ジルヴォンニード

ククナククリ

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第三譚:風と共に紫花よ躍れ

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 痛みという言葉を知ったのはいつの日だろうか。
 その日は仄黒い雨が降っていた。放射能に侵されて穢れた雨。
 僕は自分が化け物と蔑まれる意味を、耳が潰れるほど理解していた。
「だから君はいつだって甘いんですよ……くっふふ、ははははは!」
 廃棄場のガラクタのように積まれた人形兵器の残骸。
 それらを執拗に蹴り上げる同期。
 剽軽な性格で場を和ませてくれる普段の雰囲気とうって変わって、今の彼女の様相は怨念にとり憑かれた悪鬼そのものであった。
「待ってくださいフローラさん! 悪いのは教授であって、作り出された兵器たちに罪はありません!」
 あらん限り声を振り絞る。これ以上に無体な彼女の姿を見ていることなど出来ない。
「ないですって? 現にアルスさんの故郷や君のご家族だって消し飛んだじゃないですか、こいつらのミサイルで」
「だからって……だからってそんな、」
「ではなぜ君は依り代を持っているんです。依り代は憎しみの象徴、キーマンの証。愚者の烙印であり悪魔の証明。善人面も甚だしいですよ少尉。君には心がないんですか?」
「それは……」
 答えようもない。しかし自身の心に憎しみという黒く燻った感情があることを、認めるのが恐ろしかった。
 負の感情とは無縁でいたいのに。
 それなのに、依り代は自身の悪心を見逃してはくれない。
「ほら何も言い返せない。図星なんでしょう。本当は殺したくて堪らない奴がいるんでしょう。いいんですよ、私たちは“キーマン”ですから。憎しみに生かされて当然の存在なんです。憎しみを糧として我々は生きているんですよ」
 キーマンは憎しみを拠り所とする、たしかにそうかもしれない。仮に平穏な世界で育ったならば、自身の躰へ刻印が宿った理由に説明がつかない。
「あんまりじゃないですか……兵器にだって、心はあるのに」
 彼は膝を折って地に頭を押しつけた。
 散り爆ぜた瞬間にこちらへ向けた怨嗟の目。機械と呼ぶにはあまりに悲痛すぎる絶叫。
 自身が討滅対象としている“金髪の女たち”にも、彼らのように心が宿っているかもしれないのだ。
「ふふははは、馬鹿な少尉。私たちが何のためにここへ志願したか分かってるくせに」
 同期はつくつく喉から笑う。彼女に語りかけられる言葉はこれ以上なかった。
 いっそこの場で殺しておけば、彼女にとっては幸福だったのかもしれない。

 ふと僕は思ったんだ。
 もしも世界は君が作った箱庭で、僕が箱庭に入れられるオモチャなら、どれだけ幸せな物語だっただろう。
 災いの鍵を持つ彼らはいつも、素人の語り紡ぐ悲劇に酔っている。
 彼らの目を覚まさせるのは、君の繋いだおとぎ話だけ。
 君が傍で笑ってくれるだけで、過酷な現実は彼らにとっての喜劇となる。
 そんな単純な彼らだから、止めどない涙の降り注ぐ世界を黙って見ていられなかったんだろうな。

 少年は嵐の防波堤に立っていた。
「ありがとうフローラさん。私にこの気持ちを教えてくれて」
 内なる翳りを自覚したとき、彼の口から昏い微笑がもれた。その笑みの矛先は遥か西で大義を謳う時計仕掛けの戦艦。
 彼らの心を支えるのは安らぎではなく、いつだって対極の怒りでしかない。憎悪の支柱を失った彼らは平穏という人の子の肩にもたれ、やがては腐り果てていく。
「心があるなら壊してしまえばいい。どうせ彼らは赤の他人なのだから」
 彼は音も立てずに術式を開く。紅い光が、薄墨色のケープを這い回る。黒く染みきった鋼の意志は誰にも止められない。愛する者を失った男の刃ほど、脆いものはないと知りつつも。



    旅立ち二日目の夕暮れにしてようやく本来の目的を迎えることとなったイリヤは、やっと出立間際の気力を取り戻す。肉体がいかに悲鳴を上げているとはいえ、研修は始まってすらいないのだが。
「ほっ、ほっほっ、よっと!」
 マンハイムからの州境を惜しみながら、カールスルーエへの一歩を思いきって踏み出した。
 観光都市なだけあって、玄関口からすでに盛況な賑わいを見せていたが、人混みが苦手なイリヤでもこの騒がしさはさして苦にならない。むしろこの先に待つさらなる奇想天外を期待して足が浮き立ってくるもの。
 そんな様子をアルスが微笑ましげに見送りつつ、駅の方角へゆっくり手招きする。
「この街道を渡ったらホテルで一泊しよう。着く頃にはたぶん駅も支局も閉まっているはずだから訪ねるのは明日に……ドイツに来るのは初めて?」
「人の活気で溢れてるのに全然騒がしくない……むしろおとぎ話とかに出てきそうな街で、妖精とかエルフとか紛れてそうな……あ、おう。語学研修でミュンヘンに2週間滞在した記憶はあっけど、イメージしてたドイツってのはこっちのが近けーかな」
「そりゃ現地で勤務するオレとしては誇らしいや。キミの言う通りじっさい小人とかそこら辺にいるよ。人見知りだからあまり大通りに姿を見せないけどね」
 路傍からきょろきょろと見回してくる視線にアルスは目配せしていた様子だが、イリヤには見当もつかない。あちらこちらに指を差して示してくれても、小さな影がうっすらと背を向けるばかりだ。
「お前以外に見えないとかじゃなく? んなもん見かけたらもっと大騒ぎするもんじゃねーの?」
「もともと彼らが住んでいた土地に人間が気付かず巣を作ったんだ。ホントに小っこくて動物と大差ないから、よく子どもたちに遊ばれてるのを目にするよ」
 風俗業が盛んという先ほどのアルスの発言を信じるならば、カールスルーエは良くも悪くも人々の営みが守られている数少ない観光都市といった位置に当たるのだろう。
「まんまムシの扱いと同じじゃねーか……小人の世界も世知辛いことで……かわいそうに」
「いるのは分かっていても、その生態系には未だナゾが多くてさ。調べてコンタクトを取ろうにも如何せん彼らの扱う言語が確立されていないし、解体されてビンに詰められたり、吊るされて見せ物にされちゃったりね」
 アルスが指を差したショーケースの先に、情報倫理協会へ素手で殴りにいかんばかりの猟奇的な代物がわんさかと鎮座なさっていた。首を吊ったまま酢漬けにされたらしい小人の目が、心なしか自分を睨んでいるようにさえ見える……
「うぅわ……お? あのちっこいのなんだ!? あれも小人の一種か……?」
 実に生きにくい小人たちの事情に血の気が失せてきたところで、イリヤの意識は街角から現れた色とりどりの球体に注がれる。
「うん、『ぽっくり』さんといってね。まるまるしてて可愛いから人間には愛玩されてるんだ——おーい、ぽっくりさーん!」
 アルスが声を張り上げると、こちらへ振り返った『ぽっくり』とやらが一斉に前進する。
「うお、すっげー! こっちに向かってきだした!」
「キミがカールスルーエに来るなら真っ先にこの子たちを見てもらいたかったんだ。かわいいでしょ! キミもこの子を旅のお供にしたらもっと楽しくなるんじゃないかってさ」
「うおすっげえ! 伸びる伸びるのびる~! びょ~んあっははははッ! あいでっ! あたたたた……調子乗りすぎた……って、うおわわっ吸い付いてきた!?」
「解明されてないけど求愛行動の一種らしいよ。それにしてもマーサといい、オレが使役した風の子といい、キミは超常的な生き物によく好かれるんだね」
「マーサが……? ああ、この世のありとあらゆる超常現象を擬人化したよーなヤツか。っじゃなくて、まじまじ見てないで助けろ! これケッコー重いんだって……のわわわっ、ちょ!」
 みにょーん、みにょーん、と丸い生命体たちは歓迎の意を表すようにイリヤの頭や背中に飛び乗って弾んできた。
「いーじゃん可愛いものは可愛いんだからさ。若い子たちはぽっくりさんを連れて夜のカールスルーエを回るのがステータスって言われてるくらいだし。そこいらの葉っぱ食べされりゃいいからエサ代かかんないし、とても耳が良いから『人形兵器』の信号だってキャッチできるよ?」
 人形兵器――アルスの発したその存在に、丸い生き物を牽制していたイリヤの手がぴくりと固まる。しかし自衛の手助けになるといった意味を汲み取って、瞬時に胸を撫で下ろした。
 自身に眠る術式の力に関して、彼には一切告げていない。
 『おとぎ話』の根幹を紐解くためには他のキーマンの協力が必要不可欠なのだが、アルスについては先日の口論に対する後ろめたさや研修先の斡旋を引き受けてくれた恩もあり、個人的な用件に巻き込みたくないという気持ちが勝っていた。
「防犯ブザーみたいな要領か……ほえー、役立ちそうな割にゃお前連れてきてる感じしないし、もしかしてユトレヒトの用事だけ留守にしてるとか?」
「うん。やっぱり武装地帯ウロウロするからには危険にさらしたくないからね。普段は支局で働いてもらってるんだ。管理者はキミと同じ年頃の子二人とオレくらいしかいないからいつも助かってるよ。ね、マル助さん!」
「もっと他に良い名前なかったんすかねアルスさん!?」
 美形の死神からあってはならぬ衝撃的な名称が飛び出して、イリヤは本題を忘れて思わずつむじをメトロノームのように振動させた。
 丸い物体たちと無邪気にアイキャッチを交わす死神は、全角度から見渡してもイリヤとさほど変わらないごくごく普通の少年だ。
 そんな彼が前線で二挺の銃を回し、人形兵器を屠り、人の子を一瞬で肉の欠片に帰す——アルスの手綱を握っていた軍はイリヤの想像する以上に剛胆な魂の持ち主らしい。
 そして、そんな曰く付きの怪物を無意識に手懐けてしまった自分自身にもとてつもない恐れを抱いている。
(俺、改めてとんでもないモンを懐柔しちまったみてーだわ……)
 きっかけは定かでないにせよ、エイド達の猛攻を凌いだ事が理由ではないのは日を見るより明らかだ。
 自身の力に関するアルスの記憶は取り払っているため、彼はほぼ無条件でイリヤの旅に同行しているようなものだった。
 そして、のほほんと丸い生命体たちと歩を揃えるその当人はきっと疑問すら抱いていないだろう。
「ふ、ふふーん、ふ、ふんふんふーん……あ、チェックインしたら先にシャワー浴びていいからね。支局の子も偶然あのホテルに滞在してたみたいだから、オレはしばらく話をつけてくるよ」
「おう……別に大浴場で一緒に入っても構わねーけど」
「……へ?」
 素できょとんとされて、イリヤも反応に困ったものである。一人で入りたいという人間もさほど珍しくはないので、これ以上の言及は避けることにした……妙な予感が心臓を掠めたのだ。

 チェックインしてすぐさま一浴びしてきたイリヤはロッカーの鍵を開けながら、先ほどの不自然なアルスの態度に首を傾げていた。
 混浴の誘いを持ちかけて沈黙が返ったきり、アルスはなぜか歩を速めて自分と目を合わせるのを避けていた気がしてならない。
 そこまで気を悪くさせてしまったのか、どちらにしろ彼が脱衣所に来る頃を見計らって確認を取るつもりだ。
「まさかとは思うケド……いや、まさかな」
 乾いた笑いがこみ上げてくる。風呂事情ひとつでここまでギクシャクしてくる状況になるならば、イリヤとて心当たりがないわけでは無い。
 ただ、例の妙な予感が万が一的中してしまった際のこちらの傷があまりに計り知れないのだ。
「そろそろイリヤは出てきたかな――んんんッ?!」
 その、本当にまさかだった。
「お、アルス。話は済ませてきたのか?」
「え、わわっ、おおおお女の子がそんなっ、みだりに服の下さらしちゃダメだよッ! は、早く着替えて! ……へ? ぺったんこ?」
 両手をばたばた振り回して狼狽するアルスと、対照的に平然と髪を拭くイリヤ。
「……どした?」
「じゃ~じゃじゃじゃじゃなかった! ととととにかくダメ! なんだかよく分かんないけどとりあえず目のやり場に困るからダメ!」
 どうやらこの男はとんでもない勘違いをしているご様子らしい。
「は……ダメって、なにが?」
 ましてや二日も旅を共にしていた人間の性別を間違えるなどという、非常に度しがたい勘違いを。
「オレがダメだと思ったらダメーーーッ!!」
「だからなにがだよ?!」
「あ、あいや、べ、べ、別にね!? 別に間違えてたワケじゃないよ! ああああんまりにも生めかし……じゃなくて色気が……じゃない、色白いからえーっと、と、と、とりあえず上も隠して! 一般の人にはイケないものにしか見えないから! 冗談抜きで!    アウチ!!」
 ならば彼のよそよそしい態度にも合点がいく。
「じゃあお前には俺が何に見えてたんダヨ……」
 必死に無難な言い訳を探っている様子だったが、イリヤを前にそれが免罪符になるはずもない。
「え、あっ、普通に可愛い女の子で……じょぼぼぼぼぼぼ!!」
 これ以上は聞くだけ無駄な様子なので、とりあえずアルスの頭を手洗い場の蛇口にねじ込んで差し上げる。顔以外はどこまでもゴミ(イリヤ所感)の男は、為す術もなく冷水の滝にさらされる事となった。


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