ジルヴォンニード

ククナククリ

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第三譚:風と共に紫花よ躍れ

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「あ、いや、俺は大丈……」
 答えるより先に手を捕まれ、固い布でいきなりぎっしりと覆われた。
「すみません! 私がもっと早くに駆けつけたいれば……!」
 痺れるような痛みは残るが、血が引いていくような奇妙な感覚は去っていった。イリヤは軽く礼を言って少年の頭を上げさせる。
「来てくれただけで助かるよ、あんたもキーマンだとは予想外だったが」
「ええ、まったくです。まさかこんな長閑な町にも人形の討ち手がいらっしゃったなんて」
 アンリブの残骸を確認しながら少年は微笑み、こちらに手を差し出してきた。
「私はデュース・トレイシー、縁あってスウェーデンより視察団の一人としてやって参りました」
「イリヤ・シャルナク。訳あって此処の防衛位置に就いたばかりなんだ」
 自分でも驚くほどにすっと握り返す。
 少しは自然に笑えているだろうか。どうもアルスとマーサの飾り気のない笑顔がひそかに羨ましいと感じている自分がいた。
「なるほど。ということは死神殿にもすでに会っていらっしゃるのですね」
「ああ、こっちに連れてきてくれたのがアルスだし。あんた、あいつの知り合いか?」
「ええ、こちらの支局とは懇ろな仲を築かせていただいております。他軍の私にも親身に接してくださるんですよ」
 もはや人の手をとることに躊躇いは無くなってきている。それが吉と出るかはともかく、このデュースという少年であればその心配も不要と判断するのに時間はいらなかった。
「……あ、鈴! 悪りぃな、助かった」
 デュースの手のひらから涼やかな音が鳴り、それが先ほど落としたものと気付くやそっと手渡してくれた。
 心なしか術式の力が強く脈打つ感覚に取り込まれ激しく瞬きすると、デュースは静かに笑みをこぼす。
「礼には及びません、依り代はキーマンの心臓ですから」
「それにあんな一瞬で強化してくれたんだろ。ここまでしてもらっちゃホントに悪いから、用事があんなら付き合うよ」
 普段では考えられないほど勝手に口が開き、自ら退路を塞いでしまった。まだアンリブの他にも人形兵器が留まっている可能性はあるのに早計だった気もする……が、デュースもキーマンなのだから見逃す心配はまずないだろう。
「よろしいのですか? アンリブの侵入を許したたった今、カールスルーエの防壁は手薄となっているはずでは」
「防壁なら俺の術式を重ねりゃどうとでもなる、カールスルーエより危ない地域があるならそこを最優先に防衛すべきだろ」
 それより憂慮すべきは万一にもアルスと鉢合わせになってしまった事態についてだ。
 最も都合の悪いタイミングで術式を行使すれば、アルスに力の事を知られてしまう危険性がある。
「なるほど、彼にはご自身の力を説明なさっていないのですね」
「知ったところでお互いに得はしないからな」
「……事情は分かりました、では少し私とお話でもしましょう」
 第二陣の余波が来る気配を察知し、二人は同時に後退する。デュースがふとイリヤの肩を掴むと、景色がみるみると白く濁っていく。仮想空間へ群れを引き込んだのだ。
「ちょうどいい。俺もいつかは誰かに打ち明けたかった、本当の目的も、お前たちキーマンが戦っている奴等の事も」
 マーサに話したかった事も、時間が足らなくて伝えきれなかった事もすべて。イリヤは錆びた一対の双刀を構え、真っ先に切りかかる人形兵器の頚を目も合わさずに落としていった。
「随分と手慣れていらっしゃる」
「これしきのガラクタに手こずるようじゃ最初から守衛なんざ務まるかっての」
 人形兵器の型番は『十二宮環』のみにあらず、数多のシリーズが連合国の各地で産出されている。
 先ほどイリヤを襲った人形兵器は『アンリブ』酸の砲を手繰る女児の型番。今ここで対峙している相手は『ランクス』鋏型の両腕を持った巨体の男たちだ。
「にしても、人形兵器ってのは女型だけじゃなかったんだな」
「ええ。ウィルは警戒しているんでしょうね、物量兵器をものともしない俊敏なキーマンが増えた動勢です。体格の差で圧倒しようと考えられるかと」
 紅い光刃を迸らせながらデュースは答える。イリヤは一瞬立ち止まり、聞き覚えのあるその名に思考を回す。
「……ウィル? どっかで聞いたような名前だが、その計算が事実なら相手もずいぶんと幼稚な手段をとるもんだ」
「本当に。かえって動きが鈍るだけの事、ですね!」
 デュースの手繰る光の糸を前に巨躯の男たちはばたばたとなぎ倒されていく。ブレードはワイヤーにも、チャクラムにも変化するらしい。アルスもマーサも得物は飛び道具であったため、近接攻撃を主体とするキーマンは目新しいと自然に感じていた。
「俺の方は全部片付けた! そっちは?」
 イリヤは残り一体の喉笛に長刀を突き立てたところでデュースに振り返った。
  柔よく豪を制するとはよくいったもの。先ほどは自身より遥かに体格が低い筈のアンリブに動きを封殺されたのだ、こちらがランクスの大振りな挙動に遅れをとる訳がない。
「はい、こちらもたった今制したところです。しかし私の仮想空間から辛うじて逃れた個体もいることでしょう、お手数ですが共に探して頂けますか」
「残党狩りなら俺の本分だ。何ならお前は他に残ってるガラクタどもを処理しに行ってくれても構わない、むしろその方が俺の仕事が減って助かる」
「そのお言葉があれば心強い。カールスルーエは数少ない尊ぶべき文化の都市、一体でも場違いな塵芥が侵入されては困りますからね――」
 仮想空間が解かれた途端にイリヤ達は眼下で捉えた人形兵器を追って、先を阻む木々を路地を人々の間を一気に駆け抜けた。
 
 
 
 『プランタンボヌール』のドアノブには本日もクローズのボードが吊るされている。フローラは憤慨しながら木の扉にニスを塗っていた。
「まったくもう! マーサさんもアルスさんも! いきなり現れたかと思いきやまた風の子のように飛んでいって!」
「いやはや~、面目なーい。大抵のコトはチミに任せとけばなんとかなる感あってねぇ」
 白々しく頭をかくマーサを尻目にフローラはてきぱきと扉の補強を終え、今度は壁にペンキを塗布していく。
「だからといって行き先も告げず二日も店を空ける従業員がドコの世界にいるんですかね~」
 嫌味たらしくマーサに視線を向ける彼女。二人はアルスの不在を知り急遽カールスルーエの配置についたキーマンである。
「ぬぁはははは……言葉も出ないのねん」
 マーサは苦笑しつつ看板犬のショコラを小屋から呼び寄せ、ササミを取り出した。
「ところで例の会いたい方には巡り会えたんです? 先日から見ていて腹が立つほどニヤけておりますが」
「ふふふ~ん、まあね~ボクちんはチミみたいな薄幸娘とは違ってご縁に恵まれているからねん」
 フローラの額に十戒の裂け目が生じていく。彼女は二人から術式を扱えるあの“人間”の事を一切伝えられていないが、この街にもう来ているだろう事は察しがついていた。
「ほぅ~……楽しそうで羨ましいですねえ」
 そう言って呆れるフローラの眼差しはまさにゴミを見るような目であった。
 『プランタンボヌール』のもう一つの側面は子供達の学び舎である。少年兵だったアルスとフローラは故郷を失いさまよっていたところをカールスルーエの市長に拾われ、学のあった二人は戦災孤児たちに無償で勉強を教える仕事を与えられて今もなおこの街に常在していた。
「そういうチミこそ仕事とイチャついてるってくらい毎日が楽しそうで何よりなのねん。将来行き遅れないか心配ですなあ」
 しかし近年になってファシストが情報統制の令を敷き、教科書に戦争に関係のない記述は一切記されることがなくなった。今ごろはほとんどの学校でナチスによる洗脳教育が為されているだろう、アルス達はこの情勢を受け学び舎を喫茶店に擬装することで政府の目を免れていた。
「むむむ! ちびっ子たちと毎日遊んでるだけでお金貰ってるようなマーサさんに言われたら心外ですねえ!」
 そこまでの事情を知らないマーサは、アルスに子供たちの相手をしてほしいとだけ簡潔に伝えられて現在カールスルーエに留まっている。半年ぐらいの付き合いになるが、なぜ闇の世界で躍る自分がこのような活気づいた街に招かれたのかは今も分かっていない。
「なにおう! ボクちんだって一応ちゃんと働いてるのねん! アルキョーネよりは!」
「なにおう! どっちもスーパー目くそ鼻くそドングリの背比べですのねん!」
 分かっていないのだが、能天気なマーサはさほど気にせず馴染んでいる。馴染みまくっている。
『な~にぃ~を~~~ッ!!』
 ジリジリと詰め寄り火花を散らす二人。
 底辺のバトルがゴングを鳴らそうとしたその時、緑の小さな列が二人の動きを止めた。
「マーサくーん!」
「フローラちゃーん!」
「カールスルーエ葉っぱ隊よりコーヒーのおとどけものでーす!」
『おつかれさまです葉っぱちゃん!!』
 フローラは勢いよく帽子を取って一礼し、マーサも彼女にならい深々と敬礼する。
「あ、ふたりともまたけんかしましたねー!」
「けんかはだめですよー!」
 葉っぱ隊は身寄りのない子供たちによるボランティアで、いつも学び舎に来て物資を運んでもらっている。
『は~いごめんなさ~い』
 二人の顔は数秒前の凄まじい剣幕がまるで幻のようにでろでろと溶けきっていた。
「みんななかよく!」
「アルスくんともなかよく!」
『はい!!』
「そしてわたしたちともなかよくあそぶこと!」
『もちろんッ!!』
 童たちにペコペコと頭を下げる二人、まるでどちらが舎弟なのかが分からなくなっている。人に慕われる事に慣れない二人は、行き場のない母性と父性がうっかり暴走してしまうのだ。
「ねぇねマーサくん、さっきね、髪の青い男の子がこわいおにいさんたちにおっかけられてたの!」
 マーサの肩にひょっこりしがみつくリーダーの女の子がくすぐったく甘い声でナイショ話をする。
「ぬぬん!? それは一大事なのねん! フローラフローラ! ボクちんちょっとお出かけしたい気分なのでちょっくらひとっ飛びしてくるのねーん!」
「あぁっ! またおサボりですねマーサさん! てか走り方気持ち悪ッ!?」
 敬礼しながら後ろ走りで土煙を立てるマーサに、フローラは怒る気力も起きなかった。
「またね~マーサくん!」
「おにいちゃんまたこんどあそんでね~!」
 葉っぱ隊の皆が晴れやかな笑顔でマーサに手を振っていった。彼もまたその手を振り返す、後ろ走りで。
「行っちゃった……」
 どうやら今夜の番も自分と葉っぱ隊の誰か一人のみになるらしい。煩い人間が減って精々してはいるが、客層が奮わないのも事実だ。
「マーサさんがいてくれれば女性客8割はホイホイ釣れちゃうんですがねぇ」
 割と俗な欲望であった。
「ねーね、フローラちゃんもあそんであそんで!」
「はいっもちろん!」
 このままチビッ子達の奴隷になるのも全く構わないと思っている彼女であるが、葉っぱ隊もいつかは大人になって自分達の元を離れていく。マーサの言うとおり、今のうちに身を固めておいて損はないのだが……アルスの振り撒く厄を望まず真正面からキャッチしている自覚のない彼女は、どうもご縁に恵まれないと感じていた。
「私にも運命の出会いは訪れないかなぁ~」
    しかし奇妙なことに、その運命の日とやらは案外遠い話ではないのであった。
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