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第零章 先代編(中編)
練習試合
しおりを挟む訓練校の校舎の裏手にある闘技館。
一悶着あった間にも既に練習試合は開始していて、当初の予定より少し遅れて春雪もマクシムたちと観戦席につく。
「あれ?終わり?」
「ひと試合終えたところだったようですね」
観戦席の生徒たちの拍手の中ステージから降りる生徒六名。
春雪の独り言に隣に座っているドナが答える。
「なにが始まるのですか?」
「次の試合を準備する間のデモンストレーションです」
選手と入れ替わりに出入口から出てきたのは綺麗な衣装を身につけた男女数十名の生徒たち。
男女ペアの生徒数十組が外側、その内側には楽器を持った生徒たち、円の中心には衣装の違う男女ペア1組が配置した。
静かになった闘技館。
円の中心にいる男女ペアが指揮者のタクトを合図に歌い出す。
その歌声に合わせて楽器の演奏も始まり円の外側に居る男女ペア数組も踊り始めた。
「…………」
胸にずしりと響くような歌声と美しい演奏
男子生徒は剣を使って踊り女生徒は水の羽衣を纏い踊る。
「……魔法?」
歌う男女ペアの体からは淡い黄色の魔力。
ジッと眺める春雪の隣でドナはくすりと笑う。
「彼らは歌唱士の才を持っているようですね」
「歌唱士?」
「歌声に魔力をこめ人々の感情を擽る術士と申しますか」
「感情を。……誤った使い方をされると怖いですね」
「あくまで擽る程度ですのでご安心ください。歌唱士の最高クラスは歌姫というのですが、劇場で公演が行われる日にはその美しい歌声を聴こうと多くの国民が集まる人気の職業です」
「安全なのですね。よかった」
ドナから話を聞いて春雪はホッとする。
尤もドナが言ったのは今時代の歌唱士の話であり、過去には人だけでなく魔物の感情を揺さぶることのできる危険な力を持つ歌姫も居たことがあるのだが。
「綺麗」
安心して再び演技を見る春雪は素直にそう感想を洩らす。
「女生徒は天女のようですね」
「天女とはなんですの?」
ドナとは反対の隣に座っているリディは聞いたことのない言葉に小さく首を傾げる。
「この世界だと何にあたるのか……女神で伝わりますか?」
「まあ。女生徒の演舞は戦の女神の演舞ですので正解ですわ」
「そうでしたか。あれほど美しく演じるには沢山練習したのでしょうね。動きが優雅で綺麗です」
水の羽衣を纏って踊る女生徒。
それが天女のように見えた春雪はリディから話を聞き笑う。
その控えめな笑みの愛らしさよ。
同性でありながらリディも思わずキュンとしてしまう。
「演舞は訓練校でも魔導校でも習うのですが、今年の代表生徒たちは優れた演技力を持つ者が多いようですね」
「リディさまも踊れるのですか?」
「ええ。春雪さまが演舞にご興味があるのでしたら私も参加すればよかったと早速後悔いたしましたわ」
「見れず惜しいことをしました」
まだ出会ったばかりというのに仲睦まじい。
リディと春雪の様子を見て思うマクシムとセルジュとドナ。
人目を考えリディが春雪に対し友人相手のような気軽な言葉遣いや振る舞いをしていることは分かるが、それにしても取り繕った演技とは思えないくらい親しい友人同士に見える。
これも好感を抱かれ易い勇者の潜在能力ゆえか。
「男子生徒の演舞は何をイメージしてるのですか?」
「女神の夫である戦神の演舞です。戦いをイメージしてます」
「戦神と女神はご夫婦なのですか」
「教説を記した教典にはそう書かれています」
そう教えてくれたのはリディの隣に座っているマクシム。
夫婦と言われればたしかに。
時々恋人同士のように寄り添い合う演技も見られる。
男子生徒の演じる力強い動きの戦神と女生徒の演じる繊細な動きの戦の女神。
異世界人の春雪は闘技館の広い敷地を活かして行われるその美しい剣と魔法の演舞に夢中だった。
一方、マクシムたちがひと足遅れて観戦に来たことに気付いた生徒たちはというと。
王子とガルディアン公爵令嬢と……誰?
見慣れた演舞よりそちらが気になりチラチラ様子を伺う。
見目麗しいご令嬢。
王家や公爵家と居ても霞むことのない高貴な雰囲気。
あれほど美しいご令嬢であれば社交界でも学園でも周知されていてもおかしくないのだが。
王太子殿下の婚約者候補のリディ嬢も一緒ということは、セルジュ殿下かドナ殿下の婚約者候補となったご令嬢だろうか。
少なくとも今までの婚約者候補の中には居なかった。
貴族にしては珍しい途中入学をなさったのだろうか。
それとも在籍していたものの登校できない事情があったのか。
あの色が白く線の細い儚げな容姿を見る限り、病に伏していた深窓のご令嬢という可能性は充分有り得る。
病に伏していたから。
それが理由であるならあれほど美しい令嬢でありながら今まで周知されていなかったことも、生徒であれば誰もが知っている王子の婚約者候補の中に居なかったことも辻褄が合う。
人から人へ。
そんな憶測や妄想からうまれた噂話が広がって行く。
これが講義や訓練であればグループを組んだ同窓生だろうと判断する者が多かっただろうが、この祭典で講義の点数となるのは出店と練習試合だけで、見て回るのは完全にプライベート。
そんなプライベートの時間に王子が連れている女生徒とあらば特別な関係と思われてしまうのも仕方のないこと。
それほど王子たちは候補者以外の女生徒と関わらないのだ。
そんな視線や噂話など他所に夢中で演舞を眺めていた春雪。
「凄かった」
演舞が終わり真っ先に拍手をする。
それに釣られてリディやマクシムたちも拍手をし、周りの生徒たちもまた王子たちに釣られて拍手をする。
生徒たちにとっては自分たちも習った演舞であり試合の合間休憩の時間潰し程度の感覚だったが、王子が拍手しているのだからしなくてはと釣られた感が強い。
演じていた生徒たちすらもその拍手は予想外。
むしろ演じる生徒は毎年押し付け合いで決まるのが通例で、今までデモンストレーションで拍手がおきたことはない。
予想外の大きな拍手を貰い演じていた生徒たちは吃驚。
ただ、いざ拍手を貰って嬉しくないはずもない。
一番最初に春雪が拍手をしたのを見ていた生徒が他の生徒にも話すと、その生徒から聞いた生徒たちも並んで春雪たちへ深く頭を下げて感謝を伝えた。
「三人にも見せたかった」
「一行の、ですか?」
「はい。三人も外出を禁じられているのに一人で楽しんでるのが申し訳なくなってきました」
三人と聞きすぐに察して問いかけたのはセルジュ。
この世界に来てからというもの毎日が座学と訓練の繰り返し。
週に一度の休みを貰えるものの外出を禁じられているため、結局は四人で集まり講義や訓練で習ったことを復習している。
今日の訪問の目的は採血と採取。
それを知っているのは極一部の者で校内の見学はその事実を隠すためのオマケだが、祭典を楽しんでいることにふと罪悪感が芽生えた。
「別の機会を設けるよう父上に話してみます。この場ではそれしか申せないことをお許しください」
勇者一行も一緒にとなれば公の訪問となる。
そうなれば本来の目的の採取や採血はできなかった。
本当の目的を知らないリディの前で採血や採取が目的なのだから仕方ないとも言えず、離れているとはいえ生徒も居る場で勇者の話もできず、ドナは春雪の手に手を重ね謝罪を口にする。
「申し訳ございません。返事に困る話をして」
ドナの反応で自分の発言の軽率さに気付いた春雪。
人と違うことを多くの人に知られたくないと言ったのは自分。
だから採血や採取はドナの研究室がある魔導校で極秘に行うことになり、本来の目的を隠すため正体を隠し祭典の見学を名目にして王子三人の貴重な学校行事の時間を割かせることになったのに、まるで自分が望んだ結果ではないかのように時政や柊や美羽にも見せたかったなどとはどの口が言っているのかと。
リディ嬢も居て多くの生徒も居る。
そんな場所で研究や勇者に関わる話などできないことは少し考えればわかること。
セルジュ殿下が勇者と使わず『一行』と言葉を選んだ時点で気付くべきだった。
「後ほど然るべき場所で話しましょう」
「ありがとうございます」
ドナの対応に感心したリディ。
勇者さまには甘いように見えてしっかりと場は弁えている。
自分の置かれた状況を忘れてしまう少し迂闊なところもある勇者さまのようですから、それをそっと教えることのできるドナ殿下とはよい組み合わせなのではないかしら。
「さあ、次の試合の選手が入場するようですよ」
「はい」
ドナの対応に少し驚かされたのはマクシムも。
毒にも薬にもならないと思ったがなかなかやるではないか。
今の発言は勇者として迂闊に違いない。
けれどそれはお立場を忘れるほど祭典を楽しんでくれていたということでもある。
楽しいからこそ他の勇者一行にも見せたかったのだろう。
「次は魔物戦か」
ドナの隣に座っているセルジュは出入口から出てきた選手たちが檻に入った魔物を運ぶ姿を見て口にする。
「魔物と戦うのですか?」
「使役した魔物同士で戦わせます」
「そのような戦い方もあるのですか」
「実戦ではあまり。使役すること自体はそれほど難しくないのですが素直に従うようになるには訓練が大変ですので、催し物の際に観客を楽しませる曲芸団以外は好んで使役しません」
奴隷印を利用すれば使役することはできる。
ただ、言葉を交わすことのできない魔物を従わせるには様々な訓練が必要になる上、実戦に出せるほどの高ランクの魔物となると主人が強者でないと従わないため実戦向きではない。
「ガラス?」
「物魔障壁です。万一の時のため試合時には必ずはられます」
「そうなのですか」
目の前に突如現れた透過性のある紫のガラス。
セルジュから説明を受けながら春雪が見渡すと、観戦席とステージを隔てるようにぐるりと闘技館全てにはられていた。
「私の知る障壁とは違うような」
「魔障壁か物理障壁を見たのではないですか?」
「障壁とだけ。種類があるのですね」
実戦訓練で柊と美雨が使ったところを見たことがある。
ただこの障壁とは色が違って透明だった。
「あれ?消えた」
「目で捉えられるのは最初だけ。見えないだけであります」
ドアをノックするようにコンコンとして見せるマクシム。
触っても大丈夫なようで春雪も真似てノックする。
「見えないのにある。不思議」
可愛らしい。
好奇心旺盛な子供のような表情と仕草に悶えそうになるマクシムとセルジュとドナとリディ。
ただそこは王子と公爵令嬢。
本心をグッと堪え笑みの表情で隠した。
五人が戯れている間にも準備が終わり開始の合図が鳴る。
それと同時に代表生徒たちの手で檻が開かれた。
「飛んだ」
翼で空に舞い上がった鳥類型の魔物。
相手チームの魔物に炎を吐いて攻撃する。
それをヒラリと躱した魔物も翼で飛び空での戦いが始まった。
「あの魔物は何という魔物ですか?」
「水がコレリック、火がカシェという鳥種の魔物です」
「魔物も魔法を使うのですね」
「魔法ではなく体内に炎や水を作る臓器があるのです」
「体内で?全く原理は分かりませんけど凄いですね」
異界人の春雪には体内に火や水を作る臓器があると言われても理解が及ばないが、この世界の人からすればそういうものとして当たり前の知識。
人間が魔法を使える時点で春雪の常識はあてはまらないのだから考えても意味はない。
春雪だけでなく観戦している生徒たちも大盛り上がり。
命がかかった実戦では不向きではあるものの、練習試合で毎年魔物を使う生徒が居るのはそれだけ魔物戦が人気だから。
主人は使役する魔物に指示を出す他にも障壁をかけたり魔物用の薬を使い回復したりと補佐する。
「炎の魔物の方が不利ですね」
「単純に考えれば反属性で不利ですものね」
「体のサイズも違うとなると厳しいか」
目では魔物を追いながら話す春雪とリディとマクシム。
相手チームの魔物は水を使う。
そのうえ体も一回り大きくて体当たりの攻撃も強い。
「どうでしょうね」
「え?」
「私はカシェが勝つと思います」
「私もそう思う」
三人にくすりと笑ったドナと、ドナに同意するセルジュ。
「あのカシェはよく鍛えられている」
「主人の女生徒が普段から可愛がっているのでしょう。信頼していることが動きで分かります」
鳩ほどのサイズの愛らしい鳥。
女生徒が笛や手で出す合図に従って俊敏な動きを見せる。
「危なっ!」
コレリックが飛んで来て追い詰めたカシェが炎を吐いたのを見た春雪は咄嗟にリディを庇いマクシムの方に押し倒す。
「あ」
障壁に阻まれカシェの炎はこちらへ届かず。
試合に夢中になっていて見えない障壁がはられていたことを忘れていた。
「儚げに見えて意外と逞しいのですね」
「す、すみません!」
慌てて飛び起きた春雪にドナとセルジュはクスクス笑い、マクシムは苦笑しつつも体を起こすリディに手を貸す。
「ありがとうございます。ですが危険と判断した際にはご自身を守ることを最優先にしていただきたいですわ」
「女性が火傷を負ったら大変だと思って」
「春雪さまも女性ではないですか」
リディと春雪の会話でピクリとする王子三人。
春雪が両性と知っているマクシムとドナと、男性だけど女生徒を装い性別を偽っていると思っているセルジュでは反応した理由が違うが。
マクシムとドナは、自分も女性の性を持っている意識が薄いから男性として女性のリディを優先して庇ったのだろうと。
セルジュは、実は男性だから咄嗟に女性を庇ったのだろうと。
少しズレはあるものの、かよわい女性に傷を負わせてはいけないと春雪の中の男性の意識が先ず働いたという認識。
「結果的に押し倒した形になって申し訳ございません」
「女性同士ですもの。これでどうこう言われたりしませんわ」
「そ、そうですか」
女生徒を装っていてよかった。
男性に押し倒された公爵令嬢とでもおかしな噂がたったら取り返しのつかないことになるところだったと、今日初めて女装していてよかったと思えた春雪だった。
「決着がついたようです」
「え?」
ドナの声のあと観戦席の生徒たちが歓声をあげる。
ステージを見ると倒れているのはコレリックの方だった。
「肝心なところを見逃した」
落ち込む春雪に四人はクスクス笑う。
「最後はコレリックが主人の指示に従わず空からステージに向かって真っ直ぐに飛ぶカシェを追って自爆しました」
そう説明するのはドナ。
「追いかけて地面に激突したということですか?」
「はい。カシェの方は指示に従いステージぎりぎりで方向を変えたのですが、コレリックの方は止まれずそのまま」
「なるほど」
勢いよく追いかけて止まれずに自爆したと。
主人の大胆な作戦はもちろん、カシェがその大胆な作戦にも対応できる能力を持っていたことが勝敗を分けた。
「恐らくコレリックの主人の男子生徒は仮使役でしょう。所々従わない場面が見られましたので」
「仮使役?」
「別の者が使役して訓練した魔物を試合のため一時的に借りて仮の主人になったということです。野性での能力はコレリックの方が上ですが、子供の頃から手塩にかけ育てられた魔物と主人の絆は能力を左右いたしますので」
そうドナから聞いてステージを見るとカシェは嬉しそうな主人の肩に乗り翼をパタパタしていて、主人が喜んでいることを共に喜んでいることが伝わってくる。
「ドナ殿下やセルジュ殿下はコレリックが誰かから借りた魔物だと分かっていたからカシェが勝つと言ったのですね」
「はい。それにカシェの動きでしっかりと鍛えられていることが分かりましたから主人が指示を誤らない限り勝つだろうと」
「魔物に詳しいのですね」
「私とドナは王都の外に出て魔物と対峙する機会も多いので」
納得。
本で得た知識ではなく実際に魔物を見て学んでいるから細かい違いにも気付けるのだろう。
「私ももっと外で実戦経験を積まなくてはな」
「お前は武闘派ではなく頭脳派だろう。国や民のために活かすものは頭脳で、戦いはそれが得意な者に任せておけばいい」
セルジュのその意見にマクシムは驚く。
まさかセルジュの口から『国や民のために』という言葉が出てくるとは思わず。勇者の前だからだろうか。
「セルジュ兄さんは無愛想で悪人顔ですし必要な言葉も足りないですし性格も褒められたものではないですが、意外としっかり王子ですよ?王位よりも研究に夢中な私よりも遥かに」
一瞬マクシムが驚いたことに気付いてドナは苦笑する。
今日はマクシム兄さんも珍しく感情が表情に出ているな、と。
「今のは褒めたのですか?それとも悪口?」
「ありのままを話しただけですので悪口ではありません」
「なるほど。セルジュ殿下の本当の顔は物凄く不器用で、ドナ殿下の本当の顔は言葉を選べない正直者ということですね」
「「え?」」
話を纏めた春雪とおかしな纏め方をされ驚くドナとセルジュ。
マクシムはそんな三人を見て珍しく声に出して笑う。
「どうやら私たち兄弟にはもっと話す時間が必要なようです」
「そのようですね。気楽なお茶会をした方がいいですよ」
「男性だけでお茶会ですか」
「え?男性だけでお茶会はしないのですか?」
「聞きませんね」
「美味しいものを食べたり飲んだりに性別は関係ないのに」
リディも口許を隠して肩を震わせ笑う。
幼少期から王太子として立派な人物であろうと肩肘を張った王太子の意識を動かし笑い声を洩らさせるのだから不思議な方。
そんな話をしている間にも準備が終わって二番手の生徒がステージに上がる。
「強そうな魔物ですね」
「黒色の魔物の方がヴァンジャグワール。紫色の魔物の方がボワシャと申します。両方ともCランクの魔物です」
「さっきの二匹のランクは何だったのですか?」
「一つ下のDランクです。国で定められているギルド規定ですと、Dランクまでのように駆け出しの冒険者では対応できない強さの魔物がCランクに分類されます」
ドナから詳しい説明を聞いてすぐ開始を報せる音が響き、その音と共に開いた檻から勢いよく出てきた二匹の魔物を見る。
どちらもヒョウのような見た目。
尤も地球に居るヒョウよりサイズは大きいけれど。
「ちょっと怖いですね。大丈夫なのですか?」
オリビンボアを倒した者が?
セルジュとドナは瞬時にそう思う。
あちらの方が遥かに危険な魔物だったというのに。
「物魔障壁がありますからご安心ください」
「主人の生徒のことです」
ああ、そちらを心配しているのか。
理解してマクシムはくすりと笑う。
「魔物戦でも生徒に物理防御をかけるので大丈夫ですよ」
「そうですか。良かった」
マクシムから聞いてホッとした春雪。
使役してる魔物といえ万が一指示に従わず生徒が襲われたとあっては大変なことになる。
「あくまで学園行事ですから安全策はとられています」
「そうですよね」
少し照れくさそうに微笑む春雪にマクシムも釣られて笑む。
しばらく会わない間にこの世界にも慣れたのか、王太子宮殿で療養していた頃よりも柔らかい表情を見せるようになった。
この方が笑ってくれると自分も嬉しくなる。
これが恋の感情かと、マクシムは試合に目を向けていながらも口許を隠し苦笑した。
「この子たちも怪我の治療は受けられるのですよね?」
一戦目よりもお互い当たりが強くて怪我を負っている。
体の大きさも戦い方も一戦目の魔物とは全く違うのだから怪我を負ってしまうのも当然といえば当然なのだが。
「もちろんです。魔物戦でも即死攻撃の指示は禁じられておりますし、万が一魔物用の回復薬で効かないほどの大怪我を負った際には待機している白魔術師が回復をかけます」
「だから主人も安心して戦いに出せるのですね」
ヒトも魔物も扱いは同じ。
人が狩りをするでも魔物同士の喧嘩でもなく試合なのだから。
魔物に戦わせるといっても命を粗末にしていい訳はない。
体当たりしたり咬んだりと野性味のある戦いが続く。
一戦目は主人の頭脳勝負で二戦目は魔物のパワー勝負。
一戦目とはまた違う白熱したその戦いに、春雪はもちろん観戦席の生徒たちも大興奮。
「止まった」
ピタリと動きを止め咆哮をあげたのはヴァンジャグワール。
その咆哮に気圧されたボワシャが怯むと素早い動きで真っ直ぐ突進し、立派な角でボワシャの体を空中へと跳ね上げる。
それでは終わらず跳ね上げたボワシャを追いかけるようにジャンプをして、今度はステージへと叩きつけた。
ボワシャが戦闘不能になり決着。
観戦席からは大きな大きな歓声があがる。
「……跳躍力凄っ!」
翼がある訳でもないのに相当の高さに跳ね上げられていたボワシャにジャンプで追いつく跳躍力は驚きでしかない。
「かっこいい。あの魔物かっこいい」
隣に居るのが王子と忘れドナの腕を掴み興奮気味に言う春雪。
周りで見ている生徒たちからすれば『王子相手にとんでもないことを』とハラハラする状況ではあるが、マクシムもセルジュもリディも腕を掴まれているドナ本人すらも、むしろ春雪が心から楽しんでいることが伝わって和んでいる。
「ヴァンジャグワールは風を味方につける魔物と言われております。実際には跳躍力が凄まじいだけで風に乗っている訳ではないですが、飛行型の魔物のように空を飛んで見えるもので」
「分かります。滞空時間も長いですからね」
勝利したヴァンジャグワールもどこか得意気。
主人の生徒から体をワシャワシャと撫でられキリッとしつつも尻尾はゆらゆらと揺れているのが可愛い。
敗北したボワシャの方も主人から回復薬で治療して貰いすぐに起き上がると慰めるように撫でられているのを見て、どちらの主人も大切に育てていることが伝わった。
「おい。あれはお前のラムシュヴァルではないのか?」
「はい?」
セルジュがドナの肩を掴んで言ったそれを聞いて、春雪たちはステージの出入口に目を向ける。
警備兵付きで運ばれて来た大きな檻が二つ。
それを見て観戦席がザワつく。
「たしかに同じ亜種のラムシュヴァルですが、私の子に比べて色が薄いですし体躯も一回り小さいので違いますね」
「そうか。ならばいいんだが」
ドナから聞いてホッと息をついたセルジュ。
もしドナ殿下の魔物であれば問題だったということか。
いや、ドナ殿下が貸したのではなければ王子のものを勝手に連れてきたことになるのだから大問題になるのは当然か。
「たしかドナのラムシュヴァルは軍が捕獲したのだったな」
「はい。オトゥール領で被害を出したラムシュヴァルです」
「あれで軍にも殉職者が出たと聞いている」
「ええ。通常種であればAランクの魔物ですが、亜種の中でも危険性の高い魔物としてSランクに認定されました」
マクシムとドナの会話を聞きながらステージの檻を見る。
大きな檻の中に居るのは黒い馬。
相手選手の灰色の狼は檻の中でグルグルと回っているが、黒馬の方は一切微動だにせず落ち着いている。
「ドナに従うようなったのか?」
「ご冗談を。私にはSランクの魔物を従えるような力はありません。慣れたのか近付いても暴れないようにはなりましたが」
「ドナにもできないことをあの生徒はできると言うのか」
ドナの本当の実力をマクシムは知らない。
けれど実力を隠しているのではないかとは思っている。
毒にも薬にもならないと思っているのは外面の話であって、使い方を誤れば毒になる才能を隠し持っていると思っているからこそ、ドナでも従わせられない同じ種の魔物をあの生徒は従わせることが出来るのだろうかと疑問に思った。
「研究以外は駄目な私より彼の方が優秀ですよ。魔導校では才能のある人物として有名ですから。それにあのラムシュヴァルは亜種の割に体躯が小型ですので特殊な力がない限りはAランクでしょう。彼の才を考えれば有り得ない話ではないかと」
「それならばいいが」
マクシムが気にしているのは万が一の可能性。
物魔障壁がはられているのだから観客席に居る生徒の身に危険はないと思うが、ラムシュヴァルのような強い魔物が主人の指示に従わず暴走したとあってはパニックになりかねない。
「Aランクの魔物というのはそんなに強いのですか?」
「あの時のオリビンボアがAランクです」
「え?体の大きさが全然違うのに?」
「Aランクの基準はランクB以上の手練冒険者が複数で挑むような強さを持つ魔物のことでサイズは関係ありません。むしろ巨体での踏みつけが一番の脅威である動きが鈍いオリビンボアよりも俊敏なラムシュヴァルの方が大きな被害をうみます」
体のサイズだけで魔物のランクは測れない。
その魔物が暴れることによって人命はもちろん人々の生活が脅かされる規模が甚大であるほど高いランクに分類される。
「王太子殿下はそれほど危険性の高い魔物が先程のコレリックのように従わなかった時のことを危惧しているのですね」
「はい。高ランクかつ貴重な亜種の戦いを目の前で見られるとなれば話題性は抜群ですが、万が一従わせられないのであれば人命に関わる危険な魔物を野に放つようなものですので」
ドナの説明でマクシムが気にする理由を理解できた春雪。
生徒たちは障壁で護られているし講師や警備兵も配置されているから万が一があっても倒すことはできるだろうけど、それでも本当に大丈夫なのかと不安に思うのもわからなくない。
そんな不安を他所に開始を報せる音が鳴って檻が開かれた。
「アシエルーの方は戦えそうもないな」
「ラムシュヴァルとアシエルーでは力の差がありすぎます」
檻が開いても灰色の狼はまだ中でウロウロ。
その中の方が安全だと本能で察しているのだろう。
「そんなに強さが違うのですか?」
「アシエルーもBランクの魔物なので弱くはないのですが、戦う指示をされている相手がラムシュヴァルとなるとさすがに。もし野生のアシエルーであれば即座に逃げているでしょう」
それでも開いた檻から逃げないのは主人が居るから。
主人が居なければすぐにでも逃げ出しただろう。
アシエルーの主人である生徒も最初は指示を出したものの、怯える気持ちもわかるのか檻越しに声をかけている。
「これはもう棄権するべきだろう。腹を空かせた魔物の前に置かれた野ねずみのようで不憫に思う」
「出場させる魔物のランクに制限はありませんが、ラムシュヴァルは練習試合に出していい魔物ではありませんでしたね」
アシエルーに同情するセルジュと溜息をつくドナ。
ラムシュヴァルの主人である生徒は試合に出すほどの自信があったのだろうが、戦いにならないのだから盛り上がらない。
「棄権するようだ」
アシエルーの主人が審判に手でバツの合図を出して試合終了。
観戦席の生徒たちは『あーあ』という様子を見せ、アシエルーの主人である生徒は檻の中にいるアシエルーの体を撫でる。
今日に至るまで訓練を積んできただろうに、無理に戦わせるよりも棄権することを選択した生徒は立派だ。
一瞬ざわっとした観戦席。
試合終了を報せる音が鳴ったに関わらずラムシュヴァルが檻から出ようとして、主人の生徒がすぐに檻を閉める。
「主人が指示をしたのか?」
「いえ。ずっと見ておりましたがあの生徒はなにも」
「開始の際の指示に今更従おうとしたのだろうか」
「そうなのでしたら相当にノンビリとした魔物ですわね」
そう話して小さく首を傾げるマクシムとリディ。
ラムシュヴァルの主人である生徒も慌てて檻を閉めたように見えたから出るよう指示した訳ではないだろう。
「ドナ殿下?」
ラムシュヴァルの様子を眺めるドナの表情が険しくなっていることに気付いた春雪はドナの顔を覗くように伺う。
「ドナ。どうした」
「いえ、早めに棄権してくれてよかったと」
どういうこと?
顔を覗きこんだままの春雪にドナはまた苦笑する。
「もしあのままラムシュヴァルが檻から出ていたらマクシム兄さんの憂いが現実のものになったかも知れません」
「……従わなかっただろうということか?」
「ええ。だから最初の指示では檻から出ず試合終了後に自分の気まぐれで出ようとした。単に何か気になったのでしょうね」
アシエルーが気になったのか貰っていた餌が気になったのか。
何が気になって檻から出ようとしたのかは分からないが、少なくとも主人の指示に従って動いた訳ではない。
「思い過ごしかも知れませんが念のため調べた方がよいかと」
「ああ」
チラリと見て言ったドナにマクシムは頷いた。
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これはそんな真と、彼を慕う(基本人外の)者達の異世界道中物語。
漫遊編始めました。
外伝的何かとして「月が導く異世界道中extra」も投稿しています。

無能なので辞めさせていただきます!
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ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
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一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
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☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
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