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第零章 先代編(前編)
知らされた真実
しおりを挟む「どう解釈すればよいのか」
「私にも現時点ではなんとも」
王城にある国王執務室。
イヴから春雪の能力について報告を受けたミシェルは眉根を押さえる。
「なにぶん前例のない能力ですので早急に調査が必要かと。今回私が見た物は奇妙な箱で怪我をする危険性はありませんでしたが、どのような物を作れるのかによっては共に訓練を行う勇者一行だけでなく国や国民にも危険が及ぶ可能性があります」
イヴが警戒している理由は明らか。
もし春雪が自分の意思でどんな物でも作れるのだとすれば、国を揺るがす殺戮兵器すらも作ることができてしまう。
「勇者や勇者一行が道を違えば精霊族にも毒になると分かっていたこと。そうならないよう敵と認識させてしまうことは絶対に避けなければならないが、春雪だけはどうにも危うい」
「ええ。毒になる可能性が高いのは春雪殿でしょう」
一番毒になりかねないのは他人を信用していない春雪。
疑心暗鬼になって精霊族を敵だと思う可能性もある。
既にもう師団や魔導師が愛国心を芽生えさせることを優先していると気付いて嫌悪感を抱いているのだから厄介だ。
「師団や魔導師の今のやり方では春雪殿の不信感は募る一方。他の勇者方もじきに不満を持つでしょう。何も分からない彼らが不安に思うのは当然のこと。それにも関わらずある程度の能力を知った後でも事足りる歴史や常識を愛国心を育てる為に優先するとは、私からしても愚かとしか言えません」
師団や魔導師にも考えがあり立場がある。
それを理解しているからイヴは勇者教育に口を挟まずいたが、このまま知らぬフリで黙っていれば勇者が敵になるという最悪の事態もありうる。
「ああ。歴史を知って愛国心が芽生えるとは私も思えん。勇者方にとってはこの世界の歴史などどうでもよいことだろう。見知らぬ世界の見知らぬ者の話なのだからな」
この世界で生まれ育った者が相手ならまだしも、自分の人生に影響を齎した訳でもない物事を異世界人に鼻高々で話して聞かせたところで興味など持って貰えないだろう。
何かをきっかけに本人が知りたくなった時に学べばよいだけ。
「まずはこの世界に興味を持って貰うことが先決かと。既に春雪殿は魔法に強い関心を持っておりますし、他の勇者方も異世界になかった魔法や剣を学ぶ方が余程興味を持つと思います」
「ではそのように講義の変更を。私の判断だと伝えよ」
「はっ」
国王のミシェルが決めたのであれば誰も文句は言えない。
イヴが口を挟めば師団や魔導師が良い顔をしないことは分かっているからこそミシェルはそう言葉を付け足した。
「イヴ。今夜春雪の部屋に訪問すると言ったな」
「はい。預けた記録石を受け取りに参ります」
「私も行こう。直接自分の目で確認したい」
「それは却下してもいいのですかな?」
話を終え執務室を出ようとしたイヴに声をかけたミシェル。
返事は分かっていながらイヴが問い返すと、ミシェルはケースから出した葉巻を口に咥えてニヤリと口角をあげる。
「顔はしっかりと隠してくださいますよう」
「ああ」
やれやれ、困った国王だ。
いや、今日まで我慢したことをよく堪えたと褒めるべきか。
苦笑を滲ませながらもイヴは重厚な扉を開け部屋を出た。
・
・
・
コンコンコンと部屋に響いたノックの音が三回。
風呂から出たばかりだった春雪は毎晩訪れる魔導師や師団が来たのだと思い、もうそんなに時間が経っていたのかと急いで濡れた体を拭いている間にも二度目のノックが部屋に響く。
「すみません。風呂に入っ」
待たせるのも忍びなく下だけ身に付けて扉を開けた春雪は、廊下に居たイヴとローブ姿の人物を見てキョトンとする。
「お着替え中でしたか。急かして申し訳ございません」
「いつもの聴聞かと。半裸で出迎えてすみません」
説明しながらも慌てて上を着る春雪。
顔の隠れたローブ姿の人物がミシェルであることに早々と気付いて半裸で国王を出迎えてしまったことに慌てているようだ。
「そのように慌てずともよい。急遽訪問したのは私の方だ」
「国王さまの前で肌をさらすのは」
召喚されて数日の間に春雪もこの世界の礼儀を多少教わった。
その中で王族へ必要以上に肌を見せるのは礼儀に反すると教わったから、予定外のミシェルの訪問でこんなに慌てている。
「正式な場ではそれが正しいが、今は個人的なお忍びで来ているのだから堅苦しい対応は必要ない。もっと気楽にしろ」
ローブを脱いでソファに置いたミシェルは慌て過ぎて不器用になっている春雪の着替えに手を貸しながら苦笑する。
「陛下の訪問を報せる時間がとれずに慌てさせてしまいましたな。尤も私も一緒に訪問することになるとは予定外でしたが」
「二人で来た方が警備に正体を明かさず済むだろう?」
「言わないだけで気付いていますがね。得体の知れない者を確認せず通すほど勇者宿舎の警備兵は無能ではありませんぞ」
「頼もしいことだ」
軽く笑いながらも春雪の衣装の釦を留めるミシェル。
まるで従者のようなその行動をイヴ以外の者が目にすれば卒倒ものだろう。
「国王さまはどのようなご用件ですか?」
「シエルだ。忘れてしまったのか?」
「覚えてます。でももう呼べません」
着替えを手伝うミシェルからスルリと離れた春雪はハッキリと拒否を示す。
「何故だ。月祭の日は呼んでいただろう」
「毎晩来る聴聞員や講師陣から国王さまがどれほど偉大な人物かを繰り返し聞かされました。歴史を学んで私自身も気軽に接していい方ではないと改めて気づかされましたのでお呼びすることは出来ません。今までの数々の御無礼をお許しください」
跪いて深く頭を下げた春雪。
ミシェルはそんな春雪の言動を見て深く眉根を顰める。
歴史を学んだ弊害がこのようなところにも。
一国の王に対して気軽に接していい訳がないというのは至極当然な考えでも、ミシェル本人は春雪にそれを望んでいない。
常識的に正しいことをしている春雪に注意するような言葉はかけられず、心を許せる者から距離を置かれたミシェルの辛さも分かるだけに、どうしたものかとイヴは頭を悩ませる。
「……呼び方についてはさて置き、今日は話すことも多いので座りませんか?春雪殿も濡れた髪のままでは体調を崩してしまいます。私がヒートで乾かしますのでお座りください」
策が思い浮かばず一旦は後回しに。
高級感のある革製のハイバックソファに座るようミシェルには目で合図を送り、座ったことを見届けてから春雪にもミシェルと対面に位置する場所に座るよう促す。
「ヒートっていうのは?」
「熱と風を利用して髪を乾かす魔法スキルです」
「この世界はドライヤーじゃなく魔法で乾かすんだ?」
「ドライヤーというのは?」
「髪を乾かす機械」
「機械?」
「えっと……」
ソファに座って何をされるのかと背後に居るイヴを見上げて聞いた春雪は説明しながらも手のひらに魔力を集める。
「これ。俺が居た時代はコレを使って髪を乾かす」
あっという間にドライヤーを作り出した春雪は手に持ったそれをイヴに見せる。
「「…………」」
顔を見合わせたのはミシェルとイヴ。
まるで熟練の賢者のように素早く魔法を使いこなした春雪の才能に驚きもあるが、やはり得体の知れない物を生み出すその能力の危険性を感じずにはいられない。
「それでどのように髪を乾かすんだ?」
「ここのスイッチを押すだけです」
聞いたミシェルに見せるため、春雪は置き型のドライヤーをテーブルに置いてスイッチを押す。
「こんな風に」
「これで乾くのか?」
「はい。ここから出ている熱で乾きます」
奇妙な形をした金属物は静かなまま。
対面に座っているミシェルには正常に起動していることが分からず、春雪がここと指さした場所を見るため春雪の隣に座って確認する。
「確かに温かいが乾くまでに時間がかかりそうだ」
「もう一度押せば風も出ます」
「二段階になっているのか」
「一段階目はヘアケア用の温熱で、早く乾かしたい時には二度押した時の温風や三度押した時の冷風を使います」
「ほう。用途ごとに使い分けられるということか」
小さな音を響かせ温風が吹くのを手で確認したミシェル。
少なくともこの金属物に危険性はないと分かって安心する。
「私が見た時の金属の箱も珍妙な品でしたが、こちらも劣らず珍妙な品ですな。一体どのようにして温風が出ているのか」
「俺も内部構造までは分からない。ただ、俺の居た時代にはどの家庭にも当たり前にある物だったから想像するのは簡単」
「ふむ。内部は分からずとも作ることが出来ると」
そうであるならますます春雪の能力は危険性が高い。
見た目さえ覚えればこの世界の国家武器の一つである魔導砲すらも作れてしまう。
「構造も形も不思」
「「あ」」
興味を惹かれたミシェルがドライヤーに触れると『ナノ』の時と同じく一瞬で消えて春雪とイヴは同時に声を洩らす。
「……すまん。つい触ってしまった」
イヴから触れたら消えたと報告を受けていたのに、好奇心に負けてつい触れてしまったことをミシェルは眉を下げて謝る。
そんな表情のミシェルに春雪はぷっと吹き出す。
「そんな顔して謝るほどのことじゃないのに」
威厳ある国王ミシェルの時には見せないだろう表情。
この国の歴史や国王の偉業を学んで雲の上の存在だと思わされたことは事実なのに、シエルとして前に居る時にはわかりやすい表情を見せるから笑ってしまう。
楽しそうに笑う春雪とそんな春雪に苦笑するミシェル。
邪魔をしないよう仲のいいその様子を黙って眺めながら、イヴは髭を撫でつつ独り頷く。
思わぬことで状況が好転した。
歴史を学んだことで春雪に芽生えたミシェルとの距離感をどう埋めたものかと思ったが、今であればまだ間に合いそうだ。
イヴとしても勇者の春雪に心を病まれては困る。
そうならないためには信頼できる者が必要。
「春雪殿。ステータスで魔力量を確認していただけますか?」
「魔力量を?」
「今の魔法で幾つ減るのかと。魔力が枯渇すれば昏睡状態になり危険ですので何を作って幾つ減るかを把握しておかねば」
「確認してみる。ステータスオープン」
イヴから訊かれてすぐ画面を開いた春雪。
ステータス画面は個人の情報が分かる重要なもので本来は気安く見せるものではないが、勇者のステータス画面は能力値の上がり具合で訓練の内容を決めるため、国王と国仕えの一部の者だけが見ることを許されている。
「あれ?魔力量が変わってる」
「これは一体」
「魔力を通したことで魔力量も解放されたのでしょうが……」
「少ない?」
「逆だ。この数値の上がり方は有り得ない」
「え?」
初日に確認した春雪の魔力量は二千を少し超えたくらい。
勇者だけあって体力量は一万を超えていたものの魔力量は少なく、魔力解放後の変化を考慮しても恐らく武力特化型の勇者になるだろうと思われていたが、今の数値は一万を超えている。
ステータスは鍛えることで変化する。
ただ魔力が解放されただけの段階でこれほど数値が跳ね上がるなど通常なら有り得ないことで、今後訓練を重ねて覚醒した際には賢者すらも上回る数値になる可能性がある。
しかも魔法を使って減ったのはたったの二百。
生活魔法レベルの弱魔法を使った時と変わらない。
これは早急に能力を調べる必要がある。
「数値といい能力といい、これが神に選ばれし勇者の才か」
この世界の常識など勇者には当てはまらない。
歴代の勇者の中にもこの世界に存在しない特別な能力を持っている者が居たことは禁書にも記録されているが、春雪もまたこの世界には存在しない特別な能力を持っていた。
「自分では実感がない。何で俺が勇者に選ばれたのか」
「それは私たちにも分からない。知るのは神のみ」
この世界の者が選んで勇者を召喚している訳ではない。
なぜ春雪や時政や柊や美雨が勇者や勇者一行として選ばれたのかが分かるのは訓練を重ねて力を得てからになるだろう。
「ミシオネール。春雪の明日の講義は昼から欠席にしろ。私の午後の公務も中止だ。必須なものは午前に回せ」
ミシェルの唐突な予定変更に溜息をつくイヴ。
変更できるかを訊くでなく中止と言い切られては従う他ない。
「理由だけは伺えますかな?」
「春雪を調べる」
「陛下が直接調べると申されるのですか?」
「ああ。調べが終わるまで春雪の能力は他言無用だ」
「承知しました」
春雪の能力を調べるのは早い方がよい。
ミシェルが言わずともイヴが明日から調べるつもりでいたが、アクティブな国王は自分の目で見て判断したいのだろう。
「モルモットにはなりたくない」
「モルモット?」
「俺を調べるんだろ?体をあちこち調べられるのは嫌だ」
深く眉根を寄せ不快感を露わにした春雪。
それを見てミシェルは短く笑い声を洩らす。
「私の言い方が悪かった。調べたいのは春雪の体ではなく能力についてだ。どの程度の物を作ることができるのか、消費する魔力量は物によって違うのか。訓練がてら私に見せて欲しい」
「訓練?講師からは後日って言われたけど訓練していいの?」
「魔法を使うのだから実践訓練には違いない。とはいえ知識のないままの訓練は危険を伴う。実際に訓練しながら教えよう」
訓練できると聞いて春雪の表情は一気に変わる。
今日の講義は昼食時間に抜けたものの午後からはまた講義を受けていたが、ただ口を結び不満を飲み込んだというだけで本当はすぐにでも訓練を受けたかったのだろう。
「講義も明日から魔学を入れるよう変更しました。魔法を使う上での基本ですので午前の魔学はしっかり受けてくだされ」
「講義も明日から?分かった。ちゃんと聞く」
子供のようでなんとも愛らしい。
普段は表情に乏しく年齢にそぐわない態度をしているだけに、喜びを隠しきれず期待に胸を膨らませる春雪の姿にイヴは洩れそうな笑みを堪える。
「一足先に魔力を解放したことや能力については勇者一行にもしばらく秘密にしておくように。明日の訓練についても」
「うん。ミシオネールさんからも言われたから能力のことは話してないし、明日の訓練のことも秘密にしておく」
「ああ。講義を欠席する理由はこちらで用意して話しておく」
「ありがとう」
すっかり警戒心の抜けている春雪。
気にしていた国王に対してどうこうというのも今は喜びの方が大きくて頭の中から消えているのだろう。
ミシェルも同様に仲のよい友人同士と接しているかのように春雪との会話に花を咲かせていた。
「そういえば午後の講義では異変がありましたかな?」
「異変?」
「変な気分になるというアレです」
春雪の髪をヒートで乾かしつつイヴは訪問した理由の一つのそれを問う。
「相変わらず視線は感じたけど変な気分にはなってない」
「それは何よりでした」
「借りたこれも使わずに済んだ。ありがとう」
何もなかったのはよいこと。
ただ、春雪が感じた『変な気分になる』というのが事実であるなら何かあってくれた方が早く解決に繋がっただろう。
「これがイヴの話していた障壁付与の装飾品か」
「はい。それは私のですのでお返しいただきますが、勇者方にも別の物をご用意してお渡ししようかと考えております」
「それはいい案だ。普段持ち歩くことになるギルド登録をした装飾品に付与して常に身につけて貰うのがよいだろう」
「では装飾品を用意しておきます」
「ああ」
渡すのは今回と同じく記録石のついた装飾品。
知らずに身につけることになる勇者たちには申し訳ないが、万が一勇者たちの身に何かあれば重要な証拠が残る。
障壁魔法も付与しておけば一度は身を守ってくれるだろう。
「ギルド登録ってなに?」
「異界から来た勇者方にはいま籍がない。このブークリエ国の王都に国民登録をして冒険者ギルドにも登録していれば、王都や他領を出入りする際に身分証明として利用できる」
「冒険者じゃなくても登録できるんだ?」
「ランクの低い間は依頼を一年受けなければ除籍されるが、身分を証明する物として一般国民にも登録している者が多い」
「へー」
この世界で身分を証明できるものは三つ。
商人が持つ【商人カード】と貴族が持つ【爵位カード】。
そして冒険者が持つ【ギルドカード】。
商人や貴族に発行されるカードは条件を満たさないと発行できない上に登録料も高いが、冒険者に発行されるギルドカードは国民登録をしている者であれば簡単かつ安く登録できる。
「さて、乾いたようです」
「ありがとう。こんなに早く乾くとか便利だね」
「専属使用人には必須スキルですのでダフネも使えますぞ?今後はダフネに乾かして貰うのは如何ですかな?」
「……考えとく」
まだ駄目か。
身の回りの世話を任せるきっかけになればいいと思ったが、ダフネに気を許すのはまだ先の話になりそうだ。
「使えないのであれば別の者に替えるか?」
「違う。ダフネさんは何でも器用にやってくれるし、いつも俺を気遣ってくれる善い人だ。悪いのはいつまでも人や環境に適応できない俺の方でダフネさんはなにも悪くない」
ミシェルに真剣な表情で説明する春雪。
ダフネが聞いていれば嘸かし喜んだことだろう。
「そうか。安心した」
「え?」
身を乗り出し気味に否定した春雪にミシェルはくすりとする。
「意地の悪い問いをしてすまなかった。春雪は春雪なりに他の勇者方と同じく従者を大切に扱ってくれているのだな」
「もしかしてわざと言った?」
「半分は本気だ。どんなに仕事ができる従者であっても主人に合わせることができなければ意味がない。主人にあたる者もまた従者を奴隷のように扱う者であれば仕えさせたくない」
国王のミシェルにとっては従者も大切な国民の一人。
勇者の専属に選ばれてから名や顔を知った者であろうとも。
「この世界には奴隷制度があることは学んだか?」
「うん。歴史の講義で聞いた」
「私はその制度を変えたいと考えている。職業として自分で選び主人に仕えている従者とは違って、奴隷は人権がなく酷い扱いを受けている者が多い。問題も多く私の存命中に変えることは叶わないだろうが、私が道を作り先の国王へと託したい」
王妃にすら話していないそれを話すのかとイヴは苦笑する。
それほど春雪に心を許しているということ。
「この国に生まれた人たちが羨ましい。国に暮らす人のことを真剣に考えてくれてる人が国のトップで」
ぽつりと呟いた春雪。
その表情はどことなく悲しげ。
「春雪の故郷では違うのか?」
「違った。それに気付いたのはたった今だけど。それがもう当たり前のことだったから違和感を持つこともなかった」
春雪が初めて異界での生活を口にした。
時間遡行機やナノやドライヤーのように異界にあった物のことは話しても私生活については濁していたのに。
「美雨や柊が居た豊かだった時代と違って、俺が居た時代は環境汚染が酷くて作物すらもろくに育たなかった。そんな自然環境だから人の心も荒んで犯罪率が高くてまともに外を歩けないし、人口が少ないから出生率が異常に低い上に運良く生まれても環境汚染の影響で生存率が低いっていう最悪の状態だった」
世界中が似たり寄ったりの環境。
人々は生命の終わりを感じながら生きていくしかなかった。
「環境汚染が特に酷い国から次々と消滅していくそんな状況の中で、国のトップに居る人たちは苦肉の策をとった。そうできる技術は既にあっても倫理的な観点からやらなかったことを」
そこまで話して春雪は深い溜息をつく。
「俺は人工的に生命を創る技術を使って作られた初の成功例の人工生命体だ。滅びつつある自然生命の数を増やすために環境汚染に強くて子供も作れる人工生命として作られた。自然生命の代替品として成り立つか、知能はどうか、寿命はどのくらい持つか。生活全てを世界中の技術者から監視されてる実験体」
春雪の口から明かされた衝撃の事実。
この世界には生命を創り出す技術はない。
むしろ生命を創るのは神だけと信じられているこの世界ではヒトを作るなど考えられないことだった。
「突然こんなこと話してごめん。人工生命なんて気持ち悪いだろうけど、俺は欠陥部分が多くて寿命も短いって言われてるから話しておこうと思って。魔王を倒す前に死んだらごめん」
ミシェルを見て苦笑した春雪。
それを聞いたミシェルもイヴも声にはしなかったものの、春雪が人一倍生きることに執着する理由や警戒心が異常に強く一人になりたがる理由が理解できた。
「駄目だ。死んでは駄目だ」
痛々しく笑う春雪を腕におさめたミシェル。
春雪はその予想もしていなかったミシェルの行動に驚く。
「春雪が人工的に創られた人であっても関係ない。気持ちが悪いなどと思うはずもない。むしろ、人として生まれた春雪を研究材料として扱う者に対して腸が煮えくり返る思いだ」
胸に燻る強い怒り。
ミシェルがこれほどの怒りを覚えたのは初めての経験だった。
人の体や心を持って生まれた春雪だからこそ、自分が人工的に創られた実験体であることや研究材料として常に監視されている生活を送るのは苦しかっただろう。
「今どこか痛いところはないか?体におかしなところは?何か異変があればすぐに言え。この世界には回復という治癒魔法がある。春雪もこの世界でなら生きられる」
回復は万能ではない。
体を蝕む大病は治せず、寿命がくれば命は尽きる。
それでもミシェルは春雪に少しでも安心して欲しいがために、いや、自分自身に言い聞かせる意味でも断言する。
「凄いんだね。回復って」
「ああ。だから安心しろ。寿命が短いなどとはもう言うな」
「陛下」
希望を持たせて嘘だと知ればなおさら絶望させるのではと思いイヴが咎めようとすると、ミシェルの腕におさめられている春雪はイヴをちらりと見てふっと笑みを零す。
「ありがとう、シエル」
ああ、この青年は気付いているのだ。
ミシェルの嘘に。
嘘だと気付いたうえで信じたフリをしている。
それが自分を思っての優しい嘘だと分かっているから。
「陛下。毎日の検査は既に行っておりますぞ?」
「詳細に分かる魔法検査だ。魔法医療師を手配しろ」
「では魔法検査は既に一度診察したことのある私が行いましょう。ただし三日に一度。毎日では春雪殿の負担になります」
詳細に分かる魔法検査は他の者には任せられない。
ミシェルの命令でもそれは絶対に阻止しなくてはならない。
「だが」
「だがではありません。ご自身がその立場になって考えてください。陛下は自身の体内事情を何人もの魔法医療師に知られてよいのですか?よしとしないから私一人にさせてるのでは?」
そう指摘されてミシェルはぐっと怯む。
国王の体に万が一病が見つかり国民の耳に入るようなことがあれば国を巻き込んだ騒ぎになる可能性があるから、そうならないよう詳細が分かる魔法検査はイヴだけに任せている。
「勇者さまと二人きりにはさせられないので最低でも二人。毎日であれば数人の魔法医療師が担当することになるでしょう。他人を警戒せずに済むよう努力をしている最中の春雪殿が、通常の検査よりも時間のかかる魔法検査が終わるまで魔法医療師と部屋に居なくてはならない精神的苦痛はお考えで?」
珍しく圧の強いイヴ。
幼少期の教育係でもあったイヴのその厳しさを思い出してミシェルは何も言えなくなってしまった。
「やっぱり二人は仲がいいね」
「今のどこを見てそう思えたのだ」
「だって二人の間に信頼関係がなければ国王さまにこんな強く言えないだろ?お互い信頼してるから言えるし聞ける。それにシエルの顔が怒られてる時の子供みたいな表情になってた」
春雪はそう言って笑い声を洩らし、まさに幼少期を思い出していたミシェルは図星をつかれて苦笑する。
「心配させて申し訳ないけど元気だしむしろ体は頑丈な方。ただ生きるための肝心の核、自然生命でいう心臓がいつまで持つか分からないんだ。俺は世界中の色んな人種の遺伝子が組み込まれてるお試しの実験体だから色々な欠陥がある。どの人種の遺伝子が最善か、あらゆる要素を組み込むことでどんな副作用があるか。それを研究するための監視でもあった」
人工生命の春雪の心臓は『核』と呼ばれる。
男女の営みによって生まれた普通の人と同じ見た目や役目をしているし他の臓器はそのままの名前に関わらず、倫理に反することへの言い訳のように心臓とは呼ばない。
「黒髪黒目でも混血に見えるのは当然なんだ。俺の遺伝子は日本人のものだけじゃないから。色んな人種が混ざった混血」
「美雨殿から問われて言い淀んだ理由はそれですか」
「人工的に創られた生命でも混血って言うのかわからなくて。混ざってるって意味では嘘じゃないけど」
召喚祭の日に『触れてはいけない話題だ』と誰もが察したあの春雪の間は、どう答えればいいかを考えていた間だった。
それを知って正直な青年なのだなとイヴは髭を撫でる。
「心臓に異常がでた時には分かるものなのか?」
「自然生命が病気になった時と同じく俺の場合も核が弱まってくると体に異変が出るから分かるって言ってた」
「それならば何かあれば気付けるか」
「うん。初の成功体で前例がないからいつまで持つか分からないってことと、弱まったらあっという間に止まるって違いがあるだけで、体の痛みや不調は自然生命と同じように分かる」
それが事実であれば心臓に不調が出た時は末期。
最期の別れを告げる時間すらもない可能性がある。
「今日の結果は食欲不振と睡眠障害と軽い貧血と言ったな」
「はい。もし他にあれば報告しております」
「そうか。今は心臓に異常がないのであればミシオネールの言うように精神的な負担にならない方を優先すべきか」
検査結果で出た異常はそれだけでイヴは嘘を言っていない。
ただし、病ではない身体的なことでミシェルにも報告していないことならばあるけれど。
「もう一度だけ確認しておく。心臓に異変はないのだな?」
「なんともない。さっきも言ったけど体は頑丈な方だし疾患を持ってる訳でもないから、運動もできるし普通に生活できる」
「生活に制限はないということか」
「うん。人工的に創られた核だから限界が来るのが早いってだけで、他は自然生命と変わらない」
そもそも遺伝子というものが何かは知らないが、人が人を創るという神に背く行為を未完成のまま強行したのだろう。
未完成の実験で割を食うのは実験体として生まれた者だというのに、異界の者がしたことは罪深い。
「二人に話しておこうと思ったのは同情して欲しいとか気を使って欲しいとかじゃなくて、もしかしたら討伐前に核の限界がくる可能性もあるから。勇者にしか倒せないんだろ?魔王って人は。限界が来なければ行くけど、もし無理だったらごめん」
イヴが感じた違和感。
会話するミシェルと春雪を見ていて違和感の正体に気付き肌が粟立つ。
春雪は生への執着と等しく死も受け入れている。
まるで他人事のように、明日近場へ出かけると報告しているだけのように話す、その軽い口ぶりが違和感の正体だった。
自分に残された時間が長くないことを受け入れた上で、その限られた時間だけは精一杯生き抜こうとしている。
本来なら生まれるはずのなかった生命が多くの人々の期待を背負い生を受け、そんな自分を創った生命を信用することもできないまま監視から常に見張られ、辛くとも必死に生きてきた。
春雪の事情を知った今はズシリと胸が痛む。
異界の者の行為が罪深いなど言える立場ではない。
この世界でも多くの者の期待を背負わせているのだから。
何故神は既に苦悩を抱えていた青年を勇者に選んだのか。
イヴは痛む胸元の法衣をぐっと握りしめた。
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えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
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