「勇者さまはここを通ったか!?」
「さ、先程この先でお見かけしましたが」

王子が廊下を走っている。
しかもシャツを羽織っただけの慌てた様子で息を切らせて。
王子になる者として教育を受けた者の姿とは思えない。

泣いていた勇者の姿で唖然。
追いかけているのだろうドナの姿で唖然。

使用人たちはただただ戸惑うことしか出来なかった。

「勇者さま!?」

玄関フロアで待機していた家令ランドスチュワートが春雪を見て驚く。

「お待ちを!」

引き留めようと手を伸ばしたと同時に開いた扉。
春雪があっと思った時には既に時遅し。
人影に勢いよく突っ込んでしまった。

「春雪さま?」

警備兵が開いた扉から入って来たのはセルジュ。
勢いよく突っ込んで来たものを咄嗟に受け止めてからそれが春雪だと気付いた。

「どうかなさ」

セルジュは声をかけ春雪を見て固まる。
泣いたと分かる赤い目をしてるのだから驚かないはずもない。

「勇者さま!」

階段の上から大声で呼んだのはドナ。
室内用の薄手のパンツとシャツを羽織っただけのその乱れた姿と春雪を見比べる。

「勇者さまお話を」
「春雪さまに何をした」

外套を脱いで春雪の肩にかけたセルジュは転移で傍に来たドナのシャツをグッと掴む。

「ち、違います!ドナ殿下は何もしてません!」

セルジュの行動に驚いた春雪は間に割って入って止める。

「ドナに何かされて泣いているのでは」
「違います!これは私自身の問題でドナ殿下は何も!」

何もされていないかと言えばされたけれど、泣いてしまったのはそれが理由ではない。

騒動を静観する家令や警備兵。
自分たちにも何があったのか分からないのだから咎めることも擁護することもできない。

「ドナを庇っているのではないのですね?」
「はい。勘違いされるような行動をして申し訳ありません」

嘘はなさそうでセルジュはドナのシャツから手を離す。
自分の軽率な行動が原因で一歩間違えばドナはどうなっていたのかと春雪は身震いした。

「勇者さま。どうか話す時間をください」

春雪を背後から腕におさめたドナ。
静観していた者たちもその行動にはギョッとする。

「こう言っておりますが、いかがなさいますか?」
「……話します」
「承知しました」

春雪に問いドナを見たセルジュ。
そのように不安そうな表情は初めて見た。

「何があったか知らないが部屋で話せ」
「はい」

転移を使ってドナと春雪は一瞬で階段の上へ。
セルジュはそれを見届けて溜息をついた。

「よろしいのですか?二人にして」
「勇者の衣装に乱れはなかった。行違いでもあったのだろう」

無体を働いたのでないなら止める理由もない。
二人の問題なのだから。

「承知しました」

そういう意味で聞いたのではなかったのだが。
セルジュの従者は胸に手をあて頭を下げた。





「どうぞおかけください」
「はい」

閃光エクレールの間に戻ったドナと春雪。
ドナに促されて春雪はソファに座る。

「兄さんは勇者さまをご芳名でお呼びしているのですね」

キャビネットから酒を出してグラスに注ぐドナ。
訓練校でお呼びしたのは特例であって勇者のご芳名を呼ぶなど不敬であるが、さきほど兄は勇者をご芳名で呼んだ。

「私がお願いしたのです。勇者と呼ぶのはやめて欲しいと」
「そうでしたか。随分と親しくなったのですね」

私の知らないところで。
六日間も眠っていた自分が憎らしい。

「勇者さまもお呑みになりますか?」
「いえ。あの、何も言わず来てしまったのですぐにお暇を」
「ん?どういうことですか?」

春雪の対面に座ったドナは酒で喉を潤す。

「さきほど申しましたように、宿舎に戻って目が覚めたことを聞いてそのまま飛び出してしまったので」

話を聞いてすぐに飛び出したのだから行き先は分かっているだろうけど、護衛騎士を付けずに一人で来てしまった。
あの時は夢中で飛び出してしまったものの、今になってその行動が問題になるのではと心配になってしまった。

「ドナ殿下やセルジュ殿下を巻き込んでしまうことを考えずに軽率な行動をしたと反省しております」

どうして二人を巻き込むと先に考えられなかったのか。
地球に居た時は監視下にあっても行動までは制限されておらず仮に今回と同じ行動をしたとしても咎める者など居なかったけれど、この世界では単独の外出が禁じられていると言うのに後先を考えず宮殿に来てしまった。

「それで罰を受けるのでしたら喜んで受けましょう」

それを聞いて春雪が顔をあげるとドナは笑みを浮かべている。

「それほどに私を心配してくれていたと言うことですよね?目覚めたことを聞かされ護衛を付けることも忘れて飛び出してしまうほどに。さきほども申しました。好いた人が自分のために必死で走って来てくれたことが嬉しいと」

それで罰を受けるならば喜んで受けよう。
なにも悔しくない。

「ドナ殿下」

俯いた勇者からポロリと落ちた涙。
ドナは苦笑して立ち上がると春雪の隣に座り直す。

「私にもご芳名でお呼びする許可をくださいますか?」
「はい。目が覚めたら私の方からお願いするつもりでした」

兄さんだけ特別なのではなかったのか。
それを聞いて安心したのだから、我がことながら狭量きょうりょうな。

「春雪さま。先程は事を急いて申し訳ありません」

やり過ぎないよう、そっと春雪の顔に触れるドナ。
そっと触れてそっと涙を拭う。

「好いた人を前にして自制することが出来ませんでした。もう二度といたしませんのでお許しくださいませんか?春雪さまに嫌われることは何より辛いです」

春雪さまは半陰陽エルマフロディット
それを私が知っていることを知らない。
あのままの流れでいけば私に半陰陽エルマフロディットであることを知られることになるのだから拒否されて当然だった。

「ただ怖かっただけです」
「申し訳ありません。怖がらせるつもりでは」
「違うんです。ドナ殿下が怖かったのではなくて」

そこまで言って春雪はまた口を結ぶ。
ドナの行為に恐怖したのではない。
恥ずかしくはあったけれどドナを怖いとは思わなかった。
むしろ剥き出しの好意が恥ずかしくもあり嬉しくもあった。

「言いたくないことは言わなくていいのです。それでも春雪さまをお慕いする心は変わりません」

ここまで言われてまだ隠し続けるのか。
互いを知っていこうと言ったのは自分の方なのに。
こんなにも真っ直ぐに好意を伝えてくれる人なのに。

「怖いです。ドナ殿下からどんな目で見られるのかが」

春雪が怖いのはドナの自分を見る目が変わること。
決してドナが怖かったのではない。

「今だけ肌を晒す不敬をお許しください」

ソファから立ち上がった春雪はドナの方を向いて服を脱ぐ。

「……春雪さま?」

パンツの紐を解く春雪の顔は少し青ざめている。
ただ、表情は意を決した時のそれ。
ドナは止めずジッと春雪を眺める。

「私の体はどちらの性に見えますか?」

生まれたままの姿になった春雪はドナにそう問いかける。

「男性ですね」

こうして正面から見れば。
中性的ではあるが乳房はなく男性のシンボルはある。

「お手を」

身を屈めソファに座っているドナの肩に額を寄せた春雪は、震える手で掴んだドナの手をもう一つの性の外性器へ誘導する。

「私は半陰陽エルマフロディットです。男でも女でもあります」

一部の魔物と教典の魔王だけに見られる身体特徴。
精霊族に半陰陽エルマフロディットの者は存在しない。

「これはさすがに酷いのでは」

耳許で呟いたドナに春雪はビクリとする。

「これでも自制しろと?」
「……え?」

ドナの指先がするりと動いて今度は別の意味でビクリとする。

「謝罪したばかりの私を試しているのですか?」
「そんなつもりじゃ」
「では何のつもりですか?」
「それは半陰陽エルマフロディットだと教えるために」
「見せるだけで良かったのでは?」
「見せるのは恥ずかしくて」
「触らせる方が恥ずかしいと思いますが?」

恥ずかしさの方向性がおかしい。
さすがに触らせてくるとは思わなかった。
これで何もするなとは残酷にも程があるだろう。

「ドナ殿下……指を」
「もっと動かせと?」
「違う」

小刻みに震える勇者は愛らしい。
けれど、二つの性を持つことがどういうことなのか自覚して貰わなくては困る。自分以外にこのようなことをされたくない。

「……気味が悪くないのですか?」
「気味が悪い?」
「二つの性を持つ私が」

それを聞いてドナは動きを止める。
私が気味が悪いと思うのではないかと考えていたのかと。

「心外です」
「え?」
「私のことを狭量と思っていたのですね」
「はい?」
「たしかに嫉妬とは狭量だと思ったばかりですが」

半陰陽エルマフロディットを気味悪がる者が研究者などやっていない。
私からすればなんと研究しがいのある体だとしか思わない。
真実を明かしてくれたことが嬉しかったと言うのに。

「春雪さま、お手を」
「はい」

ドナが両手を出すと春雪はその手に両手を重ねる。
掴まれ下に誘導された手に触れた物で春雪の顔は赤くなった。

「気味が悪い者にこうなると思いますか?私ばかりが春雪さまに夢中なようで心外です」

ドナも成年した16歳の男性。
それなりに経験もあって性欲もある。

「春雪さまにこうなる私は気味が悪いですか?」

そう聞かれて春雪は大きく横に首を振る。

「見せるのは恥ずかしいから触らせることにしたというのが真実なのだとしても、これでは誘われたのと変わりません。私も無垢な子供ではありませんので、好いた人から誘われればそういう行為をしていいのだと勘違いしてしまいます」

春雪が言ったことは真実。
見せる勇気まではなくて触れさせることで教えた。
ドナが思うように春雪の恥じらいの方向性はおかしい。

「も、申し訳ありません。そこまで考え至らなくて」

教えることの恐怖の方が勝っていたから。
けれど今はもう自分の行動の方が恥ずかしくなった。

「今まで誰かに同じことをした経験は?」
「ありません」
「こういう経験自体は?」
「ありません」

やはりそうか。
経験があればそこを触らせることがどのような意味を持つか分かるだろう。

「この手の行為の知識は?」
「あります」
「……それなのに」
「申し訳ありません」

知識はあるのにあの行動とは呆れる。
なんて愚かな勇者なのかと。
愚かしくて軽率で愛おしい。
それが私を信用している証拠なのだと思うと。

「春雪さま」

屈めただけの体を引き寄せてソファに押し倒す。
私を見上げるその戸惑う顔も愛おしくて堪らない。

「お答えしますと春雪さまが半陰陽エルマフロディットで喜んでおります」
「よ、喜ぶ?」
「春雪さまがいつしか私を一人の男として愛してくださる日がきたなら伴侶として添い遂げることも可能なのですから」

喜んでいる理由を理解してぶわっと赤くなる春雪。
最初に見た時の勇者からは想像も出来ない表情にドナは笑う。
この手のことに関しては奥手なところも可愛らしい。

「お慕い申しております」

何度そう伝えても足りない。
足りずに口付けると強ばっていた体から力が抜ける。
それと同時に口付けへの反応も素直に返りだした。

「嫌でしたか?」

深く口付けたあと唇を離して問うドナ。
春雪の表情を見て口許を笑みで歪める。

「こ、こういうことは慣れてなくて」
「嫌かどうかを聞いています。不快であれば辞めなくては」
「嫌では」
「分かっております」

返事の途中で再び口付ける。
嫌でも不快でもないことは私を見る目と表情で充分過ぎるほど分かっていたが、改めてその口から同意を得たかっただけで。

これが一方的な行為ではないことを。
少なくともこの程度の行為ならば嫌がらず受け入れるくらいの好意はあることを。

奥手で迂闊で愛らしい勇者。
今この時だけは私だけのものだ。





「セルジュ殿下。勇者宿舎から緊急の伝達が届いております」

ドナと春雪が部屋に戻ったあと自室で湯浴みを済ませ着替えていたセルジュは、家令から紫のシーリングスタンプの押されたスクロールを受け取る。

「緊急とは宿舎で何かあったのか?」

シーリングスタンプに魔力を通し開いて確認すると、勇者が宮殿へ来ているかを確認する内容だった。

「シスト。勇者さまはお一人で来られたか?」
「少なくとも私の視界に入る位置にはおりませんでした」
「ご本人に聞いていないのか。いつお出でになった」
「夕方に。訪問なされた際には言葉を紡ぐこともままならないほど息を切らせ大汗を流しておられました」

一分一秒でも早く顔が見たい。
そう伝わる勇者をご希望通りにお通ししたまで。

「そうか」

セルジュはふっと笑ってスクロールを床に捨てる。

「ここに居ることと来た時間を伝えろ。宿舎まで送ることも」
「承知しました」

家令は胸に手をあて頭を下げると部屋を出て行った。

「無断で出て来てしまったのでしょうか」
「少なくともここに居ることは予想できているだろう。ドナが目覚めたことを勇者さまがご存知なのだから」

セルジュの従者はスクロールを拾うと火魔法で燃やす。

「伝達したのは昼前だったのですがね」
「ドナより勇者教育が優先されるのは仕方がない。気分のいい話ではないがな」

家令の言葉から察するに講義が済んでから話したのだろう。
毎日見舞いに来ていたのだから教えてやればいいものをとも思うが、教えては講義を放り出して会いに行ってしまうだろうことが目に見えていたから黙っていたのだと理解もできる。

「会いたい者に会いに行く時間すらも世話役の都合のいいよう操作されてしまうのですから勇者さまもお可哀想に」
「嫌気が差した勇者が飛び立たないよう願うしかない」

父上が変えなければ世話役たちは変わらない。
ずっと私物化したまま。
悪気はないのだろうが。

「お支度整いました」
「ご苦労だった。下がっていい」

セルジュを着替えさせた召使たちは着用済みの衣装やタオルの入った籠を抱え部屋を出て行った。

「いい加減に自由にさせてやればいいものを」
「危険に晒されることにはなりますがね」
「どちらを選ぶも勇者の自由だろう。既にみな成年しているのだから。この世界の者に勇者を縛る権利などない」

勇者が安全な場所で閉じこもっていたいのならばそうさせればいいし、危険でも外に出たいのならばそうさせればいい。

「天地戦の前に死なれては堪らないとでも言うようにそれまでの自由を奪う世話役や有識者たちは狂っている」

勇者に教育をするのも自由を奪うのも全てこの世界の都合。
魔王を討伐する前に死なれては困るという身勝手なもの。
成人した勇者たちには教育を受ける義務も外出を咎められる謂れもないと言うのに、既に戦う力を得ていてもなお初等科の生徒のように引率したがる。

「正当性を主張するように勇者を守るためと御大層な理由で飾っているだけで、中身は自分たちのことしか考えていない」
「この世界に生きる者の一人として耳の痛い話です」
「それは私も同じ。ただの自虐だ」

この世界に生きる者で勇者に期待していない者など居ない。
魔王を倒し精霊族を救ってくれると。
無関係の若者を巻き込み勝手に期待するのだから愚かだ。





「やはり緋色カルマン宮殿におりました」
「分かりきったことだろう。私も後で顔を見に行くつもりだ」

王城の公務室でイヴから報告を受けつつ書類に印を押しながら答えるミシェル。

「規則を破った春雪殿にもですが、それ以上にセルジュ殿下とドナ殿下を非難する声があがっております」
「二人に?」

規則を破った春雪になら理解できるが何故セルジュとドナに。
ミシェルは手を止めイヴの顔を見る。

「勇者宿舎側から伝達をする前に緋色カルマン宮殿側から伝達するべきだろうと。もっと言えば護衛を連れずに来た際に迎え入れず宿舎へ送り届けるべきだろうと」

尤もな意見であるようにも思えるが。
ただそれは春雪が宿舎の規則を守らず飛び出して行ったことをセルジュとドナが知っていたのならばの話だが。
緊急の伝達で初めて知ったのならば責めることはできない。

送り届けず迎え入れたのも勇者の意思を尊重してのこと。
使用人の大半が変わった今の緋色カルマン宮殿には春雪に好意的な者が多いことは、数回ドナを見舞っただけの私でも気付いた。

「形だけでも注意すればよいのか?」
「いえ。勇者への処分として講義と訓練以外は自室にて謹慎。勇者へ悪影響を与えた緋色カルマン宮殿への訪問を今後禁じると共にセルジュ殿下やドナ殿下との接触を禁じるべきだと」

執務机をミシェルが拳で殴ると書類がヒラヒラ落ちる。

「私がそれを許可すると思っての報告か」
「まさか。そのようなことをすれば今度こそ終わりです」

落ちた書類を風魔法で浮かせながら答えるイヴ。

「そのような処分を求める声があるとありのままにご報告したまで。それと春雪殿も少々迂闊でしたな。見舞いの特例や殿下方との接触を快く思わない者へこれ幸いと引き離す理由を与えてしまったのですから。疾うに成年していると言うのに交友関係まで世話役に決められるのですから春雪殿もお可哀想に」

春雪がセルジュやドナと親交を深めるほど世話役は嫌がる。
自分たちの目の届く安全な場所から出したくないがために。

「明日の会談の内容次第では人員の変更が必要かと」
「その際にはイヴが選別を」
「よろしいのですかな?」
「国王の権限で命ずる」
「承知しました」

国に仕える者の全てで勇者を守る。
それがそもそもの間違いだった。
何よりも尊重するのは勇者の意思。
己の都合で勇者を操らんとする国仕えは必要ない。

「しかしセルジュ殿下とドナ殿下も嫌われたものですな」
「王子に対し言葉を濁さぬところがイヴらしい」
「赤子の頃から知っているのです。が過ぎれば叱りもしますが、可愛い王子たちではありますぞ?」

飄々と言うイヴにミシェルはくすりと笑う。
イヴの言うは並大抵のものではないが。

「二妃の子であることが二人の評価を下げているのだとするなら父として不甲斐なく思う。たしかに二妃の子でもあるが私の子でもあるのだがな。あの者を妃にした私にも責任はある」

それを聞いて今度はイヴがくすりと笑う。

「九つの幼子に選択肢などなかったでしょうに。事故で散った有識者たちには草葉の陰で猛省して貰わねばなりませんがね」

未来永劫、罪深き魂として。
今の勇者の世話役にも似たものを感じるが、度が過ぎて私が手を下す必要がないことを願いたい。

「なあイヴ」
「はい」
「お前には感謝している」

私を思い罪に手を染めたイヴ。
生涯それを口にすることはないが共に罪を背負おう。
私もまた無関係の若者を戦へ向かわせる罪人つみびとなのだから。

「感謝するならば城下への外遊は控えていただけますかな?」
「それはそれ、これはこれだ」
「年寄りの体を労ることが何よりの感謝だと思いますが?」
「語るに相応しくなってから年寄りを名乗ることを許そう」

そう話してミシェルとイヴは笑う。
見た目は老人のなりをしていてもイヴはまだ現役。
齢十六にして赤子のミシェルに仕えたのだから。
尤も生命を削る行為を重ねてきたイヴの寿命は長くない。

「召喚を行った国の王として勇者方を宿舎で保護する方針は変わらない。だが勇者方の意思も聞き双方のいい所で折り合いをつけることで窮屈になり過ぎない生活を営んで欲しいと思う」
「全面的に賛成いたします」

胸に手をあて頭を下げたイヴ。
国仕えにとっても勇者方にとっても明日の会談は大きな変化を齎すことになるだろう。

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