ジルヴォンニード

ククナククリ

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第三譚:風と共に紫花よ躍れ

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 市民の目を掻い潜りながらランクスの残党を切り伏せるも、セントラルの広場までくると全ルートが封鎖されておりイリヤ達はそのまま立ち往生を食らった。
「また警報だよ……空襲? 火攻め? どっちか知らないけど、外壁の修理もタダじゃないんだからさ」
「多いよね最近。しかも見回りの人たちが留守にしてる間を狙ってきてない? 怖いね……」
 町内放送だろうか、物々しい信号の音波が人々の不安を煽る。迂回しようにもセントラルを出るには東西南北4つの道しかなく、すべて塞がれているからには外壁をよじ登るしかない。
「こうなったら仕方がありません。次元の穴を少し抉じ開けて地道に飛び乗って行きましょう」
 デュースは詠唱と共に足場の糸を編み出し、それらは小石の島となって浮遊していく。
「いくらカールスルーエが箱庭の都市っつっても、悠長でいてもらうには無理があるか……なぁデュース、歩きがてらにでも聞いてくれ。ここいら近辺で十二宮環の連中は見なかったか?」
「十二……いえ、こちらでは特に反応はありませんでしたね。市内圏に侵入したならば、区役所から市民全体へ支給されているコレが反応する筈なんです」
 デュースが懐から取り出した通信機は、画面が蛍光色で点滅していた。
「……レーダーみたいなもんか?」
「ええ、半径50キロ圏内であれば探知は可能、信号を受け取った際は赤色に光ります。けれど試作段階なので先ほどの様な雑魚の探知までは難しい。彼奴らばかりは現状、目視で追うしかないのが悩ましいところです」
 この放送もまた、市民による人形兵器の目撃が確認できなければ流れる事はなかったのだろう。
 行政の対応が追い付いていない――否。兵器たちの適応力が、戦争と直接関わるわけでない市町村の役人たちの行動を先読みするように凌駕していた。
「せめて核反応を探知する機能でもあればな。あいつらは人を直接襲うことはなくても、建物や外壁を破壊して自分達の住処に取り込んじまう」
「その結果物といえるものが名義における時計盤、なのですね」
「……近年じゃその説も有力らしい。いくら自然界に害を及ぼす個体じゃなくたって、人々の営みに干渉するっつー意味でならランクスは凶悪だ。最悪ありとあらゆる各地の文化財までもが塵も同然に壊されかねん」
「そう、ですか……考えてみれば、十二宮環以外の兵器に人を襲う理由も利点もこれといってないのでしょう。彼らが狙うのはあくまで私たち。明らかに術式を使えるとみなした者にのみ攻撃を加える。それはあまねく次元の数々を彼らがテリトリーとしているから」
「その縄張りを侵した奴には無慈悲な制裁が待ってるってわけか。どうりでガキ一人に躍起だと思ったもんだぜ」
「あくまで次元の内部こそが自分たちの安全地帯と信じて疑いませんからね。そこに況してや人の子が跨いでくるなどとは思わないわけです……近辺でこそ反応はありませんでしたが先日の夕方、ハルデルウェイクの畔にてルクレツィアと交戦したとの報告がマーサ殿から」
「ありがとう。そうか、やっぱり耳には届いてたんだ……あの時俺もその場にいてさ。マーサに逃がしてもらって事なきを得たんだが、ルクレツィア本体は取り逃した」
 苦々しくイリヤが呟くと、デュースがその気持ちを案じるように目を細めた。
「それは難儀でしたね、ルクレツィアといえば操術の鬼。脳波に信号を送り、正常な判断を見失わせるマインハックの術式を持つ女。マーサ殿もあなたもよく戻ってこられたものです……ところで知っていましたか旅の方。キーマンは、元から術式を扱えた訳ではないんですよ」
 なるだけ人目を避けて、細い路地を伝う。ようやくセントラルの外まで出たところで、玄関口まで張っていたデュースの術式のロープは粒子として霧散していく。
「術式を使うからキーマン、とは決まった訳じゃないんだな。じゃあ術式って力の原理を誰かが生み出したってことか?」
「はい、東洋の医師が死滅した組織細胞を生きた細胞と繋ぎ合わせ、蘇生させる療法として図を書いたのが始まりだそうです」
「元は医療技術だった……その図を第三者が抜き取ったか何かで悪用されて、物体への攻撃手段に派生したって線か」
「お見事な洞察力。医師の書き記した回路図は国家指定犯罪組織の『シギント』に盗まれ、それは不可視の糸となってあらゆる空間に別の次元へ連なる亀裂を作り出しました」
「その亀裂の先がいわゆるアウェイってやつか……そしてアウェイに自由に往き来できる権限を持つのが、俺たち鍵を抱える者」
 遥か昔、人の造りし神は厄災をその巨体に宿しながら世に解き放たれた。
 歩く要塞、その様子を禍つ神“シャルマンカ”と人は呼ぶ。“シャルマンカ”はありとあらゆる時空をねじ曲げ、それぞれ異なる時空を繋ぎ合わせ、今昔混沌なる継ぎ接ぎだらけの世界を生み出した。
 滅びを迎えようとする世界の果て。とある医学生は、少しでもシャルマンカの悲劇で被災した人々を救うため、医学の髄を極めようとしていた。
 そんなある時、彼のひたむきな姿勢に惹かれたシギントの幹部は偽名を使って彼の研究に従事した。
 そして年月は経ち、悲願が叶い術式は完成する。切れてしまった神経のひとつひとつを編み直すことでその箇所を接続し、体組織を修復する医術。
 しかし悲劇で始まる物語の結末は悲劇以外に有り得ない。
 シギントのサイバーテロによって封印していたコードを暴かれその図式を持ち去られることにより、その首謀者の手で加えられた改竄で術式は人を容易く殺める物量兵器の開発へと利用された。
 よって生じた“鳥かごの処女”による無差別空襲。
 医師の身代わりとなりこの責任を受けた元シギントの幹部はA級戦犯として処刑され、その医師もまた行方を眩ませた。
 十二宮環が生まれたのは一年前の話だ。
 けれど、デュースの話を辿っていくならば鳥かごの処女とシャルマンカ、偶然の繋がりとは思えなかった。
 「ええ。ですが、キーマンと人間の相違点は実のところ私には分かりません。術式を扱えるヒトがいて、術式を扱えないキーマンもいて……鍵を持っているだけでキーマンと呼ばれるのであれば、わざわざ名乗る必要もないわけですから」
 術式と依り代の関係はイコールではない。
 依り代を介さずとも神経に経路が刻まれているのであれば術式の行使は可能であり、また術式が何も刻まれていない依り代自体に力は持たないのだ。
「……人間には術式が一切通らない、とか?」
「不思議ですよね。ヒトを避けて通る光の線は、いかなる強固な城壁も貫くどころか木っ端微塵に砕いてしまう。あの力をキーマンは真正面で受け止めてしまう形になるわけですから、本来なら骨一本も残らないでしょうね……普通の人間であれば」
「だけどキーマンの肉体はヒトのそれよりずっと強靭だ。よほど細かい粒子の積まれた化学兵器でもぶっ放されない限り、原形がなくなるなんて事はまず有り得ない」
「まぁ一個人が術式で狙い撃ちされる場面なんてそうそうないでしょうから、市井への秘匿も人形兵器よりかは容易かもしれません」
 ルクレツィアほどの擬態能力を持った人形兵器は類稀なるケースなのだろうが、見てしまった以上は警戒の範疇に越したことはないのだろう。
 今もなお、民衆に扮してこちらの動向を探られている可能性だってある。
「でもいずれは術式も正規の用途で使われるようになって、人もキーマンも区別しなくていい世界になればいい……有力な情報をありがとう、デュース。手ぶらで帰らせるのも悪ぃから俺の知ってる限りでなら教えるよ、お前の知りたいこと」
 イリヤはいつ彼女に一連のやり取りを盗聴されても構わないよう、こちらが不利にならない程度の情報提供を思案していた。
 現状において連中との情報戦はほぼ敗北が確定しており、その段階で今以上に向こう側へこちらのデータを与える事はまさに首を差し出す行為を意味する。
「左様ですか? では、お言葉に甘えて時計盤の動力源の事とか――あれは一体どういった原理で動いているのでしょう。一時間可動するだけでもモスクワ全体を煙で覆い尽くすほどの熱量、火力発電では説明に無理があるかのように思われます」
 赤い光を放つワイヤーがデュースの指と連動して波のようにしなり、迫り来るランクスの群れを次々と刻み込んでいく。
 召喚の術式を得手とするキーマンは、自身の術式回路から繋いだ光の糸を有象無象の万物へと自在に変化させる事ができる。
 デュースが術式を運用する際に皮膚から浮かび上がる刻印の流れを確かめることで、イリヤは彼の術式回路を召喚系統であると分析した。
「仮に火力で動いてたとしても、あんな異様なスピードでコークス燃やしてりゃ資源が底を尽きるのはたった一月以下の話だわな……とまあ、現状どこまで言っていいのかは俺にも分からないが、時計盤の正体は小さな『核』だ」
 討ち漏らしをほとんど始末したとはいえ、警報の鳴り止む気配がないという事は未だに街の死角へ彼奴らは潜んでいるのだろう。
 二人の足は自然と早まる。デュースは術式からさらに足場の糸を編み、イリヤは盗聴をなるだけ防ごうと障壁を厚く張った。ヒト為らざる異形のモノ相手に子どもじみた小細工でしかなくとも、公衆の耳を欺くぐらいの事は出来るだろうと過信している。
「……原子核融合、ですか?」
 デュースは彼が意図的にこちらへ差し出す情報を取捨選択している事を察し、そして背後にルクレツィアの影がある事も同時に読み取りながら無難に聞き返す。
 視察の者なだけあって状況の把握力は並み外れている。動き回りながら何かを説明する事に慣れない自分は頭が途中でしどろもどろになりそうなのに、デュースはあくまで冷静に頷いて人形兵器を片手で薙ぎながら次の説明を待つ。
 イリヤは直接見せた方が早いだろうと、鈴を振りデュースの目の前に時計盤のビジョンを投影した。
「ああ。見えるか、盤上に赤く光ってる文字みたいな窓。あの先は一つ一つが原子炉になってんだ」
 原子炉、そして小さな核の卵。それらはすべて時計盤から人形兵器が産出されている事を意味している。
「……成る程、だからあなたは原子核の反応を探知したいと仰ったのですね」
 時計盤が彼女たちを産み出しているならば、その元を断てば早いのかもしれない。しかし、時計盤そのものが核を有する兵器であった場合ーー物理的な破壊を以てした手段もまるで意味を成さないどころか、人間が想像し得る限りの最悪な返り討ちに遭いかねないのだ。
「人形兵器の急所にあるコアはいわゆる核の卵だ。俺は放射能を漏らさないようにコアだけを抜き取る形をとってる。外核自体はただの鉱石だから素手で触っても問題はないが、中の粒が落ちたら少なくともこの広場全体の土は踏めなくなる」
「その通り」
 身の毛の弥立つ冷たい声が、イリヤの話を遮った。
「だからカールスルーエは早々にこちらの手で平らげ、支局の連中を穀潰しにする。そしてコアも全てこちらが回収するーーそれがウィル・トラッドと交わした約定なんでね」
「その声は――」
 イリヤ達は咄嗟に声の方向を見上げ、そこにはこちらを冷然と見下ろす白衣の姿が風に揺れていた。
「……何度もしつこいと思ったら、やはりあなたでしたか」
 デュースは初めて苦々しげに息を吐く。影で雨が乾いていなかったのか煉瓦の敷地は湿りを帯びていて、踏み締める靴底を不快に滑らせた。
「やぁ、ようやく追いついたと思ったら支局の芋づると仲良しごっこかい。教会都市からコークスを持ち逃げした裏切り者め」
 挨拶も程ほどに白衣の少年は軒からベランダを蔦って飛び降り、二人の動揺も待たずに鞘を抜いた。
「ティカル!」
 忘れては、決して忘れてはならない白い影に。
 イリヤは脇目も振らず悲鳴交じりに叫んだ。
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