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五人目の少女

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 夜の深い青と山の隙間から橙色《とうしょく》の陽が刺して、僕はようやく目を開く。
 真夏の朝日に猛った陽射しが街を揺り起こして、セミの潮騒が世界の温度を上げていく。
 質の悪い走馬灯のような夢だった。けれど凱世がいたおかげで、僕は自分が置かれた現状をある程度理解できている。
 だから、迷っていた。

(いなくなった相手を、どうやって幸せにするっていうんだ)

 大量のガラス片を飲み込んだみたいに喉が痛んだから、あの夢でぶつけられなかった文句を胸に溶かす。
 氷雨は一つだけキスを残して、僕の前から消えてしまった。
 一度目のキスでは無視できた感情が、氷雨の中に滲み出したのだろう。
 それでも僕は生きて目を覚ましたのだから、凱世の言葉を信じてみてもいい。
 氷雨への怒りや絶望は、これまでの彼女の言葉を思い返すたびに薄れていった。

「素直に好きって言わせてくださいよ」

 と、氷雨は観覧車を揺らして言った。
 思うにあの日の彼女は、感情を抑えようと必死だったのだろう。
 そう考えると、あらゆることに合点がいった。
 優しい世界を求めた理由も、誰にでも優しくして、その癖お礼を受け取れない理由だって同じだ。彼女は自身への好意に発展する可能性を恐れていたのだろう。
 僕らは結局、まったく最悪なほどに、共通する本質に踊らされていたのだ。
 
「よォ。ずいぶん寝坊助なんだな、容疑者B」

 鉛を着たように重い体を起こすと、開け放した記憶のないベランダから声が聞こえた。
 それは僕にとって、死神の足音にも等しい声だった。

「刑事が不法侵入ですか、檜垣さん」

 僕は笑う膝を握って立ち上がり、なんでもないように振り返る。
 ベランダから刺す眩い陽の中で、くたびれた背広の男が紫煙を燻らせていた。
 ようやく目が光に慣れてきた頃、檜垣さんがいつもの調子で笑う。

「重要参考人を抑えに来たんだよ」
「だったら救命活動くらいはしてほしかったですね」

 このなりですよ、と僕は肌からシャツを剥がす。パラパラと血の塊が床に落ちていく。
 白いシャツには赤黒い血が浸透して、黒く変色していた。
 バケツにお湯を溜めて、脱いだシャツを漬け込む。揺れる水面に浮かんだ僕の顔は、ひどく窶れていた。
 口元にこびり着いた血を拭い、着替えてから檜垣さんの隣に立つ。
 濃密な夏の匂いが頬を撫でて、セミの声が白んだ陽射しを際立たせている。

「死んでても不思議じゃなかった」
「馬鹿言っちゃいけねぇな。いくら応援するっても、悪人を殺してぇって気持ち自体は死んじゃいねぇんだぜ」

 檜垣さんを真似て、僕もタバコに火を付ける。

「さっきから何のことです? 僕の容疑は晴れたはずですが」
「保留な。しかもそりゃ愛結晶に限った話だ」

 話が急に見えなくなった。
 聞き返すでもなく檜垣さんをじっと見据えると、ひときわ重たい煙を吐いて、彼は言った。

「先日、県立小夜ヶ丘高等学校の一年生が自宅付近で意識不明の状態で発見された」

 途端、体のちょうど真ん中がねじれたように痛み始める。発作だ、と思った。
 僕が何かを言うより早く、檜垣さんは鼻を鳴らす。

「一応言っといてやるが、お前が思い浮かべた奴は被害者マルガイじゃねぇ。逆だ」
「逆」

 安心するより先にヘドロのように湧き出た疑念が、僕の鼓動を早まらせる。
 咥えたまま吐き出したジタンの煙の底から、感情の死んだ低い声が手を伸ばしてきた。

「俺たちが探してる容疑者はな、坊主。小夜ヶ丘高校一年一組三十番、だよ」
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