ジルヴォンニード

ククナククリ

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第三譚:風と共に紫花よ躍れ

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 考古学者のティカルは『おとぎ話』の解読を目的にハルデルウェイクを目指し、ゼーウォルデの港湾から使いのソニカと共に船が出るのを待っていた。
 彼が取り扱う分野は戦跡で、特に墜落地点や水没した艦船の実地調査を主とする。
 『おとぎ話』は教授のウィルより授かった古書であるが、キーマンでない自分になぜ託したのかについては一切知らされていない。
「現存しているのはこれ一冊だけだとさ」
 赤を帯びた黒髪を潮風に遊ばせながら、ティカルは古本を一瞥する。ずいぶんと年期の入ったボロのそれをソニカは耳元から興味津々と眺めていた。
「教授は何を思って僕にこんな黄ばんだ古紙の集まりを託したんだろうね」
「きょーじゅはティカルくんのコト期待してるんだよ。『おとぎ話』のヒーローとして、人形兵器をやっつけるの!」
「そんな大げさな。アンタはまだそんな迷信にこだわってるんだね」
「迷信なんかじゃないもん! ソニカは小人さんがお花畑でお空を飛ぶとこ、いっぱい見たもん」
「はいはい、分かったから。とりあえずエイド達の様子でも見に行こう。話はそれからだ」
 その前に、シエナを探さないことには何も始まらない。東岸のキーマンは『十二宮環』の殲滅を第一の指針としているが、彼女に関しては例外として監視対象という扱いにあった。
「ところでアンタ、シエナの行き先に心当たりはある?」
「シエちゃんもエイちゃんそっくりで気まぐれさんだからねえ。今ごろ『じゅーにきゅーかん』の狩り手さんを追っかけてカールスルーエに向かってるところじゃないかなあ」
「なるほど……」
 お転婆な嬢様はこれだから困る。飛び回る彼女の視界の外で彼は静かに吐露した。
「やれやれ、『おとぎ話』をめぐる旅もラクなもんじゃないね。いつだって僕たちはあのじゃじゃ馬のお守りに忙殺されるときたもんだ」
「仕方ないよぅ。だってエイちゃんが決めたことなんだもん。でも何の見返りもない仕事をエイちゃん自身が請け負うなんて絶対ありえないから、私たちにはナイショですっごーい計画とか立ててるかも」
「はしゃぎすぎだよ、ソニカ」
 あの男はおそろしく頭が切れる。無益な奉仕活動なぞに時を労するほど愚鈍な者ではないと、『おとぎ話』とは別件で彼をマークしているティカルは重々承知していた。
「たしかに彼はぼうっとしているように見えて、『おとぎ話』の解読となるとかなり先を見据えて手を打つ男だからな」
 おいそれとシエナに翻弄されるだけの俗物でないのは説明するまでもないが、こちらもまた二手三手の先の方略をこしらえておくのに越したことはない。
 味方より心強い敵こそが同盟国、という位置づけをあの女は確かにしているのだから。
「エイちゃんは身内にも隙を見せてくれないもんねぇ。一応会ってから半年近く経ってるハズだけど、全然考えてることが読めないもん」
「シエナとは似た者同士ってやつ? 確かにあの二人は部外者の僕から見ても団栗の背比べだ。どちらの腹も淀みきっていて真意など何処にも見えやしない」
 出港の笛を合図にティカルは本を閉じる。しかし、自身の鷹の目がふと過った紅の軌道を見逃しはしなかった。
「……待てソニカ。シエナよりも先に、とんだ面倒な探し物が増えたみたいだ」
 己の目が捉えた以上は決してその視線から逃れる事など叶わない。彼は考えるよりも速く瞬時に船から飛び降り、先行する紅き軌道を追って市街へ駆けた。
「ティカルくん!?」
 まるでこちらの声が聞こえていないらしい彼を追って、ソニカもまた術式を解いて人型に戻り後に続く。
 
 
 
「ハルデルウェイクの河川はじつに目を瞠るものがありますわ。シチェルビギン同志、貴方の車両からマルケルの湖畔はお見えになりまして?」
「もうじきレリスタットに差し掛かる所だ……重ねて申しておくが、俺は貴殿らの使いとなった覚えはない」
 馬車にて白藍の波紋を見下ろすシエナ、列車の外窓からたゆたう浅縹を睨めつけるエイド。二人の水面には中継を繋ぐように双方の顔が映し出されていた。
「冷たいことをおっしゃるのね同志。東岸部隊が誰に生かされて成り立っているのかまるでご自覚がない様子で」
「頼まれてもいないのに自ら監視を買って出た好事家がどこぞの舌馬鹿国家にいたような気が。人形兵器の世界も案外世知辛いものよ、結局は生み親の歯車として回され、軋んで磨り減り不要になった機体は『時計盤』のエサとなる」
「悲しいことをおっしゃらないで。貴方がたも、戦力として使い物にならなくなってしまえば依り代を取り上げられ、刻印を切り抜かれてお仲間を自らの手で処理させられる。本部が貴方を戦力外と見なした場合、聴衆の前で私たちの“父”に跪き、これまで私怨で下してきた刑を洗いざらい自白したうえでお仲間の遺体を焼かせ、自らもその中に放り込まれてしまうという極刑が待ち受けていますわ」
 娘の放つ毒はもはや媚薬。唇が淫靡に花開き、実が熟れる如く色めき立つ様子は車窓の水面でも映えるもの。しかしエイドは深く息をつき、嬉々として脅迫を呈する人形を呆れたように睥睨するのみだった。
「断頭台に立つ処刑人だなんて、そんな皮肉は悲しいですものね。そしてさらに由々しき事に、貴方の処断を定める権限は私も握っておりますのよ」
 その笑みの含むところに違和を覚え、眉を寄せて頬をついていたエイドの表情が一気に硬変する。
「何が言いたい?」
「ですから、私の癇に障れば“いつでも”貴方を炭火にできると申していますの」
 水面に揺らぐ二つの濃い蒼を胡乱げに凝視する。うわべの笑顔で飾った虚の視線に反吐が出そうだ。
「……馬鹿げたことを」
 見下すように鼻を鳴らして反駁した。
「俺を焦がす炎なぞ、俺自身の術式の他に在りはしない」
 シエナを見据える榛が昏く火を灯す。当たり前とばかりに言い切って、穏やかでない沈黙が漂う。
「先だって警告を差し上げたのに、さっそく大口を叩かれますこと。貴方が大層な置き土産を残して聖堂を去った後、あの場を納めるのは大変でしたのよ」
「それは至りて難儀なことで。頭の固い信徒の爺どもをあしらうのはたいへん始末が悪いだろうに」
「だからこそ貴方の所業には腹を据えかねているのですわ。核エネルギーが実用された『時計盤』の力をいくら出し抜きたいからといって、なにも由緒正しき神の間を侵す必要はなかったのではありませんか」
「ああでもしないと聞かない馬鹿のために遂行した荒療治だ。参謀本部の婆もこれで踏ん切りをつけてくれるかと期待していたが、ラツィル達の機嫌から察するにどうやら不作に終わったらしい」
「当然の結果ですこと」
「他人にとやかく言われる筋合いはない」
「参謀本部の人間でありながら東岸部隊総括も担うサドワ様は、教会都市にとって煙たい存在の貴方を例外的に寵愛なされている様子だけれど……いつあの方のお心が変わられるか気が気でないわ。くれぐれも留意なさい」
 彼女の心此処に非ずな警告には耳を貸す気も更々無い様子のエイドは、もう水鏡の方を見ていなかった。
「貴方は賢い方だから杞憂でしょうけれど、“鳥かごから堕ろされた雛は自ら飛ぶことはおろか、助けを求めることすらできない”のよ」
 真珠を溶かしたように唇をなめらかに滑らせ、十二宮環の母は濃艶に微笑んでみせた。
「どういう意……」
 エイドが問い質すより先に通信は途切れたようだ。都合のよさは教授譲りらしい。
 シエナの残した言葉に首を捻りつつ、彼は大きく舌打ちして本心をありのまま口にした。
「次の会遇が貴様の最期だ。その減らない口を淋菌にまみれた子宮ごと引き裂いてやる」
 咄嗟に突いた毒はそのままレリスタットの潮風へと流れていく。到着は間近だ。
 マーサの連絡を頼りにカールスルーエへ進めば、あの未来の車掌と再び一戦を喫す時が訪れるかもしれない。などという淡い期待もまた、列車の脇で風を薙ぐ海猫が浚っていくのだった。

 
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