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第零章 先代編(前編)
治療法
しおりを挟む「……国王さま?」
「目覚めたか」
額に触れた冷たさで目覚めた春雪。
瞼をあげ最初に見たものがミシェルで首を傾げる。
「ここは」
「王太子宮殿だ」
「王太子宮殿……ああ、そうだ。王太子殿下と会って」
少しづつ頭もはっきりしてきて思い出す。
具合いが悪くなって休んでいたら王太子が通りがかって、宮殿で休んで行くよう言われたんだった。
「冷たいタオル?」
「熱がある。体が怠いだろう?」
「寝起きだからかと思った」
しっかり受け答えする春雪にミシェルはホッとする。
「丸一日眠っていたのだぞ?」
「そんなに?」
病に伏せてから丸々一日。
回復の効果が切れるたびにかけなおしてきた。
「水を飲むといい」
「ありがとう」
体を起こすのを手伝いグラスに注いだ水を渡すと、春雪はごくごくと喉を鳴らして綺麗に飲み干した。
「ところでどうして国王さまがここに?」
「二人きりなのだからシエルと呼べ。この部屋を隔離したために看病役として私が残った」
「……俺が隔離されるような病気に、って言うか、うつるなら国王のシエルがここに居たら駄目だから。いますぐ離れ」
「守ると約束しただろう?」
現状を把握して慌てる春雪の言葉を遮るよう言ったミシェル。
春雪はミシェルを見て唖然と口を開き、ミシェルもまた春雪の珍しいそんな顔にくすりと笑う。
「隔離は念のための処置だ」
「念のため?」
「原因が分からなくてな。春雪にこれを見て欲しい」
マクシムの随行医の魔法検査で出た謎の文字と、イヴの魔法検査で出たこの世界の文字を書き写したスクロールを渡す。
「読めるか?」
「あー……うん」
スクロールに目を通した春雪は溜息をつく。
「もう分かってる?俺の体のこと」
「二つの性を持つ半陰陽」
「知ってる言葉だったか」
春雪の世界の文字で『卵巣精巣性性分化異常症』、この世界の文字で『エルマフロディット』とはっきり書かれている。
知らない言葉であればと思ったが、「二つの性を持つ」と言ったのだからこの世界でも分かる言葉ということ。
「ここに書かれてるのが俺の症状ってことだよね?」
「ああ」
「じゃあ隔離は必要ない。人にうつる病気じゃないから」
「全て分かるのか?」
「うん。概ね予想してた通りの結果」
それを聞いて肩の力が抜けたミシェル。
春雪を隔離せずに済むこともだが、全て分かっているのであればこの世界の物で代用が効く可能性が高いから。
「うん?予想していた通りの結果とは?」
「薬を飲んでないからいつかそうなるだろうと思ってた」
「薬?」
「俺は作られた試験体だから異常な数値にならない為の薬を毎日飲む必要がある。ただ、外出中に召喚されたから薬がない」
春雪が体調を崩したのは召喚したせい。
事実を知ってミシェルは深く眉根を顰める。
「本当は自分が人工生命だって話した時に言わなきゃいけなかったんだけど、言ったら罪悪感持たせることになるんじゃないかと思って言えなかった。でも結局こうやって迷惑かけることになるんだから先に話しておくべきだった。ごめん」
身勝手な理由で召喚したこちらの気持ちを慮るとは。
ミシェルは熱くなる目頭を押さえる。
「……命に関わるのか?書かれている症状は」
「まあ時間の問題だろうとは思う。合併症って言って分かるかな。ここに書かれてる異常が理由で他の病も併発する。それがどんなものか、いつになるかは分からないけど」
合併症はこの世界でもあるから分かる。
なんてことはない軽い病だと思っていても、それが原因で重症な病を引き起こし命を落とすこともある。
「すまない」
詫びて春雪に頭を下げたミシェル。
自分の決断が若き青年を苦しめていることに胸が痛む。
この国が行う召喚の儀は勇者たちから平和や幸せを奪う残酷な儀式だと理解し、憎まれる覚悟もその生涯に責任を負う覚悟もしていたが、その程度の考えでは甘かった。
「良いよ。どちらにせよ俺の寿命は長くなかったから。だったらモルモットでいるよりこの世界で自由に生きたい」
その自由さえも与えられぬまま。
春雪が勇者である限り、決められた場所、決められた時間に行動することを強制される。
「もう良いって」
ミシェルの顔に手を添え顔をあげさせた春雪。
近い距離で目が合う。
「少々強引で……気の所為か?少し顔つきが変わったような」
傍で見てふと気付いた変化。
元々春雪の顔立ちは中性的ではあったが、以前より女性寄りに見える。
「顔?……あ、それも薬を飲んでないからだと思う。俺の場合あえて両性になるよう作られたんだけど、薬や注射でホルモン補充治療をする必要がある。今回の不調も多分それが理由」
確かにホルモンという言葉は魔法検査の結果にも出ていた。
この世界の文字になってもそれが何かは分からないままだが。
「そのホルモンというのを補充する薬があれば良いのか?」
「あれば楽になるから助かるけど、無理だ」
「なぜだ?ホルモンというのがどんなものか分かればこの世界の物で薬を作れるかも知れない。異界の者も体の造りはこの世界の者と同じなのだから」
血液を採取し調べれば、ホルモンがこの世界の人族の持つ何と同じなのかが分かるだろう。
ホルモンが何かによっては既に薬がある可能性もある。
「いやだから俺は人工生命なんだって。体の形は普通の人だけど常染色体の数も性染色体の数も自然生命とは違う。遺伝子レベルで違うから薬も注射も俺専用に作られた特別な薬で自然生命が使えば大変なことになるし、逆に俺も自然生命に合わせた薬じゃ効かない。複雑で俺も詳しく分からないからこの世界で1から作って貰うとしても完成する前に死んでる」
文字通り春雪を1から造った研究者だから作る事ができた薬。
そして副作用の起きにくい人工生命だから飲める薬でもある。
未来の技術を集結させたそれを自然生命が飲めば毒になる。
「……ではどうにもならないと言うのか?」
「うん。その薬を持ってこれない限り無理」
また表情を歪ませたミシェル。
ああ、泣きそう。
そう察した春雪はミシェルの両目を手のひらで隠す。
「泣かれたらどうしたら良いか分からないから!泣かせた罪悪感が凄いし、かと言って慰めるのも上手くないし!」
必死さの伝わるそれ。
胸が痛くて歪めた顔が泣くように見えたのだろう。
それほど酷い表情をしていたと言うことだ。
「心配せずとも泣きはしない。今はそれより何か方法……」
「シエル?」
目隠しされた手を掴んでそっと離しまた目が合ってミシェルはハッとする。
「春雪の能力で作れるのではないか?」
「え?」
「春雪の創造魔法は構造がわからなくとも形が分かれば作れていただろう?薬剤は生命体ではないのだし、他の者ではなく春雪の体内に入る分には消えてしまうこともないと思うんだが」
「……あれ?なんか割といけそうな意見」
今まで口にするような物は作ったことがない。
一度試しに食べ物を作ってみようと手のひらに魔力を集め、春雪は食べ慣れたドライフードを想像する。
「……作れた」
「これは?」
「俺が食べてた普段の食事」
「これが食事?」
「うん」
見た目は栄養補助食品のようなそれは、ひと袋で一食の栄養を摂取できる(腹で膨れるから満腹感も得られる)優れもの。
と言っても自然環境が悪く野菜も家畜も魚もまともに育たない未来で発明された苦肉の策で、富裕層の人々は『〇〇味』とついているだけのコレではなく本物の肉や野菜を食べていた。
春雪は二本入りの一本を小袋から出すと怖々口にする。
「……まっず」
「失敗か?」
「ううん。この世界では本物の肉や野菜を食べてるから舌が肥えただけ。召喚前も美味しいとは思ってなかったけど」
むしろその美味しくなさこそが成功した証拠。
ミルクに浸した柔いビスケットのような食感も、その何とも言えぬ味も、春雪が食べ慣れているドライフードで間違いない。
「シエル、試しに一口」
「私も?」
春雪が差し出したそれがミシェルの口に入ると忽然と消える。
一口噛んで春雪の手を離れるまではあったのに。
「口の中で消えてしまった」
「食品も俺以外の人だと消えるみたいだな」
「春雪は食べられたのか?」
「うん。噛み砕くこともできたし飲み込む時も消えなかった。俺が食べる分には消えないのなら同じ薬さえ作れれば」
再び魔力を手に集めてすぐには作らずしっかり想像する。
さすがに薬ともなると誤ったものを作る訳にはいかない。
「「…………」」
どうか成功して欲しい。
ミシェルは瞼を閉じ集中する春雪を見ながら手を組み祈る。
春雪の手を包む穏やかな魔力。
いつもは器用にサッと作り出してしまうために気付かなかったが、見ている側も不思議と穏やかな気持ちになる。
「出来た……っぽい」
「ぽい?」
「見た目はそのままだけど全く同じ物かは分からない」
手のひらには錠剤が2粒と小瓶と注射器と消毒綿。
これが普段使っていたセット。
「鑑定ではホルモンという言葉がついているが」
「ほんとに?じゃあ成功したみたいだな」
「飲む前に研究所で成分確認をしよう」
「触ったら消えるから無理だと思うけど?」
「素手で触らな」
ミシェルが試しにスプーンでコツリとすると消えた錠剤。
直接触れずとも消えてしまうようだ。
「……すまない。消えてしまった」
「作りなおすから大丈夫」
「先に魔力量の確認を」
「うん。ステータスオープン」
作ったのはドライフードと薬のセット。
魔力が枯渇すると危険なため魔力量は注意する必要がある。
「え、5000近く減ってる。ゼットが3000だったのに」
「そんなに魔力を消費するのか」
「そうらしい。ドライフードの後も確認すれば良かった」
合計で約5000。
どちらも消費量が多いのか、どちらか一方が多いのか。
「食品は複雑なものだったのか?」
「完成させるまでは試行錯誤して大変だったろうけど、今となっては工場で大量生産できるレベルのもの」
一般家庭はドライフードとフリーズドライが主。
どちらも『〇〇風・〇〇味』ではあるけれど、水を入れレンジで調理するフリーズドライの方が値段は少し高め。
大量生産できる物だから、安いドライフードがゼットに迫る、若しくはそれ以上の『複雑な造り』とは考え難い。
「ふむ。薬でほぼ消費した可能性が高いな」
「多分そうだと思う。誰にでも作れる薬じゃないから」
どちらが複雑かといえば当然薬の方。
人工生命の春雪本人もだが、自然生命と違いのある春雪の飲む薬もまた研究者だけが作ることのできる物。
「今の春雪の魔力量では一日一度が限度だな」
「一万超えてるのに?」
「薬を作る以外に魔力を使わないのなら良いが」
「そっか。訓練もあるから無理だ」
そうなると現時点の魔力量で作れるのはワンセット。
まとめて作り置くことは出来ない。
「まあ薬も注射も一日一回だから毎朝作ることにする」
「一日一度なのか。それならば良かった」
「この世界では何回も飲むの?」
「ああ。風邪薬などは一日三回食後に飲む」
「へー。三回も飲むのめんどくさいな」
化学も医療も発展した未来の薬は一日一回。
どんな薬でも一日効果が続くため、春雪からすれば三回飲む薬の方が珍しかった。
「5000も使う薬を消してしまった詫びをする。春雪、手を」
「重ねればいいの?」
「ああ」
ミシェルが差し出した手のひらにそっと手を重ねると、体がフワッと温かくなる。
「何これ。魔力を通した時みたいだけどちょっと違う」
「魔力量を確認して見るといい」
「確認?……え?8000まで増えてる」
「魔力を譲渡した。これでもう一度作り直してくれ」
「そんなことができるんだ」
「能力を持つ一部の者だけだが。これは私と春雪の秘密だ」
魔力を譲渡できるのは〝賢者〟の特殊恩恵を持つ者のみ。
ミシェルが〝大賢者〟の特殊恩恵を持っていることを知っているのは、イヴと次の国王となる王太子だけ。
今は亡き前王妃の出産に関わった前王や国の上官たちはミシェルが〝賢者の血継〟を持ち産まれたことを知っているが、体の弱い王太子に変わり国王となる可能性の高かったミシェルを天地戦へ行く賢者にはさせられず、事実を隠すことにした。
数は少なくとも〝賢者の血継〟を持つ者は居る。
けれど国王となれる者は体の弱い王太子とミシェルだけ。
ブークリエ国の王の証でもある〝盾の王〟の特殊恩恵は血統継承能力のため、血の繋がりのない者は引き継ぐ事ができない。
前王や前王妃、そして国に仕える上官たちが隠すことにしたのも致し方ないことだった。
画面を確認できるミシェルも物心がついてすぐにそれを知ったが、自分の役割は賢者でなく国王になることだと弁えていた。
そのため誰にも言わぬまま賢者教育ではなく帝王学を学んでいたが、皮肉にもミシェルの母でもある前王妃の崩御をきっかけに覚醒して〝賢者〟となってしまった。
体の弱い父と兄。
母は健康だったに関わらず寵妃から毒を盛られた。
直接毒を盛ったのは寵妃の侍女であったが、命じたのは寵妃だとわかったため侍女と共に極刑に処された。
理由は父が寵妃の元へ渡りを行わなかったからだと言う。
渡りを行わなければ子はできない。
それなのに父は母の元へしか渡りを行わない。
第二王妃の座を狙っていた寵妃にとって、父の子を二人も設けた母が邪魔だった。
母が居なくなれば自分の元へ来るだろう。
第一妃しか娶っていないのだから、王妃不在にならぬよう寵妃の自分が新王妃に選ばれるだろう。
そんな考えだったのだろうと予想がつく。
父が生前に言っていた。
国王となる者に寄ってくる者の目当ては大抵が富や名声だと。
自分は愛する母と出会うことができて幸運だったと。
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父は心の弱い人だったと思う。
国王となる者としてはその器ではなかったように思う。
有識者たちが憂うのも致し方ないことだったと思う。
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全ては国を案じてのことだと頭では理解していても気持ちが追いつかなかった。
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当然有識者は憎んだまま。
けれどまだ九つの私が国王についたとあっては有識者たちの憂いも的外れのものではないことを理解していた。
憎しみは胸にしまい感情を殺し有識者たちに従い、ミシェルではなく国王として生きることを決めた。
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いや、そうすることで父や母や兄を失った悲しみから目を背けていたようにも思う。
憎しみを忘れたように婚約期間を過ごし数ヶ月。
有識者たちが不慮の事故で同時に亡くなった。
私の婚約者の一人である第二王妃の生家の侯爵家へ向かう途中に起きた崖崩れで。
不審な点はなく事故として処理されたがあれは……
「シエル?」
名を呼ばれてハッと我に返る。
「すまない」
「疲れてる?看病させてごめん」
「いや。昔のことを少し思い出しただけだ」
「そうなんだ」
それで話を結ぶのが何とも春雪らしい。
他の者ならば多少の興味は示しそうなものだが、春雪に至ってはそれとなく様子を伺うことすらしない。
墓場まで持って行くような話に首を突っ込みたくない。
召喚の儀の日にそうハッキリと言った春雪を思い出す。
秘密にするにはそれだけの理由がある。
春雪はその理由を『墓場まで持って行く話』だと判断したと言うことだ。
「で、シエルが物思いに耽ってる間に二回目も成功した。魔力を分けてくれてありがとう。助かった」
何とも無防備に愛らしい表情を見せるものだ。
同性だけにその方面への危機感がないのも致し方ないが、春雪が女性の性も持っていることを知って私は複雑な心境になっていると言うのに。
見目麗しくとも同じ男性。
その根本が揺らいで生まれたこの戸惑いはなんだと言うのか。
この感情もまた私の『墓場まで持って行く事』になりそうだ。
「注射してからすぐ薬飲むから水貰っていい?」
「私がやろう。調べられないのが少々不安ではあるが」
「毒物って出てなかったなら大丈夫。ホルモンって言葉が出てたならもし俺が飲んでたのと違っても効かないってだけ」
確かに毒であればどんな種類でも毒と鑑定されるが、春雪は自然生命と違うと聞いただけに不安は拭えない。
自然生命のミシェルには毒ではなくとも、人工生命の春雪には毒という可能性もなくはないからだ。
「やはり辞めておいた方が」
「辞めたら辞めたで死ぬだけだし。今死ぬか後で死ぬかなら同じ薬が完成した可能性にかける。死にたくない」
そう言って春雪は右手に握った注射器を左肩へ刺す。
上半身を開け右肩を消毒綿で消毒し、一切の躊躇もせずブスリと打つのだから何とも勇ましい。
「変わった形の注射器だ。針がない」
「針が細くて短いから今は見えてないだけ。この薬は皮下注射だからこれだけど、薬によっては普通の長い針も使う」
春雪が使っているのはインスリン注射と同じペン型の注射器。
毎日繰り返してきた春雪には慣れたもの。
「終わり」
「もう終わったのか」
「うん。量も少ないし」
ペン型のお尻部分を押して液剤を注入するだけ。
小瓶から吸い出して消毒してと準備する方が時間がかかるくらいで、打つのは僅か数秒。
「どうだ?体調は」
「え?そんな早く効かないし」
「即効性の毒かも知れないじゃないか。毒とは出ていなかったが、自然生命と人工生命では違うと言ったのは春雪だろう?」
心配そうに見るミシェルを春雪はクスっと笑う。
「むしろ偶然に俺に効く毒が作れた方が奇跡的。言っただろ?俺は環境汚染の酷い地球でも生きられる次世代の人類として作られたって。あらゆるものの抗体があるから、強すぎると毒になる自然生命の薬では効くものが少ない」
自然生命の薬では弱すぎて春雪には効かない。
通常ヒトは22対の常染色体と1対の性染色体を持つが、その段階から違う春雪は自然生命ならば効く薬でも合わないものがあってもおかしくない。
春雪は数多くの失敗を繰り返し漸く成功した人工生命。
それまでの実験体も『汚染された世界でも生きられる人類』を目的に生物毒素や環境毒素を与えられてきたが、抗体を得られず死滅し失敗に終わっていた。
「俺が心配したのは効くか効かないか。今はホルモン異常だなんだで熱が出てるけど、元々は自然生命より頑丈なんだ」
外から感染するような病には強い。
風邪すら一度も引いたことがないほどだ。
ただし今回のように感染するような病ではなく自分の体内で異常が起きた時には一般的な薬では効かず困ることになる。
「それを聞いて少し安心したが、問題ないと分かるまでは傍で様子を見させて欲しい。人が居ては煩わしいだろうが」
水を注いだグラスを受け取った春雪はホルモン補充治療の薬である薬剤を口に放り込み飲み干す。
煩わしい……そう言えば思わなかった。
ミシェルに言われて初めてそれに気付いた春雪。
いつもは人が居ると心が休まらないのに、今は頭の片隅にも浮かんでこなかったと。
守ると約束しただろう?
……あれか。
もしかしたら感染する病の可能性もあるのに看病のために残っていたことで、言葉だけではなかったんだと分かった。
国のあらゆる人々の生活を背負った国王としては軽率じゃないかとは思うけれど。
「分かったって言いたいとこだけど、ずっとついててくれたなら疲れてるだろ?うつるような病じゃないのはもう間違いないから観察は他の人に任せた方がいいんじゃないかな」
気持ちは有難いけど体が心配。
交替してミシェルは休んだ方がいいという提案は首を横に振る行動一つで拒否される。
「さあ、薬を飲んだのだからまた少し休め。起きた時に食べられるよう粥も用意させておく」
まるで親のよう。
さすが八人も子供の居る父親だけある。
国王は子供の看病も簡単にはさせて貰えない立場だと知らない春雪は、ミシェルのその優しさや気遣いを八人もの子を育てる者の父性だと勘違いしていた。
・
・
・
春雪が再び眠りつきしばらく様子を眺めたあと、脈や呼吸にも異常がないことを確認してから部屋を出たミシェル。
「国王陛下」
「警備ご苦労だった。勇者殿は流行病ではないと判明した」
「左様でございますか。何よりです」
「マクシムとミシオネールへ障壁と浄化は必要ないことと、勇者殿を起こさないよう寓話の間へ来るよう伝達を」
「承知いたしました」
イヴが廊下にかけた障壁の向こうに居る騎士へ伝達を頼み、叙事詩の間の隣にある寓話の間へ行く。
「ふぅ」
薬を摂取したあと問題が見られずまずは一安心。
実際に効果があるかどうかは数日を要するだろう。
薬が効いて熱が下がってくれればいいが。
ハイバックソファに背を預け深く息をついたミシェル。
国王らしからぬ気を抜いた姿も誰も居ないからこそできることで、仮に誰かの居る場でこのような姿をすればイヴから遠回しに厭味を言われただろうと苦笑する。
国王の立場とは難儀なもので、愛児の前でも国王で居なければならないのだ。
「いや、今更か」
少なくともマクシムの前では失態をさらした。
フレデリクには悟られ、三妃にも焦りを隠せない姿を見せた。
「まるで父上のようだ」
独り言を口にしながらミシェルは自嘲する。
国王として民の前に立つ時は毅然とした態度の父だったが、母や兄や私の前では表情豊かな人だった。
ミシェルはその正反対。
有識者から隙のない厳格な国王を求められ従い表情をなくし、感情も言葉も必要以外のものは全て飲み込んだ。
長く外戦に出ていたイヴが跪き詫びを口にしたのを思い出す。
ただただすまなかったと繰り返して。
あの時には何故イヴが詫びるのか分からなかったが、それほど以前の私とは別人のようになっていたのだろう。
「国王陛下。ミシオネールです」
「入れ」
ドアのノックとイヴの声がして、しっかり座り直し部屋に招き入れる。
「王太子殿下はまだでしたか」
「イヴが先だ。外には出ていないと思うが」
入ってきたのはイヴ一人。
それを見てミシェルは再び背をソファに預ける。
「春雪殿に直接お聞きになったのですかな?」
「ああ。随行医とイヴの魔法検査の結果を見せたが、ここに書いてある症状であればうつるような病ではないと」
「左様で。春雪殿がご存知で良かった」
春雪が分からなければ医療師や魔法医療師の手であらゆる検査が必要になっていた。
そうならずに済んだのは良いこと。
「治療のことだが、春雪が自分でどうにかできそうだ」
「どういうことですかな?」
「創造魔法で薬を創り出した。今はそれを飲んで寝ている」
「成分を調べてからにするべきだったのでは」
「私も最初はそう思ったのだが他の者が調べる方法がない。私が持ったスプーンで触れた瞬間に消えてしまった」
手で触れずとも消えてしまうのだから調べようもない。
唯一の方法は春雪本人が研究所へ行って一から自分の手で調べることだが、知識のないことをやれと言われても困るだろう。
そもそもあの体調では研究所へ行くこともできないが。
「注射と薬剤を使用したあと二時間ほど様子を見たが異常は見られなかった。後で魔法検査を行い確認して欲しい」
「それはもちろん構いませんが、あの検査結果をそのまま見せたのでしたら半陰陽の話もしたのですよね?」
「ああ。間違いなかった。あえてそう作られたらしい」
「あえて困難な体を作るとは人の所業とは思えませんな」
人工的に命を作りだす時点でこの世界では大罪。
そのうえ体まで自分たちの研究の都合に合わせて作るとは。
「異界は出生率も生存率も低いと言っておられたので、言葉は悪いですがどちらにもなれるよう半陰陽にしたのでしょう」
汚染された世界で生きることのできる新人類。
強い人工生命が作る側にも身籠る側にもなれるように。
実際に春雪が子を為すことができるのかは分からないが、例え一号の春雪で失敗をしてもまたそれを活かして次の実験体を改良するつもりだったのだろう。
「異界では実験体として苦難を強いられ、この世界では命がけになる天地戦へ行くことになる。なあ、イヴ。私は春雪にどれほど酷いことをしているのだろうか。私には異界の研究者を腹立たしく思う資格などないのではないだろうか」
神父へ聞かせる懺悔のように祈り手を組んで話すミシェル。
そもそも異界から勇者を召喚することに誰よりも罪悪感を抱えていたミシェルは、春雪のことを知るほど押し潰されてゆく。
この世界に生きる一人であるイヴに言える言葉はなかった。
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