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第零章 先代編(中編)
研究室
しおりを挟む王宮第一訓練所に鳴り響く発砲音。
その音で翼を休めていた鳥が空に羽ばたく。
「見事なものですな」
「ああ」
動く的が次々と撃ち落とされるのを見てミシェルとイヴは短い会話を交わした。
「あれ?」
銃弾が空になりゴーグルを外したのは春雪。
講師の隣にミシェルとイヴの姿を見つけて首を傾げる。
「陛下へご挨拶申し上げます」
今日は付き添いの講師が一緒。
歩いてきた春雪は普段のような砕けた様子を見せず胸に手をあてて丁寧に挨拶する。
「手を止めさせてすまない。訓練の様子を見に来た」
「左様でございますか。光栄です」
銃を扱う春雪の訓練用に準備された的や道具。
春雪本人の意見を聞き実際の威力も見て講師と職人が試行錯誤し完成した的や道具を確認するため、王家の者だけが利用する王宮第一訓練所で試し撃ちが行われていた。
「こちらが今回ご用意した的です」
もう一人の講師が持って来た的。
数枚ある丸い的は全て中心に穴が空いている。
「弓用の的の数倍の強度でも貫通するとは」
「武器の貫通力も驚くが、何より春雪殿の命中率が凄まじい」
空を飛んでいる的に当てるだけでも容易ではないのに全て中心が撃ち抜かれているなど尋常な命中率ではない。
「異界におられた時から命中率が高かったのですか?」
「ただ標的に当てるだけなら得意な方ではあったけど、この世界に来てからの方が中心に当たるようになった」
新しい的が完成するまでの期間はこの世界に元からあった弓や投げナイフ用の的を使い訓練していたが、暫く訓練をしていなかったというのに以前よりも的の中心に当たるようなっていることを春雪本人も不思議に思っていた。
「一通り調べてみたけど銃自体は俺の知るものと全く同じものだったから命中精度が違うってこともないし、どうして突然腕が上がったのか自分でも分からない」
むしろ命中率が落ちていておかしくない。
だからこそ勘を取り戻すために止まっている標的だけでなくクレー射撃方式の標的を用意して貰ったのに、腕は鈍るどころか上がっていた。
「特殊恩恵による付加能力でしょう」
「付加能力?」
「勇者の特殊恩恵で能力値が上昇することは学びましたか?」
「うん。あ、それで銃の腕前も上昇してるってこと?」
「はい。特に得意武器は上昇値が高いですので、異界に居た時との差が明らかなのでしたら銃が得意武器ということですな」
「そうだったのか」
命中率が上がった理由はそれ。
イヴから説明を受けて春雪は納得する。
「武器の威力も上がっているのではないか?」
「威力がですか?」
ミシェルから聞かれて春雪は的を手にして確認する。
「申し訳ございません。そもそも地球で訓練していた時と標的の強度が違いますので威力の違いまでは分かりかねます」
地球で使っていたものと同じ的であれば威力の違いも分かっただろうけど全く違うものなのだから分からない。
「あ。私の創造ま」
ふと気付き言いかけた言葉はミシェルから口に指を一本添えられ止められる。
「後で聞こう。外で不用意な言葉は口にせぬことだ」
春雪の創造魔法は『銃を作る能力』ということにしてある。
恐らく異界と同じ的を作れば確認できると言いたかったのだろうが、講師も居るというのにハラハラさせてくれる。
「話を戻そう。異界のものより威力が上がっているのではないかと考えたのは弾が魔力を帯びているからだ」
スっと手をおろしたミシェルはそう言葉を続ける。
「陛下には見えたのですね」
「見えたとは?」
「私にしか見えていないのかと思っていたのですが」
そう話して春雪は手のひらに銃弾だけを作る。
「みんなには普通の鉛弾にしか見えないようで」
それかとイヴはすぐに理解する。
春雪には弾を覆っている魔力が見えているのに他の誰も見えていないことが不思議だったのだろう。
「講師。暫し下がるよう」
「はっ」
講師の前で話すことではないと判断したミシェルは下がるよう命じ、イヴが地面に術式を描いて防音魔法をかける。
「春雪も色彩能力があるのだったな」
「ええ。以前ご報告しました通り」
ミシェルとイヴの会話を聞いて春雪は首を傾げる。
色彩能力とは一体。
「春雪にはこの弾がどう見えている?」
「弾自体は俺の知ってる弾だけど紫の魔力に覆われてる」
「そうか。私にも紫の魔力が見える」
「やっぱり見えてるんだ?」
他にも見える人が居て嬉しくなり表情を明るくした春雪。
勇者一行や講師たちには見えていないから自分の方がおかしいのかと思って色については口にしないようになった。
「魔力の色の見える者の方が稀なのだ」
「え?」
「色彩能力を持っていて魔力値も高い者にしか色は見えない。魔力の気配くらいは能力の高い者なら感じ取れるが」
ただ魔力値が高いだけでは見えない。
また、色彩能力を持っていても魔力値が低ければ見えない。
両方揃った者だけが魔力の色が見える。
「春雪は魔力の最大値が高いのだろう」
「魔力は魔法の威力や魔力量に関係する数値だったよね」
「ああ。魔力の数値が高い者ほど魔法の威力が強く、最大値が高い者ほど魔力量が増える」
ステータスの最大値は画面で見ても分からない。
ただし、最大値に達した際には表示されるようになる。
数値の高くない者が上限を迎え表示されるようになるため最大値というものが存在することは分かっているが、ミシェルはもちろん歳のいったイヴでもまだ最大値を迎えていない。
勇者の春雪の最大値が判明する日は来ないだろう。
「能力値が高いということだから悪い話ではないが今後は話す相手を選べ。自分の持つ能力を教えているのと同じだ」
「分かった。教えてくれてありがとう」
「いや。報告を受けた時に話しておくべきだった」
勇者の能力は極秘。
知ろうとすれば罰され、口外すれば刑に処される。
春雪本人はもちろん周りの人のためにも勇者の能力を知る者は極力少ない方がいい。
「それともう一つ。先程のアレは創造魔法で異界の的を作れば違いが分かると言おうとしたのではないか?」
「う、うん」
「創造魔法は銃を作る能力という事にしたと話しただろう?」
「ごめんなさい」
しゅんとする弟とお説教する兄。
そんな風に見える春雪とミシェルの姿にイヴはくすりと笑う。
「まあお説教はそのくらいにして、威力の違いを調べるために異界の的を作り試してみることは賛成です。他の者に見せる訳にはまいりませんので私が付き添い確認しましょう」
「私も同席する」
「左様でございますか」
そう言うだろうと思っていた。
国王らしくあろうと春雪殿とまた距離を置くよりよほど良い。
春雪殿と会っている時だけは穏やかな表情ができるのだから。
「近い内に行う。私の公務と春雪の訓練の調節を」
「承知しました」
国王のミシェルは多忙。
今日も完成日に合わせ公務を調節して足を運んだ。
「それにしても銃は音が凄いな。耳が痛くないのか?」
「多少。一応イヤープラグは付けてるけど」
「イヤープラグ?」
春雪がポケットから出したのは音を遮断するイヤープラグ。
ミシェルとイヴは初めて見るそれに首を傾げる。
「創造魔法で作ったのか?」
「まさか。地球から持ってきたやつ」
「召喚された際にたまたま持っていたということですか?」
「うん。普段からケースに入れて持ち歩いてたから」
人を避け生きていた春雪は人の集まる騒がしい場所が苦手。
ただ食料などを買いに行く際はどうしても食品店に足を運ぶ必要があるからイヤープラグをしてから店に入る癖がある。
だから召喚された時にもポケットに入れていた。
「本当はイヤーマフの方がいいんだけど」
「イヤーマフとはなんだ」
「これと同じ防音具だけどイヤーマフは耳全体を覆って音を遮断する。銃声から耳を守るための必需品なんだけど、創造魔法は銃を作る能力ってことにしてるから作る訳にもいかないし」
春雪の持っていたイヤープラグは日常の騒音を遮ることが目的の物だから射撃訓練で使っていた物よりも遮音性が低い。
創造魔法を使えば作れるものの『銃を作る魔法』ということにしてあるため作れず手持ちのイヤープラグを使っている。
「でしたら威力の確認をする際に春雪の創造魔法で一度作って貰い模写したものを職人に作らさせるのは如何ですか?」
「ああ。そうしよう」
「良いの?」
「訓練に必要な物は国が用意する。遠慮なく言うように」
「ありがとう」
ホッとした様子の春雪を見てやはり遠慮していたのかと察したミシェルとイヴ。
既に新しい的を作ったために言い難かったのだろう。
「この手の話はあまりしたくはないが、訓練に必要な物で一番高価な物は武器だ。春雪は自分で武器を作るのだからそのぶんの費用がかかっていない。遠慮せず必要な物は言って欲しい」
「分かった」
苦笑して話すミシェルにイヴはくすりと笑う。
国王が勇者に『訓練にかかる費用』の話をするなどつい苦笑してしまうのも理解できる。本来ならば有り得ないこと。
「じゃあ訓練に戻る。日にちが決まったら教えて?」
「ああ」
話を終えて訓練を再開する春雪。
それをまた眺めるミシェルとイヴ。
「魔導校へ行くのは今日だったな」
「ええ。午後から」
春雪は午後から魔導校に行く予定。
表向きには校内見学ということになっているが、本当の目的は研究に必要な細胞や血液などを採取するため。
「まだご不満ですか」
「春雪本人の希望なのだから仕方がないが、不満がないと言えば嘘になる」
採取を行うのはドナ。
せめて親交のあるドナにして欲しいという春雪の希望を聞き入れて魔導校の研究室にて採取を行うこととなった。
「ドナはまだ学生だ。研究員ではない」
「春雪殿にとっては職業や役職よりも自身が信用できる者かどうかの方が重要なのでしょう」
ミシェルとしては研究所の所長に採取を行って欲しい。
でも春雪はドナでないなら受けないと言っている。
一番適任なのは研究所の所長に違いないが、春雪の事情が事情だけに親交がある者の方が良いというのも理解できる。
春雪が悩みに悩んで決断したことは想像に容易い。
研究に携わる者は優秀な極一部の研究員に限定し口外を禁じる契約も行うとはいえ、自分が他者とは違うことを知られてしまうのだから不安になるのも当然のこと。
「ドナ殿下は下手な研究員よりよほど優秀です」
人格はさて置き研究者としての才だけは間違いない。
まだ学生でありながら薬学から魔物の研究まで行い数々の功績を挙げているのだから天才と言っても過言ではない。
研究所の所長もドナを推薦したほどだ。
「研究に携わるならばドナも春雪の事情を知ることになる」
「ドナ殿下ご本人がそれを受け入れ既に契約も交わしたではないですか。墓場まで持って行く覚悟がおありなのでしょう」
ドナとは昨晩の時点で既に契約を交わしている。
採取や研究で知った勇者の情報は口外しないこと、得た情報を悪用しないこと等々の書かれた契約書にドナは血判を押した。
王家の者であってもその契約を破ることは死を意味する。
それほどに勇者保護法は全精霊族にとって絶対の法なのだ。
「私が思うに研究におけるドナ殿下の知識と探究心は新薬の開発に大きく役立つでしょう。春雪殿を救う新薬が出来るのであれば清濁併せ呑む必要があるかと」
不満なのは『反故すれば死』という重い契約を交わした息子を案ずる親心か、二人がかかわり合いを持つことか。
それはミシェル本人にしか分からない。
・
・
・
王都魔導校学長室。
そこに待機しているのは魔導校と訓練校の学長。
そしてドナとセルジュとマクシム。
学長室の外には魔導校の警備兵に扮した国王軍の騎士数名が警護についていた。
「時間だ」
マクシムの声と同時に紫の術式がフワッと光って部屋に居る五人は胸に手を当て頭を下げる。
「お待ち……」
挨拶の途中でどうして口を結んだのかと顔をあげた学長二人とセルジュとドナも固まった。
術式に姿を現したのは魔導校の制服に身を包んだ美しい女性。
腰まである金色の艶やかな長い髪にブルーの瞳。
「……春雪さま?」
「はい」
髪の色も瞳の色も性別さえも違う人物。
けれどその顔は春雪。
みなが唖然とするなかマクシムが問うと春雪は頷いた。
「マクシム王太子殿下、セルジュ殿下、ドナ殿下へご挨拶申し上げます」
スカートを摘み軽く膝を曲げて挨拶をする春雪。
挨拶も女性式だが声は春雪で間違いない。
「御無礼を。お待ち申し上げておりました」
はっと我に返りマクシムが挨拶をすると他の四人も丁寧に頭を下げて挨拶をする。
「魔導校学長、ブレーズ・シャレットと申します」
「訓練校学長、ジェレミー・シャレットと申します。本日はようこそお越しくださいました」
「春雪と申します。お招きいただきありがとうございます」
老紳士の学長二人にも品よく挨拶を返す春雪。
自分たちの知っている春雪の姿とは違っていてマクシムもセルジュもドナも動揺しつつ平静を装って三人の姿を眺める。
普段は性別に迷う容姿をしているが今は女性にしか見えない。
変わらないのはどちらの姿でも美しいということ。
「では勇者さま、まずは研究室へご案内します」
「はい」
「こちらの術式へ」
もう一つ用意されていた術式。
そちらは研究室に繋がっている。
マクシムとセルジュも春雪が来た本当の目的については聞かされているが、この先に行くのは契約を交わしたドナだけ。
「勇者さま、後程」
「はい」
ドナと二人で術式に乗る春雪を四人は頭を下げて見送った。
「ここが私の研究室です」
「個室と聞いていたのですが広いですね」
「個人の研究室としてはこの建物が一番広いです」
術式を出た先はドナの研究室。
魔導校では優秀な生徒に個室の研究室が用意されていて、ドナの研究室であるここは代々首席だけが使える部屋。
「そちらのご衣装は父上が?」
「分かりませんが偽装用の衣装とのことです。まさか女性を装うことになるとは思っておりませんでしたが」
研究室を興味深く眺めていた春雪はドナから聞かれて自分の衣装を見ながら答える。
「お美しいです」
「ありがとうございます」
嬉しくなさそうな表情で礼をする春雪にドナはくすりとする。
たしかにこの姿なら誰も勇者とは思わないだろうが、当の本人はその姿に納得していないようだ。
「髪は人工毛髪で作ったのだろうと分かりますが、瞳はどのようにして色を変えてあるのですか?」
「色のついたレンズを虹彩に着用しております」
「そのような物があるのですか」
「ミシオネールさまが部屋に届けてくださった物を身につけただけですので、私にもそれ以上のことは分かりかねます」
ウィッグは貴族女性がドレスを着る際に使う時がある付け毛を改良して作られた物だが、カラコンは春雪の創造魔法。
誰かに聞かれた際にはそう話すようイヴから言われていた通りに春雪が答えると、ドナは「そうですか」と話を結ぶ。
ドナからしてみればイヴが用意した物の詮索はできない。
国王の側近であるイヴは機密に関わることが多いからだ。
それが何なのか、どのようにして作られたかなど深く知ることは、墓場まで持って行く秘密が増えることになりかねない。
それが王家の暗黙の了解。
イヴもそれが分かっているから自分の名前を出させたのだ。
「着いたばかりで慌ただしいですが衝立の向こうで検査着に着替えていただけますか?髪や瞳はそのままで結構ですので」
「はい」
手渡されたのは検査着と脱いだ服を入れるカゴ。
誘導された衝立の向こうへ入っていく春雪を見届けたドナは手袋をして採血や採取の準備をする。
手を動かしながらも緩む口許。
どのような手で獲物に研究協力を仰ごうかと考えていたのに、このような形で機会が巡ってくるとは嬉しい誤算。
しかも堂々と調べることが出来るのだから。
美しい獲物に針やメスを入れるのかと思うとニヤけてしまう。
精巧な作り物のような体にどんな秘密が隠されているのか。
ああ、全て調べ尽くすまで手放せなくなりそうだ。
「ドナ殿下。着替えました」
「お疲れさまです。どうぞこちらへ」
数分ほどで仕切りから出て来た春雪。
検査着に着替えた春雪はなんとも艶めかしい。
今まで見てきた獲物の中でも段違いに興奮させてくれる。
研究対象に性的な興奮を覚えるドナの性癖は歪んでいる。
それを表面に出さないからこそ恐ろしいのだが。
「まずは採血を行いますのでおかけください」
「はい」
言われるまま春雪が検査台に座ると台の高さが上がる。
「緊張していらっしゃいますか?」
「少しだけ」
「すぐに終わりますので」
「はい」
緊張というより恐怖心や不安。
いざ研究が始まれば自分が普通の人と違うことがわかってしまうのだから怖くないはずがない。
「この血管から採血します。親指を内に手を握ってください」
駆血帯をして血管を見たドナはすぐに場所を決めて消毒をすると白いその腕に採血用の針を刺す。
「体調が優れない時は言ってください」
「はい」
研究者と聞いていたが採血も慣れているんだろう。
手際よく刺された針を通って採血管に溜まっていく自分の血を春雪はジッと眺めていた。
「終わりです。体調は如何がですか?」
「問題ありません」
「ではこの上から少し押さえておいてください」
「はい」
採血のやり方は地球と変わらない。
この世界の医療がどこまで発展しているのかは分からないが。
「これは……初めて見る珍しい型ですね」
採血管を目の高さに持って行って呟いたドナ。
その呟きで春雪の心臓は跳ねる。
「たしかにこの世界の薬では合わないかも知れません」
「……見ただけで分かるのですか?」
採血管の中の血を見ただけでどうやって。
今日は血液や細胞を採取するだけで、研究が始まるまで自分の事実を知られることはないと思っていたのに。
「秘密にしてくださいますか?」
「秘密?」
「秘密にしてくださるならお答えします」
「え?はい」
人差し指を口にあてる仕草をしたドナに春雪は頷く。
「実は私の特殊能力で分かるのです」
「特殊能力とは珍しい能力のことですよね」
「はい。とはいえ簡単なことだけしか分からない不出来な能力ですので結局は研究しなくては詳しく分からないのですが」
苦笑したドナに春雪はくすりと笑う。
少なくともこの世界の人と違うことは分かったのに知る前と何ら変わらない様子のドナに安心する。
「本当は不安だったんです」
「不安?」
「私がこの世界の人たちとは違うことを知ったら気味が悪いと思われるんじゃないかと」
針やメスを身体に入れられるのは研究所を思い出して怖い。
悩んでいる時にドナが研究員になりたいと言っていたことを思い出し親交のある人の方がまだ信用できるのではないかと思ってイヴに「ドナ殿下なら」と言ったものの、今は少なくとも好意的に接してくれるドナも事実を知ったら自分を見る目が変わってしまうのではと不安になった。
「先程の緊張したお顔は不安だったからなのですね。この世界には針や注射が苦手な者もおりますから勇者さまもそうなのかと軽く考えておりました。気付かず申し訳ございません」
ドナはそう話しながら春雪の隣に座る。
「勇者さま方は異界の御方。この世界の私どもと違いがあっても何ら不思議ではありません。気味が悪いなどと思うことは絶対にありませんのでそれだけは信用してください」
気味が悪いなどとんでもない。
むしろこんなにも研究しがいのある被験者が現れて最高だ。
もし気味が悪いなどと愚かなこと思う研究者がいれば私が消してやろう。
「勇者さまには今後もご協力をいただくことになるとは思いますが、そのぶん私も勇者さまのお身体に合う新薬を作るまで諦めないとお約束します」
春雪の手に手のひらを重ねてまっすぐに目を合わせるドナ。
その目や表情に偽りを感じず春雪はホッとする。
「御無礼を。つい熱くなってしまいました」
パッと手を離したドナに春雪は気の抜けた笑みを浮かべる。
「ありがとうございます。ドナ殿下」
なんと愛らしく笑うのか。
気を許した者にはこんなにも無防備になるとは。
あまりにも無防備すぎてタガが外れてしまいそうだ。
「よいのですか?気を抜いて。次の採取は少し痛いですよ」
「頑張ります」
笑い声を洩らす春雪にドナも笑みを返す。
自分を信用してくれるのは願ってもないこと。
被験者の信用を得ることができれば協力を頼みやすくなる。
「では気を楽にして台へ横になってください」
「はい」
希少価値のある美しい獲物。
謎の多いその身体を私が隅々まで調べ尽くしてやろう。
「緊張を解せればと冗談で痛いと申しましたものの、睡眠魔法で眠っていただいた状態で胸元の皮膚を採取したのちに回復をかけてから起こしますので痛みはありません」
詳細の書かれた紙を渡して説明するドナ。
「部分麻酔ではないのですか?」
「恐らく勇者さまには麻酔の効果が薄いかと」
「ああ、たしかにそうですね」
「通常より量を増やすことも出来なくないですが、お身体の負担を考えれば後遺症のない魔法の方がよろしいかと存じます」
「魔法は後遺症が出ないのですか」
「はい。麻酔は医療行為にあたりますが、後遺症のない魔法は医療行為にあたらないため私一人で採取が行えるという点も」
様々な点を考慮しての判断。
この歳にして医療免許を持っているドナも麻酔を使えるが、対象がヒトの場合はもう一人容態を管理する者が必要になる。
「もし私の前で眠るのが不安であれば誰か同席させますが」
「いえ。ドナ殿下にお任せします」
麻酔の効果が薄いだろうというのはご尤もな意見で納得ができるし、見知らぬ人が増えるのも落ち着かない。
何より魔法の方が安全ならば任せた方がいいだろう。
ドナを信用する心が芽生えたからこその判断。
警戒心の塊の春雪なら人前で眠りにつくなど有り得なかった。
「気が張っていると睡眠魔法が効きませんので気を楽にして身を任せてください。目覚めた時には終わっております」
「はい。よろしくお願いします」
閉じた瞼の上に薄い布をかけられ視界を塞がれる。
「では魔法を使います。おやすみなさいませ」
ふわりと身体が温かくなって心地好い。
そう感じたのも一瞬で、春雪はそのまま眠りについた。
「勇者さま?」
布を捲って声をかけるドナ。
しっかり効いたことを確認して口許が緩む。
「私をすっかり信用したようですね。迂闊な」
魔導師の停止魔法が効かなかった勇者は精神力が高い。
同じ精神魔法の睡眠魔法も私を警戒していれば効かなかっただろう。
「迂闊で愚かで愛らしい」
端正な顔だちに愛らしい唇。
キメの細かい肌は触り心地がよく、愛らしい唇は柔らかい。
「私が必ず貴方を救う新薬を作ります」
無防備に眠っている春雪の顔を愛おしく撫でるドナ。
そんな自分の言葉に自嘲する。
「私らしくもない」
救うなど自分らしくない。
私の目的は研究することで、救うことになるのは結果だ。
夢中で研究したことが結果として役に立ったというだけで、誰かを救いたくて研究したことなどない。
「美しい勇者さま。歪みきった私をお許しください」
眠っている春雪にドナは唇を重ねて検査着の紐を解く。
男性とは思えないその白く艶やかな肌にも唇を重ねた。
「では採取を始めます」
手袋をかえて用意しておいたメスを手にする。
なんてことはない慣れた作業。
白い肌にメスを添わせると傷がつき赤い血がぷくりと滲む。
その光景に今まで経験したことがないほど興奮する。
そんなことに性的興奮を覚える私はおかしい。
けれどそれが私。
数センチのサイズで切り取った皮膚をケースに入れる。
あとは回復をかけて傷を治すだけ。
たったそれだけの作業。
メスを置き手袋を外しながら眺める勇者は美しい。
白い肌には赤が映える。
「春雪さま」
名前を呼んで肌に触れると感情は加速する。
このまま自分のものにしてしまいたい、と。
「……傷を塞ぎますね」
性的興奮と自制心で揺れるドナ。
被験者や実験体を調べることに性的な興奮を覚えるのは珍しくもないが、今のこれはいつもと違う。
「綺麗に塞がりましたよ」
性的な興奮を覚えているのは調べる過程ではなく勇者自身。
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好奇心の強いドナが惹かれないはずもない。
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検査台に乗って春雪に跨るドナ。
それでも魔法で眠らされている春雪は目覚めない。
「春雪さま」
柔らかい唇に再び唇を重ね舌を入れる。
もちろんそれに反応は返らない。
「春雪さま」
名前を呼んでは唇を重ねての繰り返し。
何の反応も返らないことがもどかしい。
「……どうして」
どうしてこれ以上手が出せないのか。
眠っているのだから何をしても分からない。
それなのに唇を重ねる以上にできない。
身体は間違いなく性的な興奮を覚えているのに。
穏やかな顔で眠っている春雪。
ドナはその美しい顔をそっと優しく撫でる。
「そうか」
これ以上に手を出して嫌われるのが怖い。
それは初めてドナに芽生えた恐怖心。
絶望など幼い頃から何度も経験してきて救いを期待することも辞めて恐怖心など失くしていたのに、今自分が感じているのは紛れもない恐怖心。
検査台から降り下着や検査着を着せ直した春雪を見るドナ。
何も知らず眠っている顔は美しく、同時に憎らしい。
自分に恐怖心を抱かせた春雪が憎らしくて仕方がない。
「……春雪さま。お慕い申しております」
「え?」
顔を近付けるとパチリと開いた目。
ブルーに偽装した虹彩の瞳と目が合う。
なぜ今目覚めたのか。
まだ睡眠魔法を解いていないのに。
いや、解けたのか。
精神力の高い勇者にはこの程度しか効かなかったと。
「えっと……ドナ殿下?」
間近にある顔は驚きを隠せていない。
ああ、そのような顔もできるのか。
「お慕い申しております」
今度は起きている春雪にその言葉を告げる。
一度聞かれてしまった言葉はもう隠せない。
隠せる自信もない。
ドナは固まっている春雪に苦笑してそっと抱きしめた。
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えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。
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