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第十章 天地編
未来への希望
しおりを挟むライの実が炊き上がった後は待ちに待った食事タイム。
広場は自宅から皿を持って来た集落の人たちでごった返す。
「んー!美味しい!」
「気に入ったみたいで良かった」
「最初は見た目で躊躇したけどクセになる味だね。淡白なライの実によく絡んで美味しい。これは行列になるのも分かる」
「唐揚げや目玉焼きを添えても美味いぞ」
「次はそれも頼むよ」
「カレー信者の世界へようこそ」
「カレー信者?」
「この世界の第一号はエド」
BBQを焼く俺の隣で立ったままカレーを食べるエミー。
わかりやすい美味しそうな表情にクスッとする。
「エミーリア。立って食べるとは行儀が悪いぞ」
「私たち軍人まで座ったら集落の人たちが気を使って座れないだろ?軍人なら軍人らしく国民を優先しろ。私らは外戦で立って食べるのなんて慣れてるんだから今更だろう」
「そ、それは」
行儀に厳しい師団長もそれを言われては反論出来ないらしくグゥっと唸る。
いつもながら凸凹コンビは仲が良いのか悪いのか。
「英雄さまお肉ください」
「野菜も食べるんだぞ。よく噛んでな」
「はーい」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
笑顔の少年と母親が手に持つカレーを装った皿に焼き終えている串焼き(タレ)をのせ、楽しそうな表情の親子に釣られて笑みで見送る。
「ほ、本当によろしいのでしょうか。英雄公爵閣下や国王軍のみなさまにお任せして私どもが食事をするなど」
英雄の俺や軍人の騎士や魔導師や師団が配膳をして自分や集落の人たちが座って食べてるのが気になるらしく、申し訳なさそうに聞きに来たカスカド侯爵。
「いいんだよ。人が喜んでいる姿を見ることが好きなシンらしい慰問だし、軍のみんなも国民の楽しそうな顔を間近で見ることが出来て嬉しそうだ。気遣いは不要だよ」
「こうして領民の喜ぶ姿を見ることができたのは、いつも国民をお守りくださる軍のみなさまや英雄公爵閣下のあたたかい心配りのお蔭です。領主として感謝の念に堪えません」
本当に真面目。
いや、これが普通の貴族の態度なのかも知れないけど。
「心配りというより俺にはこういう慰め方しか出来ないだけ。慰問の目的は疲れた人たちを慰めることだけど、俺の下手な慰めの言葉よりみんなで美味いものを食べて笑ってる方が元気になれるだろ?カスカド侯爵も今回の慰問相手の一人なんだから今日くらいは肩の力を抜いてみんなと食事を楽しんでほしい」
暴動騒ぎで大変だったのは領主も同じ。
カスカド侯爵も慰問相手の一人なんだから堅苦しいあれこれは一時忘れて少しでも楽しんでくれたらと思う。
「お心遣いありがとうございます。お言葉に甘えて私も領民との時間を過ごさせていただこうと思います」
「うん。そうしてくれると嬉しい」
笑みで言うカスカド侯爵に俺も笑みで返した。
「俺も少し邪魔していいか?」
『英雄!』
ある程度配膳状況が落ち着いてから焼き係を交代して、エドやベルも一緒に居るブラジリア集落の代表騎士が集まっている所に行く。
『どうぞ!』
「気遣いはありがたいけど、これだと俺だけ座ってみんなは立ってる状況になるから心苦しいな」
エドやベルだけでなく代表騎士たちも同時に立って席を空けようとして、息のピッタリなそのタイミングに笑う。
「おかけになってください。シンさま」
「ありがとう」
俺の専属執事と女給で護衛でもあるエドとベルが席を立って俺が座った後ろに立つ。
「カレーどうだった?口に合ったか?」
『美味しかったです!』
「みんなオカワリしたんですよ?」
「異世界の料理って凄いですね。あまり野菜は好きじゃないんですけどカレーの野菜は気にせずに食べられました」
「そっか。みんなの口にも合ったみたいで何より」
よほど気に入ったのか前傾姿勢気味でのその感想に笑いながらベルが注いでくれた果実水のグラスを受け取る。
「カムリンは案内役だったから先に言ったけど、改めてみんなにも謝らせてほしい。遠くから何日もかけて王都まで来てくれたのに不在にしていて申し訳なかった。自分から声をかけておいて無責任だったと思う」
寛いでるのに邪魔するのは気が引けたけど今日は公務で来ていて案内のカムリン以外とは話す時間が取れなさそうだから、他の五人にも今の内に謝っておきたかった。
「それについては英雄の責任は一切ございません。止められなかった自分たちとカムリンの責任です」
「ん?」
「まずはご予定の確認や謁見の許可をいただいてからと言ったのですが、カムリンが英雄を驚かせたいと聞かずに強行した結果ですので。一般国民の自分たちが突然行って英雄にお会い出来ると思っていることがそもそも間違いで、駄目なら王都に着いてから送ればいいだろうとお気楽に考えているカムリンを止められなかった自分たちも悪いのです」
経緯を説明してくれながら澄まし顔のカムリンをジト目で見るのは武闘大会で付き添い人だったブラス。
「五人だけでは不安でしたので私も付き添ったのですが、王都への入京審査で訪問理由を問われ嘘はつけませんので英雄へお目通りを願いに来たことをお伝えしたら、案の定騒ぎになりました。訪問と謁見の許可はとってあるのかと問われてありませんと答えた時の、正気かと伝わる警備兵の顔が今でも忘れられません。エドワードさまが英雄の客人だと証言してくださったので事なきを得ましたが、それがなければ怪しい旅人として捕まっていたかも知れません」
……よほど苦労したらしい。
武闘大会の時もそうだったけど、可哀想なくらい苦労人。
力説してる横でカムリンはしらーっとしてるけど。
「俺に会いに来たって理由でそんなに審査が厳しくなるのか。俺は不在なのに怪しいと思われたのか?」
「武闘大会の影響で約諾もないままシンさまを一目見ようと王都へ来る来訪者が多かったことが一番の理由かと。貴族や商人からの謁見を申し込む書簡も絶えず届いていたためにやむなく国王陛下が療養を発表したのです」
「え?そうだったのか」
それは初耳。
屋敷が下賜される前は騎士団の宿舎に暮らしていたから俺への手紙(書簡)は必然的に国を通してになる。
あまりの多さにもう黙っておくのは限界だと判断して発表に踏み切ったんだろう。
「その人たちと同じだと思われちゃったんだな」
「はい。みなさまはシンさまがお声がけして来てくださった賓だと説明してご理解いただきました」
「そっか。ありがとう」
さすが俺の専属執事。
俺の不在中でもしっかり対応してくれて助かった。
「そんな大変な思いをしたことを聞いた後に訊くのも気が引けるけど、王都まで来てくれたのは警備兵になってもいいと思ったからか?そのあと時間も経って気持ちの変化もあるだろうし今の考えを聞かせて欲しい」
慰問だ公務だと決まる前にブラジリア集落へ行こうと思った理由の一つのそれを聞きいておきたい。
「今回の暴動で厳戒態勢になったことをきっかけに話し合ったのですが、私たちが王都へ行くことで集落の警備が手薄になることに気付きました。代表騎士に選ばれる程度には戦える私たちが居なくなったら万が一の時に集落はどうなるのかと」
そう真剣な表情で話すカムリン。
たしかにその通りで、代表騎士に選ばれるだけの実力があるみんなに居なくなられたら集落の警備が手薄になってしまう。
「ですので私とウーゴの二人では駄目ですか?」
「え?」
「代表騎士が揃っていないと雇っていただけませんか?」
「ん?断るって返事じゃなく二人は来てくれるのか?」
話の流れ的に断られるんだと思っていたから、カムリンとウーゴは引き受けてくれると聞いて驚く。
「お誘いいただいた時にも申しましたように、私たちを迎え入れることで英雄の評価が下がるのではと不安が拭えず長や長老に相談したのですが、獣人であることを承知でお誘いくださったのに何を迷うことがある、集落から英雄にお仕えできる者が誕生するなどこんなに誇らしいことはないと言われ、その通りだと思い決心いたしました。本当はみんなで行きたかったのですが、そういう事情で私とウーゴだけでは駄目でしょうか」
少し不安そうな表情のカムリン。
他の五人も同じように心配そうな表情。
「駄目なんて言うはずがない。是非お願いしたい」
「本当に二人でもよろしいのですか?」
「もちろんだ。集落の警備が手薄になることを聞いて尤もだと思ったのに二人も来てくれるなんてありがたい」
「良かった!」
一斉にホッとした表情に変わった六人。
武闘大会で準優勝をおさめたブラジリア集落の代表騎士の中から二人も来てくれるんだから俺としては願ってもないこと。
「ウーゴはしっかり者ですので王都に行っても問題ないとは思いますが、カムリンはみなさまにご迷惑をおかけする未来しか見えません。どうぞ二人をよろしくお願いいたします」
「抱きつこうとしたら最速で避けてください」
「特に寝室の窓とドアはしっかりと施錠してください。カムリンが同じ王都に居るというだけで危険です」
「どうぞご無事で」
「それは私やウーゴより英雄の身を心配してますよね」
『うん』
しっかり者のウーゴに関しては心配してないようだけどカムリンのことは大いに不安らしく、深々と頭を下げながらも息がピッタリの六人に笑う。
「四人もいつでも遊びに来てくれ。歓迎する。あ、仕事で不在の可能性もあるから連絡くれてからだと助かる」
「光栄です。ありがとうございます」
「確認もせずに訪問する無礼者はこの集落にもカムリンしかおりませんので、そこはご安心ください」
「ウーゴ。カムリンから英雄を守ってくれ」
「頼んだぞ」
「了解」
散々な言われように拗ねるカムリン。
好き勝手に言えるのは六人の仲が良い証拠。
その仲の良い六人を引き離す結果になったことは少し罪悪感があるけど、これからも疎遠にならないようお互いに会う時間を設けてくれたらと思う。
「良かったですね、シンさま」
「うん。これでしっかり分隊できる」
ベルから言われて安堵の息をつく。
二人を指揮官として迎えれば警備兵を分隊できる。
今までは国王軍の騎士に指揮官も兼任して貰ってたけど、これで少しはその人たちも楽になるだろう。
「改めてカムリンとウーゴ。これからよろしく頼む」
「「よろしくお願いいたします」」
迷いもあった中で決断してくれた二人と握手を交わした。
・
・
・
急遽の肉パも終わって集落の人たちと片付け。
大人の笑い声や子供たちの元気な明るい声が絶えない。
「ん?なんだ?」
「何かあったのでしょうか」
「慌ててますね」
エドとベルに手伝って貰って洗った鍋を異空間にしまっていると、慌てた様子で広場から走って行く人が数人。
「どうした?何かあったのか?」
俺たちの傍を通った奥様方っぽい人たちに声をかける。
「実は今朝から産気づいてる者がいたのですが、お産の最中に母体が危険な状態になったと助産師から報せが」
「え?産院には搬送したのか?」
「この集落に産院はありません。領主さまが今一番近くの街の産院へ伝達を送りに長の家へ行きました」
日本なら産院へ搬送されるところだけど、ここは異世界。
搬送するにも医療師が来るにも時間がかかる。
「せめて医療行為の出来る医療院に搬送した方が」
「集落の医療院は王都のような立派なものではありません。対応できるほどの設備や薬がないのです」
そうだった。
王都は国王が暮らす大都市。
だから設備や医療師の数も揃ってるけど、小さな町や集落には医療師自体が居ないことも珍しくないんだった。
この集落にはまだ医療院があるだけまし。
「すぐにエミー……は、帰ったんだった」
大食い竜の調査が目的で来ていたエミーと師団長と数人の師団員は、王都での仕事があるからと少し前に声をかけてから帰って行ったことを思い出して舌打ちする。
「お産の最中ということは子供も危険なのでは」
「うん。母体の意識はあるのか?」
「私たちも領主さまのお近くに居てお話が聞こえただけなのですが、出血が多く意識もないと」
最悪の状況じゃないか。
産科医療師が居ればすぐに投薬治療や帝王切開を行えるけど、この世界の助産師も地球と同じく手術や投薬治療といった医療免許が必要な行為は行うことが出来ない。
魔法を使う治療(回復)は危険がないから例外だけど。
「エミーが居ればすぐ行って貰ったんだけど」
「シンさまでは駄目なのですか?」
「男の俺が行くべきじゃない」
「なぜですか?」
「なぜってお産だぞ?見知らぬ男が居たら嫌だろ」
「産院の医療師にも男性はおります」
「医療師ならな。俺は医療師じゃない」
理解できない顔で俺を見るベル。
それもそのはずで、この世界も海外と同じく男の助産師が居るからなぜ駄目なのか理解できなくても当然だ。
ただ日本人の俺にはやっぱり『助産師=女性』のイメージが強くて、伴侶や産科医以外の男が居ていい場所じゃないと躊躇してしまう。
「……あークソっ!俺はアホか!人の命がかかってんのに躊躇してる自分に腹が立つ!」
日本に居た頃の常識に囚われて命を見捨てるのか。
回復が使える俺なら医療師が来るまで命を繋ぐことが出来るかもしれないのに、男だからとか女だからとかそんなことに拘って行かなかったらただの馬鹿だろ。
「誰かそこへ案内してくれ。俺にも出来ることを手伝う」
「は、はい!私がご案内いたします!」
「頼む。エドは侯爵に報告を。ベルは着いて来てくれ」
「「はっ」」
なるべく男の数は少なく済むようエドにはカスカド侯爵の所へ行って貰い、ベルと俺は事情を話してくれた人の中の一人に案内して貰う。
「ん?あの人は?」
「ディアーナの、母体の伴侶のホルストです」
多くの住居が並ぶ住宅地の中の一軒の前でドアの方を向いて座り込んでいたのはまだ若い獣人族の男。
夫がそこに居るということはあの住居がそうか。
「ホルスト!」
「テレーザさん!ディアーナが!」
案内してくれた人が声をかけると呆然と座っていた男はハッとこちらを向いて真っ青な顔でドアの方を指さす。
「家に入る許可が欲しい」
「……え、英雄がどうしてここに」
「俺は魔法検査と回復が使える。どこまで役に立てるか分からないけど家に入る許可と助産師を手伝う許可をくれ」
よほど気が動転しているようで許可を貰うために声をかけて初めて男は俺の存在に気付く。
「英雄のお力を借りる訳には」
「そんな悠長ことを言っていられる時間はない。妻と子を救うための手が必要かどうか本心だけを答えろ」
今は立場がどうこう言ってる暇はない。
意識がないなら一刻を争う。
「……ディアーナと子供を助けてください!」
「俺に出来ることはする。家族の無事を祈ってろ」
「お願いします!」
状況が分からないから保証はできない。
でも俺は俺に出来る精一杯のことをするだけ。
「失礼する」
『英雄!?』
男の事は案内してくれた人に任せベルにリフレッシュをかけて貰いドアを開けると、二人の助産師が振り返り俺を見て驚く。
「魔法治療なら医療行為違反にはならないから何か手伝えることがあれば。夫のホルストにも許可は得た」
「ありがとうございます」
説明しながら近付いて状況に眉を顰める。
分娩のためベッドに敷かれたシートから床へと血がポタポタ垂れていて、人口呼吸器をつけられている母体の顔色は血の気が引いていた。
「こうなった原因はもう分かってるのか?」
「私どもは検査が行えませんので断言は出来ませんが、恐らく子宮や産道の裂傷によるものかと」
「俺は魔法検査が使える。原因を調べてもいいか?」
「願ってもないことです」
「二人はそのまま処置を続けてくれ」
「「はい」」
処置と言っても出血を止める薬さえ使えないんだけど。
俺が魔法検査を始めると助産師の一人は脈拍や血圧を測り、もう一人は出血量の確認をする。
【検査結果。母体は羊水塞栓症、完全子宮破裂による出血性ショック、呼吸不全。胎児は心停止と診断】
病名には詳しくなくても分かる最悪の状態。
母体の方は自発呼吸ができず、胎児に至っては心臓が停止しているとの検査結果が出た。
「母体の方は羊水塞栓症、完全子宮破裂、出血性ショック、呼吸不全。胎児の方は心停止の診断結果が出た」
「急な胸痛と呼吸困難が見られてすぐに医療師の要請を頼みましたが、やはりこの大量出血の原因は子宮や羊水に異常が」
「そこまでですと私どもにはもう何も出来ません」
検査結果を聞いても冷静な二人。
ただそれは突き放した冷さではなく、医療行為が行えない自分たちではもうこれ以上出来ることがないと分かっているからプロの助産師として取り乱さないよう振舞っているんだろう。
「母体の方は消失した血液以外はある程度回復出来ると思う」
「ほ、本当ですか!?」
「ただ、心停止してる胎児には回復が効かない。俺が今できることは母体の回復治療だけだ」
既に自発呼吸が出来ない状態にあるから早速回復をかけながら助産師に説明する。
「ベル。ホルストを呼んでくれ」
「はっ」
「リフレッシュをかけ忘れないようにな」
「承知しました」
ドアの傍に立っていたベルに頼んで夫を呼んで貰う。
夫で父親でもある男には状況を説明して覚悟をして貰う必要があるから。
「……ディアーナ!?」
「取り乱すな。気持ちは分かるがこんな時だからこそしっかりしろ。頑張ってる妻子に情けない姿は見せるな」
ベルからリフレッシュをかけて貰いながら入ってきた男。
今の状況は見ていなかったのか、一瞬固まった後に取り乱した様子で伴侶の名前を呼んだ男を諌める。
「魔法検査の結果が出た。母体は呼吸不全、胎児は心停止の極めて危険な状態だ。既に心停止してる胎児の方には回復が効かない。今は回復が効く母体の回復を行ってるところだ」
「……子供は助からないってことですか?」
「難しいと言わざるを得ない」
「そんな……」
残酷だけどそれが現実。
いつ心停止したのか分からないけど、心臓が止まっている時間が長いほど蘇生できる可能性は低くなる。
医療師に往診して貰うにしても連れて行くにしても時間がかかると分かっているのに必ず助かるとは断言できない。
「ただ、難しくても諦めることはしたくない。例え極わずかでも蘇生する可能性を信じて母体の回復を優先してる。どちらも助けるためにはそれが最低条件だ」
母体が回復しないと胎児も助からない。
どちらも助けたいならまずは母体の回復が重要。
「ここへ呼んだのは検査の結果を伝えるためと大事なことを判断して貰うためだ」
「……判断?」
今はこれ以上酷くならない程度の回復しかかけてない。
まだこの男でなければ出来ないことがあるから。
「これから俺が上級回復をかけることで母体が目覚めたら残酷な現実を知ることになる。自分のお腹の中の子が心停止の状態にあるって現実を。君は妻を支えられるか?取り乱すかも知れない、絶望するかも知れない妻を冷静に支えられるか?もし君が支えられる自信がないなら医療師が来るまで目覚めない程度の延命しかしない」
意識がなければ知らずにいられたことも回復して目覚めれば知ることになる。
心停止という絶望的な状況を知った母体の心を支えられるのは夫であり父親であるこの男だけだ。
「助産師や俺は体を救うことは出来ても心までは救えない。それは君にしか出来ないことだ。覚悟を決めて選べ」
まだ若い男。
自分も取り乱してもおかしくない状況なのに冷静で居ろというのは酷だと分かってるけど。
「延命じゃなく回復してください」
「覚悟はできたのか?」
「はい。お願いします」
「わかった」
初めてしっかり俺の目を見て答えた男。
狼狽えていた今までとは別人のよう。
今のこの男なら大丈夫だろう。
「全知全能の精霊神と魔神よ。生命を司る神よ。未来あるこの者たちに祝福を。闇夜を彷徨う母子に神の御加護を」
暴動により奪われた多くの獣人の命。
今まさに生まれようとする命と、その命を宿した母体。
憎しみの連鎖による悲劇に見舞われた獣人族に誕生しようとしている新たな生命へ、どうか神の祝福を。御加護を。
【ピコン!特殊恩恵〝神力〟の効果、癒しの光が発動】
両手を組み祈りを捧げると中の人の声。
初めて聞く効果。
「シン、さま?」
「……え?」
ベルの声で閉じていた瞼をあげると、フワリと浮いて母体を見下ろしている長い白銀の髪をした白装束の人が目に飛び込んでくる。
いや、人ではない。
白と黒の大きな翼の生えた人など居ない。
天使。いや、神だ。
なぜかそう確信する。
神がお腹に触れると母体は光に包まれる。
一体何が起きてるというのか。
『…………』
顔をあげて俺を見た神の声は聞こえない。
長い前髪で顔も見えない。
口元に笑みを湛え俺に手を伸ばして頬に触れた神は、そのまま俺の中へと吸い込まれるように消えた。
「ディアーナ!」
「英雄!母体が目を覚ましました!」
「ディアーナさんここがどこか分かりますか!?」
男の声と助産師二人の声でハッとする。
母体を見るとぼんやりしているものの瞼が開いていた。
「……ホルスト?どうしたの?そんなに泣いて」
「良かった!生きてて良かった!」
キョトンとする母体の手を握りボロボロと泣く男。
冷静にと言った……いや、呼吸不全になっていた妻が目を覚ましたことへの安堵の涙は咎めることじゃないか。
「ディアーナさん。貴女はお産の途中で意識を失って危険な状態だったんです。英雄が救ってくださったんですよ」
「英雄?……英雄さま!?っう……」
「ディアーナ!?」
助産師の視線を辿って俺と目が合った母体は驚いた顔で飛び起きたかと思えば唸ってお腹を押さえる。
「まだ治ってなかったか」
「破水してます!」
「一度破水したのに!?」
「間違いありません!」
まだ治っていないのかと回復を強めると母体の足元に回った助産師が確認して驚く。
「ディアーナさん!まだいきまないで!」
「ゆっくり呼吸!練習したでしょ!」
「は、はいっ!」
「英雄はそのまま回復をお願いします!」
「は、はい」
血で汚れていたシートを急いで変える助産師。
鬼気迫る迫力の助産師に思わず吃って返事をする。
「ディアーナが痛がって」
「陣痛がきてるの!手を握ってあげて!」
「は、はい!」
俺と同じく男にも助産師がバタバタする理由が分からなかったらしく問いかけ、助産師の一人から怒鳴られて妻の手をギュッと握る。
「回復をかけてくれてるから大丈夫!今度は産むのよ!」
「頑張って!」
「は、はいっ!」
陣痛で唸る母体と母体を励ます助産師。
痛みの波がくるたび助産師の声で力む母体と一緒につい俺まで釣られて力んでしまう。
「頭が見えて来たからね!もう少しよ!」
母体の手を握ってる男は祈ってるようにも見える。
それは母体の無事とともにこれから産まれる我が子を思っての祈りだろう。
「失礼!産科医療師です!」
ドアが開いて入って来たのは白衣の医療師と補助師。
急いで来たようで息が切れている。
「先生、もう頭が見えてます!」
「え?危険な状態と聞いて」
「あとで説明しますからお願いします!」
「わ、分かりました」
すぐに白衣を着替えて手袋をする医療師と自分にリフレッシュをかける補助師。
医療行為も出来る出産専門の医療師が来てくれたことで助産師はすぐに場所を変わる。
「母体のバイタル正常です」
「このまま自然分娩を続ける。心電図の準備を」
「はい」
持ち込まれた機械を補助師が用意してお腹にペタと貼る。
「…………」
機械のダイヤルを回した補助師。
横這いのままの線を見てダイヤルをグイッと大きく回した。
『…………』
本来なら二人分波打つはずのそれは一人分だけ。
母胎に居る子供の心音を確認するそれは動かないまま。
「……子供は?」
「大丈夫ですよ。居る場所によって音を拾えない時もあるんです。お子さんも頑張ってますからお母さんも頑張りましょう」
「はい」
不安そうな母体に笑顔で言った医療師。
本当は心停止していると分かっていてもついたその嘘は母体を分娩に集中させるための残酷で優しい嘘。
「頑張れ。俺も頑張って働くから家族で幸せに暮らそう」
「うん」
まだ俺より若いだろう夫婦。
前向きな言葉で励ます男と本当は痛くて辛いだろうに笑みを浮かべる母体の幸せそうな姿に胸が痛む。
「うぅぅぅ」
「力んで!」
医療師の声で母体は男の手の色が変わるほどに力む。
「もう産まれるよ!」
そしてついにその時がやって来た。
『…………』
医療師の両手に居る赤子。
この世に生を受けたのに産声をあげずピクリともしない。
「心肺確認!」
「はい!」
既に補助師が用意していた心電図や吸引器。
臍の緒を切って赤子の口にチューブを入れ吸引する医療師の横で補助師がつけた心電図の波は真っ直ぐのまま。
「……私たちの子、泣かないの?」
「少し羊水を飲んだようなので処置してますからね。助産師、母体の処置をお願いします」
「「はい」」
母体にかけた魔法検査の結果は異常なし。
もちろん産後疲れや裂傷などはあるけど、中の人曰く出産後の母親の体としては正常らしい。
それを確認してずっとかけ続けていた回復を止めた。
「シンさま。大丈夫ですか?」
「大丈夫」
初めて見た分娩の壮絶さか、発動した特殊恩恵が魔力をごっそり使うものだったのか、一瞬目眩がしてフラついた俺の背中にベルが手を添える。
「長時間回復を使わせてしまって申し訳ごさいません」
「俺は大丈夫。それより」
心配してくれる助産師に答えつつ若い夫婦に目をやると、お互いの手を握りしめたまま蘇生処置を行っている医療師と補助師を不安そうに見ていた。
「シンさま?」
ベルの声を聞きながら処置を行っている医療師の元へ行く。
「「英雄」」
医療師の必死の蘇生にも産声をあげない赤子。
小さな体につけられたチューブや心電図の配線が痛々しい。
「この世界が厭なのか?」
配線で繋がれた小さな体を両手でそっと抱き上げる。
「たしかに人生は楽しいことや幸せなことより辛いことの方が多いかも知れない。でもまだ見る前から決めつけなくてもいんじゃないか?君の誕生を待ち望んでいた人たちが待ってるから還っておいで。この世界は君が思うよりも美しい」
赤子の腹部に額を寄せると俺の体から光が溢れる。
温かいその光は赤子の体に吸い込まれて消えた。
それと同時に心電図がピッピッと音を刻み出す。
「ふ……ぇぇ」
「ようこそ。醜くも美しい世界へ。未来を紡ぐ希望の子」
ようこそ。
悲劇に見舞われた獣人族の新たな子供。
「バ、バイタル正常です」
「……奇跡だ」
火がついたように泣き出した赤子に魔法検査をかけて異常がないことを確認してから真新しいシーツで包み、唖然としていた夫婦の元に行って母親の腕に赤子を渡す。
「もう大丈夫だ。魔法検査にも異常はなかった。死線を潜り抜けた逞しいこの子に神の御加護があらんことを」
腕に抱かれた赤子に俺が祈りを捧げると母親はくしゃりと顔を歪ませてボロボロと涙を零す。
「ありがとうございます英雄さま!」
「ディアーナと子供をお救いくださってありがとうございました!みなさんありがとうございました!」
泣きながら感謝を口にする母親と深く頭を下げる男。
そんな両親などどこ吹く風で元気に力強く泣く子供にクスっと笑った。
・
・
・
出産の手伝いを終え侯爵や長に事情(状況)説明をしている間にも予定していた慰問の時間が過ぎてしまったこともあって、残りの予定は全て中止にして王都に帰ることになった。
「英雄公爵閣下。本日は我が領地であるブラジリア集落への慰問へお運びくださり誠にありがとうございました」
「私の方こそ。美しい景色や集落の人々の笑みに癒されるとともに様々なことを学ばせて貰った。心より感謝申しあげる」
最後はまた来た時と同じく正装で固めて、跪いて礼を言うカスカド侯爵や集落の人たちに俺も感謝を伝える。
「英雄さま、ありがとうございました」
「また来てください」
「ありがとう。未来の英雄たち」
花束を渡してきたのは英雄の話をした子供たち。
しゃがんで花束を受け取り頭を撫でる。
この子たちの笑顔も未来への希望。
「英雄公爵閣下へ敬礼!」
最後は騎士たちの敬礼に敬礼で応え、予想もしていない様々なことがあったブラジリア集落への慰問を終えた。
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彼の他に召喚された二人の勇者、竜や亜人、そしてヒューマンと魔族の戦争、次々に真は事件に関わっていく。
これはそんな真と、彼を慕う(基本人外の)者達の異世界道中物語。
漫遊編始めました。
外伝的何かとして「月が導く異世界道中extra」も投稿しています。

無能なので辞めさせていただきます!
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ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
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一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
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☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。
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