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REON

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第九章 魔界層編

お屋敷(エド・ベル視点)

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あるじが消息を絶って十日。
一昨日王宮地区にあるお屋敷に荷物が運びこまれ、十日目の今日は最後の飾りつけが行われている。

「これでよし」
「壮観な光景ですね」
「本当に」

本大会優勝者に贈られる赤いマントが三枚。
勲章が三つと武闘本大会を制覇した証の優勝旗。
金で装飾されている立派な額縁に入れられているそれらが王宮騎士たちの手で執務室の壁に飾られた。

「シンさまが戻ったら驚くだろうね」
「驚くより呆れそう。どうしてこんなことにって」
「うん。嫌そうな顔が思い浮かぶ」

姉と室内を見渡して苦笑する。

「我々としては宿舎に居て貰いたかったが仕方ない」
「私たち団員の本音はそうですが、本来であればもっと早くにお屋敷を構えていて当然の御方でしたから」

レナード団長とリアム副団長の会話に姉と俺も頷く。
爵位と英雄エロー勲章を賜った時点で自らのお屋敷を構えていて当然だったけれど、あるじはお屋敷を構えることより西区の改善に恩賞金を遣う方を選んだ。

屋敷を構えることは誰にでも許されたことではない。
とても名誉なことだからと国王陛下や団長たちはもちろん姉や俺も説得を試みたけれど、あるじは「そんなことに金を遣うのなら西区の領民のために遣う」と言って憚らなかった。

そして今回、本大会での三冠達成という偉業を成し遂げたことと人為的に起こされたスタンピードで種族を越え多くの人々の命を救った恩賞として、新たな爵位と栄誉勲章が贈られた。

第一部隊の宿舎から引越したこの屋敷は恩賞の一つ。
国が所有する王宮地区に屋敷を構えられる人は一握り。
その一握りの存在に我々のあるじが選ばれたということ。

ただあるじは今ここに居ない。
あるじが高く評価された誇らしさとともに、不在のまま与えられた恩賞に虚しさが拭えないのが本音。


「エドワード、ベルティーユ。英雄エロー専属執事バトラー女中メイドとして、主人が不在の間も手入れを怠らないよう」
「「はっ」」

飾りつけを終えて撤退する第一部隊の騎士たちを見送る。
数年前まで公爵家が使用していたこの大きなお屋敷の管理が姉と俺へ新たに課された任務。

「私たちもお迎えの準備を済ませないとね」
「うん」

姉と話して屋敷の敷地にあるに入る。
現時点ではあるじが不在のためお戻りになるまで少人数ではあるけれど、本日付で数名の使用人を迎えることが決まっているため住み込むそこを先に準備しなくてはならない。

「シンさまがお戻りになったらお部屋も埋まるかな」
「埋まらないと思うよ?」
「どうして?」
「シンさまなら人件費の無駄って言いそうだから」
「ああ!言いそう!」

姉と魔法を使って部屋の掃除をしながら笑う。
あるじは貴族らしくない貴族だから、自分たちが潜入した先で見てきた貴族とは違って権力を誇示するために使用人を多く雇ったりしないと思う。

「陛下もシンさまがそういう方だと分かってるから少数精鋭のつもりで今回の使用人を選んだんじゃないかな」
「そうかも。凄い人ばかりだったもの」

国王陛下が選出した人は潜入捜査で使用人をだけの姉や俺とは違って、使用人の仕事を専門にしている協会の中でも優秀な人たちばかりが選ばれている。

「でもよく最上級スーパラティブが引き受けてくれたよね。どんなにお金を積まれても個人にはお仕えしないって聞いてたのに。国王陛下の依頼はやっぱり別なのかな」

協会に属する使用人は貴族家の依頼で派遣される一般の使用人と国の依頼で国賓を饗す上級使用人に分かれていて、今回選ばれたのは上級の中でも数少ない最上級スーパラティブに位置する人たち。
饗しを専門としている最上級スーパラティブの人たちは、例え公爵家からの誘いでも個人にはお仕えしないことで有名。

「陛下の依頼が特別なのはもちろんそうだろうけど、今回引き受けたのは多分それが理由じゃない気がする」
「どういうこと?」
「なんとなく」

不思議そうに首を傾げる姉に少し笑う。
俺の予想が間違いでなければ、引き受けたのは


午後になって協会からやって来た使用人が六名。

「使用人協会より六名、本日付けでこちらへお仕えすることとなりました。総責任者のディーノと申します」

やはり。
武闘本大会で王都代表に仕えてくれたディーノさん。
そしてフランカさんとエルサさんの姿も。

「主人が不在のため代理でのご挨拶をお許しください。英雄エロー専属執事バトラーのエドワードと申します」
「同じく英雄エロー専属女中メイドのベルティーユと申します」

ディーノさんたちを見て少し唖然としていた姉もすぐに平静を装いカーテシーで挨拶をする。

「まずは本邸で手続きをお願いします」
『はい』
「どうぞこちらへ」

本邸があるじの住居。
使用人の住居となる離れがある中庭は一旦通過して本邸へと案内した。

執務室で先に手続きを終えた五人は姉に離れへの案内を頼んで残ったのはディーノさん一人。

「武闘本大会ではお世話になりました」
「またお仕えすることができて光栄です」

互いに屋敷の執事バトラーと協会の総責任者という立場があって個人的な挨拶は後回しにしたけれど、二人になって握手をしながら挨拶を交わす。
 
「濁すことなくお聞きしますが、個人に仕えない最上級スーパラティブのディーノさんが使用人を引き受けてくださったのは主人がシンさまだったからだと解釈すればいいですか?」

高価な装飾の施されたソファキャナペに座って貰って訊くとディーノさんはクスと笑う。

「概ねご明察の通りでございます。一つだけ訂正させていただくと、我々最上級スーパラティブは個人にお仕えしないのではなく、お仕えする主人を選んでいるワガママな使用人なのです」
「ワガママな使用人ですか」

それは考え至らなかった。
使用人協会の規定なのだと思っていたのに。

「ワガママと聞いて落胆なさいましたか?」
「いえ。それが事実なのであればむしろ心強いです。主人を選ぶワガママな方々が仕えることを決めたのであればシンさまを裏切る可能性は低いでしょうから」

使用人が増えることで警戒するのは裏切り。
協会に属する使用人だからと言って全ての使用人が信用に足る人とは限らない。
実際に使用人が屋敷の物を少しずつ売り捌いていたなんて事件もあった。

「誇りを持って仕える最上級スーパラティブのみなさまを疑うような真似をして申し訳ありません。あるじ不在の今この屋敷の管理を任されている専属執事バトラーとして警戒してしまったことをお許しください」

正直に話して謝るとまたディーノさんはクスと笑う。

「警戒するのは当然です。このお屋敷の主人は英雄エローなのですから。今回お連れした使用人は立候補した者の中から信頼のおける者だけを選出いたしました。主人を選ぶ我々最上級スーパラティブにとって英雄エローにお仕えできることは光栄の極み。万が一にも裏切るような者が居た際には私が責任を持って処罰いたします」

はっきり断言してくれたそれを聞いて安心した。
俺はランド・スチュワートにあたるものの国から任命された専属執事バトラーでもあるから主個人の秘書や付き人としての意味合いが強く、お屋敷のことや使用人に関しては主にハウス・スチュワートのディーノさんに任せることになるから。

「分かりました。それでは現状の説明を」
「お願いいたします」

屋敷に仕える者も主人の状況を把握しておく必要がある。
閉幕の儀のことは途中で魔王が放映石を破壊して音声は途切れたものの映像石はそのままだったとあって、放映を見ていた多くの人々があの惨劇やシンさまのお力を目にした。
ディーノさんも既に知っているだろうからそれは話さず、限られた者しか知らない鎮魂祭のあとのことから説明をした。

「……なるほど。手続きの書類まで準備を」
「はい」

爵位や領地を王家に返還する旨の書類、遺産の半分を西区予算として国に寄付する書類、自らが保護責任者になっている孤児の保護責任者を司祭に変更する書類等々、丁寧に書かれたそれらの書面が紋印とサイン付きでテーブルに置かれていた。

「それはもう戻らないという意思表示では」
「そうだと思います。奴隷契約を破棄する旨の書類や国に寄付した遺産の残り半分を姉と私に相続する旨の書類もありましたから。全て王宮図書館で調べたみたいです」

あるじが持って行ったのは数枚の衣類のみ。
西区の領民には国に寄付をすることで生活の保証を、姉と俺には自分たちで生きていけるようを残し、自分はたった数枚の衣装だけを持って姿を消した。

「力のことが発覚して分が悪くなり逃げたという者も居ます。まだ清浄化の途中なのに役目を放棄して情けないという者も居ます。もしかしたらディーノさんも私の話を聞いてそう思ったかも知れません。でも違うんです」

それを言っている者が国仕えということが悔しい。
よりによってあるじがこの国や国民のためにどれほど尽力してきたかを知っている国仕えが、だ。

「シンさまは決して逃げたのではありません。自分と親しい者たちが周囲から敬遠されないよう、西区の領民が迫害されないよう、力を持つ者の所在で種族間の争いが起きぬよう、王都に攻め入る理由を作らせないよう、地上に生きる全ての人々を怖がらせないよう、自分が姿を消すことで決着させたんです」

心優しいあるじ
あるじの力を怖がる人が居ることや自分の存在が争いの火種になることを考え、国家間の会談などが中止されている服喪期間にひっそりと準備を済ませて誰にも知らせることなくたった独りで姿を消した。

「存じております。たった一ヶ月ではありますがお傍でお仕えして為人ひととなりは拝見しましたので。私は今まで種族問わず多くの方々をもてなして参りましたが、この方にお仕えしたいと思った方は英雄エローだけです。逃げるような方ではないと存じております」

そう話してディーノさんは微笑む。

「戻られると信じているのですね」
「はい。信じているから姉も私も契約の破棄はしていません」
「私ども最上級スーパラティブも同じです。いつか必ず戻られると信じているからこそお引き受けしました。英雄エローが戻られた際に快適にお過ごしいただけるよう尽力して参る所存です」
「……よろしくお願いします。ありがとうございます」

あるじの帰還を信じて待つ者たち。
その人々の存在がどれほど心強いかを実感した。





「こちらがみなさまにお使いいただく食堂です」
「食堂も広いのですね」
「はい。以前こちらのお屋敷を所有していた公爵さまには多くの使用人が居たと聞いております」

弟がディーノさんと話している間に私は他の五人を離れにお連れして中を案内して回る。

ワタクシどもはひとつのお屋敷に腰を据えてお仕えした経験がないものですから、間違いがあればご教授願います」
「それなのですが、後でおと、いえ、執事バトラーのエドワードからも説明があると思いますが、このお屋敷では気負いせず自宅のように過ごしていただけたらと」

フランカさまに言われて答えると五人から不思議そうな顔をされてしまう。

「シンさまはみなさまの知る貴族さまの常識は当てはまらないのです。もちろんお屋敷のお仕事はしっかりしていただきますし来賓があった際には普段通りに対応していただきますが、シンさまは堅苦しい言葉遣いや態度が苦手な方でして」

誇り高い最上級スーパラティブの皆さまにこういうのは気が引けるものの、シンさまがお戻りになって息が詰まるのではと心配。

「フランカさまやエルサさまは大会期間中にご覧になって既にお気付きかと思いますが、シンさまは年齢も性別も種族も身分も関係なく気軽に声をかけてすぐに親しくなってしまう英雄エローらしくない英雄エロー、貴族らしくない貴族なのです」
「ああ……はい。分かります」
ワタクシどもにも気さくにお声がけくださいました」

大会期間中のことを思い起こしてお二人は頷く。

ワタクシやエドワードはこのお屋敷をシンさまの寛げる場所にしたいと考えております。誇りを持ってお仕事に取り組むみなさまに失礼なお願いをしていることは重々承知なのですが、常に息をつく暇がない環境にならないようご協力お願いします」

堅苦しい物言いや態度がお嫌いでありながら、外に出る時には英雄エローの顔を演じなくてはならないシンさま。
せめてお屋敷に居る時には寛いでいただきたい。

「承知いたしました。主人のご希望に添うよう努めることは使用人であれば当然のこと。何ひとつ失礼なことではございませんのでお顔を上げてください」
「ありがとうございます」

良かった。
分かってくれて。
安堵してもう一度だけみなさまに感謝の礼をした。


「では夕刻になりましたら本邸にお集まりください」
『承知しました』

離れの案内をした後は夕刻まで自由時間。
本邸でのお役目は明日からで、来たばかりの今日は今後過ごすことになる自分のお部屋の支度をして貰う。

「ふぅ……この広さを八名でお仕えするのは大変そう」

離れを出て一息。
まだ水を出していない噴水の傍に座る。

爵位を剥奪された公爵が所有していたお屋敷。
国が管理をしていたから手入れはされているけれど、以前は数十名の使用人を雇っていた大きなお屋敷を八名で仕えるとあらば毎日大忙しになることが目に見えている。

「お掃除だけで一日が終わってしまいそう」
「さすがに八人だけではないよ」
「エド」

独り言に返った返事。
振り返るとディーノさまも一緒に居て急いで立ち上がる。

「お見苦しいところをお見せしました」
「いえ。こちらこそご休憩中と知らずご無礼を」
「今は来客が居る訳じゃないから形式ばった会話は辞めよう。同じお屋敷とシンさまに仕える仲間になったんだから」
「うん。ディーノさま、これからよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」

弟がいう通り。
大会期間中は王都代表の私たちに仕えてくれたディーノさまも今日からはシンさまにお仕えする仲間となる。
互いに笑って握手を交わした。

「さっきの話だけど、八名で全てやるんじゃないよ」
「どういうこと?」
「このお屋敷に住みこみでお仕えする使用人が八名ってだけ。通いの人たちも毎日来るから心配しなくていい」
「え?そうなの?」
「さすがにこの広さを八名では無理だよ」

弟はそう話してクスクス笑う。
なんだ、それならそうと言ってくれたら良かったのに。

「シンさまがお戻りになってから住みこみの使用人も増員する予定だけど、今は不在だから少ない人数で来て貰ったんだ」
「ん?エドは知ってたの?ディーノさまたちが来ること」
「ううん。誰が来るのかまでは聞かされてなかったけど師団長さまにご相談して最初は少人数にしてくれるようお願いした」
「ああ、何度か師団長さまのところへ行ってたものね」

弟はシンさまの専属執事バトラーだから、お屋敷を下賜されることが決まってから何度もお城に行っていた。
その際に師団長さまにご相談したのだろう。

「みなさまはもうお部屋に?」
「うん。案内をして夕刻に本邸へ集まるようお伝えしてある」
「わかった。ディーノさんもお部屋にご案内します」
「ありがとうございます」

まだ荷物を持ったままのディーノさまは弟が案内してくれるようで、その場で二人を見送った。

「シンさま。貴方さまのお帰りを待っているのは私とエドだけではないのですよ。国王陛下も王妃殿下もルナさまも、エミーリアさも師団長さまもルネさまも、王都の冒険者たちも、西区のみなさまも、シモン侯爵家のみなさまもデュラン侯爵家のみなさまも、シンさまのお帰りを信じてお待ちしております」

多くの者から愛されるあるじ
たくさんの引き継ぎ書類を遺して行かれたけれど、全て国の保管庫に保管されている。

「ブークリエ国栄誉特級国民、英雄エロー初代当主シン・ユウナギ・エロー。貴方さまはブークリエ国の希望なのです」

世襲制貴族爵の中で最高位。
王族が殆どを占めるその公爵位が与えられた。
血筋ではない国家功労者として公爵位が授けられたのは、僅か十歳で賢者となったエミーリアさまに続き数十年ぶりのこと。

シンさまがこの世界に来て一年。
勇者ではない異世界人という特殊な存在でありながらその能力を惜しむことなく精霊族のために奮い、たった一年の内に地上層唯一の英雄エローとなって最高位の公爵まで上り詰めた。

それでもきっとシンさまは変わらないのだろう。
忌み嫌われる獣人を愛で、貧困に喘ぐ者に手を差し伸べ、階級も種族も問わず平等に扱ってくださる心豊かな方。
という名に相応しく慈愛に満ちた神のような方。

「こんなことを言っては嫌な顔をされてしまいそう」

大袈裟だ、幻想を抱きすぎだ、と言って。
シンさまはそういう御方。

「シンさま」

名を呼んでも返らない声。
虚しい独り言に溜息をつくと門の外から聴こえた音。
顔を上げると魔導車が停まっているのが見えた。

「あ」

どうして魔導車がと思いすぐに思い出して門へ急ぐ。

「ドニさま」
「やっと気付いた。何度もチャイム鳴らしたのに」
「申し訳ありません。まだ使用人の数が揃っていないものですから。お待たせして大変失礼いたしました。どうぞ中へ」

今は本邸に誰も居ない。
本来であれば使用人が居るからお待たせすることもないのだけれど。

「実際に入るのは初めてだけどいつ見てもデカい屋敷だな」
「王宮地区では最も大きなお屋敷ですからね」

貴族区や各領では大きなお屋敷も珍しくないけれど、ブークリエ城がある王宮地区ではこのお屋敷が一番大きい。
魔導車を庭園に乗り入れてもらい降りてきたドニさまと会話をして少し笑う。

「エドは?」
「今日から使用人が入ったので離れの案内を」
「ああ、庭にあった建物か」
「はい」

ドニさまを案内する先はお台所キュイジーヌ
ギルドに依頼した棚の修理を引き受けてくださった。

「これなのですが修理できそうですか?」
「この屋敷にある棚だからどんな高級な棚なのかと思えば普通の木棚か。これなら持って来た物だけで修理できる」
「助かります。新しい棚を購入することも考えたのですが直るのであればと思いまして」

公爵家の物としては珍しい質素な作りの棚。
けれど、お台所の雰囲気によく馴染んでいるそれを替えてしまうのは惜しい気がした。
それに……

「まあ分かる。公爵になってもアイツは気にせず台所に立ちそうだし。背が高いシンには使い易い高さの棚だと思う」

考えていたことを見透かされてしまった。
さすがシンさまと同衾どうきんした方だけある。
そこに気付くとは恐ろしい。

「……なんだ?」
「いえ。なにも」

私が見ていることに気付いたのか、棚から私の方を見たドニさまと目が合いそらす。

「なんだよ」
「お気になさらず。ただ、ワタクシは忘れておりません」
「え?なにを怒ってるんだ?」
「怒っておりません」

ええ、忘れてはおりません。
ドニさまがシンさまと同衾どうきんしていたあの日を。
私やエドですらまだ同衾どうきんしたことがないというのに。

「……呪わしい」
「お前いま舌打ちしたよな!?」
「気の所為では?そのようなはしたない真似はしません」

人族でありながら耳もいいとは。
剣聖のドニ……侮れません。

「よく分からないけど俺が何か不快になるようなことをしたならその場でハッキリ言ってくれ。気付かずに悪いことをしてたなら謝るから。溜め込まれるのは好きじゃない」

脚立を準備しながら話すドニさま。
こういうところはシンさまに少し似ている。

「そういうところは好きです」
「!?」
「……不注意が過ぎますよ?」
「あ、ありがとう」

脚立から脚を踏み外したドニさまを見て慌てて風魔法をクッションにして落下するのを受け止める。

「脚を打ったのですか?見せてください」
「い、いや。大丈夫」
「怪我をしていたらどうするのですか。挫いた脚で脚立に乗るなど危険です。さあ、こちらへお座りになって」

傍にある椅子に座らせて押さえていた脛を確認する。
赤くなってはいるものの特に問題はなさそうで、触っても痛がる様子がないことに安心した。

「意外とドジなところもあるのですね」
「………」
「ドニさま?」

見上げたドニさまの顔は赤い。
誤魔化すように横を向いているけれど耳まで赤い。
お熱が?なんて初心うぶなことは申しません。
ええ、私はもう子供ではありませんので。

「ふふ」

分かっております。
異性に脚を見られて恥ずかしいのですね。
随分と可愛らしいことで。

「今日のところは許して差し上げます」
「は?なにを?」

私やエドより先に同衾どうきんしたことを。
忘れはしませんが異性に脚を見られて恥じらう可愛らしい姿を見たので、呪わしい気持ちが晴れました。

「ベル?ドニさま来……あ」

お台所の出入口から姿を見せたエド。
魔導車で気付いたようでドニさまの名前を口にしながら入って来てピタリと立ち止まる。

「ドニさまが脚立から脚を滑らせたの」
「え?お怪我はありませんか?」
「大丈夫。ベルが風魔法で止めてくれたから少し脛打っただけで済んだ」

エドと話すドニさまはもういつもの顔。
秘密にしておきますのでご安心ください。

「さてと。依頼を遂行しないと」
ワタクシとエドはエントランスホールでお掃除をしておりますから修理が終わったら声をかけてください」
「分かった」
「お願いいたします」

棚の修理はドニさまにお任せして私とエドは午前中に引き続き本邸のお掃除に向かう。

「ドニさまはお変わりないみたい」
「どういう意味で?」
「どういう意味?以前と変わらないってことだけど。シンさまが公爵さまになっても以前と同じ態度のまま」
「ああ。そっちか」

そっち?
他にどんな意味が?

「シンさまの話をしたの?」
「少しだけね。あの棚を見てシンさまが使い易そうな高さの棚だって。公爵になっても気にせずお台所に立つだろうって」
「そっか。シンさまがお戻りになると信じてるんだね」
「信じてるというより疑ってもなさそうだったよ」

私たちと同じ。
まるで近くに出掛けているだけのように、当然のようにお戻りになることを前提に話していた。

「……俺たちは戻って来てほしいけど、シンさまはお戻りになって本当に幸せなのかな。魔王がエミーリアさまに渡してあった水晶が繋がらなくなったってことは魔王と居るんだろうけど、シンさまのことを思えば魔界に居た方が」

話の途中でエドは口を結ぶ。
それは私も不意に考える。
シンさまのお力に怯える者も居れば、魔王と同じように地上層の敵のようにいう者も居ることが事実だから。

「シンさまのお蔭で生き長らえた人はたくさん居るのにね。それなのに危機が去った途端に怯えて目を逸らしたり敵のように言ったりするなんて。手のひら返しも甚だしい」

あの場にシンさまが居たから私たちも生きている。
魔族の王である魔王に手を借りたことも、巨大な魔物と契約を結んだことも、一人でも多くの人を救うためだったのに。

「……お戻りになってもお心を痛める姿は見たくないね」
「見せないよ。シンさまは。俺たちに心配をかけないよう仕方ないって笑ってみせるのがシンさまだから」

きっとそう。
シンさまは笑みに感情を隠してしまう。
そして今回は遂に誰にも決断を悟らせることがないまま夜の闇に溶けるかのように静かに姿を消した。

「今の俺たちにできることは心身ともに強くなること。シンさまがお戻りになった時に頼って貰えるように」
「そうだね。自分たちが出来ることを精一杯やろう」

種族や国家のことは私たちにはどうにもならない。
それは国王陛下に頼ることしかできないけれど、私たちは私たちのできることをしてシンさまのお戻りを待ちましょう。

「まずはお掃除から頑張ろうね」
「うん」

シンさま。
エドと私はここでシンさまのお帰りをお待ちしております。
 
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