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第五章 新たな始まり
祝典
しおりを挟む「始まりましたね」
「うん」
待機している部屋にも聴こえてくる音楽。
この世界の賛美歌。
「緊張していらっしゃいますか?」
「どうかな。やっとかって気持ちの方がデカいかも」
「私もこの瞬間に立ち会えたことを喜ばしく思います」
「諦めることなくやり遂げた我が主を誇りに思います」
赤い絨毯の上に跪き頭を下げるエドとベル。
俺からすれば、誰も期待していなかったことを始めた俺に文句も言わず着いてきてくれた二人にこそ感謝している。
「今日まで俺に着いてきてくれてありがとう。ただ今日で終わりじゃなくて、むしろ最初の一歩に過ぎない。今後も迷惑をかけることがあると思う。それでも着いてきてくれるか?」
「世界の果てまででも」
「喜んでお供させていただきます」
「ありがとう」
笑みを浮かべる二人の額へ交互に額を重ねる。
俺の大切な仲間で家族の二人に神のご加護を。
「音楽が止まった。時間だ」
「「はい」」
椅子から立ち上がり深呼吸をする。
このあとガルディアン孤児院や教会を管理する者や西区の領主としてみんなの前に立つことになっている。
「どこか変じゃないか?」
「いいえ。とてもよくお似合いです」
「勲章をお付けします」
「ありがとう。まさか短期で三回もこれを着るとはな」
「また老若男女を誑しこんでしまいますね」
「おい、言い方」
肩に勲章を付けるエドとつっこむ俺の会話にベルは笑う。
今日の服装は貴族男性の正礼装である軍服(俺は白)と外套。
エドとベルも正礼装を着ていて尻尾と耳を出したまま。
西区の人たちに初めて自分たちの正体を明かすことになる。
「よし、そろそろ行こう」
「「はい」」
異世界人と知った時のみんなの反応が怖くない訳じゃない。
でも自分が持っている全てを使ってでも西区清浄化の礎になると決めてここに居る。
司祭さまの声が聞こえる廊下。
そこを歩いて聖堂に向かいカーテンの隙間から式典の様子を見ると、想像していた以上に人が集まっていて少し驚く。
警備依頼を受けてくれたのはドニとプロビデンスの四人。
師団長と一緒に居るのはエミーとハロルド。
国仕えの三人は俺たちが今日正体を明かすことを知っている。
「居ました。七光り息子」
「やっぱ来たか。予想通り」
「その隣に前領主もおります」
「へー。父親も来たのは意外」
領地の買い取り価格をゴネにゴネている現領主。
元々金に汚い奴なのか父親の失脚で金に困ってるのか知らないけど、国政を理由とした買い取りなのをいいことに値段を釣りあげている。
「領民のためにそろそろ頷いて貰おうか。七光り息子」
男爵の俺のどんな姿を期待して見に来たのか聞きたいところだけど、ゴネさせてやるのも今日でお終いだ。
『スラムと呼ばれるこの西区を改善する第一歩として教会と孤児院を設立してくださった領主さまをご紹介いたします』
「行くぞ」
「「はい」」
一歩踏み出すと静寂が騒めきに変わる。
「貴方さまは……勇者さまでは?」
「俺だよ。司祭さま」
「シンさん!?」
聖卓の前に立っていた司祭さまは声で俺に気付いて驚く。
「お集まりの皆さま、この姿では初めまして」
場所を譲って貰い聖卓を前に口を開くとますます響きは大きくなり、「勇者さま」だ「救世主さま」だ「シンさんの声だ」とあちらこちらから様々な呼び名が聞こえてくる。
「ご挨拶の前にまずは自己紹介をさせてください」
会衆席から向けられる視線。
教会の外にも人が集まっていたらしく入口からも沢山の人が顔を覗かせた。
「西区北側の領主に任命されました夕凪真と申します。容姿でお気付きかと思いますが、召喚の儀でこの世界へ召喚された異世界人です。後ろの二名は執事のエドワードと女給のベルティーユ。ご覧の通り獣人です。私が異世界人ということもあり、本日の式典まで正体を隠していたことをお詫び申しあげます」
頭を下げて謝罪すると人々から響きや歓声があがる。
異世界人であって勇者ではないけど、そこは勘弁して欲しい。
「改めまして、本日は新ガルディアン教会と孤児院の式典へお運びいただきありがとうございます。異世界人がなぜと疑問に思う方もおられると思いますので、私が領主になった経緯を少しだけお話しさせていただこうと思います」
謝罪の後は式典らしく挨拶。
案の定驚いている人も居れば戸惑っている様子の人もいて、領主になるきっかけから話すことにした。
「最初に西区へ訪れたのはとある理由があって。異世界で平和に暮らしていた私には西区の状況は驚くものでした」
話し始めると少しずつ響きは静まる。
「蔦が絡まり苔が生えるほどに長く放置された数多くの廃墟。道に座り施しを待つ人々。食べる物をと物乞いする人々。道に立ち塞がり金目の物を盗もうとする人々」
話しながら聖卓の前へ行って会衆席に近付く。
俺を見上げる人たちの目は真剣だ。
「ここへ来てみれば、修復跡が目立つ老朽化した小さな教会と古ぼけた小屋。司祭さま曰く、司祭さまご本人が異端者となったために教団からの援助を切られたと。ただ私には司祭さまが異端者と呼ばれる悪人には見えず詳しくお話しを伺いました」
顔を隠した怪しい男を嫌な顔一つせず迎えてくれた司祭さま。
全ての司祭が同じことをできるかと言えば、できない人の方が多いだろう。
「司祭さまが教団から異端者の烙印を押された理由は、親から捨てられ行き場のなくなった嬰児や子供を保護して教団の敷地の一部である小屋で育てていたから。そんな理由だったとご存知の方はどのくらいおられますでしょうか」
再び騒がしくなる会衆席。
耳に届く声を聞く限りでは知らなかった人が多いようだ。
「教団の教義では教会に身を置くことができるのは神に仕える者だけと決まっているそうです。司祭さまはその教義を破って子供たちの命を優先した。たしかに教団側にとっては教義を破った異端者かも知れません。ですが自分の立場よりも子供の命を優先できる聖人がこの場にどれだけ居るでしょうか」
善行が悪になる苦渋の決断。
それでも司祭さまが選んだのは子供たちの命だった。
「と、ここまで話しましたが、司祭さまはもう異端者ではありません。教皇猊下にお目通りが叶い事情を説明したところ撤回してくださいました。今まで司祭さまが異端者だからと避けていた方はどうぞ安心して礼拝やミサへ足をお運びください」
そう話すと外に居た人で中へ入って来た人もちらほら。
新しくなった教会を見に来たものの中に入るのは避けていた人たちも居たんだろう。
「私が西区の手助けをしたいと考えるようになったのは、心優しい司祭さまや修道女、そして子供たちの存在があったから」
きっかけは些細なこと。
ただ子供たちの居場所を作ってあげたいと、それだけだった。
「この西区を子供たちが安心して暮らせる場所に。他の地区の人たちも気軽に出入りできる安全な場所に。それが私が西区の領主になった理由であり、今後の目標でもあります」
今後の目標を話すと歓声と拍手がおこる。
これについては本音でそう思っている。
「言うだけなら誰にでもできる!」
「異世界から来た奴に好き勝手にされてたまるか!」
どこからともなく聞こえた男たちの声。
改善を期待する人と反対する人の言い合いが始まる。
警備のドニたちが止めてくれていることを確認して南側の領主を見ると口元に薄ら笑いを浮かべているのが分かる。
「……ありがとう。七光り息子」
薄ら笑いを浮かべるのは俺の方。
ベストタイミングでありがとう。
「静粛に!」
黙れとはさすがに言わず騒ぎを止めるための声をあげる。
「反対する方がおられることは承知しております。口で言うだけならば誰にでもできるというのも尤もなご意見です。西区の改善が簡単ではないことは身を以て実感しておりますが、どうぞもう少しお時間をください。しっかり説明いたしますので」
座れや雇われゴロツキが。
という本音は神妙に作った表情の裏に隠して頭を下げる。
「救世主に頭を下げさせるなんて!」
「無礼だぞ!」
「聞くのが嫌なら出て行け!」
……あれ?
予想外の展開になってきた。
「皆さまどうかお聞きください。反対意見も西区の領民の貴重な声です。理解して貰えるよう説明をさせてください」
このままでは険悪なまま終わりそうで止める。
というより話をさせてくれないとゴロツキしかダメージを受けてくれないから困る。
「反対派の方々にもこれだけはご理解いただきたい。私は領民の皆さまへ口先だけの優しい嘘をつくつもりはありません。少しでも多くの方に信じていただけるよう、現時点で決定している工事箇所を隠すことなくお話しいたします」
師団長が持って来てくれた紙を受け取る。
エミーや師団長とは昨日の深夜まで綿密に話し合って今日のこの場のことを何度もシミュレーションした。
「西区北側第一区」
決定済みの解体工事や修復工事などを発表していく。
第一区、第二区、第三区と順番に。
「改善の第一歩として今発表した倒壊の危険や犯罪の隠れ蓑となる廃墟の解体を行うと同時に、暗がりでの犯罪を未然に防ぐために北側にある街灯全てを修理、若しくは新設いたします」
俺が管理する北側の工事は領地の境界にあるメイン通りから。
師団長を案内した時に説明したように道に面して廃墟が並ぶあの通りは西区の中で一番広い道だから、今後の工事で人の往来が増えることを考えて最優先に解体工事を行う。
「建物を壊すだけで何が変わるんだ!」
「何が変わる?では声をあげた貴方へ逆に伺います。廃墟が犯罪者集団の拠点や犯罪行為の温床となっていることを知った上で、解体しても西区は何も変わらないと申されるのですか?」
雇われたゴロツキか本物の住人なのか分からないけど、何が変わると声をあげた男へ直接問いかける。
「その場凌ぎだろ!それで犯罪がなくなるなんて甘い!」
「たしかに解体するだけで終わるのであれば問題の解決には程遠いでしょう。ですが最初に申しましたように、今発表したのは現時点で決定していることだけです。当然それで終わるはずもなく、解体工事はあくまで改善の第一歩にしか過ぎません」
領民の安全を確保するために解体工事は優先事項。
ただ解体するだけではその場凌ぎにしかならないことは国も俺も分かっている。
「あの……北側領主さまにお聞きしたいことが」
「どうぞ。あ、おかけになったままで結構です」
「ありがとうございます」
前の方に座っている年配の女性。
隣の年配男性に手を借り立ち上がろうとしたこの人は、ほぼ間違いなく正式な西区の住人だろう。
「私たち夫婦は西区南側に暮らしております。いま領主さまがお聞かせくださったことは全て北側のことでしたが、南側では今後どのような改善が行われるのでしょうか」
おばあちゃんナイスアシスト!
どうそちらの話題へ持って行くかと思ってたけど、南側の住人の純粋な疑問に助けられた。
「申し訳ありません。南側で決定してることはありません」
「ない?北側だけを改善するということですか?」
「はい」
ザワザワと騒めきが広がる。
南側の領民も少なくないようで北側との差に不快感を示す。
「私も南側の改善に着手できないことが心苦しいです。同じ西区であるのに関わらず、北側と南側で住人の生活に差ができてしまう。ですが私が任されたのは北側の領主で、南側には別の領主がおります。自分の領地である北側の改善には最善を尽くしますが、南側のことは南側の領主にしかできないのです」
大きく膨らむ南側の住人の不満。
北側は既に改善が始まっているのに、自分が住む南側は何も改善されないと知れば不満に思うのも当然だ。
「南側の皆さま。生活を改善するお手伝いが出来ないことをお許しください。嘘偽りなく話すとお約束したのでお伝えしますが、今のままでは北側と南側で生活に大きな差が生まれるとお考えください。北側では直近の予定として、犯罪を未然に防ぐための警備隊の配置や駐屯所の建築なども予定しております」
北側との差を知るほど大きくなる不満と怒りの声。
南側の住人たちには不快な思いをさせて申し訳ないけど、今のままでは実際に違いが生まれる。
「南側の領主はなにをやってるんだ!」
「今までと変わらず南側は見捨てられるのか!」
「北側を羨ましく見ることしか出来ないなんて!」
住人たちの怒りを聞きながら現領主と前領主を見る。
しっかり聞け、七光り息子と前領主。
これが今まで放置され続けて来た住人たちの生の声だ。
「南側の皆さまのお怒りはご尤もです。ですが、改善を望む国や北側領主の私と、現状維持を望む南側領主ではあまりに方向性が違う。先程お話しした警備隊の許可でさえ南側は国の打診に対して返事待ちのまま。皆さまがご存知か分かりませんが、国であっても領主の許可なしに勝手なことはできないのです」
現状維持と柔らかく言ったけど、現実は放置。
援助が出ようと僅かな額だろうとスラム化した西区には資金を使いたくない。が、南側領主の本音だろう。
「それじゃあ国でもどうにもならないんですか?」
「法で決まっていることを変えることは出来ません。領地のことは国王陛下より爵位を賜った領主に決定権があります。ですからこの西区では二人の領主の許可が必要なのです」
領主は何もしてくれない。
国も法を破る訳にいかず手を出せない。
南側の住人にとっては絶望的な話だろう。
「南側の皆さまどうぞお顔を上げてください。この話にはまだ続きがあります。私は今まで幾度も南側領主の元へ伺い西区の改善には北側だけは駄目なのだと説得を試みましたが、よい返事はいただけませんでした。そこでスラム清浄化を国政にあげる国にも出来る形でご協力いただくことになりました」
絶望させたままでは終わらせない。
一本の大通りを挟んだ北側と南側で差別化されるなど本来あってはいけないことだから。
「国政を円滑に進め西区に暮らす皆さまの生活が一日でも早く改善されるよう、国で南側の領地を買い上げることが決定いたしました。そして今後は私が西区全体の領主となり、国と共に西区の改善に全力を尽くす所存です」
わっとあがる歓声。
絶望的な状況からの大逆転に拍手がおこる。
わざと一度落胆させてしまったことは申し訳ないけど、国政であることをいいことに売値をつり上げる七光り息子に『お前が領主で居ることを領民は望んでいない』と教えるためにも生の領民の声を聞かせることが必要だった。
「馬鹿な!男爵風情が王都地区一つの領地を持つなど!子爵家の私以上の領地を持つなど許されるはずがないだろう!」
領民たちの歓迎ムードに慌てたのは七光り息子。
普段放置してるから領民は七光り息子が領主だと知らないようで『なんだコイツ』というような目で注目を浴びる。
「爵位地区にお住まいの子爵さまでしょうか。遠い西区の献堂式にまで足をお運びくださり深く感謝申し上げます。信仰心の篤い子爵さまに神のご加護があらんことを」
アホだなコイツ( ˙-˙ )スンッ
南側領主に対する不満が募りに募った領民たち(俺が煽ったんだけど)にバレたら自分と父親の身が危険だと言うのに。
優しい世界で生きてきたボンボンが。
「私の言葉不足で誤解を招いたようですので子爵さまへ改めて自己紹介を。召喚の儀でこの世界へ来た異世界人であり、西区北側の領主であり、国王陛下より男爵位と伯爵位と英雄勲章を賜りました、特級国民シン・ユウナギ・エローと申します」
左肩にかかっている外套をずらし、軍服につけている栄誉(英雄)勲章と爵位を表す肩章を七光り息子に見せる。
「一度目の叙爵式で英雄勲章と英雄称号と男爵を。二度目の叙爵式では伯爵を賜りました。それでもなお私が王都地区一つを賜ることに異を唱える貴族さまがおられますでしょうか」
てっきり男爵から伯爵に陞爵(爵位があがること)するのかと思ってたけど、爵位を複数持っている人も珍しくないらしく、男爵は残したまま新たに伯爵を貰う叙爵式を行った。
国王のおっさん曰く、幾つかある爵位をそれぞれ跡継ぎたちに継がせることで領地を分けたりするらしい。
「そんな……貴方が英雄だったとは」
「陛下のご配慮で私の姿までは放映されなかったと聞いております。子爵さまがご存知でないのも当然かと」
俺が英雄だと七光り息子が知らないのも当然。
むしろ知っているのは王家と国仕えだけ。
英雄勲章を貰う式は各地に放映されたけど、俺の身の安全を守るために顔(姿)までは放映されなかった(らしい)から。
「子爵さまにもご理解いただけましたでしょうか」
「……はい」
「どうぞおかけください」
勝った。
貴族は何より爵位や勲章に弱いというのは事実らしい。
勲章や爵位など興味のない俺からすれば、ただ責任が重くなるだけの足枷としか思わないのに。
「本音を申しますと異世界人の私は貴族の爵位にも英雄の称号にも興味がありません。ですがこの世界では爵位がないと土地を所有できないことを知り、光栄にも陛下より恩賞の話をいただいた際に西区の土地が欲しいことを話しました」
それが爵位や勲章を受け入れた理由。
必要のない世界なら断固拒否していた。
「未来ある子供たちが安全に暮らせる場所を作ってあげたい。そのためには西区全体の改善が必要です。既にスラム化した土地を改善するのは容易なことではありません。ですが諦めるつもりもありません。改善には西区に暮らす領民の皆さまの協力が必要不可欠。どうぞ私に皆さま方のお力をお貸しください」
子供のためだろうと自分のためだろうと理由は何でも良い。
ただ、力を貸して欲しい。
頭を下げて頼むと割れんばかりの拍手がおこる。
「ご清聴ありがとうございました。西区の皆さまに神のご加護があらんことを」
教会の献堂式らしくそう締め括り、俺の役目は終わった。
・
・
・
「なんで泣いてるんだ。お前たちは」
「素晴らしい演説でした。シンさまがまるで神のように」
「私も自然と祈りを」
「祈るな祈るな。俺がそんな神々しい存在じゃないことはエドとベルが一番よく知ってるだろ」
待機していた部屋に戻り椅子に座るとエドとベルが跪き祈りを捧げ始め、教会の神聖な空気に飲まれたんだなと額をペチペチ叩く。
「そのようなことはございません。純白の軍服に美しい白銀の瞳と髪。堂々とした演説と凛々しい立ち姿。神々しいです」
「だから祈るなって」
何気にエドとベルは白軍服姿がお気に入り。
一度目の叙爵式の時に国が用意したものだけど、軍服はもちろん外套にも俺個人の紋章が入っている。
「安易だよな。俺の紋章」
「そうですか?威厳を感じますが」
「俺の背中からとったんだろ?虎と月の組み合わせ」
「この世界には体に絵を描いている者はおりませんので、特徴の一つであるそれをシンさまのシンボルに選んだのかと」
俺が背中に虎と月の刺青を入れてるからという理由で、紋章(日本でいう家紋)も虎と月の組み合わせに。
虎と月に拘りがあってそれにした訳じゃないんだけど、まさか異世界では自分の象徴として扱われてしまうとは。
「入るぞ」
「うん」
ノックの後に入って来たのは師団長。
師団長も今日は式典用の装飾がされた法衣を着ている。
「どんな感じ?」
「大人しいものだ。反対を口にした男たちもな」
「爵位サマサマか」
「爵位よりも英雄勲章保持者だったからだ。授与式の後に説明しただろう?特別な勲章である英雄勲章と称号を賜った者は特級国民という貴族よりも上の国民階級になると。君が賜った貴族爵は領地や給金を与えるためのものに過ぎない」
特級国民は勇者と同じ国民階級。
勲章や称号を貰ったことで勇者と同じく俺に命令できるのは国王陛下だけになったと聞いて、国王のおっさんがもう一人の異世界人の俺の立場に配慮してくれたんだろうと思った。
「勲章授与式の放映で顔までは映していなかったから知らなかったといえ、その特級国民の英雄を我々国仕えの前で風情がと罵ったのだからな。嘸かし肝が冷えていることだろう」
少し可哀想な気もするけど調子に乗り過ぎた報い。
国から改善策を提案されているのに何もしない領主を住人でさえも見限ったんだから、大人しく南側の領主から退いて貰う。
欲をかき過ぎるとロクなことにならないってことだ。
「なんにしてもよくやった。後は私に任せてくれ」
「うん。頼んだ」
様子だけ教えてすぐ聖堂へ戻る忙しい師団長を見送る。
買い取り交渉は王宮師団の役目。
領民たちの様子を目の前で見ていた師団長(つまり国)に、これ以上の値上げは迫れないだろう。
「後は会食が残ってんのかぁ」
「式典では祝いの料理を振る舞うのが通例ですから。ですが今回は隣の敷地で行う簡単なお祝いですので、叙爵式の際に行ったパーティのような仰々しいものではありません」
「そうなのか。じゃあ良かった」
エドから聞いて少しホッとする。
叙爵式のあとの大掛かりなパーティでは見知らぬ上級貴族たちに囲まれ、休む間もなく次々と挨拶されて面倒だったから。
叙爵式は栄誉勲章を貰い貴族入りした『俺の』お披露目で、今回は教会と孤児院のお披露目だから違って当然かと思うけど、たった二回パーティを経験しただけでもう嫌な印象しかない。
「本来は食堂を貸し切り行うのですが場所が場所ですので」
「なるほど。スラムにまともな食堂なんてないしな」
「はい。お疲れのことと存じますがもう暫くのご辛抱を」
「分かった」
俺は司祭さまとの打ち合わせで慌ただしかったから式の後の手配はエドとベルと師団長に任せていた。
他の地区なら別としてスラムには座って食事を……なんて店はないから、空いている隣の敷地で簡単に済ませるんだろう。
話をしながら休憩して半刻ほど経って。
「お疲れさま」
「無事に終わって安心したよ」
「エミー。ハロルド」
俺の挨拶あとも続いていた式が終わって部屋に来た二人。
軍人の二人の正装はもちろん軍服。
ただ装飾(飾緒や肩章)は普段よりも華やかだ。
「お疲れさま。堂々とした演説でかっこよかったぞ」
「ありがとう」
「静聴しながらシンに祈ってる人も居た」
「俺に祈っても何のご利益もないのに」
国王軍+王都地区のギルマスとしても警備についてくれていたハロルドは領民たちの様子を教えてくれながら笑う。
「見た目だけは神々しいからね。誑し込む誑し込む」
「人聞きの悪いこと言うな」
今日も失礼なクソッタレ軍人さまだ。
ただ、こうして笑い話ができるのも無事に式が終わったからだと思うと、新たな第一歩としては肩の荷がおりた。
「ドニとプロビデンスのみんなは?」
「引き続き警備中。準備中に何かあっても困るからね」
「そっか。じゃあ五人には別日にお礼する」
「依頼報酬は払うんだろ?律儀だね」
「直接指名をして引き受けてくれたんだから礼くらいする。今日は礼を言う時間が取れないだろうから後日になるけど」
朝早くから警備に入ってくれてる五人。
式の最中も小競り合いを止めてくれたりしてたし、個人的にも報酬とは別にお礼はしておきたい。
「さて、そろそろ会場へ行こう。口煩いのが居るからね」
「ブレないな。エミーと師団長の関係も」
「魔導時代から変わらないよ。礼儀礼儀って口煩い」
「それは俺も耳が痛い」
師弟揃って師団長から怒られてるんだから笑える。
師団長からすれば笑い話じゃないだろうけど。
「そういえば外が炊き出しの日のようになってたぞ?」
「だろうな。無料で食事できるから」
エミーとハロルドの警護で廊下を歩きながら(エドとベルは会場の準備)、ハロルドから外の状況を聞いてすぐ想像できた。
「談笑しつつ摘む祝い料理もスラムでは貴重な一食か」
「普段から食べるのにも困ってる人が大勢居るから食事目当てで来た人も多いと思う。でも足を運んだ理由なんて何でも良いんだ。何より話を聞いて貰うことに意味があるから」
西区には『知らない人』や『知ろうとしない人』が多い。
今後どう改善して行くかや何が行われるかなど、自分の生活に関わる西区のことを『どうでも良い』『どうせ変わらない』と諦めず一人でも多くの領民に聞いてほしかったから。
「最後まで気を抜かないように。純粋に食事目当てで来たなら良いけど、君の命が目当ての輩も居ないとは限らないからね。ハロルドが言うようにまるで炊き出しだ。それほど人が多い」
人が多い場所だと人に紛れて悪事を働く輩もいる。
会場の警備はドニやプロビデンスの四人以外にもいるけど、今回は外でやるだけに意外な所から命を狙われる可能性もある。
「今回正体を明かしたことで、今後君の周りには権力者とどうにかお近付きになろうと擦り寄り媚びる者も現れるだろう。君は見た目もあいまって人を魅了する能力に長けている。そしてお人好し。老若男女問わず寝首を搔かれないよう気を付けな」
エミーの忠告に笑みで返す。
力(地位)を手に入れた途端に擦り寄る奴や媚びる奴が居ることなど、異世界に来る前から嫌というほど経験して知っている。
男でも女でもそう。
俺がNO.1になった途端に、以前は楽しそうに蔑んでたことを都合よく忘れて媚びだす女。
俺が幹部になり権力を持った途端に、以前は鬱憤晴らしのサンドバッグにしてたことを勝手に水に流して手のひらを返す男。
金を愛する者もいれば地位や名誉を愛する者もいる。
欲深い人間が愛するものは一つじゃない。
そんな人間らしい醜さ溢れる世界に生きていた。
力(権力)目当ての狡賢い奴が現れるかも知れないことは承知。
それは分かった上で西区の改善のためなら正体を明かすと決めたんだから、狐と狸の化かし合いも受け入れよう。
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