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空を目指して浮いた泡
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梅雨が明けたらしい。
空っぽと呼ばれた梅雨の向こうから蝉時雨がやってきて、夏日の陽射しが雨のように降り注ぐ。
モニュメントの影に立って夏を避けると、ポケットに突っ込んだスマホが震えた。
《ヤリチン不良発見っス》
既読だけつけてまたポケットに仕舞う。
今日は予定していたデートの日だ。
上手く実感もわかないくせに、落ち着きもしない。
気休めにタバコを取り出そうとしたけれど、またすぐにメッセージが飛んできた。
《無視しないでくださいよ。人気者のアタシをデートに誘ったの、よぎセンじゃないっスか》
自分で言うか。それでも無視すると、遂に電話がかかってくる。
なんとなく出る気になれないでいると、背にしたモニュメントの裏側から声がした。
「隠れてないで出て来なさい。故郷のお袋さんも泣いてるっスよ」
「ソイツならもう殺したよ」
僕は笑いながら、陽の影を出た。
モニュメントの輪郭が溶けた辺りから差す陽が目を焼いて、一瞬だけ視界をぼやけさせる。
白んだ視界が少しずつ陰を取り戻して、それで氷雨の姿が目に入る。
「驚いた。そんな格好も出来るんだな」
素直に目を丸める僕に、氷雨が得意げに胸を反らす。
「ふふん、アタシだって一人前のレディっスからね。大人の魅力もムンムンですよ!」
「うん、そうだな。正直見違えた」
「でしょでしょっ。参ったなー、よぎセン虜にしちゃったなー」
「いや、それはちょっと。わからないけど」
苦笑しながら、もう一度氷雨の姿を視界に収める。
黒のサマーニットに、膝下まで伸びたデニムスカート。赤いポニーテールが、白いカーディガンの上で緩いウェーブを描いている。
これまで制服姿しか見たことのない分、氷雨の私服姿はいくらか刺激的だった。
「それで、最初はショッピングモールだっけ?」
「そのあと水族館っスね」
ビルの影を縫いながら駅に入る。
開け放した扉のせいで構内は蒸し暑い。僕らは並んで改札を潜って、折よくやってきた電車に飛び乗る。
弱冷車と言う割には冷房の効いた車内だった。冷えた汗に一度体を震わせて、氷雨が笑う。
「アタシ、今日それなりに楽しみにしてきたんスよ」
「へえ、それなりか」
「はい、それなりっス。カレシとだったら、もっと嬉しかっただろうな~って」
「いないんすけどね? カレシ」と僕の瞳を覗き込んでくる。
ヘーゼルの瞳の真ん中に、夏に浮かされた男が見えた。僕は目をそらす。
「御覧の通り僕は君の彼氏じゃないわけだが、それでもそれなりに嬉しいんだな」
「そりゃあもちろん」
氷雨が形のいい唇をニシシと歪める。
「だって、お礼じゃなくて「デート」っスから」
不覚にも、心臓が異音を立てる。
鼓動が一瞬だけ息を引き取って、そのあとまた激しく動き出すように。
不自然な鼓動が聞こえないように、僕は笑う。笑ってため息を誤魔化す。
「そうだな。こんなかわいい子とデートが出来て、僕は幸せだ」
たぶん、それも間違いのない事実だった。
でもそれと並行して、氷雨茉宵の殺害計画も着実に進んでいる。
空っぽと呼ばれた梅雨の向こうから蝉時雨がやってきて、夏日の陽射しが雨のように降り注ぐ。
モニュメントの影に立って夏を避けると、ポケットに突っ込んだスマホが震えた。
《ヤリチン不良発見っス》
既読だけつけてまたポケットに仕舞う。
今日は予定していたデートの日だ。
上手く実感もわかないくせに、落ち着きもしない。
気休めにタバコを取り出そうとしたけれど、またすぐにメッセージが飛んできた。
《無視しないでくださいよ。人気者のアタシをデートに誘ったの、よぎセンじゃないっスか》
自分で言うか。それでも無視すると、遂に電話がかかってくる。
なんとなく出る気になれないでいると、背にしたモニュメントの裏側から声がした。
「隠れてないで出て来なさい。故郷のお袋さんも泣いてるっスよ」
「ソイツならもう殺したよ」
僕は笑いながら、陽の影を出た。
モニュメントの輪郭が溶けた辺りから差す陽が目を焼いて、一瞬だけ視界をぼやけさせる。
白んだ視界が少しずつ陰を取り戻して、それで氷雨の姿が目に入る。
「驚いた。そんな格好も出来るんだな」
素直に目を丸める僕に、氷雨が得意げに胸を反らす。
「ふふん、アタシだって一人前のレディっスからね。大人の魅力もムンムンですよ!」
「うん、そうだな。正直見違えた」
「でしょでしょっ。参ったなー、よぎセン虜にしちゃったなー」
「いや、それはちょっと。わからないけど」
苦笑しながら、もう一度氷雨の姿を視界に収める。
黒のサマーニットに、膝下まで伸びたデニムスカート。赤いポニーテールが、白いカーディガンの上で緩いウェーブを描いている。
これまで制服姿しか見たことのない分、氷雨の私服姿はいくらか刺激的だった。
「それで、最初はショッピングモールだっけ?」
「そのあと水族館っスね」
ビルの影を縫いながら駅に入る。
開け放した扉のせいで構内は蒸し暑い。僕らは並んで改札を潜って、折よくやってきた電車に飛び乗る。
弱冷車と言う割には冷房の効いた車内だった。冷えた汗に一度体を震わせて、氷雨が笑う。
「アタシ、今日それなりに楽しみにしてきたんスよ」
「へえ、それなりか」
「はい、それなりっス。カレシとだったら、もっと嬉しかっただろうな~って」
「いないんすけどね? カレシ」と僕の瞳を覗き込んでくる。
ヘーゼルの瞳の真ん中に、夏に浮かされた男が見えた。僕は目をそらす。
「御覧の通り僕は君の彼氏じゃないわけだが、それでもそれなりに嬉しいんだな」
「そりゃあもちろん」
氷雨が形のいい唇をニシシと歪める。
「だって、お礼じゃなくて「デート」っスから」
不覚にも、心臓が異音を立てる。
鼓動が一瞬だけ息を引き取って、そのあとまた激しく動き出すように。
不自然な鼓動が聞こえないように、僕は笑う。笑ってため息を誤魔化す。
「そうだな。こんなかわいい子とデートが出来て、僕は幸せだ」
たぶん、それも間違いのない事実だった。
でもそれと並行して、氷雨茉宵の殺害計画も着実に進んでいる。
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