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番外編:聖夜祭

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「司書!!グランヴェル司書!!」
「どうされました?」

 自室に向かう途中の廊下。
 癖のある黒髪を翻し振り返った女性のアースカラーの不思議な瞳が見開かれる。

「司書!!はぁはぁ、はっ、や、夜光虫が!!」
「夜光虫がどうかされました?」

 ロゼッタを引き留め肩で息をする男を首を傾げながら見下ろす。
 男は額に汗を浮かべ青ざめた驚愕の表情で告げた。

「や、夜光虫が!逃げてしまいました!!」
「えっ!?」
「野に放たれてしまいました……どうしましょう!?」
「え、えぇ!?どうしましょうって……えぇーーー!!」

 今にも泣き出しそうな男と共に驚愕の声を上げたロゼッタの声が静かな廊下に響き渡った――――



 ◇◇◇



「――ん?なんか聞こえたか?」
「いえ、私には何も」

 補佐官の返答に「そうか」と外を眺めていた視線を書類に戻した男はその所作だけで周りを魅了する。
 世帯を持ち落ち着くかと思われた色香はとどまるところを知らず、被害者は続出の一途を辿る。
 男は周りの阿鼻叫喚など目に入ることはなく気にも留めない。
 ただ唯一、男の執心は昔も今も誰も知らない未来さえも一人の女性に注がれているのもこの国では周知の事実である。

「あ?……――やっぱし……何してんだ、あいつは……」

 執務室の窓を覗く。
 寒さが一段と増し硝子に曇りを作る。
 無造作に手で拭い覗けば男の碧い双眼に、彼の唯一の姿が映った。





「何してんだ、こんなとこで」
「っ!ノア!?」
「ったく……こんな寒い中で頭に葉っぱなんか付けて……風邪でも引いたらどうするんだ?……あぁ、それとも四六時中そばで看病して欲しいのか?」

 落ち葉を落とした手がロゼッタの頬を擽る。
 まだ日中にも関わらず毎夜の情事を彷彿とさせる仕草に顔が一気に蒸気した。

「ちょ!ノア!!変な触り方しないで!!」

 いつの間にか腰を抱かれ遠ざけようと腕を伸ばすが立派な体躯は微動だにせず悪戯な笑顔が覗き込む。

「俺の可愛い奥さんは一体全体何をなされてたんですかね?」

 深海のような碧眼が蕩け、彫刻のような絶世の美顔が間近に迫りくる。
 想い合い、夫婦になり毎夜の如く甘美な日々を過ごしたとしてもロゼッタは未だに初な反応を見せる。
 その仕草一つ一つが美丈夫の皮を被った獣を煽っているとは露ほども知らない。

「司書ーーーーー!!!!どこですかーーーー!?」

 今にも喰らい付きそうな男の顔を正気に戻ったロゼッタが両手で阻止した。

「そうだ!!はーーーい!私はここでーす!ここ!!」

 すごい勢いで男の拘束を掻い潜り、声のした方へ叫ぶ。

「じゃ、またあとでねノア!」

 走り側に振り返り満面の笑みを見せた彼の最愛は日差しを受けた瞳を輝かせ駆けて行く。

「ったく……またあとでな、ロゼッタ!!」

 走り去る最愛の背中を見送りながら今日も今日とて嫁が可愛いと思う男は邪な考えを浮かべながらその場を後にした。



 ◇◇◇



「さて、どうしたもんでしょうか……」
「まじ、勘弁なんだけど……」
「一匹も見当たらないなんて……何匹って言ってましたっけ室長」
「……三百匹」
「さん……びゃく……」

 数多の嘆き声が部屋にこだまする。
 何千年もの時を生き荘厳に佇む大樹の中に作られた『魔術先進国モルガコックス王国魔術図書館』の室長室。
 圧巻の景観に似つかわしくない陰鬱な空気が室内には満たされていた。

 地下に研究用として飼育していた夜光虫が逃げ出したとロゼッタが知らせを受けたのは出勤してすぐのことだった。
 朝から手の空いている職員を総動員して捜索にあたったが一匹たりとも見つからず途方に暮れているのが現状である。

「うぅぅぅ、皆様の手を煩わせたばかりか何の成果も出せずぅぅぅ申し訳ありません」
「セイヤさん!そんな泣かないで下さい。手の空いている職員たちで探せば、全部とは言えないですが百匹くらいならきっと見つかりますよ」
「あぁぁぁぁ、女神は今日もお優しいぃぃ。こんな夜光虫にまで弄ばれる下位の私にまで手を差し伸べて下さるとは……」
「ちょっ、セイヤさん!?大丈夫ですか!?」
「もー、ロゼッタもほっときなよ。まじ現実見よう、現実」
「マリー!」
「セイヤに今は何言っても聞こえないよ。自分の世界に入っちゃたもん」

 マリーに顎で指されたセイヤは膝をつき項垂れ涙を拭っている。
 陳腐な物語のヒロインのような姿。

「哀れね」

 マリーと共に不憫な視線を向けてしまったのは仕方がない。
 見た目だけで言えば、銀髪の豊かな髪を緩く編み、その色彩もあってか儚く庇護欲を唆る。
 ローブの傍から覗かせる肌は女性たちが羨むほどの透き通る白さを誇り、潤む瞳は神秘の泉を彷彿とさせる青。

「……見た目だけはいいんだけどねー。中身があれじゃ……ね」

 マリーの嘆きに納得しかけ、はっと我に返る。

「室長、どうしますか?私は今、特に研究もないので館内勤務を代行していただければ補佐として回れますが?」
「んー、そうですね。セイヤくんの研究もいい結果が出そうなところでしたし、ここで頓挫するのは互いにとってもよくないでしょう。ロゼッタさんがよろしければ手を貸していただけますか?セイヤくん。セイヤくーん、戻ってきて下さい。貴方が崇拝する女神が手を差し伸べていますよー。セイヤくんもそれでよろしいですか?」
「はっ!!はい、室長。女神が手を差し伸べてくれるとは……感無量でございます。不肖セイヤ、これ以上女神にご迷惑をかけぬよう精一杯働かせていただきます!!」
「せ、セイヤさん?」
「まぁ、セイヤくんもこう言っていますしロゼッタさんもよろしくお願いしますね。館内勤務は職員たちでまかないますし、手が空いている者も送りますので。吉報をお待ちしています」

 ほっこりと笑顔で告げた室長に苦笑いを返し、セイヤに視線を戻せばまたどこかの勇者のようなポーズで自分の世界に飛び立っている。
 ロゼッタの脳内ではいくつもの疑問が残るばかり、前途多難の予感。

「どんまい」

 マリーの同情の声が後ろから聞こえたロゼッタは肩を落とすのであった。




「朝からご迷惑をおかけした上、補佐にまで回っていただくとは……グランヴェル司書に感謝申し上げます。今後、グランヴェル司書の研究の際には不肖更夜こうや無償にてこの身を捧げましょう」

 セイヤに連れられ訪れた部屋にて再びロゼッタは遠い目になる。
 東の果ての国に古くから伝わる『土下座』と言う最上級の謝罪の姿勢。
 床に額を擦り付け伏せる男の旋毛を見せつけられるロゼッタの心情は虚無を通り過ぎた。

「あー……ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いいたします」
「あぁぁぁ、女神は今日もお優しい!!更夜!女神は朝から夜光虫の捜索で疲労が蓄積されている。今日は我らだけで捜索にあたる、よいな!」
「は!こちらに温かな茶と菓子をご用意致しました。また夜光虫に関しての資料と、これまでのセイヤ殿の研究内容をまとめたものもご用意致しました」
「でかした更夜!!それでは女神よ、ごゆるりとこちらで休まれるがよろしい。いざ行くぞ!更夜!!」
「は!!それでは司書、失礼致します」

 歌劇のような二人を見送り一人部屋に取り残されたロゼッタは深いため息を吐く。

「……キャラ濃すぎ」

 悲観の声は大量に重ねなれた書簡の頁に飲み込まれていった。



 ◇◇◇



「まだ起きてたのか?」
「うん、ちょっとね」
「……また変なのに絡まれやがって」
「ん?なんか言った?」
「……なんでもない」

 寝室のカウチに寛ぎながらも書簡を広げ、本を読むロゼッタの髪にキスを落とす。
 集中しているからか反応の薄い彼女の髪を掬い頸の香りを思う存分吸い込んだ。
 最近お気に入りの美容液の香りの奥に彼女本来の芳醇な香りが混ざり下腹部が熱を保つ。
 友人のマリーから結婚祝いとして送られたと嬉しそうに報告してきた時を思い出し抱きしめた腕に力が入った。
 腕の中の温もりを全身で感じたくカウチを跨ぎ後ろから包み込むように移動する。
 まだ自分の世界に浸る彼女は無意識に体重を預けてくる。
 こんな些細なこと一つが幸せだと感じる。
 意識してもらえていない現実に少しだけ寂しさを覚えて頭を擦り付けているとやっとロゼッタが身動きしはじめ振り返ってきた。

「ノアは夜光虫の生態って知ってる?」

 想像と違う甘味のない問いかけだったが、これも彼女らしいと思い苦笑しながら答えた。

「そこまでは詳しくないな。ただ魔力を元に光る害のない虫ってイメージしかない」
「だよね。私もそうだった」
「だった?」
「うん、だった。過去形。やー、セイヤさんの着眼点に天晴れだ」

 夫婦の寝室で知らぬ男の名が出て少しの苛立ちを覚えるが、楽しそうに話すロゼッタを見ていると力が抜ける。

「そもそも害のない虫だから生態だってどの文献を漁っても詳しく載ってないのよ。まさしくセイヤさんが第一人者ってこと。彼が調べるまでは私やノアのように大多数の人間が夜光虫は光る虫ってだけで終わる。彼は小さな一つの疑問をとことん突き詰めて還元できないかを考えた」

 ロゼッタの魔力で浮く文献を手に取り、もう一つの手に彼女の髪を絡めながら眺める。

「――天然エネルギーか」
「さすがノア。そうなのよねーその着眼点。やっぱ変態よね」
「……変態なのか……」

 彼女の何気ない一言に体が自然と反応する。

「変態でしょ!!なんで彼らは光るのか、から始まって街頭にしたいって発想湧く?私は全然思い付かなかったわー。遺跡に行っても夜光虫がいるから松明持ってかなくてラッキーぐらいだもん。野営にしたって魔力がある場所ならふわふわ飛んできて真っ暗で怖いってこともなかったし、ありがとねーくらい。それを魔石の節約と結びつけるかっていったらね……やっぱ変態だわ」
「……変態」
「ん?どうしたのノア?」
「変態とこれから共に過ごすのか?」

 自分でも驚くほどの低い声が漏れた。

「え?セイヤさんのこと?あぁ、まぁ、あの人は変態って言うか……変人?んー、不思議な人?あぁ、更夜さんって専属補佐の方も変わってたわね。東の国出身らしいんだけど……まぁ研究員って総じて変態なんだなって改めて思ったって、うわっ!!」

 知らぬ男の名前が増えたことに限界がきた。
 柔らかい肌に吸い寄せられるように顔を胸に押し付ける。
 ロゼッタの香りと柔らかな双丘に埋もれ、熱をもち硬くなり始めた下腹部を擦り付けた。
 上体を起こせば耳まで赤くし涙で潤んだ瞳に自分が映る。

「……っ変態」

 同じ言葉でもこれほどまでに響きが違うものなのかと思うほどの煽りを受け、今夜もどろどろに溶かすと決意する。
 光の加減で色を変える瞳を羞恥で潤ませる愛しい妻に理性は瞬時に焼き切れた。
 ぷるりと実った唇を貪るように奪い、夜は更けていく。




 肌寒さを感じ意識が浮上する。
 手繰り寄せた毛布に温もりはなく重い瞼を渋々と開いた。

「……ノア?」

 静まり返る部屋。窓から覗く空は白み始めたばかりで、まだ起きるには少し早い時間。
 毎朝すぐそばにある温もりがない。
 侘しさを覚え毛布を手繰り寄せたまま起き上がると、扉が静かに開いた。

「あぁ、起きたのか?――まだ寝てても平気だぞ」
「……冷たい」

 寝台に滑り込み抱きしめてくれるノアは外気を纏わせていた。

「悪い」
「どこ、行ってたの?」
「不貞腐れるな、ごめんな。少し外に用があって行ってただけだ」
「こんな早朝から?」
「ん?あー、まぁな」

 歯切れの悪いノアを睨みつけると嬉しそうな笑顔が返ってくる。

「寂しかったか?」

 図星を突かれ顔を隠すようにノアの鍛えられた胸に縋る。
 すぐに逞しい腕と外気を含んだ大好きな香りに包まれ安堵の息が漏れた。

「ロゼッタ」

 耳障りのいい甘い声が直接耳に響く。
 熱い吐息と共に顎を掬われ視界が濡れ羽の髪で覆われる。
 唇を幾度も喰み顔中にキスの雨を降らせ、寂しさを流し男の与える愛執に溺れる。
 視界に星が散り意識が浮上する度、求められるように名を呼ばれ、痕跡を残すように力強く幾度も最奥へと剛直を穿つ姿は正しく美しい獣。そしてロゼッタの最愛。
 今日も今日とてロゼッタは愛を受けとめながら意識を手放した。




「……すまん」
「…………別に怒ってない」
「……怒ってるだろ」
「怒ってない!!………………恥ずかしいだけ……」

 馬車の狭い空間の中、極限まで端により顔を伏せる。
 確実に赤いであろう顔を隠すようにローブを目深に被せた。

「すまん、我慢できなかった。ロゼが可愛くて」

 遠慮気味にローブを持ち覗かせた眉を下げた男の表情に自身の矜持などいとも簡単にへし折れる。
 両手を広げれば、すかさず抱きしめられ頬をノアの髪が擽った。

「ロゼ……ロゼッタ、愛してる」
「……知ってる。私も愛してるよ、ノア」

 見つめ合い口付けを交わす。
 一段と寒くなった朝。温もりを感じながら幸せを噛み締めた。



 ◇◇◇



「なんか降ってきそうですね」

 窓を覗くロゼッタは湯気を立たせたマグカップを置く。
 少しやつれたセイヤと更夜に労いの言葉を送り再び窓を覗き込む。

「雪……降らないで欲しいな」
「……女神は雪がお嫌いですか?」
「いえ、これと言ってそんなことはないんですが……なんと言うか、寂しい気持ちになりやすくありませんか?それにすごく寒いし」

 手を擦り合わせながら二人を振り返る。

「東の方は殆ど雪が降らないので、幼い頃は喜んだ覚えがあります。朝日に輝く雪が綺麗で、誰が一番大きな雪だるまや雪像を作れるか競ったものです」
「いいですね、楽しそう」
「――私は雪が嫌いでした……」

 ロゼッタと真反対の声色。
 掌でマグカップの熱を感じてるセイヤはどこか邂逅する表情。

「この時期は年越しに向けて皆忙しなく、最愛の待つ家路へと足早に進む。街頭の光は季節によって変わることなどないと言うの私には薄暗く見えていました」

 室長とセイヤ本人から聞いた生い立ちが頭をよぎった。

「そんな時に幼き日の女神の著書を読んでいるとふと浮遊する物体を見つけたんです。誘われるように後を追えば辺り一面を数えきれないほどの夜光虫が淡い光を輝かせながら飛んでいた。とても幻想的な風景にその瞬間この季節が好きになりました」
「……セイヤさん」
「ただ残念なことに、翌年訪れた時はその場所がすでに無くなっていて見ることが従いぞ叶いませんでした」
「無くなっていたって…どう言うことですか?」
「どこかの貴族の屋敷が建築されていました」

 唖然とすれば、眉尻を下げたセイヤが微笑みを見せた。

「夜光虫は魔力と共に、清い水がなければ存在を保つことができません。…単純なようでそのような場所は意外と少ないことに戸惑いを覚えました。いたとしても個体数が圧倒的に少ない」

 疑問を口に出す前に反対側から答えが紡がれた。

「夜光虫には魔力、水の他に繁殖を促す違う要因があるとセイヤ殿は考えられているのです!!」
「……更夜……まぁ、あながち間違いではないな。いいでしょう。私が初めて夜光虫を見た数は圧倒的でした。遺跡やその他の場所ではきっと三分の一にも満たないでしょう。夜光虫の生態は長年の研究で把握できています。それでもなかなか実用化するのは難しいですね…もう一度あの景色を見たい、他者に見せたいと思う気持ちが年々増すばかり。あの幻想的な風景に救われた私は、同じ思いをしているであろう他者を救いたい…傲慢ですが、それが私の夢なのです」

 照れ笑いを浮かべるセイヤに微笑みを向ける。

「それで街頭を思い付いたんですね」
「えぇ、まぁ。魔石と関連付ければ予算が降りやすいと見込んだ唯の私欲です」
「確かに、研究は自己満の世界ですからね。――では夢を叶えるため夜光虫捜索頑張りましょうね、セイヤさん」
「はい、引き継ぎご助力お願い致します。我らが女神」




 セイヤの補佐になり三日が経過した。
 成果はたったの十匹。
 重いため息が寝室を満たした。

「特定の虫を呼び寄せる魔法とかないかな……」

 魔力を好み綺麗な水を好む夜光虫は場所が限定されるためすぐに見つかると思ったが成果は芳しくない。
 文献や研究所を漁りながら唸っていると、湯上がりのノアが隣に腰を下ろした。

「俺が虫ならロゼにずっと張り付いているがな」

 キスを落としながら悪戯を仕掛けるノアにはっとする。

「ノア、もう一回」
「あ?キスなら今から嫌と言ってもたっぷりとしてやるが」
「違う、さっきの発言」
「おい……俺が虫ならってやつか?」
「そう!それ!!やっぱ他にも好物があるんじゃないかな!!セイヤさんも言ってたし……まぁそれがわかればこんなに苦労はしないんだけど……」

 どこか思考するノアを覗けば視線が合う。

「ノア?」
「この間読んでた絵本ある?」
「絵本?……これのこと?」

 手に取ったそれはよく見る児童書。
 ある一幕がセイヤの話を聞いた風景に似てると思い読んでいたものだか特段気になる記載はなかった。

「ここの描写。森林の中、湖に見渡す限りの輝く光――やっぱ虫だし植物が好きなんじゃね?」
「植物……花とかの香りに誘われてってこと?」
「ん、まぁそんな感じ。木の蜜とか、特定の樹木にしか卵を植え付けないとかよく聞くだろ?」
「…………あ!それだよ!」
「あ?」

 点と点が結ばれる気配に急いで関連する書簡を呼び寄せ漁る。
 霞がかかる脳内を整理するように頁に殴り書きをするロゼッタの横では美丈夫が肩を落とすが捕食者の目がギラリと光る。ロゼッタ本人は気付いていない。

 今日も今日とて、愛妻の意識を手練手腕で蕩した獣の話はまた後日――



 ◇◇◇



「と言うわけで思い当たる樹木はありませんか?」
「……と言いますと?」
「貴族の館が立つ前にあった植物とか……」
「はて……どうでしたか……夜も更けていたので……普通の森林だったような。あぁでも針葉樹が多かったと思います」
「針葉樹ですか……この辺りですと図書館近くの湖の辺りに多いですね」
「更夜さん……よくご存じですね」
「散歩が趣味で。あとあの場所は司書の思い出の地。私の巡礼地の一つですね」
「…………そうですか」

 相変わらずアクの強い二人を眺めながら思考する。

「針葉樹か……あそこなら近いし今夜確かめに行きましょうか」
「今夜ですか?」
「はい、これだけ日中は探しても見つからないしやはり夜に探した方が無難かと。皆さんが捕まえた夜光虫も夜に見つけたのが殆どですし……あそこは水も綺麗で魔力ならたくさんありますから」
「では我々も同行させていただきます。今日はこのまま休み夜に落ち合うということで。更夜もそのように」
「はい、かしこまりました」

 二人と別れ、そのまま魔術師団が置かれる王城へと足を向ける。
 散歩がてら結婚式を挙げた湖を見渡し感慨深い思いが湧く。
 あれから数ヶ月。
 ノアへの想いは増すばかり。

「困っちゃうな……」
「なーにが困っちゃうんだ」

 不意に背中を温かな体躯に包まれる。 
 嗅ぎ慣れた香りに包まれ笑みが溢れた。

「旦那様を好きすぎて困っちゃうんだ」

 腕に力が入り首に顔を埋めるノアが可笑しく肩を震わす。
 少し掠れた声で反則だと嘆いていたが声を出して笑う。
 目が合えばキスが降る。その幸せを噛み締めた。



 ◇◇◇



「準備できたけど、本当にノアも行くの?」
「当たり前だろ。こんな夜更けに最愛の妻を知らぬ男たちに預ける旦那がどこにいる」
「まぁ、そりゃそうだけど……」
「口出ししないし、空気だと思ってもらえ」
「んー、まぁ、そうだろうけど……どん引かないでね」
「あ?……わかった」

 急遽ノアの参加に少しの不安を覚え、待ち合わせ場所で二人に落ち合う。
 予想通りのセイヤと更夜を夫婦揃って虚無の心で受け入れた。

「…………ロゼは毎日あいつらといたんだな」
「あはは……すごいでしょ」

 一瞬でやつれたノアに乾笑いを送りながら目的地へと歩みを進める。
 まもなく到着する頃だと思い前を見据えると、光の浮遊物が目に入った。
 皆思うことが同じだったのか早足にロゼッタの横をセイヤが通り過ぎる。
 一瞬見えた横顔は邂逅するような、懇願するような、誓願を含んだ表情。
 ノアと頷き合い後を追う。

 そこには水面を漂う夜光虫。
 辺りを囲む針葉樹に数多の淡い光を宿した光が羽を休ますように止まっていた。

 感嘆の息が溢れ、その声に誘われるように浮遊物が増える。

「……あ…………雪……」

 掴もうと手を伸ばせば、掌の熱で溶ける結晶。

「……雪……」

 その幻想的な風景に誰もが息を呑む。
 しんしんと降り止まない雪と、光り輝く夜光虫がキラキラと一帯を輝かす。
 この場の雰囲気に合わない鼻を啜る音。
 綺麗な顔をぐしゃぐしゃにしながらもセイヤの涙がロゼッタにはとても綺麗に見えた。

「これは文句なく美しいな」
「うん、本当に……セイヤさんも、よかった」

 更夜に抱えられながら咽び泣くセイヤを見守り、ノアと二人肩を寄せ合う。

「前にね……更夜さんが教えてくれたんだけど……」




 ――故郷では年越しの前、忙しない人々のゆく年最後の宴の夜があるのです。ある者は気の合う仲間たちと共に、ある者は愛する家族と共に、そしてある者は愛する人と共に過ごす聖なる夜を祝う――



「聖なる夜か……奴に相応しいな」
「……うん、私もそう思う」
「冬はあまり好きじゃなかったが、ロゼとこの風景があれば好きになれそうだ」
「ふふ、ノアはブレないね。でも……私も同じ。寂しくなくなる……」
「……寂しかったのか?」
「んー、寂しいと言うか…………人肌が恋しくなる」
「……ロゼ」
「やっぱ今のなし」
「なしがなし。今夜も覚えてろよ。明日は代休にしてやる。こっちの気持ちも知らずに無自覚に煽りやがって」
「な!勝手言わないでよ!!煽ってないし!」
「煽ってんだよ、無自覚に。こちとら毎晩付き合わせてるから一回で終わらせて他で発散させてるってのに……」
「他って……他って何!?まさか私以外で発散してるの!?」
「っ!お前は……」

 貪るような口付けに思考が止まる。
 見据えられた碧眼には燃え盛る情欲がありありと浮ぶ。

「……覚悟しろロゼ。口で言ってもわかんないなら、その体に覚えさせるまでだ」
「――っノ、ぁ」

 言葉を発する前に口を塞がれ熱い舌に貪られる。
 やってしまったと後悔しても、思考は溶け体が疼き熱をもつ。

「おい、そこの二人。あとはお前らだけでどうにかなるだろ。俺たちは帰る」

 ノアに凭れ掛かる体が瞬時に浮かび、気付けば見慣れた部屋。背中に柔らかい寝具の感触を感じれば熱を増す双眼に見据えられる。

「愛してる。昔も今も、これからも。俺にとってはロゼしかいない。ロゼッタ、ただお前一人だけを愛してる。この熱も――」

 お腹に服の上からでもわかる熱い剛直がゴリっと擦り付けられる。

「受け止めるのはただ一人……ロゼッタお前だけだ」
「――ぁっ」

 それからノアは言葉で、体で、その全てで伝える。

「愛してる……ロゼッタ――」
「――私も愛してる……」

 溶け合うように何度も何度も互いに求め合い二人の聖なる夜は朝まで続いた。



 ◇◇◇



「さぁ、本日が聖夜祭の本番です。司書の皆様もさっさと家路につくように……それではセイヤくん、何か一言。……セイヤくん、戻ってきて下さい」
「室長ー、セイヤは当分戻ってこないと思うので切り上げていいと思いまーす!」
「…………でわ、今日で今年も最終日。皆様、無事故でよろしくお願いしますね……解散」

 朝礼の後。
 マリーと共に館内に戻る間にここ最近の出来事を振り返った。
 あの晩を境にセイヤに勢いが増し年越し前に夜光虫の実用化を実現した。
 そして彼が残したもう一つのもの。

「マリーは今日ご家族のところへ帰るの?」
「ううん、実家には年明けに顔を出す予定。今年は折角だからってナザリーと聖夜祭のイルミネーションを見に行くよ!そのあとは二人でしっぽりやろって話してる」

 イルミネーション――夜光虫の好物の針葉樹を、特殊加工した小さなガラス細工の中に沢山の淡い光の光源で灯し、冬の侘しい夜間をその風景で飾りを楽しむ。
 セイヤの願いの集大成。

「楽しそうね、ナザリーにもご家族にもよろしく伝えてね」
「わかった、ありがとう。ロゼッタたちは行かないの?」
「んー、なんか揉めてるみたい」
「……あぁ…………ご愁傷様。殿下たちも相変わらずで……」
「ははは」

 苦笑いを浮かべるが、姿勢を正しマリーに向き直る。

「今年も一年ありがとうね。また来年もどうぞよろしくマリー」
「うん、こちらこそ一年ありがとうございました。来年も変わらずよろしくね。あはは」

 二人で笑い合い他愛もない話をしながら一日はすぎていく。



 ◇◇◇



「待たせたわね、ロゼ。行きましょうか」
「わぁ!お母様綺麗!!妖精の女王様みたい……」
「ふふ、ありがとう。貴女もとても素敵よ。愛が滲み出てるから、こっちまで当てられそうだわ」
「お母様!!」

 ロゼッタの義母であるリリーは今宵もその美貌を発揮する。
 新たに『聖夜祭』と名付けられたその年最後の公式行事。
 今年一年の仕事納めを国が大々的に援助する。
 中央大広場には露店が出され、王城から繋がるメインストリートには針葉樹が新たに植えられイルミネーションで飾られる。
 その他、貴族街も市民の家でさえも各々がイルミネーションで飾り立ており街全体が冬独特の侘しさを消し去るように鮮やかに色付けている。

 そして今、ロゼッタとリリーは王城内離宮の一室へと向かっている。
 親子で合わせたドレスは淡い青と銀のエンパイアドレス。
 長いトレーンが銀糸によってキラキラと輝く。
 肌を隠すようにデコルテや腕は全てレースでできており、程よく銀糸が入っているため自然な光を纏わせる豪華な一着だ。

 そっと愛でるように少し膨らみ出したまだ目立たない下腹部を摩る。
 慈しむ瞳に微笑まれ笑みをこぼす。
 今はまだ女子だけの秘め事。
 この後の男性陣の反応を二人で浮かべ嘆息する。
 それでも左薬指に嵌るブラックダイヤがドレスと共にキラリと輝き、くる年の未来を明るく照らす。

 到着した扉の向こうから喧騒が聞こえ、リリーと目を合わせる。
 互いに眉に皺を刻み、不釣り合いな表情になってしまったのは仕方がない。
 扉を開ければ見慣れた光景。
 立派な体躯の男たちが口喧嘩をしてる真っ最中。
 リリーが歩みより一括するのも最近ではお決まりの流れ。
 その背景は夜光虫で飾られたイルミネーション。
 去年とは違う鮮やかな冬のひと時に、今日も今日とてロゼッタは幸せを噛み締めた。




 ――fin――

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