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③憶
しおりを挟む懐かしい見慣れた室内。
見慣れた縁側には、恋焦がれた記憶よりも細い背中が見える。
「龍!!」
声に気付き振り返る男は最後に会った時より遥かに若く幼気な笑みを見せる。
「今日はセ〇ラー〇ーンのうさぎちゃんの髪型にして!約束でしょ?」
飛びついても男は微動だにせず、姿勢を正しすっぽりと胸に収まる自分をどこか遠くに感じ夢だと気付いた。
「藍に言われた通りしっかり練習したから期待していいよ。俺に任せな」
二人が無邪気に笑い合い縁側に寄り添う。
暖かくも懐かしく心が軋む記憶。
場面が変わる。
目線が上がり景色が変わるが、男との距離は縮まない。
「龍、お願い。知らない奴に奪われる前に私を奪ってよ」
「お前なぁ、血迷ったこと言うな。そうゆうもんは心底好きあった奴と自然にそうなってお願いするんだよ」
「でも、またいつ同じことが起きるかわからないじゃない!」
「だからこそだ!!もう二度と怖い思いはさせない。その為に俺がいるし、兄さんたちがいる。お前はヤクザ者の孫であっても普通に女が幸せになる過程を享受するべきなんだ」
「…意気地なし」
「ナントデモ」
「馬鹿龍」
「バカデスヨ」
「馬鹿、龍…大好き」
「…知ってる」
遠い記憶。
夢であっても鮮明に覚えてる感情とこの景色。
桜吹雪に覗く男の容姿が最後に見た記憶に近づいていく。
これは夢。
そして私の記憶。
目を覚まさなければと思いながらも、抜け出すことはできない。
「…龍。私、卒業したよ」
「おめでとう。…でかくなったな、立派だよ。親父も喜ぶ」
お願い、目を覚まして。
また繰り返すのなんて耐えられない。
なんでこんな夢を私は見ているのだろう。
夢なら、夢であるならば、その中では幸せでありたいのに。
「…龍、貴方がずっと好きなの。…だから、恋人になって。私を抱いてほしい」
「…藍」
「私が龍にとっては面倒な立場なのも理解してるし、今まで龍が相手してきた女の人たちなんかより全然魅力がないのも分かってる。恋人になってて言ったのも本心だけど、龍が嫌なら別にいいの。…ただ、十六歳の頃から毎年言ってるけど…私、本気なの。昔言ってくれたじゃん。大事なものは心底好きな相手にお願いしろって。私にとって、それが龍なんだよ。…他の誰でもない。私の、処女を奪ってほしい。…龍に」
桜吹雪に煽られ髪が舞う。
男の背広が風に靡く様も鮮明に覚えている。
そして辛そうな表情から発せられる言葉も。
「…藍。俺は…俺もずっとお前だけだった。お前が欲しい」
記憶にない言葉と温もり。
ただ心が満たされ、求めていた暖かい温もりに包まれる。
夢現の世界。記憶にはない私が求めていた未来。
しかし現実は先程まで感じた温もりは消え、冷たい濡れたコンクリートの感触。
切り刻まれた服と煙たい屋内、甘い薬の香りとアルコール臭。
視界は濡れ霞み、口腔内に拡がる血の味と苦く青臭いどろりとした白濁が喉にかかる。
触れられる手は私の知っている暖かく筋張った大きな手とは違い、かさつき冷たい。
意識はすでに朦朧とし、手足には力が入らないのに感触と体の疼きだけはやたらとリアルだ。
股を鈍器で殴られるような衝撃と、何かが引き裂かれるような痛みで体が仰け反り声なき奇声を上げた。
生暖かい液体が臀部を滴り朦朧とする意識の中、鮮明に聞こえたのは求めて求めつづけた男の悲痛な叫び声だった。
ガバリと目が覚め上体を起こし見慣れた風景が瞳に広がる。
襖の奥から聞きなれた声が聞こえる。
「全ての責任は俺にあります。俺の身一つでここは収めていただけないでしょうか」
駆け出したいのに身体は金縛りにあったように動かない。
ふと気配を感じ首を動かすと巧が温かな眼差しを向けている。
まだ男の形の巧の胸の中に包まれ涙を流す。
永遠に。
そして意識が浮上する。
最後に見た景色は誰かに抱かれ健やかに眠る赤ちゃんの姿だった――
「目が覚めた?…大丈夫かしら。喉は乾いてない?」
「…巧さん…?」
「あら意地悪な子ね。今はもう多美ママでしょ?…昔の夢でも見たのかしら?昔の私も男前だったろうけど、今の私の美しさには敵いっこないでしょ。うふふ」
夢と同じ暖かく大きな手が額を覆い優しく撫でる。
「今日はお休みでしょ?何も心配しなくていいから、ゆっくりお休みなさいな。ね」
バリトンボイスが耳に心地よく眠りを誘う。
私の顔の上半分を覆い隠す大きな掌が全てを剥ぎ取っていく。
「…っ、すこし…っぅ、もう少しだけ…ごのままでもいぃ?」
もちろんよ、と大きな掌が撫でるのを再開する。
優しさと温もりに、今度は何の夢も見ずに眠りにつけそうだと流れ続ける涙をそのままにして目を閉じた。
「…こんなの辛すぎるはよ」
そう囁かれた嘆きは私の耳に届くことはなかった。
コンコンとノック音が響き扉が開かれる。
「藍ちゃんどう?」
静かに室内に入り多美の肩に手を置き見つめ続ける先を覗く。
目元が腫れてはいるが、先程より健やかに眠る藍の姿がそこにはあった。
無言のまま見続ける多美を促し部屋を出て、慣れた手付きで少し早い朝食の支度をする。
テーブルに朝食を置き腰を落とすと、ぽつりぽつりと多美が言葉を紡ぐ。
「あの子は私たちに進む道を教えてくれたわ」
「そうだね」
「幸せにならなきゃダメ」
「その通りだよ」
「幸せになって欲しいのよ…心の底から」
「僕も同じ気持ちだよ」
「……笑顔で生きて欲しいんだ」
きしりと床が軋む。
多美の横に腰を下ろし女性とは違う抱き心地を感じながら囁く。
「僕たちが彼女にしてあげられることがあるのなら、彼女が求めてくれるまで与えてあげよ。そして僕たちも幸せにならなきゃいけない。それが僕たちができる最大限の恩返しだと思うよ。きっと彼女も僕たちが不幸になることは望んでいないし、一緒に生きて行きたいと願ってるはずだ」
しばらく二人は温もりを分け合い寄り添っていた。
窓には朝焼けの光が差し込み、都会の喧騒が遠くから微かに聞こえ始めた。
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