君を殺せば、世界はきっと優しくなるから

鷹尾だらり

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忘れ物みたいな言葉

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 *

 八月の夕暮れは秋の色に染まりつつある。
 山間に堕ちていく緋色の球体が、アスファルトに二人分の影を貼り付けていた。柔らかで、けれど強い光の中に伸びたそれは、半ばから道路脇の緑に飲み込まれて。

「人殺しの愛なんですよ、この結晶は。それだけで、なんだか価値があるものだって思えませんか?」

 錆びてロゴが消えかかったコカ・コーラのベンチに座って、茉宵は子供に向けるような顔で優しく左頬を撫でた。
 その指の隙間には、小さな結晶が埋もれている。

「だって、死んでしまうんだぞ」

 僕は買ったばかりのコーラを握りしめる。
 どうしようもなくすべてが手遅れになった、世界の終わりにいるような気分だった。

「今さら死んでほしくないって言うんスか? 殺そうとしてた癖に~?」
「虫のいい話だってのは知ってるよ。その上で、それでも君に死んでほしくないと言っている」

 これは僕のエゴなんだ。誰にも邪魔はさせない。

「やーん。そこまで惚れられるとアタシも弱っちゃうっスよ~」

 軽薄な言葉の反面、茉宵は心底嬉しそうな、柔らかい笑みを浮かべていた。
 僕はそれを、諦念が生み出した感情であることを知っている。諦めていれば、なんだって幸福に感じる事が出来る。前提として、自分の人生がそれ以下のもので出来ていることを知っているのだから。

「でもね、アタシ本当に幸せなんスよ。だって結晶って、ホントは体の内側にしか出来ないはずじゃないですか」
「少なくとも、僕はそうだね」
「でも、アタシのほっぺには結晶があります」

 彼女の声に耳を傾けてる傍らで、僕はアスファルトに落ちた影を眺めていた。
 木々の隙間に流れた空は鮮烈な赤で、入道雲の隙間から飛び出した飛行機雲が、どこか遠くを目指している。どこかの軒先で、風鈴の揺れる音がした。
 大きな伸びをした後、茉宵は首を傾げる。

「それってつまり、体の外にまで出てくるくらいの恋を、晴悟くんにもらったってことでしょ?」

 頭がくらくらしてきた。結晶化した臓器が脈打つように激しく痛む。その言葉を聞いて、僕は喜んでいいのか、悲しんでいいのかもわからなかった。
 どちらの感情も、たしかに僕の中にあった。でもそれらは混ざり合うことのないまま、丁寧に隔てられた場所に存在している。
 だから僕はどちらも優先出来ないで、諦めるような言葉を吐き出す。

「優しい世界は、見つけられた?」

 アスファルトに落ちていた視線を、僕は隣の少女に移した。
 茉宵が首を振る。

「残念ながら」

 言葉に反して、彼女は楽しげに笑っていた。
 「それは残念だ」と僕は言う。彼女はまた首を振る。

「それが、残念なだけでもないんスよね」

 ベンチの下で、茉宵の足が揺れている。
 僕は頷いて、話の続きを待つ。

「もちろん、「今の世界って案外完璧かも」なんて思考放棄をするつもりはないっスよ? それでもただ、純粋に、世の中の悪いところばかりを見すぎてたんじゃないかなって思ったんです」

 茉宵は間違えのないように、慎重に言葉を探しているようだった。
 ひぐらしに沈んだ山道は、時々隣町から峠を越えてくる車が通るだけで、あとの静寂は夏が埋めてくれる。

「両極端じゃダメなんだな、って。それって悪い人だけを見て、良い人をいないことにするのと同じだから」

 ややあって口を開いた彼女は、けれどまた口籠る。今度は遠くで落としてきた物を思い出すような、複雑な顔だった。

「あの二人も、そうだったじゃないスか」
「若と芽衣花だね」
「はいっス」

 茉宵がうなずく。
 僕らはあの幼い恋人たちを訪れた。先週の土曜日、海辺のトタン小屋を去った翌日のことだ。

 芽衣花からは二人平等にお叱りをいただき、若からは僕だけが一発パンチをもらった。
 その後はいつも通り若が芽衣花を怒らせて、喧嘩になり、僕がそれを仲裁する。ずっと逃げ続けてきた僕らを、自分たちの日常に迎え入れてくれているような気がした。彼らと友達でいられたことを、僕は誇りに思う。
 二人は同じ大学に進学することに決めたらしい。若は社会心理学で、芽衣花は教育学部だ。偶然にも、二人の考える進路が同じ大学にあったのだという。
 僕らは改めて「おめでとう」と「お幸せに」を添えて、彼らと別れた。これまでと同じように、再開の約束はない。
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