君を殺せば、世界はきっと優しくなるから

鷹尾だらり

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ただいまと、さよならと

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 車窓の外に見知った街が映る。
 警察署とは正反対。僕の住むアパートが見えて、その前に佇む人影が近づいてくる。
 車が停まった。略式的な口頭注意の後、扉が開かれる。

「おかえりなさい……」

 氷雨が立っている。
 形のいい眉を悲しげに歪めて、握りしめた拳は震えている。

「どうして、家にいるはずじゃ」

 茫然と言うと、檜垣さんに頭を叩かれる。

「バカな男のやる事なんざ、惚れた女にゃお見通しなんだよ。そういうことにしておいてやれ」

 体の低い位置で、心臓が怯えるように脈打っていた。
 氷雨の知らない所で全て片付けようとして、その最悪の結果を目撃されてしまった。
 最初から見え透いた手を打っていたのだと突き付けられているような、惨めな気分になる。

「早くいけよクソガキ。お巡りサンはよ、早く帰りたいの」

 動けなくなった背中を、檜垣さんに押されて車を降りる。パトカーはそのまま行ってしまった。
 キリギリスやオケラの鳴く夏の夜に、僕らだけが取り残されたように浮いていた。

「氷雨、その」

 僕は一体、どんな顔をしているのだろう。
 自分が作らせてしまった寂しそうな顔に、どう笑いかければいいのだろう。
 分からないから、僕の取れる行動は一つだけだった。
 濡れて煌めくアスファルトに一瞬だけ視線を落として、それから顔を上げて。震える肩を、思い切り抱き締めた。
 初対面で感じたよりも、ずっと細く頼りない肩や腰。
 僕を待つ間に冷えた肌の温もり。豊かな胸の膨らみや、ワインレッドの髪から漂う優しい匂い。全身の感覚を研ぎ澄ませて、氷雨の感覚を記憶の奥深くに刻み込む。
 どれほどそうしていたのかはわからない。
 やがて氷雨の手がもぞりと動いて、弱弱しい拳で僕の肩を叩く。

「何か、言うことないんスか」

 湿った声が、抱きしめた胸の中で揺らいだ。
 僕はその何気ない一言の為に、およそ人生で一番長い時間を深呼吸にかけてから言った。

「ああ、ただいま」
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