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第十章 天地編
英雄の帰還
しおりを挟む長らく療養していた英雄が王都に帰還した。
その吉報は瞬く間に地上層の各地へと広まった。
王都ブークリエでは、北区、南区、東区、西区、そして王宮地区に数ヶ所ずつ放映石が設置され王都中がまるで祭りのような賑わいをみせる中、放映石の設置された各々広場では国民が今か今かとその時を待っていた。
そして予定されていた10時ぴったり。
晴れの日に相応しい澄清な空。
ステンドガラスから射し込む光が真紅の絨毯を光の道のように輝かせるそこを堂々とした姿で歩く英雄が放映石を通して映し出される。
一級の芸術品のような体を包んだ白い軍服には数々の勲章が付けられていて彼の偉業を窺い知ることが出来る。
また、特級階級英雄を表す肩章と白銀の飾緒と虎や三日月をモチーフにした紋章入りの外套が華やかさに拍車をかける。
右眼を眼帯で覆っていても一級品の彼の美しさが失われることはなく、それすらも彼を飾る装飾品。
神々しいと表現するに相応しい白銀を纏う彼の帰還に国民は歓喜し、中には祈る者も居れば涙する者も居た。
今日行われるのは陞爵式。
王家が集まる厳かな玉座の間に敷かれた赤い絨毯に跪く彼の肩へ剣を寄せた国王。
『シン・ユウナギ・エロー。公爵の爵位を叙する』
『謹んでお受けいたします』
武闘本大会三冠という長き歴史における初の偉業と、人為スタンピードでまた多くの命を救った彼に授けられたのは公爵位。
遂に王家以外の者が得られる最高爵まで上り詰めたことはとても名誉なことではあるが、多くの国民からすればこの陞爵式は彼の姿を観ることができる行事でしかない。
何故なら彼は地上唯一の英雄勲章と称号を持つ者だから。
地上唯一に勝る誉れなどない。
侯爵であろうと公爵であろうと、英雄称号を持つ特級国民の彼に逆らえる貴族など既に存在しないのだ。
彼と肩を並べられるのは同じ特級国民の勇者と賢者だけ。
彼に命ずることができるのは国王だけ。
貴族爵は彼のおまけでしかない。
ただ一つこの陞爵式で期待されるのは下賜される恩賞。
もちろん国民には恩賞が与えられる訳ではないが、彼の恩恵を享受することはできる。
その恩恵というのは領地。
現在彼は西区の領主として手腕を奮っているが、今回下賜される領地がもし自分の暮らす土地ならば〝領主が英雄〟という恩恵を享受することができる。
自分が暮らす土地の領主が英雄というだけのことが誉れになるほどに今や彼は国民から絶大な支持を得ていた。
ただ、残念ながら今回下賜された領地は耕作地。
農業や林業などに利用する土地だから住人は居ない。
がっかりする国民も少なくはなかった。
他に下賜されたものは王宮地区のお屋敷。
これには驚いた国民も多い。
何故なら彼に下賜された屋敷は国が管理している王宮地区にある国王所有の巨大屋敷だったから。
遂に国王陛下が英雄を自らの庇護下に。
自らが所有している屋敷を与えたということは、国王陛下が民へ「英雄は大公(王族)と同等」と宣言したに等しい。
これはもしや今後正式に発表されるプリンセスのご成婚相手がアルク国第二王子から英雄に変わるとの先触れではないか。
等々、国民たちは想像を膨らませて色めき立った。
もっともそれは国民の願望が大いに含まれている想像でしかないのだが。
粛々と進められた陞爵式も終盤。
願望と期待に想像を膨らませていた者も、玉座の間に降り注ぐ光に照らされた美しい白銀の英雄の姿に見惚れていた者も、もう終わってしまうと悩ましい溜息をつく。
そんな国民の様子はまるで恋をした乙女のよう。
一秒でも長くその姿を記憶におさめようと放映石を通して映される英雄へと国民の意識は集中していた。
国王が陞爵式を締めくくる言葉を口にした際には遂に終わってしまったと落胆する国民も。
陞爵を受ける彼の横顔を飽きもせず眺めていた国民からすれば祭りあとのような物寂しさすら感じていた。
……次の瞬間までは。
『これを観ている人々に聞いて欲しい。政治的な発言ではなく私個人の発言として、一人でも多くの者に』
放映石に向かい立ち右眼を覆う眼帯を外した英雄。
その滅多に見ることのできない力強い白銀の双眸に国民は一瞬沈黙したのち、まるで示し合わせていたかのように一斉に地鳴りと聞きまごうほどの大歓声をあげる。
熱狂的、いや、ここまでくればもはや狂信。
国民の彼に対する崇拝は既に危険な域に達している。
彼が正義と言えば悪すらも正義になるだろう。
『まずは先般の急襲で殉職した方々の御遺族に心よりお悔やみ申し上げる。国や民を守るため最期まで軍人として戦った彼らの責任感や使命感を誇りに思う。彼らの御霊が神の身許にお導きあらんことを』
英雄が殉職軍人に哀悼の意を表した。
その言動に一時ざわついたものの、胸に手をあてた敬礼で長い睫毛を伏せた英雄のどこか寂しげな姿を見た国民も両手を組むと殉職した御霊の安らかならんことを祈った。
『私が療養のため王都を離れている間に獣人族の集落が一つ暴動により滅ぼされたことを聞いた。今もなお各地の獣人集落では厳戒態勢が続いていることも。とても嘆かわしい』
顔をあげた英雄が口にしたのは壊滅派と名乗る者たちが起こしたスタンピード事件をきっかけにした暴動。
壊滅派の中でも祝歌を唄い英雄を撃った歌唱士が一番目立っていたこともあり、家族や大切な人を事件で亡くした人々の怒りの矛先は真っ先に彼女の集落へと向けられた。
『此度の暴動に加担した者に問いたい。諸君はその暴動で何を得たのか。革命という聞こえのよい言葉で罪のない人々の命を奪った壊滅派と、集落に壊滅派が一人居たというだけで罪のない人々の命を奪った諸君の何が違うのか』
怒りと悲しみの混ざった表情。
今まで多くの人々を救ってきた彼が暴動という行為に怒り罪のない人々の命が奪われたことに胸を痛めているその姿を王都国民は瞬きも忘れて静かに見守っていた。
各国、各領、各集落の放映石でも映し出される英雄の姿。
英雄が御心を痛めている。
各地に居る人族やエルフ族や獣人族に衝撃が走る。
『私も壊滅派には憤りを覚える。彼らの犯した罪は決して許されるものではない。もし暴動に加担した者の中に彼らから大切なものを奪われた者が居るのならその怒りや憎しみが如何許りか心中察するに余りある。だが、壊滅派も元は被害者。過去に被害者だった者が壊滅派という加害者となり、彼らの報復で被害者となった者がまた暴動を起こし加害者となった』
言葉を忘れた地上層。
種族をこえて多くの人々が地上層にたった一人しかいない英雄の声に耳を傾けその姿を凝視する。
『諸君の暴動が未来の加害者と被害者を作る。諸君の傍らで無邪気に走り回る子供が。諸君の腕に抱かれた愛らしい赤子が。母体に守られ成長中の胎児が。怒りや憎しみがまた痛ましい歴史を繰り返し被害者や加害者になるのだと忘れないで欲しい』
ある者は傍に居る子供を、ある者は腕の中で眠る赤子を、ある者は胎児の居るお腹を撫でる。
報復や暴動を他人事のように考えていた人々も罪のない未来ある者が憎しみの連鎖に巻き込まれようとしているのだと、彼の言葉で気付いた者も少なくなかった。
『暴動に加担せんとする者に告ぐ。その両の手を罪で穢すなかれ。諸君の両の手は隣人を慈しむためにある。その両の手が穢れぬよう、諸君の怒りや憎しみは私が預かろう』
英雄がたった一人で怒りや憎しみを背負おうとしている。
そのことに多くの人が驚き涙する。
『最後に壊滅派の残党に告ぐ。降伏し罪を悔い改めよ。然もなくば、大切なものを奪われた人々の怒りと憎しみを私がこの身に背負い英雄の名においてこの手で諸君を断罪する』
最後は強い口調で。
偶然にも放映石から映し出される彼に射したステンドガラスの光で後光が射したように見えて人々は自然と両手を組み祈りを捧げる。
英雄は天つ空から来た神の化身に違いない。
異世界から来た英雄が勇者でなかったのは神の化身だから。
大天使さまを従え地上に降り立った神の化身。
英雄が我々の愚行を嘆いている。
英雄に罪を背負わせてはならない。
辞めよう、もう争いは辞めよう。
地上層に広がっていく祈り。
王都から遠く離れた地でも人々が両手を組み祈る。
英雄は地上層で特別な存在。
暴動を企てる者の中にも彼を崇拝する者は多い。
そしてそれは壊滅派の中にも。
「司祭さま。私は罪を犯しました」
膝から崩れ落ち涙する者。
「降伏する」
武器を棄て両手を挙げる者たち。
『英雄に幸あらんことを!』
木漏れ日のさす深い森の中、多くの声と数十発の銃声が鳴り響いた。
白銀を纏った神々しい英雄。
彼の姿は美しく、言葉は力強く、心は慈愛に満ちている。
地上層の者が彼をそう狂信してしまうのも仕方がない。
暗い時代には何かに救いを求めたくなるものだ。
多くの者の両手は今、祈るために組まれている。
その間は誰かが振り上げた拳で傷付けられることもない。
それは地上層でもっとも争いのなかった瞬間だった。
それでも全ての悪が潰えた訳ではない。
今この瞬間にも悪は行われている。
知恵と欲を持つ生命が存在する限り争いは終わらない。
地上の英雄で魔王の半身の帰還。
彼とともに天地は新たな時を迎えようとしている。
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