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空を目指して浮いた泡

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 あまりに早く、軽やかで。それはこれまでのどの恋愛よりも手応えがない。
 そのはずなのに僕の心と言う奴は、確かに喜びを感じている。
 物事をネガティブな方向で捉える僕は、不用意な傷を受けないように身構えていた。

「光栄だけど。それは恋愛の話じゃないんだろう?」

 出来るだけ落ち着いた声音で言うと、肩口の髪がピクリと揺れた。
 水槽の底から生れた泡沫が、揺れながら空の光に登っていく。
 肩にかかった重みが、静かに離れていった。

「鋭いな~。そっス、単なる友達として好きかも、って話っス」

 氷雨が離れても、しばらく肩に彼女の熱が残っているような気がした。
 僕は溜め息を吐く。

「そんな振る舞いしてたら、いつか男に食われるぞ」
「よぎセンがこれまで食べてきた女子たちみたいにっスか?」

 今日は鼓動の忙しい日だ。
 高鳴ったり、急激にペースを落としたり。その全てで氷雨は悪戯っぽく笑っている。気に食わない。

「調べたか?」
「そりゃあ、もちろん。見事なクズっぷりでした」
「奇特だな。人殺しのクズって知った上でデートの誘いを受けてくれたのか」
「人殺しだから受けたんじゃないっスか~」

 訳のわからないことを言って、氷雨が笑う。
 僅かな突起が引っ掛かるような、小さな違和感があった。記憶を探れば、その正体にはすぐにたどり着く。
 僕は氷雨茉宵が同級生を自殺させた件について、何も知らない。

「僕は君とは違うよ。自殺はさせてない」
「まじっスか、直接? よく捕まりませんでしたね」
「まあね。上手く変死で処理したから」

 およそ水族館でする話ではない。
 カップルのささやかな笑い声が近づいてきたタイミングで、僕は話題を切り替える。

「君が優しい世界を探しているのは、一体何のためなんだ?」
「ああ、病気なんスよ」

 一瞬だけ息が詰まった。
 不吉な鼓動があって、僕はそこから目をそらすために水槽を見上げる。
 ちょうど水面に向かって浮上する泡が、水槽の途中で弾けて消えた。

「ずいぶんあっさり言うな。余命宣告でもされてるのか」

 僕はその話を聞いて、すぐそこにある死への恐怖から目を逸らすために、優しい世界を追求しているのだと思っていた。
 けれどそれすらも否定して、氷雨は朗らかに笑う。

「まっさかー、今すぐ死ぬような病気じゃないっスよ。でも好き勝手やってたら、間違いなく寿命は全うできませんね」

 僕は面食らう。自分の病を語る氷雨が、あまりにも明るすぎて。

「怖くないのか?」
「そりゃあ怖いっスよ~、だから他人からの優しさを全カットしてんスよ」

 僕はもう氷雨が見れなかった。
 壁面の曲がったガラスを見るときと同じだ。歪んでいるものを真正面から見ると、ときどき眩暈がするほどに視界が歪む。

「じゃあ、なんで」
「ん~、理由なんて単純だと思うっスけどね」

 顎に細い指先を当てて、氷雨が惚けた声を上げる。

「怖いんスよ、今の世界。悪人の命が塀の中で保証されて、何の罪もない人の命が保証されないなんて、怖くないっスか」

 それは痛ましいほどに、真っ直ぐな瞳だった。
 ヘーゼルの瞳孔の中で、同じような目をした僕と目が合う。
 氷雨と僕の行動は正反対だ。

 ──悪人だらけの世界だ。故に排除しよう。
 ──悪人だらけの世界だ。故に優しくしよう。

 二つの理念の距離は遠く、けれど根底の部分では絶望的なまでに近い。
 本当に人の善性を信じるのなら、きっと世界の優しい側面に目を向ける。でも僕らは違う。欠点ばかりを見てしまう。
 だからきっと、根底の部分で僕と氷雨は似ている。
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