君を殺せば、世界はきっと優しくなるから

鷹尾だらり

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死が陰るほどの幸福なら

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 ヒグラシが切なげな歌声で残夏を濡らしていた。
 風鈴が奏でた余韻の向こうに、そっと宝物に触れる指先のように小さな秋が聞こえる。
 僕らは隣町のラブホテルで夜を凌いだ。
 茉宵も、そして僕も潔白だった。道中のコンビニで買ったジュースやおにぎりを片手に、「生き残った時にすること」を考えていた。
 自転車でのニケツに、海岸線から眺める海と遮るもののない日光、並んで見上げる花火。どうせ逃げ回るならその一つ一つを実践してやろうと、僕らは昼過ぎにホテルを出た。

「じゃあ、まず自転車だな」

 夏の匂いをいっぱいに吸い込んで言うと、茉宵も僕の真似をして大きく息を吸い込んだ。
 それから手近なリサイクルショップに入って、僕らは中古の自転車を手に入れる。
 走った距離がボディをディープレッドに染め上げたような、年季の入った自転車だ。
 勢いよく荷台に座った茉宵に続いて、サドルに跨る。

「茉宵」

 街路樹のセミに負けない声で名前を呼んだ。
 僕の胸の前で握られた手が、ピクリと動く。

「しっかり捕まってなよ。じきに坂道だから」

 そっと手を添えると、背中で茉宵の頭がこくりと揺れた。
 ゆるく結ばれていた手が、微かに胸を締め付ける。
 それは桜を手折ることもできないような弱い力だ。けれど僕の心臓の音を際立たせるには、十分なほど強く切なくて。背に添えられた茉宵の頭にこの心音が届かないよう、僕は浅い息を繰り返す。

 ──どうか、この鼓動が愛情ではありませんように

 自転車が下り坂に入る。
 視界には快晴が浮かんでいた。
 アスファルトから立ち上る熱は濡れた匂いを孕んでいて、なのに頬を撫でる風は微かに冷たい。今年の夏も、こうして呆気ないままに暮れていくのだろう。
 いつだって夏の終わりは、取り零したものたちへの未練で胸が空っぽになる。
 海岸沿いの堤防の上を歩いたり、自転車で遠くの街に行ってみたり。夏休みの始めに思い描いた一夏の計画は、結局どれもが果たされないまま後悔に変わっていく。
 思うに夏は、ちっぽけな憧れの残骸なのだろう。思い描いた完璧な夏と現実との隔たりが、小傷だらけの胸を微かな痛みで埋め尽くす。

 ──けれど、この夏は違うんだ

 僕らは望まないまま体の内側で殺し合って、そしてそれを塗り替えるために罪を犯した。
 今は逃走中の身だ。
 なにかに遠慮する余裕も、その必要もない。これは追い詰められた化け物が、その死の間際でようやく愛おしめる命なのだ。
 ここ数年で感じることのなかった高揚感を誤魔化すように、僕は振り返らないまま叫ぶ。

「海に出るよ」

 直後、僕らの視界は海へと開けた。
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